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その二十三(救いへの契約)

 


 ラジェと特殊隊の隊員たちが屋敷の周りを捜索していた頃、住人が寝静まり灯りのなくなった街で、一つの影が馬を駆っていた。


 かの女性がつい先日目を輝かせながら見た海は、今は静まり返り、夜空の闇をその波に映して静かに波打っていた。波に浚われぬようにと港に括りつけられた船がぎぎぃと不気味な音を立てている。


 馬の脇腹を蹴って先を急がせる。馬と共に見知った道を駆け抜けるたび、輝かんばかりの笑顔を浮かべながら街を歩いた彼女の姿が脳裏に蘇り、影はぐっと歯を食いしばった。

 街の港近くまで来た影の目に、目指す場所が飛び込んできた。その場所は薄布が張られており、そこからぼんやりと光が漏れている。

 辺りを警戒するように見回した影は、少し離れた場所に馬を繋いだ。

 大分急かしたせいで鼻息が荒いそれの鼻面を軽くなで、影は足音もなくその場所に近づいていく。



 こんな時間ともなれば普通は灯りなど灯っていないが、その場所―――賭博屋となれば、こんな時間まで営業していてもおかしくはない。



 影――ルチエは薄布を捲り、賭博屋に滑り込んだ。

 口元を隠したままのルチエは、ぐるりと賭博屋を見回す。

 賽子を投げる者や酒を煽るもの、カードを使って賭け事に興じる者…酒の匂いがいたるところからして、あまり酒好きではないルチエは顔を顰めた。

 昼間とは違うきな臭い匂いがするその場所の中で、ルチエの視線は鋭く、品定めするかのように男たちを見た。

 その並々ならぬ様子に、わいわいと騒いでいた入り口付近の男がまずルチエを注視した。


「誰だ、お前。見ない顔だな」


 男は眉を顰めて声をかけてきたが、その男になぞ用はないとルチエは視線も合わせなかった。部屋の奥に目的の翁を見つけると迷わず歩き出す。

 まるで流れるように足音を立てず近づくルチエに、翁の傍にいた強面の男が、すっと立ち上がりルチエの前に立つ。



「ここの翁に用がある。そこをどいてもらおう」

「そんな怪しげな容貌の奴を、親仁おやっさんに近づける阿呆がどこにいる」

「今すぐそこをどけ、痛い目を見たくなければな」

「ふん、お前一人で何ができる。おい、お前ら!」


 その言葉と主に、その周りにいた数人の男たちが立ち上がった。勢いで椅子が倒れ、賽子が床に転がる。その大きな音に、普通の客らしい男たちが驚いたようにこちらを見た。

 ただの店ではないことがこの瞬間にも露わになったな、とルチエはマスクの下で鼻を鳴らした。

 立ち上がった男たちは、警戒心露わな顔をルチエに向け、いつでも飛び出せるように拳を握っている。

 今にも飛び出さんばかりの男たちに、ぴりり、とルチエから苛立ち紛れの殺気が迸った。


「こちらは急いでいる。邪魔立てするなら…」


 ぎらりとルチエの目が光った時だった。


「こらこら。やめんかね」


 のんびりとした声と共に、ぷかり、と煙管きせるから煙が立ち上った。

 その声に男たちの体が動きを止めた。

 全員が視線を送ったその先で、翁は口から煙管を離し、ふぅーっと煙を吐いた。椅子の上にどっかりと座る翁は、その皺だらけの顔をルチエに向けてにやりと笑った。


「特殊隊の副隊長さんが、こんな所を使うとは。珍しいんじゃないかの」

「特殊隊副隊長?!こんなガキが?!」


 翁の台詞に男たちが叫び、驚きに目を見張った。

 何人かは思わずといったようにルチエから距離を取り、残りは更に強く拳を握りしめてルチエを睨みつけた。

 特殊隊は平民出身の、下手をすれば犯罪者の集まりともいえる。勿論元々騎士団の者たちもいるとは言うが、彼らも問題児として有名だったものばかりが集められていると聞く。

 特に腕っ節の強い荒くれ者がそろっていながら、隊長の一声で国の犬として忠実に仕事をこなす。

 以前は街で悪名を轟かせた男たちがその傘下いるとなれば、自然とその名は広まるというものである。

 その隊長の名がいまだに知れず、隊長と同じように強者だという副隊長についても決して口を割るものはいないという。

 まさか、その副隊長が少年ともいえるようなこの風貌の男だとは、誰も思わなかったのだ。

 翁の言葉がなければ。


 その翁の言葉の影響力に、ルチエは内心ふぅんと呟いた。

 ――――余程この翁の言葉は、信頼される確かなものだということか。

 裏では冷静にこの場を判断しているルチエであったが、しかし表面上の彼は燃え滾るかのような苛立ちを露わにしていた。


「わかっているなら、さっさと今から言う情報を渡して貰おうか」


 ルチエの目が剣呑さを帯び、その場の男達を射竦める。その視線の中でも翁はゆっくりと椅子から立ち上がり、またもぷかりと煙管をふかした。


「ほっほ…では、商談といこうかの、奥へ来なされ若人よ」


 椅子の横に置いた杖を握り、翁が部屋の奥へと歩いていく。

 自身を未だ強い視線で見つめる男たちの間を歩いて、ルチエは爺を追った。

 部屋の更に奥には布が垂れ下がった場所があり、それを煙管を持った手で捲って翁は進んでいった。

 同じようにルチエも入れば、外の明るさとはまるで逆に、仄暗い廊下が続いていた。しかしこの程度の暗さは、ルチエにとって何の障害にもならない。迷いのない足取りでそのまま廊下を進めば、賭博屋の明るさとはうって変わってぼんやりとした光だけが灯る部屋へとルチエは導かれた。

 部屋の中心には木でできた円卓が置かれ、一目で質がいいだろう布が掛けられていた。布には、白百合の文様が掘り込まれている。


 …この白百合は…?


 ルチエは一瞬眉を顰めたが、円卓に置かれた奥の椅子に爺は座ったことで視線を爺に戻した。

 爺の座った椅子の奥には、先程の廊下のようなものがあるのだろう。

 壁には先程の賭博屋のものよりも数段凝った意匠の布が掛けられており、そこからすっと現れた屈強な男二人が翁の横に陣取り、ルチエを睨みつける。

 その男たちを従えながら、爺はそののんびりとした雰囲気を崩さず「ほっほ」と笑った。


「さぁさ、椅子に座りなされ」

「いや、遠慮する。時間が惜しいのでな」

「つれぬ子じゃの。爺の与太話にでもつきおうてくれればよいものを」

「…無駄な事ばかり言う。その首が惜しくないのだな」


 ルチエのその言葉と同時に、爺の左右の男達が腰の武器へと手を伸ばした。すかさずルチエも自分の懐の武器に意識を向けたが、爺の鋭い声が男達を一喝する。


「やめろ!血気盛んなのはいいがな。儂の商談を邪魔する気か」


 今までとは打って変わったその雰囲気に、ルチエも目を見開いたが、その翁の声に男たちは完全に動きを止めた。

 ぐっと耐えるような顔をした男達が渋々ながら武器から手を離す。眉根を顰めた顔のまま、こうべを垂れた。


「すみません…親爺おやじ


 男たちが武器から手を離したことで、ルチエも今までずっと剥き出しにしていた殺意を引っ込めた。

「ふぅん」と呟いたルチエが、口角を上げた。


「この賭博屋、こっちが本業ってことね」

「ふむ、違うの。両方とも実は儂の趣味でな。まぁ言うならばこちらの方は俗に言う裏稼業ってとこだ」

「…ここの店の情報の代償は何だ。金か」


 そうルチエが言えば、老人はかかかっと笑い、また煙管をふかした。


「まぁ普段はな、金から言えんようなものまで代金として戴いておるよ」

「金なら積む。ここいらで怪しい動きをした奴らのアジトの情報を買いたい」

「それは…以前この店にやってきたあの幸運の女性がらみかの…?」

「さぁてね。まずはその情報があるかないか、聞きたいわけだけど」


 ――――さすがは情報屋、姫のことはもうバレてるか。


 余裕ぶって口角を上げながら、必死にルチエは頭を回転させた。

 こういう商談は、こちらの情報を出し過ぎるわけにはいかない。ここで漏らした情報が、どこに行きつくか分かったものではないからだ。

 こういった修羅場を何度も乗り越えてきたルチエでも、この老人の独特の雰囲気に冷や汗を浮かべた。


 ――――全く堪ったもんじゃないな。年の功ってわけか…表情からじゃ、全然腹の内が読めない。



「悪いがの、先程のこの文様を見たお前さんの反応で、大体分かった」


 そういって翁は何やら懐かしそうに円卓の上の布を撫でた。

 ルチエはマスクの下で唾を飲んだ。この翁は、ルチエが来ることが既に分かっていてあの百合の布を円卓の上に置いておいたのだ。

 そしてルチエの微妙な表情の変化を見ていたのだろう。ルチエも素人ではないのに、なんという観察眼だろうか。



「隣国の国の女であろう、お主が探す幸運の女性は」

「…そこまでわかっているなら話は早いな。そうだ。彼女を探している」


 ルチエの言葉にふむと呻った翁は、口元に生えた髭をなぞった。


「あの女性がらみなら、今回はタダでもよいぞ」

「…何をいっている?」

「なにも金品はいらんといっているんだ。あの娘、わしも気に入ったのでな」


 そういうと、爺はにかっと笑った。

 しかしその言葉を信用するほど、ルチエも単純ではない。話にならないと言わんばかりに腕を組んで「ふん」と鼻を鳴らした。


「どういうつもりか知らないけど、その話を鵜呑みにする馬鹿はいないよ」

「いいや、冗談でもなんでもないぞ」


 そういうと、爺は真剣さを帯びた瞳でルチエを見つめてくる。一呼吸おいて、爺は懐かしむように口を開いた。


「あそこまで賭博の女神に愛された女はそうおらん。儂の女房とそっくりじゃ!」


 周りにいる男たちが、懐かしむような目をしたことでルチエはこの話が本当だと気付いた。

 この男たちは、爺とは違う。単純にボディガードだ。微妙な表情の違いから、男たちの感情の機微を見極めることはルチエには造作もない。

 この爺がいっている商談をタダにという話が本当かは分からないが、少なくともこの爺の妻が、シャアラのような強運を持っていたことは間違いないのだろう。

 ふぅっ…と息を吐くと、ルチエは作っていた表情を崩して、悪戯っ子のような目をしてみせた。


「彼女…あんたには、やらないよ?」

「ほほ、面白いことをいうの」


 挑戦的なルチエに、爺はかっかと笑うと煙管を口からはずし、急に表情をなくした。



「ただ、急がねばならんかもしれぬなぁ。あれは、いくら強運でも、命を繋ぐにはちと足りぬだろう」



 爺のその言葉に、ルチエの中を恐怖がざわりと撫でた。

 姫が、死ぬかもしれないということか。それ程に今の状況は悪いのか。

 ぎりりと奥歯をかみしめたルチエは、表情だけはいたって冷静に告げていた。


「…その情報、さっさと寄こしなよ。これ以上のお喋りができないようにしてほしくなけりゃあね」

「まぁそう焦るなといっとろうが。タダになるのは、金銭だけだ」


 ほらみろ、と内心ルチエは唸った。

 やはりこの世の中、情報をタダで渡してくれるなどあり得ないのだ。


「…どういう意味?臓器でもよこせっていうの?」

「いいや、もっと単純なことさ。一つ、儂と契約してもらおうか、副隊長くんや?」









 *****











 ――――――王族の東の狩り場より北北西にいき、森を越えろ。その先に遺跡がある。もう観光も何もされてない廃墟だが、そこを拠点にしてる奴らがいるって話だ―――――





 ルチエが得た情報は、瞬く間に特殊隊の情報網を駆けまわった。



 ルチエもすぐに馬を駆り、焦るその身を落ち着けと叱咤しながらその場所へ向かっていた。

 辺りは月の光しかない真っ暗な森だったが、訓練されたルチエとその愛馬は迷いなく走り抜けていく。足元を見れば、なるほど何頭もの馬が掛けた後だろう。蹄の跡がくっきりと刻まれている。

 このまま足跡を追っていけばいい。


 ――――しかし、こんなにも痕跡を残しているとは…素人か。


 何か腑に落ちないことを感じながらも、ルチエは鐙を蹴って馬を更に急がせた。

 やがて遠くに月明かりではない人工的な光が見えてきた。火の灯りだ。どうやら宴でも催しているようだと気付き、ルチエは本格的に相手が素人であることを悟る。

 しかし素人であろうと関係ない。彼らは絶対に手を出してはいけない女性に手を出したのだから―。



 ――――ここいらだな。

 馬の足を止めてそうルチエが思ったとき、木々の間からずんぐりとした影が幾つも現れた。

 その大きな影達は小さな影を迎え入れるように、円を描いていた。


 小さく嘶く愛馬の首を撫でると、満足そうにルチエは周りの影を見回した。



「情報はきっちり回ったようだな」



 ルチエの周りを囲むのは、がっちりとした体を持つ、特殊隊の中でも戦闘に長けた者たちだった。

 誰もがその厳つい顔を、ルチエに向けて指示を待っている。

 その隊員たちの顔を見る限り、成程隊長であるラジェが余程の空気を醸し出していたのだろう。若干の緊張を抱いているようだった。

 自らの主人を怒らせる存在とは、何なのか、隊員たちも知りたがっているに違いない。

 少しだけルチエは笑いを零すと、静かな声で語りだした。


「・・・目標はこの先に進んだ所に位置している古ぼけた館だ。10分後に行動を開始する。詳細は――――」


 ルチエが淡々と口にする言葉を、ずんぐりとした影――――屈強な男たちは黙って聞いていた。

 全てを言い終えたルチエに、男の一人が口を開く。



「作戦は理解した。…あの方はどうなさったか、知っているか?」

「さぁな。恐らく主は単身で向かわれたのだろう。お前らはお前らの仕事にまずは専念しろ」

「俺らは雑魚掃除ってことでいいのか」

「あぁ、数だけはいる。一人も取り逃がさず、その場を沈めろ」



 そこで小さな影は言葉を切り、声のトーンを下げて「それから」と繋ぐ。



「・・・かの方を見つけたら、必ず僕に報告しろ。絶対に怪我をさせるな。させたら・・・お前らだろうとその首をとばす」



 一際ドスの利いたその声は、辺りを囲む男達の背筋を震わせた。

 ルチエのその瞳は怒りに揺らめき、今にも射殺さんばかりの殺気を放っていたのだ。


 今ならば、誰だろうとれる。そう本気で、ルチエは感じていた。



「時間はない。直ぐに持ち場に付け」



 そう言い残して小さな影は、森の闇の中にその身を躍らせた。

 残された男たちは、それぞれの武器を担ぎこきりと肩をならす。



「・・・おお、怖ぇ。あのルチエがご執心とは・・・なんなんだ、今回の目標おんなは」

「さぁな。ただ出る時の主の様子も見たろ、しくじったらどっちかに俺らがられる」

「ははは、違いねぇ」

「さぁて・・・そろそろおしゃべりはやめにしろや」


 男達の中でもさらに一回り大きい影が、のっそりと動き出した。それにならうように、男達はその身体に似合わない動きで移動を始めた。



 月は、男達の真上に昇ろうとしていた。
















「さぁて、この様子だと、そろそろか・・・」





 森がよく見渡せる丘の上で、灰色の男は呟く。

 その視界の先では朽ちかけた遺跡での酒盛りの明かりが見えていた。あの灯りを目指して、羽虫の様に今から特殊隊の者たちがやってくるのだ、と男は不気味に笑った。

 かくいう男は、既に遺跡からは離れた場所にいる。最も足が速かった馬に自分の荷物を括りつけ、ここまできた男は、もう遺跡に戻るつもりなどなかった。

 男が馬に乗せた大きな荷袋からは、白く細い腕がだらんと垂れさがっている。

 男は遺跡から目を背けると馬の手綱を引いて歩き出した。

 ここに長居する意味は、もうない。

 目的の姫―――影武者ではあったが―――は持ち出したし、あとはアイツがここまで追ってくるのを待つだけだ。 



「に、しても早かったな・・・俺も甘くなったのか。一体どこからここの場所が漏れたのかね」



 こんなに早く情報が漏れたということは、余程優秀な情報屋か、それとも隊員がいるに違いないと、首を傾げながらも男は不気味な笑みを浮かべていた。背中に感じる空気が、男の背筋を震わせる。

 夜の闇に紛れて僅かに漂う殺気は、森の中に四散し、じわりじわりと広がってきていた。

 呑気に酒盛りしている疑似餌えさ達につられて、間抜けな魚はもうすぐ掛るのだ。



 ざっと吹いた風が、男の灰色のマントのフードを巻き上げた。

 そこから現れた顔には、真っ黒な髪と片眼を隠す眼帯がつけられていた。見える片目はどろりとした憎悪に彩られて、口は皮肉げな笑みを浮かべている。

 眼帯に隠された目に疼きを感じ、男は眼帯を握りしめた。



「早く・・・早く来い」


 真っ暗な森の奥へと進んでいく男は、もう二度と後ろを振り返らない。


 馬の背に乗せられた袋から零れた白い手が、ぴくりと動いた。







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