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その二十二(叶えたい願い)



「どうかなさいましたか」



 花弁のような小さな唇から言葉が零れ落ちる。ラジェは彼女の顔から視線が離せなかった。

 更には彼女を呼び止めたその口も、またもや動き出そうとするのがわかった。

 身体の全てが、自分の理性に反しているようだ。



「…レディ、一つだけ質問をしてもいいだろうか」

「…? 私に答えられることであるならば」


 彼女は律儀にもこちらに体ごと向き直った。その彼女の動きに合わせて薄紅色の髪が波打ち、漏れたパーティー会場からの光を受けてキラキラと輝く。

 自分の中の何かが揺さぶられるのを感じながら、静かにラジェは口を開いた。


「…さっき君は、会場で多くの大人に囲まれていたよね」


 ラジェの脳裏に、腹の中にどす黒いものを抱え込む大人達に囲まれ、それでも立つ彼女の姿が思い出される。


「…あの時、恐らく他国からきた君は、とても辛い思いをしたのではないかな」

「そんなことはありません。若輩者のわたくしに、皆様からは沢山のお気遣いの御言葉を頂きましたわ」


 はっきりと迷わず言い切った彼女は、顎を少し上げて微笑む。綺麗に化粧をされた顔は、崩れることなく美しい笑みを形作った。

 しかし彼女をじっと見つめたラジェは、先程と同じ暗い影を瞳の奥に見つけ、すっと目を細めた。

 ざあっと風が二人の間を通り抜け、二人の髪を掻き上げる。



「君は…貴女は、どんなに傷つけられてもそう言ってきたのだね」



 ぴくり、と彼女の睫毛が震えた。それは図星を言い当てられたからだと過信していいのだろうか。

 彼女が恐らく無意識か、更に完璧に仮面を被ろうと表情を硬くしたのを見て、ラジェは言葉を急いで繋ぐ。



「なぜそんな風にいえるのか、私にはさっぱりだ」



 彼女の目が瞬いた。

 思いがけない言葉だったからだろう。

 恐らく、彼女はラジェの次の言葉をきっと鋭いものか、もしくは甘言かと予想していたのだ。

 付けいろうとする言葉でもないラジェの素直な疑問に、きょとんと目を見開いている。



「どうして、そんなにも真っすぐにいられるのかな」



 まだ成熟しきっていない少女である彼女が、自国でない場所でむき出しの悪意にさらされ、なぜあんな態度が取れるのか。

 大人びているとか、そんな次元の話ではないとラジェは感じていた。

 彼女の根本にある何かが、彼女をそうするのだとラジェは確信していた。


「…あの悪意の中、そこまでして君を“駆り立てるもの”は一体なんだろうと、私は思ったんだ」


 ラジェの呟くような問いは、二人しかいないその場に染み込むように消えていった。

 遠くで聞こえるパーティーの喧騒はまるで違う世界のもののようで、今目の前にあるこの光景だけがラジェの心を強く掴んで離さない。

 何よりラジェを惹きつける存在である彼女は、長い間黙っていた。静かなその場を噛みしめるかのように、そして少し、戸惑うように。

 その時間は、答えを貰えないんじゃないかとラジェが思うくらいに続いた。

 やがてゆるりと彼女の手が動く。ゆっくりと体の前を撫でるようにその手は動き、祈るように胸の前で手を組み合わせられる。静かに瞼を震わせながら、彼女はぽつりと呟いた。




「…私には、“守るもの”があります」





 その瞳は今はラジェを見つめておらず、ぎゅっと組んだ手を見つめている。自分の中の大切なものを思い出すかのようなその仕草に、ラジェの視線は吸い寄せられる。不思議な感覚だった。自分の中の全てが、彼女に興味を示し、その唇が繋ぐ続きの言葉を求めている。



「そのためなら…なんでもがんばれますよ。自分でも、驚くくらいに」



 そういって彼女は、小さく微笑んだ。視線を組んだ手からあげて、ラジェを見つめたその顔は仮面が剥がれ落ちた年相応の物だった。

 食い入るように見つめていたラジェは、その変化に思わず目を見開いた。


―――嗚呼、この顔が見たかったんだ。


 すとんと、ラジェはそう思った。

 求めていた何かが満たされていく。まるで水が注がれるかのように体中の細胞が潤って、体全身へと広がる高揚を感じた。

 こんな気持ちは初めてだった。

 なんだろう、この気持ちは。

 もっと、知りたい。


 彼女のことを、もっと知りたい。



「…守るもの…?それは、なに」


「それは言えません。ですが…あなたには、ないのですか?あなたにとって大切な、守りたいもの」


「守りたい、もの…」



 組んだ手から視線を外し、こちらをまっすぐ見つめて淡く微笑む彼女の姿に、ラジェの瞳が困惑で揺れる。


 自分が自由である為にこの手を汚すことが当り前だった。

 そんな自分に、守るものなどあっただろうか。

 自分の自由を守ることには固執してきたが、彼女の言う“守るもの”とは、それとは違うのだろう。


 頭の中の今までの記憶を何度なぞった。生まれてから、何をしただろう。その間、何を感じたんだったか。彼女ほどの強い気持ちをもって何かに臨んだことはあっただろうか。



 …何も思いつかない。


 その時、すうっと彼の中で確かな何かが“生まれた”。


 自分の自由以外に欲しいもの。

 今の彼には、一つしか思いつかなかった。


 それを得るためなら、彼の今までの世界が変わってみても、面白いんじゃないかと心から思うくらいに、その考えは輝いていた。


 この言葉が、彼女の口から出なかったら。

 この言葉を、彼が手を汚す前に聞かなかったら。



 彼はそのまま、王子を殺していただろう。











********









 割れた窓から、冷たい風が入り込む。風はカーテンを揺らし、部屋の中へ月の光を誘う。


 誘われた月の光が、その部屋の惨状を明らかにした。

 カーテンは破れ、黒い染みがべったりとついている。それは地面へと続き、質の良い絨毯をも黒く染め上げていた。辺りに散乱した硝子はこの国では珍しいものであったのに、無残にも砕け散り、絨毯を引き裂き床に突き刺さっている。

 部屋には鉄の生臭い匂いが充満し、全てが終わった後の静寂がその場に広がる。

 その静かな暗い部屋の中で立っている人影は、二つあった。

 一つの影が、重苦しく口を開いた。


「お前が、侵入者か」


「はい、王子様。先にご忠告しておきますが、ここで貴方様が声をあげても、部屋に入ってきた順から殺します。ですので静かにしていただきたいと存じます。」


 にっこりと笑った男は、笑顔と裏腹に確実に王子の命を握っていた。

 男の手に握られたナイフは迷いなく、ぴたりと王子の喉元に当てられていたからである。ナイフを眼前にして、たらりと冷や汗が王子の背中を伝った。

 王子の命を握るこの男は、窓から入ってきたと思えばあっという間に部屋にいた騎士を二人、仕留めてしまった。

 ぐったりと床に横たわる騎士からは、生気が伺えない。


 ――――二人とも息の根を止められている…か。


 それを端目に確認して、王子は口を開いた。


「順に殺す…か。冗談でないことは、お前の先程の手腕を見ていれば、わかることだな。大人しくした方がよさそうだ…」

「その御判断は正しいですよ。私は今まで貴方があってきた人たちとは一味違いますから」


 そういってにこにこと笑う男は、わざわざ王子の背後から正面に回る。ナイフは変わらず、王子の喉元に当てられたままだ。ぴくりとでも動けばその切っ先が自分の喉を傷つけるだろうことをわかっている王子は、ごくりと唾を飲んだ。男はそんな王子の様子を気にも留めず、じっくりと時間をかけて歩く。

 男が正面に来た時、月の光がはっきりとその顔を照らし出した。その男の顔に、王子は目を見開いた。



「…迂闊だった。最近名を挙げた商人の息子であろう、お前」

「ええ。そのようです。実際はあの男とは親子でもなんでもありませんがね。まぁどうであろうと、僭越にもこの場に御呼びいただかなければ、私は貴方には会えなかったことでしょう」


 ありがとうございました、と不敵な笑みを浮かべる男に、王子は奥歯を噛みしめた。

 じっくりと見れば見るほど、その顔はとても暗殺者には見えない、至極整った顔立ちだった。もし高位の貴族と言われても疑わないだろうと思えるほどだった。

 白髪とは違う透明感のある髪の色は、月白とでも言おうか。月のように周りの光を集めて発光しているかのようで、自分と似た青の瞳は、しかし深海を覗き込んでいるかのようであった。

 惹きこまれそうになるその怪しげな魅力に、王子は唇を噛み、地を這うような声を発した。


「我らは、自らお前を呼んだ…間抜けな事だな」

「そうは思いません。私が優秀だっただけの話ですよ」

「…高慢なセリフだな」



 男から見れば、王子は女性のようにほっそりとした体と顔つきをしていた。元々聞いていた情報からも筋骨隆々といったことは想像していなかったが、それにしても細いと鼻で笑ったほどだ。

 しかし相対してみれば驚いた。その目は王位継承者らしく強い力を宿し、今まさに己を殺さんとする男を睨みつけているのだから。

 この目つきと、金茶の髪と、生まれついての褐色の肌。王子で間違いはないなと男―――ラジェはほくそ笑んだ。

 ナイフを王子の喉元に更に押し付け、ラジェはにっこりと笑んだ。

 月明かりでもはっきりとわかるその笑みに、王子、ヴィル・アララギは怪訝そうに眉を顰めて見せた。


「俺を殺しに来たのだろう?」

「ええ。最初はそうです。ですが目的が変わりました」

「…目的?」

「はい。貴方様にお願いがあります」

「願いなどこちらにすれば聞ける状況ではないがな…。まあよい。申してみよ」


 その言葉を聞くと同時に、ラジェの顔つきが変わった。薄笑いをやめて、真剣な顔で王子に向き合う。ヴィルがそのことを疑問に思うと同時に、彼は口を開いた。


「私を、あなたのそばにおいていただきたい」


 その発した言葉の内容の意外さに、王子の目は丸くなった。唖然としたようにラジェを見つめている。


「それは…どういう意味だ」

「そのままですよ。私は貴方の配下になりたいのです」

「いつでも殺せるように、か」

「いいえ。それならば今殺した方が、安全安心というものです」


 確かにそうだと王子は思ったようで、口を噤んだ後、顔を顰めて見せた。


「何が目的なんだ」


「私は、新しく生まれた私の望みを叶えてみたいだけなのです。どうです?自分で言うのもなんですが、私は中々にお買い得ですよ」


 顔は少し笑みを作っていたが、先程とは違い必死さが見え隠れする口調だった。

 何が何でも受けてもらおうという彼の姿勢は、王子にすらわかった。

 王子は部屋をちらりと視線だけで眺めた。そこには自らを守る騎士が倒れ伏している。

 この男の手腕を認めざるおえないのは王子にも重々わかることだった。そしてだからこそ、ここまでの手腕を持つ男ならこのような直球勝負をせずとも、王子を頷かせることができるはずだとも思っていた。なぜ、このような方法をとったのだろうか。

 まるで計画性がなく、自分の望みの為に動いているかのような…。


「…裏切らない保証がないものをはいそうですかと雇えるものか」

「ふふ、この状況では反対などできないでしょうに」


 この命を完全に握られた状況では確かにそうだと、ヴィルはぐうっと呻った。

 それでも屈服するのは王族としての誇りが許さず、更に眼光を強めて言葉を放つ。


「…お前の望みを聞こう」

「私の望みは、ある女性にもう一度会うこと」

「…女性?それと俺とが何の関係がある」


「そうですね…貴方の傍にいなければ、きっと出会えない。だから、頼みます。私を、あなたの傍に置いていただきたい。そのためならば、私はあなたに永久の忠誠を誓いましょう」


 そう真剣な顔で言い放つと、ラジェは王子の喉元に突き付けていたナイフを引き、柄を王子の前に向けた。そして切っ先を自分の心の臓に向けて膝を折った。もし王子が自分を認めないのであれば、この柄を握り、ラジェの心臓を突き刺せば終わりだ。

 王子の困惑が、纏う空気からひどく伝わってきた。


 

 しかしラジェには、この願いを叶える方法が他に見当たらなかった。

 自分の全てをかける他に、打算的に生きてきた彼にはこの唐突な欲望を叶える対価が見当たらなかったのだ。

 これでだめなら、もういい。

 そう思えるくらい、彼はこの願いを叶えるために本気だった。






 王子は小さく――――――――――わかった。と呟いた。






「…その言葉、信じよう。今日より俺を守る騎士となれ。そうするならば、お前の望みを叶えるために必要だという、俺の隣をお前に渡そう」




 それが、ヴィル・アララギと、ラジェ・リンドウの出会いと、始まりだった。



 ラジェは王子とのその約束の後から、身辺整理を始めた。

 元々血の関係などなかったこともあって家族との縁をたつことに戸惑いはなかった。そうしなければ今の仕事から足は洗えなかったから、これが最後と邪魔するものは切って捨てた。そうして今まで自分を縛ってきたものを引きちぎり、今までの仕事からは足を洗った。

 そして自分の立ち位置を明確にするため、さしては『もしも』の時の力を蓄える為に、現在の特殊隊の前身となる団体を作った。


 王子は、その風貌に似つかわしく、机仕事の方が得意なようで、あの手この手でどうやってかラジェを上手く王宮内に引き入れた。

 元暗殺者が、今や王子の一番近くにいるというおかしな状況を、ヴィル・アララギは今後どうするのかとラジェは思っていたが、


「俺が何かを画策してお前を殺したとして、王宮にはとんでもない損害が出ることは間違いない。それはお前を野放しにしても同じだ。ならばこの手の届くところにいてくれて方が、まだいい」


 そんな理論をあっけらかんと披露されたとき、ラジェはこの王子を殺すことはやめようと、すとんと思ったのだ。

 王族に仕えるようになったことで元の家族以上に縛りは強くなったはずなのに、ラジェは日々が色付くのを感じていた。


 運動がからっきしの主をからかうことも、荒くれ者ばかりの特殊隊の奴らを鍛え上げることも、今までなら面白みなどなかったろうに、一つ一つのことに笑みを浮かべてしまう。

 今までは仕事のためと割り切っていた礼儀作法も、剣技も、少しずつ覚える意味合いが変わる。


 少しずつ、本当に少しずつ彼の世界は変わっていった。



 そして七年が経ったころ、彼はもう一度、彼女に出会うのだ。




 「やっと会えたんだ」



 馬を駆りながら、ラジェは呟く。冷たい風が頬を叩き、現実をラジェに押し付けてくる。

 今、彼女は自分の傍にはいない。


 いつ、その存在が儚くなってしまうかも知れない状況だ。


「必ず、助けるから」


 ラジェは、そういっていつかの“彼女”のように強い意志を、その目に宿した。








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