その二十(鬩ぎ合う感情)
眉根を寄せて、リュウは廊下を歩いていた。
自分の足音が吹き抜けの廊下に虚しく響き、風で煽られた花びらがリュウの前を通り過ぎて行った。
ちらりとそれを視線で追って、すぐにリュウは後悔する。
いつものように美しく咲き誇る花を見ることすら、今は辛かった。
原因は、先程訪れた危急の知らせ。
その情報を持ってきた当事者のいる部屋に行くためにリュウは歩いているのだ。
数日前までは、その部屋に自分が訪れたこともなかったし、今後もないと思っていた。
足を止めたその目の前にある扉が重く感じる。
思わずつきそうになるため息を呑み込んで、扉をノックする。予想通りというべきか、返事は返ってこなかった。
構わずにリュウはドアノブに手をかけ、開ける。
すぐに枕でも飛んでくるかと身構えたが、そんなことはおきず、リュウはなんなく部屋に入ることができた。
部屋のベットの上に、座り込んでいる女。
少し前まで活発に馬を駆り、始終その顔は笑顔であったのに今やその影はないその姿に、リュウは目を細める。
じっとして動かない女に、リュウは声をかけた。
「落ち着いたか」
「・・・この状態で落ち着けるわけないでしょう」
ゆらりと上げたその顔は、酷いものだった。
「・・・フィアナ」
「その名で呼ぶのはやめて!!!」
彼女の名であるはずのものを呼べば、彼女は絶叫した。その名で呼ぶのをやめろと言われては、リュウもどう呼べばいいのかわからなかった。
なぜ、彼女はそこまで自分の名を拒否するのか、それはこの屋敷の誰一人わかることではない。
*****
顔を真っ青にして、ドレスも髪もぐちゃぐちゃにした彼女は湯あみをさせようとする侍女たちを全て拒否して、真っ先にリュウと王子の元に向かった。
命辛々逃げ延びたシャアラは、碌にアパネの手綱を握れてはいなかった。
涙でぬれる頬を拭うこともできず、ただシャアラはアパネに乗っているだけだった。
しかし賢い彼女の馬は、その強靭な足で追っ手を振り切って主をここまで送り届けた。
辺りが夜の帳に包まれた頃、一人と一頭はその国の主達の住む屋敷の傍まで辿り着いた。
ぼんやりとした頭で屋敷を見上げたシャアラだったが、彼女は自分のしなければならないことを思い出す。
助けを求めなければ――――その一心で、彼女は痛む体に鞭打ったのだ。
だが、肝心の屋敷ではシャアラの求める助けは得られていない。
目の前に無表情で立つ男に対して、シャアラはその眼光を強めた。
「・・・王子はどうしているのよ?!」
「・・・王子は今、本邸にいる」
「どうして!」
シャアラの問いに、侍従は答えようとしない。真一文字に結ばれたその唇が、彼がその理由を語るつもりがないことを暗に伝えていた。
無骨に言い放った黒髪の侍従の態度に、シャアラの導火線はあっという間に焼切れた。
侍従のその首に、シャアラは掴みかかった。
「理由一つ言えないっていうの?!」
「王子のままでは・・・そんなところに行けない。危険すぎる」
「何よ・・・子供のころ攫われたからって、いつまでもこそこそこそこそ!!」
顔に青筋を立てて、シャアラは言い放つ。
しかし侍従の顔色は変わらない。ただ痛ましげにシャアラを見つめるだけだ。
「あの子はどうなるのっ?!」
「・・・騎士団は派遣する」
「そういうことがいいたいんじゃないわよ!!」
感情が振り切れ、シャアラはぼろぼろと泣き出した。
フィアナは、今まさに殺されようとしているかもしれないのだ。自分を庇っていつだって、あの優しい娘は矢面に立つのだから。
今回も自分を守ってあの場に残った。他の騎士たちは生きていたのだろうか。考えたくもないが、もしそうでないならフィアナはたった一人だ。
最後にフィアナが見せた気丈な笑みが、シャアラの脳裏にちらつく。
いつだって彼女は微笑むのだ―――大丈夫だと。
ちっとも大丈夫じゃない癖に!
シャアラは息を吸い込むと、喉を嗄らしながら叫んだ。
「あんただけじゃない・・・!王子だって腐ってるわ!!」
「!!!」
リュウが大きく目を見開き、息を呑んだ。
彼はその水面の瞳を揺らし、目を閉じた。そして長く息をつくように言葉を零す。
「・・・そうだな。王子は、腐っている」
呟いたリュウに、シャアラは唖然とした。
なぜそんな悲しそうな顔で言うのか。
しかし次いで湧いたのはやはり怒りだった。訳も分からず収集のつかない感情が溢れ、ごちゃ混ぜになって、シャアラは激しく首を振った。
「あんたの主じゃない・・・しっかりしなさいよ、言い返しなさいよぉ・・・!!」
「・・・すまん」
「謝れなんて言ってないじゃない!謝れなんて言ってないから・・・あの子を助けてっ!!」
「・・・私には、待つことしか・・・すまない」
「あんたの立場なんてどうだっていい!!あの子が助からなかったらあんたの首絞めて殺してやる!」
「・・・その時は甘んじよう」
辛そうに顔を歪める黒髪の男の姿に、シャアラは更に涙を零す。
シャアラは更に激しく首を振った。
そんなことを言って欲しいわけじゃない!
「馬鹿!馬鹿馬鹿馬鹿!そんなこと望んでないわよぉ!!!あんた慰めの言葉の一つすら出ないの?!」
「・・・」
「あ、ああぁぁ・・・あああぁぁぁ!!!」
シャアラはリュウの上着に縋り付いたまま、ずるずると崩れ落ちた。
「すまない・・・私のせいだ。すまない」
零すように繰り返すリュウは激しく泣きじゃくるシャアラを抱きしめ、ただ只管その背を撫で続けた。
***
冷たい。
体が冷えている。ただ冷静にフィアナは思った。
それに相反するように右頬は熱く、火掻き棒を押し当てられているようだ。
息も苦しい。
「・・・っ!」
胸を鷲掴みにされたような息苦しさ。
これは、何か薬を嗅がされたのかもしれない。
致死性のあるものでないだけよかったが、手先も足先も痺れが支配し、どうにも動けそうになかった。
毒に慣れさせられているフィアナには薬の効果はすぐに出なかった。だから右の頬を思い切り殴られたのだと、冷静に思い出す。その証拠に、口が切れているのも何となくわかった。歯が抜けなかったのはましである。
なんとか肘を使って這いずろうとするが、うまくいかない。
「気が付いたか」
息を切らすフィアナの頭上から、声が降ってきた。睨むようにして顔を上げれば、フードを外した眼帯の男が扉を開けてフィアナの部屋に入ってこようとしているところだった。
顔を青くしてずり下がろうともがくフィアナに男は肩を竦めた。
「別に取って食いやしない。俺は、な」
男は余裕綽々の表情で、部屋の扉を後ろ手に閉める。
「しかし、オヒメサマがいい様だな」
確かに今のフィアナは、泥だらけのドレスを着て床を這いずりまわっている。借り物といえど姫の名前が地に落ちてしまっているだろう。悔しさに唇を噛めば、乾いた唇から血が溢れた。
「あーあ。顔を痛めつけんな」
そういって男が手を伸ばしてこようとする。
その手を見てフィアナは叫んでいた。
「触らないで!」
少しでも触れようなら噛み千切ってやるつもりで、顎を引いた。ばっと噛み付こうとしたフィアナの顔の前からさっと男は手を引く。
「やれやれ。怖い姫様だ」
そういうと部屋の中にあった薄汚れた木箱の上に座る。足を組み、口を吊り上げた。
「全く、あいつの趣味も変わったもんだ。前は従順なのがお好みだったのによ」
「・・・あいつ?」
「お前を気に入っている奴のことさ」
誰のことかわからず、フィアナはただ黙っていた。ここで妙なことを口にするわけにはいかないのだ。
静かになったフィアナを訝しんでか、男が口を開く。
「もうさけばねぇのか?」
「・・・・あなた、誰」
「おや、質問をする勇気があるのか。・・・お前、本当に貴族の娘か?」
今までの奴は泣き叫んで見る目も当てられないような奴ばかりだったぞ、と男は感心したようにいう。その男の台詞にさっとフィアナの顔が青くなった。
この男は、人を浚うことに手慣れている。しかも貴族の子女すら狙う。かなりまずいのに捕まったとフィアナは歯噛みした。
どうする?ここで影武者だとばらすか?
いや、まだ早い。
「・・・目的は」
男はふぅんと呟いて、目を細めた。
くつくつと笑いを零す。
「あんた、面白いね」
その面白さに免じて教えてあげよう、と男は大仰に手を開いた。
「別に、俺の目的はあいつに復讐することだけ」
「え・・・」
あいつ、とは。
「偶々(たまたま)あいつのお気に入りのあんたが、姫様だったってだけ」
まぁこれで払うはずの報酬が浮いたから、俺は万々歳だけどな、と男は煙草をふかす。
「あいつって誰のことよ」
「今更しらばっくれんの?あんたの騎士様だよ」
「騎士・・・?」
「それが素面か?それとも探りか?」
男は先程までのにやにやした笑いを消して、ぞっとするほど冷たい目でフィアナを見据えた。
思わず背筋を恐怖感が駆け上がったが、体を抱えようにも腕は言うことをきかないままだ。
そのフィアナの様子に、すっとその片目を伏せて肩を竦めた。
「・・・まぁいいさ。ラジェのことさ、あんたをお気に入りだ」
「ラジェですって?何の勘違いか知らないけど、私とあの人は一度しかあったことはないわよ」
「くくくっ。そう思うならそう思っとけばいい!とにかく面白い女だな、あんたは!あのラジェがあんたなんかをねぇ・・・はははっ!!」
唐突に笑い出した男は、その見える片目を弧にしてフィアナを見る。
「何がそんなに面白いのよ・・・」
「いいやぁ、あの他人に興味のカケラもなかった男がねぇ・・・くくくっ」
フィアナを舐め回すように見つめる男の視線からなんとか逃れようと、フィアナは体をずらす。
「アイツへの餌じゃなきゃぁ、俺が貰ってもいいのにねぇ。しかも姫っていうオプション付きだ」
「残念ね・・・私は影武者。姫としての価値はないわ」
「ふぅん。それ、言えば?あいつらに」
フィアナの精一杯の強がりをあざ笑うように、男はにやりと笑った。
「あんたが使われるのが早くなるだけさ。あんたに価値がなくなったら、俺がさっさとあいつらにあんたを渡す約束だからな」
男は嫌味な笑いを浮かべる。
『使う』の意味が分からないほどフィアナは子供じゃない。
けれど自分のことを誰かが助けに来てくれるなんて信じるほど、女の子でもなかった。
「私は姫じゃないから、誰も助けになんて来ない」
酷く冷静にフィアナはその言葉を呟いていた。
男は、その言葉に真顔になった。
「自分を履き間違えてる女は、嫌いだ」
「・・・あんたに嫌われるなんて、本望ね」
自分を履き間違えてるつもりなんてない。誰よりも冷静に自分のことを見ているつもりだ。自分に正しくある価値を。
「・・・やっぱり、俺が貰ってもいいかもしれないな」
男は立ち上がった。
フィアナの方に向かってくるかと身構えたが、男は出口の方へ向かっていく。扉を開けて立ち止まり、男は首だけで振り返った。
「ただな、自分の価値を自分で決めれるほど、お前は大人じゃない」
「なんですって・・・」
「子供らしく、泣き叫んで助けを呼んだって、誰もお前を責めはしない」
「黙って・・・」
「お前はまだ子供だ。そのことを認めろ。お前の価値を全て決めるのは、お前じゃない」
「黙ってよ!私は大人よ!!」
誰よりも、姫様と国のことを考えてきたんだから!
「・・・お前がそのままじゃ、お前を思っている奴は可哀そうだ」
「な、によ」
「誰かの気持ちを大切にすることも、考えろ」
そう言ってから、男は肩を竦めた。
「なにいってんだ、俺は。言う必要もないことだったな」
自嘲するように笑って、男は部屋を出て行った。
取り残されたフィアナは、なんとか動く手を握りしめて呟く。
「私を・・・思ってくれる人なんて、いるの・・・?」




