その十九(迫る夕闇)
「・・・・・・・」
何を思っているのか伺わせない目をして、窓から外を見つめる影があった。
その眼差しは深い悲しみを抱えているようにも、燃え滾る怒りを抱えているようにも見える。
まだ太陽すら薄らとその顔を出したばかりの薄暗闇の中だったが、影は迷うことなく一点を見つめている。
その視線の先では、まだ早朝だというのに積み荷を終えた馬車が止まっていた。
こんなにも早く再びその役目を担う予定のなかった、白百合の紋の彫られた馬車である。
そのすぐそばに幾らかの騎士と御者、そして動きやすいドレスを纏った二人の女がいた。
あの御者も騎士も慌てて呼び戻したもので、それでも人数が足りず騎士の何人かはこちらの国の騎士だ。身分のちゃんとした、影の管理下にないものだち。本来なら自分の部下をつけたかった。けれど、それはできない。影の部下には、身分を証明できるものがないのだから。
「いいのか」
窓から外を眺める影の後ろから声がかかる。
「なにが」
「・・・引き止めなくて」
一瞬だけ静かになった部屋で、少しだけ影が呆れたように笑いを零した。
「今更、貴方がそれを言うのか」
「・・・・・・・」
視線すら向けられないままに言われた言葉に、声をかけた男は言葉を発することをやめた。
静かな朝の空気だけが部屋に漂い、声をかけた男はそっとその目を閉じた。その目の奥には、彼の後悔が滲んでいたがそれを影は知る由もない。
その男はそのまま部屋を出て行った。
彼はこれからどこに向かうのか。
きっといつもの執務室だろうと苦笑いを影は零す。やっとあの魔窟から引っ張り出したのに、これでまた元通りだ。
そっと顔を上げて、再び馬車を見る。
その目には、悲しみが宿っていた。
「・・・こんな風に、見送りすら避けるようにいかれちゃあ、引き止めるどころか挨拶すらできない」
そういって虚しげに笑う影は、白い手を握りしめた。
***
「いいの?挨拶をしなくて・・・」
「貴女こそ」
そう言えば、彼女は罰が悪そうに視線を逸らすのだ。
その彼女に、笑いかける。
「ごめんなさい、急に引き離すようなことをして」
でも、きっとすぐなんとかしてみせる。
向こうに帰ったら、まずしなければならないことは頭を下げることだけれど。
そういえば、シャアラは何やら顔を酷く歪ませた。
「我慢するのが、貴女はうますぎる・・・」
全部、私のせいなのね、とシャアラは呟いたが、彼女の言いたいことはフィアナには理解できなかった。主の望むようにしたはずなのに、なぜ主がこんなにも悲しそうにしているのか。辛そうにしているのか。このまま帰国すれば、主はリュウと添えるかもしれないのに。
「・・・どうして泣くんです?」
「あなたが、泣かないからよ」
そういって静かに涙を流すシャアラは、フィアナに背を向けて先に馬車に乗り込んだ。
その背をただ見つめ、フィアナは自分の頬を触る。
そっと指先が辿ったそこは、乾いていた。
フィアナは、庭をぐるりと見回す。
最初に来たとき華々しく咲き誇っていた庭は、今はしぃんと静まり返っている。
ラジェと会った夜とも違う、冷たい静寂に満ちていた。
このまま静かに、フィアナ達を送り出してほしいと思う。
そしてそっと屋敷を見上げる。
こんな早朝では、やはり屋敷もまだ静まり返っていた。
見上げた窓の一つに、月白の色が見えた気がして、慌てて目を擦った。もう一度見たそこには、何もなかった。
未練でもあるのだろうかとフィアナは自分に呆れた。
・・・最後に、挨拶くらいすべきだったかしらね。
そう思って少し息を吐いた。
朝の冷たい空気に、それはじわっと解けて消える。
消える自分のはいた空気の軌跡を目で追って、フィアナはそっと笑う。
「・・・さよなら」
そう呟いて、フィアナは馬車に乗り込んだ。
***
がたんがたん。
どれほど馬車が進んだのかは定かではないが、騎士が言うにはまだ半分程度だということだ。
あの国を出てからというもの時の流れは速く、その間まるでフィアナはどこかに自分の中身を置いてきたように感じている。何もかも、現実味に欠けていた。
国に戻ったら何と言おう―――それも考えなくてはならないのに、今から国に戻るということが本当に現実味に欠けていた。
そんなフィアナを見つめるシャアラの目は曇っていた。
「フィアナ・・・貴女にそんな顔をさせたかったわけじゃ・・・」
目を潤ませてシャアラは口の中で呟く。
心ここに非ずのフィアナは、視線を動かすことも忘れたようにただ座っていた。
「姫様方、休憩をとりたいと思います」
そんな声が聞こえた後、馬車は止まった。
騎士たちがぞくぞくと辺りを確認し、馬に草を食ませたりする中で一頭の馬に騎士の一人が苦戦していた。その馬はフィアナもよく知った馬だったため、肩を竦めてその騎士に近寄る。
「どうしたんです」
「すみません、この馬どうにもいうことを聞かなくて」
騎士から顔を背けるようにするアパネに、騎士は困ったように眉尻を下げた。
アパネは不機嫌といえるように鼻息を荒くして、一歩も動くまいとその四足を地面に固定させている。
それに気付いたシャアラが騎士とフィアナ達の元に近づき、アパネのその鼻づらを撫でた。
「アパネ、あっちで飲みましょう」
そうシャアラが言えば、アパネはあっさりと首の向きを変えた。正面にいる騎士のことなど見向きもしない。騎士から手綱を受け取ったシャアラが、他の馬から離れた場所へとアパネを連れて行く。
何やら物寂しいそうにアパネの姿を追っていた騎士だったが、その横でアパネを先導するシャアラを見て頷いた。
「いやはや・・・さすがですな」
「そうなのですか?」
感嘆したような声音を漏らす騎士に、フィアナは首を傾げる。
馬のことなど、フィアナにはてんでわからなかった。
「あの馬はなかなか気難しいと聞きます。うちの馬房たちも苦労していましたから。それをあそこまで・・・やはり信頼のなせる技なのでしょうね」
そういって何度も頷く騎士は次の仕事をするべくその場を離れるというので、フィアナはシャアラを追う。
彼女はアパネが他の馬を嫌っているからか、集団から離れたところで水を飲んでいた。ここからでは馬車が見えないと、フィアナは嘆息する。危険意識というものがないのだ、この姫は。
水を飲むアパネの横にならんで、シャアラはその首を撫でていた。
その後ろ姿に、フィアナはそっと近づき、並ぶ。
「・・・・・・本当に、悪いと思ってるの」
小さな呟きは、なんとか聞き取れるほどのものだった。
フィアナは目を瞬かせる。唐突すぎる謝罪の先を考え、思いついて次いで肩を竦めた。
「・・・だったら、今度からはもっと大人な対応をするように。貴女は姫なんですからね」
少しおふざけを込めて言ってやれば、シャアラは何か複雑な顔を向けてくる。
「貴女は、貴女の幸せを求めればいいんです。けれど、こんな無茶なやり方はお勧めできませんよ」
「・・・フィアナの幸せは?」
「え?」
「フィアナは自分の幸せを求めていないわよね。誰が、貴女の幸せを求めるの?」
静かに見つめてくるシャアラの目は、酷く澄んでいた。
色は自分と同じはずなのに、その目に誰かを思い出しそうになって―――――――
「うわぁああっ!!!」
「え・・・」
森に木魂した悲鳴に、シャアラとフィアナが同時に声を上げて振り返った。
何か叫ぶような声が周りが聞こえてくる。金属のぶつかる音と、明らかに多い馬の蹄が地面をける音。騎士たちが必死で姫に逃げろと叫ぶ声。
フィアナは血の気が引くのを感じた。何が起きているのかはわからないが、異常事態だった。
「乗って!」
そう叫んで、フィアナはシャアラの体をアパネに押しやった。
固まっていたシャアラだったが、フィアナの剣幕に慌ててアパネに跨る。
乗馬を目的としたドレスではないためか酷く乗りにくそうだったが、シャアラは何とか乗り込み、そして不安そうにフィアナを見やった。
そのシャアラを、しっかりとフィアナは見返す。
何が起きているか―――そんなことはもうわかった。
襲われたのだ。
ならばフィアナの下す決断は一つしかない。
「姫様、このまま逃げてください!」
「何言ってるの!あんたも乗るのよ!」
驚いたように目を見開き、叫びに近い声を上げながらシャアラがフィアナに手を伸ばす。
しかし精一杯伸ばすその細腕は、震えていた。目は恐怖に彩られて、いつもの活力溢れるさまは見受けられなかった。
それでも彼女はその手を伸ばす。
フィアナは、その手を取らない。
にこりと笑ったフィアナに、シャアラが絶望的な表情をする。
お互いにわかっている筈だ。
いくら姫が乗馬が得意であろうと、同じかそれ以上の体格のフィアナが乗っては逃げ切れるものも逃げ切れないと。
「何してるの!早くなさい!!」
急かすシャアラの目から、ぽろりと涙が零れ落ちた。フィアナは微笑み視線をアパネにやる。賢い馬は、フィアナを見返してきた。
静かに見つめてくるアパネに、頷く。
余程主より聞き分けのあるいい馬だと、苦笑する。アパネはほんの少しだけその目を潤ませた。心配してくれるのだろうか。
でもこの賢い馬もわかっている。お互いのすべきことを。
王女を、守ること。
その命に代えても。
「行って!アパネ!」
そういってアパネの尻を思いっきり叩いた。
一際甲高く嘶き、アパネが一目散に駆け出していく。
「フィ、フィアナっ!」
最後まで手を伸ばすシャアラのその顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。
淑女らしくないですよ、と嗜めそうになってやめた。
きっと自分も、彼女のことをいえないような顔をしているだろうから。
完全にその背が見えなくなると、フィアナはその軌跡を阻むかのように立った。
暫くすると辺りがしぃんと静かになる。
戦いが終わったようだ。
そして馬の蹄の音が聞こえてくる。
「お前が、姫か」
やがて現れた男はでっぷりとした腹を抱えていたが、その腕は丸太のように太い。
その手に持つ剣にはべったりと血がこびり付いている。男は無精ひげの生えたその顔を顰めた。
「今行った馬はなんだ」
「・・・私の侍女ですわ」
そういえば男はぴくりとその眉を動かした。そしてその口が弧を形どる。
「見上げた根性だな。自分より侍女を逃がすとは。賢明とは、いえまい?」
「・・・・・」
「追えっ!捕まり次第、お前らの好きにしろ!」
その言葉にフィアナは戦慄したが、アパネの足は自国でもお墨付きだ。
今から並みの馬が走ったとて追いつけはしないだろう。
フィアナの横を駆けていく馬たちを視線で追うこともせず、馬上から見下げてくる男を見据える。
「他の方はどうしたのです」
「あぁ、貧弱な騎士どもか?」
「・・・」
「仲良く転がってるよ。絶命させるなっていうお達しだったが、何人かはやっちまったようだ!」
そういうと何が楽しいのか、がははと下品な笑い声を上げる。
この位置ではいったい何人が生き残り、考えたくはないが・・・死んだかは判断できない。
男をフィアナが睨みつければ、男は舌なめずりした。
「いいねぇいいねぇ。気の強ぇ女は好きだぜ・・・」
自分の体を舐められるように見つめられる。
「あんときは金にばっか目が行ったが、よく見りゃ上玉じゃねぇか」
馬を下りるとフィアナに近づいてくる。
顔を青くするフィアナに、男は下種な視線を向けてくる。
あの時って――――いつのことよ。
男に覚えなどないフィアナは、ルチエが港町でのした男のことなど知りはしない。
ともかく確実に自分に近寄る悍ましい恐怖に、その身を固くする。
「・・・待て」
「ああ?」
突如声が響き、樹の上から灰色の影が落ちてきた。
ばさりとフードを取り払ったその眼帯のついた顔に、思わずフィアナは声を上げる。
フィアナを街で追いかけてきたあの男であった。彼はフィアナを静かに一瞥すると、男に視線を向けた。
がたいのいい男の前では、長身だろう彼ですら小さく見えた。
「そいつには手を出すな」
「・・・なんでてめぇにそこまで決められなきゃなんねぇんだ」
「お前らを雇ったのは俺だ」
「それとこれとは別だろうが?」
その言葉に、すっと男の目が細まった。
「俺に逆らうのか・・・?」
「あぁ・・・・っ?!?!?!」
男の息を飲む音が響く。
卑下た笑い顔を浮かべていた男の剣の柄に、灰色のマントの男の刀がぴたりと据えられていた。男の脂ぎったその首は逆の手で締め上げられ、男は苦しそうに口を開閉している。
「・・・忘れるな。足を洗った餓鬼にすらてめぇらは負けた、ゴミ以下だってな」
冷徹な声で灰色の男はそう告げると、剣を引いた。そして興味を失ったかのように男を投げ飛ばす。
地面に転がった男は冷や汗を浮かべ、憎らしげに男を睨みつける。そんな男のことなどどこふく風で、灰色のマントの男はフィアナににやりと笑いかけた。
「さぁていこうか。オヒメサマ?」
ニヒルな笑みを浮かべる男の視線から、フィアナは目を逸らす。
「・・・生きてください。姫様」
フィアナは目を閉じ、そっと呟いた。




