その一(嘘つきは破談の始まり)
「やはり駄目です、姫様・・・!!」
「何、全く問題ないじゃない」
「どこがですか!!問題大有りですよ!!」
鏡の中には豪奢なドレスを身に纏った女が映っていた。薄紅色の髪は今は高く結いあげられて、金の装飾で彩られている。
その後ろでそっとその肩に手を添えるのは、侍女服を着た同じ薄紅色の髪色の女だ。彼女はにっこりと―――いや、にやりと笑った。
「だってあなたの方が私よりも所作が美しいし」
「そんなことは」
「私より言葉も巧みでしょう」
「何のですか?!」
彼女が自分に何をさせたいのかは分かっている。しかし今回ばかりは許容できない。
それをすることでメリットがあるとも思えないのに、彼女は何を言い込めようとしているのかと椅子に座った女は鏡に映る女に鋭い視線を向ける。
それを受けて今度こそ女はにっこりと笑った。
「だから、断って頂戴」
「は?」
「断って頂戴。縁談」
「な、なにをおっしゃって・・・」
「大丈夫だから!断って」
「ば、ばれたらどうするんですか!!国家間の問題ですよ?!」
「貴女の影武者はいつも完璧よ、自信を持っていいわ」
「そういうことではありません!」
着飾った女は思わず声高に叫んで立ちあがった――勿論美しくドレスの裾をさばいて。
「以前あちらの会に参加した時は、私が影武者を務めました。だからこそ今回貴女自身で会うことに意味があるのですよ?!」
そうである。この侍女はとある侯爵家の女で、姫と同じ薄紅梅の髪色と白磁の肌を持つ、いわば姫の影武者であった。
違うのは、姫が垂れ目のおっとりとした雰囲気――実際は乗馬好きのお転婆娘だが―――であるが、フィアナはやや鋭い。
周りからも彼女の方が視線が目つきが若干悪いと言われるのだ。更に言うなら彼女の方が背が高い。しかしそれも姫と彼女の化粧とヒールを調節すれば誤魔化せる。
彼女は化粧を終えた為に姫とよく似た顔を酷く歪めた。
化粧とはつくづく凄いものである。色合いが似ているだけで実際は他人である二人をここまでそっくりに仕立てることができるのだから。
「今回は、元々国境を越えるまでというお話だった筈。それを王子と会うところまで私にとは言語道断でございます!」
「だけどぉ」
「だけどじゃありません!」
ぴしゃりと言い放つ影武者に姫はその愛らしい唇をつんと尖らせた。
「じゃあフィアナは私が不幸になってもいいっていうのね」
「わ、私はいつでもシャアラ様の幸せを願っておりますわ」
その手には乗らないとフィアナと呼ばれた豪奢なドレスを着た女は視線を強くした。
「なら考えてごらんなさい!私が大嫌いな男の元に行くことが幸せ?幸せなの?!」
「少女向けの恋愛小説ではよくあることではありませんか。反発しあう二人が惹かれあって・・・」
「それは貴女、恋愛小説の読み過ぎよ!どこの世界にそんな上手い話があるのよ。大体ね、元々の性質が合わない二人がどーやってその先何十年も連れ添っていくのよ?!ほら現実的に考えてよ、いつか絶対」
「姫様その話はもう良いです。聞きあきました」
ドレスの女は溜息をついた。
本当に夢のない姫である。我が主ながらここまで恋愛に偏見を持っていると泣けてくる。あれは駄目だ、これは駄目だ。デメリットがメリットがと煩い姫なのだ。
大体自分が恋愛小説で夢を見るのは勝手ではないか。
「とにかく、貴女様が結婚するのですから、」
「まだ結婚するって決まったわけじゃないじゃないっ」
「あら失礼。しかし、気にするのはそこですか」
「・・・どーしてもやらないっていうのね?」
「当然です」
豪華なドレスを身に纏ったフィアナが胸を張ると、侍女服を着た女であるシャアラはにやりと笑った。
真っ黒い笑みである。
「なら途中で御者から馬を奪って逃げてやるわ」
「・・・・・な」
「冗談じゃないわよ。そのまま違う国なりと逃げてやるんだから」
やりかねない。
この姫ならやりかねない。
確かに現実的に育ちなさった。姫君に失いがちな金銭感覚も、物を見る目も育てた筈だ。何を隠そうそこは自分が教諭と共に教鞭を振るったのだから。
しかしやはり奇想天外奇抜な所は生来のものらしく、拭い去ることはできなかった。結果、ここに見た目はおっとり実はお転婆という姫様ができあがったのである。
そしてその姫様は、自らの望みのために手段を選ばない。ある意味姫らしい姫になった。真っ黒な意味で。
―――結局、フィアナは折れた。
敵前逃亡と同じ、というべきなのか婚約者前逃亡を決行しようとする姫を、とりあえずでもいい。隣国に連れて行こうと決断したのである。
もしも王子が姫のお眼鏡に適う―――この場合は逆であって然るべきなのだが、場合二人の間に婚約が成立するかもしれない。
ばれたとして、姫を案じて強引に影武者になったことにしてしまえばいい。
「大丈夫、あちらの国王様は寛容な方。せめて私だけの処罰にしてくださるように願い出ましょう。もしもの時は・・・」
***
光で目が眩み、一瞬前が見えなくなる。
正面からみた白亜の建物は、一体どんな風なのだろう。
期待に胸を高鳴らせ、しぱしぱとシャアラに扮したフィアナは目を瞬かせた。
やがて目が見えるようになると、自分の前に手が差し出されている事に気づく。白の手袋に包まれたそれはぶれることなく差し出されていて、それを視線でフィアナは辿る。
その先には目が覚めるような男がいた。予め絵姿で見たよりもずっと見目がいいように感じられて、思わず息をのんだ。
金茶の髪がさらりと揺れる。やけに色気があるのは青の瞳のせいだろうか。まるで深海を覗きこんでいるかのような錯覚を覚えて、フィアナはどきりとした。
―――どきり?・・・そんな訳ないじゃない。私は今からこの人を騙さなければならないのだから。
「道中お疲れでしょう。長い旅路を申しわけない」
「いいえ、大丈夫です。出迎え、感謝いたしますわ」
そういって、姫に身を窶した影武者は頬笑みを絶やさない王子の手を取った。