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その十八(願う幸せのために)

 



 馬車の窓を眺めていると、先程までいた港町が遠くなっていく。

 かなりの速度で周りの景色が通り過ぎて、すべてがフィアナの後ろに流れていってしまう。

 段々と遠くなる海に、フィアナは目を細めた。



 これが、見えなくなったら。



 そう思ってフィアナは記憶に刷り込むようにその景色を見つめていた。

 街を、空を、そして海を、視線をそのままにじっと見つめ続ける。

 もうこの景色を見ることは、きっとないだろう。


 

 やがて森に入り、完全に海も街も見えなくなった。



 そこでフィアナはやっと窓から視線を外し、王子を見る。

 彼は窓を眺めるフィアナを邪魔しないようにか、フィアナが外を眺めるその間一切話しかけてこなかった。


 彼は眉間に皺を寄せて考え事をしている。

 彼の膝の上に広げられた紙を見ると、今後の警備のことのようだった。彼は唸りながら、ペンをくるりと回して何かを書き込んでいく。より厳重にしようとでもいうのか、彼の持つ紙には赤い丸がいくつも書かれ、その下に何やら書き込んでいた。




 ・・・もう必要ないことなのにね。




 彼は珍しくフィアナの視線には気づかない。

 不思議なくらい聡い彼には珍しいことだ。必死に紙と睨めっこする姿は、可愛らしくもある。



 フィアナはそっと、微笑んだ。



 彼は、優しいと思う。

 横暴で、フィアナは散々振り回されたけれど今思えば、それ程嫌じゃなかったかもと思うのだ。

 


 さぁ、別れの挨拶をしなくちゃ。



 そう思って、フィアナは息を吸い込んだ。腹に力を入れて、精一杯の笑顔を顔に張り付けた。指先まで気を張り巡らして、頭の中を切り替える。


 目を開けた時には、完璧な『王女シャアラ』がそこにいた。



 

「王子」



 フィアナが声をかけると、彼は顔をぱっと上げた。

 真っすぐに王子を見つめているフィアナにしっかりと視線を合わせて、小さな声で「もういいのですか?」と呟いた。

 フィアナの無言の返答を受けて、彼は紙を折りたたんだ。それを座席の隅に置くと、にっこりとフィアナの顔を見る。その顔が若干青いのは、フィアナに対しての罪悪感であろうか。

 その王子の顔を、フィアナは微笑を浮かべて見つめていた。



「どうしました?何か、入用のものでもありますか」



 王子の質問に、フィアナは微笑んだまま答えない。


 

 今、馬車の中にはフィアナと王子の二人だけだ。

 シャアラはアパネに乗っているし、リュウもその横でシュガーに乗っている。周りのお付の騎士たちも、きっと先程のことを気に病んでいるのだろう。来る時よりも距離をとっているようだった。その分ぴりぴりした何かが彼らの間に漂っているのは、馬車に乗る前に確認した。



 だから、誰もいないのだ。



 これからの話を聞く者は。



 自分と、自分を気遣う王子以外は。




 フィアナの頭の中に、二人の男の顔が浮かんだ。

 よく似た雰囲気を持つ彼らは、この国に来てからフィアナの心を乱し続けていた。



 

 ―――何を、血迷っているのかしら。らしくないわよ、フィアナ・カルラ。



 

 そっとフィアナは目を伏せる。

 


 


 自分は影武者という役職について、姫様と同じように生きてきた。


 姫様が御忍びの時は代わりにと城に残り、危険が伴う舞踏会であると言われればこの身を盾にしたこともある。その時のことは、今でも鮮明に思い出せる。人間忘れたいことほど忘れられないというが、本当だと思う。



 姫様と同じように縛られた生活。

 城に閉じこもりがちな生活の中では、時の移ろいは余りに希薄なものである。季節が変わったと直に感じるのは、部屋の花を入れ替えるときだった。

 その花を見てシャアラは季節が変わったからと、アパネに乗ってどこかへいってしまう。それを玄関先から呆れたため息と共に見送って。それからまたシャアラのいない間に、フィアナはシャアラの代わりをする。

 勉強をして、マナーの講習を受けて、完璧を目指してその身を磨く。シャアラが帰ってくるまで、窓から外を眺める。晴れの日も、雨の日も、雪の日もそうして外を眺めるのは、城にいる間のフィアナの癖だった。

 意気揚々と帰ってきたシャアラにお小言を零して、彼女の土産話を聞く。

 フィアナは、シャアラの話を聞くことが好きだった。

 どれもこれも、フィアナの聞いたことも見たこともない場所の話だったから。



 影武者の仕事は、姫の盾になることだ。

 姫の影武者として社交界に出れば気を張り巡らせて、『シャアラ姫』を演じる。

 誰ひとり、姫を傷つけることのないように。



 それを繰り返して、気付けばこんなに経っていた。



 シャアラのことは好きだ。

 王宮の人々も好きだ。

 あの窓から空を見上げる生活も、そんなに悪くはなかった。

 姫様の話を聞いて、世界への想像を広げるあの生活も、きっと悪くはなかったのだ。



 ただ。



 その間の自分が、こんなにも世界を見渡すことができただろうか?


 姫の無茶な要望で始まったこの『嘘』。

 けれどその『嘘』は、多くのものをフィアナに与えてくれたのだ。



 初めて遠乗りをした。

 初めて湖に行った。

 それから、初めて海を見せてもらった。



 その度に目を輝かせるフィアナに、彼は見せられてよかったと微笑んだ。

 姫が見たことのないものを、と彼は考えてフィアナをそこへ連れて行く。

 手を引かれてフィアナは王子の背を見て進んでいく。

 フィアナの世界は、その度にほんの少し広がるのだ。



 この国に来て初めてのことが溢れていた。



 初めて賭け事をした。

 好物を見つけて、初めて酒屋に入った。

 城下の人に助けられて。

 それから初めて絵を買って。

 兄妹に、お大事にって言われて。 

 噴水の傍に座って。



 全てが、初めてだった。

 小さなことだが、自分には本当に初めて尽くしだったのだ。


 

 心を寄せる人の傍にいたことも、その手を―――本来は自分のものではないけれど―――取られたのも、喋ったのも、笑いあったのも貴重すぎる出来事だった。



 

 

 でも・・・終わりだ。



 

 

 そろそろ戻らなくてはならない。侍女フィアナに。

 そうでなくては、戻れなくなってしまう。今ならまだ間に合う。


 

「姫?どうしたんですか・・・?やはり、先程のことが」


 

 顔を歪める王子の声には、心配の色も含まれていた。

 微笑みの表情を浮かべながらも、黙ったままのフィアナを訝しがっている。


 

「いえ、王子。お気になさらないでください」



 完璧な笑みを浮かべて、フィアナは返事をするのだ。



 

 ―――夢は、いつか醒めるものだから。




 強く、その言葉を言い聞かせて。

 フィアナは更に深く微笑んで、重い口を開いた。




 

「・・・ただ、一つお願いを聞いてくださいませんか」

「! ああ、私に叶えられることなら、なんでも構わないよ!」



 

 王子はやっと言葉らしい言葉を発したフィアナに安心したような顔をして、二つ返事で答えた。

 欲しいものは医者か、薬か。それともまた城下に連れて行くという約束か。

 王子は未来を期待する表情をしている。

 しかし微笑んだまま黙り込んだフィアナに、やがて王子が不安げな顔をする。


 

 そのフィアナの目の奥に何を見たのか、王子の表情は段々と青ざめていった。



 彼は、聡いから。もう察しているのかもしれない。



 フィアナは微笑みを崩さない。

 


 

 苦しい。

 苦しい。

 

 


 喉が押しつぶされたようだ。

 フィアナは必死で息を吸いこむ。

 笑顔を崩してはいけない。

 これがフィアナの『姫の仮面』なのだから。



 

 ―――覚める夢なら、今しかない。だから、早く。早く言わなくちゃ。




 急かすように無理やり喉を振り絞る。

 思わず握った拳がワンピースを引き付けて、皺を作った。

 王子が何かを言おうと口を開いたのを見て、フィアナは先に言葉を放つ。


 

「私が、自国に還る許可を戴きたいのです」

 

 

 フィアナが何度もゆっくりと瞬きをする間、王子は動かなかった。

 まるで時が止まったように彼は動きを止めて、ただフィアナを見つめている。フィアナの真意を探るように。ただ、今のフィアナが被る『姫の仮面』はそれを許さない。

 

 馬車の進むがたごとという音だけがその場にしている。

 言葉を咀嚼するかのようなその間では、まるで呼吸の音すら憚られるようだった。

 


 目を見開いていた王子は、やがて眉根を寄せてその目を閉じた。

 吐息を吐き、ゆっくりと口を開く。


 

 

「・・・私に、何か不備が」

「そうではありません。良くしていただきました」

「ならば、待遇が不服ですか。王や王妃に、会わせないから」

「いいえ。わたくしは、貴方とただ見合いに来ただけですもの。それ以上でもそれ以下でもありませんから、そのような願いは、持ちません」


 

 

 絶句したような顔をして、王子がフィアナを見つめている。

 王と王妃に会わないなどと大見得を切ってしまった。フィアナは小さく苦笑した。

 これで、フィアナの願いはよりはっきりしたものとして王子に伝わったはずである。



 

 

 震えるな、声。

 お願いだから。

 もう少し。



 

 

「ならば、何故・・・!」


「貴方の隣は・・・息苦しいからですよ」


「っ!」


「・・・ただ、それだけです」


 

 

 王子が目を見開く。その深海の瞳が揺れる。

 市場での会話が、フィアナの中でもフラッシュバックした。彼は、自分にこういったのだから。



 ―――隣で、ただ微笑みあうような存在ひとと、と。

 

 

 

 王子は何かを言おうと口を開いたが、彼は結局何も言わず、俯いた。

 その握りしめた手は、小刻みに震えていた。

 自分との別れを、少しでも惜しんでくれているのだろうか。いや、フィアナのような女からこの縁談を断ったことに、怒りの感情でも持っているのかもしれない。



 どちらにしろ、引き止めない彼のその姿が全ての答えだった。



 

「・・・お世話になりました」

 

 

 言い切ったフィアナも、口を閉じた。

 

 

 




 

 ***




 

 

 

 

 

 馬車を下りた二人の沈痛な面持ちに、外で騒いでいたらしいリュウとシャアラも黙り込んだ。

 いつもなら微笑みあう二人が、何も宿さない表情かおをして馬車から降りてきたのだから。

 無言で王子がフィアナに手を差し伸べ、下車を手伝う。そのまま二人は社交辞令的な言葉だけを二言三言かわし、それぞれ別れて行った。


 その姿に唖然としたのは、リュウとシャアラだけでなく騎士たちもだったようだ。全員が言葉を発することもできず、静かに二人を見送ったのだった。


 


 

「・・・ど、どうしたのよ」

 


 

 部屋に戻ったシャアラが、おそるおそるといった具合にフィアナに声をかける。

 帰ってから未だに二人は直接顔を合わせていない。今もフィアナはシャアラに背を向けている。そのフィアナがふいに声を上げた。

 

「帰りますよ」

「・・・ふぅん。って、はぁ?!」

 

 素っ頓狂な声を上げて、慌ててシャアラが駆け寄ってくる。詰め寄るシャアラに対して冷静な目を向けながら、フィアナは何を片付けるかを既に考え始めていた。

 

「ちょっとフィアナ!?!」


 当分使う予定のなかった旅行用の鞄が仕舞われた衣裳部屋の扉を、フィアナは開ける。そこからいくつかの箱と鞄を引きずり出す。

 困惑を顔に浮かべて立ち竦むシャアラを通り過ぎて、部屋の真ん中に置いた。

 手を払うと、次の場所に向かいながら声を出す。


「なんですか。突っ立ってないで、すぐに荷物を詰めてください」


 そういうと今度はベットの傍にあったサンドバック(ディディ)を持ち、少し手で汚れを払う。

 いつの間にか破れた個所が新たに見つかり、フィアナは仕方ないなと肩を竦めた。



「ディディは向こうで直してしまいましょう」



 そういってディディも部屋の中心に持っていき、開けた大きな箱の中に入れる。

 いよいよフィアナが本気だと悟ったシャアラが、叫んだ。



「待ちなさいよ!貴女、港で何があったの?」

「少し絡まれただけです。姫様、ぼーっとしてる暇はないんですから、早く」



 そういうと、平然とした顔で次のものを取りに向かう。

 その後ろ姿に、シャアラは走り寄ってその手首を掴む。その手の感触に、はっとしたようにシャアラが目を見開いた。シャアラが覚えている以上に、フィアナのその手首は細くなっているように思えた。

 胸の奥に一気に広がるもやを感じながら、それでもシャアラは声を上げる。



「・・・何言っているの?!どうしたのよ」

「縁談を断れといったのは、姫様じゃないですか」

 


 振り返って真っすぐにシャアラを見つめる。

 フィアナの言葉を聞いて、シャアラが目を見開いた。

 ただ淡々と『仕事』をこなしているような、そんな表情かおのフィアナがいた。


 その顔を見つめながら、ぽつりとシャアラは言葉を零す。


 

「貴女・・・王子が好きなんじゃないの?」

「何を馬鹿なことを言っているんですか」


 

 即座に言い返したフィアナに、シャアラが固まった。


 

「な、に」

「今回の話は、彼が姫の夫に相応しくないと私が判断したこと、そしてこのままでは正体がばれる恐れが高まったことから決断に至りました」


 

 国に帰っての責めは、私が負います。

 そう言い切ったフィアナに、シャアラの瞳に怒りが灯る。


 

「正直に言いなさいよ!」

 


 叫びに似た声を張り上げながら、シャアラがフィアナを睨む。


 

「そんなこじ付けどうだっていいわ!」

「正直?こじつけ?」



 その時初めて、フィアナの目に感情が灯った。

 怒りと、苦しみと、悲しみとがごちゃまぜになったようなそんな目を一瞬だけ彼女は見せた。

 息を飲んだシャアラに、静かにフィアナが口を開く。



「・・・どこかの誰かが、こんな馬鹿なことをいいだしたから、こうせざる負えないんです」


 

 シャアラに向けてフィアナは容赦なく言い放つ。シャアラを突き刺す視線はどこまでも鋭く、鋭利な刃物のようであった。絶句したシャアラは、顔を青くする。


 

「フィ、ア」

「いいですか。何度も言いましたよ、私は。こんなことをすべきではないと」

「・・・」

「ですが、それを押し通したのは貴女です。貴女様は、この縁談をなししろとおっしゃいました」


 

 だからそうしました。文句がありますか。


 

 

 そう言い切ったフィアナは、絶句するシャアラに背を向けて市井の服を脱ぎ捨てた。

 




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