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その十七(さよならの合図)



「いきますよ、姫」


 

 にこりと笑って、肩に触れていた彼の手がゆるりと下り、そっとフィアナの指に触れた。

 するりと手を潜り込ませて、ぎゅっとフィアナの手を握る。


 

 強引でない程度の力で引っ張られて、フィアナは影から引っ張り出される。




 その時に王子がフィアナの足の傷に気付いた。

 彼は痛ましげに顔を歪めた後に視線を巡らせて、菓子を食べ終わったらしい二人の子供のもとに近寄った。



「あのお姉さん怪我してるんだけど、少しベンチを譲ってもらってもいいかい?」



 兄妹であろう子供はきょとんとした顔でお互いを見合って、二人の前にしゃがみ込んだ王子に視線を戻した。

 子供だからなのか、それとも王子がいつもと違う姿だからか彼が王子だと気づく様子はない。



「あのおねーさん、おにーちゃんのかのじょ?」

 

 こてんと無邪気に首を傾げて聞いてくる男の子に、王子の顔が引きつった。


「かっ、彼女じゃあないけど・・・」

「うわきはだめだよ」


 女の子がすぐに口を開いた。

 その台詞せりふに王子が困ったようにはは、と笑う。


「浮気じゃないよー・・・。一体どこでそんな言葉を」

「おかーさんがおとーさんにね、ゆるさないんだからって!」


 すごかったんだよ!りょこーのとちゅうだったのに、かったばっかりのお皿がとんでね、最後にはおかーさんが剣をとりだしてきてね、と無邪気に笑う男の子に、大真面目な顔で王子が頷いた。


「よくわかったよ。家庭の事情なんだね」


 だからそれ以上はお父さんとお母さんの為に言わないであげようね、と王子は男の子に真摯にいいかせている。

 この二人の会話をきくに、壮絶な痴話喧嘩なのだろうとフィアナも思う。剣を取り出すなど、市井の奥方はすごいと感心する。学ぶべきところがあるようだと、フィアナは一人頷く。

 そういえばさっきあった女主人も、完全に夫の手綱を握っていた。

 


「夫・・・かぁ」


 これからもしフィアナが夫にするなら、できれば程々の収入のある片田舎領主がいい。


 影武者として国の余計な情報を溜め込んだフィアナの行く末は、殆ど見えている。

 一生姫の下で生きるか、それともその任を解いてもらい、僻地でひっそりと死ぬか。しかし後者には自由があるのだ。できれば、フィアナはいつか自由になりたい。

 姫が嫌いというわけではない。ただ、今回のこの国に来てもっと世界を見回したいという気持ちが強くなったのは事実だ。

 今すぐでなくていいから、遠い未来。

 姫様が立派になられて、自分に夫がいたら―――――。


 なんて夢も、あったりするのだ。


 ただし考えたくないが、処分というのもありえる。

 あの国王陛下と王妃殿下がそのような判断を下さねばならない状況など、ないとおもうのだが。


 もし上手く任を解かれたら、フィアナもいつかまだ顔も知らぬ夫の為に剣を握る日がくるのだろうか。勿論、手綱を握る意味で。

 そんなことを思いながら王子の腰の剣を見ていると、なにやら王子がぎょっとして腰の剣を押さえた。


「な、なんだか恐ろしいこと、考えてない?」

「いつか・・・それが必要になるかと思いまして」


 そういえば、王子が顔を青くした。空笑いをしながら、王子は腰の剣がフィアナに少しでも見えないように体制を変える。


「ひ、必要になるときなんてこない。こないよ。絶対に・・・たぶん」

「どっちなんですか?まぁいつか私の夫になる人によるのでしょうけれど」

「いつか・・・?夫に、よる?」

「ええ、女遊びが激しかったりすると・・・そうしなければならないのでしょうね」


 まぁ、フィアナの夫になってくれるような酔狂な人がいたらの話であるが。

 それにそんな男を夫にすることもないと信じたい。


 王子は何やら情けない顔をして、何度かフィアナと自分の剣とを見比べた。

 そして拳を震わせる。


「大丈夫だ。それまでに、それまでになんとかすればいいんだ・・・」


 青い顔でぶつぶつと王子が呟いている。

 その視線はなにやら下の方にあるが、目線でおうとなんとなく気まずいことになりそうなのでやめておく。

 その王子を不思議そうに見つめる男の子の裾を、女の子のほうがくいくいと引っ張った。彼女の視線は、フィアナの膝にあった。


「・・・いたそう。いこう?」


 言葉少なだが、女の子はぴょんとベンチから飛び降りると男の子を振り返る。男の子も頷いて、いそいそと食べ残しを片付け始めた。


「ごめんね?」

「いいよ。いたいの、なおるといいね」


 フィアナが少し屈んで謝れば、女の子は無表情ながら頷いた。そこにベンチから降りた男の子も寄ってきて、なにやら自慢げに胸を張る。


「ばかだなぁ、おにいちゃんにいまからなおしてもらうんだよ!」

「・・・どうやるの?」



 やたら自信あり気な男の子に、女の子がまたも無表情で尋ねる。

 王子と二人で「ん?」と思っていると、衝撃の言葉が男の子の口から飛び出した。



「おとーさんみたいに、ちゅってするんだ!」

「ああ、おかーさんそれできげんなおすもんね。そのあとはふたりで」

「ああああ―――っ!分かった分かった!とにかくありがとう!」



 王子が慌てて声を上げて、二人に小銭を握らせた。それをきょとんとした顔で見つめた兄妹だったが、妹の方も初めて破顔して歓声をあげた。


「・・・子供に小銭を握らせるなんて・・・」


 どういう育ちをしてるんだ、王子は。と若干引いた目線をフィアナが向ける。王子は、はっ!としたようで、焦ったように子供たちを振り返る。

 しかし子供はその小銭を手に、新たな屋台へと向かっていくところだった。彼らの小さな体は、背の高い大人達にあっという間に紛れて行った。


 仕方がないと王子は肩を落とす。


 何やら子供たちが残していった気まずげな雰囲気が二人の間に漂うが、王子が微苦笑を浮かべて「とにかく、応急処置をしよう?」と言った事でぎこちなくも二人は動き始めた。



 しかし次の問題があった。


 フィアナがベンチに座り、その目の前にしゃがんだ王子がどこからか取り出したガーゼでフィアナの血を拭った時だ。なんでガーゼなんてもってるのかしら、と思った時にフィアナは気づいた。

 本人たちの意識はともかく、一応は見目がいい二人組である。

 何やら好奇の視線が向けられていることに二人して気づいて、またもや気まずくなる。

 それでも処置を進める王子に視線を向けれず、フィアナはひたすらに視線を泳がした。

 王子が跪くその光景に、何やら黄色い声が上がっている気もする。彼の姿が王子然していないにしろ、その空気がもう普通でないということか。


 唐突に先程の男の子の台詞セリフも頭を巡った。


 

 ―――おにいちゃんにいまからなおしてもらうんだよ!おとーさんみたいに、ちゅってするんだ!



 急激にぼんっと顔を赤くしたフィアナは、慌てて俯いた。

 が、意味はなかった。

 足までもが、顔に及ばないまでも赤くなっていたからである。



「ひ、姫?」



 足まで赤くなったフィアナに驚いたらしく声を上げる王子に、慌ててフィアナは話を変えようと口を開いた。


「へ、変な人がいるから、気をつけないとあの子たち!」

「そ、そうだね。近くに親がいるといいんだけど。一応警護担当にもいっておくよ」



 いつの間にか敬語が取れている事にも気付かず、二人は会話をする。


「さっきの子たちの話は、衝撃的だったね」

「ええ。市井の奥方は、強かなのね・・・」

「いや・・・さすがにあれは普通じゃないと・・・」


 王子は若干目を逸らしながらいうが、フィアナの見聞きした人にはあてはまることだったため、そうだろうかと首を傾げる。フィアナが会った人が異常だということに、フィアナが気付いていない時点でどうしようもなかった。


「だからね、夫に剣を向けることはやめようね」

「あら、だめなのですか」

「女の子が剣なんて、危ないでしょう」

「それはわかりますが」

「妻っていう存在は、そんなことしなくていいんだよ」

「・・・では、王子は妻に何を求めていらっしゃるんですか」


 自分で言って、フィアナは頭上に雷が落ちたような衝撃を覚えた。


 ――――もしやこれは、フィアナと王子が会って挨拶を交わした後に聞いておくべきことだったのではないかと!


 忘れかけていたが、これは花嫁修業と銘打ったただの見合いなのだ。

 最初に相手の好みや意見を聞くことは当たり前である。

 結婚する気がさらさらなかったため、すっかり失念していた。

 王子は今更な質問に目を瞬かせていたが、やがてふわりと笑う。


「――――――隣で、ただ微笑みあえるような存在ひとといられれば、それで」


 予想外の返答に、フィアナは固まる。

 その間にも王子は手早く応急処置を施していく。


「姫は、夫に何を求めるの?」

「・・・程々の収入と、どこか片田舎の領地をもっていること」


 その返事に、王子はきょとんとした目をフィアナに向けた。

 嘘は、なんとなくつけなかった。これがフィアナの正直な要望だ。


「現実的・・・というべきかわからないけど、姫が結婚したら一般人には手の届かない高収入と、広大な領地が手に入るよ」

「・・・片田舎に意味があるの」

「姫は、自然が好きなのかな」


 もう、そういうことでいい。



 治療が終わって立ち上がったフィアナの手を、再び王子は握った。

 フィアナが王子を見上げれば、彼ははにかんだように笑う。



「またはぐれたら困るから」

 


 そして他の人々と合流すべく歩き出す。

 前を行く逞しい背中を見つめながら、その力強い腕を感じながら、フィアナは思わず涙ぐんでいた。

 急に訪れた安心感に、今更涙が溢れてきたのだ。


 離さないと言わんばかりに強く王子と繋がれた手を見たとき、フィアナは思わず言葉を漏らした。


「あ・・・」


 衝撃の光景をフィアナは目にしていた。



 一見筋骨隆々といった言葉とは縁遠く見える王子だが、この服の下には彼の流した汗の分だけの力が蓄えられているのだと、気付いた。

 先程治療の為にと捲り上げたままの袖から見えた彼の腕は、過去の裂傷とみられるものの跡が幾つも走っていたのだ。


 フィアナは、絶句した。



 平和と名高い自国。恒久の草原と名高いこの国。

 その裏には、多くのものが隠されているのだ。

 フィアナの影武者としての役割しかり、この国の特殊部隊が被っているだろう仕事しかりだ。

 汗だけでなく、それは時に人の血肉によって購われている。

 それはきっと、ラジェやルチエのような立場の人間が背負っているはずだ。

 立場は違えど、王子だってそうだ。

 


 フィアナはそっと目を閉じた。


 

 彼のその背の大きさ、なのに頼りなく揺れるその目を見ていると、置いてきぼりにされた子供のようだと思う。


 いつもは完璧な笑顔を湛えているのに、彼はたまにほんの少し寂しそうに笑うのだ。

 そこから感じる彼の孤独感。

 無意識のうちに出しているそれに、彼自身気づいていないだろうけれど。



 フィアナは思う。



 恐れながらも他人の体温を求めるこの人は、どこか自分に似ていると。



 踏み入られることは、怖い。

 弱点を晒すことは、恐ろしい。

 笑顔を作る以外に、他人への接し方などわからない。


 

 仮面を被った人々の裏の素顔を探りながら、自分も笑顔の仮面を貼り付けてフィアナは長い間生きてきた。



 だから今更、他の接し方はできないのだ。


 

 王子もきっと、王子の仮面をつけている間は人に心を開けまい。

 それは姫の仮面を被っているフィアナも同じであるから。

 だから近いのだと感じるのだろう。


 それが少しずつ、解けてきている。


 


 長く生きてきた中で身に着けた、冷静に物事を見る癖は様々な形でフィアナを縛っていた。

 フィアナは、侍女であり、影武者であり、そして今は国の代表者ともいえる。

 けれどどれも与えられた豪奢すぎるドレスなのだ。飾り付けた装飾品は、フィアナという真実を不恰好に隠しているだけだ。

 フィアナはまさに、権力という借り物のドレスに身を包む糸繰り人形(マリオネット)だった。


 


 実際のフィアナの価値は、たった一つしかない。


 

 フィアナのその命で、シャアラが守れること。


 これだけなのだ。

 




 ――――でもできたら。

 



 少しだけ夢を見てしまいそうになって、フィアナは俯いた。

 

 それは、贅沢すぎる願いだ。きっと彼の傍にはもっと相応しい女性がいるはずだから。

 

 自分では荷が重い。ふさわしくない。


 そう理解して苦笑したはずなのに、零れたのは嗚咽だった。


 

「――――っ」



 ・・・傍にいたい、なんて。


 自分でも馬鹿らしい願いだと思うのだ。


 心の臓を握り込まれたような痛みが、フィアナを襲う。

 

 



 だめだ。


 だめだ。 


 


 この人は王子だ。

 自分は影武者だ。

 自分の任務は、姫を無事に帰すこと。


 そして、姫に少しでも幸せを掴んでもらうこと。

 

 その為には王子の傍を離れなくては。


 そうだ、自分の任務を思い出せ。


 姫はリュウの事が好きだ。 

 だから姫が本当に好いた相手であるリュウと幸せになるためには、どうしてもこの婚約話をなかったことにしなくては。

 そうしたら自分はお役御免だ。

 また、姫の影となる生活に戻る。


 これからもずっと。

 姫の影として、ただそれだけのために生きる。

 

 

 自分は、影武者。

 

 

 本当は、いないはずの存在。

 

 

 王子の隣にあっていい筈の人物ではない。

 


 そのためにも今しかないのだ、引くときは。

 


 

 ――――――――――――――その時、心の奥底で何かが叫び声をあげた。



 

  

「ど、どうしたの?」

「え?」

 


 目の前の王子が慌てている。

 どうしたというのだろうとフィアナが小首を傾けると、頬を伝っていくものに気付いた。

 

 

 視線を彷徨さまよわせていた彼は自分の腕を見て、はっとしたようだった。

 酷く消沈した面持ちで彼はそっと手を引く。

 突然の彼の行動にフィアナはきょとんとするしかない。


 

「ごめん、恐ろしかったんだろう?」


 

 まるで男に触れることを恐れていると思っているかのように、彼はその身を引く。

 それを見て、フィアナは更に泣き出した。

 驚いた王子が慌てて引いたはずの距離を詰めて、そっと明らかに高級なハンカチをフィアナの頬に押し付けた。その手が酷くびくついていることに、フィアナは気づく。


 

「恐ろしくなど、ないのです。あ、なたですから」


 

 やや掠れている声が、フィアナの声帯を震わす。


 

「・・・姫」


 

 どうしてそんな寂しげに微笑むの。


 

 寂しそうに、微笑まないでほしい。


 

 捨てられないじゃない。

 手を伸ばしたくなるじゃない。


 

 リュウや、シャアラに対するものと違う気持ちが、フィアナの体の内側からせり上がるのを感じた。

 



 

 ――――――――すきです。

 


 

 思わず小さくその音を形作った唇を責めることは、フィアナにはできない。

 声はでていないから、気付きなどしないだろう。

 目を瞬いた瞬間に思わず溢れた涙は、彼のハンカチが吸い込んでいった。


 

「・・・姫、傍にいる。傍にいるから、泣き止んで」

「すいません、迷惑をかけて・・・」

「! ・・・貴女は、他人を思いやりすぎだよ」

 


 王子は目を見開き、苦しそうに呟いた。


 

「こんな時くらい、私に・・・」


 

 そういって彼は、フィアナを抱きしめた。


 

「な・・・にを」



 驚くフィアナにお構いなく、王子はその腕に力を込めた。その腕が震えている事に気付いて、フィアナは抵抗するのをやめた。




「おう、じ・・・?」

「・・・・・・」




 王子は黙ったままフィアナを腕から解放すると、ただ手を引いてフィアナを連れ戻った。



 招集をかけたらしく、すでに最初の場所に皆が集合していた。



 リュウの横で突然の招集に文句をいっていたシャアラだったが、フィアナの赤くなった目元を見て顔を青くした。

 何かあったのを悟ったらしい屋敷の人々が、ざわめきながら出迎える。

 王子が兵士の一人を呼びつけて、何かを命じている。

 兵士は真っ青になって、神妙な顔で王子に頷いた。そして何人かを連れて踵を返してどこかへ走っていく。

 きっとあの不審者のことを報告したのだと思うけれど。


 

 ああ、また迷惑をかけてしまった。


 

 私なんかのことなのに。



 

 

「大丈夫?!」


 

 シャアラがフィアナのもとに寄ってきて、心配そうに顔を覗き込んでくる。

 

「ええ・・・大丈夫です。大したことはありません」


 

 そう言って微笑めば、シャアラがくしゃりと顔を歪めた。

 


「なんで、あなたはいつもそうやって我慢するの!」


 

 泣きそうな程に顔を歪めたシャアラが、フィアナの両肩を掴んだ。 

 その光景に周りの騎士たちが驚いたようだが、シャアラの鬼気迫る表情に皆一様に彼女を嗜めるようなことはしない。

 微笑むだけでその行為を咎めないのはフィアナも同じだ。

 その顔を見て、シャアラは目を見開き、俯いた。


 

「姫様」


 

 シャアラにしか聞こえない声で、フィアナは呟く。

 シャアラが顔を上げる。

 そのぐしゃぐしゃの顔に、そっと指を這わす。


 

「姫様は、お優しいですね。だから・・・きっと幸せにしますから」

「え・・・な、にを、いってるの・・・・?」


 

 唐突なフィアナの宣言に、困惑した表情を浮かべるシャアラ。

 そんなシャアラにフィアナはほほ笑んで、そっとその頬を撫でる。


「フィア、」 

「馬車の準備ができました!」


 何かを言おうとしたシャアラの言葉を遮って、従者の声が響いた。

 


 フィアナは目を閉じる。



 ・・・私も覚悟ができましたよ。



 私の任務は、シャアラ様を幸せにすることです。



 それ以外の、何物でもないですから。




 

 

 


 


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