その十一(動き出す感情)
分厚い本から、薄い本までが見事に積みあがった場所に近づけば、その下から出ている腕はおそらくフィアナの予想通りの人物の手だろう。本の下からは、彼の体や服が所々はみ出していた。息絶える前に助けるかと、フィアナは本からはみ出している手を取った。そしてぐいと引っ張る。
本がばらばらと崩れ落ちて、彼の黒髪が見えた。そのまま更に引きずり出せば、なんとか上半身は出た。そのそばに蹲って、唸り声をあげるその肩を叩いてみる。
「大丈夫ですか」
「う・・・」
「いったい何をしたらこうなるのです?」
「ひ・・・姫?」
呆れ顔のフィアナを見上げた彼には、いつもかけている眼鏡がなかった。あれ、と思ってあたりを見回すと、辞書のように分厚い本からはみ出ているのを見つける。レンズの部分は片方は完全に割れていて、片方にはヒビがはいっている。・・・この辞書が彼に当たらなくて幸いだ。
「全く、気をつけてください。リュウ殿」
「・・・・」
「リュウ殿?」
「え・・・あぁ、はい」
自分の名前を呼ばれたというのに、どこか驚いたように返事をする彼に、フィアナは顔を顰めた。
「どこか、まずいところをうたれたんですかね」
医者を呼びましょう、とフィアナが立ち上がろうとすると、その腕をリュウが掴んだ。
「・・・大丈夫です。よく・・・あるんです、最近。どうもぼーっとしてしまうようで」
何やら歯切れ悪い・・・のはいつものことか。なにやら喋りにくそうだ。緊張しているようにも見える。フィアナに苦手意識を持っているのだろうという考えにいたり、そんな女に傍にいられては助けも呼びにくかろうと、フィアナは立ち上がった。体調は心配だが、自分が傍にいるよりは外のルチエにこの事を伝えるべきだろう。
「そう、ですか。何か痛みがあれば、すぐにお医者を呼んでくださいね」
そういって、その場を立ち去ろうとした時だった。
「ま、待ってください!」
「?」
振り返れば、その目の奥・・・普段は眼鏡に隠されていたその青の瞳が燃えるような輝きを持っていた。
王子の目が深海なら、この人の目はまるで湖のようだと思った。とても澄んでいる。真っすぐな目だ。
「は、話があります」
「話・・・ですか。外に騎士が控えていますから、この事を伝えてからでは」
「いえ、今お願いします。もう・・・こんな機会そうそうあるとは思えませんので」
リュウは立ち上がり、フィアナに向かって真っすぐに立った。その眼に尋常ならざる気合いを感じて、フィアナはぱちぱちと目を瞬かせる。
リュウは決意を固めるように拳を握り、長く息を吐き出した。そしてフィアナを見据えると、その口を開いた。
「あなたに、いっておきたいことがあります」
「は、はい」
「信じられないかもしれませんが、私は」
そこで彼は言葉を切った。何かを呑み込むように唇をかむ。一体何を言うつもりなのだろうかと固唾をのんでフィアナが見つめるその先で、彼の頬がさっと赤くなった。
・・・え。
そして彼の体が小刻みに震える。どうしたというのだろうと内心焦りながら彼を見つめると、彼は決心したのか、ばっと顔をあげてその口を開いた。
「私は・・・彼女を、フィアナ嬢に恋慕の感情を抱いています」
顔をこれ以上ないほど朱に染めて、うつむきそうになる顔を必死で上げて訴えるさまは、先程顔を赤くして奥の部屋へと逃げて行ったシャアラとそっくりである。
フィアナ嬢という言葉に、フィアナの頬も朱に染まった。
それをリュウが赤い顔のまま不思議そうに見つめるものだから、彼が言っているのは自分のことではないと思いつく。
シャアラのことだ。
今はフィアナに扮しているのだから、フィアナ嬢で間違いはない。
なんだか苦笑したい気分になりながら、フィアナはヴィルの目を見る。
「なぜ私に言うのですか?」
「・・・貴女の侍女だからです」
「けれど彼女は私の所有物ではありませんから、彼女に直接いってはいかが?」
「それは、あなたは私が彼女に求婚することを認めてくださるということですか」
きゅ、求婚?!
勇み足すぎやしないかとフィアナは顔をひきつらせた。大体なんで自分の許可がいるんだと思う。告白するのは勝手だ。ただそれが成就するかはフィアナの知るところではない。
「きゅ、求婚ですの?それなど特に私などが口を出せることでは」
「いいえ、あなたの許可が、必要なのです。どうしても」
必死の形相で訴えてくるリュウが一歩近づけば、フィアナは一歩下がった。
「きょ、許可も何も・・・私からはなにも」
「いえ、お願いです!」
「ですから!そのようなことは当人の問題で」
「っ私に、この私に、彼女に求婚する許可を!」
「・・・わ、わかりました!わかりましたから!」
そんなに恐ろしい形相で近づかないでほしい!
フィアナの了承の言葉を聞いた途端、憑き物が落ちたかのように必死の形相は彼から消え、ほっとしたようにその目を伏せた。
「言質はとったぞ・・・」
「え」
「なんでもありません」
「あ、あの。告白なさるのは勝手ですが、ただ彼女がそれを受け入れるかは別問題です。彼女が嫌がった場合、私は全力で抵抗しますからね」
「それは重々承知しています」
シャアラ自身もリュウに気があるようだが、シャアラのあの様子では彼の思いがいつ届くのかは怪しい。
フィアナとしても、それはもう好いた殿方と結婚することは幸せなことで、この恋が成就すればいいと思う。ただ、シャアラは姫で、リュウは従者なのだ。この身分差は、埋められない。
この越えられない壁のことを、顔を綻ばせている従者には伝えれないのだ。
・・・本当に姫の役職が侍女であったなら、叶った恋であったかもしれないのに。
「ありがとうございます。彼女に了承を貰えるかは、俺次第ということはわかっていますから」
「ええ・・・」
「用件は、それだけです。すみません呼び止めて」
ただ、貴女の許可が必要だったのだと繰り返すリュウを不思議に思いながら、幾らかの本を抱えてフィアナはその場所を後にした。リュウはまだすることがあるそうで、いくつもの本と書類の束を抱えて奥に消えて行った。
王子は執務ばかりしていると聞くが、実際しているのはリュウではないかとフィアナは思う。彼の勤勉さには、フィアナも頭が下がる。ただ、いくら勤勉でも恋に初心なのはシャアラと同じである。
・・・図書室を出るときに何やら頬が熱かったのは、リュウの熱気に当てられたからだ。きっと。
本を抱えなおし、さぁシャアラを迎えに行かねばと扉に近寄ると、扉の向こうから声が聞こえてきた。
「・・・そば・・・いるな・・・なん・・・・」
「お・・・かんけ・・・な」
「そん・・・いって・・・にげら・・・」
「・・・わかっ・・・」
この声は。
あっと思った時には目の前の扉はあいていて、いつもと同じ笑顔の王子がそこにいた。その横にはなにやら不服そうな顔のルチエがいる。
「姫、盗み聞きはよくないですよ?」
「ぬっ・・・盗み聞きなどしていません!」
「そうですか?ならいいんですけど」
何やら癪に障る言い方をしてくる王子の横で、ルチエが何やら眉根を寄せて呟く。
「逆に聞かれとけばよかったんですよ・・・」
「ルチエ」
「はいはい。・・・姫、王子が来たので、僕は退散しますね。貴女の傍に長くいると、怒られてしまうので」
「・・・ルチエ」
「余計なことをいいました。すみません。それでは失礼します」
全く反省していない様子でルチエは騎士の礼をした。そして一歩下がってから背を向ける。その背にフィアナは声をかけた。
「今日はありがとう。また会った時もよければ護衛をして頂戴」
歩き出そうとしたルチエの足がぴたりと止まり、やや遅れて顔がこちらに向いた。
驚いたように目を見開いた顔は、フィアナがほほ笑めばくしゃりとした笑顔に変わった。
「いえ・・・こちらこそありがとうございます。また、必ず」
そして今度こそ背を向けて、ルチエは廊下の奥へ消えて行った。
「・・・あんまり無意識に男を誘惑しないでください」
「? 誘惑なんてしてませんが」
「・・・・・・」
何やら米神をもみ出した王子に、フィアナは怪訝な表情を向ける。その顔を見て、王子は更に深くため息を吐いた。
「言ってもだめなら外堀から埋めて・・・」
「王子?」
何やら怖いことをいっていないだろうか。
「ああ、いえ、なんでもありません」
「本当ですか?」
「本当です」
「・・・・・」
また食えない笑顔を向ける王子に、フィアナはふいと顔を背ける。その時に王子の手がさっとフィアナの腕から本を奪っていった。
「あっ」
「部屋までお持ちしますよ」
「いえ・・・王子にそのような」
「お持ちします」
「・・・」
最近強引になっている気がする。拒否を許さない笑顔を向ける回数も増えた。最初は探られているとおもっていたが、最近では探られるというより強要されることのほうが多いとおもう。しかし、別にそれに圧迫感や重圧感を覚えることはないのだから、不思議である。強いて言うなら、仕方がないな、という気持ちになるのだ。
歩き出した王子について、フィアナも歩き出す。
「姫、湖での約束覚えていらっしゃいますか」
「城下にというお話のことですか」
「はい」
覚えていてくれたんですね、と笑う王子は律儀だ。
姫を城下になど、警備の面も考えれば重労働だ。隣国の姫のため、怪我をさせてはならないし、姫の不興を買うとも限らない。王子自身がついていくことに、更に負担は増えるだろう。なんでもすでに政務を手伝っている身であると聞くが、大丈夫なのだろうか。・・・リュウがいるから大丈夫なのかもしれないが。
大丈夫なのかと尋ねれば、やはり大丈夫だと王子は頷く。
「是非行きましょう。あと五日もいただければ、私も仕事がひと段落つきますので」
「王子は、やはり政務に携わっているのですね」
「ええ、まぁ。・・・この国の王子の特技といったら、政務をこなすことですからね」
何か王子の言い回しに引っ掛かりを覚える。
自分自身が王子であろうに、なぜまるで他人のような言い回しをするのだろうか。
「そういえば、王子はよほどの事がない限り屋敷からは出ないと聞きました。大丈夫なのですか?」
敷地内はまだしも、城下など危険、という判断が下されてもおかしくないだろうと思う。
フィアナの言葉を聞いて、王子は面食らったような顔をした。少し困ったような顔をして、苦笑いをした。
そして声を小さくして「ここだけの話なんですが」と切り出す。
こいこい、と手先で手招きされるので、フィアナはなんだろうと思いながらも、ヒールの音を鳴らせながら王子に近寄った。
耳を貸せ、と言わんばかりのジェスチャーに吹きそうになりながらも、大人しく顔を少し傾けた。
「・・・ここだけの話。私はしょっちゅうお忍びで城下にでています、よ」
よの音とともに吹き込まれた生暖かい空気に、ぞわりとフィアナの肌が鳥肌立った。
悲鳴に近い声が出かかったが、なんとか飲み込んで耳を押さえて王子を睨みつける。
「な、に、を、なさるんですか・・・!」
ひきつった顔でフィアナは王子を見た。恨みがましいその顔と相反するように、頬は真っ赤で、押さえているのと逆の耳も真っ赤である。
「・・・可愛い」
「んなっ?!」
紳士な王子はどこいったのよ?!
蕩けそうな笑みを浮かべる王子は、まるでいつもとは違う。今までは敬語を崩さず、姫と王子に適切な距離を保って・・・くれていたのかは怪しいが、譲歩はしてくれていた。しかし段々と遠慮がなくなり、強引になり、そして挙句の果てには。
「か、わいいなど・・・」
綺麗、といわれることはあっても、本来のその目つきの悪さからも可愛いといわれたことはなかった。だからこその異常な反応だ。そうだ。そうに違いない。
「かわいいものは、かわいいんだよ」
そういってまだ赤い頬に触れようと王子が手を伸ばすものだから、慌ててフィアナは身を引く羽目になった。
「そ、そういうことは意中の方だけになさらないと、勘違いされてしまいますわよっ!」
節度は保ってくださいっ!と大きな声で放って、フィアナは王子の腕から本を引っ手繰ると一目散に駆け出した。
彼はその後ろ姿を眺める。部屋まではあと少しの距離だったため、彼女が部屋に駆け込む姿まで見送った。
追いつこうと思えば追いつけたし、捕まえようと思えば捕まえれた。が、それは彼が今すべきことではないのだ。彼女は恥ずかしがりの天然なのだから。
「うーん。もう一歩ってとこかな・・・」
一人取り残された廊下で、王子は顎に手を当ててつぶやく。
「けど、もう少しで・・・終わり、か」
その視線は、名残惜しそうにフィアナの走り去った後を見つめていた。




