その九(月光の下での逢瀬)
タイトルが九→十になっていたので直しました。
しんとした夜の暗闇に包まれた部屋の中で、簡素なベットの上の塊がもぞりと動いた。
何度も中の人物は寝返りを打っているらしく、シーツが皺だらけである。
「・・・眠れない」
ため息とともに、フィアナは寝台から起き上がった。
視線を暗闇の中で彷徨わせれば、だんだんと視界がはっきりしてきた。部屋には2つ扉がある。1つは外へ繋がる扉、もう1つは姫君の寝室へと繋がる扉だ。
フィアナが視線をやるその先の部屋では、本来の主であるシャアラが眠りについている。
昼間の遠乗りでかなり体力を削られたようだったから、きっと少々の物音では起きないだろう。
シャアラが帰ってきたのはフィアナ達が戻って幾分もしないうちで、リュウの上着を被せられたシャアラはリュウの先導の元、帰還したらしい。
一体何があったのかは定かではないが、どうもそわそわとした様子のシャアラに、フィアナは自分が王子に感じた疑問をぶつけることなどできはしなかった。
本来なら自分も疲れ切った体を持て余す身。
寝台に身を沈めれば直ぐに眠りがくるはずである。体の節々が訴える痛みが何よりの証拠だ。
けれどフィアナはその眠気を飛ばしてしまうような悶々とした気持ちを抱えていた。
目を伏せて諦めたような嘆息を漏らすと、フィアナは静かに床に足を下ろした。
***
「・・・綺麗」
庭に出たフィアナを出迎えたのは、昼間とはその顔を変えた幻想的な庭であった。夜にしか咲かない花もあるのか、昼間とは花の様子も違っているようである。
満月がその庭を見下ろす中で、フィアナは廊下から身を乗り出して、どこかぼんやりとしながら風にあたる。
夜の冷たい風が、フィアナの頭の霧も晴らしてくれそうな気がした。
からかう様に一陣の風が吹き、薄手のカーデガンを羽織っただけの体が、ぶるりと震える。
絡まる髪の毛を押さえて再び顔を上げれば、庭の中に先程は見なかった姿を見つけた。
この屋敷から最低限絶やされない程度の光しかない暗い中でも、その髪色ははっきり分かる。
「白・・・?」
白は白でも、まるで月白だ。発光しているのかと思う程のその髪に、フィアナの知った色素はない。
元々派手な色合いが多い祖国でも、あんな髪色は見たことがなかった。
フィアナはその色合いに惹かれるようにじっと見つめていると、その人物が不意に振りかえった。
ゆっくりと、口を開く。
「・・・貴女は、シャアラ・スウハ姫ですね。このような時間にどうしたのですか?」
名を呼ばれて驚いた。
一目で自分とわかるとは。
薄化粧を施しただけの顔だが、姫と認識されてほっとする。
改めて声の主を見つめる。
月光を反射する髪に、透けるような白い肌。王子のように髪を後ろに撫でつけることはせず、その前髪が彼の顔を覆っていた。
髪に隠れていようとわかる繊細な造りの顔とは裏腹に、やや低めの声だった。
彼がゆっくりと近づいてくるのに、危険とも思わずフィアナは突っ立っていた。
彼が手を伸ばせば届く距離まで近づいたとき、やっとフィアナは口を開いた。
「貴方はどなた?屋敷では見なかった顔ですね」
呑気に質問を放つフィアナに、相手は笑ったようだった。その美貌は、近くで見れば見るほど印象の強い人物である。
けれど何かその顔に引っ掛かりを覚えながら、フィアナは彼の言葉を待つ。
「私は昼間は外回りの人間なのです」
「今は夜勤?」
「・・・ええ」
「そうは見えないけれど」
どうも男の姿は警備の者には見えなかった。腰に差している小刀は警備と言うには心もとない。フィアナの訝しげなその視線に、男は苦笑した。
「・・・裏方とでも言えばいいのでしょうか。あまり言えない役柄なのですよ」
「裏方、という情報だけでも、私に言ってよかったのかしら?」
「貴女様はこの国の王子の婚約者ですから」
「・・・婚約者になるかなんてまだ分かりませんわ」
長い前髪の奥にちらりと青の瞳が見えて、フィアナの心は思わずどきりと高鳴った。
青色の目はこの国ではポピュラーなのだろうかとも考えながら、なぜ言い返してしまったのだろうと思わず顔を伏せる。
(・・・だめだ)
影武者の癖に心が覆い隠せない。フィアナは唇を噛む。
それをそっと戒めるように長い指が伸びてきた。本当に剣を扱う者なのだろう。剣だこがしっかりできていたが、細い手だった。
―――王子とよく似た手だった。
「やめなよ、せっかく可愛い唇をしてるのに」
何を言っているのだ、この男は。急に馴れ馴れしい態度になったその男に、フィアナは胡散臭そうな眼を向けてしまった。それに男は苦笑したようだった。
姫に対しての言葉であればと思い直し、世辞と受け取ったフィアナを、複雑そうな顔で男は見つめる。しかしこうと解釈すればそれ以上は考えないのがフィアナである。男は諦めた様に小さくため息を吐くと、くすりと笑った。
「心配事があるのなら、私に相談してみないか?きっといいアドバイスができるとおもうんだが」
男は器用にウインクして見せた。自信満々なその態度にフィアナは呆れた。
「一体何を根拠に」
「こう見えて人生経験は豊富なんだ。それに、」
一度言葉を切って、へらりと男は笑う。
「私たちは今日限りの出会いだから、何を話しても大丈夫だよ」
長い前髪の隙間からまたちらりと見えた瞳に、フィアナの心臓が跳ねる。
「何故そのような…屋敷にいる限り、会わないなんて」
「私の仕事柄、もう会うことは難しいのさ。あとさ、その口調やめなよ。もっと相談しやすい環境を作らなくちゃ」
「何故貴方に、そんなことを言われなくてはならないのです」
「ほら、それやめて」
そっとフィアナの唇に人差し指を伸ばしてくるものだから、思わず仰け反って避けた。彼は苦笑して手を少し引っ込める。
「・・・やめてくださいませ。何か勘違いしていらっしゃるようですけど、相談なんて私には必要ありませんわ」
「他言はしない。今日の私の役目は、貴女を慰めることだと思うんだ。自分で思ってるよりずっと、あなたは追い詰められてる」
彼はくすりと笑う。
「敬語じゃあ腹を割れないでしょう?ほら」
「・・・私から得られる情報なんてないのですよ?」
「分かっているよ、姫」
「姫に向かって敬語を使わないなんて、変わっているわね。貴方」
「それを叱らない貴女も変わっている」
もしかしたら、彼は影武者なのかもしれない―――
ふいにそんな思いがフィアナの脳裏を掠めた。もしくはそれに準ずるものではないかと。
それならば今日限りというのも頷けるし、自分のさっきからの違和感も解決する気がするのだ。
彼が影武者だとすれば、本当は会ってはならない人物なのだろう。シャアラという王女がいる限り、偽りである彼の出番はないと言えるのだから。
「貴方、名前は?」
「・・・ラジェ」
酷く緩慢に彼は言った。その顔が曇っていたのは、きっとフィアナの気のせいではない。
「ラジェ・リンドウだよ」
フィアナの感じる違和感―――それは彼の青の瞳に王子の影を重ねていたからだ。
***
彼は不思議な人だった。
手慣れているんだと、フィアナは思う。
いつの間にかフィアナをエスコートして、ベンチに二人並んで座っていた。失礼にならない程度の距離をあけて座る二人の間には、緊張感がない。
初めて会う人なのに、とフィアナは自分自身を訝しんだが、決して不快な感触ではなかったため彼の一種の特技なのではないかと納得した。
彼といると、酷くほっとする。
その彼からふいに声がかかった。
「王子に、落胆した?」
「?」
「今日、遠乗りがうまくいかなかったと聞いてね」
彼、うまくできなかったんだろう?とラジェは苦笑して、申し訳なさそうに眉を下げた。
「いえ・・・いいの。私もらしくないことばかり言ってしまって。不快にさせてしまったと思うの」
「そんなことはないよ」
「だって・・・彼、怒っていたわ」
「いつ?」
彼が驚いたように言うので、フィアナは口籠りながら「休憩のとき」と呟く。
すると彼は困ったように頭の後ろを掻いて、視線を逸らした。
「あーそれは、多分、嫉妬だと思うよ?」
「彼もそう言っていたけれど、信じられないわ」
「何故?」
「だって会ったばかりだもの、お互い」
「そういうのは、関係ないんじゃないの?時間は確かに大事だけど、直感は馬鹿に出来ないと私は思うけどね」
「大体何故嫉妬だと?」
「あ、いや、王子自身が『嫉妬して失敗した』っていっていたんだよ」
若干慌てたように取り繕う彼に、フィアナの中でまた何か形の掴めない靄のようなものが広がる。
なんとかそれを手で掴もうと、フィアナはラジェの髪の奥に隠された瞳を見つめる。
「貴方は―――王子に似てるわね」
この雰囲気や、話し方。確かに言葉は敬語ではないけれど、やはり何か王子に通じるものを感じる。
影武者だから、という先程の憶測がフィアナの頭を過ったが、直ぐに自分自身で否定していた。
―――違う。彼が似ているのではない。
「王子が、あなたに似ているのかしら・・・」
ぽつりと呟いた言葉は、空気に溶けるように消えていった。
しんと静まり返った庭の中で、彼が息をのんだ音が聞こえた、と思ったが。
「ふふっ、面白いことを言うね」
ラジェは口角を上げて、軽い笑い声をあげた。
「そんな事を言っては、王子様に失礼さ」
ラジェの立てる笑い声は、静かな庭に木霊する。しかしその声が空虚なものに思えて、フィアナには仕方なかった。
何かを問おうとフィアナがラジェを振り仰げば、彼はベンチから立ち上がった。
「さぁ姫、部屋に戻りましょう」
「どうしたの、急に」
「冷えてきたから。大事な体を、冷やしちゃいけない」
有無を言わせない彼の視線に、フィアナは頷いていた。微笑んだ彼は今度は手を差し伸べず、フィアナから離れるように歩き出す。
振り向いて、立ち上がったフィアナと視線を合わせると彼は微笑んだ。
「きっと、姫は私と会った事を後悔するでしょうね」
そう言うラジェになぜかカチンと来たフィアナは、つんと顎を上げて言い放った。
「・・・何故?私が後悔するかしないかは、私が決めるものよ」
彼はきょとんとすると、先程とは比べ物にならないくらい勢いよく笑い出した。息を整えるように口元を抑えて、彼は前髪の隙間から唖然とするフィアナを見つめる。
「―――貴女はやはり、お強い」
「私は、強くなど」
「姫」
しっかりとした低い声が、フィアナを雁字搦めにして発言を許さない。
「おやすみなさい。良い夢を」
そういって彼は、月白の髪を持つ彼は闇に溶けるように消えていった。
「な・・・」
残されたフィアナは、呆然とその場に立ち竦んでいた。
風と草木が擦れる音だけがその場を満たす。人の気配は完全に消え去っていた。
暫くして、幾分か冷静さを取り戻したフィアナは空を見上げる。
「―――落ち着いて、状況を整理しなくちゃ」
そう呟いて、フィアナは庭に背を向けた。
***
木から木へと飛び移っていた影は、王子の部屋の近くまで来ると最も立派な枝を伸ばす木の枝に腰かけた。
はぁと漏れた吐息は、うっすらと白みを帯びて空気に溶ける。
「何、してるんだ。私は・・・」
彼が閉じた青の目の奥で、所在なさげに立ち竦み自分を見つめる彼女の姿が焼き付いていた。
初めて見る、まるで地に足がつかず不安がっているような彼女の姿。不安の色がその瞳に見え隠れしていて。
「けれど・・・貴女は変わっていないな。私が初めて貴女を見た、その時から・・・」
影はその背と頭を木の幹に預けると、ぼんやりと空を見上げたのだった。




