FILE5:重い鎖
浚と結城がメールを確認してすぐに、木田は理事長室へと戻ってきた。
木田は区役所に置かれた支部へと向かい、支部長へと指示を仰いでいた。
本来区役所は国家公安委員会という、浚ら3人のような分隊を統括している国家治安委員会と対立する存在である。
国家公安委員会は警察を統括し、国家治安委員会は防衛省を統括している。公安は市民生活を重視し、治安は緊急時に対応するということだ。
両者は、基本的に国の平和を守るという同じ目的を持っている。しかし、どこか縄張り争いのような頭があるせいか、長年犬猿の仲状態が続いている。市民は、手を組めば無敵なんじゃないかと思っていたりするのだが、長年染み付いた因縁はそうそうに断ち切れないらしい。
区役所は公安委員会の情報も行き交う。その情報を入手するべく、区役所の中へ秘密裏に国家治安委員会の組織を忍ばせているのである。
とはいえ、公安側もそれを黙認して流れてくる情報を得ている。両者同じことをしているのは、何故か暗黙の了解にもなっている。
市民の信頼を得て、相手を潰そうと努力しているので犯罪はこの二つができる前より激減している。競争心を煽って結果が出ているので、これはこれでいい状態なのかもしれない。
その区役所に、木田は指示を仰ぎにいってきた。理事長という役はこうゆう場合、区役所へ容易に入れる利点もある。「木田!どういうことなんだ!?」
「司令、詳しいことを話してください」
部屋に戻ってきたばかりで、いきなり二人に詰め寄られた木田は一瞬困惑した表情を見せたが、パソコンの画面を見て理解した。
理事長の机に座り、机越しに横に並ぶ二人を見てから一息ついて口を開いた。
「本日未明、本校生徒である片瀬美佳が教われた。国会議事堂へと犯行声明が出された時点で発覚。それが1時間ほど前だ。声明内容は…片瀬議員を辞職させろ、らしい。あとはあのメールに書かれていることだけだ」
「…他部隊の出動は?」
しばし考え、自分達が動くことは間違いないと踏んでから浚は尋ねた。
「今のところない。少数の犯行だろうから、そちらで間に合うだろうと言われた。昼間に人目につかず、お前たちに気付かれずに誘拐するほどのやつらだと、わかってるはずなのにな」
吐き捨てるように呟く木田。こう見ると、完全に冷静になれない辺り若さを感じる。
「基本暇な部所だから、能力があるのか不安な連中が試してるんでしょう」
「何か、そう思うと腹立ってくるな…」
「事実だからしょうがないだろ。ついでに汚点も多いしな、神谷くん」
「はぃ、すみません…」
二人の気の抜けた会話を聞いていて、不安に思いながらも司令として指示を出す。
「一応援護要請は出しておこう。それと、おそらく敵は武装しているだろう。銃器の携帯を命じる」
その指示を聞いて、浚はわずかに眉根を寄せたが、それに気付かず木田は続ける。
「ただし、殺すことはするな。けして殺さず、生きたまま捕らえろ」
「司令」
指示を聞き終えて、間髪入れず浚が口を開く。
「銃器の携帯は少し過度なのではないでしょうか。それに、結城ならば見つからずに目標の奪還・犯人の捕縛は可能です」
「もしものためだ。用意しておいても憂いはないだろう」
「しかしっ」「それに、これは支部長からの命令でもある。私は伝えているに過ぎない」
「……そうですか。了解しました」
軽く歯噛みをして敬礼すると、浚は部屋を後にする。
「…初めて見たな、あんな顔をした浚は」
幾分驚いた様子で浚の出ていった扉を見ながらつぶやくと、結城はかすかにため息を吐いた。
「――色々あるんだよ、あいつにもな…。じゃあ、これから作戦立てて助けに行ってくる」
結城が出ていくのを見届けて、木田はパソコンを動かしはじめた。――浚の過去…部下の昔を把握しておくのもいいかもな――
二人は巡視を終えた後、夜を待って学校の屋上に立った。すでに9時を回り、人気はない。警備システムは最低限の行動範囲を無力化してあるため、作動する心配はない。
日が落ちるまでに入手した情報は到底満足のいくものではない。むしろ、この2、3時間で最低限の情報を手に入れた浚の手腕により、今夜の決行が可能になったことのほうが驚きである。
いつものような軽い雰囲気は消え、二人は腰を下ろして向かい合っていた。浚が作戦内容を結城に説明する。
「潜入場所は半径1キロに民家の無い郊外にある、3階建ての廃墟だ。金持ちが箱だけ建てたらしいが、ろくに使われず売り払われたらしい。ただ廃墟といってもダクトは完備されている。それを利用しようと思う…。これが地図と、そのダクトの場所だ」
そう言って紙を取り出した。いくつもの四角で部屋と廊下が書かれ、その上に赤いマーカーで何本も枝分かれしてそれぞれの部屋に繋がる線が引かれている。おそらく、これがダクトだろう。浚は緑のマーカーを取出し、赤い線をなぞるように線を引く。
「おれが一番適当だと思うのはこの道だ。最も奥まで潜入できる。捕まっている場所はわからないが…この3階のどこかだろうと踏んでいる」
「3階まで行くには?」
「確認してみたが、建物の横に非常階段があった。扉が壊れかけているようだから簡単に開く。ただ、そこには見張りもいるだろうな」
「つまり、見つからないように始末しろってことか」
「そうだ。少人数だという話だが、どう考えても10人は固いぞ」
「10人か…。力量次第だが、できない数じゃないな」
「信用している」
そう言いながら浚は銃の入ったホルスターを結城に手渡した。
「え〜、ショットガンとかライフルじゃないのかよ」
「んなもの潜入任務に使えるか!このくらいのほうが振り回しやすい。弾薬もずっと安価だしな」
浚は巡視を結城に任せ、街の裏道にある雑貨店奥に造られた武器庫へと銃器を取りに行っていた。巡視をしなければならないというのもあるが、本音は結城が物々しい物を取り出しかねないからだ。
前回、結城が遊んで詰まれた爆薬に向けてバズーカを構えた瞬間、壁から飛び出したガトリングやらレーザー照射機に取り囲まれた、という事態があった。その後こっぴどく怒られたおまけ付きだ。さすがに二度もそんなことはあってほしくない。
「ワルサーPPK。全長151ミリ、重量535グラム、弾数7+1発の自動拳銃…だっけ?」
結城はホルスターから銃を取り出し、作動を確認しながら言う。
浚は驚きながら答えた。
「よく覚えてたな。さすが通称・戦闘屋なだけあるな」「誉めるなよ。おだてると…うわっ!」
取り落としそうになった銃を指で何度も弾いてから、どうにか両手で押さえる。結城は大人しく銃をホルスターにしまった。
「…こうなるんだよ」
「なるほど」
浚は頷き、あらかじめ装備しておいたホルスターから同じ銃を取り出すと、作動を確認する。
ふと結城は、なめらかに手を動かすのと反対に暗い顔をしている浚を見た。
「どうした、浚。そんな顔して」
「あっ…あぁ、いや何でもない。使わないほうがいいな、と思ってさ」
「確かにな。人撃つのは気が重い」
「…本当にな」
重い声と共に、作動確認を終えた銃をしまう。
「(まさか、浚のやつまだ…)」
結城の脳裏にふと何かがよぎったが、それを振り払うように首を軽く振った。
腕時計を確認すると、すでに10時近かった。浚は結城に向き直って口を開く。
「さぁ、そろそろ行動開始だ。作戦所要時間は30分未満だ。迅速に、的確に。俺は外で待機しているから、お前の侵入と合わせて陽動として動き出す」
「わかった。…死ぬなよ」
「お前もな」
こぶしを打ち合わせ、部屋の中に設置された1階への滑降口を使い二人は出動した。
辺りはしんと静まり返り、気配は何一つない。おそらく、ここに犯人達がいると言っても警察は動かないだろう。もとい、治安側の自分達が公安に助けを求めることはできないが。
浚と結城は近くの茂みに腹ばいになり、軍用双眼鏡で外観を確認する。
「正面に2人、裏に2人、非常口に見えるだけで1人か」
「作戦通りで問題ないな。…行ってくる」
結城は建物を大きく回り込み、非常階段を静かに昇る。それでも常人以上の速さだ。
間もなく着いた非常階段の中腹辺りで上を確認すると、見張りが眠そうに結城のいる階段と逆を向いて旨そうに煙草を吸っている。
結城は音もなく近づいたかと思うとその口をふさぎ、首筋に注射を打ち込む。見張りは一瞬もがいたが、すぐにガクンと膝を折って静かになった。
「浚特製の即効睡眠薬だ。終わるまで寝てな」
結城は注射器をしまうとホルスターから銃を取り出し、背中で扉に張りついた。
そっと窓から中を見ると、眠そうにしながらしゃべっている見張り達の姿が目に映った。
「0○7の映画でワルサーPPKにサイレンサー付けてたな、確か」そう言いながらサイレンサーを取り付けると、足元で寝ている見張りの襟首をつかみ持ち上げた。ちょうど立っているように見える高さで支える。
片手でドアを開け、盾にするように少し中へと入った。それを見留めて見張りの一人が片手をあげて声をかけてきた。暗いので入ってきたやつの顔などよくみえないのだろう。まるで警戒心が無い。
「おぅ、お疲れさん。けど、まだ交替には早いだろが。バレないうちに戻れよ」
そう言ってまたバカ話を始める見張りたち。
結城は寝ている見張りを片手で支えたまま、ゆっくりと銃の狙いを先程声をかけた見張りに定め、引き金を引く。ボスッとくぐもった音が響く。
「うっ!?」
弾にあたり、ぐらりと体を倒す見張りの一人。別の見張り達が結城の存在に気付き、案の定装備していたサブマシンガンを構える。
「てめっ…ぅっ!?」
「ぐっ!」
「ふぁ…」
盾にしていた見張りの体を支えていた手を放すと同時に横へと飛び出し、すかさず3発撃ち込む。当たった瞬間に彼らは床に倒れこんだ。
結城が撃ったのは麻酔弾である。火薬の量を抑えて弾速を落とし、弾頭に注射器を取り付けた弾薬である。
天井を見渡すと、部屋の端に鉄格子の蓋が取り付けられた穴を見つけた。
結城はポケットから手のひらサイズの拳銃を取り出す。普通の拳銃とは異なり、銃口から魚を突くモリのような物が飛び出している。
ダクトの横に銃口を向け、撃ちだすとモリはワイヤーの軌跡を残しながら天井に突き刺さり、引っ張ってもビクともしない程完全に固定された。
グリップ上部に付けられたスイッチを〈SHOT〉から〈ROLL〉に切り替え、もう一度引き金を引くとワイヤーが巻き取られ、結城の体は天井に引き寄せられる。
蓋は押し上げると思いの外簡単に開き、結城は難なくダクトに侵入できた。ちょうどその時、階下から銃声と爆発音が鳴り響いてきた。おそらく、浚であろう。
――死ぬなよ、浚――
人一人が腹ばいになって、ようやく通れる中を、結城は進み始めた。
「どこだ!?逃がすな!!」
「いたぞ、その影だ!」
「くそっ、逃げ足の早い!」
浚は結城が潜入したと同時に動きだした。
まず正門を横から攻め、見張りの一人を首筋への手刀で無力化する。もう一人が撃つのをかわし、同じように眠らせる。
銃声を聞き付けた別の見張りが飛び出してくるのを、手榴弾で応じる。爆薬をかなり減らしてあるので殺傷能力はほとんどないが、代わりに催涙ガスを仕込んである。
さらに見張りが飛び出してくるのを見ながら、自分という的を晒しつつ逃げているのだった。
これほど派手に陽動をしているにも関わらず、浚は一発の弾丸も撃っていなかった。いや、手に持ちすらしていない。
懐からさらに手榴弾を取出し、投げる。それは空中で発火し、強い閃光を放つ。閃光弾と呼ばれる手榴弾の一種だ。
「み…見えねぇ!」
「油断するな!…ぐぇっ!?」
見張り達がひるんだ隙に、素早く敵に接近してみぞおちに拳を打ち込む。刹那二人目も同じくみぞおちへ。二人は前のめりに倒れこんだ。
見張り達の目が回復してきたのを見計らって、また逃げる。仲間をやられた見張りは怒り、冷静さを失っている。そのため、簡単に策にはまってくれている。そのおかげで10数人を一度に相手できているとも言える。
この程度ならば浚でもこなせる。正直、技術ならば結城に負けず劣らずと言えるだろう。
決定的な差は、戦闘に対する嗅覚のようなもの。瞬時に危険を察知し、的確に対応する、本能といえる勘の良さだ。その差は、努力で到底埋められるものではない。才能という、望んでも得られないものだ。――感じたくない劣等感だな――
「そこかっ」
「っ!?」
不意に真横から声が飛び、銃機のカチャリと持ち上がる音が鳴る。
ガガガガガッッッ!
転げながら交わし、足首に仕込んだ麻酔薬を染み込ませたダーツを投げる。
「うっ……」
見張りはすぐに沈黙してその場に倒れた。
間髪入れず迫ってきた見張り達から銃弾の雨が降ってくる。
「くっ…この…っ!」
残り2個の手榴弾一つ目を見張り達に投げ、足止めを食わして逃げる。二個目は別方向からの追っ手に。
これで手榴弾は無くなった。残るは足首のダーツ4本に催涙弾、それと…結城の持つものと同じ銃が一丁。ただ、麻酔弾はすべて結城に渡してしまい、装填されているのは実弾だ。正直ここまで苦戦するとは思っていなかった。
「(自分を過信しすぎたか…あの時から何も変わっていないな…)」
浚は胸の銃を取り出そうとグリップを握ったが、歯噛みしてその手を離した。「(…だめだ、俺には使えない…)」
ザクザクと見張り達が土を踏み走る音が聞こえる。まよわず接近しているのを聞き、場所が知れていると判断して低く横に飛び、体制を整えつつ走りだす。走った跡を銃弾がうがつ。
「(だが…せめてあいつが戻ってくるまでは…!)」
浚は催涙弾に手をかけ、敵の足元に叩き付けた。
――いたな――
結城は順調にダクトを移動し、目的の部屋を下に見た。あとは下りて片瀬を救出、頭を捕まえればいいだけだ。浚が屋外で陽動しているため、中に残っているのは少数のはずだ。
先程からダクトに響いていた喧騒からすると、20人近い人員が浚の対応に向かっている。明らかに分の悪い状態だと想像しやすい。早く救出して援護に向かうべきなのだろう。
しかし、結城の中に嫌な予感が渦巻き、それが次の行動を躊躇させていた。
――殺気…?いや、何かもっと別の――
「出てきたらどうだ。そこのネズミ」
「っ!?」
コンッと腹に軽い振動が響いた。天井――それも、明らかに結城の居場所を狙っての行為。
諦めと覚悟を抱き、結城はわずか先にあったダクトの蓋を開け、体を滑り込ませた。
「…っ!神谷堅!?」
後ろから片瀬美佳の声が飛んでくる。どうやら目の前に着地したようだ。それならば話は早い。最重要課題は片瀬美佳の救出だ。こいつらの始末は治安委員会にでも頼めばやってくれるだろう。
…が、結城は腰のトンファーに手をかけたまま動かなかった。否、動けない。目の前の弾丸を宙に投げて遊んでいる長身の男から、容易に逃げ出すことができるとは思えなかった。
「君とは以前会ったな」
彼は弾丸で遊ぶ手を止め、結城に言う。
「どこだっけな?覚えてないんだけど」
トンファーを引き抜き、両手に油断なく構えつつ返す結城。彼はポケットに弾丸をしまい、自然体で話す。
「覚えていないのか?まぁ無理もない、ザコを演じてたからね。…じゃあ、これでわかってくれるかな?」
そう言って、彼は背中に手を回すと、一本の鉄パイプを取り出した。片側には布が巻かれ、普通の使い方と目的が異なっていると伺える。ふと、前に見た光景とダブった。
「…まさか、あのときの…」
にやり、と男は笑った。
「そう。一ヵ月前、一度目の誘拐計画を阻止された人間だ。今回は成功したけどな」
「…そうだ!あの時言った合格ってのはどういう意味なんだよ!!」
彼の最後に残した、『合格だ』の意味。深くは考えなかったが、この際聞いてみたい。結城はそう考えていた。
彼は首を鳴らしながら天井を見上げ、もう一度結城に向き直ってから口を開く。
「――俺の遊び相手になってくれそうだ、そういう意味だったと思ってくれ」曖昧な言い方をする彼に、結城は食い下がろうと一歩踏み出そうとしたが、彼が鉄パイプを目の前まで持ち上げたのを見て止めた。
「じゃあ、楽しませてくれよ。今度は手加減しないからな」
彼は全身をクッと曲げたかと思うと、弾けるように結城へと攻めかかってきた。
ガガガガッッッ
「くっ…」
浚は前に飛び込み、転がりながら銃弾を避ける。全身はすでに泥だらけになり、あちこち擦れや弾で破れている。夜の巡視に使っている黒を基調にした服は、もはやまともな原型を留めていない。
少しずつ逃げる範囲を広げ、相手に深追いさせるようにしているが、冷静になり始めている敵は簡単にのらない。
時折攻めては一人二人と眠らせているのだが、なかなか敵は減らない。あと6人強はいるだろうか。
胸の銃は未だに一度も引き抜かれていない。何度か手をかけたものの、その度に躊躇し、結局抜かないのだった。
ガガガッッ
「うっ!?」
不意に、太股へ焼けるような痛みを感じた。見ると黒い穴が開いている。そこからだらだらと血が流れだしていて、直撃を受けたとわかった。
足に力が入りにくい。まるで痛みが力を奪い取っているようだ。
浚の動きが急激に遅くなったのを感じ取り、見張り達は一気に畳み掛けるように詰め寄ってきた。
反射的に銃を引き抜き迫る敵に向けた――が、刹那手は震えだし、目眩と吐き気がした。
その隙が敵に勝機を与えてしまった。見張りの一人は、グリップで叩こうとした浚の腕を掴み、関節を取って浚を俯せに地面へ叩きつけた。
「おとなしくしろ!」
「(ここまでか…悪い、結城)」
頭上から向けられた銃口と自分の腕を押さえる手を見ながら、自分の結末を感じつつ目を閉じる。
刹那、遠くから強い光と、十数発の銃弾が飛んできた。
それは、浚に一発も当てる事無く見張り達の足を的確に貫いていた。
次の瞬間には強い光を背に武装した兵が走り込み、次々と見張り達を押さえ込んだ。
「なっ……?」
状況を掴めないまま、体が自由になった浚は体を起こしながら光源を眩しげに見る。白い光の向こうに、微かに装甲車の影が見える。その奥から男が一人、ゆっくりと歩いてきた。
「よう。久しぶりに見たと思ったらひどいカッコじゃねぇか」
「…っ!?…お前…!」
「っぁあ!!」
「ふっ!!」
火花を散らす二つの鉄の棒。常人では追い付くのは不可能な速度で、両者は得物を繰り出している。結城は一跳びで2メートル近く相手と距離を空け、次の瞬間は低く飛び掛かるように近付き、目の前で床を蹴って右へ体を逸らすと、男の左肩にトンファーを振り下ろす。
その不規則な動きに関わらず、長身の男は難なくタイミングを合わせ、強烈な一撃を片手の鉄パイプで受け流す。さらには空いた手で、受け流した勢いのまま拳を結城へと振り下ろす。紙一重で結城はそのまま前へ飛び込んでかわす。
後ろでブンッと男の拳が空を切る音を聞きながら、結城は片手で体を宙へ跳ね上げると半回転して着地して振り向く。
「…強いな」
ふぅっと大きく息を吐いて結城は呟くように言う。
「お前もなかなかだ。合格ラインは越えるな」
「そりゃどうも」
男は鉄パイプを一度クルリと回すと、パイプの中央に持ち手をずらした。さながら棒術使いの構えだ。
「では…そろそろ本気で行くぞ」トン、と軽く爪先で床を蹴ると先刻と同じく全身を縮めたバネのように曲げた。
足に力が入るのが見える。
――来るっ――感じると同時に反撃に備えてトンファーを目の前に―――
―――が、次の瞬間司会がブレるのを感じた。その後に、それがみぞおちに入った男の鉄パイプによるものだと気付いた。
いつのまに接近して打ち込まれたのか――何も見えなかった。
「――カハッ」
咳き込んで膝をつくと目の前に血がポタリと落ちた。鉄臭い味がじわりと口の中に広がる。内蔵のどこかが傷ついたようだ。
「くっ…そ…」
「ダメだな。所詮本気を出せばこの程度か」
頭上から男の声が降ってくる。まともに喋ることすらままならない。
「さてと、この辺りで死んでもらおう」
そう言って男は鉄パイプを持ち上げ、振り下ろした。ガッと鈍い音がして、結城の頭の横で鉄パイプが床を穿った。「――と思ったが、この辺にしておこう。依頼分はこなしたしな」
そう言って男は窓へと向かうと、壊れた窓に手をかけた。
「ごほっ…待て…依頼ってどういう…っ」
ぐらり、と目の前が揺らいでそれ以上の言葉は出なかった。もはや意識を保っているだけでもやっとだ。
男はその姿を見ながら笑った。
「それは言えないな。…まぁ、そのうちまた会うこともあるだろう。そのときまでに、もっとガンバレよ。勝ったら教えてやるさ―――もっとも、そのころには知ってるか」
そう言い残し、男はひらりと3階にも関わらず飛び降りた。あの身体能力だ、3階程度の高さだったら造作もないのだろう。
「結城!」
意識が消えかけた瞬間、親友の声が聞こえた気がした。
結城は夢を見ていた。
いや、夢のはずなのだが、ひどく現実的だ。
それは、どこか懐かしい雰囲気のする小さな木造の、古びたバーだった。そこにはよく顔見知った、本部の訓練仲間がいた。その中に浚の姿も見える。
――…あぁ、懐かしいわけだ。ここは、本部のバーだ。そして、これは訓練仲間の入隊祝い――
「おい、結城!何そこでボーッと突っ立ってるんだ。早くこっちに来やがれ!」
不意に一人が結城に呼び掛けてきた。――夢、じゃないのか…?まさか昔に戻ったとか――
「聞いてんのか?結ちゃんよ!」
「えっ!?お、おぅ」妙な感じはするが、とりあえず深くは考えず、結城は空いた席に座った。
「まったく、少しは浚を見習えよ。しっかり5分前に来てるんだぜ」
「親友とはいえ、浚もこんなやつのお守りは大変だな」
「うるせぇっ!で、全員集まったならさっさと始めようぜ」
笑いながら茶化す友人達に一声浴びせると、結城は先を促す。
「だな。マスター、結城に同じ物を―――じゃ、俺が音頭をとらせてもらおうかね。みなさん、グラスをお持ちください!…それでは、中原軍曹、端間軍曹、勝浦伍長の入隊を祝して…乾杯!」
『かんぱーい!!』
互いにグラスを打ち合う音が鳴り響き、7人ばかりのささやかな祝賀会は始まった。
「ほれ、結城!景気付けに一気飲みだ!…まさか、上官の命に背かないよなぁ?」
中原軍曹は、多少顔を赤くしながら結城に絡むように薦めた。結城はその光景をただぼんやりと見つめていたのだが、その声で目が覚めたように立ち上がった。
「岩下兵曹、一気飲みいきます!」
「おいっ、それ酒だろ!未成年者が飲むな!!」
「気にするな!祝いの席で飲まずにいつ飲む!!」
多少薄めにしたバーボンソーダを一気に飲み干すと、おぉ、という歓声と浚のため息が聞こえてきた。
多分一番幸せだった時。
結城は飲みながら思った。
こいつらとは、もう、会えないんだな、と。
結城は目が覚めるといきなり白い天井が目に入った。見渡すと、何度か訓練中のケガで放り込まれた時に見た、すべての部屋に律儀に貼られている〈初心貫徹〉と見事な筆で書かれた掛け軸が目に入った。コピーではない辺り、本当に律儀だ。
「(ってことは、軍事病院か…)」
起き上がろうとしたが、体全体にほとんど力が入らず、かろうじて動く首を動かして自分の体を見た。腕にチューブが刺され、至る所に包帯が巻かれている。
「(そうか、俺はあの野郎に負けて…)」
コンコン
不意に扉がノックされた。返事は元から期待されていなかったようで、すぐに開かれた。
「ん。目、覚めてたのか」
浚だった。両手が旅行バッグと、籠に入った果物セットでふさがっている。
歩み寄ると、備え付けの椅子を引き寄せて座った。
「調子はどうだ」
「最悪だよ…体が全然動かねぇ」
「まぁ、麻酔効いてるから当然だろうな。それに全身へみぞおちを最大のものとして、およそ8発叩き込まれてるからな」
「8発……」
あの一瞬にそれだけ打ち込んでいたのか、と思いながらもあの場で動けなくなった理由が腑に落ちた。
結城は白い天井を見てつぶやいた。
「…情けないな…戦闘屋って言われてるくせに何もできなかった…まったく、中尉失格だな…」
「…………」
「痛てっ!?」
浚は結城の額をぺしっと叩いて睨み付けた。
「何弱気なこと言ってやがる。たかが一人に負けた程度だろう。らしくないぞ」
浚は一度言葉を止め、続ける。
「大体やつに勝とうと思うのが間違いだ」
「…?どういう意味だ?」
「それについては情報源から…いるんだろ、入れよ」
浚は入ってきた扉に向かって声をかける。すると扉が開いて、軍服姿の男が入ってきた。サングラスをかけていて顔は見えないが、襟章と胸のウイングマークで空軍大尉であるとわかる。
彼は何も言わずに敬礼した。相手が上官に当たるので、何とも変な気分だ。「いつまでも騙してないで、それ外せよ」
「なんだよ。普通じゃ面白くないだろ」
そう言いながら彼は少し勿体ぶりながらサングラスを外す。結城は思わずあっ、と叫んでしまった。
「あ…安藤!?」
「そうだ。久しぶりだな、岩下」
安藤崇宏。浚と結城がまだ兵曹の頃に、士官候補生だった男だ。
身体能力に長け、現在の浚と結城の基礎を作ったといっても過言ではない。「しばらく見ないうちに昇格したんだな」
「前会ったのは2年前だったから、俺は中尉だったな。お前らだって軍曹から中尉か?えらく立派になったじゃねぇか」
「まぁ確かに、こいつが中尉になれたのは奇跡だろうな。今の実力主義じゃなく、昔の資格制度だったら間違いなく今も軍曹止まりだ」
「浚、それはねぇだろ…」
結城は俯きながらも否定できない悲しさを抱きながら、先程浚の言った言葉を思い出して安藤に尋ねた。
安藤は頷くと、話してくれた。
男は通称ドラゴン。名前の川崎龍から来ているらしい。ただ、これも本名かどうか解ったものではない。
依頼請負人として世界各国を飛び回る人物。射撃・格闘・策略すべてがトップクラスに値する、現代の最高額の賞金首だ。
主に棒術を好むようで、対峙した者のほとんどがその所持を確認している。今回結城が戦ったのも例外ではないというわけだ。
「賞金首にかかってからすでに15年以上経つんだが、大概あっさりやられて大した情報も得られずに逃すらしい。…岩下もそうだろ?」
安藤の質問に、結城は無言で頷いた。
「捕まえた部下も顔確認しないで、金だけ振込まれたからやったらしいしな。……根っからの悪ってわけじゃねぇんだよな。依頼内容外で人は殺さないし、物も盗まない。器物損傷すら最低限ってくらいだ」
安藤は一気に話すと一息ついて、そんなところだ、と話を切った。
「ありがとう。後で自分でも調べてみるよ」
浚が礼を言うと、ニッと笑った。
「んなことより、久しぶりなんだから仕事抜きにして話そうぜ。…この後も仕事だから飲めないのが残念だけど」
三人はしばらく、空いた時間を埋めるように話した。少し経つと徐々に結城の体の麻酔が切れてきて、体を起こし腕を動かす程度ならできるようになっていった。
「……と、そろそろ時間か。つい話しちまった」
ふと安藤は壁の時計を見ると、腰をあげた。
「もう行くのか?」
「あぁ。俺も入院しないかぎり休めない身分でね」
「そうか。また時間空いたら遊びにこいよ」
少し残念そうに浚は言った。
「おう。浚も、こいつのお守りガンバレよ」
「誰がお守られるか!」「はははっ。じゃ、またな」
背中越しに手を振りながら、安藤は部屋を後にした。
窓の外を見ると輸送ヘリが敷地内に作られたヘリポートに輸送ヘリが降りてきた。
開くと同時に出てきたヘルメットを着けた空軍輸送隊員たちが、建物から出てきた安藤を認めるとその場で敬礼して彼を迎えた。何となしに振り向いた安藤は窓から顔を出した浚たちを見つけると、手を振ってきたのでそのまま手を振り返そうと思ったが、二人揃って敬礼で返すことにした。安藤は笑いながら頷くと、輸送ヘリに乗り込んでいくのだった。
部屋の扉をノックする音が響いた。結城が応じると、木田が入ってきた。
「木田……」
「結城」
木田は結城のベッドに歩み寄り、じっと結城を見ていた。
その右手が突然上がり、敬礼の格好になった。
「ごくろうだった!」
「…は?」
鳩が豆鉄砲をくらった、という感じに間の抜けた表情で結城は木田を見た。
「き…木田ちゃん?どうしたの、頭でも打った?」
「それはお前に言いたい。それと浚、お前もごくろうだったな」
「は、はぁ」
反射的に頭を下げたが、浚にもこの状況が把握できなかった。
木田は二人を交互に見てから、頭を下げた。
「そして…すまなかった」
『………………………』
二人が目の前で頭を下げる木田を目を点にして見ているといつの間に開いたのか、扉の方からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
「も〜、相変わらず不器用なんだから」
そう行って歩いてきたのは、タイトスカートが違う意味で似合う、背が低めの女性だった。身長はおよそ155センチ弱。あまりにも小さい。
その小ささで175センチ以上は優にある木田の額をこづく姿は、なかなか愛らしいというものだ。
「だ…誰なんだ?」
こそこそと結城は浚に耳打ちをする。浚も声をひそめて答える。
「結崎結城。『ゆいゆい』のあだ名で呼ばれる、区役所内に潜入してる支部長だ」
「…あ〜、なるほど…木田ちゃんも春なのね」
木田と結崎が話す――もといじゃれあっているのを見ながら呟いた。
「……ロリコンってことか」
結城の呟きが聞こえたのか、木田は慌ててこちらを向き直すと結城を睨み付けてから口を開いた。
「え〜、その、なんだ…」
と、思いきや言いにくいのかなかなか切り出してこない。見兼ねた結崎が横から助け船を出した。
「木田司令は、今回の事件の情報について謝っているのよ」
「事件の情報?」
結城が首を傾げて反復すると軽く咳払いをして木田は答えた。
「そうだ。今回の事件は片瀬美佳が鳩派の一派に誘拐された、そう伝えたな?」
「あ、あぁ。確かにそう聞いたけど?」
「実は…嘘なんだ。いや、それどころか今回の事件はすべて狂言にすぎない」
「狂言…?」
結城が今度は逆方向に首を傾げて反復する。浚は木田から目を離さずに結城の疑問に答えた。
「ようは作られた事件だったということだ。……なぜそんなことをしたのか、聞かせてもらえますよね」
木田は浚の質問に逡巡して、重く口を開いた。
「…お前達を試すためだ」
「俺たちを…?どういうことだよ!」
結城は木田に食って掛かるが、もう十分に腹を決めたのか動じる事無く木田は返す。
「――鷹派が最近活発化しているのは気付いているな」
「あぁ。そのくらいはな」
浚は即答する。木田は頷くと続けた。
「鷹派が…内戦を引き起こそうと図っているという情報が、先日入ったんだ」
「……っ!?」
「もうそこまで話が進んでいたか…」
それぞれの反応を聞きながら、木田はさらに続ける。
「内戦が起きたらそれこそ日本は終わりだ。日本の平和は完全に消滅する」
内戦が一度起きれば、その後に続くように次々と自身の欲求を持った者たちがテロを引き起こすだろう。そうなれば、市民が安心して暮らすことのできる国は無いに等しい。
おそらく鷹派の狙いはそこだろう。内戦やテロの頻発化により、人々の戦争意欲を駆り立て、他国との戦争へ発展させる。安易な考えではあるが、足掛かりにはなるだろう。
「それと俺たちに、どういう関係があるんだ」
浚は努めて冷静に尋ねる。木田は一息置いて言った。
「君たちに…対鷹派として参加・及びその小隊を指揮してもらう」
木田のその言葉が部屋の空気を重くし、浚と結城にのしかかってきたように思えた。
今回はアクションがメインでした。久しぶりだったので上手く書けているかどうか。かなり不安なところです、ハイ。上手くイメージできるように描写できていたら幸いかな、と。 あと、二人の心情について少々。ネタばれ加減に言うと、二人は小さい頃から防衛庁にいたわけです。なんでかって?実力主義だから、以外はまた別の時にでも。とにかく、幼い大切なときを戦争の影と共に暮らした二人は色々と抱えているので、そこも追い追い書こうかなと。 これからどんどん暗いものを暴かれていく二人ですが、どうぞしっかりと見守ってください。それでは