FILE4:止まらない世界
夜気に包まれた午後7時。5月という、そろそろ3ヵ月後の文化祭が視野に入りはじめる頃だ。
篠崎優凪は、文化祭の部活による出し物の企画原案を部員と話し合った帰りだった。様々な提案が出てきて、それをまとめるのはかなり体力を消耗するものだ。副部長である彼女は、部長が極秘調査とかで忙しいらしくその役を任せられてしまった。極秘調査とか言って、単に逃げただけなんじゃないかと何度も思った。けど、結局投げ出すことはできなくてこんな時間まで残ってしまった。
「(はぁ…早く帰ろう)」
最近女性が襲われる事件が増えてるから、本当は校門の前にあるバス停から帰りたいくらいだ。しかし、父がリストラされて家計は苦しい。将来のためにと学費の高いこの学園に編入させてもらったんだ。これ以上迷惑はかけられない。
重いバッグを肩に掛け直した時、ふと後ろから原付バイクの音が聞こえてきた。
後ろを振り替えると、すでにバイクは目と鼻の先にあった。意図的に、抑えられたエンジン音。
「きゃ……」
叫ぶ暇も与えず、バイクに乗った男はすれ違いざまに優凪のバッグを奪い去る。
「あっっっ……」
中には―――おじいちゃんの遺してくれた大切なカメラが―――
「だ、誰かぁ!」
叫ぶが周りには誰もいない。強盗もそれを確認済みなのか、気楽にバッグをグルグルと振り回している。
…が、次の瞬間その動きは止まった。宙に吹っ飛ぶという形で。
乗り手を失ったバイクはそのまま電柱にぶつかって止まっていた。
乗り手を吹っ飛ばした人影は宙に舞う男から、地面に当たる瞬間にバッグだけを奪い返していた。同時にカエルのつぶれたような声がした。
人影はバッグと優凪を一度見比べて、彼女に歩み寄った。
「気を付けろよ」
差し出されたバッグを受け取り、あわててカメラを確認した。
「よかったぁ…」
ほっと胸を撫で下ろしていると、彼はきびすを返して去ろうとしていた。
「ま、待ってください!お名前は…」
男はゆっくりと振り替えると、サングラスに隠された顔に笑みを浮かべた。
「神谷…堅だ」
そう言い残し、彼は去っていった。
「…〜い、優凪〜、起きろ〜」
「ん…ぁ…?」
ゆさゆさと体を揺さ振られて彼女は目を覚ました。
辺りはすっかり日差しが弱くなり…人の数も少なかった。広い教室の中に居るのは、私とクラスメイトであり新聞部員の柳沢友香だけだった。
「もう5時だよ?いつまでも部活に来ないから、心配で来ちゃったじゃない」
「5時!?6時間目は!?」
「もう、とっくの昔に」
慌てて顔を上げた優凪に友香はあきれ顔で答えた。
「次の特待生認定試験にかけてるのは分かるけどさ、少し根を詰め過ぎなんじゃないの?」
友香は優凪の家計の苦しさを知る、数少ない友人の一人だ。そうゆう事情を気遣ってかどうか、よく色々と奢ってくれる。
バイトの給料の大半を家に入れているので、自由に使えるお金は千円足らず。とても周りと同じ付き合い方はできない。
「昨日何時に寝たのよ?」
「えっと…2時頃かな。バイトで帰るの遅かったし」
「2時って…もう曲がり角過ぎてるじゃない。しかもバイトが終わってからそれまで勉強してたんでしょ?努力家通り越してバカよ、バカ」
茶化すように、呆れながら友香はでこピンをした。
「あんたは頑張りすぎなの。少しは休むことも覚えなさい」
「う、うん…ごめん」
少し赤くなった額を擦りながら優凪。友香はふうっとわざとらしくため息を吐く。と、思ったらガシッと優凪の手を取った。
「よしっ、今日はバイト無かったわよね。ならば、これから街のスイートを食べ歩くわよ!お金は私が持ったげる、部活も部長と副部長がいないから早々に終わってるわ。文句も心配もないわね?じゃあ出発っ」
「えっ、えっ?ちょっ、ちょっと!?」
どうにかカバンを掴んで、優凪は友香に引きずられるように教室を出た。友香は携帯を取り出して、他の友人を誘いにかかっているようだった。
ほとんどこんな感じで付き合っている二人だが、こんな友香の強引さが優凪は嬉しくて、羨ましかった。
「結城君、これお願い」
「岩下、すまないがこれもそこに並べてくれないか」
「は、はぃ〜〜」
ふらふらと結城は二人から両手いっぱいの書類を受け取って近くの机に置いてから、次にその整理を始める。その机の上には、整理した山と未整理の山がどうにか分類されて載っていた。
文化祭の2、3ヵ月前というだけあり、一部の生徒と大半の教師は所々との契約や話し合いを進めている。
その内容や計画を生徒会は把握し、あらかじめの承諾を取り、また何らかの問題が出ればそれの解決及び謝罪等々こなさなければならないのだ。
だが、同時に一学期の期末テストが近づく今、執行部員とはいえ簡単には使えない。
というわけで、成績にまったく問題のない3人が一切の仕事を引き受けることになっていた。
分担はパソコンの使える浚と美佳がデータの打ち込み、パソコンの使えない結城が整理ていう具合になっている。浚はもとより美佳はさすが生徒会長というだけあり、浚に負けず劣らず着々と仕事をこなす。
しかし、戦闘専門の結城は一般程度は雑用をこなせるものの、さながらコンピューターのごとく異常な速度であがる書類群に翻弄されていた。すでに限界に近いのだが、それでも働いているのはプライドか、減給の怖さか。
ともかく、紙一重で整理を追い付かせていた。
「岩下、次はこれ頼む」
「ま…待ってくださいっ!」
机に寄り掛かりながら、結城は浚に答えた。「少し休みませんか?さすがにこの量を3人でこなすにはちょっと…」
そう言って結城が目で指した別の机にはパソコンへの未入力、つまりまだ手も付けていない書類が30センチほどの厚みで、十数個の山を作っていた。一体これほどの書類をどうやって作ったのか知りたいくらいだ。
「そうだな…。会長、今日はこの辺りにしませんか?疲れたまま続けてミスを起こしても面倒ですし」
「そうね。じゃあ、このくらいにしときましょうか」
その言葉に結城は見えないようにぐっとこぶしを握り締めた。
「ただ、あとこれだけ片付けたらね。キリがいいから。それと、結城くんはその机に置かれた分はちゃんと終わらせること」
そう言い美佳が目の前に取り出したのは厚さ15センチの書類。
結城のこぶしから、ゆるゆると力が抜けていった。
「つ…疲れた…」
「あぁ」
中庭のベンチに座り、二人は缶コーヒー片手にぐったりとしていた。
あれから整理作業は程なく終了した。
しかし、直後に立案希望者が現れ、整理したファイルの中から過去の内容を探すことになった。
入力済みのものなら検索をかければ簡単だ。が、残念なことに未入力のものだったようで、よけい時間がかかった。
当初ホームルーム一時間前に終わる予定が、結局20分前になったのだった。
そして二人は、この後の一日を無事に過ごすべく、朝は人気のない中庭で体を安めている。
「しかし…学生ってのは大変だな。あれだけこき使われて報酬がないんだからな」
俺だったら絶対ムリだ、と感嘆とも似つかないため息混じりに言った。
「だからこそ執行部に好き好んで入るのも少ないんだろうな」
執行部員は、浚と結城を含めても8人しかいない。三年3人、二年3人、一年2人だ。
一年は今後入る見込みもあるが、会長曰く今度の文化祭にスタッフとして参加しないかぎり、ほぼ諦めたほうが良いとのことだ。
やはり傍から見ても執行部が辛いところなのは見えるのかもしれない。しかし、事実かなり辛いから隠そうにも限界がある。
「こんな状況いつまで続くんだよ」
「とりあえず、文化祭終了までは間違いなく続くだろうな。文化祭一ヵ月前はこれより忙しくなるかもしれないから、多少覚悟したほうがいいかもな」
「言わないでくれ〜…」
耳を塞いで苦悶する結城を見ながら浚がコーヒーを啜っていると、予鈴が校内に響き渡ってきた。残りを一気に飲み干すと立ち上がる。
「ほら優等生。遅刻なんてできないぞ」
「あ、あぁ」
結城が慌てて眼鏡を取りだして着けると二人は目を瞑り、一度深呼吸をする。スッと二人の顔が別のものへと変わった。
「さて…がんばりましょう、柄沢くん」
「あぁ。君もな、岩下」
こぶしを軽くぶつけ合い、二人は校舎の中へと姿を消した。
「………」
その二人の姿を、後ろからじっと見る人物がいた。
二人が完全に見えなくなると、その人物はきびすを返して反対方向へと姿を消していった。
優凪は頭の中で何度もシミュレーションしていた。
普段は自分から行動することはなく、基本的に受け身の姿勢だ。
しかし、今回は受け身になることはできない。相手が自分を知らないのだから当然なのだが。
「(大丈夫、きっと成功する。今日はまだ近づくだけなんだから…)」
廊下を歩いていた足を、2組と書かれた表札の付けられたドアの前で止めた。
昼休みのため、人の出入りは多い。それに紛れれば目立つことはないと踏んでいる。
「(新聞部だってみんなが知らなければ、の話だけどね)」
新聞部は活動内容がシビアなだけあり、結構目立つ部だ。少しでも関わったものは何と無しに部員を覚えていたりする。理由の一つに、美少女ぞろいという点もあるのかもしれないが。
優凪は小さく深呼吸して、あくまで自然にドアを開けた。案の定周りの話し声でドアの開ける音は消えて、気付いている人は少ない。
自然にかつ手早くドアを後ろ手に閉め、結城の席へ向かう。あらかじめ場所は調べてあるので迷うことはない。
席の前で止まると、結城がそれに気付いて優凪を見た。
――ビン底眼鏡なんて見かけないもの着けてるから、どうゆう人なのかと思ってたけど…意外と目鼻立ちはっきりしてるし、カッコ良いかも――
「あ、あの…僕に何か用ですか?」
結城の声ではっと我に返った。慌ててその場を取り繕おうとする。もはやさっきまでシミュレーションしていた手順なんて、どこかに飛んでいってしまった。
「あ、そのっ……」
ふと結城の読んでいた本のタイトルが目に止まった。考えをまとめずに、思ったまま喋る。
「な、ナポレオンっ。好き…なんですか?」
「あ、えぇ」
「すごい人ですよね。一日三時間しか寝なかったって話ですよね」
「確かにその話は有名ですね。けど、実はしっかり昼寝は取っていたんですよ。夜に深酒をしながら脂っこい物を食べて、神だ軍神だと言われてその責務のストレスを蓄めて、その上起きていなければならない昼間に寝て。そんな不規則な生活が死期を早めたといわれてるんです。今の生活習慣病みたいなものを患っていたのではないですかね」
「そ、そうなんですか…」
饒舌に説明する結城に気圧されながら、これはチャンスだとジャーナリストとしての血が叫んだ気がした。
瞬時に話の持っていき方をはじき出し、口に出す。
「ナポレオンって一般的に言われている人物像とだいぶ違うんですね。よければまた話してもらえますか?」
にこやかに返すと、結城も笑いながら返してくる。
「いいですよ。僕で良ければ」
そう答えて、結城はふと思ったように言った。
「ところで、どんな用事だったのですか?」
「あ、今度の会議。10分早く始まるから間違えないように言っておくように会長から頼まれまして。次の会議、私も出席するので。
「そうですか。わかりました、と伝えてください」
教室から出ると、どっと疲れが出てきた。スイッチが入ると確かに話すのが巧くなるのだけれど、その後の反動が強い。
――とりあえず話すきっかけはできた。うまく親密になって、柄沢浚との関係を聞き出さないと――
―――数日が過ぎた。
放課後になり、浚と結城はいつものように理事長室へ報告のため来ていた。
しかし、二人が入った時見知った顔はいつもの席に座っていなかった。
「ったく、木田ちゃんったらどこ行ったんだ?」
上官を゛ちゃん゛呼ばわりしながら結城はパソコンの置かれた机の前に座った。
「別に暇なわけじゃないんだ。いない時があってもおかしくないだろ」
「そうかぁ?あいつはいつも暇そうに見えるけど―――て、このパソコン電源入ってるし」
パソコンはモニターを消してあるだけで、電源が入ったままになっていた。
「まったく、消し忘れるなんてそろそろボケてきた―――」
結城がモニターの電源を入れ、映し出された画面を見た瞬間、声を止めた。
「どうした?」
壁に掛けられた賞状を眺めていた浚は、不自然な結城に歩み寄る。
画面に映し出されていたのは、一通のメール。
木田専用のメールアドレスは何重ものパスワードが掛けられ、普段入ることができない。容易に見られてはならないメールなども交換されるからだ。
タイトルには『緊急指令』と書き込まれている。浚はその下の本文に目をやる。瞬間、言葉を失った。
『片瀬統一議員の娘、片瀬美佳誘拐される。鳩派の一派と予想。部隊外への他言は一切無用』
――二人の、長い夜が始まろうとしていた――
どうも、ついに4章まで突入してしまいました。もう何もかも取り返しがつきません、この駄文の乱立は………。読んでくださっている方々に戴いたアドバイスを、何とか形にして見せようと努力にノリを――もとい努力を重ねているのですが、この阿呆には実現はなかなか困難らしく、、、本当にすみません。今後どうにかしていきますので、子の場を借りて謝罪とお礼をします。 次回より展開が本筋へと動き始めます。そして、徐々に彼ら彼女らの抱えるものが浮き彫りになって(いく予定で)いきます。どうかこれからも『変・人』をよろしく!