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蛇念坊~大山鷹一郎の不思議捜査シリーズ~その2

最終章の続きです。

木曽義高と大姫の悲劇をメインにしています。

24 


川北商工会議所会頭の兼末明と沖皇尊成、それに川北市長与里重琢磨の3人は、川南にある料亭『翁美屋』にいた。ここは歴史ある料亭で、県内は元より西日本でも有数の高級料亭でもあった。

料理はさほど多くなかったが、キンメダイやノドグロなど、このあたりではなかなか見ることがない魚の煮つけや刺身が並び、芸者も多くいた。主に兼末会頭と与里重市長が話を盛り上げ、尊成はニコニコしながら話を聴いているという展開だった。


「本当に市政も助かりますね、市長。」

「ええそれはもう・・・お話があった時にはどうなるかと思いましたが、本当に良かった。会長の御英断に感謝です。」

「そう仰っていただければ嬉しいですわ。前の市長さんが官民で盛り上げようと言うお話がありましたのでね。そこに乗っかってしまっただけですよ。皆さまのおかげです。この通りですわ。」

「いえいえ!とんでもなかです!どうか頭を上げてください!」

市長と会頭が感謝するのも無理はなかった。年々赤字が増していた川北市においては、数年前に小さい油田が出たとは言え、まだまだ不足だったのだ。それが一気に税収アップとなったのだから、それは感謝してもしきれないところだ。

「ところで、私が気にしてもどうにもならないのですが、あの事件の進展はどうなっておるのですかな?」

「あの事件?」

「あのほら・・・一応私どものライバルと申しますか・・・。」

「ああ!光田さんの件ですね。いやあ、どうなんでしょう。市警からはまだ大した報告はなかですね。何かあれば市長の私に連絡はあるはずですから。」

「あれは・・・悲惨です。数年前から何かしら妙な事件が起こっておりましたのですが、ここしばらくは何もなかったですからね。」

「妙な事件と申しますと?」

「連続猟奇殺人事件とか、テロとか火山の中に身投げとか・・・こんな農業地域でなんでかいなって思うておったんですが、市警の大山という者が全て解決してくれておるんです。おまけに油田まで見つけてくれて。私どもは彼が早く署長になってほしいと思うて・・・あ、いかん!山内は友人じゃったわ。」

「わははははは!」

ブラックジョークも飛び出すほど友好な雰囲気だったのだが、尊成の内心は全く別のことを考えていた。拡大路線は息子たちに任せておくとして、地盤の安定を尊成が行わねばならない。

「興味ありますね、その大山さんというお方。ぜひご紹介いただけませんか。」

「ああ、それは一向に構いませんよ。あの人は、今は自粛と言いますか、あまり動けていないので。」

「それはなぜです?」

「その光田さんがいた『SKディストリビューション』は、彼の彼女の弟なんですよ。まだ結婚してはいないんですけど、ほぼほぼ身内の事件ちゅうことなのですよ。」

「ほう、そうなんですか。それなら好都合。ぜひよろしくお願いします。」

市長の行動は早かった。その日の内に大山に連絡を入れて、セッティングを何もかも済ませてしまった。

大山は驚いた。尾加田から、少なくとも元極道の睦海興行と関りがあるはずだと報告があったばかりだったからだ。

市長の頭の中は税収しかなかったのだろう。加えて、寄付金もだが。

市長らとの懇談の後、2日後に大山は川北市唯一のリゾートホテル『ラ・カッサ・デル・ジオ(おじさんの家)』にいた。ⅤIP専用の部屋に通された大山は、同席した兼松市長にささやいた。

「市長、私は場違いなところじゃないですか。なんでこんなところで?」

「副署長、これも公務だよ。なにせ相手が相手だ。粗相のないように頼むよ。」

大山は本当にこういうところは苦手だった。羽間同様に叩き上げだったので、居酒屋最高主義者だったからだ。どうしても会いたいからというので、幾つかの仕事を羽間に任せるしかなく、それも嫌なことだった。

内心でブツブツ文句を言っていると、大柄な沖皇尊成が為人と入室してきた。

「お待たせいたしましたね。あなたが・・・大山副署長さん?」

「はい、初めまして。大山鷹一郎です。」

「あなたの御高名は市長さんからも伺っておりますよ。そのようなお方とはぜひ馴染になっておきたくてお願いした次第です。お忙しいところを申し訳ございません。」

尊成たちと大山たちは、丸いテーブルの四方に座った。


いかにも自分の手柄であるかのようにふるまう市長に辟易しながら、大山は尊成を何気なく観察した。大柄で苦労してきたであろう成功人のオーラをプンプンさせている尊成と、父親の傀儡にすぎなさそうな為人という図式を、大山はすぐに見抜いた。

これは現場で鍛えられた大山のスキルだった。

「それでは乾杯といたしましょう。乾杯!」

市長の音頭でワインを開けたのだが、大山はビールの方がありがたかった。こんな酸味のある飲み物はどうにも性に合わないのだ。

「・・・ということです。副署長、これで良かったでしょうか?」

「え?は、はい。」

市長はいかにも親しそうに大山の業績を尊成に紹介したのだが、大山はどうでも良かった。こういう雰囲気の部屋が性に合わなかったこともあったのだが、それ以上に大山の内面にあるもうひとつの人格が激しく反応していたのだ。

それが何なのかはわからなかったのだが、とにかく『ざわつく』のだ。

「私もですよ、副署長。」

大山が何も話していないのに、尊成が突然話しかけてきた。

「え?・・・私がなにか言いました?」

とっさに大山は誤魔化したのだが、内心驚いていた。

「・・・え?ああこれは失礼いたしました。歳のせいでしょうかねえ、こういう席では誰が何を仰ったのかわからなくなる。お気にせずに。」

大山は気のせいだったかと思った。だが胸のざわつきはずっと続いていた。

(どうもおかしい。やっぱり何かあるな、この男・・・。)

表向きは笑顔で歓談していたのだが、大山は一刻も早くこの場を去りたかった。去りたくなったということは、決して相容れない何かを持っている相手だということだ。大山は会話をしながら頼朝の記憶を遡るという困難な作業をしていたのだが、ある映像が浮かんできて止まった。

それは、一段高いところに座していた子供の姿だった。どこかおどおどしていて、頼朝は一通りの口上を述べただけですぐに立ち去ったシーンだ。

その映像を見た瞬間、大山のスマホが鳴った。かおるからのメッセだった。

「すみません、仕事の用事でして。すぐ戻ります。」

大山は座を離れ、メッセを見た。

『タカちゃん、すぐそこを離れて!危険よ!』

大山は言われなくてもそうするつもりだったので、レスする間もなく座に戻り、申し訳なさそうに伝えた。

「すみません。事件で戻らなくてはなりません。私はここで失礼させていただきます。」

一同が残念の意を伝え、大山はホテルを後にした。そして車に乗り、かおると精神感応状態に入った。

(あれは・・・あのお方なんだな。)

(タカちゃんの精神がすごく動いたので、あたしも気が付いた。とうとう・・・現れたわね。)

(ああ。気をつけて臨まないとな・・・手ごわい方だ。)

大山もかおるも、さらには山高や羽間も気が付いているはずだ。共通の敵が、ようやく姿を現したのだ。


25 


「署長が?」

羽間は光田関連の捜査から署に戻ると、山内が復帰したとの報告を受けた。羽間は署長室に飛んでいった。

「失礼します!羽間、入ります!・・・署長お身体は・・・わー!汐田さんも!お久しぶりです!」

「よおケン、久しぶりやな。主任だって?良かったじゃないか。」

「とんでもないですよ。署長、もうよろしいので?」

「・・・まあ、よろしいわけではないがな。でもなあ、もうじっとしとるにも飽きてしもうたんや。やっぱり現場はよか。おまけに汐さんが迎えにきてくれてな。」

 やはり署長がいると違うものだなと羽間は思った。このベテランがドンと座っているだけで安心感がある。残念だが、それはまだ大山にはないものだった。

「それで早速なんだが、タカから報告は受けていたことだが・・・あの斬首事件の進展はどうなっておるんだ?」

「はい、それなんですが・・・副署長と私は別に行動しています。私の方は、凶器関連で逮捕した男女がいましたが、彼らは殺人とは無関係でした。それで現在は別ルートで捜査しています。凶器と思われるものが日本刀とは限らないですから。ただ・・・鑑定では限りなく日本刀だとされているんですよねえ・・・。」

「なるほどな。茂天の鑑定は信用に値する。それならそういうことになる・・・。」

「ちょっといいか?」

汐田が割って入ってきた。

「なんだい?」

「城次は限りなく日本刀だと、そう報告したんだな?」

「はい、そうです。」

「ふぅ〜む・・・。」

「汐さん、どうかしたのか?」

「いやね、城次という男は俺なんざ足元にも及ばないくらいにガチガチの鑑識をやる。その男が限りなく・・・という曖昧な表現をするのがちょっとな。」

羽間は汐田にも驚いた。やはりこの2人はすごいと感心させられる。

「城次は来れるのかい?」

「はい、大丈夫だと思います。」

羽間は茂天を所長室に呼び出した。今の件に関する資料を持ってくるようにと。やがてやってきた茂天は、汐田を見て驚いた。

「汐さん!あんた川南の嘱託だろ?戻ってきたとや?」

「城次、久しぶり。いやあ、あちらが一息ついたんで山さんの退院祝いにね。ところで、その資料見せてくれるか?」

2人のベテラン鑑定士は資料のチェック作業に取り掛かった。こうなると何を言っているのかさっぱりわからなくなる。超専門用語が飛び交うので、警察官2人は黙っているしかなかった。

そして2人は顔をあげた。茂天が口を開いた。

「署長、主任、我々の結論は同じでした。限りなく日本刀ではあるんですが、古いものです。」

「と言うと?」

「おそらく、7世紀くらいの古代の刀です、これは。」

「それは・・・どう言うことだ?」

「それは俺から言おう。専門的なことは省く。まず、この傷は反っていない。まるでギロチンで切ったような痕だ。よく知られている日本刀は斬るときに円を描くように斬る。その場合、どうしても切断面の上皮が円を描きやすい。これは首を横から水平に薙いでいる。それから、よく調べなければわからないが、日本刀で斬るのであれば、よほどしっかり踏ん張らないとできないだろうな。だがこういう使い方ができるのは、重い刀を強い力で動かさなければできない。青龍刀に近い重さがある武器で、しかも青龍刀ほど重くはない。日本にある刀と言ったらこれしかない。西洋の刀の厚みは大きいのでこれではない。だがそうなると別の問題が出てくる。」

「汐田さん、それって?」

「被害者の他に足跡が一切見当たらない。これだけの刀を、水平に薙いで人の首を斬れる。相当にでかい奴でなきゃ無理だ。あるいは上半身の力が異常に強いか。そういう場合に、足跡が残らないようにするにはどうすればいいと思う?しかもだ、ここは森の中とはいえ、上には枝のようなものはない。何かに飛びついて逃げるような真似は無理だ。さらに言えば、被害者は車から降りてきてここまでの足跡はある。だが乱れた形跡もない。」

汐田はため息をついて、茶を飲んだ。

「城次、その後言ってやれよ。お前さんが鑑識長だしな。」

「そうだな。ありえないことなんですが・・・おそらく犯人は被害者光田の知り合いもしくは初見であっても知っていた人間でしょう。そして犯行方法は・・・。」

茂天は額の汗を拭いた。熱気や興奮から出る汗ではなく、冷や汗だ。

「犯人は最初からここに、いきなり現れて・・・会話の最中に犯行に及び・・・そして・・・消え去ったと、言うことになります。まだ決定的ではありませんが。」

羽間も山内も言葉を失った。2人が思い出したのは、天原剛助殺人事件だ。あの時にも狐の毛が残っていたりして混乱したものだ。

結果として中国マフィアによる殺人と断定されてはいるのだが、いまだに犯人は特定できていなかった。

「おいおい・・・せっかく早期退院してきたのに、またこういう事件かい。参ったな。」

山内のぼやきを聞きながら、羽間の中の佐々木盛綱と玉藻前は感応状態にあった。

(これは、どういうことだ?)

(恐ろしいことです。覚醒し始めています。)

(やっぱり、か・・・。)


26  


大山はかおるの事務所にいた。大山が覚醒して以降、なにげに部屋のレイアウトが変化してきていた。ハワイ好きだったかおるの部屋に和風テイストが散見されるようになり、何とも奇妙な感じになってきていた。

最も変化した部分は、4LDKあるマンションの一室が完全に和風になっていたことだ。ポータブルの囲炉裏が置かれ、まるで武家屋敷の一室のようになっていた。この日大山は、ここに座っていた。

普段の警察官としての雰囲気は全くなく、妙に落ち着いて迫力さえ感じさせていた。大山は茶を飲みながら、かおると話し合っていた。

「今回の光田さん事件だが、やはりあのお方の仕業だろうな。」

「そうね。まず間違いないと思う。だけどあのやり方は・・・ちょっと納得できないわ。いくらあの方の転生だとは言え、あんなやり方が可能なのかしら?」

「あれはもう別の何かがやっているとしか思えない。」

大山とかおるは、5年前のプラーナ・ベイチャックのことを思い出していた。あれは麻薬で人を操るというものだったのだが、今回はどうも違う。阿修羅や後白河院との戦いは、大山とかおる、それに山高が遭遇したから発生した戦いだった。

しかし今回はそのような出会いはなさそうだ。となると、相手がいきなり力を使ってきたということになる。その意味の深さを、大山とかおるは熟知していた。

「・・・そうなると、本当に恐ろしい。一体何が・・・?」

「尋常ではないわ。おそらくは後白河院のように、あの蛇骨のようなものが・・・。」

「春道さんは何も?」

「ううん・・・何も言わない。いや、言えないんだと思う。相手が蛇骨の力があるんだったら、迦楼羅が出てこないと難しいわね。」

「迦楼羅か!・・・それも厄介だな。」

2人はかつて康安寺を中心に行われた、迦楼羅をはじめとする蛇骨と八神の戦いを知ってはいたのだが経験していない。この話題になると、あの春道が無口になるということは、それだけの激しい戦いがあったのだろう。

蛇骨と八神の戦いは高次元で行われていたとは言え、現次元とも連動していたために日本史上最大の戦死者を出すことになってしまった。それだけの影響力があったのだ。

その戦いが再び現代で行われようとしているのだろうか。大山は深くため息をついた。

「そうならないように、全力で阻止するしかない。で、お前の調査ではどうなっている?」

「まだ光田さんと、例の沖皇との接点はない。でも絶対に何かある。その何かがあって光田さんはあの森に出向き、普通に話していた。そしていきなり殺された・・・。」

光田がわざわざ車であの森まで行っているという事実は動かしようがない。

「ケンの報告だと、光田さんの実の娘が釈放されたので、小四郎くんとこに入社させたらしい。まだ会ってはいないけど、かなり光田さんを憎んでいたようだ。複雑・・・どうした?」

かおるが急に涙をこぼしだしたのだ。

「え?・・・あれ・・・どうしたのかしら。変ね・・・あら?タカちゃんも泣いてるよ。」

「なんだって?・・・本当だ。なぜなんだ?」

大山もかおるも、意味がわからなかった。

「なんでかしら・・・魂のレベルなのかもね。一度会ってみる必要があるかもね。」

「そうだな。明日にでも小四郎くんに訊ねてみよう。あ、ちょっと待って。思い出したよ。今彼女の面倒を見ているのは伊加ちゃんだ。確かそうだ。」

「ああ、麗子?そうね、あたしは時間があるよ。タカちゃんは?」

「明日は、山内署長の復帰祝いなんだ。時間は割けないだろうな。」

「わかった。あたしが会ってくる。なんて名前?」

「ええと・・・ああこれだ。大倉美也希だ。」

翌日、かおるはSKディストリビューション本社にいた。麗子には連絡をつけているので、もうすぐ美也希と共にやってくるはずだった。理由付けとしては、何かしらの情報があれば訊いておきたいから、ということにしておいた。

「失礼します。かおるさん、お待たせしました。美也希ちゃん、お入りなさい。」

麗子が促し、おずおずと美也希が部屋に入ってきた。新しい服を着ていて、髪も黒くしていた。以前のヤンキー風とはえらい違いになっていた。


「・・・こんにちは。」

「美也希、ここに座りなさい。」

美也希は言われるままに、かおるの前に座り、麗子はその後ろに座った。

「はじめまして、白水かおるです。ここの社長の姉なの。よろしくね。」

「・・・はい。あ、あの。」

「なあに?」

「・・・いや、いいです。なんでもないです。」

「どうしたの?遠慮しないで言ってちょうだい。」

美也希は麗子をチラ見した。色々と世話をしてくれた麗子を頼っているようだ。麗子は口パクで、大丈夫、と答えた。美也希は頷いて、かおるに語りかけた。

「あ、あの!あ、あたし・・・変、なんです。」

「なにが変なの?普通じゃない。」

「違うの!・・・あ、すみません。」

「いいのよ・・・でもね、それ言うならあたしも変なのよ。」

「え?」

「あたしの婚約者は、ここの副署長なの。昨夜ね、あなたのことを婚約者と話していたら、なんでかしらねえ・・・涙が出てきちゃったの。変でしょ?」

美也希はぽかんとして、そしてすぐに驚いて口に両手を当てた。

「な・・・なんで・・・。」

「どうしたの?」

「・・・あたし!あなたを見た時・・・えと・・・懐かしい感じがしたの!だから・・・変なの・・・前に、刑事さんに会った時にもそんな感じがした。生まれる前に会ったことがあるって・・・あたし、きっと精神病なんだ・・・ねえ、そう思う・・・?」

美也希は怪訝そうな顔をした。目の前の初対面の女性が、急に顔をクシャクシャにして泣き出したからだ。

「う・・・う・・・うわあああああ・・・。」

「ど、どうしたの・・・麗子さあん!」

麗子もどう対処していいのかわからなかったのだが、ハンカチを取り出してかおるの元に行き、声をかけた。

「かおるさん・・・?どうされました?」

「・・・わからない・・・わからないけど、感情だけがこみ上げてくる・・・なんなのこれは?」

「あたし・・・やっぱり疫病神なんだ・・・ここにいてお仕事していいのかな・・・。」

「ミヤッペ!そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!ほら、お水持ってきて!」

美也希は先ほど教えられたように、業務用冷蔵庫から冷えた水をコップに入れて持ってきた。冷水好きな小四郎用なのだ。

「お水・・・どうぞ。」

「ありがとう・・・。」

かおるは一気に飲み干し、そして大きく深呼吸を数回行い、ようやく落ち着いた。麗子から貰ったハンカチで顔を拭き、麗子に声をかけた。

「麗子ちゃん、ごめんね。これ、後で洗って返すわ。」

「いいえ!お気になさらずに・・・でも、もうよろしいんですか?」

「ええ・・・大丈夫よ。」

かおるは美也希に向き合った。

「あたし、お化粧取れちゃってる?ごめんね。続けていいかしら?」

「うん・・・は、はい。」

「確かに、あたしも変よね。あなたはわからないけど、あなたと話すうちにね、意味がわからないままに悲しい感情がこう、わっとこみ上げてきたの。でも、なにが変かどうかはわからないから置いといて・・・お互い似たようなものじゃない?」

美也希は目を丸くした。

「・・・そうなんだ・・・あたし1人じゃないんだね。変な人って。」

麗子は思わず吹き出した。美也希も変だが、かおるはもっと変だからだ。

かおるも一瞬驚き、そして大笑いした。

「そうよ。だから、何でも話してほしいの。よろしい?」

「はい!」


27 


夜10時、SKディストリビューション本社内にある社長室に、白水小四郎は1人でいた。そして酒を飲んでいた。目の前のタブレットには、光田季彦と肩を組んで酔っ払っている画像が映し出されていた。

「もうこれ・・・12年も前か・・・なーんにもなくてよ、お前と2人でさ、大金稼いでやるってほざいてたよな。これは・・・汚ねえ居酒屋だったよな。何を食ったっけ?・・・へへへ、覚えてるわきゃねーか。」


小四郎が会社を立ち上げたのは、光田と知り合ったからだった。

「まだ20代の若造によ、お前言ったよな・・・あんたは俺が全てを捧げるに値する人だって。よく言うよ・・・お前だってさ、女房の浮気相手に会社乗っ取られて逃げてきたくせに。俺は俺で・・・何をやっていいのか全然わかんなくてよ。姉貴に食わせてもらっていたプーだった。何が社長だって。何が大金だって。ボロボロになってたお前に、パン買って食わせて一晩部屋貸して泊まらせただけじゃねえか。お前の寝言、ひどかったぜ。大倉殺してやる・・・とかさ、さえ!・・・とかさ、みーちゃん!・・・とかさ。何があったんだろうね、お前に。俺はお前のことはよく知らねえし、仕事のことも何にも知らねえ。でもお前が経営のことを語るからさ、俺、知らねえじゃん。悔しくてさ、知らねえから勉強した。いっぱい本読んだよな。そしたらよ、いきなりお前が飛んできてさ、中古トラックが手に入るから、運送でもしましょうよって・・・ビックリだよな。それからだよ・・・仕事がうまくいってさ、会社起こしてさ、とうとうビルまで持っちゃってさ、いっぱい従業員いれちゃってさ!全部お前が総務で仕切ってくれてたからうまくいっただけなんだよ!俺はただふんぞり返ってただけじゃねえか!それなのに何でお前は!・・・何でお前は!・・・死んじまったんだよお・・・光田あ・・・。」

小四郎は泣きながら、ウイスキーが入ったグラスを一気に空けた。ここまでになったら、業務自体は市川や麗子たちでもどうにかなる。しかし、小四郎の横には常に光田がいた。

専務も副社長も置かず、社長と総務だけが執行部だった。そろそろ役員も作らないといけませんねと光田が言ってきたのに、小四郎はまだいいと言って作らなかった。

沖皇という強すぎるライバルが現れて、小四郎は孤独だった。目を閉じればいつも、光田のニコニコ顔が浮かんでくる。小四郎は深くため息をつき、ウイスキーを注いでまた飲んだ。

いくら飲んでも酔えそうになかった。つい先ほども取り引き先相手の社長と付き合いしてきたところなのに、何をどう話したのか、さっぱり覚えていなかった。右肩上がりだった業績もどんどん低下してきていた。

光田がどれだけ才能あったのか、切実に感じていた。

「俺もう・・・ダメなのかな・・・。」

いくら飲んでも酔いそうもなかったので、小四郎は部屋を片付けて帰ろうとした。

すると部屋をノックする音が聞こえてきた。

「誰?」

「あの・・・伊加です。」

麗子の声だった。

「おう、入れ。」

小四郎はオートロックを解除し、ドアを開いて入ってきたのは、麗子と美也希だった。

「社長、いついらしたんですか?あたしたち、業務引継ぎの後に大倉さんと食事していたんですよ。そしたら明かりがついてるものですから。」

「ああ、すまんすまん。俺も取り引き先と飲んでてな、終わったんで、ここで1人飲みしてたんだよ。」

「そうだったんですか。もうお帰りになるんですか?」

「ああ。」

「それじゃあたしたちと帰りましょうよ。美也希、お部屋の片づけしましょ。」

「はい。」

「ああ、いいって。俺の部屋なんだから、明日俺がやるよ。女性2人、夜は危ねえよ。タクシー呼んでくれ。」

「そうですか?じゃあ明日お片付けしますね。美也希、ええと・・・ここにお電話してくれる?2台お願いしますって。」

美也希が電話している間に、麗子は小四郎の荷物などをまとめた。そして机の上のタブレットに目が止まった。

「あら・・・部長が・・・お若いですね。」

「ああ、俺も若いだろ?」

「え、ええ。」

「そこは素直にそう言えよ。」

 麗子のスマホを切って、美也希が声をかけてきた。

「えと・・・すぐ来るって・・・来るそうです。」

「美也希、ありがとう。」

小四郎は立ち上がろうとして、ふらつき、倒れそうになった。

「社長!危ないですよ。あたしの肩につかまってください・・・美也希、ちょっと手伝って。」

「はい。」

美也希は麗子の反対側で、小四郎の腕を肩に抱えた。

「それじゃ立ちますよ、せーの。」

酔っていないつもりだったが、小四郎は結構な量を飲んでいたようだ。足腰が言うことをきかなかった。

「悪い・・・酔っちゃってたよ。」

「いいですから!美也希、歩くよ。」

美也希の返事がなかったので、麗子は眉をひそめた。

「美也希、ちゃんとお返事しなさいって・・・。」

「この人が・・・あたしの・・・お父さんなの?」

美也希の目はタブレットに向いていた。画像には、日付とメモがあり、『俺と光田』と書かれていた。美也希はそこが目に留まったのだ。

初めて見る、憎くてたまらなかった実父の顔をまじまじと見つめていた。

「あたし、お父さんの顔って知らない。こんな人だったんだ・・・。」

「美也希!」

麗子が大声をあげた。小四郎はもう返事もできなくなっていた。

「後で話すから!今やることは何?やるべきことをやるのが社会人よ!歩くよ!」

「・・・うん。」

麗子はタブレットを小四郎のバッグに押し込み、美也希と2人で玄関に向かい、ロックした。タクシーはすでに停車していた。

「ミヤッペ、これが業務ビルの鍵。あんたはこの車で帰っていなさい。ここのタクシー代は会社持ちだから。心配いらないからね。」

「でも・・・麗子さんは?」

「あたしは社長を送ったら家に帰る。いい?」

「はい・・・あの、麗子さん。」

「なに?」

「明日・・・あ、いつでもいいけど、お父さんのこと教えてくれる・・・ますか?」

麗子は小四郎を玄関に寝かして、美也希の前に立った。

「わかった。一度はちゃんと教えてあげなきゃって思ってたとこ。明日はお父さんレッスンね。じゃあおやすみ。」

「・・・おやすみ・・・。」

美也希は何度も振り返りながら、タクシーに乗り込んだ。麗子はもう一台のタクシードライバーに手伝ってもらい、小四郎を車に押し込んで、小四郎のマンションに向かった。

「社長!着きましたよ!社長!」

「お?・・・うん・・・。」

「歩けますか?」

「お、おう・・・。」

麗子は小四郎に肩を貸してタクシーを降り、また次を呼ぶからと言ってマンションに入っていった。麗子は小四郎から鍵を借りてドアを開け、エレベーターに乗って最上階に着いた。そして小四郎は何とか部屋のドアを開け、居間のソファに倒れ込んで大いびきをかき始めた。

「フー・・・にしても社長、汚いわねえ。」

小四郎はかつて結婚していた時期があったのだが、すぐに別れていた。以来、男やもめだ。麗子は小四郎にベッドから毛布を持ってきて着せて、無造作に置かれた本を重ね、キッチンに溜まっていた食器を洗って収納し、そしてエアコンのスイッチを自動に設定した。

気が付けばかれこれ1時間経過していた。

「あー疲れた。これでとりあえず・・・。」

麗子は小四郎の横に行き、どうせ覚えていないだろうなと思ったので、スマホにメッセを送り、片づけと美也希のことを小四郎のメアドに送った。起きた時に見て貰えればそれでいい。そして小四郎に近づいて、声をかけた。

「じゃあ社長、失礼します。」

去ろうとした時、小四郎が何か寝言を言った。

「・・・妙子・・・。」

麗子はその名を知っていた。小四郎の前の妻の名前だ。妙子の実家が小四郎との結婚をずっと反対していて、結婚後にも色々あったようだ。その話は酒の席で聴いたことがあった。

「奥さんのこと、まだ忘れられないのかしらね。」

麗子は小四郎の横に座り、そっと手を小四郎の胸に置いた。

「おやすみなさい。では、失礼し・・・。」

小四郎が、いきなり麗子の手を握ってきたのだ。

「社長?起きたんですか?」

麗子は小四郎の様子を見ようと顔を見て、そして驚いた。小四郎の目から涙がこぼれていたのだ。そして麗子の手を握る手の力は、振り切れるほどではなかった。強引に手を抜こうと思えばできるだろうが、そうすれば起きてしまうかもしれない。やがて離せるだろうと判断し、麗子は諦めてそのまま座っていた。

だがスマホを操ることも容易ではなく、やっとのことで母親にメッセを送ることができた。今夜は遅くなるから戸締りしていてくれと。だがいつまでたっても小四郎の力は弱くならなかった。

「困ったわねえ・・・。」

麗子は小四郎の顔を何も考えることなくじっと見た。安心したのか、寝息を立て始めていた。考えてみたら、いつもしかめ面の社長しか見たことはなかった。

業務の大部分は光田が行っていたとはいえ、その光田はいつもこう言っていた。

『ああ見えて、社長は私がやりやすいように動いていてくれるんだ。だから私はあの人について行くんだよ。君たちにもいずれわかる時が来る。』

麗子は光田の言葉が、今は何となく理解できた。人は寝顔に真実が見えると、中学時代に担任から聴いたことがあった。子供のようにすやすやと眠っている小四郎の顔を見ていて、麗子は自分たちに決して無理強いすることはなく、気が付いたら社長が動いていてくれたことが多々あったことを思い出した。

きっと自分たちにはわからない苦労があるんだろうなと思った。そう思いながら見ていると、少しだけ手の力が緩んできた。麗子は手を離そうとしたのだが、そのままにしておいた。小四郎の寝顔をずっと見ていたくなったのだ。

麗子は力を抜いて、寝ている小四郎の横に体を預けるようにして座り直し、さすがに疲れてきた目をこすった。通常業務も増えたのに、美也希の教育というのも大変だった。社会常識があまり通用しない若者だったので、いちいち教えなければならない。

ダブルの疲れがどっと押し寄せてきた。そして麗子は小四郎と手をつないだまま、寝てしまった。起きたのは、深夜零時過ぎだった。

麗子は戸締りなどを済ませ、小四郎の部屋を出た。タクシーを拾って帰る途中、麗子は小四郎が握っていた手をさすった。なんとなく、これまでとは違う感情が浮き上がってきていた。


28 


川南署内で、岡島と汐田は資料を目の前にして話していた。両者の前にはタブレットがあり、岡島の動きが汐田のものとリンクするように設定されていた。見ていたのは、犬を殺した矢の先の映像だった。

「で、このボウガンの矢なんですけど、これがどうも日本製ではなさそうです。おそらくですけど、これは購入ではなく自作なんですよ。」

岡島は次々に既存の矢を表示させたが、確かにどれとも違う形状だった。

「なるほどなあ・・・自分たちで作ったのか。足がつかんごつだろうな。となると逆に明らかじゃないか。間違いなく極道のやり方だよ。抗争の時とかに使うつもりだったんだろうな。となると・・・。」

「睦海興行ですかね。」

「おそらくな。だが証拠がなあ・・・この矢の成分鑑定はやったんか?」

「いや、まだです。金属製というだけです。」

「よし・・・そこからだな。鑑定総力でやるよ。」

「ありがとうございます。」

すると汐田は何かを思い出したようにニヤリと笑った。

「そう言えばあんた、あの尾加田と同級生なんだってな。」

「え?ああ、そうなんですよ。タカと3人でつるんでましたね。悪さばっかりしてましたよ。」

「あの尾加田という野郎、えらく面白いな。」

「そうなんですよ。ワルぶっていてもワルじゃなくて、どこか真面目なんですよね。そのギャップが面白いでしょ。」

「その尾加田がな、この間俺に会いに来たんだよ。」

「ここにですか?あの野郎、俺を無視しやがって。」

「あんたはおらんかったよ。受け付けで、汐田のおっさんおらんかって怒鳴ったらしい。あの男、あやうく別荘に泊まるはずだったばい。」

「・・・相変わらずだな、あいつ。」

「それでだ、尾加田が何で来たのかってことだ。あいつは昔のワル仲間に色々と聞いて回っているらしい。大さんにも伝えたそうなんだが、俺だけの耳に入れたいことがあったんだ。」

「なんですか、それ。」

汐田はスマホを取り出して画像を出し、岡島に見せた。

「これなんだわ。」

「・・・なんですか、これ・・・丸くて・・・蛇が彫られていますね。」

「これがどうもな・・・妙なことに目撃者が多いんだ。例えば車の後部にはりつけられていたり、家の玄関にあったりとな。で新米さんが、たまたま道で拾ったそうだ。届けるついでに、俺に訊ねようと思ったんだとさ。」

「で、これは?」

「これはな、刀の柄だよ。」

「鍔ではなくて?」

「そうだ。いわゆる日本刀のものではない。かなり古代のもので、おそらく7世紀くらいのものだろう。これはな、日本刀に進化していく過程でできたもののようだ。成分分析の結果、そうらしい。柄の下につけていたもののようで、この頃から製法が変わっていったんだろう。これは別に作って柄につけていたようだ。」

「へえ・・・え?・・・ちょっと待ってください・・・。タカが言っていましたけど、あの事件で使われた凶器は古代の剣のようなものだって・・・ひょっとして、その可能性があるんですか?」

「まだわからんよ、だが、これがあちこちで見かけるということが気になる。お前さん、調べてみたらどうだ?」

「わかりました。早速調べてみます。」

岡島はその日の内に尾加田に連絡した。

「お前さあ、警察に来る時くらい俺に連絡しろよ。警察なんだぞ、うちは。」

『アホ。カザフではなあ・・・。』

「ここは日本だっつーの!いい加減に慣れろよ。それでよ、あの柄のことなんだが・・・。」

『ああ、あれな。タカに聴いていたことと関係あるんだがよ。ええとなんつったっけ、あの新興会社は。』

「沖皇か?」

『ああ、それそれ。かおるちゃんの弟の会社から鞍替えしたって会社回ってみたんだわ。そしたらこれが必ずある。意味はわからんが、こりゃなんかありゃせんかいって思ったわけよ。』

「・・・なんだそりゃ。」

『お前にゃわからん感覚だろうけどよ、中央アジアの大草原にいるとさ、こういう妙な組み合わせがあるってことに気が付くんだ。たとえばカザフではサソリが一番危険なわけよ。で、何かしらあるとこに行ってみたら、サソリがいたり、もしくはサソリ関連の何かがあることって多い。これは理屈じゃなか。現地の人たちが感覚で言い伝えしてる伝説すらある。何もなければいいけどよ、もしこれかが解決の糸口にでもなるかもしらんだろ。それが頭にあったんで、これが目に付いたってわけよ。』

岡島には尾加田が何を言っているのかわからなかったのだが、決して嘘やいい加減なことを言う人間ではないと知っていたので、調べてみることにした。

「わかった。調べてみるが・・・これ、タカにも言ったか?」

『これからだよ。あいつも忙しそうだしな。』

「お前から連絡あるぞって言っておくよ。また何かあったら教えてくれ。」

『よっしゃ、まかせとけ。』

岡島は、大山にメッセで連絡を入れておいて、尾加田が回った会社を探ってみた。確かに社用車につけてあったり、玄関に飾ってあったりしていた。SKディストリビューションの取引先はほとんどが川南だったので、それがどのような企業なのかは十分に把握できていた。

だが関連性はそれだけだった。他に共通点は考えられない。

(剛の言ってること、マジなんかなあ。)

仮に脅迫があって、これがその目安になっているとしたら、誰がやったのか。あるいはただの流行りなのだろうか。岡島が調べれば調べるほど袋小路に入っていきそうになってところに、大山から連絡があった。

『おう、今確認した。あれに関してのデータはこちらにもない。だが、かおるが見てみたいそうなんだ。その柄があるところに案内してくれないか?』

「おお、いいよ。何かしらわかるといいな。」

その日の夕方近くになって、かおるは川南署に到着した。

「はじめまして。岡島です。白水さん・・・いやあ、お綺麗です。あいつには勿体ないな。」

「あら、ありがとうございます。では早速拝見してもよろしいですか?」

「そうですね。一番近いところは、ここからすぐの前田産業ビルです。見た目は怖いですけど、カタギですから安心ですよ。」

かおると岡島は、川南署から徒歩5分のところにあるビルについた。

「ああ・・・これ、ですね。」

「そうですね。ここは玄関にあります。」

岡島とかおるが眺めていると、玄関が開いて長身の黒いスーツの女性と、一見マフィアのようないかつい顔の男が出てきた。

「なんや、あんたら。」

「ああ、申し訳ないです。私は川南署の岡島です。」

岡島は警察手帳を見せながら自己紹介した。

「警察?うちはなんも悪いことしてなかぞ。気色悪いのう。おい、植子、後は頼む。」

 どう見てもヤバそうなのだが、一応カタギと判っていたので岡島は気にしなかった。残った長身の女性が応対した。


「警察の方?どのような捜査で?」

「まあそれはまだ申し上げるわけにはいきませんが・・・あなたはこちらの方ですか?」

「はい。秘書の七城植子と申します。」

「七城さんですか。ちょうど良かった。このマークは最近の流行りなんですか?あちこちで見かけるものですから。」

「ああこれ?社長がどこからか貰ってきたもののようですね。これがなにか?」

「いえいえ、大したことじゃありません。我々は何でも知っておかないといけませんからね。」

岡島と植子が話している間に、かおるは胸の中に何かを感じ始めていた。

(なにこれ・・・この重苦しい感じは・・・)

かおるは裏衆の目線に切り替えてみた。天台の裏衆は、人間世界にない敵を相手にするので、魂レベルで視線をチェンジできる。

(な・・・これは?)

かおるの目には、どす黒い瘴気のようなものがビルから立ち込めている様が見えた。あの柄のマークからは血のような光が見え、さらに恐ろしいことに植子からもすさまじい黒い気が立ち昇っていたことだ。

「そちらの方は、気分でも悪いのですか?」

かおるの顔色が悪くなっていたようだ。

「いえ・・・大丈夫です。岡島さん、そろそろ・・・。」

「あ、ああ、そうですね。我々急いでいますので。では、失礼します。」

岡島とかおるは前田産業ビルを後にして、一旦川南署に戻った。2人は休憩室に入った。

「白水さん、本当に大丈夫ですか?」

「はい・・・でも今日はもう無理のようです。」

「お1人で帰れますか?タクシー呼びましょうか?」

「ああ、大丈夫です。大山に頼みますから。」

「じゃあ私から連絡しておきます。ここに横になられていてください。」

かおるは岡島の計らいで横になっている間に、さっきのことについて考えていた。

(あの蛇の柄、どこかで見たことがあったわ・・・どこで?)

かおるは目を閉じて記憶を遡り、どこで見たものかと思いめぐらせた。あの柄の紋章を思い描き、浮かんでくる様々なものをファイリングしていく。そしてやがて、とある神社の映像で思考が止まった。

(ここは・・・?)

この場所には一回しか行っていないはずだった。天台裏衆の修行を終え、帰省前にあちこちの神社を周っていた時の映像だった。しかしこれがどこで、何があったのかは思い出せなかった。他に関連映像はないかと思い、念を集中していると、とある初老の男性の姿が浮かんできた。天台裏衆の服と似ていたが、もっと迫力があった。

その男性は、かおるとすれ違った。そしてその瞬間に、かおるはその男性の胸に下げているものに目が行き、そして忘れていたのだ。それはイタリアンジュエリーのキメントに似ていたが、楕円形のフレームがあり、中は紐に似たもので支えられていた。

そこに思念を集中すると、ようやくその姿がはっきりしてきた。それこそまさに、あの柄の紋章そのものだった。

(思い出した・・・あそこだ・・・そうか・・・やはり!)

かおるは身震いし、大山と精神感応状態に入った。

(間違いないわ・・・とうとう現れた!)


29 


沖皇盛成は、川北の総合物流センターに来ていた。しかし今回の目的は仕事内容のこともあったのだが、それが本当の目的ではなかった。ある程度業務を済ませた後に、向かったのはSKディストリビューション本社だった。

「社長・・・あの・・・。」

受付からのコールで、小四郎は目を開いた。いつの間にか部屋で寝ていて、誰かがタオルケットまでかけてくれていた翌日のことだったので、なんだか妙な気分だったのだ。

結婚していた頃の夢を見ていたように思う。短い期間だったけど、幸せだったことが思い出された。そんな夢だったので、なかなか目が覚めずに困っていたところにこのコールだった。

「なんだ?どうした?」

「あ、あの・・・沖皇物流の副社長様がお越しになられていますが・・・。」

「なに?・・・そうか、応接室にお通ししといてくれ。俺はすぐ行く。」

小四郎は甘く見られないようにビシっと手入れしてあるスーツに着替え、髪を整えて応接室に向かった。もちろん沖皇関係者と会うのは、これが初めてだった。これまで挨拶ひとつされたこともなく、自分たちが入ると思われていた総合物流センターは沖皇の独占になっていた。

当然ながら、穏やかな心中ではなかった。

「お待たせしました。」

応接室に入って小四郎が見たのは、とてもまともそうには見えない男だった。スーツもバッチリと着ていたのだが、眼光は鋭くて髪の毛もバックに固めてあり、横に女をはべらせている姿が似合いそうだった。

「おお、初めまして。沖皇盛成と申します。遅れましたが、ご挨拶に参りました。」

かなり低くて圧がある声で、盛成は名刺を小四郎に渡した。小四郎も名刺を渡し、座るように促した。

「副社長さん、ですか。噂では、かなりの実力がおありだとか。」

「ほほう、そんな噂が飛び交っているんですか?そりゃあ光栄なことですわ。」

「失礼ですが、関西の方で?」

「そうですわ。奈良におりましてね。親父が九州をえらく気に入っておったんで、こちらに拠点を移した言うことなんです。ほんまなら、もっと早うにお伺いしたかったんやけど、もうバタバタしておりましてね。えろうすみません。」

小四郎は腹の中が煮えていたのだが、そんな感情は全く出さなかった。それから少しの間、同じ業界ということで問題ない話をした後で、小四郎が切り出した。

「ところで・・・沖皇さんはどうやって川北に食い込んだんですかね?」

「食い込んだ・・・?ちょっと辛味あるお言葉ですねえ。ここに来たんは、市長さんからの打診ですわ。うちがどうこう策を弄したわけではないですよ。まあ・・・そう思われても仕方おまへんなあ。そやさかいこうして・・・。」

盛成は少し身を乗り出した。

「ご挨拶にお伺いさせてもらいました。」

小四郎は当然そう出るだろうと思っていたので、返す言葉も用意していた。

「なるほど。よくわかりました。では私の敵は市長さんってことになりますね。」

「敵?」

盛成は少し右眉を上げた。

「なんやらえろう・・・物騒な言葉ですねえ。ほならなんですか?今まで私らを敵やと思うておられましたんか?」

小四郎はゆったり背をソファにつけて、秘書が持ってきたコーヒーを一口飲んだ。

「正直申し上げて、そう思っておりました。あの物流センターができると判った時、私ども業界人は当然入れると思っておりましたよ。そりゃもう喜んだものです。ところが蓋開けてみたら・・・沖皇さんの独占じゃないですか。しかも地場でもなく。それはそう思っても仕方ないと思いませんか?」

「そりゃあそうでしょうねえ。そやけど、私どももそう思われても仕方ないんですけどね、それじゃあこれから先にやりにくうなる。それでまずはSKさんにお願いにあがったわけですわ。」

「お願い・・・とは?」

盛成は葉巻を取り出した。

「すみまへん、吸うてもよろしゅうおますか?」

「どうぞ。」

盛成は葉巻に火をつけ、煙を吐き出した。

「・・・単刀直入に言いますわ。業務提携しませんか?」

「え?」

「つまりですわ。SKさんとうちが業務提携すれば・・・いや、経営統合と申した方が話が早いですわな・・・ほしたら無敵や思いませんか?」

「経営統合・・・と申されますと?」

「失礼なお話かもしれませんが、我々も考えたことなんですわ。SKさんの経営状況はこちらでも把握しております。冗談抜きに、うちと競合できる位置にはおられません。ですが、これまで培われてきた地域との交流や人脈はとてもうちにはないものです。それで、いっそのこと経営統合しまして、お互いのメリットを共有したらどないでっしゃろうか、いう話ですわ。」

沖皇の経済状況は小四郎も把握していた。全国にネットワークがあり、損益対照も良好と言っていい。規模的にもSKが太刀打ちできるものではない。

「なるほど、そういうお話ですか。であれば、答えは決まっております。」

小四郎は手元に置いていた盛成の名刺を手に取った。

「これです。」

小四郎は盛成の目の前で名刺を引き裂いた。しかし盛成は表情を変えなかった。

「あまり、人を舐めないでいただきたいですね。あなたがたの経営状況は素晴らしい。それもわかっています。ただ問題があります。」

「ほう・・・それは?」

「あなた方が、半グレを仲間にしていることです。暴力団ではないので、法的にも問題はない。しかし、やっていることは何ら変わりない。うまく法の目を潜り抜けているだけで、やっていることは極道のままだ。」

小四郎は部屋から持ってきた紙を開いて、盛成の前に広げた。

「これは、あなた方が・・・そう、業務提携している方々や企業の名前です。私の身内に探偵や警察もおりますのでね、このくらいはすぐに調べられます。あなたがた・・・いや、あなたがやってきたことがまさにこれでしょう。あなたがどういうわけか、半グレや元極道と義兄弟になっている。そんな大変なところと業務提携など、無理です。」

盛成は煙を吐き出して、葉巻をケースにしまった。

「ほうでっか・・・残念ですな。それじゃあこの話はなかったことにして、これからは『良き』ライバルとして地域を盛り上げて参りましょうかねえ。」

盛成は立ち上がって、小四郎を見下ろした。

「それじゃあ、失礼いたしますわ。ああ、お見送りはよろしゅうおます。」

盛成は部屋のドアを開けた。


「おっと!失礼。」

「あ・・・す、すみません。」

ドアを開けたところには市川が立っていた。

「なんだ、市川。」

「あ・・・いえ、後ほどで大丈夫です。すみません。」

「ああ、私の用事はこれで終わりですわ。どうぞ。」

盛成は市川を部屋に迎え入れ、自分は出て行った。その際に市川を見て、ニヤリと笑った。

「す、すみません、社長。」

「いい。もう終わったからな。・・・で、急用か?」

「いえ、そこまでは。」

「なら、あと1時間後にしてくれ。しばらく頭を冷やす。」

「わかりました。ここにおりますから、お声がけください。」

市川は静かにドアを閉めた。残された小四郎は大きくため息をついた。こうなるともう、潰すか潰されるかだ。

現状ではとても太刀打ちできない。だが防御手段は講じておかねばならない。

小四郎はまず大山に電話した。

「・・・ということなんですよ、兄貴。俺も探り入れているんですけど、間違いなく兼末会頭と与里重市長は沖皇のカネで選挙勝ったと思うとよ。こうなったら前面戦争になる。姉貴にも色々調べて貰うけど、兄貴もよろしくお願いしますよ。」

『お前も血の気多いなあ。川南にも、睦海興行相談役だった一文字という人から捜査依頼が来ている。どうやら睦海興行が脅しているようだ。岡島もそう言っていた。この睦海興行の北西というトップが・・・。』

「なるほど、そういうことか。それじゃあ兄貴の方では、刑事で捜査お願いします。俺は姉貴に別方面から調べて貰います。それから商工会議所副会頭と総務課長とも話しておいていいですかね。彼らはかなり不満なんですよ、前の選挙のことで。」

『いいだろう。ああ、それから、ケンをお前のところに行かせる。名目は捜査の一環だ。色々と話し合ってくれ。警察ができる範囲もあるからな。』

「恩に来ます!」

小四郎はピンチになるほど燃えてくるタイプだった。激しい企業戦争の始まりだった。


30 


山高梅良は県北康安寺の近くにある小屋に来ていた。大山にもかおるにも黙ってのことだった。山高がここに来たのは、今回の相手が相手だったからだ。

山高は天台裏衆であり、その性は金剛力士だ。だがその力は、大黒天との戦いの時に消耗してしまっていて、もはや使うことはできない。金剛力士は天部に属し、修行僧の仏法武器である金剛杵の大元がその力だ。山高は今回のために、金剛杵の力に匹敵する力を求めてここに来ていたのだ。

なぜこの場所なのかは、毎日行っている止観の中でこの場所が浮かんできていたからだった。それがどこなのかを探すのに時間が必要だったのだが、ようやくそれがわかったのは、数日前に大山、かおるらと麓の『まほろば堂』に来た時に、ここだとわかった。

まほろば堂の横から登り始め、小高い山の頂上に小屋があった。この小屋はかつて高霊院と呼ばれていた庵であり、山岳修行僧の休憩所兼修行場として建立されたものらしかったが、現在では廃寺となっていて、ただ小屋とかつてあったであろう本尊台があるのみだった。周囲は雑草が生い茂り、まったく手入れもされていなかった。鎌で雑草を薙いでいると、ようやくそれなりの姿になってきた。

山高は源頼朝の従者であり、かつ友でもあった安達盛長の転生でもあった。安達盛長は、今回の相手と直接の因果はない。

だが今回自分の力が必要なければ、川北には来ていないはずだ。自分を必要とする何かが、ここにあるはずだと判っていたのだが、それが何かはまだ分からなかった。

山高は持参してきた法衣に着替え、これも持参した金剛力士の小さな像を懐から出して、仏像台の前に座った。金剛力士像は阿吽の対で知られているが、山高が取り出したのは執金剛神という一体のみのものである。その像を台の前に置き、山高は目を閉じた。

九字の印を次々と結んでゆき、終わると金剛般若経を唱え始めた。静かに唱教を始め、金剛力士としての魂を掘り下げていった。誰しもが持つ魂なのだが、裏衆はそのエネルギーが異常に高い。そして広い。

魂の根源を求めて降りていくと、呼吸さえ必要なくなるかと思えるほどの静寂に辿り着く。その静寂は安心でもあり、恐怖でもある。これが同時に感じられる。この段階で何の修行も積んでいない者の精神は病んでしまう。修行を行い、かつこの静寂だが高いエネルギーに耐えきれる者は限られている。

山高はそもそも裏衆としての性を持ち、しかも修行している。ゆっくりと沈んでゆき、永遠かと思われるほどの時間が流れたのだが、ほんの一瞬のことでもあった。

裏衆が持っているものは高次元と現次元との交差する領域であり、そこでは時間軸が存在しない。だが裏衆にとっては時間という概念を重ねることもできるので、止観が終われば一瞬なのだが、山高には疑似時間軸として捉えることが可能だ。

その世界で山高は、安達盛長としての一生をあたかも本を読むように体感できた。盛長は頼朝の乳母の長女を妻としており、その縁で頼朝流人時代から仕えていた。まるで兄弟のように青春時代を過ごし、いつか源氏の旗を掲げようと夢見ていた頃だ。その頃、北条時政娘だった政子を頼朝に引き合わせたりもしていた。

それから平家打倒の挙兵、頼朝の使者として奔走し、京の状況を把握したりしてひたすら頼朝の影となって動いた日々を思い出した。頼朝の死後には出家して仏門で修行しながらも鎌倉の宿老として多忙な日々を送っていたある日、盛長の元に不穏な情報が飛び込んできた。

「院におきまして、鎌倉将軍家への呪を図られておるようでございます。」

「なに?太上様が?」

この頃にはすでに後白河院も崩御しており、天狗とまで称された稀代の策士を父に持つ後鳥羽は、宝剣も壇ノ浦で失っており、ストレスが溜まりに溜まっていた。頼朝を後ろ盾にしていた九条兼実の勢力も朝廷から一掃されていて、後鳥羽は徐々に独裁色を強めていた。この当時呪殺はれっきとした敵対行為であり、九条兼実がいた頃には考えられなかったことだった。

「して、その導師は?」

「それが・・・噂にすぎませぬが、蛇念坊と呼ばれている流れ僧のようにて、されど誰も見たことがない、幻のようであるとのこと。」

「蛇念坊・・・。」

この蛇念坊の場面で記憶は止まっていた。山高は、今度はこの蛇念坊に照準を当ててみた。安達盛長の人生記憶から離れ、ひたすらそのイメージを形にしようとした。

最初に浮かんできたのは、深い森の中だった。獣が闊歩し、妖も自由に活動できている森の中を潜っていくと、やがてある庵に辿り着いた。その庵の周囲は見事に整理されていて、小川も流れていて、護摩壇もあった。だがその一帯は常に黒い気がたちこめていて、明らかに負の結界で守られていた。

山高は庵の中に入っていった。庵の中はさらに淀んでいて、実際にはその場にいなくても気分が悪くなりそうだった。庵の中は熊や兎の肉がぶら下げられていて、傍らにはカラカラに乾燥されたイモリが無造作に投げ入れられた籠もあった。

そして庵の中央にある囲炉裏の前に、痩せて髭が伸び放題で無造作に髪を束ねた老人が座していた。だが記憶の奥底にあるのは老人なのだが、どんよりして暗くじめっとした恐怖のエネルギーのために、どこか若々しくも見えていた。


その目はおよそ人間のものとは思えず、怪しげな雰囲気が漂っていた。山高の意思は老人の正面に移動し、老人を正面から見た。

傷だらけであり、顔色は悪かった。何を考えているのかわからない不気味さもあり、山高はさらに覗き込もうとした。すると、あくまでイメージの世界のはずなのに、その老人はギロリと山高を『見た』。

そして低い声が発せられた。

「ほう・・・お前は誰だ?・・・安達盛長?・・・還!」

老人の顔が瞬時に鱗で覆われた蛇の顔になり、山高に向かって飛びかかってきた。

「うわ!」

山高も瞬時に意志を退散させ、意識のトンネルを過ぎて現世に戻ってきた。山高は座していることができずに、その場に倒れ込んだ。全身汗まみれなのだが、悪寒もあった。

「むむ・・・くはあ・・・。」

全身に筋肉痛があり、全く動けないでいた。山高は触れてはいけないものに触れたのだと悟り、後悔しながら苦しんでいた。

「なんじゃ?」

入口から、老人の声が聞こえてきた。なんとか首を回してみると、そこには見た顔があった。

「あなた、は・・・。」

「お前さん、前に会うたのう。名乗る前に、こりゃ何とかせんとな。ちょっと我慢せえ。」

老人は山高に近寄ると、杖変わりに持っていた錫杖を鳴らして、山高を仰向けにさせて錫杖を胸の上に置いた。そして目を閉じて、何かを唱えた。

「オン・マユラ・キランデイ・ソワカ」

すると山高の胸から黒い気がたちこめ、錫杖に蛇のように絡みついた。

「無化!」

老人は強く叫び、黒い気は消え去った。

「いかがかの?」

山高はまるで何事もなかったかのように楽になり、深呼吸をして座り直した。

「助かりました。あなたは確か・・・。」

「金杵麿大和よ。たまたまここに野草を採りに来たら、お前さんが唸っておいででのう。孔雀明王の呪でどうにかなるかなと思ってやってみたのよ。うまくいったわ、わはははは。」

「孔雀明王の呪?」

「ああ、あんたは蛇の毒気に侵されておったのさ。蛇には鳥と相場が決まっておるでな。」

「すみません、もう少しお話をさせていただけませんか?」

「別に構わんよ。暇じゃからのう。」


31  


羽間は小四郎と『ラ・クア・クチーナ』で食事していた。ここはほとんど警察関係者しか来ないので、いたって楽に話すことができる。署内だと色々面倒なこともあるので、羽間はよくこういう時に使うようにしていた。

テーマはもちろん睦海興行と沖皇物流についてだ。

「我々で知っている範囲だと、睦海の北西と沖皇盛成を結び付けたのは銃などの武器ですね。元々が極道なので、集めるのは簡単です。趣味仲間を通じて知り合い、義兄弟の契りを交わすほどの仲になったというわけですね。」

「まあねえ、そういうことくらいなら俺でもわかるよ。他にはないのか?」

「正直、選挙法違反であればもっと確実な証拠が必要になってきますね。寄付金であるかどうかはその額ときちんとした領収書などの存在、決済書などです。しかしそれ以上になると、かなり厄介ですね。」

「・・・結局は公的圧力ってやつか?」

「それもあります。しかしそれを黙らせるほどの証拠があるのかってことです。社長の方で、それらしい情報ありますか。我々が動くに値するような。」

小四郎は最後のカツサンドを口に放り込み、ビールで流し込んだ。

「商工会議所副会頭と総務課長にも聴いてはいる。はっきり言って証拠はない。だが、いわゆる出口調査とは全く違う選挙結果で彼らは負けていたり、諦めたりしているんだぜ。これおかしいだろ?」

「出口調査はかなりの精度ではありますから、それが覆ると言うことは彼らが嘘の調査協力をしたとなるでしょう?となるとかなりの選挙金がバラまかれた程度ではすみませんよね。口封じや賄賂、その他の方法でやったんでしょうね。だがその証拠もない。となると、その方法ではわからないとなりますから、他のルートで調べてみましょうかね。」

「なんだ、他のルートというのは?」

「沖皇がここに来ると言うこと自体、不自然じゃないですか。それはなぜかを探っていくしかないと思うんですよ。つまり、彼らが関西からどうやってここまで来たのかの道筋を調べてみるんです。」

「なるほどなあ・・・それなら警察も動きやすいな。」

小四郎はビールをもう一本注文した。羽間は勤務時間中なので、当然飲めない。

「頼むよ。姉貴にも頼んでいるところなんだ。あいつらは俺をカネで落としに来たんだぜ?ここで降りるわけにはいかねえんだよ。」

「まあ少なくとも選挙法違反疑いがあるのであれば、我々も動きますよ。ただ、光田さんの件も未解決です。そっちもあるので少し時間が必要かと。」

「光田・・・あれが一番効いたよ。今は市川と伊加に任せてはいるんだが、まだまだでなあ。」

「ああそうだ。川南の岡島警部さんから連絡あったんですが、うちにおられた汐田さんという方が、どうやら光田さん殺害の凶器のヒントを掴んだようです。」

「凶器って、日本刀じゃないのか?」

「まあその・・・日本刀は日本刀なんですけど、よく見る反ったやつではなくて、古代の真っすぐな剣ではないかと。」

「古代の剣だあ?どういうことや?」

「それはまだ調査中です。それに加えて、光田さんは1人であの場所に行って殺害されていたんですけど、犯人がどうやってあの場所に来たのかわかっていません。こんなことは言いたくないんですけど、空中から降りてきてそこにいたとしか思えないんですよ。歩いた跡がないんです。光田さんは犯人と親しいか、よく知っているかという間柄ではなかったのかと。」

小四郎は眉をひそめた。

「・・・なんだか、気味悪い話だな。光田の知り合い?うちには光田の娘がいるだろ。幼い頃に分かれて顔も知らないし、うちでの光田と、これまで思っていた父親像とが一致しないようで、本人も困惑しているよ。」

「そうらしいですね。先日伊加さんから聴きました。かおるさんが面会して、えらいことになったそうですね。」

「・・・姉貴、たまに、ああなるんだよなあ。なんつーか、巫女みたいでさ。美也希と会って、感情が暴走したって言ってた。まあ、たいしたこたあない。それよっか問題は別だ。その変てこなことはさておき、犯人の目ぼしはまだなんだろ?俺も色々調べてみるよ。」

「わかりました。取りかかります。」


羽間は小四郎と別れて、鑑識に行って茂天と協議した。

「こないだ汐田さんと話して怒られましたよ。何やってんだって。まあ正直、悔しかったですね。だからあれからまた調査に入りましたよ。もう絶対何も言わせないって思って。」

「ほう?それで何かわかりましたか?」

「これを見てください。現場の3D画像です。」

茂天が見せたのは、殺害現場をドローンで撮影して360度の角度で再現したものだった。

「ここが・・・ガイシャが倒れていたところで、こう横たわっていて、そして頭部がここにありました。ガイシャの右側から凶器が入ったと考えられますので、そうしたらこの位置に倒れたわけです。そして頭部がここにあったと。ガイシャは車を降りてここまで歩いてきたので、この通り足跡が残っています。そうなると当然、犯人はこの位置に立っていて、おそらく左利きだったので犯人から見て左側、つまりガイシャの右側から刀を水平に動かして首を刎ねた。犯人の足跡もここにうっすら残っている。だから犯人は空中から現れてこの位置に立ったと・・・と、これがこれまでの見解でした。ですが、私はここが気になりました。ここです。」

茂天が示したのは、光田の足跡だった。

「この足跡のどこが気になったんですか?」

「このあたりは通称高辻の森で、道路がこう通っています。そしてガイシャはここに車と停めて歩いてきたと思われますが、もしガイシャが自分の意思で歩いていたとするならば、草むらに足を取られないように比較的ゆっくりと歩くはずです。ここは柔らかく葉が積み重なってできた土地ですから、柔らかい。でも、どれだけゆっくり歩いたとしても、ガイシャの体重68キロではこんなに深くは潜らないですよ、靴は。」

「つまり、どういうことなんですか?」

「まだ先があるんですよ。ここを見てください。この高い杉の、ここです。」

地上10m付近に、線状の傷と黒い樹皮があった。

「さらに、ここです。」

その杉とは反対側には巨大な岩があり、そこは頂上がごつごつとコブのようになっていた。

「それで、こういうシミュレーションを仮定してみました。仮に、車から降りてきたのがガイシャだけではなかったというものです。」

「え?・・・それってつまり、1人ではなかったと?」

「そうです。さらに言えば、車から降りてきた時点で、すでにガイシャの意識はなかったのではないかと考えてみました。」

「・・・すでに死んでいたと?」

「うーん・・・それにしては血の飛び散り方が派手です。おそらく生きていて、意識だけがなかったのではないかと。2人分の重さがあれば、この足跡の深さが理解できます。つまり、まだ生きていてぐったりはしていないガイシャの背中に乗って、何らかの方法で・・・つまりガイシャを竹馬のように操ってここまで歩かせ、この杉と岩をジップラインのようにロープで繋いでおいて、この場所で降りて首を刎ねて、自分はジップラインでここまで戻ったのではないかと考えたのです。さらにロープはすぐに燃える素材でできていて、岩場から燃やせば灰は残りません。そしてこの岩の反対側には岩しかありませんから、岩を降りていって、ここにある小川から下ってどこからか去った。これが私の見解です。」

羽間は呆然として、茂天の解釈を聴いていた。

「しかしもしそれが事実なら、これは素人の犯行ではありませんね。」

「そう思います。生者を竹馬のようにして動かすことはこれから遺体の慎重な調査次第ですが、おそらくはロープに自分が吊るされた状態でガイシャを自分と固定したのではないかと。こういう手が込んだことは、素人はやらないと思います。しかしなぜこんなことをやったんでしょうね。妖怪か何かの犯行に見せたかったんでしょうか。そこがわかりません。」

羽間は深くため息をついた。全く想像していなかったことだったからだ。

「わかりました。かなり参考になります。そういう例があったかどうかは、こちらで調べてみます。」

羽間は鑑識課を出て、自分の車に乗り込んでシートを倒し、横になって目を閉じた。調べれば調べるほど複雑になっていく今回の事件を、静かに考証してみたかったからだ。一応プロの犯行ということで捜査していく方が賢明だろう。

そして小四郎の相談だ。もしこれが繋がっているとすれば、沖皇は限りなくクロだ。

だがその証拠がない。しかしここは考えるより調べてみるしかない。

ある程度整理がつくと、今度は佐々木盛綱の意識が動いてきた。頼朝と共にいることで自分を保つことができていた。転生しても、その関係性は変わらないのかもなあと思っていると、大山から連絡があった。

「はい殿。」

『・・・お前、現実に戻れよ。』

「え・・・あ、す、すみません!」

『すぐに川南の岡島のところに行ってくれ。動きがあったようだ。頼んだぞ。』


32  


かおるは再び、伊加麗子と大倉美也希を交えて、食事をしながら聴き取りを行っていた。あれから止観を散々行い、ようやくあの時の感情の意味がわかったからだ。わかったとは言え、やはり抑えることはなかなかに困難だった。

その決着をつけるための食事会だった。その対象は美也希だけではなく、麗子も一緒でなければならなかった。

この食事会をセッティングする時も、相当な葛藤があった。あの阿修羅の3人を相手にするよりも葛藤があった。だがそれをやらねばならない。

かおるはすでに理解していた。なぜ今この時代に、自分が転生してきたのかということの意味を。そして多くの人々も過去の因果を解消すべき転生してきていた。つくづく、己の業を痛感せざるを得なかった。

食事は川北市内にある古民家を改築したところで、『食房きよいずみ』で行われた。まるで武家屋敷のような造りで、土間や座敷、広い庭もあった。基本的には一日一組だけというところだったのだが、かおるはここのオーナーと知り合いで、いつでも入れるようにされてあった強引に先客をキャンセルしてもらっていた。

食事は土間で作られ、主が住んでいた座敷で食べるようになっていた。次々に運ばれてくる料理を美也希は見たこともなく、しかも京料理店で腕を磨いたオーナーの料理なのでどれもこれも美味しく、話すのも忘れて片端から平らげていた。

「ミヤッペ、あんたそんなにお腹空いてたの?」

麗子が呆れるように美也希を見て言った。

「えー、だって、あたし、こんなに美味しいの食ったことないもん。今まで食ったどんなハンバーガーよりも美味いし。この・・・青い野菜の、シャキシャキしたの。なんて名前?」

「フキの炊いたん、という京都のお料理よ。気に入った?」

美也希の食べっぷりを、かおるは嬉しそうに見ていた。

「フキ?あたし、知らないよ、それ。」

「知りません、でしょ。」

「あ、そ、そうだ・・・そうでした。知りません。でも美味しいわあ。野菜なんて何であるんだろうって思ってたけど、こんなに美味しくなるんやあ。」

麗子の指導はずっと続いていたが、なぜか麗子も美也希もそれが苦痛でも何でもなくなっていた。むしろ楽しくさえあった。

麗子にとっては、美也希が少しずつだが成長していく様を見るのが嬉しかったからかもしれない。歳はそれほど離れていないのだが、まるで娘のようにも感じていた。

メインの肉料理は京料理の真髄とも言える味付けで、美也希はもう言葉もなかった。極上のブランド牛にウニやフォアグラを贅沢にあしらった逸品を食べ終えると、美也希はもう無表情になっていた。

美味すぎて放心状態になっていた。

「大倉さん、もういいの?」

「ほら、お返事しなさい。」

「え・・・あ!ど、どうも!なんか・・・生きてて良かったあって感じっす・・・です。」

こんなほのぼのとした雰囲気の中で、最後の抹茶デザートを食べ終えると、美也希は両手を合わせて頭を下げた。

「ごちそうさまでした!」

かおるは終始ニコニコしていた。

「良かったわ。ここ、本当に美味しいのよ。」

「あの・・・かおるさん、ちょっとお聴きしてもよろしいですか?」

「なあに、麗子ちゃん。」

「なんか、いつもよりもずっと楽しそうに見えるんです。ミヤッペとお2人でお話された方がいいのかなあって思って。」

「ううん、あなたも一緒だからよ。それはこれからお話していくうちにわかるわ・・・きっとね。」

かおるは仲居を呼んで、器を下げさせた。そしてテーブルを出して、美也希と麗子の前に座った。

「今日はね、2人に聴いてほしいことがあったの。」

麗子と美也希は顔を見合わせた。

「どういうことです?」

「そうねえ・・・何から話していいのか。まあ、その辺は流れでいいわね。この間ね、初めて大倉さんと会ったとき・・・。」

「あ、あの・・・。」

 美也希がゆっくり手を上げた。

「なあに?」

「あの・・・あたし・・・麗子さんからミヤッペって言われているんです。最初は嫌だったけど、段々好きになってきちゃって。今まで『おい』とか、『ガキ』とか、後は呼び捨てしかされてなかったし、嬉しかった・・・です。だからその・・・ミヤッペって呼んでもらっていいですか?その方が落ち着くんです。」

「ミヤッペ・・・。」

麗子は美也希の顔を見て、嬉しそうに微笑んだ。

「そうなの?麗子ちゃん、嬉しいわね。」

「ええ・・・。」

「じゃあ、ミヤッペって呼ぶわね。初めてミヤッペに会った時、あたしの中で感じたことがない感情が暴走しちゃったの。それは見てるからわかるわよね。」

それは異常な光景だった。いきなりかおるが泣き出し、暴れ出したからだ。抗えない感情に翻弄されているような感じに見えた。

「ええ・・・どうしちゃったのかなあっていました。」

「本当にね・・・あんなことは初めてだったわ。正直、あたしってそういうところはあるからね。でもそこまではなかった。あれから、なんでだろうって思って、ずっと自分の心の中を見てきたのね。そうしたら、少しずつわかってきたの。」

「なにがですか?」

「なにが・・・そうね。じゃあ麗子ちゃん、感情って、どうしてわき起こるのか、わかる?」

「え・・・考えたこともないですよ。」

「基本的にね、感情は人間にとって生きていくために必要なのね。身の危険を感じた時には恐怖を感じるでしょ?自分にとっていいものであれば嬉しくなる。さっきの呼び方のようにね。だから感情が出る時には必ず原因があるの。でもあの時、ミヤッペと会うのは初めてだったでしょ?でもすごく何かが・・・あるの。」

「それは、恐怖だったんですか?」

「ううん・・・悲しさと切なさだった。」

「悲しさと切なさ?ど、どういうことなんですか?」

かおるは少しだけ口角を上げて微笑み、軽くため息をついた。

「前世って聞いたことあるかしら?」

「それはもちろん。ミヤッペも知ってるでしょ?」

「ええと、生まれる前に別の人間だったってことでしょ?」

「ええそう。実は、そのことなの。」

麗子は眉間に皺を寄せた。元々麗子はかおるが苦手だった。全くその理由がわからなかったのだが、今まさにその感情がムクムクと起こってきていたのだ。

気分が少し悪くなってきていた。

「かおるさん、あたし今がそうみたい。なんか気分悪いです。」

「・・・少しずつ、出てくるわ。」

「かおるさん!」


美也希が叫んだ。

「なに?」

「あたし・・・だんだんわかってきた、かも。」

「ミヤッペ?なにがわかったの?」

「麗子さん・・・あたし・・・前世って言う意味がやっとわかった。あたし、いっぱい覚えてるの。麗子さんも、かおるさんも、前世で会ってたもん!」

美也希にはこの能力があった。羽間との関係性を言い当てたこともあった。

「そうよね。だからあたしも激しく反応しちゃったと思うのよ。麗子ちゃんは。」

だが麗子は答えなかった。苦しそうに顔を歪め、胸を押さえていた。美也希は麗子の顔を覗き込んだ。

「麗子さ・・・。」

「だ、黙れええええええ!」

突然麗子は別人になったように叫んだ。かおるはそんな麗子を見て、軽く頷いた。

「始まったようね。」

「う、う、うるさい!ああ・・・胸が痛い・・・そしてこれ、何なの?怒りしか出てこない・・・嫌だ、気持ち悪い・・・。」

そして美也希にも変化が出始めた。

「うわあ・・・怖い・・・みんな嫌あ!」

美也希は何人も周囲にいるかように、そして彼らを振り払うように手を動かした。かおるは懐から数珠を2つ取り出し、長い方を首に巻いて、短い方を左手に持った。そして荷物から折りたたまれた棒を取り出し、右手に持った。

「美也希、麗子・・・行くわよ。」

かおるは棒を推定に構え、目を閉じて真言を唱えた。

「オン ベイシラ マンダヤ ソワカ」

数回繰り返すうちに、麗子と美也希の動きが止まり、そして固まったように動かなくなった。かおるはキッと2人を睨み、立ち上がって叫んだ。

「いざ我らの世界へ!毘沙門天よ、お守りあれ!」

そして3人の姿は消えた。


33  


『羽間主任、緑川小百合様が面会にいらしています。』

受付からのコールに、川南署に向かおうとしていた羽間は驚いた。いつもジャストなタイミングで小百合は現れる。もっとも、彼女の中身が玉藻前であることはわかっていたのだが。

「ここにお通ししてくれ。」

羽間は準備を一旦やめて小百合を待った。やがてノックがあり、案内してきた女性が顔を出した。

「主任、ご案内しました。こちらへどうぞ。」

「ありがとうございます。」

入ってきた小百合は、動きやすそうなスリムデニムに純白で太めのTシャツというコーデで、長い髪を後ろに丸めて止めていた。正体を知らなかったら、たちまち虜になってしまいそうな魅力があった。

「どうした?」

「今から、川南に向かうのでしょ?」

「・・・さすが玉藻前さんだ。もうわかっているな。」

「ええ。それで、お供させてください。」

「え?」

「ご一緒しないと、御身が危ないですよ。」

羽間は目をむいた。ただ岡島と会うだけのはずだったからだ。

「どういうこと?」

「あちらの方々が、すでに動き出しましたから。」

玉藻前が言うところの方々とは、もちろん普通の人間のことではない。

「なんだって?もう動き出した?ということは・・・。」

「はい、あのいくさが再び、ということです。主任さん、あなたがそのきっかけになるのですよ。ですが、あなたの身はわたしがお守りいたします。盛綱様には他にもお役目がありますからね。」

「俺が、きっかけ?あのいくさ?・・・なんてことだ。では他にも動員して・・・。」

「いけません。この戦いは現世のものではありません。他の人間では死に行くようなもの。私と2人で行きます。よろしいですね。」

玉藻前が盛綱の想いに心を打たれて味方になったことは、すでにわかっていた。一度決めたのであれば、とことん尽くすのが九尾の狐である。

それに、今回の事件の裏には過去因という問題もある。この場合は、そうせざるを得ないだろう。自分がきっかけになるということが気になったが、そこで動揺するような羽間ではなかった。

「わかった。では行こう。」

羽間と小百合は、警察の覆面用パトカーに乗り込んだ。

「盛綱様。玉の技、お見せいたしましょう。」

「なに?」

小百合は目を閉じて、両手をクロスさせて甲同士を合わせ、人差し指の先端を合わせた。そして両手を徐々に動かしていって、甲と手首で菱形を作った。

その中央部に何やら雲のようなものが発生し、やがて広がりだした。

「ムン!」

小百合が念を込めると、雲のようなものは一気に拡大し、車を包んだ。

「なんだ!」

羽間は目を閉じた。

「着きましたよ。」

羽間が目を開けると、そこはもう川南署の駐車場だった。

「玉・・・お前、こういうことができるのか?」

「私は時間を超越しておりますのでね。まあ、それ以上はあまりお役に立てませんが。」

九尾の狐は、古代中国から延々と生き延びてきたとされているが、その実は時間軸を自由に行き来できるという力だった。もちろんそれで何が変わるということはない。過去にできることは決まっているからだ。

この場合には、すでに着いたであろう未来に移動したのである。

「・・・なるほど。だが玉の力はその程度ではないだろう?でなければわざわざ付いて・・・いや、憑いてこないだろ。」

「人様に憑くのは狐の性分ですからね。」

「そりゃそうだ。」

2人は車を降りて、岡島の元に向かった。

「おお羽間、待っていたよ。そちらは川北署の人?」

「え?」

羽間が小百合を見たら、すでに婦人警官の姿になっていて、しかも顔まで別の署員のものに変わっていた。こういうこともできるのだ。

「あ、ああ。まだ新人でしてね、教育を兼ねて一緒に動いているところです。」

「よろしくお願いいたします!新人の森川です!」

確かに所属したばかりの新人で森川という女性がいた。


羽間は内心舌を巻きながら、岡島と会議室に入った。羽間が口を開く前に、玉藻前が話し始めた。

「副署長から、何かあったと伺っておりますが・・・。」

「そうなんだよ。俺と大山のツレで尾加田って奴がいるんだが・・・。」

「ああ、存じ上げています。おかしな・・・ユニークな方でしょ?」

「ああ、変人だ。だがいい奴でね。あいつなりのネットワークで色々と調べてもらっている。それでわかったことが幾つかある。まず、睦海興行社長の北西三郎は、沖皇盛成副社長の義兄弟だ。この睦海興行が川南の裏社会、経済界が表を仕切っている。経済界のドンだった一文字尊久と北西が揉めてな、それで一文字の家にボウガンが撃ち込まれて犬が死んだ。そのボウガンを汐田さんに鑑定してもらった結果、どうやらこれは販売品じゃない。自前で作ったものだ。さすが汐田さんだって思ったよ。矢じりの中からわずかな指の毛を検出してDNA鑑定してもらったところ、睦海興行が買収した家具工場の社員のものだとわかった。さらにだ、矢じりも同じように睦海が買収した別の金属加工工場で発注しているアルミ合金のものだった。これで令状出せると思ってた矢先に、えらいことが起こったんだ。」

「なんです、えらいことって。」

「汐田さんの依頼で、一文字の件が川北に来てただろう?その後にも色々調べていたんだが、一文字さんがいなくなったんだ。」

「・・・失踪?それとも?」

「俺たちの見解では睦海興行がやりやがったって言う者もいる。だが証拠がねえ。奥さんが書斎にいた一文字を見た5分後にはもういなくなっていたそうだ。部屋の窓はしまっていたし、家から出て行った後もない。車もある。何もなくなっていない。ただ本人だけがいなくなってしまった。」

岡島は羽間に顔を寄せた。

「汐田さんの口添えもあったし、俺と大山の仲もあるんでな。この件に関しては合同で捜査することになった。うちの所長も山内さんと話してゴーサインが出た。川北と川南合同捜査だ。それでお前さんに来てもらったってことなんだ。」

羽間は内心、これが動きだとわかった。羽間の中の佐々木盛綱の魂も、強烈に動き出してきていた。敵が、動き出したのだ。

「それで、川北のSKディストリビューション総務殺害の件もあるんだが、これは大山から直接依頼があった。沖皇物流、睦海興行の件と重なっていると考えて行動してほしいとな。動く人数は限られているが、でかいヤマになりそうだ。だから、俺も川北の件で動く。頼むぜ。」

「わかりました!それでは一文字さん失踪からとりかかりますか?」

「頼む。まず俺たちと行こう。」

羽間は横にいる森川の姿をした小百合を見た。確かに自分がきっかけになりそうだし、こいつがいなけりゃ危ないかもと思った。


34  


「なるほど、古代山岳密教のお方ですか。で・・・八蛇教とは?」

「あれはなあ・・・古代において、猿田彦とは別のルートで日本に入ってきた邪教でな。暗黒の力、あらゆる力の根源を操る危険なものさ。だが普段のあいつらはさほど危険ではない。お前さんのように、何らかの力があって、あいつらと接触さえしなければな。その存在は堅く秘密になっておる。」

山高は、助けてもらった老人金杵麿大和と、まほろば堂の近くにある寺の境内で話していた。金杵麿は親戚に会いにこの地に来ていたのだが、その親戚も病気で入院してしまい、どうしたものかと考えていたところだったようだ。

「八蛇教の開祖とかは?」

「いやあそれはわからん。わしもな、故郷に八蛇教にまつわる伝説があったので、それで知っていたくらいでな。しょせん眉唾ものだと思うておったが、お前さんの身体から立ち昇る瘴気の形がまさにそれだったのでな。八匹の蛇が巻き付き合っている形だった。伝説を思い出しながら孔雀明王真言を唱えたら消えたというわけじゃ。ああ・・・確か、名前を1人聴いたことがあるぞ?ちょっと待ってくれ・・・ああ、そうじゃ。蛇念坊という者がおってな。開祖かどうかはわからんが、相当に強い術を使うとされておる。」

「それです!私の魂の奥底に記憶として見えたものです。あれが・・・そうだったのか・・・。」


「もし伝説が本当ならば、そ奴には近づいてはならん。お前さん1人のことでは済まなくなる。」

「ところで金杵麿さん。あなたは山岳密教の修行僧と仰いましたが、ここでも修行を?」

「わははは。ここではもうできんよ。もう日本では本来の修行はできにくい。役行者様も現世ではどうしようもないわ。」

役行者とは、7世紀に存在した伝説の能力者のことで、前鬼後鬼を従えた行者であり、山岳修験者の祖、ひいては忍の祖ともなったと言われている人物である。

「役小角の・・・では、その昔には、彼らと蛇念坊のような者とが会うこととかあったのでしょうか。」

「それはあっただろうなあ。だがわしが思うに、あ奴らと会うことは破滅なんではないかな。」

「それは?」

「日本霊異記はご存じかの?」

「内容は知りませんが、存在は存じております。」

「日本最古の説話集では、まあ伝説などがほとんどじゃが、わしらの言伝えの中にあるものと合致する部分も多い。そこに、葛城山の神である言魔が文武天皇に行者様のことを讒言したと書かれてある。わしらの言伝えでも、その一言とは八蛇教の真髄だとされておってな。奴らは一言で人の心を操り、野を焼き、獣を殺す。この言魔こそが八蛇教の者だと思うぞ。」

つまりその一言に念を凝縮させ、相手を破滅させうるのだ。

「そう言えば私にも還・・・とだけ言いました。それで私は現世に戻らされした。あれがそうか・・・。」

そこで山高は、金杵麿が言ったことの一部が気になった。

「今・・・文武天皇に讒言した内容が書かれてあったと言われていましたね。ですが、あなた方の言い伝えは人の心を一言で操ると。であれば、その一言が耳に届きさえすれば、操ることは可能なのでしょうか?」

金杵麿は少し考えて答えた。

「可能・・・じゃな。だが、そこまでの念を練れるためには素質があり、なおかつ想像を絶する修行が必要じゃろうな。」

「八蛇教・・・八岐大蛇?その力なのですか?」

「お前さん、よくわかるお方じゃなあ。その通り。古代における八岐大蛇とは、八卦による呪殺を極限にまで鋭くできた者、つまり八蛇教の者のことよ。大陸から伝わった洛書は善悪両方の力があった。使う者によって善にもなり、悪にもなる。八蛇教の祖先たちは、おそらく一子相伝的な修行で伝えていったのであろう。悪の気を練って子や弟子に伝えていったと思われるが、おそらく悲惨な伝授であっただろうな。あまりにも悪の色が強いので、逆に我々の世界にも入りにくい。下手すれば自分たちが潰されるかもしれぬ。しかし、こちらから接することもまた破滅ではある。」

「では、その力を打ち破る方法はないのですか?」

金杵麿は軽く笑い、山高の肩に手を置いた。

「どうされた?言葉に必死さが感じられますぞ。」

山高は、自分が安達盛長の転生であることは言わずに、語った。

「いえ・・・前々から不思議だったことがあったものですからね。私は大黒天を研究しておりますが、歴史を扱うと不思議なことが出てまいります。たとえば鎌倉時代に、承久の変が起こりました。様々な要因があったことは間違いないのですが、当時の後鳥羽上皇の心変わりが急なので、もしかしてそのような術をかけられたのかもと思ったのですよ。」

「ほう・・・それでか?まるで今の時代のことのように必死だったぞ。」

山高はこの老人の鋭さに舌を巻いていた。相当に頭も切れ、しかもかなりの手練れだ。役行者系と言っていたが、そこにも興味があった。

「そうかもしれません。あの夢は恐ろしいものでしたから。あの頃に気持ちが行ったのかもしれないです。しかも相当に昔のイメージでした。役行者もかなり昔の人でしたね。」

「ああ。わしは葛城流と言ってな。言い伝えでは行者様が密かに作ったお子が、秘伝を書にして残したと言われておる。だが、これを受けつぐには条件がある。」

「その条件とは?」

「ほら、あれよ。ダライ・ラマと似たようなものでな。伝承者となったその日から継承者となる赤子を探すのさ。もしいない場合には自分の子となる。つまり、わしらも一子相伝ということだ。」

「世に出ることは?」

「いやあ、ないな。普通の人間として暮らし、日常の中で修行を行う。いつの日か、わしらの力を使う日まではな。」

「いつの日か力を使う?それはなぜです?」

「わしらの言伝えでな、世に危うき者が生まれし時、呼ばれて魂が合致すれば力を使うべし、とされている。」

山高は、この時に確信した。自分がここに来たのは、この老人と会うためだと。そして、今この時を逃してはならないと。

「金杵麿さん、先ほどからお話させていただいて、確信しました。この出会いは偶然ではなく、必然です。私に、いや私たちに力をお貸しください!」

金杵麿は山高を見て、少し笑った。

「お前さん、まだわからんのか?」

「え?」

「いくら助けたからと言って、初対面のお人に一子相伝を謳う者がペラペラ語ると思うのか?」

「・・・と言うことは?」

「わしで良ければ、力を貸してもよろしいですぞということです。」

「なんと!ありがとうございます。しかし私は・・・。」

「よいよい。まず、ちゃんとご挨拶しないとな。安達盛長様。」

「え・・・そこまで見抜かれておられたのですか?」

「役行者系の一子相伝じゃ。そのくらいはできるわい。最初からわかっておったわ。だがな、これは覚えておいてくれ。」

「なんでしょう。」

「わしはな、お前さん以外には力を貸さん。」

「と、申されますと?」

「わしは、いや、葛城流は権力を好まん、頼朝に政子?会いたくもないわ。安達家はよく主君をたてて、滅私奉公を常としておったであろう。信用できるわ。権力に手を貸す愚かさなど、行者様が骨身に染みておられたのでな、一切してはならぬとされておる。頼朝や政子の姿が見えぬようにしておいてくれ。それが条件じゃ。」


35   


「な、なんですって!」

与里重琢磨川北市長は仰天して椅子から立ち上がった。目の前に座っているのは、沖皇尊成だ。

「どういうことですか!」

「えらい言われようですな。まあお座りなさい。」

川北市庁舎の最上階にある市長室に2人はいた。

「当然のことを申し上げたまでです。収支が合わないので、手を引くと申したまで、そのかわり、我々が拠出した金額はお返し願おうと申し上げておるのです。できなければ、市長、あなたに融資した額だけでも返還お願いしますよと、そういうことです。全部市の管轄になればいいだけですよ。」

与里重市長は拳を振り上げて激高した。

「そ、そんなことが通ると思いますか!きちんと契約を交わしているではありませんか!支払いはちゃんと総務の方でなされているはずです!」

官民が計尺書を交わす場合には当然各種法律に基づいて行われる。地方自治法などの法令に従って行われることになっている。だが肝心なことが残っていた。

「それが通るんですわ。市長さん、あなたは・・・我々を裏切られているのですからな。」

「な、なんだと!いつ私たちが裏切ったと仰るのですか!」

尊成は薄笑いを浮かべながら、封筒に入った書類を出して机に置いた。

「これは・・・?」

「ここしばらくの、総合物流センターにおける我々の収支です。それからこれは、その内訳です。ほら、この月に支払いがなされておりませんよ。」

与里重は書類を受け取り、震えながら目を通した。

「・・・こ、こんな馬鹿な。今すぐ会計に確認を・・・。」

「無駄でしょう。これが横領だということは判っておりますからね。」

「横領?そんな馬鹿な!監査はちゃんと行っております。」

「ほう?ではこの月に、市長は監査報告を受けておられますかな?」

「この月は・・・いえ、陳情で上京していて翌月に受けて・・・あ!押印が・・・こ、これは調査しなくては・・・。」

「うっかりで済みますか!冗談じゃありませんよ!総務課長の横領だということは判っておるのです!」

尊成は机を強く叩いた。

「よおく収支を見ていただきたい。たった1月と言えど、私どものような企業にとっては一大事。このおかげで一部経営に支障をきたしております。私どもの会計士からも、これはいけないと言われています。たとえ市長さんが目を通しておられなかったとしても、それは通りません。損害賠償法にも抵触する案件でしょう。あのね、与里重さん。」

尊成は与里重を卑下するような視線で見た。

「この総合物流センターを建築するにあたって、私どもは少しでも市長さんのお役に立てればと思い、選挙にも手をお貸ししました。さらにこれだけの金額を拠出しておるのです。それならば、ミスなど侵してはならん・・・そうではありまへんか?」

与里重は力なく椅子に腰を降ろした。支払いが遅れたくらいならば会議で調整はできる。だが横領ということにでもなれば、選挙で与里重に勝ちはない。最悪辞職しなければならない。

そうなるとメディアがあれこれ探り出してくることだろう。そうなると何も反論できない。単なる寄付金を大幅に上回る金額を受け取っていたからだ。

尊成は葉巻を咥え、禁煙なのだが構わずに火をつけた。

「まあ・・・そう凹みなさんな。私どもとて、無体をせえ言うておりまへん。少しずつでも返済していただければそれでええのです。」

「ま・・・誠に申し訳ない!」

与里重は机に額をつけて謝った。もはや自分はどうにもならないことを自覚したのだ。

「ですがね、市長はん。それにも条件がおますねん。」

「な・・・なん・・・でしょうか。」

「大したことやおまへん。例の・・・石油の権利を、譲渡していただければよろしおま。」

「なんだって!」

「ほうしたら、返還も考えまひょ。それが私どもの・・・。」

尊成は葉巻をケースに入れて蓋をした。

「条件です。」

最後の言葉には凄みがあった。子供たちに語ったように、尊成の目的は石油の利権にあった。小さいとはいえ、相当な利益を生む。

「・・・それが・・・ここに来た理由か・・・?」

「とんでもない。それは言いがかりでっしゃろ。我々も止む無くそうせざるをえんのですわ。市長さんには選挙法違反にもなりかねまへんから、慎重におすすめください。ほなら、私の用件は終わりました。吉報を期待しておりますよ。」

尊成は薄笑いを浮かべながら去っていった。与里重は涙を流し、両手を強く握りしめていた。うまい話には裏があるという、根本的なことを悔やみながら。

そしておそらく、総務課長か誰かを買収しているであろうことも確信していた。

「・・・覚えていろよ!タヌキめ!」


36 


かおるは、白水かおるとしての意思は残っていた。だがメンタルの世界では源頼朝正妻であり、執権北条時政の娘政子となっていた。

政子がいたのは、娘大姫の屋敷だった。長く病で伏せていた我が娘への想いは、他の万寿や千幡よりも強かった。可愛くて哀れで、与えられるものは何でも与えてやった。大姫も政子には心を許し、何でも語り合える仲だった。

だが父頼朝に対しては一切会おうともせず、贈られてきた着物や菓子にも一切手を付けることはなかった。政子も娘の頑固さには手を焼いていたのだが、仕方ないことでもあった。大姫はここしばらくずっと伏せていて、この日も伏せたままで母を迎えていた。

「具合はいかがか?」

「・・・変わりませぬ。もう我が身は空蝉には・・・居る身ではございませぬ。」

「迷い事を申すでない。母がついておる。」

大姫は少し笑い、枕元に置いた笛を手に取った。

「姫・・・まだその笛を?」

「これは、我が夫との思い出。これを吹く度に太郎様のことを思い出します。」

大姫は笛を口に当て、好きだった曲を吹いた。そして大粒の涙を流したので、政子は手拭いで拭いた。大姫は政子の膝に頭を置いた。

「太郎様は大層にお優しいお方でございました。幼い私に笛を教えてくださり、蜻蛉を捕まえたりお手玉に付き合うてくださり・・・なのに・・・なぜゆえに・・・父上は鬼じゃ!武家の棟梁などなるからじゃ!私は許しませぬ!地獄に落ちればよろしいのじゃ!」

「これ姫・・・左様なことを申すでない。あれは・・・悲しいことであった。もし父上がああしなければ、また無用ないくさをせねばならなかったことでしょう。これも全て、あの天狗様の仕業・・・父を恨むでない。恨めば恨むだけ、気が落ちますぞ。」


大姫はまた涙を流した。太郎とは木曽義仲の長男義高のことである。11歳で人質として6歳の大姫と政略結婚させられ、鎌倉に来ていた。だが上洛した義仲軍は京の公卿や民の反発を買い、後白河法皇が頼朝に追討令を出していた。そして頼朝は弟範頼義経に大軍を与え、義仲は近江で果てた。

義仲軍を破った頼朝にとって、義高は不用でしかなかった。どう処理すればいいのか思慮していたところを、早合点した侍従たちに知らされた大姫は周囲の声を聴いて義高を逃がしたのだが、義高は捉えられて斬首させられてしまった。

頼朝とて殺害するまでには至りたくなかったのだが、周囲にいるのは油断のならない坂東武者たちだった。力が全てという荒々しい世界にいるのだ。ここで甘い仕打ちをやっておけば、たちまち求心力を失ってしまう。平家を打倒しつつあった頼朝にとっては、ひたすら勝ち続けること、武者たちの所領と誇りを満足させ続けることしかなかった。

だがそれ以降、大姫は心身ともに不調となってしまった。お互いに父親同士が同じ源家でありながら戦ってしまい、親に翻弄された同士でしか判りあえない仲でもあった。

義高も大姫を愛でており、関係は良好だった。大姫の中では、ずっと義高があの優しい笑みを浮かべていた。頼朝は冷静で鳴る男だったのだが、大姫に関してだけは父親としての優しさを持ち続けた。同時に不幸にさせてしまった娘をいかにして幸せにしてやれるのかを考え続けてもいた。

入内も打診されてはいたのだが、後白河院や摂政近衛基通、丹後局といった曲者たちに翻弄され、なおかつ大姫自身の不調で実現しなかった。公武が真の意味でひとつになることは、頼朝から徳川公方末までなかった。

政子は夫頼朝の行動の意味を理解していたが、政子は耐えきれても子供には無理なことでもあった。政子ほど強い女性はそうそういないのだが、政子ほど悲しみを背負い続けた女性も少ない。大姫が政子にだけ心を開いたのも、そういう理由からだった。

「かかさま・・・。」

大姫は笛を政子に手渡し、そして目を閉じた。

「私はずっと・・・かかさまをお慕い申し上げます。幾たび生まれ変わろうとも、かかさまの娘でおります。そしていつか・・・太郎様と結ばれたい。子を作り、育てたい。笑う子供と遊びたい。それが私の願いに・・・ございます。」

大姫はそのまま眠りについてしまった。政子は大姫の額に手を当て、つぶやいた。

「母も同じ思いですよ。」

政子はしばらく娘の部屋を片付けた後、屋敷を後にした。


37  


「自分で?」

大山は岡島からの連絡を受けて唖然とした。一文字が、どうやら自分で家を出て行ったらしいとの報告だったのだ。

『そうなんだ。庭に本人のものと思われる足跡があった。奥さんはパジャマ姿だったと言っていたので、おそらく裸足で出て行ったんだろう。そしてちゃんと玄関から道路に出ていったところまでは追跡できている。今は犬で探っているところだが、少なくとも誘拐ではなさそうだ。』

意味がわからなかった。ではどこに行かなければならなかったのだろうか。

(・・・待てよ。)

大山は思案中にいくつかの記憶が蘇ってきた。

「おい岡島、一文字の部屋の捜査は終わったのか?」

『一応はな。どうかしたのか?』

「おそらくだが、蛇の紋章があったと思うんだ。」

『蛇?・・・いや、なかったぞ。』

「蛇の文様があればいい。その線でもう一回調べてみてくれないか。」

『意味がわからんぞ!』

「頼む。前に色んな事件があってな、それで閃いたことがある。頼むよ。」

『わかった。どのみち調べないといかんしな。』

電話を切った後で、大山が閃いたのは、あのプラーナ・ベイチャックでのヌーだった。あの時は麻薬で記憶がないまま操られていた。さらに、今では羽間の妻になっているさなえの件もあった。さなえもまた麻薬で操られていた。今回も麻薬かどうかはわからなかったが、現在のところその報告はない。

となれば、もうひとつ考えられることがあった。それは舟橋亀子事件での高原組たちの件だった。彼らも薬を使われてはいたのだが、肝心なことは彼らが亀子によって『自分たちは若いと思い込まされていた』ことだ。

その力が強すぎて、逮捕された時には認知症老人になっていたのだが戦闘中は若者のようだった。それで大山は、何らかの暗示をかけられていて、それで無意識の内に家を脱出した可能性について閃いたのだ。

さらに、光田の件もあった。光田は車を降りて、無意識のうちに竹馬のように操られて殺害された。光田にも何らかの暗示がかけられていたとするならば、過去の例を見ても可能性はある。その方法はまだわからないが、今回の相手のこと、後白河院のことを考えるとイメージはひとつしかなかった。

「蛇骨・・・か。」

大山は実際に蛇骨というものを見たことはなかったが、かおるや山高らからよく聴かされていた。今回も、何らかの形で蛇骨が絡んでいる気がする。

蛇骨は人を操ると言う。そしてその操られた人物こそが、今回の真の敵ということもわかっていた。

大山の魂には頼朝が入っていた。頼朝の敵は後白河院だった。稀代の策士で、稀代の独裁者でもあった天狗。白河院と後白河院がいなければ、武家の世はなかったかもしれない。

そして今回の敵は彼らに翻弄された哀れな者なのかもしれない。

(だが・・・決着はつける。絶対に。)

今回の相手をするのは、かおると政子だった。そのかおるは、今は過去因を解消するべく動いていることは、大山も知っていた。

大山はこういう思いに浸っていたのだが、その時山高の思考が飛び込んできた。

(先生!どうしました?)

(大山さん、とんでもないことがわかりました。光田さんを連れだした犯人がわかりました)

山高からだった。

(なんですって?それは?)

(詳しくは申せませんが、間違いないです。蛇念坊という、一言で相手を動かす者がいて、その継承者がいるはずです。たとえば彼らはすれ違いざまに一言かけるだけで、相手は暗示にかかります。さらにその暗示のきっかけがあればさらに暗示しやすくなります。そういう奴がどこかにいます。わたしはそいつを探し出します。)

(蛇念坊ですって?初耳です。)

(私も知ったばかりです。ですが、こいつさえ見つければ、大山さんの悲願も叶うかもしれません。)

(なんですって!・・・わかりました。よろしくお願いします!)

大山は山高が言った自分の悲願というものを、改めて強く認識した。自分の中でどうしても納得できなかったことが、山高によって明らかになるのかもしれない。

(なぜ・・・あの方の態度が急変されたのか・・・こいつが絡んでいるのか?)

光田や一文字に暗示をかけようとするならば、それなりに絞られてくる。光田は直前まで仕事をしていたし、一文字はずっと家に引きこもっていた。彼らの共通点は今のところわかっていない。何らかの方法で、瞬間的に暗示が効果を発することが可能であるならば、それは現実的に解決できるはずだ。

では、その線で捜査していけばいい。大山は桝永を呼び出した。

「暗示・・・ですか?」

「そうだ。君は経験ないだろうが、私はそれなりに経験してきているから、間違いなくあるはずだ。光田と一文字の間にある何か、あるいは何者かを徹底的に探ってくれ。頼んだぞ。」

「しかし副署長、それでは証拠にならないのでは?」

「証拠はその後だ!まず関りから探らなきゃいかんだろ。」

「わかりました!」

大山は自分で動けていた頃が懐かしかった。残念だが今は総合指揮をとらねばならない立場なのでそうもいかない。羽間と桝永、岡島や尾加田、山高らに動いてもらうしかない。

大山は今後のことについてシミュレーションを開始した。


38  


『おい!あんた、どういうつもりなんだ!』

兼末明川北市商工会議所会頭から尊成に電話があったのは、与里重市長と会った日の夕方だった。

「もう聞かれたんですか?早うおますな。当然の権利でしょう。」

『当然だと?それは脅しじゃないか!あの石油の利権は市のものだ。簡単に手放せるわけがないことくらいわかるだろう!何を考えているんだ?市長が泣きついてきて、もう俺は終わりだと言っていた。誰の得にもならんことだぞ!』

「ほう?少なくとも私どもには利益がありますがな。」

『いい加減にしろ!俺たちがどれだけ骨折ってきたと思ってるんだ?あんたに利があるように、しかも市のためになるように根回しして、散々喧嘩もしてきた。それもこれも、あんたを信用していたからだ。あんたの言葉に嘘はないと思ったからだ。それなのにこれはなんだ!裏切りもいいとこじゃないか!』

「ほうでっか・・・ならしゃあないですな。あんたに融通した会頭選挙資金も、返していただきまひょか。どのみちそんなカネあっても困るでしょ?マスコミにリークされたらえらいことですよ。それならお返しいただいた方がよろしいですな。」

『ああ、そっくり返してやる!俺を舐めるなよ。マスコミにリーク?結構だ。やってみろ。だが俺は、お前さんがやってきたことをバラすからな。』

「バラす?何をですか?」

『・・・俺が光田のことを知らんとでも思っているのか?』

「・・・なんやと?」

尊成は少なからず驚いた。確かに兼末は早くから沖皇物流については調査していた。過去にもまともにぶつかっても勝ち目がないと判断した相手には同様の手で乗り切ってきていた尊成は、地方都市でこの情報を有している人間がいたとは信じられなかった。

だがそんなことは微塵も言葉に出さなかった。

「えらい言われようですな。証拠がおますのか?適当なこと言うておったら、痛い目見まっせ。」

『痛い目だ?合わせてみっがよか!』

兼末は一方的に電話を切った。尊成はこの兼末の強気について考えた。普通の相手なら、ここで腰が引けるはずだ。

しかし逆に強気に出てきた。兼末のことはしっかり調べていたはずだ。何かしら根拠がなければ、これほどまでに強気になれるはずがない。尊成は盛成を呼び出した。

「なんや、親父。」

尊成は事の顛末を盛成に語った。

「・・・あいつが、そんなことを?」

「そうや。思い当たることはないか?」

「光田も一文字も・・・あいつあってのことや・・・。」

「あいつ?俺は知らんぞ。」

「あいつのことは俺しか知らん。親父たちは関わらんでええ。よっしゃ、俺に任せとき。」

「馬鹿者!そんな大事なことだったのか?なぜ早く言わん!」

「親父、俺はあんたのために泥を食ってきたんだぜ。これもそのひとつだ。俺を信じろよ、たまには。」

「そうか・・・よくわからんが頼んだぞ。これは為人にも懐にも言うておらんからな。」

盛成は会社を出て、荷物をまとめた。

(まさかとは思うが・・・あいつ・・・。)

盛成は会社を出て、1人で車を飛ばして山陰に向かった。途中色々なことが思い出された。あの男と知り合ってから、会社は無用の争いを避け、のし上がってきた。

それだけに、恐怖もあった。盛成は恐怖を打ち消そうと、すっと自分を鼓舞しながら車を走らせた。

(迷うな盛成!迷ったらあかん!)

そして着いたのが、山陰の日本海沿いにある小さな船着き小屋だった。小屋の外には老人がいて、タバコをふかしていた。

「親父さん、いるかい。」

「なんや、あんたか。また、行くのか?」

「ああ。船、出してくれや。ほら、いつものカネや。」

「・・・すまんな。少し待ってくれ。」

小屋の中にボートがあり、小屋の主は整備を済ませて船のエンジンを入れた。

「乗りな。」

盛成はボートに乗って、1時間ほど走らせるとボートを止めた。深い霧が発生していたからだ。盛成は懐から木の板を取り出した。そこには沖皇の紋章である8匹の蛇が描かれていた。盛成は木の板を突き出した。

すると少しずつ霧が晴れていき、目の前には島が現れた。

(いつ来ても気味悪いな・・・)

その島はほとんどが林であり、無人島だった。盛成はボートを進め、地蔵のような石像があるところで止めて上陸した。その石像は一見地蔵なのだが、よく見ると杖のような棒を持っていた。そこから盛成は、周囲に誰もいないことを確認すると林の中に入っていった。

しばらく歩くと、また石像があった。盛成は石像の前に座り、石像の頭を掴んだ。そして石像の頭を持ち上げた。

「いつもながら、重いな・・・よし。」

石像の肩には突き出した木の棒があり、盛成はその棒を押した。すると正面にあった木々が横に動き、小屋が見えた。木々は布に書かれた絵だったのだ。

何度か足を運んだ場所だったが、いつ来ても緊張する。盛成は軽く震えたが、軽く息をして小屋に歩いていった。小屋の前まで来ると、盛成は止まって息を吸った。小屋の前には鋭いイバラが門のようにあり、中には入れない。


「ご老人!盛成にございます!」

盛成の声に反応するかのように小屋の前のイバラが動いて入れるようになり、盛成は中に入っていった。小屋の中には囲炉裏があり、草鞋や箒、鎌などの道具や干し肉などが壁に下げられていた。そして小屋は黒い蛇のような影で囲まれていて、そこに目つきが悪く、蛇のような顔つきの老人の姿があった。

「・・・座るがよい・・・。」

盛成は言われるがままに老人の横に座った。

「茶を、飲むがよい・・・。」

 盛成の前にはすでに茶碗が置かれていて、湯気がたっていた。盛成は、少し濃いめの茶を飲んだ。

「ご老人、本日参りましたのは・・・。」

「悟られたのであろう・・・。」

判ってはいたのだが、盛成は言葉に出してしまったことを悔いた。この老人相手に言葉の必要はない。老人は手を止めて、じろりと盛成を見た。

「わしをまだよく知らぬか。左様なことじゃから、悟られるのよ。」

「申し訳ございません。迂闊でございました。」

「お主が子供の頃、祖父に連れられて参った頃より、わしはお前に目をかけてきた。しかしそれはわしの愚かさであったようじゃ。」

「で、ですがご老人、我々が悟られるような真似は・・・。」

「黙!」

老人は強く呪を唱え、一瞬で盛成は口が開かなくなった。立ち上がり、口を押さえて慌てる盛成をよそに、老人はつぶやいた。

「安羅万有以来の敵か・・・これまでのような依代では太刀打ちできぬ。世に出ることは好ましからぬことではあるのじゃが・・・我が怨敵じゃ。出向かねばなるまい・・・開!」

盛成は急に口が開くようになり、力なく座った。

「も・・・申し訳ございません!」

「盛成、そなたの祖父がこの島に漂流してから、わしらとお主らの関りは始まった。あ奴は、我が術で生き延び、そして今日がある。その恩は永遠なるものと思え。よいな。」

「は・・・ははっ!」

「此度の敵は、お主らとは別の敵じゃ。わしの怨敵が出てきおったわ。・・・力が、かの地に集まってきておる。これぞ定めじゃ・・・盛成!」

「ははっ!」

「依代で殺めることは可能じゃが、此度の敵には敵わぬ。わしが出向かねばならん。」

「そ・・・それでは、我々にお力をお貸しくださりますか!」

「よいか、盛成・・・。」

老人は持っていた杖を盛成の肩に軽く置いた。

「わしは安羅万有以降、一子相伝じゃ。独り者を連れて来て、子を作らせ、術を伝える。そしてここで死を迎える。ゆえに、わしはここから離れることは叶わぬ。じゃが・・・わしらの生き血を飲めば、その者に宿ることができる。」

盛成は老人が何を言いたいのか判らずに、黙って聞いていた。

「その者はどうなるのか、知りたくはないか?」

「わ、わかりません・・・。」

「そ奴の意思はなくなるのよ。わし自身になる。」

老人の声が、盛成は徐々に聞こえにくくなってきていた。

「ご老人・・・なにか、おかしいです・・・。」

「左様であろうな。その茶は、わしの生き血入りじゃ。」

「な・・・!」

盛成は立ち上がろうとしたが、まるで身体が動かなかった。指一本も動かすことはできなくなっていた。ただただ恐怖を感じるしかなかった。

「此度の怨敵、叩き潰さねばならん。盛成よ、主がかような性格であったは幸いじゃ。主は餓鬼ゆえ、己の功名しか目に入らぬ。父より偉大になろうとするあまり、ノコノコとわしの元に来おったわ。かような餓鬼ほど操りやすい・・・のう、盛成。」

盛成は涎を垂らし、手足を痙攣させながら必死で消えゆく意志を保とうとした。しかしそれは、台風に立ち向かうようなものだった。

「もうそろそろ、主は消える。魂が戻るべき所ではなく、三途の川の河原でわしを見ておるが良い。己の姿である、このわしをな。」

盛成の目は裏返り、白目になっていた。老人は杖を地面に突き刺し、目を閉じた。眉間にある第6のチャクラ「アジュナチャクラ」に、骨盤にある第1チャクラの赤色を練り、身体の隅々に巡らせて集中させる作業を繰り返し行った。

やがて体内気だけでなく、実際に蛇念坊の額に赤い点が見えだした。蛇念坊の髪の毛は逆立ち、まるで生物のようにウネウネと動き出した。口は吊り上がって牙が見え、全身に鱗のような文様が浮き上がってきた。

そして黒い瘴気が全身を包み込み、周囲の枯葉を浮き上がらせるほどの空気の流れを生み出し、なおかつ消滅させていた。瘴気が純粋な漆黒の闇になったとき、老人の目が開いて強烈な一言が発せられた。

「狩!」

その言葉は発せられたと同時に固体化し、そこに周囲の瘴気が吸い込まれていき、それはゆっくりと盛成の口の中に潜り揉んでいった。

「グガボ!・・・グボオオオオオオオオ!」

盛成は溺れるような声を出し、立ち上がって両手を広げた。地面に突き立てられた杖が次第に変化し、黒い布のようになって、盛成にバサっと被さった。老人はガクリと倒れて地面に崩れ落ち、盛成は両腕を降ろしてその場に立ったまま黒い布を全身に纏い、ゆっくりと目を開けた。元々極道志向の顔だったのが、この世のものではない雰囲気を全身から漂わせていた。目は鋭く、これまでのようなチャラさはなくなり、どっしりとした重さと、異次元の邪悪さを感じさせていた。

盛成は視線を己の手足に落とし、ニヤリと笑った。

「盛成よ、若い身体は良きものじゃのう・・・主の言葉使いも覚えねばならんな。それでは、向かおうかのう・・・我が宿敵よ、待っておれ!」

盛成となった老人は倒れたままの自分の肉体を見た。

「この体も、そろそろ脱がねばならぬ頃ではあったな・・・。」

老人は少し前まで自分が宿っていた肉体に軽く杖で触れた。痩せた老人の体は、消え去った。

老人は両手に何かを持ったように裏返して、つぶやいた。

「参ろうかの。」

老人の肉体は盛成の両手の上に発生した黒い球体の中に吸い込まれていき、盛成はその両手を頭上に掲げて目を閉じた。

次の瞬間、盛成の姿は消えていた。

盛成の意識はなくなり、その体の中には老人の意志が入っていった。盛成は蛇念坊と化したのだ。


40  


政子は大姫の屋敷を出て、自分の庵に戻った。執権義時の姉であり、頼朝の妻なので当然ながら警護の者らは多くいたのだが、政子は近習の女性たち以外は庵に入れなかった。質素な庵には土間と毘沙門天像がある居間、庭を愛でる離れくらいしかない。

通称尼将軍と言われるだけあって、ひっきりなしに誰かが訪ねてくるのだが、ほとんどは筆頭女人が相手をすることになっていた。政子が相手をするのは、北条一族と頼朝一族だけだった。この日は誰も通すなと言っていて、政子は粥と漬物の食事を終えると毘沙門天像に向かって座し、合掌して真言を唱え続けた。

どれだけの時間が過ぎたかわからなかったが、ごく自然に政子は年齢を重ねていた。すでに頼朝も義時も逝去していた。政子が尼将軍と呼ばれるようになったのはその権力なのだが、政子は多くの女人を忍として重用していて、様々な情報を仕入れて政治に反映させてきていた。

義時が得宗として死去した後、様々な動きが起こっていた。頼朝逝去後に起こった多くの政争を勝ち抜き、承久の変を勝ち抜いた義時は正に天下人だった。

だが絶対的であるがゆえに、その後に混乱が起きることは明らかだった。多くの陰謀が巻き起こっていたのだが、政子はここでひとつの決断をしなければならなかった。あまりにも多くの陰謀を抑えるには、誰も抗えない既成事実を構築することが一番効果的だ。

その標的となったのが、義時の後妻である伊賀の方とその兄伊賀光宗による、得宗簒奪事件だった。三代目執権に我が子政村をつけようと画策したとして、政子は伊賀の方と光宗を『処分』することにした。

だがこの事件は、政子と伊賀光宗による一世一代の大芝居でもあった。様々な陰謀の中には、伊賀を落とそうとする画策もあったようだ。確かに我が息子政村を執権にしようとしていた伊賀の方の思惑はあったものの、このままでは御家人衆から襲われかねないと判断した光宗と政子、そして合議の衆が決断したことでもあった。

その結果、三代執権は義時の子泰時が就き、光宗は信濃に流され、伊賀の方は伊豆北条に幽閉となった。後に政村は七代執権となり、光宗は合議に連座した。彼らに非がなかった証である。

だが、1人納得しなかったのが伊賀の方だった。彼女は本気で執権の母になる夢を見ていた。伊賀の方は幽閉される直前に、政子は伊賀の方と会っていた。会ったのは、伊豆にある頼朝挙兵の場となった屋敷だった。

鎌倉将軍府発足後この屋敷は聖地となっていて、将軍府が管理するところとなっていた。政子はそれまでも義時の姉として会ってはいたのだが、義時が老年になってからは伊賀の方の権勢が強くなってきていたためにほとんど会わなくなっていた。

事件が表沙汰になる前に、こっそり2人だけでの場だった。伊賀の方にしても願っていた上での会談だった。すでに根回しを着々と済ませていて、後は政子から政村執権就任の承認を得られるだけだったからだ。

伊賀の方の思い込みは激しく、義時の継妻となった時からそれはあったようだ。政子とは最初は頻繁に会っていたものの、次第に疎遠となっていった。それは政子の方から距離を置いていたのだが、伊賀の方は自分が勝ったものと思い込んでいた。

政子の近習があれこれと世話をし、警護の侍たちが屋敷を囲んでいた。

「姉様、お久しゅうございます。お招きいたみいります。」

「左様ですね、御台。執権様がお亡くなりになったばかりなのでね、貴女とお話しておきたかったのでございます。」

「ほんに・・・あれほどお達者でおられましたのに。幸いにも四郎殿も立派な武者となり、公方様をお支えする覚悟もできておる由。」

「政村も、我父時政に益々似てきておる。我も楽しみじゃ。」

その後も女同士ならではの食事や菓子、花などの話題になり、一通り話し終えた後に、政子が切り出した。

「次なる将軍のこと、ご承知ですかの?」

「いえ、今はまだ姉様が将軍でいらっしゃいますゆえ・・・三寅殿がお就きになられるはずでは?」

「そのことじゃが・・・。」

穏やかな話し合いではあったのだが、その裏では伊賀の方は娘の夫である一条実雅を将軍に推し、執権には我が子政村を就任させるべく動いていたのだ。そのことはとっくの昔に政子の耳に入っていた。

実朝暗殺の後に自ら尼将軍となって将軍府に君臨していたものの、全く本懐ではなかったのだ。次期将軍として迎えていた三寅こと九条頼経が次の将軍になる手筈であったのだが、そこに横槍を出してきたのが伊賀の方だった。それだけならまだ考える間もあったのだが、問題視したのが他の御家人衆だった。

尼将軍政子の大演説で立ち上がった経緯もあり、彼らは当然執権には義時の長男泰時が就くべしと考える者も多かった。特に将軍府を支えた中原広元はその筆頭であった。政子は広元と協議を重ね、この会談次第で沙汰をどのようにすべきか思案中でもあった。

さらに問題もあった。一条実雅はすでに25歳の頃より鎌倉におり、まもなく参議にもなっていた。御家人内にも一定の理解者たちがいたのだが、彼らの多くは反北条の者たちが多かった。

政子や広元が憂えたのはまさにこのことだった。さらに、肝心の政村自身も、伊賀の方兄の光季も得宗派だったのだ。結局は伊賀の方の1人相撲であり、かつ政子の過度な心配がこの一件の肝であった。政子はある決断を胸に秘めていたのだが、そのためには伊賀の方の性根の最終確認が必要だった。

この会談は、そのためのものだった。

「御台、近ごろ得宗を心良く思わぬ御家人衆が多いことはご存じかえ?」

「・・・多少は存じております。」

「たとえば?」

「それは・・・。」

「構いませぬ。」

政子の凛とした振る舞いは正に尼将軍たるものだった。その優しくも堅い態度には御家人衆ですら黙る力があった。政子の目力も強く、本気で睨まれたら剛で鳴る武家ですらたじろいだ。伊賀の方にも御台としてのプライドもあったのだが、政子の前では無力だった。

「・・・三浦義村様や・・・朝時様・・・。」

他にも把握していたのだが、その2人でやっとだった。三浦一族は平家打倒挙兵以来の有力御家人であり、常に北条をライバル視していた。朝時は実母が比企であり、比企能員が北条時政に滅ぼされたことで義時と母は離縁した経緯があった。当然ながら彼らは、後妻伊賀の方や政村には反発する心が常にあった。彼らの周囲には常に反北条の連中が集まってきていた。


「ようご存じじゃな。その通り。我も悩んでおる。朝時は、我のところにも顔を出さぬ。困ったものじゃ。左様なことをご存じならばじゃ、この鎌倉が盤石でなくてはならぬ。かように思うておるのじゃが、いかがか?次なる将軍は三寅殿でなくてはならぬ。無用な混乱は避けるべきじゃ。」

伊賀の方はもはや政子の目をまともに見ることはできなくなっていた。己の心の中を見透かされたかのように、突き刺すように言われてしまってはどうしようもない。ただ頷くしかできなかった。

伊賀の方の本音を確認できた政子はさらに言葉をかけた。

「四郎は、よくここに来られます。」

「え?」

「我と話すと、心が安んじると申されてのう。四郎殿は御台のことを常に案じておられる。我も四郎は可愛い。執権たりうる若者じゃ。じゃが・・・。」

政子はさらに言葉に力を込めて伊賀の方に伝えた。

「まだ早い。四郎に御家人衆を束ねる力はまだない。時間が必要であろう。それにのう・・・我らは御台の兄様には恩義がある。かのいくさの折、光季様が身を挺して鎌倉のために戦ってくださったこと、我ら忘れることはない。ことを焦っては、光季殿に合わせる顔もない。・・・おわかりか?」

伊賀光季は検非違使として京にあり、情報を逐一鎌倉に伝え、承久の変では襲われて戦死していた。伊賀の方は、己の考えをズタズタにされた気持ちになっていた。

やはり政子は尼将軍と言われるだけの女将だった。伊賀の方は自分の甘い考え、画策などすでに知られていたに違いないと悟った。伊賀の方の心中を察した政子は、鋭い気を納め、優しく言葉をかけた。

「どうじゃ。御台は北条の身内ではないか。執権がおらぬ今、北条の里で菩提を弔ってみてはいかがかの?かの地は良き土地じゃ。我らの一族が常にしっかりと守っておる。如何様な悪き者も入れぬ。考えてはいただけませぬか?」

それはもう決定的だった。政子は自分に蟄居せよと言っているのだ。

「ようお考えなされ。今日はもう、これでお帰りになられませ。」

政子は近習に命じて、伊賀の方を屋敷の外まで案内させた。そこには警護の兵が待機していたが、実は彼らは政子が手配した、政子に従う侍たちだった。

この日から、伊賀の方は政子の手の中に落ちた。それから間もなくして、首謀者の1人と目された三浦義村は政子に詰問されて北条に仕えることを誓わされ、そして伊賀の方は伊豆北条の里へ行き、事実上幽閉の身となった。

数か月後、伊賀の方は他界した。そして最後の大仕事を終えた政子は、三代執権が泰時に就かせると、静かに他界した。


41  


岡島と桝永から示された情報の分析を、大山と羽間は進めていた。こうやって2人で同じ事件を扱うことは久しぶりだった。羽間が結婚する前までは、大山も現場を走り回っていたものだ。だが今はお互いに昇進していて、大山は病気がちの山内に代わって署内の指揮を執ることが多くなってきていた。

しかも今の2人には、頼朝と盛綱という転生前の記憶もあった。全く同じ気持ちというわけにはいかなかったのだが、それでも羽間は嬉しかった。

「なんかこう・・・懐かしいですね。先輩とこうやって頭使うのって。」

「ああ。そうだな。お前は体力勝負だからな、随分助けられたよ。そういえば、さなえは元気にしてるのか?」

「まんまですね。少し太ったかな。」

「あの賑やかしがいなくなると、それなりに寂しくもあったもんだ。お前が全部背負っちまったしな。」

かつて大進姓だったさなえは、自称近所おじさま方のアイドルだった。大山は苦手だったのだが、あのプラーナ・ベイチャック事件以降羽間と結婚して退職していた。辞める時にも、これで川北署は終わりよねとか言い出して呆れさせたのだった。

「たった数年前の話なのにな。それに俺たちはもうひとつの人生も背負っているから、前のようにはいかんよ。」

「・・・そうですよねえ・・・。」

2人は少しだけ幸せな気分を持ちながら作業を進めていた。

「・・・先輩・・・?これ、見てください。」

羽間が大山に見せたものは、汐田が目をつけていた凶器の柄の写真だった。

「これは汐さんからのだな。」

「そうです。そしてこれが、一文字の部屋にあったものです。どうやら文鎮のようですね。」

次に羽間が提示したのは、鉄でできた板状のものだった。

「ここに文様が見えるでしょ。この柄の形状と似ていないですか?」

文鎮に刻まれていたものは、太い線が絡み合ったようなものだった。

「まあ、似てる・・・な。」

「それから、これが光田の事務所にあったもので、これはマウスパッドです。」

「これは・・・確かに一文字のものとそっくりだな。」

マウスパッドは黒く、その中央には楕円が描かれており、その中には入り組んだ文様があって、一文字の文鎮文様とよく似ていた。

「これ、ちょっとスキャンして検索かけてみましょうか。何かヒットするかもです。」

「頼む。」

大山と羽間が組むと、不思議なことに多くのヒントが見つかってくることは署内では知られていた。波長が合う以上に、センスの合致が増幅しているようだった。

羽間が資料室で調べている間に、大山はかおると精神感応しようと試みたのだが、ダメだった。ここしばらくは全く反応がないし、電話してもメッセしても返事はなかった。

(あいつのことだ。どこかの世界に行っているとは思うんだが・・・。)

『先輩!』

羽間が資料室からコールしてきた。

「おう。」

『ヒットしました。そちらの端末で見れます。』

大山は自分のデスクのキーボードをクリックして画面を出した。

「これは・・・蛇じゃないのか?」

そこにあったのは、蛇が何匹も絡み合っているように見える紋章だった。


『これはウロボロスという古代の紋章で、よく見たら蛇は八匹いて絡みついています。で、これを検索していたらこんなものが見つかりました。』

羽間が次に見せたものは限りなく蛇が細くなったものだったが、その構図を見た大山は驚いた。

「これは・・・汐さんの柄にそっくりじゃないか。」

『そうなんですよ。これはどうやら、蛇信仰宗教の一派で、もう今はなくなっている八蛇教というものの紋章らしいです。』

「八蛇教・・・全く知らないな。そういうものがあったんだな、過去に。」

『そうです。かなり危険だったらしく、どこにいたかわかりませんが、誰かに滅ぼされたみたいで、かなり古いもののようで、一節によると猿田彦と逆の存在だったみたいですね。』

「猿田彦?あの、天狗みたいな奴か?」

『猿田彦は天孫降臨の際に案内したんですけど、八蛇教の教祖は逆に邪魔をしたと言われています。そもそも対立していたようでして。』

「ほう・・・うん?」

大山は八蛇教の紋章を見ていて、かなり荒れた精神波長を感じた。

(これは・・・山高さん?)

よく波長を感じてみると、それは山高を通じて感じている別の人間のものだった。

『先輩?』

「ちょっと待ってくれ。」

大山は山高に向けて意志伝達を行った。

(山高先生・・・今、誰かと一緒ですか?)

(大山さん、そうなんです。私の隣にいる金杵麿さんの感情がおかしい。今確認します。)

「ケン、山高さんと繋がっている。そちらからヒントがあるかもしれん。ちょっと待機しておこう。」

『了解です。』

大山と羽間が独自調査を進めている間に、山高は金杵麿大和の腕を押さえていた。山高は常に大山と精神感応状態を維持していたのだが、山高と共に高霊院で修行談義などしていた金杵麿がいきなり暴れ出したのだ。

「おのれ!お前らが出てきたのか!くそ!どこだあ!」

「大和さん!落ち着いてください!誰もいません!」

しばらくすると、金杵麿は落ち着きを取り戻した。激しく息をしながら、金杵麿は麦茶を何杯も飲んだ。

「ぐわあ・・・参ったわ。」

「どうされたんですか?」

「どうしたもこうしたもないわ。お前さん、誰かと気持ちが繋がっておったじゃろ?」

山高は驚いた。そのようなことをこの老人に話したことはなかったからだ。

「大和さん、なぜそう思われるんですか?」

「わかるわ!わしは行者様系の修験者じゃが、行者様も元々は猿田彦の系譜じゃ。その猿田彦様が苦しんでおられる。そのお気持ちがわしに移ったのよ。」

「なぜ、苦しまれるのです?」

「猿田彦の敵が・・・現れよった!隠れていた悪魔が依代そのものになって蘇った!お前さんと繋がっておる誰かがそのものを感じおったんじゃ。」

「大山さんが・・・感じた?どうして・・・?」

その瞬間に、山高の脳裏に何かが閃いた。

「ということは・・・あの方が?大和さん、それは何ですか?」

金杵麿は流れる汗を拭いて、ため息をついた。だがまだ身体は震えていた。

「安羅万有じゃ。」

「アンラバンユウ?」

「猿田彦はの、遠くアジアの奥地から中国に来ていたシャーマンでの。元々はゾロアスター教の司祭ウルスラグナであった。強力な力を持っておられてな。だがウルスラグナの一族が中国に来た時に、とんでもない悪魔と出くわした。それがゾロアスター教で言うところのアーリマンでな。ウルスラグナはそいつと戦い、巻き込まれた人間がこの地にやってきた。それが古代移民のひとつだと伝えられておる。」



「つまりそれが変化しての天孫降臨・・・となると、その悪魔とは?」

「巴蛇・・・象をも飲み込むほどの怪物と言われておるがの。それだけの妖術を操る、巴蛇を信仰する呪術師一族がウルスラグナと戦ったのよ。」

「ハダ・・・ではその呪術師一族が安羅万有だと?」

「ああ、そ奴も中央アジアから来た妖怪じゃがな。だがウルスラグナに敗れて一族はほとんど滅んだらしい。しかしその中のごく一部はこの地に来た人間らに紛れて山に逃げ込んだとも言われておる。それが安羅万有よ。奴らは巴蛇の力を使うのじゃが、大陸秘術だった八卦と合体させた。その力を一度だけ使うたが、ウルスラグナの力で抑え込まれた。それが古代英雄のイメージと重なったのが、須佐之男命というわけじゃ。」

「なんですって?・・・つまり、安羅万有が日本で一度だけ使った秘術が八岐大蛇・・・ですか。」

「そういうことじゃ。」

山高は安達盛長としての知識も合わせて考え、そしてある考えに至った。

「大和さん、おかげでヒントになりましたよ!これで何とかなるかもしれません。」

「しかしそうなると、わしも覚悟を決めねばなるまい・・・安羅万有の一族がこの世に蘇ったとはなあ。だがなぜだ?」

「大和さん、それも必然かもしれません。」

山高は自分の考えを金杵麿に伝えた。金杵麿は頷きながら話を聴き、深く息を吐いた。

「お前さんの考えは、おそらく正解じゃろう。ではわしらは、その方面で動こうかの。これはわしにも関わることゆえ、な。」


42  


「兄弟・・・どうしたとや?なんか雰囲気違うぞ。」

北西三郎は義兄弟の沖皇盛成をいつも通り歓迎したのだが、まるで別人に見えていた。

「俺の雰囲気が違う?・・・ほう、そう見えるんか?」

「ま、まあなあ。」

言葉使いも変わっていないし、姿も変わっていない。

しかし決定的に違うのは、人間離れした雰囲気を漂わせていたことだ。

北西はこれまでも、いわゆる暗殺者や残酷な仕打ちを平気で行うサイコパスも見てきていた。

だが目の前の盛成は、その誰とも違って異質だった。

「俺も覚悟を決めたからかのう・・・まずは、酒をくれや。お前とサシで飲みたいんや。」

「そうか?いよいよ本腰で川北乗っ取るんか?そりゃよかこつや。」

戸惑いながらも、北西は元組員を部屋の外に出して、高級酒を出した。

「山崎の300万や。これでええか?」

「ああ・・・それでいい。」

北西はウィスキーをグラスに注ぎ、盛成の前に置いた。

「すまんな。そう言えば、思い出したわ・・・お前とよくサシ飲みしてたもんやな。」

「ああ、昔はな。俺もチンピラやったし、いつでも死んだるって思うとった。懐かしいな。」

「そうだな。昔はお互いに1人で暴れとった。今は違うがな・・・どうだ、改めて兄弟盃せんか?」

「なんでや?」

「気持ちや。ちっとはフレッシュな気持ちでおりたいやろ。」

「まあ、よかやろ。」

盛成と北西は小指を少し切って血をグラスに垂らし、そのグラスを交換した。兄弟盃にも色々なタイプがあるのだが、彼らのやり方はこれだった。

「それじゃ改めて・・・兄弟、よろしくな。」

「ああ。」

2人はグラスを掲げ、一気に干した。

「フー・・・美味いな。」

「ああ、美味い。だが、これよりももっと美味い酒があるんや。」

「ほう、なんやそれ?」

「勝利の美酒言う奴や。これから俺らは川北だけやのうて、ここも乗っ取る。そのためにも兄弟の力がいるんや。」

「おう、任せとけ・・・いかんな、ワシも弱くなったようや。頭がくらくらしてきよる。」

盛成は無表情で、サングラスの奥にある目が奇妙に光って見えた。

「お互い歳やからなあ・・・どうや、気分は。」

「気分は・・・き・・・し・・・喋れん・・・変や・・・。」

盛成はグラスを机に置き、サングラスを外した。

「もっと気持ち良うなるで・・・。」

「き、兄弟?・・・お前、これ・・・。」

「兄弟が飲んだのは俺の血や。お前はこれで・・・俺の分身になるんや。」

「な・・・ぐ・・・ぐぐぐ・・・。」

北西は胸と顔を掻きむしりながら苦しみ、そしてそのまま倒れた。盛成は倒れた北西を冷ややかに見つめ、そして口を開けた。その中から出てきたのは、蛇のように先端が割れた舌だった。

その舌はどんどん伸びていき、やがて北西の頭についた。

「覚!」

盛成は冷たく言い、そして北西はピクっと動いた。盛成の舌は口の中に納まったが、同時に北西はゆっくりと起き上がった。姿は元のままだったが、雰囲気はガラリと変わっていた。

「よおし・・・わが分身よ。なすべきことはわかっておるな?」

「・・・よく、知っている・・・。」

北西は豪快な一面があったのだが、冷めて冷酷な雰囲気になっていた。喋り方も違っていた。

「元!」

盛成が一言言葉を発すると、北西ははっと我に返った。

「俺、どしたんや?酔うて眠っておったんか?なあ兄弟、何があった?」

「別に・・・気持ち良う寝ておったで。」

「・・・でもなんやら・・・気分よかな!若返ったみたいや。」

「俺の血のせいやろ。ほいじゃ俺は帰るわ。また連絡するからな。」

「あ、ああ・・・またな。」

北西は盛成を社員に送るように言いつけ、自分は椅子に座った。これから女と遊ぶか・・・などと考えている北西に、夕陽があたった。その影はまるで人間サイズの蛇のように見えた。

43  


麗子、美也希は夢から醒めたように感じながら目を開いた。かおるはそんな2人を、笑みを浮かべながら見つめていた。美也希はキョロキョロ辺りを見回し、自分の服を見てほっとしたように肩を落として、テーブルに突っ伏した。

「あー、変な夢!なんだったの、あたし!」

麗子も目をパチパチさせながら周囲を見渡し、ここが『食房きよいずみ』だとわかると安心したように首を振った。

「ミヤッペも夢見たの?」

「うん・・・あたし、お姫さんやった。きれいな服着てたけど、本当に辛かった。悲しくて、みんな大嫌いで。あれ、地獄だよ。あー良かった。」

「そう・・・。」

麗子はかおるを見て、思わず涙が出てきた。美也希は顔を上げて、麗子の肩に手を置いて顔を覗き込んだ。

「麗子さん、どうしたん?」

「ミヤッペ・・・そのままそっとしておいてね。」

「・・・かおるさん、何があったの?あたしだけじゃなくて、麗子さんもおかしいじゃん。あたしたち、どうしちゃったの?」

かおるは2人より先に元に戻っていた。あれが夢だったと思わせるべきか、真実を伝えるべきかを考える余裕があった。

「ミヤッペはどんな夢を見てたの?」

「あたしね・・・どこかのお姫様で、彼氏がいたの。でもね、その彼氏が殺されちゃって、それであたし、病気になったみたい。それでお母さんがお見舞いに来てくれて・・・。」

美也希はそこまで言うと口をつぐみ、かおるの顔をじっと見た。不思議そうに首を傾げながら、かおるの髪を指で持って、何かの感触を思い出しているようだった。

「この髪・・・夢のままだ。そしてお母さんの顔・・・かおるさんみたい・・・やだ、何これ?」

美也希はこの奇妙な感覚を自分で処理できないようだった。かおるは麗子をチラ見したが、まだ泣き続けていた。

「そうね・・・さっきも言ったけど、前世ではあたしたち、親子だったのかもしれないわね。」

「そうなん?」

「そう思わない?」

「うん・・・なんかね。かおるさんと話してると・・・あたしのお母さんと話しているような、いや、なんつーか・・・落ち着くの。心が・・・優しくなっていきそう。なんだろ・・・本当にそうなのかなあ。」

「そうかもよ。でもね、今は違うじゃない?別々の生き方だし。だけど、あたしをお母さんだって思っていてもいいのよ。」

「え・・・は、恥ずかしいよ。会ったの、2回めだし・・・。」

「いいのよ。」

「・・・本当に?」

かおるは笑みを浮かべて頷いた。美也希は最初こそ驚いていたのだが、徐々に嬉しそうな表情になり、年頃の若者の雰囲気になった。美也希が嬉しそうにしている横では、ずっと麗子は涙していた。

かおるはこれからどう対処すればいいか考えていたのだが、結論は出ていた。

「麗子ちゃん・・・伊加ちゃん!」

かおるは強く言った。麗子を名字で呼ぶのも久々だった。麗子は泣きながら顔を上げて、かおるの目を見た。

「麗子さん・・・?どうしたん?怒ってるの?」

美也希の問いかけにも答えず、麗子はかおるを睨むように見ていた。

「かおるさん・・・あたし、ずっとあなたが苦手だった。意味が判らないけど、生理的に無理だった・・・その意味がやっと判ったわ・・・そうだったのね。」

「麗子さん・・・?」

「ミヤッペ、黙ってて!」

麗子の激しさに、美也希は怖がって目を伏せた。

「麗子ちゃん・・・悔しいのはわかる。あたしもあれは無謀だったかも、とは思ってる。でもね、あのままだと、あなた方はどうなっていたか・・・今なら判るはずよ。」

麗子は黙ってかおるを睨んでいたのだが、その脳裏には様々なことが蘇ってきていた。あの当時は見えなかったことが、今では俯瞰で見ることができたからだ。陰謀と暴力が渦巻く鎌倉将軍府は、かつて麗子が夫と呼んだ義時が逝去した後に見えるようになってきていた。

承久の変以降赴任した各地の地頭らの紛争は耐えず起こっており、当時は合議制となったばかりなので何らかの基準が必要になっていた。それで制定されたのが御成敗式目であり、それでようやく武家の争いが収まってきていたのだ。

もしあの時に伊賀の方が暴走すれば、それこそ早い時期に戦国時代になっていたのかもしれない。そして抑えのきかなくなっていた武家たちに、伊賀の方らは殺められていた可能性は限りなく大きかった。

麗子の頭の中には、かおると同様に2つの人生の記憶が激しく交差していた。冷静には判断できているのだが、感情はどうにもならない。麗子は絞り出すように言った。

「かおるさん・・・あたし、理解はしています。」

「麗子ちゃん・・・。」

「でも!それでもまだ消化できていないの!怒りと悔しさが・・・どうしようもなく湧き起こってくるの・・・しばらく時間必要だわ。ごめんなさい・・・ご馳走様でした!」

麗子は立ち上がり、タクシーを呼びながら走り去った。

「麗子さん!」

美也希も立ち上がろうとしたのだが、かおるがそっと美也希の手を押さえた。

「ダメ。そっとしておいて。」

「だって・・・麗子さんが・・・。」

「ミヤッペ、あなたはもう消化できているからいいの。これから少しの間だけ、麗子ちゃんとは会わない方がいいかもね。」

「ねえ、あたし・・・前から変なの。生まれる前に会った人のこと、わかるの。あの刑事さんもそうだった。」

「刑事・・・ああ、ケンちゃんね。そうよね・・・そのはずだわ。」

「え・かおるさんもわかるの?」

「・・・まあね。おいおい、色んなことが判ってくるわ。麗子ちゃんはそっとしておくのよ。いい?」

「・・・はい。」

「さて・・・ここのパフェおいしいの。食べる?」

「はい!・・・うん!食べる!」

かおるはパフェを食べながら、麗子のことを考えていた。麗子はおそらく、また結ばれることだろう。それで成就される。これらのことが整理できていて初めて、かおるは最終の戦いに臨むことができる。

かおるはその時、自分が精神チャンネルを閉じていたことに気が付いた。まるでスマホの着信履歴を見るかのように、かおるは大山がアクセスしてきているのがわかった。

(もうちょっと後でいいわね・・・タカちゃん。)

すると、かおるのマインドが急に荒れ始めた。通常ではこんなことは滅多にない。

(なに、これ・・・。)

考えていると、あるイメージが浮かび上がってきた。そのイメージを感じて、かおるは眉間に皺を寄せた。

(これ・・・ウロボロス・・・いや、違う・・・え?・・・まさか、これも復活するの?)


44 


麗子はなぜか家には帰らず、会社の管理ビルにタクシーを飛ばし、総務部に入って我を忘れて泣いた。幸いにも総務部には誰もいなかった。沖皇物流に押されて、営業しようにもできなくなっていたこともあり、小四郎が一旦営業を中止させていたのだ。

麗子は泣きながら、ここで光田に厳しくも優しく指導されていた日々を思い出し、また同時に遠い昔に鎌倉で権力のトップ近くにいた時のことを思い出してもいた。2つの人生を受け止めることは普通ではできない。麗子はそれができていたのだが、暴走する感情だけはどうしようもなかった。

感情の根源が何かはわかったのだが、それが却っていけなかった。憎悪の対象がすぐ近くにいたのだから、どうしようもない。しかし今さら恨んでもどうしようもない。

どんどん心は落ちていった。

「おや?お前、何やってんだ?」

小四郎がいきなり管理ビルにやってきた。麗子は驚いて、メイクが涙でぐちゃぐちゃなまま顔を上げた。

「え・・・社長?どうされたんですか?」

「お前アホか。ここは俺の会社だぞ。用事がなくても来るわ・・・って、お前どうした?メイクが・・・泣いてるのか?」

麗子は慌てて手鏡を見て、顔を伏せた。

「すみません、社長。ちょっと色々ありまして・・・。」

「構わんよ。仕事はいいから、顔洗って来いよ。」

麗子は手洗い場に行き、バタバタとメイクを手直しして戻ってきた。小四郎は、今は市川が座っているデスクに座って窓から外を見ていた。

「すみません、社長。総務に何か間違いでも?」

「ないよ・・・今は何もない。どうしようもねえわ。沖皇の奴らめ、市役所の奴が言ってたけど、市長を脅したという噂もあるそうだ。商工会議所会頭が激高しているとか、な。あいつら本当に、何がやりたいんだ?あの調子だと俺らだけが狙いじゃねえ。川北自体を狙っているとしか思えん。単なる商売敵としか思っていなかったが、こりゃそういうわけにはいかん。これからは俺らも全体で・・・うん?」

麗子が小四郎の横に立ったのだ。


「どうした?」

「社長・・・お強いんですね。」

「俺が?アホか。めっちゃ弱えーわ。自分でも嫌になるくらいに弱いわ。姉貴は強いし、姉貴がいたからここまでやってこれたんだ。姉貴だけじゃねえ、光田もいてくれてたからな。俺1人ではなーんもできねえよ。」

麗子は思い出すように、遠くを見る眼で外を見た。

「この景色、部長もよく見ていました。ここから見える田園風景、ちょっと遠くに見えるビル、全部が好きだって仰っていました。」

「光田が?そうか・・・。」

「部長は日本海の孤島出身だって仰っていましたね。そこで何があったのかはわかりませんが、娘さんがまさかここに来るなんて・・・呼び寄せたんでしょうね、きっと。」

美也希の実父が光田であり、美也希と母親は苦労したと言っていたが、詳細はまだ聴いていなかった。

「そうかもな。光田はな、女房の浮気相手に会社乗っ取られて逃げてきたって言ってたんだぜ。あいつは何というか・・・狂気じみていた部分もあった。今から思うと、過去を振り切りたかったのかもしれないな。・・・で、この手、いつまで置いておくんだ?」

「え?・・・あ、あら・・・。」

いつの間にか麗子は小四郎の肩に手を置いていた。小四郎は笑いながら麗子の手を払おうとしたのだが、手は離れなかった。

「伊加・・・?」

麗子は窓の外を見ながら、小四郎の肩を強く握ってきた。

「社長・・・あたし、ついさっき、えらい経験しちゃったんです。」

「なんだ、そりゃ。」

「これまで漠然と生きていたんですよ、あたし。でもそれが間違いだったって気が付いたんです。でも・・・気が付かなきゃ良かった・・・。」

麗子はまた泣き出した。誰にも言えない、誰にも理解してもらえない経験と感情があるので、すさまじい孤独感が溢れてきていたのだ。親には絶対に言えないし、頼りにしていた光田もいない。誰に頼っていいのか判らず、たまたま社長がそこにいただけだった。

「伊加。1人で抱えるな。」

小四郎は麗子の手を優しくポンポンと叩いて、ふと思い出した。

「そういやお前・・・俺の部屋を片付けてくれてただろ?」

「あ・・・そ、そうでし・・・た。」

「すまんな。俺ベロベロになってたからなあ。助かったよ、ありがとうな。さてと・・・市川の仕事はどうなってい・・・。」

小四郎は言葉を中断された。麗子が小四郎に抱きつき、激しく泣き出したからだ。

「お・・・おい・・・どうしたんだよ。」

総務部は守秘義務ばかりなのでオートロックになっていたことは幸いだった。小四郎のようにマスターカードを持っていなければ入ることはできない。そしてそれができるのは市川だけだったのだが、市川は他県に出張中だった。

小四郎は麗子に抱きつかれたまま窓に近づき、オートシャッターをオンにした。誰からも見られる心配がなくなってほっとした小四郎だったが、肝心の麗子は泣いたままだ。小四郎は麗子の気持ちが落ち着くまでそっとしておこうと思い、麗子の腰を抱いて膝に乗せた。

(やれやれ・・・しかし・・・)

小四郎は麗子に女性として接したこともなかったし、そういう目線で見たこともなかったのだが、妙に鼓動が激しくなってきていた。それなりに女性遍歴もある小四郎なのだが、こういう感覚は初めてだった。今まで感じたことがない感情に戸惑っていたのだ。

それは、愛しい、という感情だった。そんな感情は邪魔なだけだと信じていたはずなのに、なぜ今、部下にそんな感情が芽生えてくるのかが不思議だった。

(おかしい・・・どうしちゃったんだ、俺)

麗子の見た目以上に豊かな胸を感じながら、小四郎は経営では感じることがなかった困難さに直面していた。そして麗子もまた、泣きながら不思議な感覚に陥っていた。クビになっても仕方ないと思いながら抱きついていたのだが、だんだんと幸せになってきていたのだ。

前に酔った小四郎の世話をした時にも感じた感情だったのだが、それはありえないと思って捨てていたはずだった。抱きついて泣きながら、麗子の両腕は小四郎の首の後ろに回っていた。大事なものを愛しむように。

「伊加・・・。これじゃいかんだろ。そろそろ・・・。」

「嫌!」

「伊加?」

「お願い!このままでいて!あたしを守って!このままだと、あたし、壊れちゃう!潰れちゃう!助けて!」

麗子は社長に何を言っているんだと思いながらも、抑えることができなかった。そして言いながら、これは小四郎にしかぶつけられるものではないと確信していた。

(俺もおかしいけど、こいつもだな・・・でもなんだ?どこか懐かしい気がする・・・)

小四郎は麗子の腰に当てていた手を、そっと肩まで持ってきた。そして少しだけ麗子の顔を見えるように動かした。固めていた髪がボサボサになっていたのだが、泣き崩れて助けを求めている、まるで子犬のような顔を見た時に何かが弾けた。

まるで自分が自分でない感覚になったかと思うと、周囲に強い力が取り囲んだような気になった。それが何かまではわからなかったが、抗えない運命のような力だった。

(俺の運命・・・か。にしては、寂しいよな。)

小四郎が日々孤独になってきていたのは事実だった。その孤独を埋めてくれた人のイメージと、目の前の麗子と被った。そう認識した瞬間、小四郎の口から全く知らない女性の名前が出てきた。

「タワ・・・。」

「・・・え?」

答える間もなく、小四郎は麗子の顎を持つと強烈にキスをしてきた。

「ム・・・!」

麗子は一瞬抵抗したのだが、小四郎が放った言葉を聴いて身体の力が抜けてしまっていた。その名は、他の誰も知らない麗子の、いや伊賀の方に対して義時が使っていた呼び方だったからだ。

伊賀氏は藤原秀郷流で、別名俵藤太と言われた武将だった。義時は2人だけの時には尊敬の意味も含めてタワと、呼んでいた。麗子は抵抗をやめ、逆に小四郎のキスを熱烈に返した。2人は強く抱擁し、いつまでもお互いを求め続けた。

45  


「なんだと?」

「はい。川南署の岡島という刑事から連絡ありまして・・・。」

「すぐ会うからと伝えろ!」

秘書はすぐに電話の相手に返事していた。川北市商工会議所会頭室にいた兼末明は、実に多くの難問を抱えていた。

沖皇尊成の豹変から始まり、川北市内の商工業者から一気に相談事が殺到してきていたからだ。ほとんどが、反社と思われる人間がウロウロし始めて客足が遠のき、商売にならないと言うことだった。

中には営業マンが暴漢に会って入院しているだの、いきなり取引先から断られてきただの、ネットで散々誹謗中傷を受けているというものまであった。明らかに沖皇の反撃だったが、証拠が何もなかった。

それで川北署に連絡しようとしていた。だが川南署から合同捜査だと言われて聴きたいことがあるということだったので、即答で会うようにしたおんだ。商工会議所の弁護士に相談したり、所轄の興信所に正体を探させてもいたのだが、どうにも埒が明かないでいたところだった。

警察沙汰にすべきかどうか迷ってもいたのだが、あちらから来たのなら覚悟を決めるしかない。自分たちの痛いところを突かれても困るのだが、今はそう言っていられない。何せ市長が寝込んでしまっていたからだ。

するとドアをノックする音が聞こえた。

「岡島さんがいらっしゃいました。どうぞこちらへ。」

「失礼します。川南署の岡島です。」

「ああ刑事さん!助かりました。」

「助かる?どうかしましたか?」

「そうなんですよ、聴いてください。」

岡島も用件があったのだが、とりあえず聴くことにした。兼末はこのような訴えがきているという内容を、資料を見せながら強く訴えた。

「なるほど・・・このお話は川北署には?」

「これからしようと考えていたところです。」

「なるほど。今回私がお伺いしたのは、川北署との合同捜査を行っているからなんですよ。」

「え?合同調査?それは何の?」

「もう隠すまでもないでしょう。川北のSKディストリビューション総務殺害事件に加えて、川南商店街会長の一文字さん失踪事件についてです。わたしたちはそこに沖皇物流が絡んでいると思って捜査しています。なぜなら、沖皇物流副社長の盛成は、元極道の北西組だった睦海興行社長と義兄弟だからです。他にも思い当たることが多く、ですから今のお話は参考になります。」

兼末は肩を落として深くため息をついた。

「フー・・・良かった!私どもにはどうしようもないですからね。」

「それで・・・私たちが得ている情報では、川北の総合物流センター開業にあたって、相当な資金提供が沖皇からあったのではないかと。」

兼末は、今度は身体を固くした。

「岡島さん、それは・・・。」

「警察を甘く見ないでいただきたい。あなた方と市長が組んで、川北の石油利権を買おうしていたこと、そこに沖皇が入り込んできたことくらいは調べています。証拠も証人もいます。あなたはそれで川北の経済を活性化しようとしていましたね。しかし罪は罪です。そして与里重市長は選挙法違反の嫌疑は避けらないでしょうね。それは確定とお考えください。」

「・・・それもこれも、川北のことを考えてのことでした。市長と私は2人3脚でやってきましたのでね。・・・まあ、それも運命でしょうかね。ですが、経済だけはなんとか停滞させたくないのです。」

「理解しております。ですから、全て一切隠さずにお話いただきたい。」

兼末は観念して、どのような経過で沖皇と絡んでいったのかを全て岡島に語った。 それによると、5年前に油田が市庁舎近くにあることがわかり、多くの業者が採掘権獲得に動いてきた。

もちろん最初に発見したのが川北市ではあったのだが、農業と林業で成り立つ川北市の財政では採掘権を獲得することが困難だった。多くの闘争があったのだがいまだに決まってはいない。

そこで全く別に物流で参入してきた沖皇から、資金提供を行うので石油利権を取ればいい、自分たちは総合物流センターを作ってもらえればいいから、という旨の申し入れだった。物流センターからの収入も相当長期間に渡って得られるという試算ができていたので、両者の思惑は一致した、という流れだった。

「そうですか・・・そのことで何か、思い当たることはないですか?」

兼末はしばらく考え、思いついたことがあった。

「まあ大したことでもないんですが・・・先ほどの白水くんのところの光田総務のことで・・・でも、どうかなあ、これは。」

「何ですか?聴かせてください。」

「私の思い違いかもしれないんですけどね。沖皇とは別に、SKさんも参入しようとしていたんですよ、物流センターに。沖皇も独禁法にかかるのは本意ではないということで参入がほぼ決まりかけていたんです。で、確か昨年のことでしたかねえ・・・私と沖皇盛成副社長、そして白水くんと光田さんが顔合わせしたんです。会長の尊成は出張中でしたから副社長が来ていたと記憶しています。その時、沖皇と光田さんが話していて、急に光田さんの顔色が変わったんです。私と白水くんがたまたま2人で話していた時でしたから確実に覚えているわけではないんですが、沖皇が急に気分が悪くなったから帰ると言い出しましてね。私たちは何がなんだかわからなかったんですが、光田さんは青ざめていました。それで別の日に会おうとなったんですが、そこから急に沖皇会長が市長に選挙資金を大量に送ったようで、市長が沖皇一社でいくと言い出したんですよ。それまでは慎重だったんですけどね、市長も。副社長を代理で出していて済まなかった、本来はこうする予定だったとかで。それから色々考えた方が、流れが決めやすいとか。私としては白水も入れたかったんですが、行政が言い出したらちょっとですねえ。」

岡島は録音しながら、メモを取りながら聴いていたのだが、眉間に皺を寄せて質問した。

「確認しますが、その時には沖皇の豹変について、特に何も異常だとは思い当たらなかったんですね。」

「そうです。まあよくあることではありましたからね。光田さんが生きていれば話も聞けるんでしょうけど。ただ、異様でした。光田の青ざめ方は半端なかったです。どこかの島とか大倉がどうのこうのということくらいは聴き取れましたけど」

「なるほど・・・他にはなにか?」

「・・・いえ、もうないですね。」

「わかりました。また何かあればお話し聴かせてください。とりあえず、チンピラは排除しておきます。」

岡島は川北市役所を出て、川北署に向かい、大山に報告した。

「ということなんだ。変だろ?」

「その会合で、光田さんと沖皇の間で何の話があったのか・・・それを知る術はどこかにないのかな・・・よし、小四郎に明日にでも訊ねておくわ。」

「そうだな。俺は北西を押さえておく。チンピラどもは頼むぜ。」

かなり核心に近いところまできていたのだが、2人はまだその事実に気が付いてはいなかった。






自分的には、個々の感情表現はできたように思います。ここからラストまで進んでいきます。

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