お兄ちゃんが来た 8
楽しい食事はあっという間に終わった。マーガレットは欠伸をしながら、自室の扉を開ける。後ろからイビルアイがふわふわと漂いながら入っていった。彼女はマーガレットのことを心底気に入ってしまったらしい。
「あら? アイちゃんいらっしゃい! 今夜はあたしといっしょに寝ましょうね!」
「……!」
イビルアイは嬉しそう部屋を漂っている。マーガレットは欠伸をし、ベッドに潜り込んだ。
食べるだけ食べ、眠たくなったら眠る。あるがままに生きていく。それがマーガレットという女である。
「シャガ殿、まだ飲み足りなくないか? もう少しいっしょにどうかな?」
「はいはい! お前も早く寝ようね!」
顔を赤くするサツキを見て、アセビが慌てて背中を押して部屋に押し込んだ。すでに酒をそれなりに飲んでいる。このまま飲み続けると、暴走しかねないと判断したのだ。ルピナスの兄の前で、サツキの鬼となった姿を見せるわけにもいくまい。
アセビは自室を指差した。
「じゃあ、シャガさん。オレの部屋使ってください」
「いや、君の部屋まで奪うのは流石に……」
「シャガさん、大丈夫っスよ! オレはリビングのソファで寝るんで! それにほら、兄妹だけで話したいこともあるんじゃないスか?」
シャガがルピナスを見つめる。瞳を輝かせていた。語りたいことが山ほどあると言った様子だ。
アセビがソファに座って瞳を閉じると、疲れていたのか、あっという間に夢の世界に旅立ってしまった。寝息を立てて幸せそうな表情を浮かべている。
ルピナスはコーヒーをふたり分用意し、自室へとシャガを案内した。
「すごいな。ちゃんと個室があるんだね」
「うん。アセビにはお世話になりっぱなしなの」
「はは、兄妹揃って本当にね」
物の少ないすっきりとしたルピナスの部屋で、兄妹は同時にベッドに腰かけた。
シャガは熱いコーヒーを1口飲み、ルピナスに視線を向ける。
「僕に話したいことがあるんじゃないかい?」
「うん、いっぱいあるの! ぼくがクレマチスに来てから何があったか、全部話すね。長くなるけど」
「構わないよ。時間はたっぷりあるさ」
ルピナスはアセビとの出会った日のこと、スケルトン事件、サツキとの出会い、霧の森でゴブリンに食われそうになったこと、マーガレットのやらかした数々の問題を、こと細かにシャガに語った。
「そ、そんなことが……」
シャガは数々の衝撃的なエピソードを聞き、汗が止まらなくなっていた。何度もハンカチで額を拭っている。
ルピナスは語りたいことを全て言い尽くし、コーヒーを1口飲んだ。
「……以上です」
「いやぁ……ルピナス……結構修羅場潜ってるんだね……ごめん。正直僕の予想以上だったよ」
「あはは……でも全部素敵な思い出なの!」
ルピナスの見せる屈託のない笑顔。それは皮肉や嘘でないことを証明している。
シャガはすっかり冷えきってしまったコーヒーを飲み干し、ルピナスに目を向けた。今後も愛する妹が命がけの冒険をすることになると思うと、このまま連れ帰った方がいいのではと考える。しかしその瞬間、脳裏にアセビの顔が過った。
「アセビくん、彼どうだい? 優しい?」
「アセビはすごく優しくて頼りになって……絶対この人の手を離したら駄目って思ったの。ぼく無理やり仲間に入れてもらったんだよ」
「そうなんだ……あのルピナスが無理やり……」
「ちょっと強引だったから、迷惑だったと思う……」
当時の思い出を気まずそうに語るルピナス。それを見てシャガは目を丸くする。ルピナスは遠慮がちで言いたいことも言えなかった。コミュ障で気弱な妹だったとシャガは記憶している。
そのルピナスがアセビの仲間に入りたいと思い、勇気を出して手を伸ばしたのだ。シャガは妹の感情の変化を嬉しく思っていた。
「そうか」
シャガは僅かに口元を緩め、ルピナスの頭を優しく撫でた。彼女は照れくさそうに頬を赤くしている。
「な、なに? お兄ちゃん」
「いやぁ、あのルピナスがねぇって思ってさ」
「それにほら、アセビってお母さんみたいでしょ? いっしょにいると落ち着くし楽しいの」
「母さんに似てる? そうかな?」
「アセビはお母さんにそっくりだもん! 優しくて厳しくて温かいもん! ずっといっしょにいたいの!」
シャガは心の奥底で迷っていたが、ルピナスを実家に連れ帰らないことにした。ここまで言われたら、無理やり引き剥がすことなどできまい。
アセビはルピナスが立派に巣立つまで、責任を持って支えてくれると言った。言質は確かにとってある。
妹が大好きだった母親に似た青年のことを、シャガは信じることにしたのだ。
ルピナスは頬を赤くして拳を小さく握った。
「今日のお兄ちゃんを見て、ぼく決めたの」
「決めた? 何をだい?」
「お兄ちゃんみたいに立派な召喚士になるって!」
「もう十分立派だと思うけどね! そういえばお前はキャタピラーと契約したんだったね」
ふたりの会話をずっと聞いていた芋虫が、犬小屋からそっと顔を出した。それを見てシャガは、笑顔で両手を広げる。
「こっちにおいで」
芋虫はシャガの様子を伺いながら、ゆっくりと近づいた。体を伸び縮みさせ、自身の存在をアピールしている。
シャガは芋虫の腕を握る。柔らかく、温かかった。
「やあ。今日は助かったよ。患者さんを運んでくれてありがとう。今後もルピナスの相棒として、君の力を貸してあげてね」
「芋虫さん、これからもよろしくね」
兄妹に頼られ芋虫は嬉しそうに飛び跳ねた。敬愛の意味を込めて、ふたりの足に体を擦り付けている。
シャガはすっかり安心していた。ルピナスと芋虫の関係は良好。周囲には頼れる仲間たちがいる。もう何も心配することはないのだ。
シャガは立ち上がり、扉に向かって歩みを進めた。
「さてと! そろそろ僕も休もうかな!」
「うん。おやすみ、お兄ちゃん」
「おやすみ」
お互いに手を振り、シャガはルピナスの部屋を後にした。
リビングのソファでアセビが眠っている。母親の面影を見ていると思うとつい苦笑してしまうが、それだけルピナスが信用しているということなのだ。
シャガはしばらくアセビをじっと見つめ、頭を深々と下げた。
「ありがとう、アセビくん」
誰にも聞こえないほど小さな声だった。すでにアセビは眠っているため、当然返事は返ってこない。
「さて、僕も寝ようかな」
シャガはアセビの部屋へ、吸い込まれるように入っていった。
「兄妹でお世話になったね。ありがとう。僕はそろそろカランコエに戻るよ」
「えっ、シャガさんもう帰るんスか!?」
「ははっ、急で申し訳ないね」
全員で朝食を食べ終わり、シャガは急いで帰る支度をしてアセビ一行に別れを告げた。
アセビは驚いたが、すぐに納得する。シャガは医療関係の仕事をしている。恐らく新聞の記事を見て、無理やり時間を作ってクレマチスに来たのだろう。
シャガの召喚術を利用した医療技術は、非常に優れている。診療所で多くの患者が帰りを待っているはずだ。
「残念っスね。シャガさんといっしょに、みんなで観光したかったんスけど」
「お兄ちゃん……」
「そんな顔しないの! また会いに来るよ! それから僕からも大丈夫だったとは言っておくけど、お前も父さんに手紙ちゃんと書くんだよ!」
「うん!」
シャガの忠告をルピナスは素直に受け取った。何度も首を縦に振っている。
ルピナスの姿を見て、シャガは安心したような表情を浮かべた。彼はアセビ、マーガレット、サツキに向かって頭を下げる。
「みなさん、色々と手のかかる子ですが……妹をどうかよろしく!」
「おまかせください! もう絶対ひもじい思いはさせないんで!」
「オッケー! お兄さん、シルフくんとアイちゃんにもよろしく言っておいて!」
「承った! ルピナスは私の妹でもある。姉として責任を持って支えよう」
シャガは思わず目を細める。この3人になら妹を任せられる。改めてそう思うのだった。
「お兄ちゃん、ぼくがんばるからね!」
「うん、お互いがんばろう。じゃあ、またね!」
シャガはみんなのお家を後にした。
いつの日か、再びクレマチスを訪れたいと思っているが、それがいつになるかはわからない。2度と来られない最悪のパターンも想定し、見納めのつもりで周囲を見渡しながら歩いた。
行き交う多くの人々。商店街から聞こえる商人たちの声。クレマチスは活気のある良い街だと、シャガは思っている。ルピナスはここでこれからも成長していくと信じながら、クレマチスの門をくぐった。
「また来るよ。きっと」
シャガの髪からシルフが顔を出した。
「お前の妹、ルピナスだっけ? 会えて良かったな」
「本当に安心したよ。まさか召喚士になって、冒険者として働いていたとは思わなかったけどね」
「お前と同じ道を進んだんだ。先輩として、兄ちゃんとして、ちゃんとお手本にならないとな!」
「もちろん! 僕もルピナスに負けてられないよ! お兄ちゃんだからね!」
「ま、オイラや目玉がついてるからな! これからもお前の面倒見てやるからよ! 任せときなって!」
珍しく素直なシルフを見て、シャガは思わず吹き出しそうになった。いたずら好きなシルフも、契約者の安心した表情を見て、からかう気持ちが失せたのだろう。
「そうそう。あの赤毛だけど、心配しなくていいぜ。あいつは絶対良い奴だぞ。バカがつくほどにな!」
「やっぱりそうかい? もうひと目見ただけで善人ってわかるオーラ放出してたからね、彼」
シルフの勘は非常に優れている。お墨付きをもらったことで、シャガは安心してクレマチスを出られることを喜んだ。
シルフはにししと笑い、みんなのお家の方角を見つめた。
「ただ……この世界は良い奴から死ぬからな! 長生きはできねえかもなぁ! キキキ!」
「おいおい怖いこと言うなよ……」
シャガはニヤニヤと笑うシルフの頭を指でつつく。アセビにルピナスのことを託した。簡単に死なれては困るのだ。
シャガはしばらく歩くと、コートのポケットから契約の本を取り出した。
「鳥ピッピ呼ぶのか?」
「さすがに歩いて帰るのはね。来たときみたいにキャラバンに便乗させてもらいたかったけど……」
シャガは周囲を見回す。クレマチスに着いたばかりのキャラバンや貴族たちが次々と街に入っていく。残念ながら帰る者たちはいなかった。
シルフがやれやれと肩をすくめる。
「あいつまた魚たくさん欲しいって言ってくるに違いないぜ? それでもいいのかよ?」
「カランコエまで乗せてもらうんだ。それぐらいのことはしないと。空中なら盗賊やモンスターに襲われることもないから、安心して帰れるしね」
「ふうん。まー、それもそうだな」
シルフは納得したらしく、シャガの髪の上に寝転がった。
「さてと、じゃあサンダーバードを……」
シャガは呪文を唱えるのを中断し、契約の本から顔を上げ、クレマチスを見つめた。
「ルピナスを頼むよ。アセビくん」
シャガの目は穏やかで、優しさに満ちていた。
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