キラキラ 2
アセビがベッドから起きて部屋を出ると、珍しくマーガレットは既に起きていた。昨日の件もあり、一瞬身構えたが、彼女はまぶしい笑顔を見せる。
「おはよ!」
「おはよう、元気だな」
遺恨を残さず根に持たないのは、マーガレットの数少ない長所である。それが適用されるのは身内だけではあるが。
ふたりはいっしょに歯を磨き、朝食の準備を行った。
「早起きしてえらい! 今日は特別にジャムパン2個食っていいぞ」
「えへへ! もっと褒めていいわよ!」
胸を張るマーガレットに思わず口元が緩むアセビだったが、ふと違和感を覚える。いつもなら全員揃って朝食を食べるのだが、ルピナスとサツキがまだ部屋から出てこないのだ。
「これは酒のダメージ残ってそうだな……」
「心配ね、ちょっと見に行きましょ」
アセビはルピナスの部屋の扉を数回ノックするが、一切反応はなく、物音もしない。
「入ろう。マーガレットもいっしょに来てくれ」
「オッケー」
アセビがゆっくりと扉を開くと、部屋の全貌が明らかになった。小さな机には召喚に使う契約の本が置かれている。壁にはコートが下げられていた。部屋の隅には犬小屋があり、芋虫専用ルームとして使われている。物が少なく、アセビはすっきりした印象を覚えた。
「ルピナスは大丈夫かな」
アセビとマーガレットがベッドに近づくと、芋虫がルピナスの顔を心配そうに覗き込んでいた。やはり調子が良くないらしい。
芋虫がアセビとマーガレットに気づくと、慌てた様子で口を開く。
「兄さん、白頭巾ちゃん! ルピナスが!」
「あれ? 芋虫お前……」
「あたし芋虫くんが喋れるの知ってるわよ」
「白頭巾ちゃんには以前お世話になったんで……そ、それよりも!」
芋虫がアセビの背中を押して、ルピナスを早く見るように促す。顔が青く、眉間にシワを寄せて口をモゴモゴと動かしていた。
アセビが耳を近づける。すると、ルピナスの蚊の鳴くような声が聞こえてきた。
「アセビ……? 頭が痛いよぅ……辛いよぅ……苦しいよぅ……吐き気がするよぅ……」
完全な二日酔いである。ルピナスは涙を流しながらアセビに向かって震える手を伸ばす。彼はそれを優しく握り、力強く頷いた。
「安心しろ! すぐ楽にしてやるからな!」
「……う?」
「あたしお水さん持ってくるわね!」
アセビは急いでリビングに向かうマーガレットを見送ったあと、ルピナスの背中と膝を抱えて持ち上げた。安心させるように笑顔を見せる。
ルピナスはほっとしたのか、僅かに表情が和らいでいた。
「大丈夫大丈夫。すぐ良くなるからな」
「あ、アセビ……ぼ、ぼく……」
「今は無理に喋らなくていいぞ! もう1度吐けるだけ吐いておこうぜ!」
「お待たせ! ルピナス、早く口開けなさい! あたしが飲ませてあげる!」
マーガレットが水をたっぷり入れた木のコップを持ってきた。必死の形相でルピナスにそれを見せようとしている。二日酔いに苦しむ妹のように可愛かっている少女を、少しでも早く救いたい一心なのだ。
「ありがとう、マーガレット! ルピナス、水をたくさん飲めば少しでも……いや……待てよ……あっ!」
アセビは思い出した。昨日の出来事を。ルピナスがマーガレットの顔を見て、勢いよく、盛大に、思いっきり吐いたことを。
「……うっ……うぉ……っ」
「ルピナス?」
アセビの両手は塞がっている。ルピナスの目を隠すことも、口を押さえることもできない。
幸運なことはふたりの少女の視線が交わるときに起こりうる運命を、アセビ自身が受け入れる覚悟ができていたことだろう。彼は一切ルピナスから目を背けず、微笑みを浮かべ、優しく見守った。
「……すっきりしような」
ルピナスの口から放たれた物体は、キラキラと煌めきアセビの体に降り注がれた。
結論から言うと誰も悪くない。アセビはルピナスにゲロを吐かせるため、便所に運んであげようとした。マーガレットは苦痛から救うため、早く水を飲ませたかっただけ。何が悪かったかと言えば、間が悪かった。
吐くものを吐き出したルピナスの表情は、どこか穏やかで、安らかで、そして、キラキラと輝いていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」
アセビにゲロをぶちまけてしまったルピナスは、虚ろな瞳で壁に向かって謝罪し続けていた。芋虫が体を擦り付け必死に慰めているが、全く効果がない。心に負った傷は想像以上に深そうである。
「ルピナス、気にしなくていいからな! 汚れたら洗えばいいだけだからな!」
ゲロ掃除を終わらせたアセビがルピナスに声をかけるが、返事はない。謝罪の言葉を紡ぎ続けている。
「可哀想にな。オレよりもルピナスの方がダメージでかいだろうに」
「……ねぇ? あたしが1番可哀想じゃない?」
「今は芋虫に任せよう。サツキも心配だしな」
「顔見られて何度も盛大にゲロ吐かれちゃった女の子の気持ち……知ってる?」
「知らんな。そういう経験はしたことがないもんでね」
「普通はそういう経験しないもの」
「貴重な体験できたじゃん」
「できればしたくなかったのだけれど」
マーガレットをスルーし、アセビはルピナスの肩を優しく叩く。気にしていないと言わんばかりに。
芋虫はアセビとマーガレットに向かって軽く頭を下げると、慰めるようにルピナスの背中に体を擦り付け始めた。
「あたしも泣きたいわ。ってか泣いたわ」
「誇れ。お前はゲロを吐かせることで、ルピナスを苦しみから開放させたんだ。誇れ」
「アセビさんそういう所あるわよね」
アセビは適当なコメントを口にし、マーガレットといっしょにサツキの部屋へと足を向けた。もうひとりのアル中は酒に弱い。もしかしたら、ルピナスのような状態になっているかもしれない。
アセビとマーガレットは、恐る恐るサツキの部屋の前までやってきた。
「サツキ、起きてるか?」
「心配ね。急いで入りましょ」
アセビとマーガレットがサツキの部屋に入った。部屋の隅に刀と木刀が立て掛けられている。小さなタンスの上には炭が乗せられていた。豊かな香りが、アセビとマーガレットの鼻腔を刺激する。
「良い匂いね!」
「サツキは……」
アセビが部屋に敷かれた布団を見ると、サツキが頭まで毛布を被っていた。ふたりが急いで近づくと、気配を感じたらしい。サツキが毛布からゆっくりと顔を出した。
「大丈夫か……?」
サツキの顔は血のように赤い。頭を押さえながら片目を開いて体を起こした。
ルピナスほどではないが、サツキも体調があまり良くなさそうである。
「う……ん……アセビとマーガレットか……?」
「おはよう、起こして悪いな」
「おはよう……アセビ、女の寝起きの顔を、そうまじまじと見るものではないぞ……?」
「今日は見逃してくれや。お前が心配だったんでな」
「なら特別に許そう。お前たちの顔を見て少しは楽になったからな」
サツキは器用に髪を結び、ふらふらとしながらタンスの前に膝をつく。彼女が着替えようとしているのを察して、アセビとマーガレットは部屋を飛び出した。
「ルピナスほどひどくはないが、サツキも二日酔いだなぁ……」
「う〜ん。ふたりとも、今日のお仕事はきついかもしれないわね……」
アセビ自身ルピナスとサツキには、仕事を休んでもらうつもりでいた。あの状態では畑仕事も薬草の採取もできないだろう。
ルピナスとサツキの部屋の扉が同時に開かれ、ふたりがリビングに入ってきた。
「……」
「……」
「ふたりとも今日はゆっくり休んでいいからな!」
「お仕事はあたしたちに任せて!」
「あはは……ゲロ女にできる仕事なんて吐くことしかないもんね……あはは……」
目を赤くしたルピナスが、自嘲めいた笑みを浮かべている。首を傾げるサツキに、マーガレットがゲロ事件を耳打ちした。
「ルピナス……辛かったな……」
サツキがルピナスをそっと抱きしめた。
「辛かったのはアセビだよ……」
「オレは気にしてないからな」
「多分あたしが1番辛かったと思うのだけれど」
「大丈夫だ。アセビは誰よりも優しい……ゲロでもなんでも受け止めてくれるさ……」
「サツキぃ……うぇぇぇん……」
「誰かあたしにも優しい言葉かけてほしいのだけれど」
「このふたり尊いわ……」
アセビは思わず目頭を押さえるが、マーガレットは無表情のまま、ルピナスとサツキの熱い抱擁を眺めていた。




