館まるごと超決戦 7
「あれは!?」
「ふたりとも危ない!」
マーガレットとルピナスの悲鳴を聞き、サツキが床を蹴って、ふたりを突き飛ばした。間一髪。おかげでマーガレットとルピナスは緑の液体に覆われることはなかった。
しかし素直に喜んではいられない。
緑色の液体はサツキの上半身を覆っている。彼女は苦悶の表情を浮かべていた。
「んんっ!!」
「な、サツキ!?」
「アセビ、どうしよう!?」
アセビは謎の液体の存在を知っていた。汗を拭いながら睨みつける。
「あれは……スライムだ!」
スライムは液体状のモンスターである。天井に張り付き、獲物が油断しているところに覆い被さる奇襲を得意としている。それだけでなく、体当たりや獲物に張り付いて窒息させる攻撃も行う。豊富な攻撃方法で襲ってくるため、油断していると手痛い反撃を受けてしまうことだろう。
アセビがマーガレットとルピナスを守るよう、正面に立って叫んだ。
「お前たち気をつけろ! こいつは見た目以上にやっかいなモンスターだ! 打撃系の攻撃は効かねえ! 衝撃を吸収してしまうんだ!」
「やっかいなモンスターなのね。見た目はプルプルしてて気持ちよさそうなのだけれど」
「試しにダイブしてみるか?」
「遠慮しておくわ」
「欲を出しすぎたなぁ~。ギリギリで気づかれちまうなんてよぉ〜」
耳障りな掠れた声がアセビたちの耳に届いた。アセビ一行のものではない。スライムが喋ったのだ。
「ふたりまとめて倒そうとしねえでよ。そこの白頭巾からさっさと襲えばよかったぜ」
スライムは残念そうに体を伸び縮みさせている。コミカルな動きだが、油断はできない。
アセビは睨みつけたまま、スライムの動きを観察していた。
「赤毛。白頭巾。黄色のチビ。黒髪の女。アイツの情報通りだ。不死王を倒したのはお前たちだろ?」
「不死王のことを知っている? お前はいったい何者なんだ……?」
「アセビ! それよりもサツキが!」
マーガレットの悲痛な叫び声が、ダイニングルームに響き渡る。
スライムの体は今もサツキの上半身を覆っている。呼吸ができない状態なのだ。
サツキは膝をついて、息苦しさに顔を歪めていた。
「さっさとサツキから離れなさい!」
マーガレットがステッキを握る手に力を入れ、スライムめがけてフルスイングした。しかしその攻撃は、ゴムのように弾力のある体の前には無力。ステッキは跳ね返されてしまい、マーガレットは尻餅をついた。唖然とした表情でスライムを見つめている。
「ボヨヨン……!?」
「バカが! 俺様に打撃は効かねえんだよ!」
マーガレットは悔しそうに歯ぎしりをした。ステッキでは有効打を与えられないのだ。
マーガレットが立ち上がり、再びスライムに立ち向かおうとするが、彼は呆れたようにため息をつく。
「効かないってわかっただろ? 学べよ。お前たち本当にあの不死王リッチ倒したのか?」
「うるさいわねっ! やってみなきゃわからないでしょうがっ!」
「特別大サービスで教えてやる。さっきのフルスイングな。俺様にダメージはないが、殴った衝撃は中の女に伝わっているんだぜ」
マーガレットが目を見開き、スライムの体に覆われたサツキを見た。彼女は先ほどよりさらに苦しそうな表情を浮かべている。スライムの言葉は嘘ではなさそうだ。
「オレがいく!」
アセビが銅の剣を構え、スライムに足を向けた。
サツキが上半身を覆われて、それなりの時間が経過している。このままでは彼女の未来は失われることになるだろう。それだけは阻止しなければならない。
スライムは再び体を伸び縮みさせた。
「剣か。まー、斬れないことはないけどよ」
「ならおとなしく斬られろ! クソったれが!」
「ちょっと待てよ。俺様を斬るってことは、中の女も斬ることになるんだぜ?」
アセビは立ち止まった。
スライムを綺麗に両断したとしよう。その場合サツキの命も同時に散ってしまう。
アセビの瞳に迷いの色が見え隠れし始め、それを見たスライムはゲラゲラと嗤った。
「おいおおいおい! どうしたよ! 斬るんだろ? こっちはノーガードだぜ? やれよ!」
仲間を犠牲にしてまで掴む勝利に意味はない。アセビはそう考えている。
「サ、サツキ……」
先ほどまで膝を付いていたサツキが、ゆっくりと立ち上がり両手を広げる。頬は血のように赤く染まり、口元はだらしなく緩み、物欲しそうな瞳をしていた。
アセビは思わず思わず後ずさった。
「あいつまさか……」
サツキはこの状況で心から信頼しているアセビに斬られたいと思っているのだ。頬が赤いのは、息苦しさによるものだけではない。喜びの感情も含まれている。
「……」
サツキの極限状態で生命を感じたいという精神が、燃え上がっている。このままではあと数分もしないうちに窒息するだろうに。
しかしサツキはそれでもいいのだ。可愛がっている弟分に斬られながら窒息して朽ち果てる。それでもいいのと思っているのだ。変態である。
アセビは覚悟を決めた表情で、再びスライムに足を向ける。
「だから言っただろ? 俺様を斬ると……」
「……そいつが斬られたいって言ってるんだわ」
「えっ。怖いんだけどマジで」
スライムはサツキに対して、僅かに恐怖心が芽生えていた。
今まで1度もなかったパターンだったのだ。
アセビが銅の剣を構えながら叫ぶ。
「オレがスライム斬る! マーガレット、お前は速攻でサツキにヒーをル唱えてくれ! これでなんとかいけるんじゃねえか!?」
「即死じゃなかったら……いけると思うわ!」
マーガレットが自信たっぷりに答えた。彼女の人間性はともかく、回復魔法の実力は確かなものだ。作戦がうまくいけば、サツキは無事に生存できるだろう。
ふたりは顔を見合せ、気合いの雄叫びをあげた。
「やってやらぁぁぁ!!」
「いくわよぉぉぉ!!」
「えっ、マジで斬るの?」
「そういうことだ! いくぜぇぇぇ!」
「アセビィィィ! いっけぇぇぇ!」
「やるねぇ人間も……」
「ダメぇぇぇぇ!」
ずっと黙ってサツキを見守っていたルピナスが、口を大きく開けて、悲鳴に近い大声を上げた。
「ダメだよぅ! 失敗したらサツキが死んじゃうかもしれないんだよぅ!」
ルピナスは涙を流しながら、手に持った即席の松明を振り回してスライム目掛けて振り下ろした。
「サツキを離してよぅ!!」
「おっと!」
スライムは素早く攻撃を避け、サツキの上半身から離れた。彼女はそのまま正面に倒れそうになるが、アセビが急いで抱き止めたため、床に激突せずにすんだ。
マーガレットとルピナスも集まり、サツキの顔を覗き込む。彼女は顔を歪めて咳き込んだ。
「ごほっ! ごほっ! はぁ……はぁ……」
「良かった……生きてる」
サツキの生存を確認し、ルピナスが涙を流し、マーガレットもほっと胸を撫で下ろした。それなりの時間呼吸ができなかったのだ。強靭な精神でなければ、生命が失われていたかもしれない。
「はぁ……はぁ……ア、アセビ……」
「どうした!? 頭がフラフラするか!?」
サツキが蚊の鳴くような声を出し、アセビが心配そうに背中を支えると、彼女はそのまま甘えるように抱きついてきた。
サツキらしからぬ行動である。アセビは驚いたが、どうやら無意識にやってしまったらしい。
サツキはまだ頭がはっきりしていないのか、頬を朱色に染め、微笑みながら絞り出すように言葉を紡いだ。
「あぁ……良かったぁ……」
「サツキ……あなた……大丈夫……?」
「死ぬかもしれないと思ったが……この感覚……わかるだろ? これが生きるっていうことなんだ……」
「ちょっとわからないわね……」
「怖いよぅ……」
マーガレットとルピナスは青ざめ、サツキから目を逸らした。当然の反応である。異常者としか思えないのだから。
一方アセビはサツキを力強く抱きしめた。
「サツキが生きてて……良かったよ……!」
「アセビがあの時斬ってくれていたら……痛さと苦しさを感じながら……自分の血を見られたのだがなぁ」
アセビはサツキの言葉に苦笑する。そしてもうこの生き方しかできないと確信する。ならば本人が死なない程度に応援するしかないだろう。
アセビがサツキの頭を優しく撫でると、彼女は恥ずかしそうに顔を赤くし、目を白黒させた。
「えっ……えっ……」
「負けたよ。お前の生き方、オレは否定しない」
「アセビ……お前……」
アセビは銅の剣の切っ先をサツキの胸に向けた。突き刺せば、先ほど本人が望んだものが見られる。
サツキの目に期待と喜びの感情が見えるが、無論アセビに刺す気はない。
「でも、死んでしまっては意味がないよな?」
「……うむ?」
「限界を感じながら生きていたいならさ。オレでよければいつでも付き合うよ。そのとき本気で戦おう」
「アセビ……」
「ちょっと!? 正気なの!? も〜、ふたりともどうかしてるわよ!!」
アセビの発言でマーガレットはうろたえるが、無理もない話だ。命の奪い合いをしたければ付き合うぜ、と言っているようなものなのだから。
冷静さを欠いたマーガレットは忙しなく部屋を歩き回るが、ルピナスはただ黙ってアセビとサツキを見守っていた。
「……」
サツキは目を大きく見開き、穴があくほどじっとアセビを見つめていた。
「お前に本気出されたらオレなんて5秒、いや2秒持てばいいほうだけどさ」
「そんなことはないと……思うが」
「いやそんなことあるって」
不死王リッチとの戦いを思い出す。サツキ実力はまさに黒鬼の異名に相応しいものだった。正面から命がけの試合をしたら、確実にアセビは死ぬだろう。
「変な言い方だけどさ、本気じゃないけど本気で殺し合おうぜ! その、オレの言いたいことわかる?」
「……うん」
本気じゃないけど本気とは、死なない程度にという意味だ。本当に死んでしまっては、生命の尊さを感じることはできないのだから。
アセビが恐る恐るサツキを見ると、彼女は何度も首を縦に降っていた。自分の言いたいことを理解してもらえたと信じ、銅の剣をそっと床に置いた。
「アセビ……」
サツキの顔は赤く、目が潤んでいる。
アセビは慌てて頭を何度も下げた。
「す、すまん! つい流れでやってしまったが、いきなり剣を向けられて怖かったよな!?」
「次はその剣で私を傷つけてほしい。きっと満たされるからな……フフフッ」
「う、うん」
「私のことを受け入れてくれて……本当にありがとう」
サツキは理解者を得た喜びで、胸の奥が熱くなっていた。理解されにくい価値観や考えを持っているが、可愛い弟分は否定せず受け入れてくれたのだ。サツキにはその事実が何よりも嬉しく、救いとなっていた。
マーガレットは青ざめ、アセビに耳打ちした。
「……あたし知らないわよ。サツキが急に殺し合いしたいって言っても知らないわよ」
「オレたち運命共同体だったよな」
「その件に関してはご記憶にございません」
「借金」
「わかったわよ!」
アセビの借金発言は、マーガレットが逆らえなくなるある種の切り札に近いものだ。流石の問題児も、肩代わりしてもらった恩は忘れてはいない。
これまで沈黙していたルピナスが、サツキにじっと視線を送っている。
「ルピナス……?」
「良かったね。サツキ。良かったね」
「うん……うん……」
ルピナスはサツキの喜びを見抜いており、心から祝福した。コミュ障で空気の読めないぼっちだったが、親しい間柄の人間の感情には敏感なのである。心から慕っている姉貴分が嬉しいと、ルピナスも嬉しいのだ。
サツキは赤い顔をさらに染めて、瞳を潤ませながら何度も頷いていた。




