きれいな悪魔 3
「あっ!」
ルピナスが石につまずき、盛大に転んでしまった。激しい音が空洞に響き渡る。
気持ちよさそうに眠っていたゴブリンたちが、ゆっくりと起き上がった。弟分たちがルピナスを見て、大声で叫ぶ。
「あーっ!!」
「晩飯が逃げようとしてるぜ!」
「兄貴!」
「そっちの女は仲間か!?」
兄貴がこん棒を握り、じろりとマーガレットたちをにらみつける。ルピナスは恐怖で震え上がった。
一方マーガレットは、平然としている。全く恐れている様子がない。そんなマーガレットを見て、弟分たちは苛立っている。キーキーと耳障りな甲高い声を出した。
「ぼくのせいで……ぼくのせいで……!!」
ルピナスは自分のせいで最悪な事態になってしまったことに大きなショックを受けていた。体を震わせ、涙を流している。
慰めるように芋虫がルピナスの足を軽く叩き、マーガレットは優しく頭を撫でる。
「ほーら! 泣かないの! あなたは誰よりも強い女の子でしょ?」
「う、うん……」
「そうそう! 絶対大丈夫なんだから!」
「兄貴~この女むかつくよな! ぶっ殺すぞ!?」
「好きにしな」
弟分が錆びたナイフを握る。
残りの仲間たちはじっと見つめているだけだった。死にかけたマーガレットをいたぶるほうが、心から楽しめると思ったのだろう。腕を組み、高みの見物を決め込んでいる。
「ひっひっひ! 殺してやる!」
「手加減したほうが女の子にはモテるわよ」
戦闘が始まった。マーガレットはナイフが当たらないよう必死に動き回っている。ろくに反撃をしてこないとわかると、弟分は下卑た笑みを浮かべた。ナイフを浴びせようと必死に攻撃を繰り出している。
「あの女逃げてばかりじゃねえか。俺たちも参加すりゃ良かったなぁ」
「兄貴」
「おう、早いとこ仕留めちまいな!」
「兄貴、わかったぜ!」
マーガレットは弟分の勢いに押され、尻餅をついてしまった。絶体絶命のピンチだ。
「チャンスだ!」
「やっちまえ!」
ゴブリンたちの声が洞窟内に響き渡る。
弟分はナイフを逆手に構え、マーガレットに向かって振り下ろした。
「ひゃっ……!!」
ルピナスは思わず目を覆う。大好きなマーガレットが傷つく姿を見ていられなかったのだ。芋虫も思わず目を逸らす。
マーガレットはニヤリと笑うと、人差し指を弟分に向けた。
「ルピナス、その行動は正解よ! あたしとルピナスって心が通じあってるのかしら! 今からフラッシュを使うわ! そのままにしてて!」
「う?」
「この女、何を言いやがる……」
「何が起こるかは、すぐわかるわよ」
フラッシュとは目の前を一時的に明るくするための魔法である。暗い洞窟も安全に進むことができるのだ。
用途はそれだけではない。明るい光を放つことができるため、目くらましにも使えるのである。
「フラッシュ!」
マーガレットの指先から目映い光が放たれた。
薄暗い洞窟がまるで昼間のように明るくなり、ホブゴブリンたちは困惑している。
弟分は強い光を正面から浴び、一時的に視力をってしまった。そのショックでナイフを落とし、目頭を押さえて膝をついている。
マーガレットはその隙を逃さない。ステッキをしっかりと握って構えた。
「1番ライト、マーガレット! いきまぁす! 覚悟しなさい!」
マーガレットはステッキをフルスイングした。弟分はそのまま洞窟の壁に激しくぶつかる。あまりの激痛に耐えることができなかったらしい。弟分は、そのまま伸びてしまった。
「なんだとっ!?」
「兄貴!?」
「あ、あの女ぁ……!!」
ホブゴブリンたちは、マーガレットが尻餅をついたのはわざとだったことに気づく。彼女はフラッシュで奇襲攻撃を狙っていたのだ。
マーガレットはドヤ顔を浮かべていた。
「ホームランってところかしら?」
「マーガレットかっこいい! すごい!」
「えへへ!」
マーガレットはステッキを回転させ、その場でかっこよくポーズを決める。それを見てルピナスと芋虫が惜しみない拍手を送った。
しかしそのマーガレットの余裕な態度が、ホブゴブリンたちの怒りに火をつけてしまったらしい。彼らは体を怒りで震わせている。
「許せねえ!」
「ぶっ殺そうぜ!!」
「あのね、別にゴブくんたちの悪口を言うわけじゃないのだけれど。わざとか弱い女の子を演じるのも、ストレスが溜まるのよねぇ。あたしの気持ち理解できる?」
「て、てめぇ!」
「兄貴!」
「舐めやがって! お前ら! この女は生きたまま食い殺すぞ!」
「あらやだ怖い」
兄貴たちは、フラッシュの影響で視力が完全に回復していない。しかし今のままでも十分マーガレットを見ることができている。押さえきれない殺意を剥き出しにしていた。それぞれ武器を握り、マーガレットに迫る。
「男の子はガツガツしてるとモテないわよ! 女の子はナイーブなんだから!」
「うるせえ、ぶっ殺す!」
ホブゴブリンたちはマーガレットしか目に映っていなかった。怒りのあまり、ルピナスの存在を完全に忘れてしまっている。最早眼中にないのだ。
ホブゴブリンたちから逃げるマーガレットが、一瞬ルピナスに視線を送り、舌を出してウインクする。彼女は言っているのだ。あたしがここで足止めするから、今のうちに逃げて、と。
ルピナスは立ちすくんだまま動けずにいた。
「マーガレット……ぼく……ぼく……」
自分が足を引っ張ったせいで、マーガレットがホブゴブリンたちに追いかけ回されている。わざわざ戦わなければならなくなった。ルピナスの頭はそのことでいっぱいだった。
このまま逃げたほうがいいのだろう。
しかし、ルピナスにその考えはなかった。
「芋虫さん、力を貸して! ぼくまた失敗するかもしれないけど、このまま逃げたくない! 逃げたらダメだと思う! 勇気を出さなきゃ!」
芋虫が大きく頷き、ルピナスの背中を強く押す。弱気になっていた契約者の勇気に敬意を表したのだ。
ルピナスは先ほど自分がつまずいた石を握り、大きく深呼吸する。
「よぉし……ぼく、やってみる!」
「しゃらくせぇ!」
マーガレットは意外と足が早く、体力もある。終わらない鬼ごっこに痺れを切らした兄貴が、こん棒を思いっきり投げた。
マーガレットはとっさに左腕で体を守るが、当たった衝撃が体全身に走る。
「いったぁぁぁい!!!」
マーガレットは悲鳴を上げた。そして確信する。骨が折れている、と。
マーガレットは足を止めた。激しい痛みで顔は歪んでおり、涙が出そうになるのを堪えている。その様子を見て兄貴たちは下卑た笑みを浮かべた。
「ざまぁみやがれ!」
「兄貴、次は足を折ろうぜ!」
「兄貴!」
「あぁもうっ! 痛いわねぇ! 手加減しなさいよ、おバカトリオ! ヒール!」
マーガレットは得意の回復魔法を唱える。一瞬で骨折を治し、左腕を適当に動かして見せた。
兄貴たちは口をあんぐりと開けている。驚きを隠せない様子だ。
マーガレットはステッキを器用に回転させ、空中に投げると、そのままキャッチした。
「まだやる? 多分あなたたちが無駄に疲れるだけだと思うけど?」
「即死させるんだ! 妙な魔法を使うが、一撃で殺してしまえば関係ねえ!」
「あら見た目と違って頭が良いわね」
再びマーガレットと兄貴たちの鬼ごっこが始まってしまった。
「待ちやが……ん?」
弟分も兄貴といっしょに、マーガレットを追いかけていたが、頭に何かがぶつかるのを感じて振り向く。地面を見ると、石が落ちておいる。これがぶつかったのだと認識するのに、1秒もかからなかった。
「石ころ……?」
「ば、ばーか……!」
弟分が声のする方を向くと、ルピナスが舌を出していた。明らかな挑発行為に顔を赤くする。
「石ころ投げたのはてめえか!!」
弟分はルピナスに向かって、体当たりをぶちかまそうとする。しかし攻撃は当たらなかった。ルピナスがギリギリまで引き付けて、素早く避けたからだ。
勢いをつけすぎたせいで弟分は壁に激突した。痛みで頭を押さえている。
「いてて……」
「芋虫さん! 糸をお願い!」
ルピナスが冷静に芋虫に指示を出す。勢いよく糸を吐き、弟分の体をあっという間に縛り上げた。これでは指1本も動かすこともできないだろう。
弟分は完全に動けなくなり、にっちもさっちもいかなくなってしまった。
「ひえぇぇ……動けねえよぉ……」
「芋虫さん、グッジョブ!」
「ルピナスの指示が良かったんスよ!」
「えっ……いま……芋虫さん……喋った……!?」
芋虫は一瞬はっとした表情になるが、すぐに知らん顔をして首を傾げて見せた。愛する契約者が冷静に指示を出せたことは嬉しく思っている。しかしそれはそれとして、やはり会話をするのは恥ずかしいらしい。
ルピナスはしばらく芋虫を見つめていたが、自分の頬をぴしゃりと叩く。
「芋虫さんがしゃべるわけ……ないよね……」
一方マーガレットは、とうとう壁際に追い込まれてしまった。
兄貴は、弟分がひとりルピナスに倒されたことに気づいていないほど、頭に血が上っている。冷静さを欠いてはいるが、その代わり怒りで力が倍増していた。次こん棒の一撃を浴びたら、骨折ではすまないだろう。
「えっと、壁ドンってやつしたいの? あたし好きな男の子にはやってほしいけど、ゴブちゃんたちはちょっと勘弁かも」
「やっと追い詰めたぞ……糞女!」
「兄貴!」
ホブゴブリンたちは、武器を構えてじりじりとマーガレットに迫る。圧倒的にピンチな状況だ。しかしマーガレットは全く恐れていないのか、大きく欠伸をし、首の骨をポキポキと鳴らしている。
「殺してやる……」
どこまでも余裕を見せるマーガレット。兄貴と弟分は飛びかかろうとしたが、足を止めた。フラッシュのような隠し技を警戒しているのだ。
そんなふたりを見て、マーガレットはやれやれと肩をすくめた。
「そもそもよ? 女の子相手に何マジになって武器使ってんのって感じよね。力比べする? 片手で戦ってあげましょうか?」
兄貴と弟分は武器を投げ捨てた。威嚇するように指をポキポキと鳴らしている。マーガレットの言葉は癪に触るが、よくよく考えたら、確かにごもっともな意見だと思ったのだろう。
「俺は頭を潰す……お前は足をやれ!」
「兄貴!」
「お前さ……前から思ってたんだけどさ。それしか言えないの?」
兄貴と弟分は勢いよく高く飛んで、同時に蹴りを繰り出した。逃げ場はどこにもない。このままでは攻撃が確実に当たってしまう。
兄貴は勝利を確信するが、マーガレットがニヤリと笑った。恐怖で狂ったのではない。勝利を確信した者の笑みだった。
「ロック!」
マーガレットが再び魔法を唱えると、全身が岩のように固くなった。並大抵の攻撃では、びくともしないだろう。兄貴と弟分の蹴りは跳ね返されてしまった。ふたりとも地面に勢いよく叩きつけられ、激しい痛みで体を震わせている。
「ぐぉぉぉ……なんだ……? あ、あの女……岩みてぇに硬いぞ……」
「あ、兄貴……」
ロックとは、触れたものや自身の体を短時間だけ岩のように固くする魔法だ。衝撃を受け流すのに向いているが、圧倒的な破壊力を持つ攻撃には無力なため、過信しすぎてはいけない。
「これで終わったわね」
実質マーガレットの勝利宣言である。あえて挑発を続けることで、兄貴たちの攻撃を誘った。マーガレットの作戦勝ちだ。
兄貴と弟分は、痛みで立ち上がることすらできない。
「ぐえぇ……い、いてぇ! 足が……!」
「あ、兄貴……」
勢いよくマーガレットを攻撃した結果、兄貴たちの足の骨は完全に砕けていた。仮に戦う気力が残っていたとしても、実質戦闘続行は不可能だろう。
ルピナスがマーガレットに駆け寄り、飛び込むように抱きつく。
戦闘は無事に終わった。マーガレットはルピナスの背中を優しく叩く。
「お疲れ様! ルピナスも頑張ったわね!」
「マーガレット……すごい……! 強い……!」
「可愛くて強くて回復魔法が得意! もしかしてあたしって、最高の女の子なんじゃない?」
「最高だよ! ぼくもマーガレットみたいに強くなりたいなぁ!」
「ああ、もっと言って! あたしのこと、もっともっと褒め称えて! 気持ちよくなってきたわ!!」
普段褒められることのないマーガレットにとって、ルピナスの言葉は最高の誉れなのであった。興奮しているのか、褒められるたびに、キャッキャと声を出し喜んでいる。
このままだといつまでも終わらないと芋虫が察し、マーガレットの背中をぐいぐいと押した。
「おっといけない、いけない。じゃあそろそろ帰りましょうか。お掃除もしなきゃいけないもの」
「うん」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
マーガレットが振り向くと、兄貴が地べたを這いずりながら近づいてきた。
ひっと声を漏らすルピナス。彼女の前にマーガレットが立って、兄貴を見下ろす。その表情には、冷たさも憎しみも感じられなかった。
「あんた傷を癒せるんだろ!? 頼む、俺たちのことも癒やしてくれ……!」
「えぇ~? ゴブちゃんたち、あたしたちのこと殺そうとしたのに~? 傷治したら、絶対あたしたちのことまた襲うでしょお?」
「襲わねぇ! 約束する!」
兄貴は頭を地面に擦り付けた。この状態ではまともに狩りができない。その場合待っているのは死だ。必死に頭を下げるのも、無理のない話である。
マーガレットはやれやれと肩をすくめ、ステッキを軽く振った。
「ヒール。はい、全員治しておいたわよ。ただし、あたし結構エネルギー使ったから本調子じゃないの。まだ完全には癒えてないから無理に動いたらダメよ?」
「マーガレット!?」
ルピナスがマーガレットの行為に驚き、思わず大声を上げる。信じられないと言わんばかりに目を見開いていた。
兄貴は震える膝に力を入れ、ゆっくり立ち上がる。砕けた骨は治りかけていた。兄貴はほっとしたのか、小さく笑っている。
マーガレットは眉間にシワを寄せている。無理をするなと言ったのに、兄貴が足を動かしたからだ。
「ああもう、無理しないの! 本調子じゃないって言ったでしょ! もう少ししたら完治するから、ちゃんとおとなしくしてなさい!」
「へへっ……」
マーガレットが兄貴にゆっくりと近づく。互いの距離は1メートルもない。兄貴が手を伸ばせば、マーガレットの首を折ることもできるだろう。
「も〜、言ったそばから動かすんだから……」
しかしマーガレットは余裕の表情だ。殺されるとは思っていない者のそれである。
兄貴はこの状況でも自分を警戒する様子のないマーガレットに恐怖心を覚え、動けなかった。
「あなたの弟分たちって3人?」
「あぁ……そうだが……」
「はい、手を出して!」
兄貴が震える手をマーガレットに向ける。彼女はポケットからクッキーを4枚取り出した。兄貴の手の上にそっと乗せる。
「えっと……」
兄貴はマーガレットの行為が理解できず困惑した。目の前の少女は、汚れなき笑みを浮かべている。ポケットからさらにクッキーを取り出し、自身の口に入れた。両頬を押さえ、体をくねらせている。
「ん~! おいしい! ゴブちゃんたち、さっきはごめんなさい。それクッキーっていうの。あげるからあたしたちのこと見逃してくれる? 毒は入ってないから安心していいわよ」
「何を言って……」
「優しいゴブちゃんたちは、あたしたちがクッキーを差し出したら見逃してくれた。そういうことにしてくれたら助かるのだけれど」
マーガレットは上目づかいで両手を合わせ、兄貴にお願いした。
「見逃す……」
兄貴は恐怖を覚えつつ、即座に判断する。自分たちのことをいつでも殺せる力があるからこそ、マーガレットは慈悲の心を見せるのだ、と。圧倒的な実力を持っている強者の余裕を見せつけている、と。
しかしそのことは口にしない。兄貴は素直に頷いてクッキーを受け取った。
「そういうことに……するか」
「あら~! 優しい男の子はモテるわよ! じゃ、またどこかで会いましょ!」
マーガレットが笑顔で兄貴に手を振り、そのまま背中を向けてゆっくりと遠ざかる。ルピナスは芋虫の背に乗って、あとに続く。
隙だらけな華奢な背中。背後から襲えば、難なく命を奪えそうに、見える。
しかし恐怖心を植え付けられた兄貴は1歩も動けなかった。マーガレットの背中を黙って見送ることしかできない。
「兄貴、大丈夫ですかい……?」
「誰か糸切ってくれよぅ……」
「兄貴……」
ボロボロにされた弟分たちも傷が少し癒えていた。彼らは兄貴に駆け寄る。死者はいなかった。
兄貴は黙って弟分たちに、マーガレットからもらったクッキーを渡す。震える声で告げた。
「俺たちは慈悲深いから、あの女たちを特別に見逃してやったんだ……そうだよな?」
「おぉ……」
「まぁ……」
「兄貴……」
女の子たちを見逃してあげたことにすることで、ホブゴブリンたちのプライドは守られる。マーガレットたちは、復讐されることがなくなるのだ。
あのままホブゴブリンたちを放置して、もし彼らにまだ仲間がいた場合、報復しに来る可能性がある。それを避けるには、見逃してもらうという形にして、因縁を断つ必要があったのである。
その結果、マーガレットはホブゴブリンたちの戦意を削ぐことに成功し、死者を出さずに全てを解決した。ある意味平和的な決着と言える。命の奪い合いだけが戦いではないのだ。
「また会いましょうだって……? 2度とゴメンだぜ……」
ホブゴブリンたちは、見逃してもらったのは自分たちだと理解はしている。しかし決してそのことを口にはしなかった。
兄貴はマーガレットからもらったクッキーを、口の中に放り込んだ。
「あっ、これ美味いわ」




