ふたりの黒い冒険者 9
アセビはフクシアを抱き抱えたまま、顔を忙しなく動かしながら、走り続けた。池を探しているのだ。アセビはフジと合流するため神殿を目指そうと思ったが、その前に体を洗い流そうと考えていたのである。
黒いファンガスからは十分距離を取った。アセビはフクシアの鼻と口から手を離す。
「ぷはっ!……はぁはぁ!」
「フクちゃんごめん! 苦しかったよね!?」
「い、いえ大丈夫! むしろ良かったっていうか……アセビくんが助けに来ててれなかったらわたし……」
アセビが足を止め、フクシアをゆっくりと地面に下ろす。
目の前には小さな池があった。幸い近くに野生動物やモンスターはいない。
アセビは迷わず、池に向かって勢いよく飛び込んだ。
「アセビくん!?」
「キノコの胞子を浴びちゃったからさ! ちゃんと綺麗にしないとね!」
アセビは池から上がり、服が吸った水分を飛ばすため、体をぶるぶると震わせた。
その姿を見てフクシアがクスクスと笑う。
「アセビくん犬みたいですね!」
「ははっお見苦しいところを……さて」
アセビがフクシアのローブを軽く引っ張る。彼女はその行動の意味がわからず、首を傾げた。
アセビは笑顔で答える。
「フクちゃん、脱いで」
「えっ!? えっ!? こ、ここで!? アセビくん大胆……で、でも……」
「はい、万歳してねー」
アセビはフクシアの言葉を聞き流し、ローブを剥ぎ取って、そのまま池に入れた。鼻歌を歌いながら、ゴシゴシと洗い始めている。
背中で庇ったとはいえ、ローブにも胞子がついている可能性は高い。安全面を考えるとアセビの行為は正しいだろう。
フクシアは大きな勘違いしたことを恥じ、顔を赤くしていた。
「洗濯終わりっと! このローブフクちゃんのファイヤーボールで乾かせないかな……ん? フクちゃん黒似合ってるね!」
「あっ……!」
フクシアの赤いローブの下は、黒のぴったりとしたシャツ、黒の丈が短いハーフパンツだった。元々色白なため、色がより強調されたように見える。
フクシアは困ったような表情を浮かべた。
「フク!」
声のする方をアセビが見るとフジが立っていた。いつもと違い、その表情は険しい。
フジはフクシアに近づくと、肩を力強く掴んで体を揺らした。
「遅いから心配して探しに来たんだが。お前、アセビに何かしたんじゃないだろうな!?」
「痛いっ! なにもしてないから!」
フジはいつもと明らかに態度が違う。フクシアが大変なことをしでかしたと思っているのかもしれない。
「ちょっと待ってくれ! フクちゃんは……」
アセビは誤解を解くためフジとフクシアの間に無理やり入った。これまでの経緯を早口で話す。
「そうだったのか……アセビ、フクのことを守ってくれてありがとう。感謝するぜ」
「気にするな、お前とフクちゃんとオレの仲だ! そうだろ?」
フジとフクシアに笑顔が戻る。
和やかな雰囲気になりかけていたのだが、3人の鼻腔を、不快な臭いが刺激する。気づけば3体のファンガスに取り囲まれていた。
「毎度毎度カビ臭えんだよ!」
アセビはファンガスを退治するために銅の剣を抜こうとしたが、ないことに気づいた。
「あ、やっべ!! 黒キノコにオレの銅の剣投げつけたんだった!!」
フジが冷静に懐からナイフを取り出す。予備を丸腰のアセビに渡そうとしたのだ。
しかし当の本人は集中していたため、気づかなかったらしい。
アセビは手のひらを広げ、声高々に叫ぶ。
「ここはオレに任せてくれ! マイグレイン!!」
アセビお得意の頭痛を発生させる黒魔法だ。
ファンガスにも効果があるらしい。苦しそうによろめいている。
「フジとフクちゃんには手を出させないぜ、キノコ野郎がよぉ! フジ、炎魔法を頼む!」
「あ、あぁ……」
フジがファイヤーストームを唱え、ファンガスをまとめて焼き払う。キノコの焼けるような臭いだけが、この世に残された。
「よっしゃあっ!」
アセビはガッツポーズをとった。見事な連携プレイをしたことで得意げな表情を浮かべている。
アセビがふと視線を感じて振り向くと、フジとフクシアが無表情で見つめていた。ふたりの感情は読み取れない。
「アセビ……今の……黒魔法だよな……?」
「……黒魔法……なんじゃないかな……?」
「あっ……」
アセビの額に汗が浮かぶ。フジとフクシアの視線を恐ろしく感じた。
黒魔法は禁忌扱いされている魔法だ。他者の前で使うということは、自身も忌み嫌われる可能性がある。
アセビは祖父の、無闇に黒魔法を使うなという言葉を思い出していた。しかし、もう、遅い。
アセビは申し訳無さそうに、フジとフクシアに向かって頭を下げた。
マーガレットたち以外に、黒魔法を使うとバレてしまったのだ。もうこのチームも終わり。アセビはそんな思いで頭がいっぱいだった。
「今までありがとう……もうふたりとは会うことないと思うけど……またな」
「ちょっと待ってくれ!」
フジがアセビの肩を掴む。腕は僅かに震えていた。
フジはうつむいており、表情は見えない。怒っているのか、失望しているのか、恐怖しているのか。それはアセビにはわからなかった。
「フジ、オレ……」
周囲の木々からガサガサという音が聞こえる。
アセビの背後の茂みからファンガスが同時に5体も現れた。
「なにっ!?」
「あっ!?」
フジとフクシアは、警戒を怠っていたことを後悔していた。アセビはファンガスの奇襲に気づいていない。このままでは攻撃を受けることになってしまう。
ファンガスたちは同時に頭をアセビに向けた。
「フジ……何を見て……なっ!?」
アセビは驚くフジとフクシアの視線を追いかけ、背後に目を向けてしまった。背中を向けたままだったら、胞子を浴びずにすんだかもしれない。しかしこのままでは正面から吸ってしまう。
フジは素早く手のひらを正面に突き出した。
「ファイヤーストームは……ダメか!」
フジは唇を噛んだ。お得意の炎魔法ならファンガスを同時に葬ることは可能だ。しかし範囲が広すぎる。このままではアセビも同時に丸焦げになってしまう。
「フジ、わたしがファイヤーボールを使う!」
「ダメだ! お前の炎魔法じゃ、同時に複数を相手にするのは厳しい!」
「でもこのままだとアセビくんが!」
「仕方ねえ……」
「フジ、まさか!?」
「アセビは……俺が守る!」
フジは再度手のひらを正面に突き出した。そのまま数秒静止して、勢いよく腕を引いた。
まるで虚空を引き千切るような動きだ。アセビはフジの動作に目を奪われた。
「黒魔法……テラー!」
フジが宣言すると同時に、ファンガスたちの頭や腕や足が引き千切られた。恐らく即死だろう。死んだことにすら気づいていないかもしれない。
地面にファンガスだったものが無惨に飛び散った。
「バ、バラバラ……」
アセビはあまりの衝撃に体を硬直させた。
体の内部が破裂した者もいるようだ。弾けるような嫌な音が、アセビの耳にしっかりと刻まれた。
フジは息を大きく吐き出し、ファンガスだったものを見下ろしている。
アセビは恐る恐る口を開いた。
「フジ……お前……まさか!?」
「そうさ」
フジは地面に転がっているファンガスの頭を乱暴に掴んだ。それをアセビに見せつける。
「俺も……黒魔法使いなんだ」
フジはファンガスの頭を投げ捨て、アセビに背中を向けた。そのまま目を細めて空を見上げる。
どこか寂しげなその表情は、先ほどファンガスを惨たらしくバラバラにした人物とは思えない。
「お前の苦痛を与える黒魔法とは違う。俺のテラーは相手を残酷に殺すためだけのものだ。どうだ? 気持ち悪いだろ? 軽蔑しただろ?」
「フジ……」
「お前を守るには……アレを使うしかなかった」
アセビはフジの言葉を黙って聞いていた。
周囲を沈黙が支配する。
それまで遠くから見守っていたフクシアが、そっと口を開いた。
「フジとわたしの赤いローブは、黒魔法を人前で使わないことを誓うためのものなんです」
「あっ、だからさっきローブを脱いだフクちゃんに対してフジが怒ったのか」
「赤色には炎魔法のイメージがありますよね? このローブは誓いでもありますが、わたしたちが黒魔法を使うと思わせないための、カモフラージュの意味もあったんです」
「そっか。フクちゃんも黒魔法を使うんだ」
「……はい」
「フクすまない。誓いを破っちまったな」
フジが気まずそうに頭をかき、フクシアが困ったような顔で微笑んだ。やってしまったものは仕方がない。そういった表情だった。
アセビが勢いよく手を挙げた。
「はいはーい! 黒魔法は嫌われてるからあまり使うなって言われてるけどさ。オレ自身は全然そう思わないし抵抗ないっつーか。結構仲間の前で軽いノリで使ってるんだよな!」
禁忌を軽いノリで使う。フジとフクシアにとっては衝撃的な告白だった。ふたりは目を見開き驚いている。
「マジかよ」
「黒魔法をですか……?」
「うん」
アセビはフジを見つめる。その目には負の感情は一切見られない。尊敬の眼差しだけがそこにはあった。
「ちょっと驚いたけど別に全然気持ち悪くないって。命の恩人としか思わないから。だってそうだろ。フジがさっきの黒魔法を使ってくれなかったら、オレは今頃ベッドの上か、最悪地獄だぜ?」
「アセビ……お前……」
「あっ天国じゃなくて地獄なんですね……」
アセビはニコリと笑い、手のひらを叩いた。
「でさ、思ったんだ。オレたち3人が手を組めば、最強の黒魔法使いチームになるんじゃないかって!」
「最強の黒魔法使いチーム……?」
「でもフジとわたしは残酷な黒魔法の使い手で……」
「フジはフジだしフクちゃんはフクちゃんだよ。黒魔法の使い手かどうかなんて関係ない。オレにとってはふたりとも大事な友だちだから」
「アセビくん……」
フジもフクシアも拒絶されることを恐れていた。しかしアセビはあるがままを受け入れている。彼にとって誰が何を使うかは問題ないのだ。大切なのは、使い手の人間性だと思っているのである。
「それにほら、オレも黒魔法使いだけどさ。ふたりとも別に拒否反応ないっしょ?」
「それはそうだが……俺たちの黒魔法とお前のは、全然違うものだからな……」
「……」
「いやいや、いっしょだって。同じ黒魔法だって」
アセビは手を横に振っている。その表情に嘘偽りの感情はない。心からそう思っているのだ。
アセビはフジとフクシアのことをじっと見つめた。
「ふたりとも黒魔法使いってことバレたらまずいって思ってるみたいだけどさ。バレなきゃ問題なくね? そうだろ? オレは絶対口外しない。約束する。だからふたりともオレのこと内緒にしてくれよな!」
アセビはにししと笑って唇に人差し指を当てた。
フジとフクシアが顔を見合わせる。ふたりは思いっきり吹き出し、ゲラゲラと大声で笑った。
「じゃあ、最強の黒魔法チーム結成ってことで! ふたりとも、それでいいよなぁ!!?」
「ああ、いいだろう!」
「はい、アセビくん!」
アセビが手を差し出すと、フジとフクシアが力強く握り返した。
今この瞬間、クレマチスを代表する最強の黒魔法チームが誕生したのである。
3人は顔を見合わせると、嬉しそうに微笑み合うのだった。




