ふたりの黒い冒険者 8
アセビは足早に宿に戻った。明日も朝から仕事に行くため、可能ならすぐ休みたいのである。
アセビの脳裏に、数日いっしょに戦ってくれた若者たちの顔が過った。病人たちが健康になったら、ふたりとのチームは解散だ。寂しい気持ちがないと言ったら嘘になる。アセビは複雑な想いを抱えながら、部屋の扉を開いた。
「おかえり……」
「あっ、みんなまだ起きてたのか」
アセビが部屋に戻るとマーガレット、ルピナス、サツキが椅子に腰掛けていた。帰りを待っていたようだ。
ふとテーブルに視線を移すと、用意したクッキーとパイナップルは無くなっていた。
「良かった。食べてくれたんだな」
「……ありがと」
暗い表情のマーガレットが答えた。
アセビがお土産にもらった鍋とバスケットを、女子たちに見せる。部屋にシチューの香りが充満した。
「これお土産。頼んで持ち帰らせてもらったんだ。まだ温かいぜ。すごく美味かったぞ」
「そう……なんだ」
「まだちょっと食べたりないんじゃないか? みんなこれも食ってくれよ」
アセビがシチューを皿に注ぎ、マーガレットたちの前に並べた。女子たちはスプーンを握り、ゆっくりと食べ始める。
「おいしいわ……」
「うん……」
「うむ……」
味は文句なしの絶品だ。食欲が刺激されたのか、女子たちのスプーンの動きが早まる。
「このシチューさん、さっきアセビが言ってた人たちが作ったの……?」
「ああ、ふたりとも料理上手いよな! さっき家に行ったらすごい豪邸でさぁ! びっくりしたよ!」
「ふうん……」
アセビは個室に向かった。早く休まなければ明日に響くと思ったのだ。
背中を向けたまま声をかける。
「オレの分はいらないから全部食べてくれ。洗い物はオレがするからそのままでいいぞ」
「……おやすみなさい」
「お前たち顔色も良いし、元気になってきたな。明後日からは外で動いても大丈夫じゃないか? これで今のオレとお前たちの関係も終わりだな」
アセビはそれだけ言うと、もう用はないと言わんばかりに個室に入り、扉を勢いよく閉めた。
ルピナスがアセビの後を追おうと席を立つが、マーガレットが腕を掴み、首を横に振る。
「アセビとぼくたちの関係が終わる……」
「アセビは新しい仲間を見つけたんだ……仕方ない」
女子たちは、どこにでもある幸せな日常が終わることを確信していた。
マーガレットはアセビが買ってきてくれた食料を食べなかったことを、今も深く後悔していた。涙を流し、スカートの裾をぎゅっと握り、悲しみに震えている。
シチューの香りは消え失せ、部屋には重苦しい空気が充満していた。
昨日の絶品シチューのおかげか、アセビはぐっすり眠ることができた。疲れは吹き飛び、気持ちにゆとりができている状態だ。
アセビはベッドから勢いよく起き上がる。部屋を飛び出し、冒険者ギルドへと向かった。
アセビが部屋を出ると同時に、マーガレットたちがベッドからゆっくりと起き上がる。
「アセビ行っちゃった……うぅ……うぅ……」
「悲しいよぅ……泣きたいよぅ……」
「……いつまでもここには居られないからな。パンを食べたら……みんなで後片付けをしよう」
「うぅ……」
「ひっく……ひっく……」
涙を流すマーガレットとルピナスの背中を、サツキが優しく撫でる。まるで妹を支える姉のようだ。
優しさから出た行動ではない。そうしないと、サツキも涙が出そうになっていたのだ。
「大丈夫……大丈夫だからな……お前たちにはお姉ちゃんがいるからな……」
「よっしゃ! 今日もガンガン狩りまっせ!」
「お前今日はかなり元気じゃないか」
「あの料理のおかげだよ! マジでウマかった! また食べたいぜ!」
「それは良かったです! また遊びに来てくれたら嬉しいんじゃないかな!」
マーガレットたちの気持ちなど露知らず、アセビはハイテンションで、フジ、フクシアとファンガス退治のために森に来ていた。
周囲には、多くの死骸が転がっている。倒しても倒しても切りが無い。だが依頼書が掲示板から消えるその日まで、冒険者たちは戦い続けなければならないのだ。
アセビはファンガスを切り裂きながら、以前見かけた黒いファンガスを思い出していた。
「そういえば前黒いキノコがいたよな? あいつどこにいったんだ?」
「あれから出会わないな。他の冒険者に倒されたと信じたいが」
「もし見かけたら全力で倒しましょうね」
3人は森をゆっくりと進む。
天気が良く、日差しがまぶしい。絶好のファンガス狩り日和である。
「そうそう! オレの仲間はフジとフクちゃんのおかげで元気になってきたよ。本当にありがとう。ふたりがいなかったと思うと……」
アセビがフジとフクシアに頭を下げる。心から感謝の気持ちが込められていた。
フジが前髪をさっとかき上げ、いつものようにニヤリと笑う。
「マジで感謝してるよ。あいつらの元気に暴れまわる姿がまた見られるんだからさ」
アセビの言葉の意味を、フジとフクシアはしっかりと理解していた。このチームは今日で解散なのだ。
「気にするな。お前と俺たちの仲だからな」
「……そうですよ。アセビくん」
フジとはうってかわって、フクシアはどこか寂しげな表情だ。涙を流さないよう必死に感情を抑えている。
気づくと3人は、例の廃墟と化した神殿の近くまで来ていた。
フジが周囲を警戒しながら口を開く。
「マーガレットちゃんのおともだちの家で、また休憩しないか?」
「賛成! ちょっと張り切りすぎて疲れたわ」
アセビとフジは神殿に向かうが、フクシアはその場に立ちすくんだままだった。別れが近いと思うと、足が動かなくなってしまったのである。
アセビが異変に気付き、急いで駆け寄った。心配そうにフクシアの顔を覗き込む。
「フクちゃん大丈夫? 気分が悪い?」
「えっと……さっき綺麗なお花見つけたんです。そのお花を摘みに行きたいなって……」
嘘である。
フクシアはこのままアセビといっしょだと、感情を抑えられる自信がなかった。見せたくないのだ。涙を流す自分の姿を。
フジはフクシアの気持ちを察し、その意思を尊重することにした。
「フクはその、なんだ。事情があるんだ。お前朝食にコーヒー飲み過ぎたもんな」
「そっか。先に行ってるから、フクちゃんもゆっくり来てね……」
「アセビくん違いますからね! わたしはおトイレには行きませんからね!」
アセビとフジは早歩きで神殿へと向かっていった。
色々と勘違いされてしまったが、フクシアは感謝していた。これでアセビに涙を見られなくてすむのだから。
「……少し歩こう」
フクシアはアセビたちに背中を向け、ゆっくりと歩みを進めた。哀愁が漂っている。今のフクシアの姿をアセビが見たら、すぐに駆け寄ってくるだろう。
「……ちょっと休もう」
フクシアがしばらく進むと大木を見つけた。疲れた顔でもたれかかる。
フクシアはポケットからアセビからプレゼントされたハンカチを取り出した。
「アセビくん……ずっといっしょにいたいなぁ」
フクシアはあふれる涙をハンカチで拭った。しかし拭っても拭っても止まらない。あふれる感情は止まることを知らなかった。
フクシアは次第に涙を拭うのを止め、アセビからもらったハンカチをじっと見つめると、口に入れた。
「……んっ」
アセビにこの姿を見られたらどう思われるか。フクシアは言葉にできない背徳感に襲われる。気づけば涙は止まり、昂った感情だけが残されていた。
「……わたしこわれちゃったのかな」
フクシアは気持ちを落ち着かせるために、深呼吸をする。そのまま神殿に向かおうとすると、不快な臭いが鼻腔を刺激した。
「まさか近くに……」
フクシアが顔をしかめながら周囲を見渡すと、木々の間から例の黒いファンガスの姿が見えた。しゃがんで地面に手を触れている。するとそこから、小さなキノコが生えてきた。アレが成長することで、ファンガスになるのだろう。
フクシアは黒いファンガスの前に進む。しかし彼はさして慌てるような動作もなく、じっとしていた。
「もしかして。わたしのアレ見てたのかな? どうせならアセビくんに見てほしかったな」
フクシアは黒いファンガスに問いかけながら睨みつけた。しかし相手は何も答えない。ゆっくりとフクシアに向かって歩き始めた。
戦闘が始まろうとしている。
フクシアは考えた。もしひとりで目の前の黒いファンガスを倒せば、アセビが自分の実力に惚れ込んでチームに残ってくれるかもしれない、と。きっとそうに違いない、と。
フクシアは希望的観測を胸に抱きながら、人差し指を突き出し、声高々に叫ぶ。
「ファイヤーボール!」
フクシアの人差し指から、炎の玉が発射される。小さいが、かなりの熱を持っているため、並のファンガスなら当たれば簡単に火だるまになるだろう。
黒いファンガスは左腕で受け止めた。焼けるような臭いが周囲に充満する。左腕はあっという間に炎に包まれた。すぐ体全体に燃え広がるだろう。
「これで終わり……かな?」
フクシアはニヤリと笑う。
しかし勝負はまだ終わらない。
黒いファンガスは自身の燃え盛る左腕を、残った右腕で引き千切った。
「な!?」
千切られた左腕はすぐに生えてきた。
黒いファンガスは再びフクシアに向かって、ゆっくりと歩き始める。
フクシアは僅かに動揺したが、すぐ切り替えた。少しずつ接近する黒いファンガスを睨みつける。
「……でもコレならどうかな!」
フクシアは指先からファイヤーボールを撃った。2発も。
黒いファンガスは両腕で受け止めた。燃え盛る右腕で左腕を掴み、引き千切る。腕はすぐに生えてきた。次は左腕で燃え盛る右腕を引き千切る。そしてやはりすぐに腕が生えてきた。これでは実質ノーダメージだ。
黒いファンガスは、再びフクシアに向かってゆっくりと歩き始めた。
「このっ……!」
フクシアが何度ファイヤーボールを放っても、結果は同じだった。腕を盾代わりにされ防がれてしまう。
フクシアは逃げることを考え始めたが、黒いファンガスとの距離はもう1メートルもなかった。もう逃げることは不可能だ。
黒いファンガスは胞子を吸わせるため、大きな頭をフクシアに向けた。吸ってしまえば体を蝕む病に侵されてしまう。
フクシアは恐怖で悲鳴を上げそうになった。口を大きく開ける。
「きゃっ……むぐっ!?」
後ろから何者かがフクシアの鼻と口を塞いだ。悲鳴は謎の人物の手のひらによって、かき消されてしまった。
「ん〜!?」
謎の人物はフクシアを庇うように、彼女の鼻と口を塞いだまま、自身の背中をファンガスに向ける。壁代わりになろうとしているのだろう。
黒いファンガスが胞子を放つ。謎の人物はそのまま背中で受け止めた。彼のおかげで、フクシアは胞子を吸わずにすんだのである。
「んっ!?」
フクシアが首を動かし、胞子から守ってくれた謎の人物を確認する。思わず目を大きく見開く。
そこにいたのは、見知った好意を抱いている青年。そう、謎の人物の正体はアセビだった。
「んんんんん!?」
「危なかったぜ……」
アセビはフクシアがなかなか神殿に来ないため、心配して来た道を引き返していた。文句なしのファインプレーである。そうしていなければ、フクシアは胞子を吸わされていただろうから。
「ごめん、あともうちょっとだけ我慢してね」
アセビはフクシアの耳に口をつけ、ぼそぼそと早口で話す。吐息が耳にかかる。
フクシアはアセビと密着していることに気付き、嬉しさと緊張感で心臓を高鳴らせた。
「いい加減にしろやキノコ野郎!」
アセビは右手で銅の剣を抜き、黒いファンガスに向かって投げつけた。腕で受け止めようとするが、勢いが強かったらしい。そのまま胴体に刺さってしまった。膝を付くことはなかったため、致命傷にはならなかったようだ。しかし銅の剣がなかなか抜けないのか、黒いファンガスは必死に引っ張っている。
アセビは今がチャンスと言わんばかりにフクシアを横向きに抱え上げ、背中と膝裏を持ち上げた。
「フクちゃん、逃げるよ!」
「ん!」
アセビが再びフクシアの耳に口をつけた。こくりと頷き、そのまま身を委ねている。
ふたりはそのまま黒いファンガスから距離を取り、そのまま逃げた。戦略的撤退というやつだ。
アセビがチラリと視線を後ろに向けると、黒いファンガスが銅の剣を引き抜く姿が見えた。




