犬によく吠えられる人っているよね 1
霧の深い森を、疲れた顔で歩く赤毛の青年がいた。
アセビである。ルピナスとサツキもいっしょだ。アセビのあとを追うように歩いている。
3人の足取りは重い。会話もなく、黙々と歩みを進めている。
アセビたちがいるのだ。当然近くにマーガレットもいる。離れた位置から仲間たちの様子を伺っていた。
「みんなでがんばりましょうね!」
マーガレットの声に誰も反応しない。振り返る者もいなかった。
マーガレットは歩みを止め、頬を膨らませる。
「わかったわよ! あたしが悪かったわよ!」
マーガレットはその場で地団駄を踏む。
しかし誰も反応しない。黙々と歩みを進めている。
足を止めたマーガレットだが、仲間たちの背中が見えなくなりそうになり、急いで走り出した。
「待ってぇぇぇ! 置いていかないでぇぇぇ!」
以前アセビ一行が行った山岳地帯に、またゴブリンが巣を作った。作るだけならまだしも、彼らは旅人やキャラバンを襲う。見過ごすわけにはいかない。
治安維持のため、ゴブリン討伐の依頼書が掲示板に貼られた。それをアセビ一行が引き受けたのである。
そして3時間前。アセビ一行は、ゴブリンの巣を発見した。
「オラオラァ!」
「せいっ! はっ! とぅ!」
「ギエェェェェェェ!!」
アセビとサツキはあっという間にゴブリンたちを倒してしまった。仕事は無事に終わったのである。
「よし終わり! みんな大丈夫か?」
アセビの質問に女子たちが笑顔で頷く。しかし周囲への警戒は怠らない。
以前ホブゴブリンに、サツキが殴り飛ばされたことがあった。その時の経験が活きているのだ。
ルピナスが巣の奥を覗くと、穴の空いたずだ袋が置かれていた。中身を確認すると宝石が入っており、マーガレットが目を輝かせる。
「なにこれぇ!? すごいじゃない!!」
「これ高価な宝石かも……」
「もしかしたらクレマチスに、ゴブリンたちからこの宝石を奪われた者がいるかもしれないな。これは持って帰ろう。私が預かっておく」
サツキがゴブリンたちの死体を見回した。死者は口を開かないため、どこから宝石を持ち出したか、未来永劫聞き出すことはできない。
どのみち生きていようが死んでいようが、ゴブリンたちが正直に話すとは思えなかったが。
「あれ? ここ穴があるわね」
マーガレットがさらに巣を探索すると、小さな穴を見つけた。小柄なゴブリンなら問題なく通れそうだが、人間だと這って進む必要があるだろう。
マーガレットがしゃがんで穴を覗き込んだ。
「入れるんじゃないかしら」
「……でも服が汚れちゃうね」
穴の奥は暗く、何があるか見えない。
アセビは直感的に行かない方がいいと感じ、首を横に振った。
「ちょっと待ってくれ。1度戻って冒険者ギルドに仕事のことを報告しようぜ。理由はないが、その穴には近づかないほうがいい気がするんだ」
「わたしもアセビと同じ意見だ。仕事の報告を優先するべきだと思う」
それだけ言うと、アセビとサツキが出口に向かう。ルピナスもあとに続いて歩きだした。
ふと嫌な予感を覚え、アセビが振り向く。マーガレットがまだ穴をじろじろと眺めていた。
「ちょっと探険してみない? この奥にもっとたくさん宝石があるんじゃないかしら?」
「おい、マーガレット! 危ないぞ! 早く戻ってこいって!」
マーガレットにはアセビの言葉が全く聞こえていなかった。
高価な宝石がまだあるかもしれない。その思いで頭がいっぱいだったのだ。欲のままに、本能のままに、あるがままに生きる女なのである。
マーガレットは、お気に入りの白いワンピースが汚れるのも構わず這うと、そのまま穴に入っていった。
「やりやがった! これ絶対いつものろくな目にあわない流れだぞ! 行くなって言ったのによぉ!」
「だが我々も行くしかあるまい!」
アセビは頭を抱えた。
何かしらの問題が発生する時は、だいたいマーガレットが原因である。トラブルの予感がしたのだ。
「ぼ、ぼく小さいから……ふたりはここで待ってて……行ってくるよ」
「お前だけに危ない橋は渡らせない。みんなで行こう」
ルピナスの頭を撫でると、アセビが地面を這った。そのまま穴に向かって進む。
穴は深く、先は何も見えない。トラブルが起こらないことを祈りながら、アセビは這って進み続けた。
後ろからルピナス、サツキも続く。時折ふたりを励ましながら、アセビはひたすら前に進んだ。先の見えない暗闇を、ひたすら。
「ここは……」
穴を抜けると、そこは霧の深い森だった。
木々が並び、風が冷たく、動物やモンスターの鳴き声は一切聞こえない。
とても宝石があるような場所には見えなかった。
「みんなー!」
アセビたちから少し離れた場所で声がした。
視線を向けると、マーガレットが元気に手を振っていた。白いワンピースはすっかり汚れてしまっている。
マーガレットを発見し、アセビはほっと胸を撫で下ろした。
「マーガレット! 帰るぞ! ここに宝石があるはずがねえからよ!」
「宝石があたしを待ってるの! これはもう行くしかないわよね!?」
マーガレットは森の奥へ向かって走った。一切躊躇いのない動きには、感動すら覚えるレベルである。
マーガレットの暴走を見てルピナスが青ざめた。
ここは霧の深い森だ。迷ったら大変なことになる。下手をすれば、餓死してしまうかもしれない。
「……マーガレット行っちゃった……」
「あのおバカ!」
アセビが急いでマーガレットを追いかけるが、なかなか追い付けない。華奢な背中は、近くて遠かった。
ありもしない宝石に向かって一生懸命走るマーガレット。道化である。
「待てって!」
マーガレットに追い付いたアセビが、肩を思いっきり掴んだ。
「オラァ! マーガレットお前いい加減にしろ!」
「そんな怒らないでよぉ……宝石もっとあるかもって思ったら行くしかないわよぉ……」
「そんなもんはねえよ……とにかく帰るぞ」
「ぶ〜……」
アセビがマーガレットの手を握る。もうどこにも行かないようにするためだ。
アセビより少し遅れて追いかけてきたルピナス、サツキも合流する。元気なマーガレットを見て、ふたりともほっとした様子だ。
「……マーガレット、もうどこにも行かないでね」
「前向きに検討するわ……」
「フフフッぜひそうしてくれると嬉しいよ」
こうして、アセビたちは無事マーガレットと合流できたのだった。問題児の暴走を未然に防ぐことはできなかったが、最悪なシナリオだけは避けられたのである。
しかし新たな問題が発生したことに、アセビはまだ気づいていなかった。




