狼さんは年下の男の子がお好き 5
サツキがカトレアの腕にヤグルマソウを振り下ろそうとしたその瞬間、アセビが背後から抱きついた。
「ストーップ!!」
サツキはいきなりアセビに背後からしがみつかれてしまったため、思わず手からヤグルマソウを落としてしまった。それが床にぶつかり、店内に金属の音が響く。
幼い少年の姿になったとはいえ、アセビに密着された状態だ。サツキは緊張感と喜びで頬を赤くし、激しく動揺していた。
「コ、コラ、アセビ! 危ないではないか! お前にヤグルマソウが当たったらどうするんだ! と、とにかくこの女には然るべき制裁を……」
「大丈夫だって! カトレアはオレの体元に戻るって言ってるんだからよ! そうっスよね!?」
「は、はい!」
カトレアは涙を流しながら何度も首を縦に振り、アセビの体が元に戻ることを保証した。先ほどとは違い、不明瞭な返事をしなくなっている。サツキの脅しが効いたのだろう。
しかしマーガレットのカトレアに対する信用は、すでに地面にめり込んだ状態だ。疑いの眼差しでじろじろと見つめている。
「ふぅん。でも信じられないわね。言うだけなら誰でもできるもの」
「わ、ワタシの命に変えてでも! アセビさんを元に戻しますっ!」
「うむ……どうしたものか」
「ほら、カトレアもこう言ってるしさ! サツキ、いい子だから……ね?」
サツキの瞳に、鏡に映った自身の姿と、アセビが映った。今の彼は幼い少年の姿に戻っている。力でサツキを押さえつけることは難しいだろう。しがみつくことしかできないのだ。
「アセビ……」
サツキには、今のアセビが、とても愛おしく見えていた。必死にしがみつくその姿。それを見て、ある感情が芽生えてしまっていたのだ。
サツキはアセビの指を丁寧に離すと、いつものように慈愛に満ちた表情で微笑んだ。
「わかった。アセビを信じるよ。フフフッ」
「サンキューサツキ! お姉ちゃん、大好き!」
あふれんばかりの笑顔を見せるアセビ。サツキは心の底に芽生えてしまった感情をごまかすよう、頭をかいて見せた。
「殺されなくて良かったですぅ……ありがとうございますぅ……」
安心したのだろう。カトレアは部屋の隅の銀色のたてがみのライオンの銅像に向かって、両手を合わせて感謝の気持ちを伝えた。
「あぁ……ワタシが生きていられるのは、全てアストレオ神のおかげですぅ……」
「何よそれ」
「珍しい色のライオンちゃんだよね」
カトレアは信じがたいものを見るような、驚いた表情を浮かべた。
「アセビさんもでしたが……まさか皆さん、アストレオ神をご存知ない!?」
「何よこの無知なおバカたちを見るようなリアクションは。この女、やっぱマジでむかつくわ」
「イライラするんだよ」
「お前さっきからイライラしすぎだろ」
マーガレットは額に青筋を浮かべながら、指をボキボキと鳴らしていた。もし次自分たちを無知呼ばわりしたら、容赦なく拳をカトレアの顔面に叩き込むと言わんばかりの態度である。
「では、このワタシがお教えいたしますネ!」
カトレアはマーガレットがキレていることに気づいていないのか、両手を広げて芝居がかった様子でアセビたちに向かって語りかける。
「それは300年前。ある心が綺麗な貴族様が、旅の途中で仲間たちと逸れてしまったのです」
「なんか聞いてもないこと語り始めたぞこの姉さん」
アセビのツッコミが聞こえていないのか、カトレアは言葉を続ける。
「体は傷つき、お腹はぐぅぐぅ鳴っています……そうなのです、その貴族様は死にかけていたのです!」
マーガレットはつまらなさそうに目を細めながら、今度は首をボキボキ鳴らした。心底興味がなさそうな雰囲気を漂わせている。
「退屈だわ」
「なんでこの人死にかけてる貴族のことを楽しそうに語ってるの」
「自分はこのままでは死んでしまう、彼がそう絶望したその時です!」
「ああ、はいはい。どうせ銀のライオンが助けに来てくれたんでしょ?」
カトレアは瞳を輝かせた。マーガレットがアストレオ神に興味を持っていると思ったからである。
しかし悲しいことに、この場にいる問題児どもは誰ひとり真面目に話を聞いていない。今の彼女たちにとって大切なことは、アセビを元の姿に戻せるかどうかということだけだ。
カトレアはマーガレットの手を握り、心の底から嬉しそうに微笑んだ。
「あなたのおっしゃる通りですぅ! 銀のライオン、そう! アストレオ神が貴族様の目の前にどーんと現れたのですぅ!」
「そう。すごいわね」
「アストレオ神は貴族様に食料を与え、怪我を治し、ありがたいお言葉を残して去っていったのです! 試練をよく乗り越えた! これからも人を慈しむ心を忘れてはならぬ、と!」
マーガレットは欠伸を噛み殺しながら、カトレアの手を振りほどいた。
「どうせそんなストーリーだと思ったわ」
「どっかの小説みたいに展開が予想できるよね」
「そして貴族様は誓ったのです! これからも清い心で人々のために尽くす、と! アストレオ神の教えを守り抜く、と!」
カトレアは店内に置かれたアストレオ神の銅像に向かって、深々とお辞儀をした。
一方問題児どもは、心の底からどうでもよさそうな表情を浮かべている。
アセビはアストレオ神の銅像を、興味深そうにじっと見つめ、口を開いた。
「本来獲物を狩るライオンが、希望をもたらすっていうのが面白いな。でも仲間とはぐれて死にかけたのが試練っていうのはちょっと厳しくないスかね?」
「いえ! 厳しくなどありません! アストレオ神はおっしゃっているのです! 試練は乗り越えるためにあるものだ、と!」
「そういうものなんスか?」
「そういうものなのですぅ!」
カトレアはヒートアップしているのか、アセビに向かって得意げな顔で指を差した。
「あなたがお子様の姿に戻ったのは、きっとアストレオ神の与えた試練! この試練を乗り越えたとき、あなたは大きく成長できるはずなのですぅ! きっとそうなのですぅ!」
「そりゃ問題解決できたら大きくなれるだろうな。オレちびっこになっちゃったしな」
アセビが子どもの姿に戻ったのはカトレアの調合に失敗のドリンクを飲んだことが原因だ。しかし彼女はアストレオ神の与えた試練と考えるようになっていた。なかなか都合の良い脳みその持ち主である。
「アセビさんならきっとご理解いただけると思っておりました! さぁ、ワタシといっしょにアストレオ教を信仰しましょう! まずはこちらのミニアストレオ神人形をですね……」
「へー、すごいわね。ちなみになのだけれど、あたしスーパー美少女マーガレットちゃん教に入ってるの」
マーガレットはカトレアの言葉を遮るように、口を挟んだ。
「初めて聞く宗教ですネ……」
「ええ、あたしが今この場で作った宗教だもの!」
マーガレットはいきなりカトレアに飛びかかった。逃げられないようにそのまま床に押し倒すと、勢いに任せて馬乗りになり、怒りの感情を爆発させる。マーガレットはカトレアの両頬を思いっきり引っ張った。
「マーガレットちゃん教は! 気に入らない女に! 正義の鉄槌を下してもいい宗教のことよ!」
なんともマーガレットに都合の良い宗教である。しかし彼女の怒りも仕方のないことなのだ。愛する青年を子どもの姿にした女が、この試練を乗り越えてみろと、ふざけたことを言ったのだから。
カトレアは頬を引っ張られ、涙を流している。抵抗するように足をジタバタと動かしているが、マーガレットは重たい。彼女をどかすことができず、カトレアはされるがままになっている。
「いふぁいでふ! いふぁいでふ!」
「マーガレット、女の子同士で暴力はいけない! カトレアを痛めつけても問題は解決しねえんだ! だから早くやめろって!」
アセビがマーガレットの肩を揺らすが、彼女は動こうとしない。怒りの天使になってしまっている。
「これはコミュニケーションよ! だからこのままあたしの気分がすっきりするまで続け……」
カトレアはすべるように動いて拘束を逃れた。マーガレットは目を丸くしている。まさかこうも簡単に逃げられるとは思っていなかったのだ。
「え……? 逃げられた……?」
「アセビさん」
カトレアはマーガレットのことを一瞥もせず、無表情のままアセビへ向かって歩き出し、耳を傾けた。
「アセビさん。さっき、何とおっしゃいました?」
「えっ……女の子同士暴力はいけないって……あんたを痛めつけても意味ないって……」
目の前のカトレアは、マーガレットの拘束から簡単に脱出した。ただのおっさんに人気がある、愛想のいいポンコツ宗教女ではなさそうだ。下手に刺激しないほうが良いとアセビは判断し、素直に聞かれたことをそのまま口にした。
「お……」
「お?」
しかしアセビの言葉は、カトレアを大きく刺激していたのである。彼女は口を大きく開け、奇声に近い叫び声を上げ始めた。
「あぁ〜っ! あぁ……! あぁ……いい……!」
「何なんだ……あんた……?」
「女の子……女の子……ワタシは……女の子……っ!」
カトレアは目を見開き、両頬を押さえ、喜びに打ち震えていた。
一方アセビは突然の行動を理解できず、恐怖心で体を震わせている。
「な、なんだ……っ?」
急に狂喜乱舞し始めたカトレアに、内心ドン引きしていたルピナスが口を開いた。
「女の子って言われて嬉しかったのかな」
「ちょっとあたしたちには理解できないわね」
「うむ……」
サツキは以前年下のアセビに女の子扱いされ、嬉しかったことを思い出していた。気持ちはわかると言いたかったのだが、カトレアと同じタイプの女と思われたくなかったらしい。複雑そうな表情で口を閉ざしていた。
「すみませんですぅ。ちょっと懐かしい言葉の響きに興奮してしまって……はぁ……はぁ……はぁ……」
「いや、大丈夫っスよ。あんたのことアレな人間って思いながら接することに決めたんで。やばい姉さんって思ってるんで」
アセビに恐怖されていると知ってか知らずか、カトレアはニコニコと嬉しそうに笑っていた。何も知らないということは、幸せなことなのである。
「ちなみにアセビさんはおいくつさんです?」
「18っスね」
「あ、じゃあワタシも同じ18ですね」
「じゃあってどういうことなの」
マーガレットがすかさずツッコミを入れる。カトレアは若く見えるが、流石にアセビと同い年ということはないだろう。
しかし女性の年齢について根掘り葉掘り聞くのは、どの世界でもご法度である。流石のマーガレットも空気を読んでそれ以上聞き出そうとはしなかった。
「あなたたちと同じ女の子ですぅ! なぜならワタシは18歳だからですぅ!」
「悲しい現実逃避がいつまで続くかな」
「なんかこの女、1周回って哀れに思えてきたわね。同情はしないけれど」
「あっそうだ! あなたたちはアセビさんのお仲間ということでいいんですよね?」
「そうだが?」
「つまり、冒険者ギルドのメンバーさんですよね」
カトレアは懐から小さな瓶を取り出すと、中身を指ですくってマーガレットの頬に塗り始めた。突然の行動に彼女は動揺して動きを止めるが、すぐに冷静さを取り戻した。カトレアの豊満な胸を突き飛ばす。
「ちょっと何するのよ! あたしのほっぺたに何塗ったのよ!?」
「女の子の冒険者は、道具だけでなく、お肌のお手入れもしないといけませんよね?」
マーガレットが自身の頬に触れると、自慢のモチモチほっぺはすべすべとした肌触りになっていた。
「えっ!? あたしのほっぺどうなってるの!?」
マーガレットが急いで鏡を見ると、肌が艷やかに煌めいていた。ルピナスとサツキも興味を持ったらしい。マーガレットの頬をベタベタと触り始めている。
「へぇ……」
マーガレットは得意げな顔で腕を組み、カトレアを見つめた。先ほどまで見せていた怒りと敵意は、すっかり鳴りを潜めている。
「ふ〜ん。あたしのモチモチほっぺが、すべすべキラキラほっぺになっているのは、あなたが塗ったそれのおかげってわけ?」
「はい! 実はワタシ元冒険者でして。若いときはお肌のお手入れに結構苦労したんですよネ。今の世代にはあまり苦労させたくないんですぅ。道具や武器のお手入れだけでも大変ですからネ」
本心からの言葉だったのだろう。カトレアの目は真剣だった。
一方サツキは複雑そうな表情を浮かべている。
「若いときの苦労は、買ってでもしろと言うが……」
「ん〜。ワタシはそう思わないですぅ。苦労するのはワタシの世代で終わりにするべきなんですぅ」
マーガレットの頬を触りながら、ルピナスがカトレアに尋ねた。
「もしかしてこの雑貨屋さんを始めたのは、現役の女の子冒険者の手助けをしたいから?」
「はい! 冒険者さんだけでなく、すべての女の子のためというのが正しいかもしれませんが……ワタシが1番力になりたいのは、女性冒険者さんたちですぅ」
カトレアが雑貨屋を始めたのは、女性冒険者のサポートをしたいという純粋な想いからだったのだ。やはりただのポンコツ宗教女ではなかったのである。
男性冒険者と比べると、どうしても女性冒険者は体力面で劣ってしまう。彼らと比べると、受けられる仕事の量も少ない。得た報酬で武器を修理し、道具を買い替えると、すぐ金欠になってしまうのだ。
カトレアも若かりし新人冒険者時代に色々と苦労したらしい。だからこそ、若い世代に少しでも楽をしてほしいのだろう。
マーガレットの中で、カトレアに対する印象が少しずつ変わりつつあった。




