その名はブラック・ブリッツ・ブレード 10
服屋の若い店員は、口を大きく開けて欠伸をした。もうすぐ閉店の時間なのだが、店内にはまだまだ客の姿が見える。予定通りに店を閉めることはできないだろう。
「あたしゃもう帰りたいよ」
興味津々に商品を物色する女性客たちを、店員は疲れた表情で観察していた。
「いやぁぁぁ!」
「魔神よぉぉぉ!!」
「早く帰ろ!!!」
「な、なにっ!? 魔神!?」
突然店内に響き渡る女性客たちの悲鳴。店員は驚いてその場で思わず飛び上がった。彼女が店内の出入り口を見ると、女性客たちが我先にと出ていく姿が見えた。
賑わっていた店内は、すっかり閑古鳥が鳴いてしまっている。
「えっと……よくわからないけど……お店閉めちゃってもいいよね……?」
店内から客がひとりもいなくなった。店員は店を閉めるために出入り口に向かって小走りで近づく。扉さえ閉めれば、きっぱりと今日は終わったから帰ってくれと言える大義名分が得られるからだ。
「これで今日は終わ……」
店員が扉に手をかけた瞬間、昼間のことが脳裏に過った。有名な問題児集団がブランド品コーナーを長時間占拠し、店内から客がいなくなったことである。おかげで彼女たちが店を出るまで、売上がさっぱり上がらなかったのだ。
先ほど聞こえた謎の悲鳴、突如いなくなった女性客たちは、まさにそれを思い出させるものだった。
「サツキ……傷ついちゃった?」
「フフフッ……女は傷つき……強くなるのさ……」
「あら~、だからサツキは強いのね!」
「正直辛い」
聞き覚えのある声が耳に入る。店員の額は汗がにじんでいた。彼女が恐る恐る顔を上げると、目の前に白い悪魔と黒い魔神が立っていた。マーガレットとサツキである。
問題児どもの2度目の来店。店員は蛇に睨まれた蛙のように固まってしまった。
「ひっ……」
「お姉さん、もしかしてだけれど、もうお店終わっちゃった系かしら?」
「むぅ……遅かったか……」
マーガレットとサツキが肩を落とす。別に明日また来店すればいいだけなのだが、できれば早くお礼を受けとりたい、渡したいと思っているのだ。
店員はふたりが帰る空気を察し、ほっと胸を撫で下ろす。しかし本当にこのまま帰しても大丈夫かと瞳を閉じて考え始めた。
「このまま帰したら……腹いせに明日お店や商品めちゃくちゃにするんじゃ……」
店員は青ざめ、震え始めた。彼女の脳裏には、破壊の限りを尽くす悪魔と魔神の姿が映っていた。
サツキは冒険者ギルドの酒場で暴れ回った過去があるが、マーガレットに無理やり酒を飲まされたことが原因である。絶対に理不尽な理由で暴れたりはしない。
しかしその事実を知る者は少ない。そのためサツキは多くの人々に恐れられている。
「お店……ど、どうしよう……」
「あら? お姉さん何かぶつぶつ言ってるわね。ちょっと疲れてるのかしら」
「顔色がよろしくないみたいだが……」
誰のせいで顔色が優れないかは言うまでもない。根も葉もない噂と現実が混ざりあい、クレマチスの一部の住民から、サツキは異様なまでに恐れられていた。
服屋の店員や女性客は、噂話やお喋りが大好きだ。サツキの事実無根の悪評を信じきっている。
店員は引きつった笑みを浮かべ、店に向かって手のひらを向けた。
「あの! まだお店大丈夫なんで! どうぞ!」
「いいの!? やったぁ!」
「かたじけない! 急ごう!」
店員の言葉に、マーガレットは手を叩いてその場で跳び跳ねた。サツキは感謝の気持ちを込めて頭を下げている。ふたりは急いで店内へと入り、目的地へ向かった。
店員はふたりから距離を取りつつ、柱から顔を出して観察していた。
「これが欲しかったんだけど、実際にお店に来たら目移りしちゃわね~」
「フフフッ私はこっちのほうが似合うと思うが……」
マーガレットが白いブランドのワンピースを両手で握りながら、サツキに見せつけた。袖と首元に光る石が埋め込まれている。宝石が大好きなマーガレットには、ある意味お似合いと言えるワンピースだ。
店員は楽しそうに笑顔で商品を物色するふたりを見ながら、恐る恐る少しずつ近づいた。評判が最悪な問題児どもだが、服を買う意思があるのなら、大切な商売相手なのだ。商売人の魂に火がついたのである。
「白もいいがたまには他の色もどうだ?」
「う〜ん。でもやっぱ、白がいいのよねぇ! これかこれにしようかしら!」
「……」
気づけば店員は、マーガレットたちのすぐ近くまで接近していた。柱に体を隠しているが、頭が丸見えだ。最早その行動は意味をなしてはおらず、その無意味に等しい。
店員は眉間にシワを寄せながら、本心を呟く。
「ってかあのお客さんたち……よく見たらレベル高すぎない……? めっちゃ可愛いしめっちゃ美人だしスタイル良すぎない?」
容姿端麗とは、マーガレットとサツキのためにある言葉かもしれない。しかし彼女たちの悪評はあまりにもひどく、他者を寄せ付けにくくする効果があった。ぼっちは、現在進行系でぼっちじゃなくなっても、再びぼっちになる可能性を常に秘めているということである。
店員は店に置いてある鏡に写った自身をじっと見つめたあと、マーガレットとサツキに目を向けた。
「…………」
店員は天を仰ぎ、目頭を強く押さえる。
「不平等すぎるだろ。やっぱ、人生ってクソだわ」
「あのお姉さん、また何かぶつぶつ言ってるわね」
「悩みがあるのだろうか」
自嘲気味な表情を浮かべる女性店員だったが、視線を感じてすぐに笑みを浮かべた。早く帰りたいと思う精神もあるが、それなりにプロ意識はあるらしい。
「お客様、そちらのお洋服にします~? 結構人気のブランドなんですよね~」
「そうしようかしら? 似合ってる?」
マーガレットは自身が最初に目をつけていたワンピースを体に当てて見せた。店員はふたりに感じていた恐怖心を押し殺しながら、営業モードで接客を続ける。
「自分マジトークするとですね~。お客さんにはこっちがいいかなあってのがあるんですよね~」
「あら? 結構このワンピいいかなあって思ったのだけれど」
「ごめんなさい余計なことでしたお客様めちゃくちゃ似合ってますよ天使だと思いましたってか天使そのものですね天使見たことないですけど」
首を捻るマーガレットを見て、女性店員は恐怖心が限界に達してしまい、青ざめながら何度も頭を下げて早口で媚び始めた。彼女は問題児コンビに殺されないように必死なのだ。
サツキはその姿が面白かったらしく、吹き出さないように口を押さえて体を震わせた。
「フフフッならば、あなたのおすすめしたい服を見せていただけるかな?」
「そうね! あたしも気になったわ! 見せて?」
「ははっ! 少々お待ちくださいね! すぐ戻りますんで!」
店員は深々と頭を下げる。早く帰ってくれと思いつつも、客には満足してほしいという気持ちも持ち合わせているようだ。
店員は商品を両手で大切そうに抱えがなら、小走りでマーガレットたちに近づいた。
「おまたせいたしましだっ!?」
店員は盛大に転んでしまった。
「ちょ!? 大丈夫!?」
「全然平気なんで! 頭蓋骨ちょっと割れたかもだけどマジで平気なんで!」
「平気じゃないような……」
店員はプロ意識が強いらしい。転んでしまったが、両手に抱えた商品は決して床には落とさなかった。
店員の額は痛々しく赤くなっている。痛みで涙を流しながらも持ってきた商品をマーガレットへと手渡した。
「あら〜」
白を基調にしたワンピースだった。真ん中には黒のラインが描かれている。
店員は額を押さえながら笑みを浮かべた。
「お客様の頭巾。本日当店でご購入なされた商品でしたよね? せっかくだから合わせたコーディネートがいいかなあって思ったんですよぉ」
「あら嬉しい! よく覚えてたわね!」
「流石だ」
マーガレットとサツキは、女性店員の記憶力に感心していたが、悪評にまみれた問題児コンビだからこそ印象に残って覚えていただけである。
「天使様は顔も良いけどスタイルもいいですよね。この黒のラインがね。さらにそれを引き立てるんでね」
「えへへ! ありがと! じゃあ、ちょっと待っててくれる?」
マーガレットは試着室に入り、さっそく着替えてみることにした。
サツキは可愛い妹分が満足できる商品を購入できることを嬉しく思い、女性店員に顔を向けると、にこりと微笑んだ。
「やだイケメン……」
「ありがとう。あなたのおかげで良い買い物ができそうだよ」
「もったいなきお言葉!」
「おまたせ!」
試着室から元気な声が聞こえ、マーガレットが勢いよく飛び出した。
「あたくし、マーガレットですわよ」
マーガレットはその場でくるりと回り、スカートの裾を摘まんで左足を引き、右膝を軽く曲げて行儀よく頭を下げてみせた。まるで淑女のように。
店員の言うとおり、黒のラインがマーガレットの体のラインを引き立たせていた。スタイルの良さを強調させている。
「天使様、お似合いです!」
「えへへ! じゃあこれにするわ!」
「まいどありです〜! ちなみに黒のお姉さんはどういった商品がお好みで……?」
「私か? いや、私は今日はいいかな。この子の服を買いに来ただけなのでね」
サツキは首を振って断るが、店員は和服コーナーに向かって爆走した。彼女は問題児コンビに対する恐怖心が消え失せたらしい。その結果、商売人の熱い魂だけが残った。多くの商品を買ってもらい、大きな満足感を持ってもらいたいのだろう。
「お姉さんも顔もスタイルも良いんで、こういうのいいかなぁって思うんですけど!」
女性店員は笑顔を見せながら、黒の和服をサツキに見せた。
「これどうです? よくないですか?」
「あら〜いいじゃない!」
「なっ」
女性店員が持ってきた和服は、胸が大きく露出するように切られていた。丈が非常に短く、所々穴が空いている。
サツキは顔を赤くしながら、両手と首を振って強く拒否の意思を示した。
「駄目駄目! こういうのは駄目!」
「お姉さん胸めちゃくちゃ大きいんで! ちょっと見えるようなの着て頂けたら、さらにいいなと思うんで!」
「駄目駄目駄目駄目! これは駄目!」
マーガレットはサツキの足の前にしゃがみこんだ。目の前にあるのは、艶やかな細く長い足。絶景である。
マーガレットはニヤリと笑って顔を上げ、サツキの足を撫で回した。
「きゃっ……マーガレット!?」
「この足は国宝だわ! もっとガンガン見せていきましょ! 当然おっぱいも!」
「自分も天使様と同意見なんで!」
「も~っ! だから駄目なのっ! こういうのは絶対駄目なのっ!」
サツキは懐から財布を取り出すと、急いでマーガレットのワンピースの代金を店員に握らせた。これ以上服屋にいると、この改造した和服を買わされてしまうかもしれないからだ。
「お代はこれで足りるかな!?」
「やだ……お姉さんイケメンなだけでなく、手もあったかい……あっ、代金はちょうどですね! ありがとうございます〜」
「うむ! 長居しても迷惑になるのでな! 私たちはこれで失礼する!」
「せめて試着だけでも……」
サツキはマーガレットを立たせると、背中を押して出入り口へと足早に向かった。
「あの和服買わない!? 買いましょ! 絶対似合うと思うわ!」
「買わない! 絶対買わない!」
「ぶー!」
「ぶーじゃない!」
「いやん!!」
「いやんじゃない!!」
顔を合わせながら言葉をぶつけ合うマーガレットとサツキを見て、店員は笑顔を浮かべる。悪魔や魔神と恐れていたふたりは、人間だった。実際に話してみたらわかったが、年頃の女の子だったのだ。
店員は、噂だけで他人を判断してはいけないと心から反省していた。
「このお店気に入ったわ! また来るわね!」
「ありがとう! 今後とも利用させていただくよ」
「ありがとうございました! またのご来店をお待ちしております~!」
店員はふたりの問題児を見送り、扉をゆっくりと閉めた。彼女の長い1日は、今この瞬間に終わりを告げたのである。
店員は店内の明かりを消しながら、指を鳴らして喜んだ。
「常連さんふたりもゲット! やったね! でもちょっと待てよ……」
悪魔と魔神が店に来れば、店内の客はいなくなり、売り上げは大きく下がってしまう。店員はその事実に気づくと、額に汗をにじませた。しかしすぐに考えを切り替える。
あの問題児どもは目の保養になる。他の客には申し訳ないが、それならそれで構わないのだ。
店員は鼻歌を歌いながら、明日の開店準備を終わらせると、店を出ていった。
マーガレットとサツキがみんなのお家に着くと、リビングは薄暗く、蝋燭だけが光を放っていた。アセビとルピナスの姿は見えない。恐らくすでに自室で眠っているのだろう。
「静かにな」
「えぇ」
マーガレットとサツキは、互いに視線を交わして手を振り、それぞれの自室へと足を踏み入れた。
「フフフッ喜んでもらえたようで良かったな」
サツキは髪をほどき、睡眠の準備をするが、ドアを小さく叩く音で動きを止める。彼女が目を向けると、マーガレットが顔を覗かせているのが見えた。
「サツキ、ちょっといい?」
「どうぞ」
マーガレットは音もなくそっと部屋に入ると、サツキに向かって丁寧に頭を下げた。足早に服屋を出たせいでお礼が言えなかったため、今この場でその気持ちを口にしたのだろう。
自由を愛するマーガレットだが、最低限の義理や感謝の気持ちは持ち合わせてはいる。
「改めまして。このワンピありがとう! すっごいキュートで最高だわ! 大切にするわね!」
「私こそ、お前の剣を大切に使わせてもらうよ」
マーガレットとサツキは互いに頬を赤くし、照れ臭そうに笑いあっている。彼女たちには血の繋がりがないのだが、その姿はまるで本当の姉妹を思わせた。
マーガレットが手を後ろに組んでもじもじとし始めると、サツキが気持ちを察して肩をすくめて見せた。
「まだ眠りたくない……そうだな?」
「えへへ! こんな素敵なワンピもらったのよ? 誰かにもっと見てもらいたいわ!」
「アセビとルピナスは眠っている。そうなると、私しかいないなぁ」
マーガレットはねだるような視線を送る。サツキは口元を緩め、音を立てずに手を叩いて拍手を送る。甘えん坊な妹分のわがままを受け入れると言っているのだ。
マーガレットは瞳を輝かせると、スカートの裾を摘まんで左足を引いて、右膝を曲げて見せる。
「えへへ! ファッションショーを始めるわ!」
「フフフッ私だけの特等席だな」
サツキは目を細め、様々なポーズを決めるマーガレットを優しく見守っていた。彼女がアセビに感謝の気持ちを込めたプレゼントを送ろうとした事実は、未来永劫本人に知られることはないだろう。
しかしマーガレットの想いは無駄にはならない。サツキの記憶に刻まれることになったからだ。マーガレットにとっては、それだけで十分だった。
たったふたりのファッションショー。それは朝日が顔を覗かせるまで続いた。




