夢見る乙女は眠れない 17
シャクナゲの主婦の朝は早く、やらねばならぬことも多い。朝食の準備。庭の掃除。洗濯。ご近所さんとの世間話の話題探し。大忙しだ。
カエデが朝食の準備をしていると、庭から微かに声が聞こえた。
「なんやろか」
カエデが向かうと、アセビたちが草むしりに励んでいる姿が目に映った。雑草が庭の隅に集められている。草むしりを開始してから、それなりに時間が経過しているようだ。
アセビたちはカエデの存在に気づくと、急いで立ち上がって頭を下げた。
「カエデさん、おはようございます!!」
「おばさん、おはよ!!」
「おはようございます……眠いよぅ……」
カエデが庭を見回すと、花畑の土が湿っていた。アセビたちが庭に咲き誇る花々に、水をあげたのだろう。
カエデは口をぽかんと開けたまま、挨拶を返した。
「お、おはようさん……ってそうじゃなくて!」
「お母さん、おはよう。私も止めたんだけど、みんながどうしてもって言うからさ」
カエデの背後からサツキが登場した。まだ少々眠たいのか、欠伸を噛み殺している。
サツキはそのまま庭に降り立つと、小さなハサミをマーガレットとルピナスに渡した。
「じゃあふたりとも、腐りかけてる野菜をハサミで切ってもらえるか?」
「オッケー! 任せなさいっての!」
「捨てるのはもったいないから、切った野菜は全部芋虫さんたちにあげるからね」
「うむ。あの子たちも喜ぶだろう」
元気に畑に向かって走るマーガレットとルピナスの背中を見送り、アセビは肩に斧を担いだ。
「じゃ、ちょっと薪割りしてくるわ」
「頼むよ」
アセビが庭の奥へと姿を消すと、カエデはため息をついてしゃがみこんだ。
「お客さんに労働させるなんて……お義父さまとお義母さまに顔向けできひんわ……」
「おいしいご飯食べさせてもらって、泊めてもらったんだし、お礼ぐらいさせてくれってさ。おじいちゃんとおばあちゃんも気にしてないんじゃない?」
「律儀な子らやねぇ。まー、そこまで言ってるのに何もやらせないのもアレやしな……」
「そういうこと! じゃあ私も……」
「サツキ、どうだ? 久々にお父さんと稽古でも」
サツキが振り向くと、ウツギが竹刀を握っていた。きりっとした表情を浮かべている。腕を磨いて実家に帰ってきた娘の実力を確かめたいのだろう。
サツキは黙ったまま頷いた。父娘は無言で道場へと向かっていく。
カエデはふたりの背中に向かって大声を出した。
「あまりバチバチせんと、キリのいいところで終わりにするんやで! お母さん朝ご飯さん用意しとくわ!」
「わかった」
「そのつもりだ」
すっかり元の鞘に収まった父娘の背中を、カエデは満足そうに眺め、アセビに感謝した。彼がいなければこの光景は見られなかったのだから。
カエデは小走りで台所に戻り、包丁を握って器用に野菜を切っていく。ぐつぐつと煮えた鍋を見ながら、ポツリと呟いた。
「アセビさん……絶対に逃さへんよ……」
サツキとウツギは道場で仲良く横に並び、竹刀を握って素振りをしていた。聞こえるのは父娘の息づかい。竹刀のしなる音だけ。
無事和解はしたが、互いになかなか素直になれないタイプだ。話したいことはあるのだが、会話を切り出せずにいたのである。
サツキが素振りを止め、息を大きく吐き出した。
「ふ〜っ! 親父。私キサヌキ家を出てから結構鍛えられたと思っているんだけど」
「ふふ、いいだろう」
サツキの言いたいことをすぐに察し、ウツギは竹刀を構えた。愛する娘は言っているのだ。自分と本気で戦ってほしい、と。
サツキも竹刀を構えた。その視線はウツギに向けられている。
父娘はどちらからともなく床を蹴り、互いに接近を試みた。
「はぁ!」
「せいやっ!」
竹刀の激しくぶつかりあう音が道場に響き渡った。何度も、何度も。
ウツギはサツキの成長を感じ、口元を緩めた。キサヌキ家を出たときより、パワーもスピードも格段に成長していたのだ。
「若かりしの頃のわしと互角か……? いや、あの領域にはまだあと3歩足りぬか」
ウツギはサツキの攻撃を押し返すと、前のめりになってよろけた。大きな隙を晒したようにみえる。
サツキはそのまま踏み込まず、ニヤリと笑って後ずさった。
「親父。その手には乗らないから」
「ふふ」
「私が攻撃するの待ってるんでしょ?」
ウツギはカウンターを狙っていた。しかしサツキには見抜かれていたのである。
「以前のお前なら突っ込んできたんだろうがな」
「残念だけど、いつまでも昔の私じゃないから」
「では……これはどうだぁ!?」
ウツギは声高々に叫び、床を思いっきり蹴った。サツキめがけて高速の突進を試みたのだ。
道場内の空気が震える。サツキは衝撃に備え、防御の構えをとった。
「老いたとはいえ、かつてシャクナゲの虎と呼ばれたこのわしの攻撃! その身で受けてみせよ!」
「私はクレマチスの黒鬼だ! 耐えきってみせる!」
「うぉぉぉぉぉぉ!!」
気合の入った雄叫びを上げるウツギだったが、膝をつき、そのまま床に手をついた。サツキは視線を逸らすことなく、じりじりと近づく。彼女に油断はない。鋭い眼光で、膝をついたままのウツギを見つめている。
「親父。その手には乗らないって言ったでしょ」
「すまん……ちょっと……待ってくれ……」
「む?」
サツキは素直に従い、竹刀を下ろした。
「言いにくいんだけどさ。お父さんさ……背中と腰……ヤっちゃったかも……」
「うむ……えぇぇぇ!?」
「痛いんだけど……マジで……ビリっときたんだけど……」
「お、お母さぁぁぁん!!」
静かな道場にサツキの声が響いた。




