夢見る乙女は眠れない 15
アセビが脱衣所を出ると、肌がつやつやになった女子たちが待っていた。何か言いたいことがあるらしい。マーガレットがニヤニヤとしながら、肘でアセビをつついてきた。
「悪い、ちょっとのぼせそうになってな。頭クラクラなんだ。お前の相手するほど元気ないんだわ」
「別にいいわよぉ。ね? サツキ!」
「う、うむ! さぁ! 早く大広間に行くぞ! お母さんがたくさんご飯を用意してるからな!」
「サツキ?」
サツキは頬が紅潮していた。アセビと視線を合わせないように俯いている。サツキはそのままマーガレットの手を握り、急いで大広間へと向かった。
「ん? サツキどうしたんだ?」
アセビがサツキの行動に首をかしげていると、ルピナスが背伸びをして耳に口を近づけた。
「あのね。サツキに言わないでって頼まれたの。だから絶対に内緒にしててね」
「約束する」
「アセビとおじさんのおしゃべり、ぼくたちに全部聞こえてたの」
「マジっスか」
「マジ。みんなで壁に耳をつけてたら聞こえたの」
想像するとなかなかにシュールな光景である。
「ルピナスちゃん、それ聞こえたっていうか盗み聞きしたって言うと思うの」
「サツキニコニコしてたから嬉しかったみたい。でもマーガレットとおばさんが、からかったかの。そしたら恥ずかしくなっちゃったみたい。顔赤くして、お湯にダイブしちゃったの。このことは内緒にしてね」
ルピナスは両手を合わせ、アセビに口外しないようにお願いした。彼は頷き、頭を優しく撫でる。
「オッケー! この件はオレとお前だけの秘密な!」
「サツキがお湯に顔つけて叫ぶところ、アセビにも見せたかったなぁ。面白かったんだよ」
アセビは絶対サツキに知られてはいけないと思うのだった。
「これは……!」
「すごい……!」
アセビが大広間につくと、テーブルの上にはきらびやかな料理が並べられていた。
湯気の上がる炊きたてのご飯。揚げたての天ぷら。味の染みた煮物。新鮮な野菜で作られたサラダ。鮮度の良い魚の刺し身。よりどりみどりである。
「あぁ……いいわぁ……」
マーガレットは瞳を輝かせていた。よだれをたらしながらテーブルの上を見つめている。いただきますの言葉をいまかいまかと待っている様子だ。
客人たちのリアクションを見て、カエデは得意気に胸を張った。
「ええ反応するやないの! オバサン頑張った甲斐があったわぁ!」
「でもお母さん、ちょっと作りすぎじゃない?」
「まぁ全員で6人やし大丈夫ちゃう? それにサツキちゃんがお友だちといっしょに帰ってきたんやで? 気合いのひとつも入れたくなるやろ?」
サツキは笑顔のカエデを見て罪の意識が芽生えた。
娘が家を出て心配しない親はいない。追放されたと勘違いし、カッとなって後先考えずに行動したことを後悔していた。
表情が曇るサツキを見て、カエデは背中を叩いて座るように促す。
「アハハ! サツキちゃんごめんなあっ! ちょっと皮肉っぽくきこえたやろか? さ、お父さんが来たらみんなでいただきますしよか!」
「いやぁ申し訳ない! 遅れてしまった!」
カエデが言い終わると同時に、ウツギが急いで大広間に入ってきた。テーブルの前に腰を下ろす。
ウツギもテーブルに並べられた料理を見て満足そうに頷くが、すぐに苦笑した。
「母さん気合入れて作ってくれたんだな。でもちょっと作りすぎじゃないか? 食べ切れるか?」
「父娘やねぇ。サツキちゃんにもさっき同じこと言われたわぁ」
サツキとウツギは互いに視線を交わし合う。互いに照れ臭そうに笑っている。
ウツギはごまかすように咳払いをし、高らかに宣言した。
「みなさん、準備はよろしいか? いただきます!」
「いただきます!」
ウツギのいただきます宣言が終了すると同時に、マーガレットが、ルピナスが、風よりも早く動いた。休むことなく、次々と料理を口にぶち込んでいく。
言ってみれば先程からエサを目の前にお預けを食らった犬と同じ状態だったのだ。誰も、マーガレットとルピナスを止めることはできない。
「ん~! やっば! なにこれ!」
「おぉ……!! おぉ……!!」
マーガレットは両頬を押さえて体を震わせ、ルピナスは煮物に感動して、同じ言葉を繰り返すことしかできなくなっている。
アセビはふたりの問題児に、待ったをかけることにした。みんなのお家ならともかく、ここはキサヌキ家の屋敷なのだ。上品に食べてもらいたいのだろう。
「お前たち! もうちょっと落ち着いて食べろ! お行儀よく! ゆっくりと! 静かに!」
「アセビ! このお魚さんおいしかったわ! 超プリプリよ! 超プリプリ!」
「どれどれ……うめぇなこれ!!」
「アセビ、このお芋の煮物食べて!」
「こっちもうめぇなおい!!」
鮮度の良い刺し身。味の染みた煮物。文句なしの美味だった。カエデの料理はアセビの胃袋をも鷲掴みにしてしまったのである。
「カエデさん! 店出せるんじゃないスか!? めちゃくちゃうまいんスけど!」
「あら~、アセビさんも嬉しいこと言ってくれるやないの! ならオバさんがお婆ちゃんになったら、お店始めてみてもええかもねぇ」
アセビがふと庭を見ると、芋虫たちがザルの上に乗せられた大量の野菜を食べていた。キサヌキ家の畑で採られたものだろう。芋虫たちは瞳を輝かせながら、次々とかじりついていく。
アセビはウツギとカエデに向かって頭を下げた。
「ありがとうございます。わざわざ芋虫たちにまでおいしい野菜を」
「芋虫くんたちも客人だからね」
「芋ちゃんたち、おばさんのお野菜さん気に入ってくれたみたいなんよ! たっぷりあげといたで!」
「おじさん、おばさんありがとう」
ルピナスは頬を赤くしながら頭を下げた。
一方サツキは、母親の手料理をじっくりと味わっている。懐かしく、そして優しい味だと思いながら。
サツキは料理の腕はまだまだ母親に遠く及ばないことを実感していた。そんな気持ちを知ってか知らずか、アセビが口を開く。
「サツキ! お前の料理と同じぐらい美味いぜ!」
「いやぁ……私はまだまだ修行が足りないよ。この味は出せないな」
「そんなことないって! オレはお前の料理大好きだけどな! いつも作ってくれてサンキュー!」
サツキはアセビに手料理を高評価され、頬を赤くし満更でもない表情を見せる。それを見たウツギとカエデはニヤニヤとした表情を浮かべた。
両親の視線を直に受け、サツキは羞恥心をごまかすように咳払いをした。顔を赤くして両親を睨みつける。
「なにか言いたいことでもあるわけ!?」
「ふふ、何もない」
「アハハ、何もないわぁ」
顔を見合わせ意味深に笑う両親に対して、サツキは何か物申そうと思ったが、止めることにした。剣の腕ならともかく、口ではカエデに勝てないことを理解しているからだ。
サツキはこれ以上イジられたくないと思い、手紙の内容について質問することにした。
「そ、そう言えば! イチョウ家とカシワ家についてだけど!?」
「あかん。お母さんすっかり忘れてたわ。今ウチら大変なことになっとったんやったわ」
「仮にご婦人たちの情報が本当だったとしてもだ。わしだけで十分だと思っていたが、今はサツキもいる! 負ける要素がないわ! ガハハ!」
ウツギは酒を飲み始めたからか、徐々にテンションが上昇しつつあった。大声を上げて笑っている。
カエデも父娘の件が解決して気持ちにゆとりがあるのか、余裕の表情だ。
「親父……酔ってない?」
「ガハハ! 酔ってないぞ! なぁ母さん?」
「お父さん、あんまりお酒得意ちゃうんやから、もうほどほどにせなあかんよ?」
「ん〜! 天ぷらさんサクサクねぇ!」
「お酒……お酒……」
マーガレットは口いっぱいに目の前の料理を詰め込み続け、ルピナスは酒瓶を両手に上機嫌だ。
どいつもこいつも、緊張感という言葉がすっかり頭から抜け落ちている。
「オバさんたちの情報網のすごさを考えると、サツキが地元に帰ってきたことはすでにイチョウとカシワに知られているかもな」
「恐らくな。両家ともいつまでも黙っているとは思えない。私が帰ってきたとはいえ、弟と妹が不在という絶好の機会に変わりはないんだ。近い内に戦うことになるかもしれない」
「オッケー。そのつもりでいるわ」
他の連中とは違い、アセビとサツキだけは真面目に今後のことについて考えていた。明らかにふたりの空間だけ雰囲気が違う。
サツキが酒を飲みながら、シャクナゲの中心部の方角に向かって指を差した。
「ずっとシャクナゲにいるわけにもいかない。こちらから両家に宣戦布告するか?」
「穏便にいきたいけどな。両家の代表と話し合えないのかね? あんたたちがキサヌキ家を狙っているという噂が流れているんだがって聞いたらさ。向こうの目的や言い分が聞けるんじゃないかって思ってるんだよね」
「ひゃー!? マーガレット!?」
アセビは意見を述べるのを止めた。マーガレットが食べ物を喉につまらせたのか、苦しそうに顔を歪めて胸を叩き始めたからだ。
「お前なにやってんだ!」
アセビはコップを握って素早く近づくと、中に入っている水をマーガレットの口内に流し込んだ。喉につまった食べ物は、無事に胃袋へ流れたらしい。マーガレットは何度も深呼吸をし、アセビの胸に飛び込んだ。
「うぇーん! アセビぃ!」
「おバカ! だから落ち着いてゆっくり食べろって言っただろうが!」
「だってぇ……だってぇ! おいしいんだもん!」
「しょうがねえな……次からは気をつけるんだぞ?」
「ごめんなさい……理解したわ」
マーガレットは瞳を潤ませながら、今度はゆっくりと食べ物を口に入れた。死にかけたというのに、食べることをやめようとはしない。窒息しかけても食欲には勝てないのである。
マーガレットがおとなしく食事を楽しむ姿を見て、ルピナスはほっと胸を撫で下ろした。そんな妹分を見てサツキが動く。ルピナスの頬についた米粒を指でとり、小さく微笑んでみせた。
「フフフッ」
「ありがと。お米がほっぺたについていたんだね。ぼく気づかなかったよ」
「それだけ料理が美味しかったということさ」
優しく微笑む姉貴分を見て、ルピナスは照れくさそうにぎこちなく笑った。
今度はアセビが動く。サツキの側に座り、ポケットからハンカチを取り出した。彼女の口元に付着していた汚れをそっと拭いた。
「んんっ!?」
「ほらサツキも! 口についてるって! でもカエデさんの料理美味しかったもんな。お前の場合久々の実家の料理だし、夢中になって食べる気持ちはわかるぜ」
「コ、コラ! 余計なことをして……全く!」
サツキは顔を赤くし、頬を膨らませている。しかしその表情を見るに、満更でもなさそうだ。
ウツギとカエデは目を丸くして顔を見合わせる。サツキは幼い頃から自分に厳しく、両親に手助けされることすら嫌がった。そんな娘が口元を拭われて、純粋に喜んでいる。驚くなというのも無理な話だ。
「……ほう」
「……やっぱそういうことちゃう?」
カエデの瞳は、獲物を見つけた猛禽類のような鋭かった。その目はアセビを見つめている。
「んっ!」
「お前何やってんの」
「んっ! んっ!」
アセビが肩を叩かれ目を向けると、口の回りを汚したマーガレットが瞳を閉じて唇を付き出していた。自分でわざと汚したのだろう。いつもの構ってちゃんムーブ発動である。
「あたしぃ、口の回りがぁ、汚れちゃったのぉ」
「ふうん……そう」
「拭・い・て?」
アセビは海よりも深いため息をつき、マーガレットの言葉を無視して、酒が注がれたコップに手を伸ばす。
しかし目の前の問題児は、自分で拭きますと黙って引き下がるほど潔い女ではない。アセビの腕を掴んで、なんとか自分に注意を向けようと必死になっていた。
「んっ! んっ!」
「汚れてるとわかってるならよぉ、お前が自分で拭けばいいんじゃねえの? 手離してくんね? オレも酒飲みたいんスけど」
「いやよ! あたし自分じゃ拭けないもの!」
「どういうことなの」
アセビとマーガレットの独特なコミュニケーションが始まった。ルピナスは面白いものが見られそうだと言わんばかりに、期待の眼差しを向けている。ふたりの見せる会話のドッジボールが楽しみなのだ。
「あたしを見て! 構って! 優しくして! 甘えさせて! もっともっと愛して!」
「あー! もう面倒くせえなこいつ! ほら顔貸せ!」
「わかればいいのよ! ほら、優しぐっ!?」
アセビはマーガレットの頬に手を添えると、ハンカチで口元を拭った。雑巾で汚れを落とすよう乱暴に。優しさも、甘さも、愛も、なかった。
マーガレットはアセビの手を振りほどくと、怒りで顔を赤くしている。
「もっと優しくしなさいよ! ダンゴムシ!」
「お? やんのか? お前今日はぐりぐりフルコースからのデコピン50連コンボだからな?」
「いいわよいいわよ! 受けてたつわよ! サツキがあたしの代わりに戦ってくれるもの!」
「いいわよじゃねえわよ」
ルピナスは我慢できずに吹き出してしまったが、サツキは穏やかな表情でアセビとマーガレットを見つめていた。ゆっくりと立ち上がると、両手を広げて口を開く。
「いいだろう。さぁ準備はできたぞ? アセビ、思い出作りをしようじゃないか」
「また今度でお願いしますぅ……」
人間は鬼には勝てない。アセビはこの話はこれで終わりと言わんばかりに、そのまま酒を飲み始めた。
マーガレットは構ってもらえて満足したらしい。すっかりおとなしくなり、目の前の食べ物を口にいれて食事を楽しみ始めた。
父娘の問題は無事に解決した。しかし本来の目的である両家との問題はまだだ。イチョウ家とカシワ家が明日にでも攻めてくるかもしれない。アセビは平和的に解決することを祈りつつ、酒を飲み続けた。
「さて。私も、もう少しだけ飲むか」
「サツキ、今日は十分飲んだだろ? 良い子だからもう我慢しような?」
「むぅ……残念だが……応じよう」




