夢見る乙女は眠れない 14
アセビはウツギと風呂場へ向かい、そのまま脱衣所で衣類を脱いで、風呂場に足を踏み入れた。
「これは……!!」
風呂場は露天風呂だった。圧倒的な広さにアセビは言葉を失う。浴槽は岩を掘って作られている。非常に大きく、同時に何人もの人間が入れるだろう。
キサヌキ家は高台にあるため、外の景色も楽しむことが可能だ。非常に趣のある露天風呂である。
「やっべぇなこれ」
「アセビ殿? どうかなされたのかな?」
「いやぁすごいなって……ウチの風呂狭いんですよ。キサヌキ家のは広々としてるから、ゆっくりお湯に浸かれてリラックスできますね! やったぜ!」
「満足していただけたようですな」
アセビが振り向くと、ウツギの口角が僅かに上がっているのが見えた。
「風呂もだけどウツギさんの体も……」
ウツギの肉体は引き締まっていた。それだけでなく無数の傷が目立つ。これまで数多の戦いを生き延びてきたことを証明していた。
ウツギと比べるとアセビはまだまだ若く、経験が足りない。年季の違いに圧倒されかけていた。
ウツギは苦笑し、自身の身体を手のひらで叩く。
「お恥ずかしいものをお見せした。思い出したくないのですが、若い頃は無茶をしたものです。それよりもアセビ殿。なかなか鍛えておりますな」
アセビは物心ついた頃から毎日畑仕事をしていた。冒険者になってからは、戦いに明け暮れる日々を過ごしている。アセビの割れた腹筋と膨らんだ上腕二頭筋は、これまでの生活で得たものだった。
「あとで触らせていただきたいものですな」
ウツギはニヤリと笑うと、体を洗うため、風呂の隅に置いてある木製の桶を握ってお湯を入れた。
「失礼します!」
アセビは大声で宣言すると、ウツギの背後に素早く移動する。タオルで傷だらけの背中を、ゴシゴシと拭き始めた。
予想外の行動に、ウツギは思わずすっとんきょうな声をあげる。
「うぉっ!? アセビ殿!?」
「サツキさんにはいつもお世話になっているんです。背中だけでも流させてください」
「ううむ。お世話になったのは、わしたち父娘の方なのだが……しかしこれを遠慮するのは無粋というものか」
困惑しつつもウツギはそのまま背中を晒した。アセビは丁寧に、そして、力強く拭き続けている。
互いに一言も話さないが、不思議と気まずさはなかった。裸の付き合いは信頼関係を育むのかもしれない。
ちょうどウツギの背中を拭き終わったころ、女風呂からマーガレットの大きな声が響いた。
「アセビー!! 聞こえるー!?」
「ひゃ~! マーガレット! 大声出したら男の人たちの迷惑になるよぅ!」
「ルピナスも大声だしてるじゃない」
「あっ本当だ」
キサヌキ家の風呂の壁は、木製の壁で隔てられているだけだった。そのため声がはっきりと聞こえ、よく響くのである。声の大きいマーガレットなら尚更だ。
このまま無視しても、アセビが返事をするまで大声を出し続けるだろう。彼は返事をすることにした。
「おー! 聞こえるぞ! 何かあったか?」
「アセビとおじさんもこっちに来る? あたしの裸見たいでしょ!?」
「おバカ! 見たくねえよ、静かに風呂入ってろ!」
アセビはそっけない返事を返す。しばらく沈黙が続いた。再度マーガレットの大声が返ってくる。
「はぁ!? あたしに魅力がないってこと!?」
「わかったわかった! じゃあウツギさんといっしょにそっちに行くわ!」
「あたしのおっぱい見たいってこと!? アセビのエッチ! 変態! ダンゴムシ!」
「あぁもう! どう転んでもオレに面倒な展開になっちゃうんだよなぁ!」
来ないと言ったら不機嫌になり、行くと言ったらこれである。正解はない。バカの相手をしても意味がないのだから。とにかく理不尽としか言いようがない。
女風呂から手を叩く音が反響する。どうやらカエデのツボに入ったらしい。
アセビはウツギに向かって頭を下げるが、気にしていないと言わんばかりに微笑んでいた。
「申し訳ないです。ウチのマーガレットがバカ騒ぎしちゃって」
「そうお気になさるな。風呂はみんなで楽しむものでしょう」
「ははは……じゃ、そろそろお湯に浸かりましょうか」
アセビとウツギは肩まで浴槽に浸かり、思わず声を漏らした。
熱すぎず、温すぎないほどよい温度が体に心地よかった。永遠に使っていたいと思わせる。文字通り、極楽だった。
互いにしっかりとお湯に使ったことを確認し、ウツギがすかさず口を開いた。真剣な表情をアセビに向けている。
「アセビ殿。まずはあなたにお礼を言わねばなりますまい。ありがとう。あなたのおかげで、サツキの父親に戻ることができました。本当に感謝してもしきれない」
「いやぁ……オレ何かしましたかね?」
「ふふ、とぼけなくてともよろしい。終わってみれば全てあなたの狙い通りだったわけですな」
アセビはしらを切って見せたが、当然サツキやウツギに仲直り計画は見抜かれている。観念して恥ずかしさをごまかすように頭をかいた。
「サツキさんもウツギさんも、本当はお互い相手のことを大切に想っているのは見ていて明らかだったんで。お節介かもだけど、何とかしたかったんです。このまま離れ離れだと悲しいじゃないですか」
「ふむ……なるほど」
「オレはきっかけを作っただけです。サツキさんとウツギさんは、お互い絆を大切になさっているでしょう。遅かれ早かれ、ちゃんと仲直りできていたと思います」
「いやぁ、どうでしょう。サツキもわしもお互い少々面倒な性格をしていましてな。なかなか素直になれないのです。あなたがいなければ、お互い歩み寄りができなかった」
ウツギは深々と頭を下げる。年齢の差、立場の違いは関係ない。感謝。ウツギの思いはそれだけだった。
アセビは父娘の悲しいすれ違いが無事解決したことを嬉しく思っている。しかしキサヌキ家の当主にここまで感謝されると、気まずさが勝る。急いで話題を変えることにした。
「あっ、そうだ! ウツギさん! 確かオレに何か聞きたいことがあったんじゃ」
「おっといけない! 単刀直入に聞きますが、サツキのことを、その、聞きたいですな」
「オッケーです! えっと、サツキさんとオレたちは冒険者ギルドで出会いまして……」
アセビはサツキと出会ってからの日々を、細かくウツギに語り始めた。娘の活躍を聞き、嬉しさで目を輝かせている。ウツギはただ純粋に、娘を慈しむだけの父親になっていた。
しかし華々しいことばかりではない。アセビはサツキが酔っぱらってギルドで暴れまわったこと、マーガレットを追いかけ回したことも正直に話した。
下げてばかりでは印象が悪くなってしまう。そのため現在は酒を飲み過ぎないよう自粛していると、フォローも忘れずに行った。
「ふふ。そうでしたか。ありがとう。よくわかりましたぞ」
「オレからも聞きたいんですけど、サツキさんの所有している刀、オトギリソウでしたっけ」
「ああ、キサヌキ家が所有している妖刀ですな」
「妖刀……」
やはりオトギリソウはいわくつきの刀だった。
「ええ、歴代の当主はオトギリソウを封印してきたのです。わしもそのつもりだったのですが、サツキが持ち出してしまいましてな…」
ウツギは壁で区切られている女湯に視線を向け、深いため息をついた。
「申し上げにくいのだが、サツキとは仕事や考えの方向性の違いで激しい口論になりましてな」
「そう言えばサツキさん、ついカッとなってオトギリソウを持ち出したって言ってましたね」
「オトギリソウは、所持している人間の闘争本能を刺激する、呪いの刀と言われています」
ウツギの言葉を聞いたアセビは、サツキと出会ったばかりの頃を思い出して青ざめる。単騎でゴブリンの巣に突撃し、返り血を浴びながら微笑む姿は美しく、そして恐ろしかった。
ウツギは娘の暴れ回る姿を想像したらしく、腕を組んで唸っている。
「サツキは食堂で暴れたり、マーガレットさんを追いかけ回したんでしたな。やはりオトギリソウの呪いは、間違いなくあると思われる」
「あれからサツキさん、非常事態以外ではオトギリソウを使わないようにしてるんで! 反省してると思いますんで! 大丈夫なんで!」
「なるほど。ふふ」
必死にサツキを擁護するアセビを見て、ウツギは自然と笑みがこぼれた。娘を大切に想ってくれているという証拠だ。父親として嬉しくないはずがない。
「もうひとつ質問いいですか? 先ほど口論になったっておっしゃってましたけど……」
「それが原因で家出……いや、あいつは追放されたと言っていましたな。そう思われても仕方なかったと思いますが……」
「その理由を尋ねても?」
「うむ。その件は、親父のわしからもちょっと言いにくいんですがね……」
ウツギは腕を組んでアセビに視線を向ける。真剣でまっすぐな瞳がそこにはあった。その目には、サツキのことを心から想う気持ちが宿っている。
そんなアセビを見て、お前には教えないと言えるはずがない。それにウツギはアセビに大きな貸しもある。
「失礼した。あなたは最早身内に近い存在だ」
「恐縮です……」
「アセビくん。もしかしたらサツキから聞いているかもしれないが。あいつは、その、血が好きでね」
「あっ……」
ウツギはアセビの反応を見て、サツキの独特な価値観を知っていることを察する。娘は血が好きで好きでたまならいですと言いにくかったのだ。ウツギが言い淀んでいたのはこれが原因である。
「我々の仕事は常に冷静に対応しないといけない。血を見ただけで興奮していては、領主様や他の護衛対象を不安にさせてしまうでしょう」
「ですよねー……」
「本格的に護衛の任務に就いてもらう前に、血を好ましく思うのを止めるよう咎めたのです。その結果、激しい口論になりましてな……」
「あぁ……」
アセビは父娘の口論の現場ににいなかったが、その状況がすぐに想像できた。
血を美しいと思ってしまうサツキは、命がけで領主を守らなければならないキサヌキ家の仕事には、少々不向きかもしれない。しかし彼女の戦闘技術は捨て置くには惜しいのも事実だ。後先考えずに、好きなように戦える冒険者の仕事は、ある意味サツキにとって天職なのかもしれない。
ウツギは当時の父娘喧嘩のことを思い出していた。深く反省したのだろう。申し訳無さそうな表情を浮かべている。
「お互い売り言葉に買い言葉で、白熱してしまいましたなぁ。キサヌキ家は後継者候補が複数人いる場合、最も優れた技量を持つ者が、当主の差を継ぐことになっているのです。我が子の中では、総合的にサツキが最も優れているとわしは思っています」
「ならサツキさんを当主にってなるのが普通だと思うんですけど、血が大好きなサツキさんは厳しい感じですかね? 領主様をお守りするよりも、血を見ることを優先したらちょっと危ないですよね」
当然ウツギもアセビと同じことを考えていた。
「うむ。技量は文句の付け所がないのだがね。弟か妹に当主を継がせて、サツキは補佐役に回すというのも考えたのだが……」
「仮にどちらかを当主にするとして、サツキさんは素直に指示に従いますかね?」
「従わないでしょうなぁ。逆にあれこれ指示を出したがると思います」
「オレの指示には結構従ってくれますけど」
「幼いころから弟と妹の面倒を見ていますからね。あのふたりのことは、自分が正しく導かないといけないと思っているはずです。指示を出されるなどもってのほかでしょう。アセビくんも知っているでしょうが、サツキはなかなか頑固者で、融通が利かないところがありますので……」
アセビもウツギも大きくため息をつく。冷静に考えると、サツキはあまりにもキサヌキ家の仕事に向いていなさすぎた。
「血が好きすぎて、わざと賊の攻撃を受けるようになっても困るんでね……」
「で、でもサツキさん生きることに関しては、すごく貪欲なんで! きっと大丈夫ですよ!」
「大丈夫かなぁ。親バカと笑ってくれても構わんのですが、心配でね」
「親バカなんて思わないですよ! 娘さんを心配するのは父親なら当然ですから!」
ウツギは安心すると同時に、アセビのことを気に入り始めていた。娘を大切に想い、自らを犠牲にして父娘の関係を修復してくれたからだ。
ウツギのアセビを見つめるその目は優しい。
「アセビくん……」
ウツギはまだまだ語りたいことがあったのだが、アセビの顔が赤くなっていた。長時間お湯に浸かっていたことで、のぼせかけているのだ。
「おっといけない! アセビくん、のぼせる前に先に出ていてもらえるかな? わしもすぐ行くから」
「あはは、実は限界が近くて。ではお言葉に甘えてお先に失礼しますね」
アセビは急いで湯から上がると、脱衣所まで向かって歩みを進めた。ウツギは名残惜しそうに背中を見つめている。
アセビは突然振り向き、口を開いた。
「すみません、最後にもうひとつ! サツキさんは、自身の腕が未熟だからと……言ってましたけど」
アセビは追放という単語は使わずに、ウツギに向かって問いかけた。答えはわかりきっている。それでも聞かずにはいられなかったのだ。
ウツギは胸を叩き、得意げな顔で大声を出した。
「腕に問題はない! わし自慢の娘なのでな!」
「ありがとうございました!」
アセビは頭を下げた。そのまま振り向かず、脱衣所に入って行く。
ウツギは息子とよくいっしょに風呂に入っていたことを思いだし、懐かしい気持ちになっていた。アセビとまた裸の付き合いをしたいと思っている。その結果、自然と言葉が漏れた。
「やっべえなおい。アセビくんすげえいい子じゃん。めっちゃ気に入ったわ。わし好きかもしれんわ」




