夢見る乙女は眠れない 11
綺羅びやかな庭とは打って変わって、道場の壁は老朽化していた。多くの傷が刻まれている。ここでキサヌキ家の先祖たちが腕を磨き、その身を領主のために捧げてきたのだ。大変歴史のある場所なのである。
アセビは部外者の自分が入ってもいいのだろうかと迷っていたが、好奇心には勝てなかったようだ。頭を深々と下げてから、そっと足を踏み入れた。
「おお……」
道場の床は傷だらけ。すきま風のせいか肌寒く、屋敷や庭と違い、一切の手入れをしていない。
アセビが壁に立て掛けてある竹刀を握った。不思議とずしりと重たく感じる。
「アセビ殿」
アセビの背後から声が聞こえた。振り向くと、ウツギがじっと見つめている。
「あっ!? ウツギさんすみません! 勝手に道場に入ってしまって……」
「ふふ、構わんよ」
アセビはすぐに頭を下げた。ウツギは気にしていないらしく柔和な表情を浮かべる。彼も壁に立て掛けられた竹刀を握った。
「わしといっしょに素振りでもしますかな?」
「オレ素人なんですけど……」
「ならば基本的なことから教えましょう」
「よろしくお願いします!」
男同士の稽古が始まった。
アセビはこれまで多くのモンスターたちと戦ってきたが、剣の技術は我流だ。本業の人間が見たら、素人が考えなしに振り回してるだけにしか見えないだろう。
しかし冒険者は生き残り、戦果をあげることが最も大切なことなのだ。どんなに優れた剣士でも、死んでしまっては意味がないのだから。
「まず握り方を教えましょう」
ウツギは簡潔に竹刀の握り方、振り方、足の動かし方をアセビに教えた。自然と体が理想的なイメージ通りに動く。ウツギの教え方が良かったのだろう。
「こんな感じですかね? ただ、いつもと違う動きをするからでしょうか。腕が痛いし体に違和感が……」
「安心なされよ。そのうち慣れて無意識にできるようになりますゆえ。ではその動きを忘れぬうちに、いっしょに素振りをしますぞ」
「はい!」
慣れない動作に苦戦しながら、アセビは竹刀を必死に振り続けた。隣ではウツギが涼しい顔で体を動かしている。
「結構きついなぁ。でも道場での素振りは良いトレーニングになりますね!」
「そうでしょう。道場は良いところです。ここで竹刀を振っていると心が落ち着くのでね」
「つまりウツギさんは、心を落ち着かせるために道場に来たってことですか?」
ウツギは竹刀を振るのを止め、頭をかきながら苦笑した。田舎の好青年を思わせるアセビの素朴さが、本音を吐き出させたのだろう。
「ふふ……バレておりましたか」
「すみません! 余計なこと言っちゃって!」
「構わんよ。それよりアセビ殿、少し聞きたいことがあるのだがよろしいか? 娘の……サツキのことを……」
「あっ、サツキ!」
いつのまにか道場の入り口にサツキが立っていた。しかし足を踏み入れようとはしない。無表情のまま、ただ静かにアセビたちを見つめている。その瞳はどこか寂しさを感じさせる。サツキもまた、心を落ち着かせようと道場を訪れたのかもしれない。
「……アセビ」
「ウツギさんとサツキは、いっしょにここの道場で修行をなさっていたんですよね?」
「…………まぁ……そう……ですな」
アセビは父娘の間に部外者が入ったらいけないと思いつつも、この場に残ることにした。このふたりは一族の誇りを大切にするタイプだ。家族の絆も深いだろう。
本当は仲直りがしたい、でもなかなか素直に歩み寄れない。お互いそう思っているはずと、アセビは予想している。
解決するには誰かが背中を押さなければならない。それができるのはこの場にいるアセビだけだ。
「今ウツギさんとトレーニングしててさ!」
「……そうか」
「サツキも付き合ってくれよ! 道場来たんだから体を動かさないと!」
「……いや……私は……っおい!?」
アセビは口ごもるサツキの手を握り、強引に道場の中に引き入れた。彼女はウツギとなかなか視線を合わそうとしない。父娘の間には見えない壁があった。
「ウツギさん! 早速実戦形式に近い練習をしたいんですけど、よろしいですか?」
「まぁ……構いませんが」
「そうですねぇ。じゃあ、相手の体に攻撃を当てたほうが勝ちってルールでどうですか? 30秒耐えきった場合もオレの勝ちということで!」
「ふふ、それぐらいの条件ならいいでしょう」
アセビは指を鳴らす。ポケットから砂時計を取り出して、サツキに投げて渡した。
「サツキ、審判と試合開始の合図頼むわ」
「うむ。では……始め!」
サツキの試合開始の声と同時にアセビは竹刀を握る力を強めた。ウツギから視線を反らさず、じりじりと距離を取る。
アセビがこの練習試合で勝つには、30秒耐えるしかないが、当然ウツギは見抜いている。強者の余裕を思わせるか如く口元を僅かに緩めた。
「はっ!」
ウツギは床を蹴り、アセビに高速で接近し、竹刀を振り下ろした。
「うぉ!? なんだ!? このスピードと衝撃!?」
「さぁ耐えられますかな!?」
本当に竹刀なのだろうか。石か岩でできた剣を使っているのでは。アセビにそう思わせるほど、ウツギの攻撃は重たかった。道場内に竹刀がぶつかりあう音が何度も響き渡る。
「腕が……! 痺れ……る!?」
「限界ですかな? では降参なさるとよろしい!」
「まだまだぁ!!」
ウツギはアセビの持ちかけた勝負を受け入れたが、娘の連れてきた客人に怪我をさせるわけにはいかないと思っている。これでも一応手加減はしているのだ。
ウツギは本来の実力の半分も出していなかったが、その攻撃はあまりにも激しく、そして重い。
「ぐっ……」
アセビの表情に焦りが見える。降参するわけにはいかなかった。どうしてもこの勝負に負けるわけにはいかないのだ。アセビの思い描く優しい未来。それを現実にするためにも。
ウツギの竹刀の攻撃がさらに激しくなった。アセビは必死に耐えているが、このままでは腕に限界がきてしまうだろう。
「アセビ殿! そろそろ終わりにしますかな!?」
「うぉぉぉ!! まだまだ終わらねえです! ストレングス!」
アセビは雄叫びを上げ、身体強化魔法を使って腕力と脚力を強化した。
「これなら……いけるかも!」
腕の痺れは軽減され、重たい衝撃にも耐えられるようになった。
アセビはウツギの竹刀を払うと、距離を取るために後ろに飛んだ。大きく息を吐き出し、額の汗を乱暴に拭った。
「はぁ……はぁ……これが御三家当主の剣技。やばすぎるだろ……さすがサツキの親父さん」
「ほう。手加減したとはいえ、わしの攻撃を耐えきるとは思いませんでしたぞ。お見事。ただの素人ではないということですな」
「はぁ……はぁ……どうもです……」
「久々に心が踊りますな。今度はもう少し激しい攻撃をお見せしましょう。では……行きますぞ!」
「うっ!? これ以上は……!?」
「30秒経過! それまで!」
サツキの声が道場に響く。勝負はアセビの勝利で終わった。
ウツギは意味深な笑みを浮かべている。アセビの実力を認め、歯応えのある相手と認識したのだ。将来有望な若者を見て血が騒いだらしく、体をうずうずとさせている。
「オレの勝ちですね!」
「お見事。どうだろう、アセビ殿。わしともう1勝負いかがかな?」
「ふぁ~」
サツキが口を大きく開け、欠伸をした。ウツギがじろりと睨みつける。
サツキは神聖な道場で、のんきに欠伸をするような人間ではない。つまりこの行為は挑発。ウツギを煽っているのだ。
「あ? 何だ?」
「年甲斐もなくはしゃぐ男を見れば、欠伸のひとつもしたくなるだろ」
「ほう、ならば年甲斐もなくはしゃぐ男の剣、その身に味わってみるか?」
今にも死闘が始まりそうな雰囲気。父娘の間に、アセビがさっと入った。
「まぁまぁ! ね? ここ道場なんで……ね?」
「あ〜生意気な小娘ぶった斬りてぇ」
「老害みたいな人生は送りたくないものだなぁ」
「仲良く! みんな仲良く! 平和が1番!」
火花を散らす父娘。アセビは縮こまりながら、心の中で必死に己を鼓舞していた。
「計画は半分達成……あともう少し……」
アセビはぼそりと呟くと、サツキに無理やり竹刀を握らせた。彼女は困惑している。
「サツキもやろうぜ! ルールはさっきと同じ!」
「いや……私はいいよ」
「なぁサツキ。お前は心が迷ってるから道場に来たんじゃないか? 何か思うことがあるんだろ? すっきりさせようぜ! な?」
「うむ。いいだろう!」
「へへっ」
サツキは恥ずかしそうに頬を赤くしたが、ごまかすために竹刀を振ってみせた。
ウツギは床に置かれた砂時計をひっくり返し、高らかに宣言する。
「では……始め!」
ウツギの合図と同時にサツキは床を蹴り、アセビに接近を試みた。竹刀と竹刀がぶつかり合い、激しい音が道場に響く。凄まじい衝撃だった。
「うぉっ!?」
「フフフッ!」
互いに付き合いはそれなりに長いが、実戦に近い練習試合をするのは始めてだった。サツキは胸を踊らせているが、アセビに楽しむ余裕はない。必死に竹刀を握って猛攻を耐えていた。
「どうした!? アセビ、もっとだ! もっと! 攻めて! こい!」
手加減はしているはずだ。それでも凄まじい衝撃がアセビの竹刀に何度も叩き込まれる。ウツギに勝るとも劣らない凄まじい破壊力。腕だけでなく竹刀も悲鳴を上げていた。
「冗談じゃねえ! 攻められねえっての! でもこれでいい! 攻めないといけないのはサツキなんだ! このままオレに耐えられたら、お前の負けなんだ!」
「ふむ、確かに。では、少しだけ……少しだけ攻撃を激しくしてみようか!」
「うっ!? マジか!?」
「では……行くぞ!」
「それまで!」
ウツギの声が道場に響く。アセビは疲労と緊張感に耐えきれず、腰を落とした。もしサツキがあと少し早く本気を出していれば、敗北していただろう。時間切れでの勝利とはいえ、勝ちは勝ちだ。何はともあれ勝負は無事に終わったのである。
サツキはエンジンがかかったらしい。くすくすと小さく微笑むと、アセビに向かって手を伸ばした。
「フフフッお前との練習試合は楽しかったよ。まだ立てるか? どうだ? 私ともう1戦……」
「ふぁ〜。いかんいかん、欠伸が出たわ。それにしてもひどいな。街を救った剣士の試合か? これが」
今度はウツギが欠伸をしている。サツキは眉間にシワを寄せた。
「……あ?」
「アセビくんの練習という目的を忘れ、ただ己が楽しんでいただけだ。マジ論外。バカじゃんこいつ」
「……言うじゃないか」
煽っていいのは、煽られてもいい覚悟がある人間だけである。
サツキは竹刀を握る手に力を込め、ウツギに向かって歩みを進める。その目は猛禽類のように鋭い。
ウツギの目も真剣だ。相手は自分の娘だが、手加減して勝てるとは思っていないのだろう。
父娘対決が今、始まろうとしている。
「よっしゃああああああ!!! キサヌキ家の剣士ふたりに勝ったぜぇぇぇ!!!」
アセビの歓喜の雄叫び。少々わざとらしいと感じさせる喜びようである。
父娘はアセビの異様な声の大きさに驚き、動きを止めた。
「調子が出てきたぜ! いいねぇいいねぇ!」
「アセビ? 興奮しすぎてないか……?」
「大丈夫大丈夫! オレの場合ちょっとぐらいハイテンションになったほうがいいんだよ! じゃ、次はふたり同時にお願いしまーす!」
アセビから父娘への宣戦布告。まだ勝負は終わってはいないのだ。
サツキとウツギは困惑していた。
「アセビ殿、ふたり同時は無理がありますぞ……」
「流石に……?」
「大丈夫なんで! やりましょうよ!」
特殊ルールによる練習試合。手加減されているとはいえ、アセビはキサヌキ家のふたりに勝利した。
しかし手練れの父娘を同時に相手にするのはあまりにも無謀だ。ストレングスを発動させたとしても、結果は変わらないだろう。
だがどうしても勝負をしたいらしい。アセビはサツキとウツギに向かって深々と頭を下げた。
「どうかっ! お願いします! おなしゃーす!!」
サツキとウツギは困ったような顔をしながら、互いに視線を交わした。
「……まぁアセビが望むなら」
「……1回だけですぞ」
「おお! あざーす!!」
アセビは頭を上げると、竹刀を構えて力任せに振り回した。床に置いてある砂時計をひっくり返し、大声で宣言する。
「試合開始!!」




