夢見る乙女は眠れない 9
アセビたちが石段を上がり門をくぐると、キサヌキ家の庭が出迎えた。
「ここがサツキの……」
「フフフッようこそ、我が家へ」
庭の花壇には美しい花々が咲き誇っていた。一滴の濁りもない池では鯉が気持ち良さそうに泳いでいる。綺麗に耕してある畑には様々な野菜が植えられていた。庭の隅には年季の入った道場が立っている。
広い。圧倒的に広い。庭だけでみんなのお家よりも広い。
「ちょっと広すぎねえか……? オレサツキの庭に永住しようかな」
「あたしたちのお家の10倍以上はあるわね」
「お花綺麗だなぁ」
アセビたちは普段見ることのない趣のある庭に目を輝かせていた。その様子を見て、カエデが得意げな顔で胸を張る。
「ご先祖様から引き継いだ自慢のお庭さんや。オバさんがちょっとずつ手入れしたんよ」
「昔は小さな花壇と道場しかなかったよね。私このお庭大好きだよ」
「お母さんサツキちゃんとカリンちゃんと違って力が弱いやろ? でもこういう細かい作業は得意なんよ」
アセビたちは庭を見ながら玄関へ入った。品のある木の香りが鼻腔を刺激する。
サツキは家と言っていたが、どちらかと言えば屋敷に近い。右を向いても左を向いても長い廊下が広がっている。
「サツキはこんな豪華なところに住んでたのか」
「広いわね。迷子にならないようにしなきゃ」
「ささ、こっちやで!」
「フフフッ離れないようにな」
「お邪魔します!」
「お邪魔するわよ」
「芋虫さんたちはここで待っててね」
アセビたちは靴を脱ぎ、てくてくと歩いていくカエデの後に続いた。
久々に帰ってきた実家だ。サツキは心から安堵しているのか、先ほどウツギと死闘になりかけたとは思えないほど穏やかな表情を浮かべている。
「ここやで」
カエデが襖を開く。畳が一面に敷かれている大広間だった。部屋の真ん中には木製でできた大きなテーブルが置いてある。この部屋から直接庭が見えるため、見張らしも良い。
先に屋敷に戻っていたウツギは、テーブルの前でアセビたちが来るのを首を長くして待っていたらしい。人数分のお茶がテーブルに並べられていた。
「あら? お父さんお茶用意してくれてたんやね。おおきに」
「構わんよ」
「で? お母さん、手紙のことなんだけど?」
サツキが座りながら口を開き、アセビたちもゆっくりと腰を下ろした。
全員の視線を浴びたからだろう。カエデは少し照れ臭そうな顔をしながら口を開いた。
「お仕事に関係することなんよ。アセビさんたちもサツキちゃんに聞いたんちゃう? シャクナゲには3つの強力な力を持った一族がおるんや」
「キサヌキ、イチョウ、カシワっスね」
「領主様をお守りするキサヌキ家、賊の侵入を防ぐイチョウ家、街の治安を守るカシワ家や」
「さっき黄色と緑の道着の人たちがいたわね」
「せや。あの人らがカシワとイチョウや」
カエデは話を区切り、湯呑みに手を伸ばして口をつけた。それを見たウツギは代わりに説明すると言わんばかりに咳払いをし、腕を組んだ。
「嘘か真か。母さんが言うには、両家がキサヌキ家を今の仕事から外そうとしているらしいのです」
「大体そんなことだろうと予想はしていたが……」
サツキが冷静に感想を口にした。
「ここだけの話にしておいてや! でもウチらオバハンの情報網は確かやで! 極秘情報や!」
シャクナゲのオバハンたちの情報網は、確かなものらしい。ただ簡単に知られるような、機密性のない情報を本当に信じていいかは正直疑問が残る。
知られたらまずい情報が知れ渡っている時点で、極秘情報ではなく、遠回しに宣戦布告するため故意に流した可能性もあるが。
「お母さん。思ったんだけどキサヌキ家を仕事から外して、両家が得することってあるのかな? そうじゃなかったらこんなこと企む意味がないでしょ?」
「損得の話じゃないと思うんよ。あちらさんたちの誇りや自尊心の問題やろなぁ。ウチはその野望を阻止したいんよ。キサヌキ家のために。お母さん亡くなったあんたのおじいちゃんとおばあちゃんには本当に可愛がってもらったんや。その恩だけは絶対に忘れたらあかんのや」
カエデは真剣な表情だ。面白半分で情報を信じたわけではないらしい。
疑問が芽生えたのか、アセビがさっと手を挙げた。
「そもそも御三家の成り立ちはどういった……?」
「わしから話しましょう。キサヌキ、イチョウ、カシワは代々この土地を治める領主様に仕える古い一族なのですが、過去にどの家が領主様をお守りするか揉めたらしくて……」
今度はマーガレットが元気よく手を挙げた。
「しつもーん! みんなで領主様を守ればよかったんじゃない? その方が安全じゃない。喧嘩する理由あるかしら?」
マーガレットの素朴な疑問が投げかけられた。ウツギは頷き、視線を向ける。
「当時の領主様は自分だけでなく、シャクナゲそのものを守ってほしいと御三家に命じたのです」
「あっ、結構難しいこと頼まれちゃったのね」
「そこでどの家が領主様をお守りするか決めるために決闘が行われ、勝利したのが当時のキサヌキ家の当主だったのです。この瞬間、キサヌキ家が領主様をお守りする大役を任された……というわけですな」
「そっか。敗れたイチョウとカシワは、それでそれぞれ門番や警備のお仕事をするようになったんだね」
御三家の役目は過去の決闘で決められていた。歴史の流れは今も続いている。
「だが今のイチョウとカシワが、過去の決め事をなかったことにしようとしていると……?」
「せや。ウチも情報聞いて驚いたんやで? ウチのお友だちは流石にありえないわよねって言っとったけど、そうは思えなかったんよ。嫌な予感がするんや」
「それであの手紙を書いたんスね」
「イチョウとカシワが、キサヌキを引きずり下ろそうとしているんや……」
カエデはそれだけ言うと恐怖で体を震わせていた。
アセビたちは、にわかには信じがたいと思った。しかし世の中何が起こるか、わからない。
イチョウ家とカシワ家が大役を任されたキサヌキ家に深い恨みを持っていた場合、信じがたいことが事実に変わることもありえるのだ。
「お客人たちの前で、こういったことを申し上げるのはいささか面映いのですが……わしはキサヌキ家に生まれたことを誇りに思っています」
「……私も」
ウツギの言葉に賛同するようにサツキが頷き、小声でぼそりと呟いた。
「キサヌキ家は、領主様に永遠の忠誠を誓っているのです。何があっても絶対にお守りする、と。当然これからもそうです。もしわしの代でこの役目を失ってしまっては、歴代のご先祖様に申し訳が立たん!」
湯呑みの中身を飲み干したマーガレットが、再び手を挙げた。
「しつもーん! おばさんが手紙を出した理由はわかったのだけれど、サツキには強い弟くんと妹ちゃんがいるんでしょ? その子たちにもお願いしたほうがいいんじゃない? 戦力は多いほうがいいでしょ?」
マーガレットが珍しく正論を言った。もしイチョウ家とカシワ家が勝負を仕掛けてきた場合、実力のある者はひとりでも多くいた方がいいだろう。
ウツギはマーガレットの疑問にすぐ言葉を返した。
「領主様と奥方様の護衛は、ガジュマルとカリンという若者に任せています。わしの息子と娘ですな。ふたりともまだ若いですが、幼いころからこの職務に対する責任と誇りを何度も言い聞かせております。実力、精神面共に信用していただいてよろしいかと」
「強くて責任感もあるのね! 素敵じゃない! 会ってみたいわね! 護衛のお仕事があるから難しいと思うのだけれど、せめて弟くんか妹ちゃん、どちらかひとりだけでもお家には呼べないの?」
カエデが残念そうに肩をすくめた。
「それはできないんや。領主様と奥方様は、大事な用事があるみたいで、今シャクナゲを留守にしとるんよ。しばらくお戻りにならないみたいや。当然ガジュとカリンちゃんも付き添ってるから、ふたりとも領主様のお屋敷にはいないんよ」
「そうだったのね……」
アセビは今のカエデの説明で全てを察した。イチョウ家とカシワ家は、領主と専属の護衛がいない間にキサヌキ家を追い出そうとしているのだ、と。
正直行き当たりばったり感は否めない作戦である。もし領主の用事が早く終わったら、その時点でキサヌキ家を追放する作戦は失敗するのだ。
「ガジュマルとカリンがいるのに、私に援護を頼んだのはそういうことか」
「キサヌキ家の危機やで? あの子らがおったとしても絶対あんたに手紙送ってたわ」
カエデの目は正真正銘真剣だった。キサヌキ家に対する想いは、ウツギにも負けていない。
熱い眼差しを受け、サツキは苦笑しながら、どこか寂しげな表情を浮かべた。
「でもさ。追放した娘に頼るのはどうなの? 正直あまりいただけないって感じなんだけど」
「家出やろ? お父さんと喧嘩して、ちょっと出ていっただけやろ?」
「追放だよ」
サツキはジロリとウツギに視線を向ける。彼は特に表情を変えることもなく、湯呑みに入ったお茶を一気に飲み干していた。
「親父、言ったよな? 出ていけと。2度と顔を見せるなと言ったよな?」
「……」
「何とか言いなよ」
ウツギは膝を叩き、ゆっくり立ち上がった。大広間に緊張感が走る。アセビは黙ってサツキとウツギを見守っていた。
「……ちょっと用事思い出したわ」
ウツギはサツキを一瞥すると、大広間から逃げるように小走りで去っていった。
「えっ」
「おじさんどこかに行っちゃった」
サツキは固まってしまったが、すぐ冷静になり、顔をしかめた。口を大きく開け、屋敷が震えるほど大きな声で叫ぶ。
「おい待て! 親父!! バカ親父!!!」
「お父さんバカじゃねえし! バカって言ったほうがバカなんだし!! お前がバカだし!!!」
「なんだとっ!」
ウツギの言葉が風に乗って帰ってきた。サツキは憤怒の表情を浮かべている。ウツギを追いかけるため、風のように大広間を飛び出していった。
残されたアセビたちは、口をぽかんと開けている。父娘の背中を見送ることしかできなかった。
「ほんっまにもう! お客さんたちの前やのに、あの父親と娘は……」
カエデがため息をついて立ち上がった。彼女はやれやれと首を振り、アセビたちに向かって手招きしている。
「父娘喧嘩なんて見てもつまらんやろ? オバさんがこの屋敷を案内するで! カラクリ屋敷みたいで楽しいんよ! 広いから迷子にならんようにな!」
生々しい気まずさを感じる空気が少しずつ和らいでいく。アセビたちはカエデに従い、3人で屋敷を探検することにした。




