夢見る乙女は眠れない 5
船に揺られること1日。
道中船酔いしたルピナスがマーガレットの顔を見て勢いよくゲロを吐くわ、それを見た触覚がもらいゲロをするわと、船上は地獄絵図と化していた。
しかし幸いなことに、それ以降は特に問題が起こることもなく、アセビ一行は無事サツキの生まれた地である東の大陸に降り立つことができたのである。
「ここが……」
東の大陸は気候がよく変わる土地だ。日照りが続いたと思えば雨が降り続け、暑い日々が続いたと思えば急激に寒くなることがある。
他所の街から東の大陸に移り住んだ者は、この安定しない気候に戸惑うらしい。しかしすぐに慣れてしまうそうだ。住めば都とは言ったものである。
「フフフッ」
サツキは慣れ親しんだ生まれ故郷を見回し、深呼吸をした。
心地よい暖かな風が吹き、アセビ一行を歓迎するように包みこむ。
「シャクナゲはここから少し距離がある。歩きとなると骨が折れるが……」
「よし! 芋虫たち、頼んだぜ!」
アセビの期待のこもった声に応えるように、芋虫たちは元気に整列した。
ルピナスはコートから葉っぱを取り出すと、全員に食べさせて頭を撫でた。芋虫たちは気持ち良さそうに目を細めて、体を擦り付けている。
契約したモンスターと上手くコミュニケーションをとるルピナスを見て、アセビは優しい気持ちになった。
「ではそろそろ出発……」
「あ……あれ……? おかしいわね?」
アセビたちがマーガレットを見ると、彼女の足元にいる触覚が、縮こまって震えていた。目玉を潤ませ、アセビやルピナスに何かを訴えている。
マーガレットが心配するように背中を撫でるが、さらに縮こまってしまった。
「触覚くん、さっきまで元気そうだったのに。今度はこの子に乗せてもらおうと思ったのだけれど」
「さっきご飯あげたから、お腹が空いてるわけじゃないよね?」
マーガレットとルピナスは困ったように顔を見合わせている。
リーダーの芋虫は人間の言葉を器用に語れた。触覚も簡単な言葉は口にできるかもしれない。アセビはそう思いながら、ゆっくりとしゃがみ、耳を近づけた。
「お……」
「お?」
「おもたい……」
「あっ……」
触覚が蚊の鳴くような声で主張する。マーガレットを背中に乗せたら想像以上に重たかったのだろう。このままでは出発できないと思い、泣きそうになっていたのである。
「……なるほどな」
「アセビ?」
アセビは吹き出さないように立ち上がった。自身が乗る予定だった茶色に近づき耳打ちする。彼は大きく頷くと、マーガレットの足に体を擦り付けた。
「あら! 茶色くん急にどうしたの? もしかしてこの子あたしのことが好きなのかしら!」
「うんそうなんじゃね知らんけど」
「もうっ、しょうがないわね! じゃあ、あたし茶色くんに乗せてもらおうかしら!」
「うんそうなんじゃね知らんけど」
マーガレットは満面の笑みを浮かべ、茶色の背中に飛び乗った。彼は目でアセビに任せろと言っている。触覚がギブアップして泣きつくレベルだ。決して軽くはないだろう。
しかし茶色にとってマーガレットは許容範囲の重さだったらしい。さすが芋虫に選抜された優秀なキャタピラーである。
「茶色、よろしくな」
アセビは茶色に向かって深々と頭を下げる。ルピナスは不思議そうにじっと見つめていた。
「ねぇねぇ。アセビってやっぱり芋虫さんたちが何を考えているかわかるの?」
「いやぁ……何となく? 何となくならわかるかな?」
「ぼくもアセビみたいにならないとなぁ」
ルピナスは頬を赤くし、アセビを尊敬の眼差しで見上げていた。
「ねぇ? アセビなら茶色くんがあたしのことどう思ってるかわかるわよね? ちょっと聞いてみなさいよ」
「お、おう……」
アセビが茶色の口に耳を近づける。低く小さな声が耳に届いた。
「この子あんたより重たいね。ま、オラは群れで1番の力持ちだから。任せて任せて」
「……うん」
「茶色くんなんて言ってるの? あたしのこと大好きって? 可愛いって?」
アセビは触覚の背中に乗り、爽やかな笑顔をマーガレットに向けた。
「お前のこと大好きだって!」
嘘も方便である。
「あら~! どうしましょ! 茶色くんあたしのお気にだわ!! やだもう可愛いわね!」
「良かったな、マーガレット」
「懐かれたんだね」
何も知らないということは幸せなことなのだ。
誰かを傷つけないためにつく嘘は許される。例えそれが、本人のためにならないことであったとしても。
「……で? 本当は何て言ってたの?」
「お前オレより重たいってよ」
港にマーガレットの泣き叫ぶ声が響き渡った。
港を出てしばらく進むと、豊かな青々とした草原が広がっていた。そこからさらに数分ほど進んだ。するとアセビ一行の目に、小さな集落が映った。木造の小さな家がぽつぽつと並んでいる。その近くでは畑を耕す者、元気に走り回る子供たちの姿が見えた。
集落の人間たちもアセビ一行に気づき、元気に手を振っている。
「こんにちはー!」
「すげえ! でっけえ芋虫!」
「いいなぁ!」
アセビ一行も手を振り替えし、そのまま集落を後にした。
「いいねぇ! ド田舎ってかんじ! 優しい気持ちになれますねぇ」
「フフフッいいだろう?」
クレマチスには無いものがこの土地にはある。
アセビ一行がさらにしばらく進むと、小さな建物が見えた。『だんご』と書かれた旗が立っている。
サツキが口笛を吹き、声を上げた。
「みんな休憩しないか? 団子屋があるぞ」
「賛成!」
「お団子さん!」
アセビ一行は芋虫から降りると、団子屋の前に置かれている粗末な椅子に全員で腰掛けた。年代物なのか、きしむ音が聞こえる。
アセビは店内に向かって声を出した。
「すんませーん! 団子おねがいしまーす!」
「あいよー! ちょっと待っててねー!」
老婆の声が返ってきた。しばらくすれば団子を持ってくるだろう。
アセビが周囲を見渡すと一面畑や野原だった。まだ街の姿は見えない。
「結構まだ距離ある感じか?」
「フフフッシャクナゲはもう少しだ。焦らずゆっくり行こうじゃないか」
サツキは伸びをしながら、首を鳴らす。慣れ親しんだ土地は精神をリラックスさせるのか、普段よりも穏やかな表情に見える。
しかしこれからサツキは実家に戻り、父親と対面することになるのだ。一見穏やかに見えるが、サツキなりに強がっているのかもしれない。
「あらやだ!」
「怖いわんわんがいるよぅ!!」
マーガレットとルピナスの視線の先に、1匹の狼がいた。大地を蹴り、アセビ一行に向かって高速で接近しようとしている。
マーガレットたちの声を聞き、店内からこん棒を持った腰の曲がったふたりの老人が飛び出した。
だんご屋の主人とその妻である。
「こぉら! また来たか犬っころが!」
「さっさと帰りな!」
勇ましく雄叫びを上げる老夫婦。ふたりは狼に向かって全速力で走る。腰の曲がった老人とは思えないスピードだ。ふたりは狼の顔をこん棒で殴り飛ばした。
敵わないと思ったのだろう。狼は急いでだんご屋から離れて立ち去った。
腰の曲がった老夫婦はハイタッチしている。一部始終見ていたアセビたちは目を丸くした。
「じいちゃん、ばあちゃん……す、すごいっスね」
「狼を追い払っちゃった……」
「昔はもうちょっと動けたんだがねぇ。老いには勝てないんですわ」
「今じゃふたりでやっと追い払えるぐらいの力しかなくてねぇ」
「追い払えるだけでもすごいと思うのだけれど……」
東の大陸には、アセビたちにとって馴染みのある魔法や召喚術は存在しない。身を守るには肉体と精神を鍛えるしかないのだ。東の大陸の人間は、それが当然だと思っている。
「お待ちどうさん! お団子だよ」
「ゆっくり食べてねぇ」
「どうもっス」
「あら〜!」
老夫婦は串に刺さった団子をアセビ一行に渡した。
アセビがふとサツキに視線を向ける。彼女は満足そうに団子を口にしていた。
「ご馳走さま! む? お前たち、団子を食べないなら私がいただいてもよろしいか?」
「待って待って! お団子さん食べるわよぉ!」
マーガレットが串に刺さった団子をまとめて口に入れて頬張る。ハムスターのように膨らんだ頬を、楽しそうにルピナスとサツキが指でつついた。
「オレたちだけで食うのもな」
アセビは串から団子を器用に外した。芋虫たちに食べさせてやることにしたのだ。
「ほら、みんなで仲良く1個ずつ食べるんだぞ」
「アセビ優しいのね」
「もっと早く気づいてほしかったね。特にお前にはね」
「あらま」
芋虫たちは始めて食べる団子の味に目玉を輝かせ、全身をくねくねと動かし、喜びを最大限に表現した。
彼女たちの背中をアセビは撫でて、これから向かうシャクナゲの方向を見つめる。
サツキの追放問題。御三家のトラブル。それらが無事解決できることを祈りながら、黙って青空を見上げるのだった。




