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祷と深見 考察:かごめかごめ

作者: 月読
掲載日:2025/12/14

女子高生霊媒師の祷と民俗学教授の深見による「かごめかごめ」の考察。わらべ唄に秘められた謎を解いたその先に待ち受ける、意外な結末とは?

 深見の研究室には、民俗学の資料や古書が雑然と積み上げられ、いかにも大学教授の私室といった趣きがあった。

 その一角にある、来客用ではあるがシンプルなデザインのソファーに、いのりはぐったりと身を沈めていた。

 艶のある黒髪はどこか力がなく、制服姿もいつもよりだらしなく見える。


「生理か?」


 深見は、何の悪気もなく尋ねた。


「せんせ……デリカシーのない人嫌いです。ただの風邪です」


 祷は顔を顰め、恨みがましい視線を向ける。


「そりゃ、悪かったな」


 深見は肩を竦め、マグカップを祷に手渡す。ふわりといい香りが漂った。


「何です、これ?」


 祷は、クンクンと鼻を鳴らした。


「ああ、ミルクティーですか」

「違う、チャイだ」

「同じじゃないですか」


 深見は、呆れたようにため息を吐く。


「風邪で鼻が効いてないのかもしれんがな、風味もかける手間も全然違う。いいから、とりあえず飲んでみろ」


 言われるがままにひと口飲むと、祷の表情が変わった。


「あ……美味し」

「そうだろう。インド風の紅茶なんだがな、生姜以外にスパイスを使わないのが、深見家の味だ」

「ふふっ、甘酒みたいですね、せんせ。身体、あったまります」

「ガキの頃、風邪ひいたりすると、母親がよく飲ませてくれたんだ」


 懐かしむような深見の言葉に、祷はマグカップを両手で包みながら、ジッと深見を見つめた。


「…………」

「何だ?」

「いい年して、マザコンですか? ちょっぴり残念です」


 祷は、クスンと小さく鼻を啜った。


「それ飲んだら、帰れ」


 深見は、露骨に不機嫌な顔になる。


「え? フィールドワークはどうするんですか」


 深見を怒らせてしまったかと、少し焦る祷。


「体調が悪いんだろう? おれひとりで行くから大丈夫だ。元々、そのつもりだったしな」

「そんなの、絶対ダメです。今回の調査対象って、『かごめかごめ』でしょう? しかも、現場は京都だなんて──」


 祷の身振りが少し芝居懸かってはいるが、それだけ彼女は必死だった。


「だから、何だ?」

「『かごめかごめ』と京都って、かなりヤバめ案件なんです。せんせ、ひとりで行かせられません。そもそもわたしを置いて、長期のフィールドワークだなんて絶対に許せません」

「何で、祷の許しがいるんだ?」

「と、とにかくダメなんです!」


 マグカップをテーブルに置き、祷は身を乗り出した。


「だったら、いつかの御守りくれればいい。形代かたしろだったか? 肌身離さず持っていけばいいんだろう?」


 深見が言うと、祷は首を横に振る。


「ダメです。今回はあんなのじゃ、せんせを守り切れない。臨機応変な対処が必要なんです」

「意味がわからないな。説明しろ」


 深見が辟易としてそう答えると、祷はさらに身を乗り出した。


「関係者がヤバすぎて、もう」

「関係者だぁ? 何がそんなにヤバいんだ?」

「出てくる名前が、とにかく大物すぎるんです。わたし、以前にもちょっぴり関わってるんですけど──」

「大物って、誰だ?」

「森蘭丸、とか」


 深見は押し黙る。


「それだけじゃないんです」

「誰だ、言ってみろ」

「明智光秀、とか」


 深見の視線が宙を彷徨う。


「ラスボスが、それはもう」

「まさかとは思うが、一応言ってみろ」

「織田信長、だったり」


 思わず息を呑む、深見。


「理解して頂けました?」


 なぜだか、勝ち誇ったような態度の祷に向かって、深見は慌てて口を挟んだ。


「ちょっと待て。『かごめかごめ』なんだが? 今回の調査対象は──。光秀絡みの説なんて、全部ただの俗説だろう? 検証する気にもならないんだがな」

「ですよね、把握してます。せんせの気持ちもわかります」


 疑わしげな表情を浮かべる深見に対して、祷は不敵な笑みを浮かべた。


「でも、安心してください、せんせ。わたしは、弘法大師空海様のご加護を頂戴していますので、今回誰が現れたとしても、ホームでなら何とかなります」

「弘法大師? ご加護? 祷、おまえ何言ってるんだ? ただの霊媒師じゃないのか?」

「わたしは、ただの女子高生ですよ。せんせ」


 祷はクスリと笑みを浮かべながら、ソファーから立ち上がると、深見が手に取ったばかりの古地図を奪い取った。


「現地へ行くのだけは絶対にやめてください。この研究室で、わたしが以前どんな怪異に遭遇したか、全て再現してみせましょう。ホームでなら、まず間違いは起きない。ちゃんと、せんせのこと守ってあげられます」

「ホーム、ホームって。祷、ここは別におまえのホームじゃないからな?」


 そう言いながら深見は、研究室を見回した。

 以前は雑然としながらも、どこか殺風景だった空間が、いつのまにかひとりの女子高生の私物たちに、完全に乗っ取られてしまっているように感じられた。彼自身はその事実を、断じて認めたくはなかったが。

 祷は、そんな深見の心をまるで見透かしているかのように、絶妙のタイミングで、悪戯っぽく笑いながら言った。


「せんせ、そんな些細なこと、すぐにどうでもよくなるようにしてあげますから」


 ◇  ◇  ◇


 深見は、ジャケットの左袖を捲り腕時計の時間を確認すると口を開いた。


「午後九時だ、そろそろいいんじゃないか? 帰りは送ってやるから、終電までには終わらせろ」


 祷が、夜の方が再現率が高まるというので、準備がてら暗くなるのを待っていたのだ。本当なら丑の刻がいいと彼女は主張したのだが、深見はその意見をあたりまえのように却下した。出張時ならともかく、祷が帰れる時には迷わず帰すのが、深見という男だった。

 祷側も、おそらくここまで時間を引っ張ってしまえば、深見も京都へ行く気が失せるだろうという計算もあったに違いない。

 祷は、待ち時間のほとんどをソファーで寝て過ごし、体調の回復に努めていた。

 軽めの食事もすませてある。深見が夜食用に買い込んである、安売りのカップ麺ではあったが、祷は毎回文句ひとつ言わずに食べる。外食嫌いな深見にとって祷は仕事上の関係だけでなく、その点でもありがたい存在だった。


「そうですね、いい頃合いです。ところで、せんせ」

「何だ? これ以上はもう待てないぞ」

「床にチョークで、ちょっとした落書きをしても問題ないですか?」

「最初からそのつもりだろう? テーブルやソファーまで片付けさせておいてよく言う。おかげで腰が痛くてかなわん」


 祷は、わざとらしく腰をさする深見の愚痴にはつき合わなかった。


「せんせ……せんせは、『かごめかごめ』の歌詞には、いろいろな解釈があるの、言うまでもなくご存知ですよね?」

「釈迦に説法だな。特に研究者でなくても、知ってるやつは知っている。そんなレベルだからな。当然、知っているさ」

「では、お互いの共通認識として、今回は諸説についての詳細は省きます」

「ああ、そうしてくれ。助かる」


 やれやれと、肩を竦める深見を面白そうに見つめながら、祷は語りだした。


「では、始めます。主な登場人物は三人です。森蘭丸、明智光秀、そして織田信長」

「繰り返すが、『かごめかごめ』の話だよな?」

「もちろんです──。せんせは、この三人から何を真っ先に連想されますか?」

「本能寺の変、だな。真っ先にと言うなら、それしかない」


 迷うことなく即答した深見に、満足そうに頷きながら、祷は続ける。


「では次に、信長による比叡山の延暦寺焼き討ちについて、概略を教えてください」

「関係あるのか? 陰謀論とか嫌いなんだが」

「順を追って説明しますから、お願いします」


 祷の言葉に、深見はまるで講義をしているかのような口調で話し始めた。職業病ですね、という祷の軽口はあえて無視をする。


「1570年(元亀元年)の姉川の戦いで、織田軍による残党狩りの引き渡し要求を延暦寺側が無視して、浅井・朝倉軍の敗残兵を匿ったのが、直接的な原因だな。宗教が、分不相応な軍事力を持つと碌なことにならないという実例だ」

「そうですね。後、地理的な問題も重要でした」

「ああ……、政治的・軍事的に対立している勢力の根城が、京都御所のまさに目と鼻の先にある訳だからな。1568年(永禄11年)に本格的な上洛を果たして、室町幕府の再興を足掛かりに、天下統一のための道筋を固めたかった信長にとっては邪魔でしかない」

「ありがとうございます。確かに信長視点で見ればそうなりますね、当然です」

「何だ? 気になる言い方をするじゃないか」


 祷はそれには答えず、まあまあと手で制した。

 その、あまりに絵になる仕草を見て、思わず苦笑いを浮かべる、深見。

 時折、普段の会話でも、祷は祷と思えなくなる瞬間が多々ある。口調も態度も全くの別人に変化してしまう。それは、霊媒師特有の気質なのかもしれない。


「続いて、『かごめかごめ』の歌詞についてです」


 研究室の備品である、キャスター付きの黒板を引っ張り出してきて、祷はボードに白いチョークを走らせる。


 かごめ かごめ

 かごのなかの とりは

 いついつ でやる

 よあけの ばんに

 つると かめが すべった

 うしろの しょうめん だあれ?


「これが、一般的に知られている歌詞ですね。ここまで、よろしいですか?」

「ああ、問題ない」


 指先に付いたチョークの粉を、両手で払いながら問う祷に、深見が答えた。


「では次に、ごく一部の地域限定になりますが、光秀関連説に依れば、この歌詞は元々どんな風に伝承されてきたんでしょうか? わたしが祖母から教えられた歌詞が、こちらになります」


 囲め囲め

 籠(可児)の中の鳥は

 いついつ出やる

 夜明けの晩に

 ツル(敦賀)とカメ(亀山)が統べた

 後ろの正面だあれ?


「この歌詞の中の三つのワード、可児、敦賀、亀山、から連想される人物は誰でしょうか?」


 言いながら、祷は三つのワードをラフな円で囲んでいく。祷は祷で、学習塾のバイト講師のようだったが、深見は何の反応も示さなかった。余計なひと言がきっかけで、時にとても面倒な事態に発展してしまうことがあるからだ。それでも、どれだけ気をつけていても、女性に対しての無神経な失言癖はなかなか治ることはなかったが──。


「光秀だな。美濃の可児郡、越前の敦賀郡、丹波の亀山藩、全て光秀ゆかりの土地だと言われている。ただ──」

「ただ、何です?」

「光秀出生の地とされているのは、カゴ郡ではなくカ二郡だろう? 児はゴとは読まない。ちょっと無理があるな」

「そうですか? では、鹿児島とか稚児はどうなります? 児をゴと読ませてますが」


 全くの死角から、突然ブン殴られたような衝撃を深見は受けた。


「……確かに、そうだな」

「先入観って、怖いですね。『かごめかごめ』に明智光秀が関係してるはずがないという、強い思い込みが簡単な思考をも狂わせてしまう──」

「ぐうの音も出ないな。研究者ほど陥る罠かもしれない」


 祷に軽く論破された深見は、そう返すしかなかった。


「つけ加えるなら、森蘭丸の出生地も美濃の可児であるとも言われています。光秀と同郷ですね」

「それくらいは知っているが……」

「では、光秀が本能寺目指して出陣したのは、丹波亀山藩にある亀山城なのもご存知ですよね。さあ、また亀が出てきました」

「…………」


 とうとう、深見は口を閉ざしてしまった。束の間、ふたりはお互いを見つめあう。先に沈黙を破ったのは祷だった。


「ふふっ、どうです? 点と点が繋がってきて、ちょっぴり面白くなってきたでしょう?」

「地名と城の名が同じなのは、あたりまえな気もするがな」

「わかってませんねぇ、せんせ。亀山藩に亀山城を築城したのが光秀なのが問題なんです。だからカメなんです」


 あたりまえのように言う祷に、言葉に窮する深見。


「続けますね。囲め囲めとは、この場合なら『誰か』あるいは『何か』を追い込む意味になりますよね。追い込まれ、最後捕らえられてしまったのは、籠(可児)の中の鳥だと推測されます。ところでせんせ、蘭丸の使用した森家の家紋は何かご存知ですか?」

「……鶴の丸紋、鶴の丸だ。つまり鳥か」

「そうですね。さて、どうです? ここでも鶴が出てきました。捕らえられたのは『鶴=鳥』で、つまり『蘭丸』だったと仮定できます。さらに言えば、信長の寵愛を受けていた彼の立場にも符号してますね。どうです、せんせ? この短いわらべ唄で、これだけワードが関連付けられるのは、ただの偶然とは言い切れなくなってきたと思いませんか──」

「この歌、誰から教わったって?」

「さっきも言いましたが、わたしの祖母からです」

「何者なんだ?」

「わたしにとっては、単なる祖母です」

「なるほど、一度お会いしたいものだ」

「祖母に伝えておきますね。向こうも、せんせに会いたがってましたし。──さあ、本当の意味で面白くなってくるのはここからですよ」

「続けてくれ」


 祷は満足そうに頷くと、厳かな口調で言った。


「まず、ここまでの話で一度結論付けてみましょうか。信長への謀反、本能寺襲撃を光秀に焚き付け洗脳するために、この世ならざる者たちによって唄われたのが、『かごめかごめ』なんです」


 深見は思わず言葉を失った。

『かごめかごめ』研究で、光秀関連については諸説あるが、そんな話は聞いたことがない。かなりの衝撃だ。

 さすが、霊媒師が絡んでいるだけはあると、彼は思った。


「説明しますね。せんせは、畿内逆五芒星って、ご存知ですか?」

「ああ、あの図は見たことがある。興味深いな」

「ロマンがありますよね。あの図を見ているだけで、わくわくします」

「それにしても、今度は畿内逆五芒星を持ち出してくるのか──。結論の方向性はもう、大体わかっているのに、どう展開するのかまるで予想できないな」

「まあ、見ていてください」


 祷は深見との会話を続けながら、中腰で身体を動かし続けていた。研究室の市松模様に板張りされた床面に、縦横3m四方に収まる程度の大きさで、日本列島を白いチョークで描いていたのだ。


「手際がいいな。それに、かなりの上手さだ。東西南北も押さえてある」

「ありがとうございます」


 祷はそう答えながらも、日本列島の本州中央辺りに、今度は赤いチョークで五ヶ所の点を打っていく。

 奈良の平城京跡地を中心として、東から時計回りに──。


 東に、伊勢神宮(三重県伊勢市)

 南に、熊野本宮大社(和歌山県田辺市)

 西に、伊弉諾神宮(兵庫県淡路市)

 北西に、元伊勢皇大神社(京都府福知山市)

 北東に、霊峰伊吹山(滋賀県米原市)


 この五ヶ所の地点をそれぞれ五本の直線で結ぶと、熊野本宮大社を頂点とする、星形を逆さにした巨大な逆五芒星が描かれることになる。

 五芒星それ自体が強力な結界であるが、内側にある五角形ペンタゴンの部分が、特に強いエネルギーで守られている箇所なのである──。


「さて、せんせ。京都御所、平安京はどこにあったのかわかりますか?」

「それくらいは、わかる。この辺りだろう?」


 霊峰伊吹山と伊弉諾神宮、元伊勢皇大神社と伊勢神宮を、それぞれ結んだ二本の直線が交差するポイントの南側、五角形による結界の頂点内側一帯が京都の平安京跡地である。

 追記するなら、平安京跡地からそのまま南下すると奈良の平城京跡地があり、畿内逆五芒星のちょうど中心となる。

 そこから、さらに南下していくと和歌山の熊野本宮大社が鎮座している。


「では、旧本能寺は?」

「む……ここら辺だな」


 口調とは裏腹に、深見は迷うことなく床面に描かれた図形の、ある一点を指差す。


「平安京京都御所の、右斜めすぐ下。方角的に言えば、だいたい南東ですよね。完全にペンタゴンの結界内です」


 深見の反応を確かめながら、祷の口調も次第に熱を帯びていく。


「一方、比叡山の延暦寺はこの辺りになります。京都御所から見て北東ですね」

「そうか、鬼門だな」

「ペンタゴンの鬼門にあたる北東には、延暦寺だけでなく、日吉大社、貴船神社、鞍馬寺などがあります。平城京と平安京、それぞれの時代の都を守護する、とても重要な拠点だった訳なんです。ここまで、よろしいでしょうか?」

「問題ない」


 祷は、深見が新たに淹れたチャイで渇いた喉を潤し、ひと息吐くと、続きを語り始める。


「さて、延暦寺はペンタゴンの鬼門を守護する最重要な拠点だった訳ですが、1571年9月30日に、そんな大切な場所を焼き討ちした暴君がいます。それが──」

「信長だな。そうか、祷が言いたいことがわかってきたぞ。つまり、本能寺の変が起きた時、ペンタゴンの結界は弱体化していて、完全ではなかったということか」

「尤も重要なポイントであるはずの鬼門が、限られた一定の期間、まさにがら空きに近い状態だった訳ですね」

「その原因を作ってしまったのが、他ならぬ信長自身だった訳か──皮肉な結末だな」

「本能寺の変は1582年6月21日で、ようやく再建許可が下りたのは、信長の死後である1584年に秀吉によってです」

「なるほど、面白いな」


 頷く深見の反応を確かめて、祷の口許が緩む。


「続けます。いろんな文献や史実研究でも、なぜ光秀が信長相手に謀反を起こしたのか、その動機は未だ不明です」

「怨恨説が有力だな」

「あくまでもそれは、数ある説のうちのひとつに過ぎないんですが、事実にそう遠くないとわたしは思ってます。ただ──」


 祷はそこまで言うと、思わしげな様子で静かに目を伏せた。


「何だ? 途中でやめるな」

「……魔が差す、という言葉があります」

「ああ」

「わたしは霊媒師なので、霊媒師ならではの観点で本能寺の変を見てみると、この時光秀に魔が差していたのではないかと思います。当時、ペンタゴンの結界は不完全な状態でした。しかも鬼門であるその方角には、かつて信長に焼き討ちされた延暦寺があった。関連施設はもちろん老若男女を問わず『雲霞の如く焼き払われ』、たった一日で滅ぼされてしまった──」

「霊媒師ならではの観点か……」

「霊媒師ならではの観点です。それでも、最後までお聞きになりますか?」

「もちろんだ、ぜひ聞かせてくれ」


 何を今さらといった態度で深見が答えると、祷はパッと顔を輝かせた。深見は祷を促すかのように、先に口を開いた。


「結界の崩れた鬼門の方角一帯に、信長に強い怨みを抱いて、無念のままに命を落とした亡者たちの吹きだまりが、まさに出来上がっていたということか」

「お気付きだとは思いますが、信長に命じられるまま、延暦寺焼き討ちの実行部隊を率いたのは光秀その人であり、亡者の吹きだまり一帯の為政を信長に一任されたのもまた光秀でした。彼は、延暦寺の残党の監視の意味も含め、その地に坂本城を築城して、城主としてそのまま収まってしまった。想像してみてください。夜毎、就寝中の光秀の枕元で亡者たちが、怨み辛みの繰り言や、『かごめかごめ』を絶え間なく囁き続けるのです。精神に異常をきたすまで、そう時間はかからなかったはずです」

「狂気に憑かれていた訳か、光秀は」


 感に堪えないといった態度を示し、深見は小さく唸った。祷はなぜか、先を急ぐようにして、続きを語り始める。


「それでも、信長を油断させて安土城から本能寺におびき寄せるために、毛利攻めの真っ最中だった秀吉への援軍を装って、亀山城に向けて軍勢を移動させる程度の理性は残っていたみたいですけど──」

「光秀みたいに、信長に対して心に闇を抱えていた人間なら、ひとたまりもないな。それこそ謀反に走っても何ら不思議はない」

「悪魔メフィストフェレスに誘惑された、老学者ファウストみたいなものですね。その時の心情次第で、どう転んでもおかしくない」

「蘭丸はどう絡んでくるんだ? 歌詞の解釈的には、本来追われたのは蘭丸のはずだったな?」

「ここからは、わたしの想像が一部混じってくるんですが、蘭丸は光秀にとって、一方的な恋敵と言ってもいい存在だったのではないでしょうか」

「恋敵? それは……、つまり男色、衆道の話か」

「信長と蘭丸、彼らふたりが結んだ主君と小姓の契りに、光秀は激しい嫉妬の念を抱いていた。つまり、彼が信長に対して横恋慕していたと考えると、『かごめかごめ』の歌詞の意味が全て通ってくるんです」

「信長には、蘭丸以外にも小姓はいたはずだ。史実には残されていないが、50人近かったという説もある。なぜ蘭丸なんだ?」

「信長からの寵愛を、一身に集めていたのが蘭丸だったからです」

「理解できないな」


 思わず首を捻る深見に、無理もないといった表情を祷は浮かべ、わかりやすく説明する。


「光秀の立場になって考えてみましょうか。彼は史実に残されているだけでも、信長からかなりの数の屈辱と謂れのない叱責を受けています。もっと早い時期に謀反を起こしていても、何ら不思議はなかったし、周囲の家臣たちもそう考え、光秀を警戒していた。それでも、彼は献身的に信長に仕え続けた。裏切りがあたりまえだった戦国の世で、主君と家臣という関係だけでは説明しきれない部分があった。──それは、何か? 信長と光秀の間にはお互いの『加虐趣味』と『被虐趣味』を満足させるような、SMに通じる倒錯的な愛情があったからではないでしょうか? これは、ふたり以外の誰にも理解できない感情でした。光秀はどれほど信長に虐げられようが疎まれようが、それなりに幸せだったんだと思います。信長にしても、どれだけ辱しめを与えても、自身に忠誠の限りを尽くす光秀は、他では得難い存在だったのではないでしょうか」

「なるほど、そこまでしなければ信長の気持ちを引き止められない自身を省みれば、小姓筆頭の蘭丸は確かに疎ましい存在だったろうな」

「自分では到底及ばない若さと美しさも兼ね備えている。しかも、同郷です。嫉妬しない方が不思議ですよね」

「すると、『かごめかごめ』の歌詞の解釈は最終的にどうなる?」

「ここまで説明したことを踏まえた上で、もう一度『かごめかごめ』の歌詞を見てみましょう」


 囲め囲め

 籠(可児)の中の鳥は

 いついつ出やる

 夜明けの晩に

 ツル(敦賀)とカメ(亀山)が統べた

 後ろの正面だあれ?


「信長、光秀、蘭丸の三人がこの歌に関わっているのは、ほぼ間違いないという前提で説明しますが、ここまで大丈夫でしょうか?」

「ああ、大丈夫だ」

「では、歌詞の順に沿っていきます」

「問題ない。続けてくれ」

「続けます。──囲め囲めと追われた、籠(可児)の中の鳥は、森家の家紋が鶴の丸紋、鶴の丸であることから、歌詞全体を俯瞰した上で鑑みれば、森蘭丸であると断定してもいいでしょう」

「言い切るな……」

「さっきも言いましたが、籠の中の鳥とは、信長に対する蘭丸の立ち位置にも符号しています」

「…………」

「せんせ、後でちゃんと証拠をお見せします。いつも通り、学界では黙殺されると思いますが」

「本が売れたらそれでいいさ。祷への謝礼も作れるしな」

「そんなこと気にしなくていいのに。せんせのおかげで世に出してもらえて、今では依頼件数多すぎて困ってるくらいです」

「それはそれ、これはこれだろう」


 毅然とした態度の深見を、いろいろな感情が混じりあった表情を浮かべつつ、祷は束の間見とれてしまっていた。

 

「──続けますね。次に来る歌詞は、籠の中の鳥は、いついつ出やる。ですが、これは本能寺の変の直前にあった、安土城でのトラブルから一連の流れで続いた、信長と光秀のある駆け引きを示唆しています」

「直前のトラブル? ああ、家康饗応役解任の件か? 光秀が用意した料理や接待に問題があったという話だが──」

「細かい事実は、実際どうだったのかはわかりませんが、とにかく光秀は饗宴の場で粗相を犯したことで信長の不興を買ってしまい、大勢の家臣たちの前でたいへんな叱責を受け、足蹴にまでされたそうです」

「この時受けた屈辱が、光秀が反旗を翻した直接的な要因だとする説もあるな」

「それも一因だったのでしょうね。そして、その現場近くにはおそらく蘭丸もいたはずです。ひそかに敵視していた相手の前で、よりによって信長に叱責され罵倒され、足蹴にまでされた自分の無様な姿をさらけ出してしまった」

「光秀の心情を思えば、言葉を失うな」

「信長も、この件ばかりはさすがにやりすぎたと思ったはずです。光秀に対しての警戒度を相当引き上げたに違いありません」

「肉親含め、信長は数多くの裏切りを経験しているからな。天下統一目前、もはや敵無しのこの時期とはいえ、家臣に対してはほとんど無警戒だったという説は、さすがに無理がある」

「ちょうどいいタイミングで、毛利攻めが進まない秀吉から、信長に対して援軍の要請がありました」

「備中高松城の戦いだな。難攻不落の沼城に、さすがの秀吉もかなり手こずったらしい」

「信長は、しばらく光秀を自分から遠ざけるために、秀吉への援軍を口実に、中国地方への遠征を光秀に下達します。自分も後から行くので、おまえが先に行けといった感じで、相当な駆け引きがあったのは間違いないと思われます」

「光秀はそれを逆手にとった──」

「さっきも少し触れましたけど、安土城をただ攻めても返り討ちにあってしまうだけなので、光秀は援軍の要請に乗ったふりをして坂本城を出立、居城である丹波の亀山城へと向かいました。それが、1582年6月14日とされています」

「先行する明智軍を見届けてから、信長は安土城から本能寺に悠々と向かった訳か。それが、光秀の罠とも知らずに──」

「時系列を整理しますね。今さらですが、全て西暦の日時です。後、史料によっては日時に多少のズレがあるので、せんせの知識と食い違っている場合もあることは踏まえておいてください」

「それは、言われるまでもない。歴史や民俗学の研究とは、元からそういうものだ。だから検証が必要なんだ」


 深見の言葉に頷きながら、祷は黒板に白いチョークを走らせている。


 1582年6月5日安土城

 光秀、徳川家康の饗応役を解任される

 1582年6月14日坂本城~亀山城

 坂本城から亀山城へ、明智軍移動する

 1582年6月18日安土城~本能寺

 信長とその手勢、本能寺に到着

 1582年6月20日亀山城~本能寺

 明智軍、深夜に亀山城を出陣、本能寺へ

 1582年6月21日本能寺

 未明に、明智軍本能寺を急襲


「信長は光秀を先に戦場に送りたい。光秀は信長を安土城から本能寺に誘い出したい。この一連の駆け引きが、いついつ出やるの部分とリンクします。なので、籠(安土城)の中の鳥は信長と解釈することもできます」

「ダブルミーニングか」

「それだけではありません、明智軍に急襲された本能寺での信長と蘭丸を揶揄しているようにも意味が取れます。この時のふたりは、まさに逃げ場のない籠の中の鳥状態でしたからね」

「なかなかに業が深いな」

「時系列的には、ここら辺歌詞の内容が未来予知めいていますが、亡者に堕ちた延暦寺側もこれくらいの先読みができなければ、信長からの宗教弾圧に長年対抗することは難しかったのでしょう」

「或いは、亡者に堕ちたからこそ、未来が見通せて、この歌が唄えたのかもしれないな」

「先読みの力だけではなく、確かに霊的な力の干渉もあったのかもしれません」

「おそらくそうだろう。祷と仕事してからは、いろいろと目の当たりにしてきてるからな。信じざるを得ない」

「次に行きますね。夜明けの晩に、ですが。この箇所には何のひねりも読み取れません」

「普通に考えて、本能寺襲撃の時間だろうな。夜明けの晩、つまり1582年6月21日の未明ってことだろう」

「ツル(敦賀)とカメ(亀山)、そしてカゴ(可児)も先程説明した通り、光秀を示唆しているとしか考えられません。なので、すべったとは統べた、つまり統治の意味で、それ以上は説明するまでもないでしょう。ただ、この部分は蘭丸もツル(鶴の家紋)とカゴ(可児或いは籠)で符号しています。本当によく出来た歌詞です」

「なるほど、次はいよいよラスト一行か──」


 感慨深げに深見が頷く。時空を超えた、永い旅路の終わりはすぐそこに迫っていた。


「これは、イメージの問題です。比叡山焼き討ちの被害にあった亡者たちに、夜毎呪いという洗脳を受け続け、信長に対する謀反をとうとう企てるに至って、光秀は主君に背を向け懐に刃を抱いてしまった──」

「つまり、その状態が?」

「光秀視点で、謀反を決意した時、後ろの正面にいたのは信長だったということです。もちろん蘭丸への私怨こそが、本能寺襲撃の最大の要因になりますが──どうしました?」

「……最後の解釈、やけに違和感があるな。全体の流れにそぐわないと感じてしまう。いや、わらべ唄とは元々そういう曖昧な表現が多いのは確かだが。イメージの問題って、何だ? 霊媒師による推論という前提でなら、ここまでは筋道が通っていて、説得力もあったんだがな……しかし、繰り返しになるが、ラスト一行の解釈がどうにも弱い」


 祷の目が一瞬泳いだのを、深見は見逃さず、さらに畳み掛ける。


「その解釈だと、かごめかごめ全体に、光秀に謀反を決意させるだけのエナジーを感じない。焼き討ちにあった延暦寺の亡者たちの恨み辛みはそんなものだったのかと思ってしまうな」


 黙り込んだ祷の揺れる瞳を、深見はただ見つめた。

 しばらくその状態が続いたが、先に視線を外したのは祷だった。


「祷、まさかと思うが、おまえ嘘を吐いてるな?」


 祷の肩から力が抜け、彼女は小さなため息を漏らす。


「さすがです、せんせ。簡単には騙されてくれませんね」

「そういうのはいいから、嘘は吐くな」


 祷は消え入りそうな小さな声で、ごめんなさいと返事をした。観念したかのような殊勝な態度を見せ、彼女は言葉を繋いだ。


「──かごめかごめは、降霊術のフォーマットを流用しているのは、せんせならご存知でしょう?」

「口寄せか。詳しくは知らないが、中央に霊を憑依させるための鬼役を配し、周囲を囲んだ術師たちが唄いながら回って降霊をする儀式だな」

「禁呪なので、あまり詳しくは言えませんが、後ろの正面だあれ? の部分だけはその儀式から、そのまま『かごめかごめ』に流用されているんです。もちろん、オリジナルの歌詞は全然違いますが」

「とすると、どうなる?」

「呼び出した後に祓うことを一切考えなければ、わたしが持っている程度の知識と、一定レベル以上の霊力があれば──いえ、仮に霊力が足りなくても人数さえ揃えば、たとえ禁呪である降霊術そのままでなくても、かごめかごめの代用で簡易的に霊を降ろすことが可能です」


 ここで、祷は再び口ごもる。続きの言葉を口にするかどうか、逡巡しているように見える。


「そうなると、こうは考えられませんか?」


 やがて、祷は意を決したように、言葉の続きを紡ぎ始めた。


「──その当時、『台密』で知られる比叡山の延暦寺は、『真言密教』の総本山である高野山の金剛峯寺と並ぶ密教界の主流派でした。位置的にも京都を中心にして表裏一体の関係です。高野山にあるものは比叡山にも必ずある。そんな風にお互いに影響を与え合っていた関係だったはずで、当然禁呪であるはずの降霊術もそのアウトラインくらいは、天台宗における教義の体系に秘術として組み込まれていたとしても何らおかしくはないし、口寄せの真似事程度なら、修行僧クラスでも簡単に行うことはできたはずです──」

「つまり、何が言いたいんだ」

「ここでひとつの疑問が湧きませんか? 夜毎、就寝中の光秀を中心に取り囲んで、かごめかごめを囁き続けていた亡者たちも、元は僧侶だった者たちが大半を占めていたのは、疑い様がない事実でした。彼らは、もしかしたら光秀を依り代にして、死してなお復讐のために誰かを召還しようとしていたんじゃないかと、そう考えずにはいられません。亡者という霊が、さらに霊を召還しようとしていた訳です。だからこそ、かごめかごめは降霊術のフォーマットを取っているのではないか──」

「さっきと話が違ってきているな。だが、こっちの解釈の方がエナジーを感じる」

「霊媒師視点ではラスト一行の、後ろの正面だあれ? の部分に整合性を求めれば求める程に、かごめかごめ光秀関与説が、逆に荒唐無稽になっていく。これまでの説明以上にです。それでも、続きをお聞きになりますか?」

「ここまで来て、降りられる訳がないだろう」

「せんせなら、そう言ってくださると思ってました」


 言葉の内容とは裏腹に、祷はホッと胸を撫で下ろすと、嬉しそうに笑う。その笑顔を複雑な想いで見つめながら、深見が先を促すように疑問を発した。


「延暦寺の亡者たちが、霊を召還しようとしていたのはわかった。それで、一体誰を光秀に降ろそうとしたんだ?」

「その場合、わたしは一人しかいないと思ってるんです。自分たちの怨みを晴らしてくれる相手に縋りつく訳ですから。普通に考えれば、実在した信仰の対象でしょう」

「まさか──」

「そのまさかです。高野山真言宗の開祖と並ぶ、仏教界の巨人、比叡山天台宗の開祖伝教大師最澄以外にありえません」

「むぅ……、俄には信じ難いな。それで、なぜ光秀を依り代に選ぶんだ?」


 祷が言った通り、あまりにも荒唐無稽な話の展開に、深見は情報の処理が追い付かない。とうとう最澄まで出てきたのである。彼が最初に抱いていた展開の予想など、遥かに超えている。


「最終的な復讐相手が、比叡山焼き討ちを命じた信長だからです。手強すぎる相手ではありませんか。そうなると、降ろす対象も自然と限られてきます。信長を追い詰めるため、知略に優れ、大規模な軍勢(明智軍)を自由に動かせるだけの器があり、光秀という信長の側近まで勤めた、一国一城の主から肉体の主導権を奪うために、魂の位で引けを取る恐れのない傑出した人物となると──」

「比叡山関係では最澄しかいないのか、確かに」

「ようやく、納得してくれました? 歴史的に見れば答えが出ているとわたしは考えています」

「まだだ、おれが納得できる確かな証拠を何でもいいから見せてくれ。見せると言ったよな、祷。本当にできるんだな?」

「はい、もちろん可能ですというか、今この部屋の状態が、もう既に……」


 一瞬だけ張り詰めた口調とは裏腹に、祷はのんびりと手櫛で髪を梳かしている。


「何だ? 何か不味いのか?」

「不味いのかもしれません。霊気の密度が、かなり濃くなってきているんです。わたしは少し前から、今すぐこの部屋を後にしたいくらいの気持ちでした」

「ちょっと待て、それって……」

「霊気の密度が濃くなりすぎて、過飽和状態になると、霊的現象が一気に具現化します」


 祷が最後まで言い終えるより先に、室内のあちこちから、ラップ音が一斉に炸裂した。それと同時に、全ての蛍光灯が不規則に点滅し始めると、不意に消えた。窓は遮光カーテンで閉め切られているので、室内は闇が支配した。

 並行して、黒板に書かれた『かごめかごめ』の歌詞が、ボゥっと闇に浮かび上がり、文字が剥がれ落ちるようにしてそれぞれ空中を漂い始める。


「どうなってるんだ、祷」

「ここまでの検証自体が、どうやらそのまま口寄せの儀式になってしまっていたようなんです。霊力が強すぎるのも考えものですねぇ。後は、わたし自身の霊に好かれる体質も問題なんですが──」


 祷はあいかわらず髪に手櫛を通したまま、のんびりとした態度でそう言った。彼女の口調と言葉の内容が、そして彼女の態度とこの場の状況が、それぞれ完全に噛み合っていなかった。


「バカ、何でそれを早く言わない」 

「話の途中で、今夜はここで終わりにしましょうってわたしが言ったら、せんせは納得してましたか?」

「そんな、もったいないこと言うはずないだろう」

「ですよね、さっきもそう言ってました。ですから、約束は守ります」


 祷は深見との会話中、チョークで床に手早く五芒星を描くと、外周をサークルで閉じた。


「せんせ、とにかくその円の中に入ってしゃがんでください」

「ダメだ! こんなの、ひとりしか入れないじゃないか! 祷はどうするんだ?」

「わたしは何とでもなりますから、いいから早く」


 祷は特に焦りの表情を浮かべるでもなく、空中を漂っている文字を見上げる。彼女はまるで指揮者のように、そっと両手を掲げると、宙を舞う文字を円環状に誘導し始めた。


「せっかくなので、この流れに乗って約束通りさっきまでの検証が事実だという、確かな証拠をお見せします」

「祷が、以前遭遇したという怪異の再現か?」

「そうです。誰を口寄せできるかによって、100%同じという訳にはいきませんが」

「誰が来るんだ?」

「まだ、わかりません。ひとりか、それともふたりか。全員出てきたら修羅場になりそうで、ちょっぴり厄介ですけど」


 祷が床に描かれている逆五芒星に近付くと、宙を舞っている文字たちも後を追うようにして移動する。彼女はスカートの右ポケットから、折り紙で作られた深紅の『形代』を取り出し、何かを呟きながら結界の中央にそっと置いた。そして、そのまましゃがみ込むと、今度はやはりスカートの左ポケットから取り出したハンカチで、結界の北東の方角辺りのチョークを軽く拭うようにして消した。


「祷、そこは鬼門じゃないのか?」


 深見が、気遣わしげに声を上げた。


「これでいいんです。結界が完璧だと、出てこれないので」


 祷は静かに立ち上がると、後退りで結界の外に出た。円を描くように右手を振るうと、空中を漂う文字が床に置かれた形代を中心に、逆五芒星上で円環状の形を維持したまま、緩やかに回り始める。

 深見は気付いた。いつの間にか祷が、小さな声で、かごめかごめを歌っていることに──。


 かごめかごめ

 かごのなかの とりは

 いついつ でやる

 よあけの ばんに

 つると かめが すべった

 うしろのしょうめん だあれ?


 祷は目を瞑り九字を切りながら、祈るようにして、何度も繰り返し繰り返し唄い続ける。

 もはや、霊力に全く縁のない深見にもわかる程に、研究室は普段とは全く違う異質な空間になっていた。

 何とも言えない臭気が漂い始めてからしばらくすると、しゃがんでいる深見の肩までもない、血と膿にまみれた醜悪な小鬼が、暗闇でも目視できる程の間近に現れる。しかも、数がまた半端ではなかった。


「い……、祷」

「大丈夫です、せんせ。ただの餓鬼ですから。おそらく、比叡山の亡者の成れの果てでしょう。六文銭を持たずに、三途の川を渡れなかったりすると、不慮の死を遂げた者はたいていこうなります」


 餓鬼たちは深見を見つけると、なぜか祷を素通りして、群れで彼に襲い掛かろうとする。

 なぜか? いや、深見には理由が本能的にわかっていた。本能──そう、餓鬼たちは本能に忠実に従ったまでだった。つまり、祷の霊力を肌で感じ取り、畏怖しただけにすぎなかったのである。

 さらに言えば、祷は餓鬼たちに敵意を向けてはいない。深見が背後にいるのにも関わらず、素通りさせているのがその証拠である。

 その場合、自らと比較して弱者である深見を標的にするのは、本能として間違った選択ではなかった。


 だが、祷の結界は鉄壁だった。


 五芒星を閉じたサークルを越えようとした瞬間に、餓鬼たちはことごとく弾け散るようにして消滅していく。


「頼む、成仏してくれ」


 相手は餓鬼とはいえ、元は非業の死を遂げた人間である。凄惨な情景を目の当たりにして、深見は思わずそう口にしていた。

 祷は片ひざをつきながら、そんな深見を肩越しに、愛おしげに見つめながら言った。


「せんせ、お願いですから、しばらく黙っていてください。結界の中とはいえ、危険です。鬼が出るか蛇が出るか。今からは、どんな光景を見ても一言も漏らさないでください」


 言い終えると祷は、両手を合わせ囁くように何かを唱え始める。


 仏説摩訶般若波羅蜜多心経

 観自在菩薩行深般若波羅蜜多

 時照見五蘊皆空度一切苦厄

 舎利子色不異空空不異色色即是

 空空即是色受想行識亦復如是

 舎利子是諸法空相不生──。


 般若心経である。祷の額にうっすらと汗が浮かび始め、室内の雰囲気はさらに異質なものとなっていく。

 残された餓鬼たちの姿が、透けるようにして掻き消えるまで、そう時間はかからなかった。

 それでも深見は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

 室温が明らかに下がり始め、冷気が張り詰めていく。照明と同じく、或いは空調の電源も落ちているのかもしれないが、理由はそれだけではないことを彼は感覚的に理解していた。思わず呻き声を上げそうになるが、必死に耐える。


「これで、鎮まってくださればと思っていたんですが、やはり怨みは相当強いようですね」


 祷が厳かな口調で、そう言った。 

 室内には祷と深見、そしてもうひとりの濃厚な気配があった──。


「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり──」


 幸若舞『敦盛』の一節が、誰かもうひとりの存在によって、朗々と歌い上げられ、同時に摺り足の音が徐々に近付いてくる。

 ヒュオッ! と、おそらくは槍で空気を切り裂く音が、連続して数度鳴る。

 どうやら、誰かが槍を振るいながら舞っているようだ。


「光秀は……、謀反者はどこに在る? おまえが背中に庇っている者か? 隠し立てすると碌なことにならんぞ」


 鬼門が開かれた逆五芒星の中央辺りから、地獄の底から響いてくるような、猛々しくも威圧感のある声がした。

 深見は思わず腰を浮かしそうになったが、辛うじて留まった。

 祷の背中と結界に守られているのだ、それ以上に安全な場所など他にはないことは、餓鬼相手で立証済みだった。

 ヒュオッ! と、槍が空気を切り裂く音がさらに連続して鳴る。明らかな威嚇だ。

 深見は目を凝らすが、闇が深すぎて何も見えない。冷や汗が、首筋を伝っていく。息を殺しているはずの自分の呼吸音が、それでもやたらと耳に付く。

 ヒュオッ! 今度は槍先がこちらに向けられたのが、気配でわかった。

 スゥーッ、と漆黒の闇を切り裂くようにして、槍先が現れる。

 明確な、そして強大すぎる殺意を、深見は生まれて初めて自身に向けられ、気付けばいつの間にか腰を床に落としてしまっていた。彼が思わず息を呑んだその時だった、凛とした祷の声が室内に響き渡った。


「恐れながら申し上げます! 光秀公は、あなた様の『後ろの正面』にいらっしゃいます」


 ほんの一瞬、相手の気が逸れる。それだけで充分だった。祷は正しくその隙を見逃さなかった。


「オン・アギャナエイ・ソワカ!」


 火天のマントラを口速に三度唱え、途轍もないスピードで両手を合わせ正確に九字を切り終えると、空中に『四縦五横』の線を引く。

 カタンッ! と、槍が床に落ちる音がしたと同時だった。研究室内に炎と断末魔の叫び声が渦巻いた。

 その時、深見は見た。炎に焼かれる白の夜着姿の武将の姿を──。

 

 ◇  ◇  ◇ 


「せんせ……、もう大丈夫です」


 放心状態の深見の肩に、そっと祷の右手が置かれた。

 深見の意識が現実に帰ってくると、蛍光灯の明かりが戻り、空調の運転音が静かに響いていた。

 彼が逆五芒星の方に視線を向けると、中央に置かれた深紅の形代がグズグズに焼け焦げていて、原形を留めていなかった。


「終わったのか……?」


 深見は、大きく息を吐いた。


「はい、信長公には可及的速やかに、お帰り頂きました。『詞の縛り』が効いて隙を作れたのは幸いでした。以前邂逅した時より、わたしも年齢を重ね、いくらか成長できているようです」

「確かに、信長だったな。だが、信じられん。信長を相手にして、あんな風に簡単に祓えるものなのか? 天下人だぞ? 以前出会った怪異の再現と言っていたが、それにしてもあまりに……」


「ラスボスと言ってたじゃないか」と、深見が心底不思議そうに言うと、祷はクスクスと小さく笑う。


「前回はかなりの苦戦をしましたが、わたしもこの数年、修行を怠りませんでした。せんせのおかげで、実戦を重ねることもできましたしね。それに、知識も以前とは比較にならない程身に付けている──。信長は歴史上の評価で、火に弱い属性と決定付けられていますので、今回は火の神アグニ様を召還させてもらい、御力を貸して頂きました」


 火に弱い属性──炎上する延暦寺において、天下統一を目前にしながら、無念の切腹で生涯を閉じた信長の歴史上の評価である。霊界とその周辺では、一度下された評価が覆ることはなく、そのまま弱点とされ定着する。

 ただし、弱点を衝いて祓えるかどうかは、相手との力関係にもよるうえ、その時々の条件次第で変化するために、一概にはそう簡単に言い切ることはできない。祓うために条件を整えるのも、優れた霊媒師による戦略のひとつである。


「最後はアグニまで……。今回の件、どこまで計算されていたんだ? 祷、おまえは一体──」


 呆れたように深見が言うと、祷はこの日一番の笑顔を見せて答えた。


「わたしは、ただの女子高生ですよ。せんせ」


 この大嘘吐きめと、思わず反論しそうになったが、女性関連の面倒事を嫌う深見は、表情を一切変えることなく、そのまま沈黙を守った──。

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