そのさん 着水
あの宴の晩からひと月が過ぎた。今夜は再び宴が催される。今宵は、王子の妃選びとして2度目の宴。女王である母の命により、ラルフは妃を決めなくてはならなかった。
ガニュオン・シルヴァ、彼はどうしているだろうか。妃候補の娘達とは違う、彼は男で身分もよく分からない。しかし彼を想うと、ラルフは何故か心乱れた。彼が欲しい、彼だけが自分の求める人なのだ。
ラルフの思いとは裏腹に、宴は始まった。薄紫のブラウスに乳白色の肌がよく生える。艶々とした栗色の前髪が、伏し目がちの瞳とわずかに寄せられた眉毛に一房はらりとかかっていた。物憂げな表情をたたえたラルフ王子に、その場の誰もが釘付けになった。
次々と紹介される妃候補達。一通り挨拶を済ませ、いよいよ踊りの運びとなった。その時始めてラルフは気がついた。広間の遠方に、黒髪の青年が立っていることに。
それは紛れもなく、月夜の湖で出会ったガニュオンだった。ただ今夜の彼は銀の衣ではなく、ほぼ黒い濃い紫の衣を纏っていた。月光では分からなかったが、彼の肌は褐色で、唇は赤く、瞳も雰囲気も猛々しかった。顔も身体も、湖で見た通りだったが、今夜のガニュオンは黒い獣のように、怪しく艶めいていた。ラルフはゴクリと唾を飲んだ。
本当は彼の名前を叫び、自分が彼に気づいた事を知らせたかった。だが今、この状況でそれは叶わない。宴を盛り上げる演奏と踊る者達を前に、ラルフはジリジリとしながら彼の方を見つめていた。すると家庭教師のアイスが耳打ちをしてきた。
(ラルフ、誰か知り合いがいるのか?)
(ああ、あそこにいる、黒い衣の彼を呼んできてはもらえまいか?)
アイスはラルフの指差す方を確認し、一つうなづくと、踊る人混みをかき分けながら歩いて行った。
やがてアイスは2人の男を伴ってやって来た。1人はガニュオン、もう1人は見たことのない男だった。黒髪の眉毛の逞しい男は、服の上からでも見事な体つきなのがわかった。男は挑戦的な眼差しで、ラルフを見た。威圧的な、挑戦的な視線だった。
(ラルフ王子、初めまして。私はローレンス・ロッドバルト公爵と申します。そしてこちらは弟のガニュオン・ブラック。以後お見知り置きを)
紹介されたガニュオンがラルフを見て口角を上げる。濡れた眼差しと真っ赤な唇、獣のような鋭い輝きを持つ瞳。息を呑むほどの壮絶な怪しさを持った微笑みだった。
ラルフは魔法にかけられたように、ガニュオンの手を取った。ガニュオンはクスリと笑うと、ラルフの手を取った。2人は踊り出した。軽快なワルツ。ラルフがガニュオンをリードする。
(ずっと貴方のことを考えていました)
頬を染めてラルフが言った。ガニュオンは目を細めてラルフを見た。まるで射るような鋭く美しい眼差しに、ラルフの胸がざわめいた。
(そう、僕も会いたかったよ…)
(私の気持ちは変わりません。ずっと…ずっと貴方と一緒にいさせて欲しい。………ガニュオン、私は貴方が好きです)
(だそうです、聞こえましたかっ?)
おもむろに頭上に向けてガニュオンが叫んだ。
なんだ?
ラルフはガニュオンが顔を向けた方向を見上げた。天井に近い窓の外、誰かがこちらを見下ろしている。あれは……
(ガニュオン⁉︎)
では、この男は誰なのか?振り返ったラルフはあっと声をあげた。
黒い衣に身を包んだガニュオンは、ロッドバルトに抱き寄せられ、マントに包まれながら、ラルフに妖艶な笑みを浮かべていた。ロッドバルトが窓を見上げて叫ぶ。
(ガニュオン・シルヴァ!聞いたか?お前の愛したラルフは、お前ではなくガニュオン・ブラックを選んだ。お前の呪いはもう永遠に解けない。ははははは。お前はもう完全に私のものなのだ)
バサリとマントを一振りすると、そこには2羽の巨大な鷹が現れた。鷹は風を起こしながら羽ばたくと、窓を突き破り飛び出して行った。
(ああ!あああああー!)
ラルフは頭を抱え、その場に倒れこんだ。その叫び声は、宴に居合わせた者達の悲鳴にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
湖畔。ラルフはふわふわと雲を踏むように歩いていた。泣き腫らした目で、湖上を見つめている。白い影が横切り、やがて羽音がしたかと思うと、着水とともに風が起こり銀色の羽が舞った。
(ガニュオン!)
ラルフは羽の散った方へ泣き叫び駆け寄った。月光に照らされ、銀に輝く塊が立ち上がった。悲しそうな眼差しのガニュオン・シルヴァだった。ラルフはガニュオンに駆け寄り、抱きついた。抱きしめられたガニュオンは切なげな表情でラルフの背に腕を回した。
(すまない…どうか、どうか私を許してくれ)
ラルフは泣きじゃくった。ガニュオンは悲しげな微笑みを浮かべたまま、ラルフの肩に頬を寄せた。そして優しく彼の背をさすった。
(僕は怒っていないよ。ラルフ、どうか僕の為に泣かないでおくれ)
ガニュオンの声も震えている。彼も静かに泣いているのだ。ラルフはそう気づくと、泣くのをやめガニュオンに尋ねた。
(貴方の呪いを解く方法は、もう一つあるのではないか?それは…)
そう言いかけた時、鋭い声が響いた。
(諦めるのだ!ガニュオン・シルヴァは私から離れる事は出来ない)
全身黒い塊となったロッドバルトが、片手を伸ばし、ガニュオンの腕を掴んだ。その手は猛禽類の爪を持ち、鱗が生えていた。掴まれたガニュオンの腕に血が滲む。
(うわあああーっやめろーっ!)
ラルフは身につけていた剣を抜くと、ロッドバルトめがけて突き刺した。
(ぐうう)
ロッドバルトは胸に手を当て、苦悶の表情を浮かべ2人の方を睨んだ。腕を離されたガニュオンが信じられないという眼差しで、目を見開きロッドバルトを凝視している。両手で口元を押さえ、叫び出す声を抑えているようだ。
ロッドバルトは苦悶の表情で、声を振り絞った。
(ガニュオン………私を捨てるのか………それも…仕方のない事だ………私は、私の欲望で、お前を………)
そこまで言うと、ガクリと肩を落とし膝をついた。
ラルフはガニュオンの腕を掴んで引き寄せようとした。だが彼は棒のように立ちすくみ、動かなかった。
(ガニュオン!)
ラルフの声に、ロッドバルトが顔を上げた。苦痛に顔を歪めながら、それでもガニュオンの方を向き、
彼は微笑んだ。爽やかな笑顔が、彼の悲壮感を際立たせた。
(ガニュオン!)
ラルフが2度目に叫んだ時、ガニュオンはラルフを見た。
(ごめん………僕は行けない)
ガニュオンは弱々しく答えたが、ラルフは聞き逃さなかった。
ガニュオンがロッドバルトに歩み寄ると、一陣の突風が巻き起こり、辺り一面に黒い羽と白い羽の渦が巻き起こった。
ようやく風が止んだ時、そこには血の跡しか残っていなかった。
ラルフは膝をつき泣き崩れた。泣き疲れた頃、ふと肩に手を置いたものがあった。見上げると、傍に紫黒の衣を纏ったガニュオンが立っていた。
(ガニュオン⁉︎)
ラルフは立ち上がり、彼の手を取った。ガニュオンがラルフを見て口角を上げる。違う、彼はガニュオン・ブラックだ。カッとなったラルフは、ガニュオンの手を振り払った。ガニュオンは不思議そうな顔をしてラルフを見た。
(ラルフ、君は僕を選んだんじゃなかったの?)
首を傾げ、あどけない表情を向ける彼は、やはりガニュオンだった。
(だって…君は…)
混乱して口ごもるラルフにガニュオンが言った。
(ラルフ、僕もガニュオンなんだよ。ロッドバルトが、僕の心を二つに分けたんだ。君は僕が嫌いなの?)
そう告げたガニュオンは、先ほどのロッドバルトの様に、寂しげに微笑んだ。その表情をみて、ラルフの胸は罪悪感に疼いた。
(ううん)
それだけ答えると、ラルフはガニュオンの手を取った。
月光に照らされて、地面には寄り添う2人の影が伸びた。
(おしまい)




