そのに 接触
ラルフは息を飲んだ。
月明かりの湖のほとりで、月光を浴びながら一羽の白鳥が佇んでいる。だがそれはいっときの姿で、
一陣の風が吹いたかと思うと、白鳥はぶわりと銀の羽を辺りに撒き散らした。羽は汗の滲んだラルフの額に張り付いた。
突然の出来事に訳もわからず、顔にこびりついた羽を取り除いたラルフは、ギョッとして白鳥のいた場所を見た。
フワフワと舞い落ちる羽の中で、1人の男が佇んでいる。
男は月を見上げた。風貌が月に照らされ明らかになる。美しい曲線を描く細身の身体、額にかかる黒い巻き髪、つぶらな瞳に星が光る。それはまさしく
先程の白鳥そのものだった。
ラルフは月光に照らされた男の美しさに、我を忘れて立ち上がった。
ガサガサッ
男はハッとして、音のする方へきつい視線を向けた。
(あ、あの………)
ラルフはおずおずと声をかけた。
男と視線が合う。
美しい。男の…青年の頬は月光に照らされ、銀色に輝いていた。正面から彼を見たラルフは、深く息を吸い込んだ。冷たい夜の空気が体に染み渡っていく。
なのに。この体の血が熱く感じるのは何故なのか。
いたたまれなくなり、ラルフは目線をそらした。
微かに笑う声がうつむいた彼の耳をくすぐった。
(こんばんは)
夜露に濡れた柔らかい葉のような声に、ラルフは
再び青年を見た。
(あ………)
彼はフラフラと茂みから出ると、青年の元へと歩き出した。青年は穏やかな眼差しでラルフを見つめている。
(こ、こんばんはっ)
おそらく自分の顔は今、真っ赤になっているに違いない。そう思ったラルフの顎を、青年の細く長い指が捉えた。顔に触れる指の冷たさに、ラルフは一瞬ピクリと反応した。
恥ずかしい。どうかそんなに見つめないで。
恥ずかしさのあまり、踵を返したラルフの腕を青年が掴んだ。再び柔らかな声が彼の耳に響いた。
(僕の名前は、ガニュオン・シルヴァ。君の名は?なにもしやしないよ。どうか怖がらないで)
違う、怖いわけじゃない。ラルフは下唇を噛んで、ガニュオンの方へ振り向いた。ガニュオンはまじ
まじとラルフを覗き込んでいた。彼はひるんだ。
(わ、私の名は、ラルフ・アルバート・エルシオン。驚かしてすまない。あ、あ、あのっ)
青年の向けた眼差しに、声が、手が震える。
(なに?)
ガニュオンが首をかしげる。あどけない表情に、
ラルフの胸がどきりと疼いた。
(貴方は、魔法使いか何かなのですか?)
ガニュオンは一瞬目を見開き、直ぐに破顔した。
(ぷっ、あはははは)
彼の明るい笑い声に、その場の空気が緩んだ。
(な、なにがおかしいんだ?)
(あ、いや、ごめん。僕は普通の人間だよ。ただ僕は、悪い魔王に呪いをかけられてしまってね。満月の夜にしか、元の姿に戻れないんだ)
ガニュオンの話は荒唐無稽で、にわかには信じがたかった。だが、変貌を目の当たりにしたラルフには、疑う余地がなかった。彼は自分でも予想外の事を口走った。
(貴方の呪いを解く事は出来ないのですか?
私は貴方を救いたい!)
ラルフは彼の腕を掴んだ手に、手を重ねた。
ガニュオンは突然の言葉にしばし唖然としていたが、言葉の意味を理解すると、にこりと歯を見せて微笑んだ。
(ありがとう。でもそれは難しいと思う。呪いを解くには、『本当の愛』が必要なんだ)
本当の愛………。それはどんなものか。それは心ときめくものから始まるのではないのか。だとしたら、それは今ではないのか?
ラルフは自問自答した。
(そ、それなら問題はありません!わ、私は一目見て、貴方を好きになってしまいました。
お願いです、私と共に城へ来ては頂けませんか?)
突然の告白に、ガニュオンは目を伏せた。長い睫毛が、銀色に照らされた頬に黒い影を落とす。クッと引かれた唇は、何か強い決意を感じさせた。青年は再びラルフへ目を向けた。そして掴んでいた腕を
引き寄せた。細身の体とは予想外の力強さに、
ラルフは彼の胸へ引き寄せられ、強く抱きしめられた。
(それでは、貴方の城へ参ります)
ガニュオンがラルフの耳元でささやいた。
(あぁ…)
耳元に熱い息を感じた彼は、悩ましげなため息をついた。ぼうっとしたまま、ガニュオンの背へ腕を回そうとした途端、視界がチラリと暗転した。
なんだと思った途端、バサリバサリという羽音と黒い羽が散った。
(いけない、隠れて!早く!)
ラルフはガニュオンに突き飛ばされ、先程の茂みへ身を伏せた。
ラルフの耳に、ガニュオンの走り去る音とバサバサという羽音が響いた。
どれくらいそうしていただろう。
(ラルフー、おーい)
友人達の呼ぶ声がする。身を起こし、茂みから顔を出すと、そこにはもう誰もいなかった。
ラルフは友人達の声のする方へ向かった。
(つづく)




