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後編

さすがに制服で街に出るのは気が引ける。

エリーは男物の旅装に茶色のコートを着ている。ルーエも『王立』の上着だけを灰色の無地のものに変え、深緑のマントを羽織っている。マントの下は帯剣し、エリーの護衛騎士であることをうかがわせている。

庶民の暮らす街の広場では、夜店がいくつも並び、そこに向かって人が集まっている。

療養所から楽しそうに出てきたエリーだが、人が増えるにつれて表情が強張る。

ルーエは、いつもより少し彼女に近づいて歩いていた。いつでもルーエのマントの端をエリーが握れるように。

「お祭りなんでしょうか?」

「んー、普通の『夜市』かな。」

「『夜市』?」

「夜に開く『市』です。」

「『市』って、市場?」

「王都のは昼間の常設ですが、こういうところは夜にもするんでしょう。」

「ルーエさん、甘い匂いがします。」

「あ、ああ、リンゴ飴ですね。」

二人が屋台の前で立ち止まった。

小さな紅玉リンゴが水飴で覆われている。

「早生のリンゴだな。」ルーエが呟く。

「…。」

エリーがじっと見ている。

(欲しいのか!)

「…ずっと小さいころに、買っていただいた覚えがあります。」

「え?」

「…そうです。

キンバリーおじ様が買ってくださいました。」

「…。」

「懐かしい気がします。」

ルーエがポケットに手を入れて鋼貨をいくつか取り出した。

「親父、リンゴ飴を一つ。」

「ルーエさん?」

「買ってあげますよ。食べたいでしょ。」

エリーもコートのポケットから銅貨を1枚取り出した。

「いえ、二つ、お願いします。」

「センセイ?」

「ルーエさんの分は私が買います。」

ふふとルーエが笑った。エリーの手から銅貨をとって彼女のポケットに戻すと自分の鋼貨を倍の数にして露店商のオヤジに手渡した。

「銅貨だと、お釣り、出せませんからね。」

ルーエがエリーに小声で言う。

「一つは食べやすいのに切ってくれ。」

ルーエの注文に小さなリンゴが一口大に切られて紙に包まれた。リンゴの切り口から少し蜜がしみている。食べやすいようにリンゴの串も添えられていた。その包みをエリーに渡す。

「どうぞ。」

エリーが嬉しそうに包みを手にした。もう一つのりんご飴は花束のように包まれている。

「食べていいですよ。夜店にお行儀はいりませんから。」

ルーエの言葉にエリーが微笑って串に刺したひとかけを頬張った。

ヘイゼルの瞳がキラキラしている。

(おいしかったんだな。良かった。)

エリーは、またひとかけを串に差し、ルーエに差し出した。

「ルーエさんもどうぞ!」

一瞬、困った顔をしたがルーエもそのリンゴを頬張った。

飴は甘く、リンゴは酸っぱめだ。

甘すぎない分、大人でもおいしい。

二人でリンゴを頬張りながら夜店をめぐる。

エリーが小間物の露店の前で足を止めた。

(センセイ?)

髪留めやリボン、櫛などがならんでいる。

エリーが優しい目で眺めている。

彼女の隣にいた親子連れがリボンを買い求めていた。

薄紅のリボンを買ってもらった女の子が嬉しそうに母親に結んでもらっている。

エリーが見ていたのはそんな光景だ。

「センセイ、」

ルーエが小声で呼びかけた。エリーが彼のほうに向く。

「エイミーにお土産を買っていきましょうか。」

「あ、」

「選んでもらえますか?」

「はい。」

エリーが露店の品を手に取っている。赤いリボンや木彫りの髪飾り。

「エイミーちゃん、まだ、結んであげないといけませんね。」

そう言ってエリーがいくつかのリボンを並べた。

「ルーエさん、どれがいいですか?」

「え、えー、そういうのわからないな。」

エリーが微笑んだ。

「では、ルーエさんの色にしましょう。」

「?」

エリーが赤っぽい茶系のリボンを手にした。

「茶色?」

「明るいところでは、ルーエさんの瞳は茶色く見えるんですよ。」

「え、自分じゃずっと黒いのだと思っていました。そんな風に?」

「これを。」

エリーが露店商に鋼貨を渡して、リボンを受け取った。

「娘さんにですかい? ちょっと地味じゃないですかね。」

「片方に鈴がついていますよね。それがいいんです。」

リボンの包みを受け取りながらエリーが微笑った。

(『娘』って、センセイ、子供いないでしょ!)

突っ込みたいのを我慢してルーエも微笑んだ。

同じリボンがまだある。

ルーエが手を伸ばしてそれをとった。

「オヤジ、これも。」

「あら、同じものですよ。」エリーが不思議そうに言った。

「これはね、」

ルーエが代金を払うとリボンをそのまま受け取った。

「ちょっと、持っててください。」

リンゴ飴をエリーに預けると彼女の三つ編みの髷にリボンを結び付けた。

「あ、」

「おそろいの、いいでしょう。」

リボンの端がチリンと鳴った。エリーの頬が赤らんだ。

「ダンナ、隅におけないなぁ。」

そんなルーエに露店のオヤジがニヤニヤと笑いかけた。

「それじゃ、奥さん、見えないですよねぇ。」

露店のオヤジが売り物の手鏡をエリーに差し出した。露店のものにしては随分高そうだ。

「商売、上手いな、オヤジ。

銅貨でいいか。」

ルーエが銅貨を渡す。

「ツリはいいよ。」

「気前のいい旦那で。じゃ、新色の口紅をおまけしますよ。」

露店のオヤジが愛想よく、口紅の小筒をエリーに渡した。

「あの、ルーエさん?」

「手鏡と口紅はセンセイのですよ。エイミーには早すぎる。」

エリーがはにかんだ困った顔をする。

「貰ってください。じゃなきゃ、俺の立つ瀬がないでしょう。」

「ありがとうございます。」

ルーエも笑みを浮かべるとまた二人で歩き出した。

大勢の人の中にいたが、エリーはあまり怖さを感じなくなっていた。

ルーエのリボンが守ってくれているようだった。

「どうします? メシ、食いに行きますか?」

「あ、」

ルーエの言葉にエリーが少し躊躇した顔をした。

「そ、そうですね。」

今度の笑顔はすこしぎこちない。

「センセイのお泊りは療養所ですか?」

「え? ええ、療養所の当直室をお借りしています。」

ルーエは周りを見回した。夜店の中に焼き菓子屋を見つける。

「じゃ、なんか買って帰りましょうか。

グラハム先生もお腹、空かせてるかな。」

「ルーエさん?」

「キンバリー様を気にしているのかと思って。」

エリーが小さく頷く。

「少し、はしゃぎすぎました。

おじ様が大変なのに。」

「じゃ、ドーラをいくつか買っていきましょう。」

「ドーラ?」

「硬めに焼いたパンに目玉焼きや干し肉の焼いたのを挟んだものですよ。

腹持ちがいいのでね。」

エリーが微笑んだ。

「グラハム先生の分も買っていきましょうかね。

それで、キンバリー様のお部屋の近くでいただきましょうか。」

ルーエたちは、ドーラ焼きの店でいくつかを買い求め、療養所へ戻った。


◇◇◇


療養所へ戻ると少し雰囲気が暗い。

不思議に思いながら二人はキンバリーの離れへ向かった。

建物から明かりが漏れている。

キンバリーの介護人が建物の外でうずくまっていた。肩が震えている。

その姿を見たエリーの顔が強張った。

「行っていいですよ、センセイ。」

エリーはルーエに頷くと離れへ走り込んだ。ルーエも足早に向かう。

寝室では、グラハム医師が付き添い、エリーが寝台のそばで、キンバリーの手を握ってうずくまっていた。

泣き声はなかった。

部屋の隅に荷物を置くと、ルーエもそっとキンバリーの顔を覗きこんだ。眠っているようにしか見えなかった。

「…覚悟していたんだ。私たちは彼が長くないのを知っていた。だから、できるだけ普通に接していたんだが。」

「…いつ?」

「君らが出かけて少ししてからだ。唾を飲み込み損ねて…。

管まで差し込んだんだが間に合わなかった。

次の発作が来たらダメだとわかっていた。」

「グラハム先生…」

(窒息なら、もっと赤黒い顔になるはずなのに…)

ルーエの疑問は飲み込まれた。グラハムの顔が穏やかだったから。

グラハムは白布を取り上げるとキンバリーの顔にかけた。

エリーの手からキンバリーの手をとり、掛布の中に戻すと今度はエリーの手を取って立たせた。その手をルーエに預ける。

「先生…?」

「朝には、葬窯に入るのでね。それまで、友と二人にしてもらえるかな。」

「…。」

「ルーエ、『大人の事情』ってな。」悪戯っぽくグラハムが笑った。

ルーエは頷いてエリーの手を握った。

「あ、あの。」

「部屋までお送りしますよ。

そうだ、」

ルーエは荷物の中から、机の上にリンゴ飴とドーラを二つ置くと残りを抱え上げた。

「グラハム先生の分、置いておきます。」

グラハムが笑った。彼は、白衣の内側から布に包まれたものを取り出した。

「・・・これをやる。」

ルーエの荷物に差し込んだ。

「いきましょう、センセイ。」

振り返ろうとするエリーの手を引っ張ってルーエが部屋から出た。


◇◇◇


「あ、あの、ルーエさん、」

「星、いっぱい見えますね。」

ルーエが上を向いて言った。

月のない夜空に多くの光点が広がっていた。

ルーエはエリーの手を握ったままだった。

エリーも上を向いた。

そして、ルーエの手を握り返した。

「綺麗ですね。」エリーが言った。

「そうですね。」ルーエが答える。

ルーエがエリーの方に向いた。

「やっぱり、腹が減りました!」

エリーが微笑む。

「では、そこのポーチで。」

エリーの見た先に小さな東屋がある。散歩途中の休憩場所だ。二人でその端のポーチに腰掛けた。ルーエは二人の間にドーラの包みとグラハムからもらった包みを置いた。包みを開くと酒瓶が出てきた。透明な瓶に赤葡萄酒が入っている。

「盃がない!」

ふふとエリーが笑う。

「どうぞ、瓶のままで。」

「いいんですか! じゃ、遠慮無く!」

ルーエが酒瓶を開けると勢いよくラッパ飲みした。

「あー!」

「おいしいですか?」

「うーん、酒です!」

ルーエが酒瓶を二人の間に置いた。エリーがドーラの包みをルーエに渡す。

ルーエがそれにかぶりついた。

エリーが膝を抱えた。

「お行儀、悪いですね。」ルーエが自虐的に言った。

エリーが首を振る。

「大切な人が亡くなった直後なのに、『飲んで食う』って呆れるでしょう。」

「・・・。」

「泣いても怒っても何があっても、腹は減るし、喉も渇く。人って、厄介ですよ。」

「・・・。」

「『執行人』の役目の後と何も変わりません。飯食うし、飲んじゃうし。」

「・・・。」

「俺は、キンバリーのおっさんに拾われて『王立』に入りました。」

「おっさん?」

「キンバリー様のことですよ。

オレはね、平民だし、こんな容姿だし、『騎士』の資格はもらえましたが、入団にはどこも二の足を踏まれましてね。」

ルーエが葡萄酒をひとくち飲んだ。

「もう、どこかのお貴族様の護衛に就職かなと思ったときに、おっさんの鷹の餌係で拾われました。」

「餌係?」

「『王立』の騎士団長様になられたときで、鷹の餌係は口実で、ご自身の従者が入り用だったのです。

俺はどこの家門や派閥にも関係なかったから、ちょうどよかったんでしょうね。」

ルーエは、食べかけのドーラを全部口に入れた。よく噛んで飲み込む。

「騎士団長を辞職されるとき、最後にいただいたお言葉が、『幸せになれ』でした。」

ルーエが星空を見上げた。

「さっきもそう言われて。

なんで俺にそう言うのか、聞きそびれましたよ。」

「・・・おじ様は、私には『幸せを諦めることはない』とおっしゃいました。」

「センセイ?」

「私、ここに少しの間、いたんです。患者として。

おじ様は、ここに入ったばかりで。そのときは病気と思えなかったくらいお元気でした。」

「・・・。」

「私がいることでアナスン家が崩壊しかけていて。

グラハム先生は私を家から遠ざけるためにここに入れたんです。」

「おじ様は、死の宣告を受けたばかりで混乱していて、私の面倒を見させることで落ち着かせようとグラハム先生が考えたって。」

「・・・。」

「私が医師の試験に合格してから聞かされました。」

「あの方は、独り者でした。

あの、センセイは、怖くなかったんですか?」

「大人の『男』ですよ。」ルーエが小声になる。

「それもわからないくらい、私の心はダメになっていたんだと思います。

それに、おじ様のされたことは、私の手を引いてお散歩するぐらいです。」

「…。」

エリーが葡萄酒の瓶に手を伸ばした。

「え?」ルーエが驚く。

(オレが直飲みしたやつ!)

エリーがラッパ飲みした。

「センセイ!」

「…渋い、渋いです!」

エリーが笑顔を見せた。

「オレが口付けたヤツですよ!」

「すみません…。」

エリーが瓶を置く。

「赤の葡萄酒って渋みがあるんですよね。」

「まあ、産地に寄りますけど。」

「ずっと、食べるものの味がわからなくて。

おじ様が『色が綺麗だろう。飲んでごらん。』って。

その赤い葡萄酒はとても渋かったのです。

私、とても渋くて酷い顔をして。でも、その後に買っていただいたリンゴ飴はとても甘くて。

それで、『味』を思い出しました。」

エリーが空を見上げた。

「センセイ、赤葡萄酒の味って…。幾つのときに飲んだんです?

キンバリー様とは子供の頃っておっしゃいましたよね?」

「十二になったころです。」

「子供すぎるでしょう!」

エリーがルーエを見て微笑んだ。

「食べるものの味を思い出したら、食べたいことを我慢しなくてもいいって言われて。

おじ様といっぱい、食べました!」

「…お腹がいっぱいになると幸せな気持ちになるんですよね。」

ルーエもふふと笑う。

「『幸せ』か…。」思わず呟いてしまう。

「おじ様も『幸せ』だったのでしょうか…。」

星明りの下でも、近くにあるエリーの顔はちゃんと見える。

大きなヘイゼルの瞳から一筋、頬を伝った。

ルーエが大きな手でエリーの頬に触れた。

そのまま身体を抱き寄せる。

「泣いていいですよ。」

耳元でそう告げるとエリーがルーエの胸に顔を押し付けた。

声はなかったが、肩は震えていた。

それをしっかりと抱きしめていた。


◇◇◇


少し、空が白み始めていた。

グラハムは、目の前の光景に苦笑を浮かべる。

「ルーエ、それ、三十男のすることかぁ?」

呆れた声が漏れる。

東屋のポーチで、ルーエとエリーが互いの頭を寄せて、眠っていた。

「全く、二人して幸せそうな顔、しやがって。」

グラハムも幸せな笑顔を浮かべると両手にぶら下げてきた酒瓶を振りながら、来た道を戻っていった。


◇◇◇


「えーっと、昨夜はすみませんでした!」

エリーの荷物を馬車に積み込み終えるとルーエはその身体を半分にしてエリーに頭を下げた。

朝、目を覚ますとエリーの茶黒い髪が顎の下にあった。自分の両手がエリーを抱きしめてもいた。覚えがないわけじゃなかったが、明るいところではやたら恥ずかしい。身動きが取れない中で、エリーも目を覚ますと耳まで赤くなってしまった。

どうにか腕をほどいて身体を離したのだが。

(誰にも見られてないよな…)

「ルーエさん、頭を上げてください。」

エリーも困った笑顔を浮かべてルーエの肩に触れた。

「私たち、何もなかったんですから。」

ルーエが情けなくその言葉に頷いた。

「では、これを『近衛』のガーネット様にお渡しすればよいのですね。」

「はい。

センセイにお頼みしてすみません。」

「…グラハム先生にも、『近衛』にお知らせするように頼まれましたから。」

エリーは馬車の座席の包みを見た。それから、ルーエの足元の荷物も見る。

袋の外に大剣の柄が飛び出ている。今朝、この街の『王立』の詰所に届けられていたのだ。一緒にあった灰色の書簡筒が命令書だと彼が言った。

「一緒に帰れると思ったんですがね。

人使いが荒いですよね、この閣下も。」

「…そうですね。」エリーも笑ってしまう。

「方向が王都と逆なのですみません。」

ルーエがエリーの乗り込むのに手を差し出した。

エリーがその手を握る。

「ルーエさん、王都でお待ちしております。いっしょにエイミーちゃんのところに行きましょう。」

エリーの顔がルーエの頬に触れるほど近くに来た。ルーエの頬と唇の端に柔らかいものが触れた。

「貴方は大丈夫です。」耳元でそう言われた。

(え?)

ルーエが驚いた顔でエリーを見ようとしたが彼女は馬車に乗り込んで扉を閉めてしまった。

そして、馬車が動き出す。

(えー! それって!?)

呆然と見送るルーエを残して。

「ロダン隊士長! 馬を連れてきました。」

少年隊士からルーエは馬の手綱を受け取った。

「あれ、隊士長、ここ、どうしたんですか?」

少年が自分の唇の端を指さしてルーエに見せた。

「ん?」

「隊士長のここ。」

ルーエは、自分の唇の端の、少年の示したところと同じ場所を指で拭った。

指先に口紅。

「えー!」ルーエが大声を上げた。

昨日、夜店でエリーが手にした口紅の色だった。

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