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阿修羅の生命

作者: 十六花 綾人

 凄まじき二つの咆哮が夜空に響き渡った。

 中空に浮かぶ月は、闇夜を薄くくるんだ雲を硬質の光をもって散り散りにさせる。その雲間から覗く、銀色に煌めく星々を周りに、月は地上を映す鏡となり、赤く血の色で染めていた。

 

 月明かりに照らされた地上の一隅で、地を揺るがす轟音を立てながら、羽状の葉を広げた蘇鉄の大木が薙ぎ倒され、地に沈んだ。

 夜気に舞う煙の中で、二匹の巨大な生物がもつれ合いながら叫声を発し、互いに敵意をぶつけ合う。

 一匹が相手を下にして立ち上がる。

 触れたものすべてを切り裂くほどの、すさまじい殺気を放っていた。

 月夜に映し出された影は、風に流されてゆく煙の中で、次第にその姿を浮かび上がらせてゆく。


 身の丈約六メートル。

 巨大な影の奥で、血走らせながら燐光を放つ、二つの凶眼。

 重たげにもたげた頭部を上下に裂いたあぎと。そこから流れ落ちる唾液に濡れそぼちながら、光を反射する鋸状の牙が、余すところなく並んでいる。

 脚は強靭な筋肉で張り、太く、足指には鋭い爪が備えられている。

 それとは対をなして、腕は小さく、巨体に似つかわしくない貧弱な二本の指がついていた。

 後ろでしなりながら、体の均衡を保たせているのは、尾であった。

 食肉竜――ティラノサウルス・レックス。

 白亜紀後期の地球に棲息する恐竜である。


 巨大な顎を開かせると共に、喉の奥で雷の鳴る轟きに似た音がこもった。

 頭を振り上げ、下方にいる相手に向かって、躍りかかる。


 その刹那。

 

 風を切り、一本の杭状のものが、下方よりティラノサウルスめがけて突出した。

 首をめぐらせ、それをよけたティラノサウルスは、その勢いで、突き出た杭に噛み付く。


 それは一本の角であった。

 角のもとをたどるそこには、氷の冷徹さを兼ね備えた煮えたぎる意志を持った双眸が、それだけで敵を威圧させる勢いで、ねめつけていた。

 相手を威嚇する唸り声が、オウムのくちばしに似た口からもれる。

 角の根元には骨質の襟飾りが備わっており、首全体を覆い隠している。

 巨大な頭部と体を支える四肢は、力強く地を踏みしめ、突き出した角に力を送る。

 角竜――トリケラトプス。

 ティラノサウルスと同じく、白亜紀に活動した、草食の恐竜である。

 通常のトリケラトプスは鼻の上部に小ぶりの角があり、額に大型の長い角が二本、備えられている。

 だが、このトリケラトプスには、鼻の角は瘤状になっているだけで、額の角は片方が折れていた。

 残る一本の角は、1メートル以上あり、一般的なトリケラトプスの角よりも長大であった。


 トリケラトプスは、くわえ込まれた角を首の回転によりねじり、ティラノサウルスの巨躯を揺るがし、足元の感覚を狂わせる。

 ティラノサウルスは尾を振り、バランスを保とうとするのだが、トリケラトプスの回転によって生まれた剛力に巻き込まれる。

 その一瞬の隙をつき、トリケラトプスは角を下方から上方へと持ち上げ、ティラノサウルスを投げ飛ばした。


 土煙を巻き上げ、地響きを鳴らして倒れたティラノサウルスに向かって、間髪をいれずにトリケラトプスが突進してゆく。

 煙塵の中、現れた太くしなる尾は地を走り、角の下をくぐってトリケラトプスの脚を薙ぐ。

 ティラノサウルスは転倒したままの姿で相手を待ち、そこに一撃を加えたのだった。

 もし起き上がっていれば、そこに隙ができ、角の餌食になっていただろう。

 

 ティラノサウルスは反動を利用して、そのまま転がり距離をとる。

 突進した勢いをころし、旋回するトリケラトプスを確認してから、ティラノサウルスは、ゆっくりと起き上がった。


 ティラノサウルスの前方で、角を構えなおすトリケラトプスの周りの空間が、揺らいでいる。

 トリケラトプスの放つ獣気が、目に見えて形を成していた。


 ティラノサウルスが、地面を叩きつける勢いで踏み込んだ。

 目の前にあるものすべてを薙ぎ倒すほどの怒声を上げ、周囲の空気を震撼させながら、前方の敵めがけて巨体を疾らせる。


 普通、ティラノサウルスは、それほど機敏な動きはできない。

 獲物を待ち伏せして襲う方法が、一般的なティラノサウルスの狩りの仕方だった。

 だが、このティラノサウルスは違った。

 恐ろしく動きが疾い。

 そして無駄な動作がなく、敵を倒すための策略や駆け引きといった余分なものがなかった。

 ただまっすぐに、敵に向かってゆく。

 その姿は、死に場所を求めて戦っている者のみが持つそれに、似通っていた。

 対峙するトリケラトプスも同じであった。

 相手を倒す。

 ただ、それしかなかった。


 圧倒的質量をもって躍りくるティラノサウルスを、トリケラトプスは距離を測り、待ち受けた。

 一撃で倒す気でいた。

 その機を逃せば、あとはもうないと思った。

 今まで幾度となく、このティラノサウルスと戦ってきたが、今、この一瞬で、どちらかの命が失われることを、本能的に感じとっていた。

 生命を賭した、極微の瞬間の機を、永遠と感じる時の中で、閃くのを待った。

 その光をトリケラトプスは見逃しはしなかった。

 思考が白い光に包まれて、肉体も魂も、己自身が光となった気がした。


 光が薄らいでいく中で、自分の角がティラノサウルスをとらえている感覚と、視界が戻ってきた。

 ティラノサウルスを貫いた角が、根元へと食い込んでゆく。

 赤い流れが角を伝わり、トリケラトプスの両眼を血で染めた。

 

 この時、トリケラトプスは自分の死を悟った。

 自らの力でティラノサウルスの体に角を食い込ませているわけではなかった。

 ティラノサウルスが自分から向かってきているのだ。

 角は狙っていた心の臓から、わずかながらも外れていた。

 外したわけではない。

 あの一撃を、ティラノサウルスは見切ったのだ。

 攻撃の軌道を読み、最小限の動きで致命的一打を避けたのだ。

 

 ただの生命の奪い合いではなかった。

 ある種の覚悟を持った者の、命を賭した戦いであった。


 トリケラトプスは、もう逃げることはできなかった。

 突き刺さった角が、ティラノサウルスの肉で押さえ込まれていて、動くことができなかった。

 完全に動きを封じられたトリケラトプスは、下から突き上げられた重い衝撃を腹に感じた。

 一瞬だけ地から足が離れた感覚。

 そのあと何かが体から抜け落ちてゆく虚脱感を覚えた。

 ティラノサウルスがトリケラトプスの腹を蹴り上げたのだった。

 何度も何度も蹴り上げられ、鋭い足爪は腹を裂き、腹からは血と共に内臓までもが流れ落ち、周囲を血となまぐさい異臭で満たした。


 

 痙攣するだけで動かなくなったのを確認してから、ティラノサウルスはトリケラトプスの角を体から抜いた。

 貫かれた傷は前後から血があふれ、体を伝わり、地面に広がる異なる血と混ざり合った。

 内臓を出しながら横倒れになっているトリケラトプスの側面に回り、喉元へと近づく。

 何の躊躇もなく巨大な顎でとどめの一撃を放った。

 それは動物の持つ本能的な動きで、機械的ですらあった。

 喉から吹き出した血は、ティラノサウルスの顎を染め、口腔の中にまで流れ込んでくる。

 トリケラトプスは口から血を吐きながらも、その眼は冷たく、穏やかささえも持った眼差しでティラノサウルスを捉えていた。

 血と空気が交ざり合う音を喉から発しながら、トリケラトプスは口を開いた。

「石喰いよ・・・・・・」

 かろうじて発音されているその言葉を耳にして、ティラノサウルスは、噛み付いたまま眼だけを向けた。

「このままでいいのか」

 残された命を言葉へと変え、それを振り絞り、トリケラトプスは続けた。

「このままでは、いずれ俺達は滅ぶぞ。

 お前はまだ気付いてはおらんようだが、それに気付いている者も、いることだろう。

 遅かれ早かれ、お前も薄々とわかってくる。

 そこに到達することになる。

 俺からの最後の忠告だ。 

 このまま行けば俺達は」

 血と混じり合いながら言葉を吐き続けるトリケラトプスの喉の奥で、何かが砕ける音がして、言葉は命と共にそこで途切れた。

 ティラノサウルスが喉骨を噛み砕いたのだった。


 

夜天に向かって、ティラノサウルスは吼えた。

 それは雄たけびでもなければ、絶叫でもなかった。

 ただ、吼えていた。

 

 獣の叫びが月に反射して、今より六千五百万年前の地球の大地を、震撼させた。




 

 風が木々を揺らし、それがささやきとなって森を包んだ。

 梢の隙間をぬって、白昼のやわらかな光が、緑を淡く中和する。

 きらめく水辺の淵で、一匹の恐竜が目を閉じ、森の音に耳を傾けていた。

 背中に並ぶ五角形をした骨の板を、風に当て、四本の脚を地にして静かにたたずんでいる。


 剣竜――ステゴサウルス。

 中生代、白亜紀の始まりより五千七百万年前の地質時代にあたる、ジュラ紀に棲息した草食恐竜である。

 背にある、二列に並ぶ骨の板が特徴で、四足歩行の恐竜である鳥盤類に分列される。

 後足が前足より二倍近くの長さを持ち、尾の先には二対の骨質の棘を備えている。


 時折聞こえてくる羊歯植物の葉の擦れ合う音や、銀杏や蘇鉄科の木々の枝のきしむ音などが、風に乗り、森を駆け抜けてゆく。

 その安らぎを破る、不調和に響く振動が、草木を分け入る音と共に、ステゴサルスの耳までとどいてきた。

 音は次第に近づいてきて、大きくなる。

 突然、木立を突き破って、巨大な影がステゴサウルスの前に躍り出た。

 影は沼地に飛び込むと、そのまま大きく口を開き、水を飲み出した。

 飛び込んだ際のあおりを食らって水を浴びたステゴサウルスが、これ以上余波を受けないためにと脇へよける。

「石喰い・・・・・・。一角を倒したんですってね」

 ステゴサウルスが、石喰いと呼んだ影――ティラノサウルスに向かって、言葉をかけた。

 

 多くの草食恐竜は植物を食べると共に、消化を促すために石を飲み込んでいたという。

 このティラノサウルスは肉食であるが、肉であろうと草であろうと構わず食べ、そのため石をも食らっていた。

 その姿からか、いつしか石喰いと呼ばれるようになっていた。

 一角とは、石喰いの倒したトリケラトプスのことである。


 石喰いはステゴサウルスの言葉には反応を示さず、水を飲み続ける。

「この話、みんなに広まっているわ。

 あなたがあの一角を倒したって噂で持ちきりよ。

 本当なの?」

 石喰いは水を飲むのをやめ、ステゴサウルスの方へと眼を向ける。

「奴の肉は旨かったぜ。

 今は俺の腹も満たされてるが、風読み、そのうちお前も喰らってやるから、それまで待っていろ」


 風読みとは、ステゴサウルスのことである。

 いつも風に当たっており、そこから何かを推察し、風を読み取ろうとするか風体から、この名で呼ばれていた。


「あなたはいつもそう言って、私を生かしておくわ」

「お前は面白いからな。 まだ生かしといてやる。

 一角の次は赤目だ。

 まずは奴を倒す。

 赤目の奴もお前と同じで、一人者だからな。

 最後の一匹ってやつは、殺りがいがある」

 水の中に半身を沈めている石喰いは、顔を歪ませ、口の端で笑った。

 風読みは小さく首を振る。

「あなたでも赤目は倒せないわ。

 彼は強い。

 あなたと同じでありながら、あなたにはない力を感じる」

「ほう。俺にはなくて、奴にはある力か」

「彼の中にある、怒り、憎悪、哀しみ・・・・・・。

 それらの負念が私達に恐怖となって襲ってくるのよ。

 恐らくは彼自身も、その恐怖を内包していると思うわ」

「恐怖、ねぇ。

 面白いじゃねえか。その恐怖もろとも喰らってやるぜ」

「あなたはただ、獲物と狙った相手に突っ込んで行くだけ。

 戦いを楽しんでいるわ。

 どうしてあなた達は争いを好むの?

 きっと私達、このままでは、いつかいなくなってしまうわ。

 血を流し合って生きることに、一体なんの価値があるというの?

 私には、わからない」

 石喰いはその言葉を鼻で笑い飛ばした。

「お前ら草喰ってる奴らは、みんなそうだな。

 一角の野郎も死ぬ間際にそんなことを言ってたぜ。

 お前らは俺の餌なんだ。

 俺に喰われるまで、黙ってその辺の草でも喰ってりゃいいんだ」

「石喰い、あなたはこんなことを考えたことがある?

 もしこの大地に息づいている多くの草木が枯れはててしまったとしたら。

 私達、草を食べて生きている者達は、みんな死んでしまうわ」

「それがどうした」

「私達がしねば、あなた達、肉を食べている者も、飢えて死ぬのよ」

「だからそれがどうした」

「この世界はうまく成り立っているわ。 何もかもが・・・・・・。

 そして、私達は大きくなりすぎた。

 どうして私達は他の種に比べて、こんなにも巨大になってしまったのかしら」

 石喰いは、くだらないものを見る眼つきで風読みを見下ろし、わかりきった口調で、当然のことを答えた。

「他の奴らより強くなり、生き残るためだろ」

「そうよ石喰い。

 でも私達はすべてに比べて奇異に映ってしまうほど、この世界から浮き上がってしまっているわ。

 私はこの世界の成り立ちを疑問に思うし、私達自身の存在も、疑っているわ」

 これ以上付き合っていられずに、石喰いは沼地から体を引き上げ、風読みに背を向ける。

「お前は俺に喰われるまで、一生そこで考えていろ。

 すべてを喰らって生きようが、いつかは死ぬ。 そうなりゃ誰だろうと、同じことだ」

 背中でそう言い残し、風読みの前から姿を消してゆく。


 風読みは空を仰いだ。

 木々の間で、光と青が散らばっていた。

 その隙間から吹く風を全身で浴び、自ら透明となって想いを馳せた。




 

 西日が岩山に触れ、扇状に広がる遮光が二つの影を引き伸ばした。

 山嶽の切り立った岩場に風が叩きつけてくる。

 自分を中心とした全方向から吹いてきている気がして、どこから風が起こっているのか、石喰いにはわからなかった。

 石喰いの数メートル先に立っている者の影が、足に触れた。

 斜陽を背負い、黒く塗りつぶされてゆくその姿の内に、溶融状態である岩漿が二点の穴から覗き、赤黒く鋭い光を放っている。

 煮えたぎる双眸は、音さえも立てる勢いで、前方をにらみつけている。

「赤目よ。 ついにてめえと闘り合う時が来たようだな」

 石喰いは先に口を開いた。

「一角を倒したそうだな。 傷はもう癒えたのか」

 夕日は岩根に隠れ、薄らいでゆく影の中から、赤目が姿を現す。


 外見は石喰いと似通っている。

 石喰いより一回りほど小さい。

 腕はティラノサウルスに比べれば力強く、太い。

 脚も同じく、しなやかでたくましい筋肉でつくられている。

 柔軟でありながら強靭な首に乗せられた頭は重々しく、その均衡を保つために、体の半分以上をも占める尾が地面より持ち上げられ、しなっていた。

 頭には幾つかの小さな瘤状のものが隆起している。

 

 アロサウルス――主にジュラ紀後期に棲息した食肉竜である。


 その、たぎるほどに血走った両眼にちなんで、赤目と呼ばれていた。


「恐怖だと・・・・・・? こいつからは、そんなもんは微塵も感じねえぜ、風読み」

 口の中でそうつぶやき、身を低くして構える石喰いに対して、赤目は悠然として前方を燃える鬼眼で見据えている。

「一角の次は俺か。

 俺が倒せると思うのか、石喰い」

 赤目の静かな轟きに答えようともせず、石喰いは眼前の敵に向かって地を蹴る。

 喉から自然にあふれ出る雄叫びを吐き出し、ただ何も考えずに、駈ける。

 岩陰に隠れていた太陽が顔を出し、向かう石喰いを光が突き刺す。

 同時に赤目がその光にまぎれる。

 腕をつかまれ前につんのめる石喰いは、体勢を立て直す間もなく、脇腹に衝撃と熱とを感じ、攻撃を受けたことをさとった。

 赤目が食らいついていた。

 勢いで倒れ込もうとする体を、両脚でこらえて踏みとどまる。

 力を力で相さつし、さらに押し返して側面にある岩壁へ、自分の体ごと赤目を叩きつける。

 瞬間的な打撃と両側より押さえつけられる圧迫により、石喰いを捕らえていた連なる牙の群れが獲物を解放した。


「お前はなんのために戦っている」

 石喰いの血で染まった顎で、赤目が問う。

「最強を目指すのか? 俺を倒したそのあとはどうする」

 岩壁に叩きつけた赤目を、鋼の筋肉をしならせた脚で、地面へと蹴り倒す。

「別に戦う理由なんざ、ねえぜ。

 それはてめえも同じだろうが赤目。

 俺達はただ、自分に忠実に生きているだけさ。

 この世に存在した時から決められていたことだ。

 命を奪い、喰らう。 そして生き残る。 ただそれだけだ。

 そこに意味なんてねえ。

 赤目、俺達ゃ、ちょっとばかしそれが強すぎるのよ。

 てめえも同じだ。 立て!」

 石喰いは赤目が立ち上がる様子を黙って見ている。

「よくしゃべる奴だな」

 起き上がると同時に、赤目が地面に尾を打ちつける。

 砂塵が舞い上がり、風下にいる石喰いの目を奪う。

 視界をなくした石喰いの一瞬の隙をついて、赤目が距離をつめる。

 零距離に来た時点で、両脚の爪で石喰いの足の甲を貫き、地面に縫い付ける。

 両腕で体を押さえ込み、自由を奪った石喰いの喉元に、突き上げる勢いで二つに裂けた顎がくわえ込んだ。

 頭の回転運動により、石喰いの首をねじり、上方から力を加える。

 血しぶきが宙に舞い、紅い空に、さらなる赤が重なる。

 降りそそぐ血の驟雨しゅううを全身に浴びた赤目は、命を手中にする圧倒的な力から、石喰いを解放した。

「生き残るために強くなり、弱者は死すのみか。

 だが石喰い、お前の言うように、そこに意味などないのだとしたら、俺達はなぜ、ここにいる。

 この地で生を遂げる価値など、あるのか」

 先ほどまでの闘気が、赤目から抜け落ちていた。

 静かに言葉をこぼし、地に倒れる石喰いに背を向ける。

「赤目ェ! きさま、なぜ殺らねえ!

 憐れみか!?

 今ここで殺らなければ、俺は必ずお前をころす。

 お前の肉を喰らって生きる。

 俺は誰にも負けねえ!」

 耳にとどいていないのか、石喰いの叫びもむなしく、赤目は歩み去ってゆく。

「赤目! てめえも同じだ!

 俺達は戦いを繰り返すことでしか自分を生かすことができねえ!

 お前は俺と同じなんだ!

 何をそんなに恐れている!?」

 

 誰にもとどくことのない絶叫が風に散り、流されてゆく。

 一匹の獣の上に落ちた夕日が闇夜を引き連れて、やがて世界を包み込んだ。




 

 石喰いには赤目の行動が理解できなかった。

 確かに赤目は自分と同じものを持っていた。

 初めて出会った時に、そう思える何かを感じた。

 だが今、何かが狂ってきていた。

 それは石喰い自身にも言えることであった。


 腹の中に重々しく転がる異物の存在を感じながら、石喰いは当てもなく歩いていた。

 赤目に受けた傷から止まることなく血が流れ出ていたが、構わなかった。

 

 月の光に導かれるままに歩く。

 いつの間にか風読みのいる、あの水辺に向かっていた。

 心にわだかまりのある時には、いつもこうして風読みのもとへと行っていた気がした。

 風読みの話を聞くと、荒れた心の海は凪ぎ、安らぎを感じることができた。

 自分がなぜ風読みを生かしておくのか、今まで不思議であったが、今ここに、風読みを求めている自分がいることを知った。

 だが、それを認めるわけにはいかなかった。


 暗く、一度足を踏み入れた者を永遠に閉じ込めておく、出口のない迷路にも似た森の中を、木々を分け入って進んでゆく。

 近くで細かく閑かな水の音が聞こえ、それに乗り、透き通った香りが石喰いのもとまでとどいてきた。

 清らかな水の香りの中に、血なまぐさい匂いが混じっていた。

 水にからみついていた血が、次第に水を侵してゆき、匂いが強まってゆく。

 自分の血の匂いと、流れ来る血の匂いが一つになることで、石喰いは、不吉な圧力で胸が押しつぶされそうな感覚に陥っていた。

 焦りが足を動かした。

 足を動かすたびに、水の匂いは薄れ、息苦しい血の香りが立ち込めてくる。

 石喰いの耳に、肉を咀嚼する耳慣れた音が聞こえてきた。

 木々の間を抜け水辺に出ると、小型の恐竜が何かに群れていた。

 姿形はティラノサウルスやアロサウルスといった食肉竜に似ていた。

 比較的長い腕と、脚爪の一つが三日月型の鎌状になっているのが特徴で、その爪で何かを切り裂いている。

 血の匂いはそこからただよっていた。

 

 石喰いの心臓が音を立てた。

 その鼓動一つで全身の血液が煮えたぎり、体が灼熱の塊となった。

 喉から出る火の叫びと共に、石喰いは小型の恐竜――デイノニクスに向かって自らを暴走させた。


 風を巻き接近してくる敵に気付き、デイノニクス達は俊敏な動きで逃げ出す。

 だが、それをさらに上回る圧倒的な力に、中には回避できずに爆発的な殺意に巻き込まれる者もいた。

 

 思考がまったく働いておらず、石喰いは自分が今、何をどうしたのか、わからなかった。

 口にくわえている死骸を地面に吐き出す。

 周りに何匹かの、石喰いの尾によって薙ぎ倒されたデイノニクスの屍が転がっている。

 足元には腹を裂かれた風読みの姿があった。

 まだ息がある。

 

「なぜ、戦わない」

 やっとの思いでしぼり出した声であった。

「その尾の棘は、なんのためについている」

 風読みのかろうじて開いている眼に、石喰いの姿が映っている。

「これは、私が望んだことよ」

 風読みの唇が震え、かすかに響かせる。

「バカな・・・・・・てめえから死を望むなんざ、そんな馬鹿げたことがあってたまるか。

 お前はなんのために、生まれてきたんだ」

 声が震えた。

 石喰いの中に初めて死の恐怖というものが生まれた。

「俺達は、間違っているのか?」

 風読みは、とても愛おしいものを見る目つきで、傍に立つ者を目にしている。

 石喰いはその目に、絶望的な悲しみを見いだした。

「この自然は、死後の保存には関心がないわ。

 その目的は、生物の元素を再び、永遠の循環の上に乗せることにあるの」

 石喰いには言葉がわからず、風読みが何を言っているのか理解できなかった。

「お前は、消えるのか」

 風読みは穏やかな表情を浮かべながら、まぶたを静かにおろした。

「私はどこにも消えないわ」




 

 無数の恐竜達の屍が転がる死の大地を、石喰いは当てもなく歩いていた。

 屍肉は腐り、腐臭がただよい、昆虫の類いがわき、骨となり地へと沈む。

 

 この怪異現象は一部の種に限って、海の中でも行われた。

 何が起きているのか誰もわからなく、事実上、今後一切、知る者はいないのである。


 石喰いは個としての自分、種としての自分の存在が消えることにおびえ、計り知れない巨大な影を見、恐怖を感じていた。

「俺は死なねえぞ。 最後の一匹になろうと、死なねえ。

 恐怖だろうとなんだろうと、すべてを喰らって生き延びてやる」

 どこに向かっているのか、自分でもわからずに歩き続けた。

 その先に自分の求めているものがあった。

 しかし、それはすでに、自分の知る者とは違ったかたちで、地に伏していた。

「赤目・・・・・・」

石喰いは赤目のもとまで歩み寄った。

「赤目、てめえもか?」

 地に添う姿で横になっている赤目は、力なく、色の失った目で石喰いを見る。

 その目にもはや以前の覇気はなかった。

「死肉を喰らえ! そして俺と戦え!

 俺の肉を喰らって生き延びろ!」

 赤目の目は石喰いを見ておらず、通り越してその向こうを見ていた。

 何か見えているのか、何も見えてはいないのか。

 そのままの状態で口を開き、赤目は語り出した。

「争い、奪い、喰らいあう。 それが俺達の生だ。

 ここで生きていくには、俺達には何か重要なものが欠けている。 大切な何かが。

 そこにいる者よ、聞いてくれ。

 ついに俺にはわからなかった。

 ほかの者達もそうなのだろう。

 自らの生を歩んでいけなくなったのだ。

 もし、お前がこの絶望的な周期を乗り越えることができ、そして俺達に得ることのできなかった何かを智り、それを持つことができたのなら。

 伝えてほしい。

 この地で生きる者達に。

 俺達の生の軌跡と、己の生の意味を。

 ここに生きて存在する、命の何たるかを!」

 

 今まで血以外のものを流したことのない石喰いの目から、熱い何かが流れ出した。

 それはどこから出てくるのか、とどまることがなかった。

「立って俺と戦え。 それが俺達の意味だ。

 それじゃあ駄目なのか? なあ赤目よ」

 赤目の上に水滴が伝わって、流れた。

「・・・・・・・・・・・・石喰い、俺はもう、疲れた」

 赤目はそれ以上何も口にすることはなく、そこに何があるとでもいうのか、ただ宙を見つめ続けた。



 


 地響きが鳴り、足をすくわれた石喰いは、これで何度目だろうかと考えた。

 世界が揺れていた。

 大地が鳴動し、山々が火を吹き、灰が空をおおった。

 石喰いは切り立った山の斜面を一人、登っていた。

 降りしきる灰を浴びながら、上へ上へとひたすら登った。

 そうすることにより、少しでも何かに近づける気がした。

 上へ行くにつれ、空気は薄くなり、気温が下がる。

 息がとぎれ、頭が朦朧とし、手足に痺れがくる。

 しかしそれは関係なかった。

 自分の意志ではなく、何かに体を動かされ、それを遠くで見ている感覚があった。

 ただ機械的に体が動いている。


 雲を突き抜けると同時に、大きな風がひと吹きし、石喰いを襲った。

 唐突に空が広がり、青に目を奪われた。

 どこまでも広がる空の片隅で、白色の何かが光っているのが見えた。

 光は少しずつ強まっており、大きくなってゆく。

 光が自分に向かって近づいてきていることを、石喰いは悟った。

 尾を引いて接近する光に向き合い、心を研ぎ澄まし、五感を超え、自己を解放した。

 

 石喰いの中に、何かが入り込んできた。


 一切の万有を含む無限の広がりが自己の内へと流れ込んできて、どこまでも許容しながら、自らも無限の広がりへと溶けて全となった。

 そこには時間、空間を越えた、あらゆるすべての事象が在った。

 事象は情報となり、石喰いはすべてを識った。

 

 目の前にある白光が石喰いを照らし、包み込む。

 石喰いは目をそらすことなく光に向かい、その先に見える世界へと、想いをとばした。

「今より遥か遠く、俺達に代わってこの地上を支配している生命よ。

 生きる力を身につけよ!

 我々すべての生命は、滅びの因子を内包し、この世に生を受け存在している。

 力のつかい方を間違えるな。 

 道をたがわず進め。

 ここは一切が突き放された無情の世界だ。 それは意識の次元の中に生き、その上を進みゆく生命にとっては、容赦のない厳しさを持っている。 

 だが、それこそが唯一無二の絶対なる愛。

 幼き者達よ、この宇宙は喜びも悲しみも、希望も絶望も、愛も憎しみも、あらゆるすべてを包括し、活動している。

 意識より生まれた概念にそぐわぬ事象に巻き込まれ、翻弄されようとも、恐れずにゆけ!

 哀しみ、怒りは胸の裡に秘め、常に笑いの面を向ける、阿修羅たる生命となり、生き続けよ!」

 急速に引き戻される石喰いの意識が、肉体へと帰還する。

 そこに光があった。

 聞いた事のない轟音が耳をつんざく。

 肉体が白い光に抱かれ、白一色に世界が包まれた。



 

 


 これより先、しばらくの間、世界は闇におおわれることとなる。



 

 


 灼熱の時期が過ぎ、その後、永きにわたって地上は氷河におおわれ、冬の時代へと突入する。

 この期間に多くの種が失われ、生き残った恐竜達も、次第にその姿を少なくしてゆき、ついにはその河は途切れることとなるのである。





 


 

 


 


 豪雨の嵐が止み、地表にかぶさった厚い雲より星々の光が射し、月光がやさしく世界を照らし出す。

 もとは巨大な生物であったであろう、その名残の骨の数々が、大地に身をうずめていた。

 雲間より覗く月輪を、一本ひともとの長き角が貫き、黎明を願う姿となって映し出されていた。

 その角の上を、ねずみに似た生物が行き交う。

 

 命の活動を閉ざすことなく、生命は脈々と受け継がれてゆく。

 新たな命が星に宿る、時代の始まりであった。




                                                    ― 完 ―

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[一言] 詩のような雰囲気と独特の呼び名で描かれる恐竜の組み合わせが新鮮でした。
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