多恵さん 旅に出る Ⅹ
六色沼も暑い夏を何とか乗り越え、10月も半ばを過ぎる頃になると、薄々ながら秋の色が忍び込んで来ているように見える。
この夏休み前、何と真理に我が高校に来てくれと声がかかったらしい、それも2校もだ。本人は母の、彼女から見れば祖母の影響を受け、演劇は中学まで、高校からは科学者になる為の勉学に励むと決心しているので、お断りするしかないのだが、その代わり他の、特に敦君の演技が素晴らしいと推薦の返事を書いたのだが、敵もさるもの、我が校にみんなで見学に来るようと書いて来た。勿論山岡先生にもだ。夏休みの前の演劇披露の際には、両校とも見学に来る熱の入れよう。仕方なく真理も学校見学に付き合うしかなかったようだ。そして今次なる話、最後の一葉で有名なオーヘンリーの短編物の台本に取り込み、今その稽古中だ。
電話が鳴った。
「城下ですが」
「え、城下さん、如何したの、何かあったの?」
同じ絵画の会に属する仲間だが、どちらかと言うと神社仏閣を得意にする人で、今まで一緒にスケッチしたことはない。
「ねえ、河原崎さん、あなた京都、興味ない?」
「は、京都ねえ、日本人だから京都に惹かれないと言ったら嘘になるわねえ」
「わたしは神社やお寺が専門だから大いに惹かれるわ
「そりゃそうだわね、わたしはそこまでは行かないわ」
「でも秋の京都は素晴らしいわよ、神社やお寺を抜きにしても」
「ふうん、そう聞くわねえテレビなんかでもやってるし」
「実物はもっと感動するわよ」
「つまり早い話が、わたしに京都に行けと言ってるのね?」
「そうそう、わたしと一緒に京都に行かないかとお誘いしてる訳よ。あなたが前に描いた鎌倉の画を見たけどさ、萩の合間にお寺がチラホラ描いてあったわよ」
「ああ、あれねえ、うん、萩の花を描きに行ったんだけど、バックにどうしてもお寺が入っちゃうのよ」
「まああなた、随分神社仏閣に対して冷たいのねえ」
「ああ、御免なさい。わたしさあ、自然がメインだから建物、神社仏閣含めてそれらはわたしの画にとっては風景の一部に過ぎないのよ」
「一部と言いながら愛情こもって描けてたわよ、ほんと」
「ヘヘ、ありがとう、描くにあたってはどんなものでも愛情込めて描くわ」
「少し棘のある言い方だけどまあ好いわ。どう、わたしと一緒にこの秋京都に行かない?今なら外国の観光客が少なくて思う存分、絵が描けるわよ」
「うーん、そうねえ、でも他に居ないの?田尻さんや石橋さんも神社やお寺得意じゃなかった?彼女らなら喜んであなたに付いて行くわ」
「春に誘ったのよ、京都じゃないけど、そしたらさ雨にたたられちゃって、三日もよ。予定が大幅に狂って酷い目にあっちゃたの。その話を聞いた三宅さんが教えてくれたのよ、あなたが晴れ女だって事」
多恵さん、大きな溜息をつく。
「それは嘘よ、デマだわ。この間行ったツキカワでも少し雨に降られたのよ。それに雨に降られたのは良く天気予報を調べて行かないからよ」
「でもさ、宿を予約する日の天気予報何て分かんないじゃないの」
まあそれはそうだ。
「あんたが行くとなれば田尻さんや石橋さんも来ると言い出すかもしれないな‥彼奴ら雨に祟られたのは私のせいだと思っている節があるから」
「もう、わたしが行って雨が降っても知らないから」
「と言う事は一緒に行ってくれるのね。だったら宿は顔見知りの所があるので格安で泊まれるし、そのほかの計画もどんと任せなさい」
「わたしはなるべく建物じゃなく木々や山、水辺があるとこが良いなあ」
「ええ仰せの通りに手配いたします」
「本当?なんか怪しい」
「そんな事はないですよ、ちゃんとやります、まその間に神社仏閣が見え隠れするけどね、ハハハ」
「やっぱり!」
「大丈夫大丈夫、期待は裏切りません、指切った」
と云う訳で京都行が決定。案の定田尻さん、石橋さんも行くと言う電話が入った。
予定日は11月の十日過ぎと言う事に決まった。
「丁度見ごろで目が覚めるようよ」と城下さんは太鼓判を押す。
「晴れた日と雨曇りの日ではモミジの色が違うわ。あなたが来てくれたら晴間違いなし、これは良い絵が描けそうよ、楽しみ楽しみ」
「もう、わたし責任取らないから」
そうだ、あいつらに一応お伺いを立てねばなるまいと、六色沼に行く。ここに来ても前みたいに幽霊さん達が湧いて出て来る事はないが、呼び出すのにはここが一番だ。
杉山君が現れる。
「はいはい、御用でしょうか画伯?」
相も変わらずテニスウエアとラケットを手にしている。
「まだテニス続いているの?」
「はい、続いていますよ。何しろ門弟が増えたもんでおじい様大喜び、お眼鏡にかなったものをピックアップしてハードトレーニング中です。で残ったものはグループ作って対抗戦。終わる事がありません」
「へええ、でもピックアップしてどうする気かしら?」
「何か国際試合をするらしいですよ、幽霊社会もグローバル化してきましたね」
「ふううん、これじゃあ当分あの世には戻らないわねえ」
「戻るどころか忘れていらしゃるんじゃないですか?」
「戻る事を忘れたと言う事で思い出したわ、おばあちゃんはどうしてるのかしら?全然顔を見てないけれど」
「はあ、それは一向に知りません。おじいさまはそれさえも忘れていますよ」
「うーん、ま、死んでしまえば元夫婦だろうが元恋人だろうが本当は関係ないんだけれど、でも少しの間は気にかけて欲しいわね」
「ええっ、そうそうなんですか?もう一緒に居る必要はないんですか?それに愛する必要もないんですか?」
「多分ね。でも大抵の人が死ぬ前に愛した人や過去に愛した人をそのまま愛し続けてると思うわ。そうじゃなきゃ寂しすぎるじゃない?」
「そりゃそうですが、生前に縛られることはないんですね・・・」
「何を考えているの?余り良い事ではなさそうね」」
「いえいえ、べ、別に」
「先に死んで行った者は後に残された者の事を思う、それはごく当たり前の事だわ。だからあなたも残された家族の事を気遣いなさいな、本当はテニスに現を抜かしている場合じゃないわ」
「はあ、済みません。別に現を抜かしてる訳ではありませんが、行きがかり上こうなってるだけなんです
それに・・幸恵達は今の所何の心配も要らないみたいですし、娘にも何だか毛嫌いされているみたいだから」
「娘さんはそういう年頃なのよ。も少ししたらきっとお父さんが恋しくなるわよ」
「じゃあそれ迄待つ事にしましょう、ハハハ」
『仕方がないわねえ。あ、一応報告ね、この間黙って行ったとむくれていたから」
「あ、と言う事はどこか出かけるんですね」
「ええ、今度も一人旅でもないし、あの柏木さんと一緒でもないの。神社仏閣を得意にしてる画家仲間から誘われて、11月の中頃に京都に行く予定なの」
「京都ですか、良いですね。お酒は旨いし一流処の料亭や旅館もある。それに和菓子も旨い、漬物も最高だし、他に・・そうそうお茶も良いですね」
多恵さん、あきれて杉山君の顔をぽかんと見つめた。
「あなたの頭の中には食べ物しか詰まっていないのかしら?これじゃあ幽霊家業から抜け出られないわ」
「へへへ、すみません、何しろこの所美味しい酒にも食べ物にも全然ありついていないので」
「あら、おじいちゃんはお酒もご馳走も興味ないの?」
「ない事はないでしょうがそれさえ忘れていらしゃるようですよ」
「うーん。さすがスパルタの騎士だわ、霊には食べ物も飲み物も本来不要の者なんだから」
「でも、みんな心の中では不満が溜まっていますよ、いつ爆発してもおかしくない程」
「そうか、彼らはあの世にも行けない幽霊さん達なんだ・・・じゃあ。わたしをおじいちゃんのいる所に連れて行って頂だいと言いたい所だけど、そう云う訳には行かないわね。じゃあ、おじいちゃんをわたしの所へ連れて来てよ、わたしの事は覚えているんでしょう?」
「はあ?ハハハ、いくら何でもそれはないでしょう」
「じゃあ、わたしが緊急に会いたいと言ってるとかで、連れ出してちょうだい」
「うーん、上手く行くかなあ。ま、挑戦してみる事は見ますがね」
自信なさげな顔をして杉山君は消えて行く。
多恵さん六色沼を見渡した。大丈夫、今日はあの日のように悲しげな表情の幽霊さんはいないようだ。彼女は今父や他の女性の幽霊さん達と一緒に北海道などを満喫中だ。彼女の心が早く孫の許しを得られ、安寧の日々が迎えられるように祈るばかりだ。
杉山君が戻って来た。勿論、おじいちゃんも一緒だ。それに蕎麦屋のおじさんも良介さんもおまけに天使の誠君迄も引き連れて。
「な、何かあったんか、多恵ちゃん。どこか悪うなったのか?」
おじいちゃんが心配げに尋ねる。
「大丈夫よおじいちゃん。この頃随分ご無沙汰だから、顔を見たくなったのよ」
おじいちゃんの嬉しそうな顔。
「それはすまんかったなあ多恵ちゃん。忘れた訳ではなかばってん、ちょっとテニスに夢中になりすぎてしもうて、多恵ちゃんの顔ば見に来るのば忘れとったばい、ハハハ」
「ねえおじいちゃん、あのさ、おじいちゃんが今教えているのは,殆どがあの世に行けない幽霊さん達なの。彼らはね、この世の未練が強すぎて、特に食べ物への愛着が凄いのよ。だから、おじいちゃんには必要ではないと感じられるかも知れないけど、食事や時には酒盛りが必要なのよ」
「はあ、そう言うもんかなあ。お腹は全然空かんし、疲れもなか。稽古すればする程うもうなる。こんげんよか事は、なかと思とった」
「でさ、おじいちゃんの周りの幽霊さん達、今ね、沸々と不満が溜まっているとわたしは思うんだ。どう、時にはその不満を吹き払うために大パーテーを開いてみたら如何かしら?きっとみんな喜ぶと思うし
その後の稽古にももっと熱心になって腕も上がると思うわ」
おじいちゃん、じっと多恵さんの顔を見る。
「おいもこの頃、みんなの腕が前のように上がらんと思とったとこやったが、そう言う事だったんか。でも、その大パーテーと言うのはどげん風に手筈を付ければ良かとやろか?」
多恵さん、彼女の周りにいる幽霊3プラス1の面々を見渡す。
「それは彼らに頼めば直ぐに整うわ、おじいちゃんが口を出さない限りわね」
「おいはそんげん事に詳しゅうなかけんで、口を挟む訳がなか」
「じゃあ決まり、みんなで手分けして今夜にでもパーテーが出来るようにして頂だいな。うんと楽しいパーテーになるようにね。あ、それで思い出した、おじいちゃんはカラオケ好きだったわよね、それ披露したら?」
「カ、カラオケ?うーんそいば忘れとったばい。でもさあ、おいの知っとる歌は昔の歌ばっかりばい。この頃言うか、死んだ後にどんげん歌が流行っとるか知らんばい」
「みんな同じようなものよ、今夜はとりあえず昔歌ってたものを披露しあい、その後でカラオケ、稽古する時間を設けて、みんなで新しい歌を覚えて次のパーテーの時に披露すると好いわ」
「うんそりゃよか、テニスの稽古ばかりじゃ面白なかやろけん、そう言った他のもんも稽古する時間も必要やろうとおいも思うばい」
「良かった、おじいちゃんが物分かりが良くって」
「ハハハそうだなあ、死んだら時間はたっぷりあるけん、もっとゆったりと過ごさなくっては遺憾やった。多恵ちゃん、ありがとう」
「じゃあ今日は一先ずこれまでにしましょうか?その後の事は又明日にでもと言う事に」
少し不満そうな顔つきの杉山君に言い含めて多恵さんはみんなにさいならした
家に帰ると?お客さんがいるようだ。
「おばあちゃん!それに・・・」
「うちの友達ばい。こっちが真田さんでこの人が小川さん。うちはさあ、真田さんだけでよかと思とったばってん、小川さんも行く行くと言うて煩さかもんやっけん、連れてきたとよ」
「はあ一人揺れて来るも二人連れて来るも同じじゃないの、まあ、お二人さん、生前は内の祖母がお世話になりましてありがとうございました」
真田さんと言われた方は細面の顔をしていて小さく微笑み、小川さんと紹介された方は丸顔で快活に笑って挨拶した。
「初めまして、と言っても真田さんは多恵ちゃんの小さい時を知ってるらしいけど、まあ小さい時の事は覚えていないから、初対面みたいなもんやねえ、どうぞ宜しくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
「でもおうちさあ、よかとこに住んどるねえ、羨ましか」
小川さんがしゃべり、真田さんは小さく頷く。
「はい、わたし画家をしてまして、夫が無理してこのマンションを購入してくれました」
「そいは良か旦那さんばい、大事にしてやらんばいかんよ」
「なんばしよらすと?」
「はい、大学で哲学を教えています」
「さすが由美ちゃんの婿さんばい、大学教授ばしよらすとねえ」
「いえ、教授じゃなくて准教授です。昔で言う所の助教授です」
「助教授も教授も同じようなもんたい、ハハハ」
多恵さん、心の中でうんざりする。
「同じなもんね、貰うもんが違うとよ、全然」
何と多恵さんに成り代わっておばあちゃんが答える。
「でもその内教授になんならすとやろ、楽しみねえ。でも少ーしばっか煙とうなか、一緒に暮らしててさあ?」
「いや全然、よか人ばい。直接話は出けんけどさあ、そばで聞いとった塩梅では、なあんも煙たか話なんかしよらさんよ」
「へええ、そうね、そりゃ良かねえ、どげん人かはよう見たかあ」
良く見ると祖母はコーヒーを入れてみんなに飲ませているし、買い置きのクッキーも出してある。
祖母は紅茶よりもコーヒー(インスタントだけど)派なのか?
「おばあちゃんは紅茶よりコーヒー派なの?」と一応聞いてみる。
「いや、コーヒーが一番簡単かもん、なーんも考えんでも入れらるっしねえ、後は佐藤とクリープでごまかせば良かもんねえホッホッホ」
他の二人も笑う。うん、忙しい年月を生きて来た戦前の普通の女性には、手っ取り早く出せたり、飲めるインスタントコーヒーは魔法の飲み物だったに違いない。
「子供は何人おらすと?」
「はい、女の子が一人です」
「一人じゃ少くなかね、もう一人ぐらい欲しかったとじゃなかと?」
「今はどこも一人か二人ばい、一人でも出来れば上出来とせんばねえ」
「そういう時代よねえ、今に日本人はおらんごとなるとじゃなかと」
三人は大きな溜息をつく。
「ああ多恵ちゃん、わたし達はほっといて良かよ、あんたは絵ば描いとらんね、うち達はうち達で勝手にやるけんでさ」
ばっちゃんが多恵さんをうながす。
「わたし、喉乾いたから、カルピス飲んでから行くわ」
多恵さん、冷蔵庫を開けて桃のカルピスに冷水を入れる。
「へー、今は白かカルピスじゃなかとねえ?」祖母が尋ねる。
「勿論白いのもあるけど、他にもイチゴやメロン等、色んなのがあるわよ。長崎のスーパーにも売ってるわよ。今の所わたしはこれがお気に入りなの」
「へーそうね、うちも試しに飲んでみようかね」
祖母は幻のガラスの器に幻のカルピスを作る。ごくりと一口飲む。
「うまかあ!ほんとに桃の味がしよるねえ。真田さんも小川さんも作ってやるけん、飲んでみんね、ほんとに美味しかけん」
祖母はいたくその味が気に入ったらしく、幻のカルピスの原液と冷水をもって二人が待つテーブルへ向かう。
多恵さんはカルピスを飲み干すと「失礼」と一言言って、仕事部屋へ向かった。
先日行った木のむらキャンプ場の方の奥で見つけた小さな滝を描いてる途中だったのでその続きに取り掛かる。10月に入っても中々涼しくならなくなったこの頃、窓を大きく開け放ち、心は男性となって豪快に水しぶきを描いて行く。我ながらすこぶる気持ちが良い。
「良う描けとったい、本との滝ば見よるごたっよ」
祖母の声に吃驚して振り返る。
「ああ、御免ね、あんたの絵ばちょっとだけ見とうなって覗きに来てしもうた」
「そんな時には声をかけてねおばあちゃん、細かい所をやっている時だったら、筆先が間違えてしまうかも知れないんだから」
「ほん、これからは気ば付けるけんね。でもあんたは誰に似たんだろうねえ、うちの早よ死んだ爺さんは鼈甲の細工師だったから、職人としての絵はうまかったけど・・ああ、おうちのじいちゃんも確か戦争か海軍の兵学校に入る時に故郷の菱刈に虎か竜の絵を残して来て、その絵がまだ公民館に残されていると由美から聞かされたことがあったような・・あん人はそげんことはなーんも話してくれんやったけん、うちはなんも知らんやった」
「おじいちゃん、お母さんが小学校の時、公園の鳥小屋をスケッチする時、人は描かんでも良かと言って指導したんだって言ってたよ。それで落選したんだけど,母は入選した子達が描いてる所を見てたけど、どの子も親が付きっきりで指導してたり、手を貸しているのを見たんだって。今考えると一切手は貸さなかった父は偉かったと言ってたよ」
「まー曲がった事が大嫌いでねえ、世渡りがホントに下手やった。同僚でね、郷土史で有名になった人がおってさ、その人の事を彼奴は狡い、勤務中に仕事場のものを利用して、それを売り込んで有名になりよたってよう言いよらしたとよ」
「そう、曲がった事が嫌いだったのねえ」
「そうそう、肝心の由美の事忘れとった。由美もある程度は絵も上手だったわねえ、おうちのごとものすごう上手じゃなかけどさ」
後ろから他の二人も入って来る。
「お邪魔しますよ。わー上手かー!ほんとにほんとに上手かねえ、由美ちゃんも上手かって娘が言ってたけど、こりゃ上手かを超えとるばい」
「小川さん、そいは上手かの安売りばい。他に表現でけんとね?」
多恵さん真田さんの声を初めて聴いた様な気がした。
「じゃあおうちなら何と言うね」
「えーと。他にどげん言い方があるかなあ・・ねえ福井山さん」
「そうねえ、素晴らしかとかすごかとか、他に・・滝だったら勇壮かとか豪快とか、緑の世界がったら爽やかとか心が洗われるとか花だったら・・・」
「ああもうよかよか、その絵に応じて変えて行けば良かとやろが。せからしか、ぜーんぶ上手かで話は通じるばい,上手かでうちは行くもんね」
「あんたたちの入って来たもんやっけん、多恵ちゃんの手の止まってしもうた、はようここから出て行かんばいかん。悪かったねえ多恵ちゃん、これから由美の所に行くからさ、また後で」
「え、由美ちゃんとこ行くの?由美ちゃんはうち達は見えんとじゃなか?」
「でもさあ、あの子はわたしの事を一番思っているから行かん訳にはいかんとよ」
「そ、それはそうよ、行かん訳には行かんよね」真田さんが賛同する。
「で、でも、ここの主人、多恵さんの旦那さんの顔も見てみたかったあ、どげんよか男かおうちも気になるやろ?」
「そりゃ気になるばってんか、それは後から来れば良かやかねえ。それより多恵ちゃんの邪魔になるほうが」
「うんそうだね、そうしよう。じゃあ多恵ちゃん邪魔をしたねえ、少しの間、さいなら」
「じゃあねえ」
三人とも消えて行った。
その日の夜、その三人組は又現れた。椅子には掛けられないので壁や天井に浮いたり張り付いたり忙しい。電話が鳴った。多恵さんが出る。多恵さんに城下さんからだった。
「あー良かったあなたが電話取ってくれて、大学教授が出てきたらわたし、何と話して好いのやら」
「だから准教授なの。それに教授だって普通に話せば良いのよ、何もかしこまる必要はないわ。で旅行の日程が決まったの?」
「ああそれは大体ね。でも今日電話したのは日程じゃないの、割り込みが入ったのよ」
「えー、割り込みですって。どう言う事、単に人数が増えたんじゃなくて?」
「うんまあ人数が増えた事には間違いないんだけどさ・・」
「何よ奥歯に物が挟まったような言い方」
「ヘヘヘ、あんた、ご亭主持ちよね?」
「ええそうよ、それが今回の旅行に関係あるの?」
「わたし達には一向に関係ないと思うんだけど、あなたのハズがどう思うか問題なのよ」
「なあにわたしのハズ?ハズがどう思うかが問題ですって、それなあに?」
「へへへ、実は今度の話を聞きつけた男性諸君と言っても二人、川平さんと岩国さんだけど、あの二人があなたが行く京都旅行だったら、是非一緒に行きたいと言い出したのよ」
「あの人達神社仏閣専門だものねえ・・・京都旅行だったら行きたいと言うのなら分かるけど、わたしが行く京都旅行に行きたいと言う意味が分からなうわ」
「それはあなたが晴れ女として有名だからじゃない」
「あのね、それ困るなあ。本当に本当にそれは偶然の一致なんだから。それにこの間の旅行だって途中雨に降られたんだから。嘘だと思うんなら三宅さんに聞いてみて?」
「あーら三宅さん言ってたわよ本当なら土砂降りになる所、にわか雨で済んだって」
「えー、そんなあ。兎も角雨に祟られてもわたし、知らないから」
「で、川平さん達一緒に来てもいい?ハズさん怒らない?」
「ああそれねえ‥分かんないけど‥あとから聞いてみる。もし彼が嫌がったら折り返し電話するわ」
そう言えば前に川平さんの話が出たような・・あああれは那智大社等を訪ねた時だったかしら、と多恵さんは思いを巡らせた。
「ああ良いよ、相手もちゃんとした画家だろう、しかも神社仏閣を専門に描いてるんだ、何も問題ないんじゃないか?女だけで行くより用心棒付きで行く方が反って安心だろう、ハハハ。多恵さんがいれば、そう言った心配は無用だったな」大樹さんあっさり承知した。
11月に入る頃からやっと気温も下がり秋らしくなって来始め、周りを見渡せば木々の緑の色も鮮やかさを失い、どことなく赤みを帯びて来たなと感じられるようになってきた。
幽霊さん達はあの大パーテーの後も時々食事会や飲み会を開くことが許され、不満も消え、練習にも熱心に取り組んでいて祖父も満足していたし、祖父そのものが昔、カラオケで歌っていた事を思い出し、飲み会で披露することを密かに楽しみにしている節があるようだ。
そうそう、祖母達はどうしたか?暫くは母の所に行ったり来たりしてたが、次に取り組んだのが着物や洋服を整える事だった。祖母は葬式の日から早々と派手なダンス用のドレスに着替え、その後も行く先々で好みの服を手に入れていたから、この世になじんでいると言うか、凄くマッチしていたが、後の二人は白い葬式用の着物であの世から戻って来ていたのだった。もし他の人達に見えるとするなら、幽霊に間違われても仕方のない姿なのだ。
「おうち達ねえ、あの世と言っても、もう少し綺麗にして過ごしたら良かったやろうが、何とかならんやったとねえ」
「でもさあ、おしゃれしてもなーんも張り合いがなかもん。このままいても、誰も文句は言わんけんね、、へー死んだ亭主さえなーんも言わん。その亭主も白か着もんのまま、あっちこっちほっつき歩きよるもんね、ハハハ」と小川さん。
「う、うちも何も気にかからんけんこのままで過ごして来たけど、なんかこの頃、このままじゃあ少し恥ずかしかって思うようになって来たとよ」真田さんが細く小さな声で言う。
「それが普通ばい、小川さんも早う目ば覚ましても少こうしおしゃれと言うか、身だしなみ程度にはした方が良かと思うよ」
「うん、それは思うけどさあ、先立つものが。おうちさあ、えらい綺麗にしとるけん、ゆとりのあっとやろ、少し用立ててくれんね、あの世に帰ったら亭主ばせっついて何とかさせるからさあ」
「なんば言いよっと、うち等は 死んどっとばい、お金はかからんと。どんげん高か着もんでも有名なブランドの洋服でも着たかあと思えば、その現物があればそのイメージを頂いて着ることが出来るとよ、イメージだけだからタダなの、タダ」
「へっタダ、タダなの?」
「そうよ、おうちの好きなタダ、なーんもお金は要らないの」
「うちもタダ好き、タダより安かもんはなかもんねえ」真田さんも割り込む。
「じゃあさ、それを手に入れる為にどっか・・・思い切って銀座に行こうか、それとも新宿かな、若返って原宿あたりかな?」
「ぎ・ぎ・銀座に行けるの、こんな格好で」
「まーた何んば言いよらすと、さっき迄おしゃれには関係ない、死んだままの姿で良かと言ってた人がさ。だーれも見えんとよ、多恵ちゃん以外は」
「そう、そうだったわねえ」
「私以外にも見える人いるかも知れないけど」多恵さん一言。
「じゃあさ、銀座はよして新宿辺りにする?」
「いや、いやよ。折角好きなものが着られるっとなら銀、銀座に行きたか、む、昔からの憧れたい」
「わたしも銀座に行きたか、銀座がどんなとこか見てみたかもん」真田さんも必死で訴える。
「じゃあ銀座に決まり。ここから本の一飛びで行けるわよ。じゃあ多恵ちゃん暫しの別れね、バイバイ」
三人が消えて行った。静寂が戻り多恵さんはもう直ぐ搬入の日が近づいた絵の仕上げにかかる。
この3人が戻って来たのは何とその日も終わりに近づいた11時であった。その時居間のテーブルでは大樹さんが本を読んでいたので、三人は多恵さんの仕事部屋に押し掛けた。多恵さん驚く。さっき迄はしょぼくれた白い着物姿の年寄りだったが、今多恵さんの目の前にいるのはすっかり若返り、髪も化粧もそして勿論洋服も最新流行の物を自分の物とした三人の姿だった。
「ヘヘヘ、多恵ちゃんも驚く我らの姿、でしょう?」
「ええ驚いたわ、変わるとは思ってはいたけどここまで変わるとわねえ」
「先ずはみんなさあ若返ろうと言う事になって小川さんは何と中学性位に戻ったとよ」
「いやね、うち達の若い頃はもう半分戦争に足突っ込んでたからさ・・・それに戦中、戦後、若かった時にはおしゃれどころの話でななかったもん、髪振り乱してその日を生きるのが精一杯やった。幾ら若かった時が良か、綺麗か時期と言われても、うちの中では汚のうしてた頃やもん。そんげん頃には戻りとうなか。でさ、15,6歳ぐらいがまだおしゃれが許されていた時期やったから,その頃に戻ったと言う訳やかね」
「でさ、時代を戻る訳じゃなか自分の年だけを戻るんだから心配要らん、その年齢でも良かばってん、おうちの旦那が気が付かんかも知れんと言って25,6位に戻したと。反対に真田さんはせいぜい戻してうちと会った頃の40歳、だから思い切ってもっともっと若返れと呪文を唱えて若返らせたのよ。はー苦労したばい」
「ご、ごめんなさい」真田さんが小さくなって謝る。
「で次に髪と化粧をどげんかせんばいかんと言うて大きなそりゃあ綺麗か美容院に入って行ったと」
「へーもう三人とも心臓ドキドキでさあ、幾ら若返ったとは言うてもさ、こんげん汚か、みっともなか恰好をしたうち達があんげん綺麗かとこに入って良かやろかと思うてね、ハハハ」
「それでお客さんがやってもらっているヘヤースタイルでそれぞれ好みの髪型を失敬させてr貰ったと。ついでに化粧もね」
多恵さんなーるほどと三人を見比べる。
「今度が本番の洋服探し。でもさ、金はかからないし、幾ら着替えても良いんだから、目につくお店に片っ端等入って気に入ったもんぜーん部着てみたんだ」
「それでそれぞれが気に入った洋服が今着ているものと云う訳」小川さんがモデルぶって多恵さんの前を歩いて見せる。
「ええ、3人とも良く似合っているわ」
「それだけじゃないわ、ほら靴もハイヒール、死んでる身には幾らヒールが高くても足痛うなかもんね」
「バックもネックレスも指輪も・・これは少し後ろめたかったけど、イメージイメージと言われて・・」
真田さんが申し訳なさそうに呟く。
「本当はもっと大きかサファイアのが欲しかったらしいけど、この小さいのにしたんだって。うちは遠慮せずにお店で一番大きかダイヤのネックレスでしょ、それに指輪、如何、似合ってるかしら、ウホッホホホ」小川さん高笑い。
「うちはそんなに欲深くなかけん、その店にあったオパールがそりゃ綺麗かもんで、オパールの指輪と真珠のネックレス、これは真田さんとおそろいばい」と祖母は真田さんと顔を合わせてニッコリ。
「それから銀座を歩き回ったの?」
「そりゃあおしゃれの最高峰を手に入れたんだからさあ、大威張りで銀座を闊歩したわよねえ」
「でもさあ、だーれも振りむいてくれんとよ。幾ら相手が見えないと言いながら、張り合いのなか事ねえ」と小川さんが嘆く。
「あ、言い忘れていた、匂いは大丈夫なのよ。香水か、オーデコロンを付けて歩けば仄かに香って気付く人は気付くと思うわ」多恵さんが知恵を授ける。
「えー、なんで早う教えてくれんとねその専門店もあったし、化粧品店にも売っていたのに」
「ようし、明日行ってなんかいい匂いのするもの見つけて付けて銀座ばさらいてやろうかねえ」
「でも振り向いてもらっても、おばあちゃんたちの姿は全然見えないのよ」
「それは分かっとる。分かっとるばってんかさ、気分の問題やもんねえ。折角おしゃれしても誰も振り向いてくれんやったら張り合いのなか、ほんとにさ」
「でがっかりしながら今まで銀座の街をさらきよったの?」
「ハハハ、そげん事は一時の事やかね、あっちこっち覗いてさ、目の保養は済んだけん、今度は舌保養ばい」
「銀座には美味しいものが沢山あるから」真田さんが嬉しそうに呟いた。
『本と本と、それにいくら食べても太らないし糖尿の心配も要らない。うちさあ、死ぬ間際には糖尿でさ甘かもんが食べられんで悲しか思いばしよったとよ」小川さんがわめくように話す。
「だからまずは喫茶店に行ってさ、ケーキを物色したんだけど目移りして決められんやったけん、あるもん全部味見してやった、ヘヘヘ」
「はー、それで生きてる時は糖尿になった訳ですね」多恵さん驚いた。
「だからもう死んでるんだからその心配はなかとやろ?」
「はい、それはそうです、心配ご無用!」
『ああ良かった、死んでも糖尿になると言われたらこりゃ悲しかあ」
みんな大笑いした。多恵さん、大樹さんに気付かれるのではないかと少し気になったが。本に夢中な彼は気付かなかったようだ。
「でさ、幾らなんでも甘かもんにはもう飽きただろうと今度は高級寿司店に入って行ったとよ。高級寿司店だからお客さんが初めの頃はいなかったんだけど、その内予約のお客さん達が来てやれやれと安堵したと。このままお客が来なかったら諦めて帰るとこやった」
「で、待った買いはあったの?」
「うん、まああったよ。お客さんは金持ちばかりやからうち達があんまりお目にかからんもんがぞろぞろ出て来てさあ、初めの内は恐々食べよったけど、段々慣れて来て後は遠慮なくどんどん頂かしてもろうたと。でもうちは普通の巻きずしが一番たいね」
「うちも巻きずしが良か!」
「うちも黙とったけど、やっぱり巻きずしの方が美味しか」高級寿司店のご主人が聞いたらがっかりするような事を宣う亡者3人組の奥様方である。
「新鮮か魚なら長崎やもん、幾らでもそこいらにあるし、自分達で買って来れば十分事足りるしねえ」
「それにさあ、マグロよ、マグロをみんな喜んで食べてよったけどさあ、あれはクジラのおのみの方が美味しゅうなか?」
「そうそう、そうよねえ。今は手に入り難くなってしもうたけど、高級店なら美味しかおのみが手に入ったやろに」
「あのねえこっちの人は長崎人がクジラのおのみの刺身を愛するように、マグロの刺身を愛してんの、小さい時から」多恵さん堪りかねて口を挟む。
「その方が良か、もうクジラは幻の食べもんになってしもうたもん。昔は白か茹でクジラもベーコンも安くてさ山ほど変えたのに今は全然、あっても目ん玉の飛び出るくらい高こうなってしもうた」
「うちのばあさんがさ、あん人は贅沢しよらしたけん、おくんちにはヒャクヒロば食べよらしたもんねえでも今はとてもとても」
「ヒャクヒロねえ、あるとは聞いた事はあるけどまだ口には入れた事がなか」
「食べてみたかったーうちも。おうちはおばあさんに食べさせてもらったとやろ」
「小さい時は7人も子供がいてそんなもん口にする訳がなか。ばあさんがそれを買いだしたのは妹の麗ちゃんがお金を入れている3人暮らしの時やもん、別所帯のうちらの口には入らんやった」
亡者3人溜息をつく。
「うん?確かあ由美は一口食べさせてもらったような・・今度由美にあった時聞いといてくれんね」
「じゃあお寿司は巻きずし以外は一応満足して帰って来たのね?」
「うんにゃ、それからが本番やかねえ、折角着飾っているのにさ、こんな格好にはフランス料理が一番似合うと思うやろ?」聞かれて仕方なく頷く多恵さん。
「まあ焼き鳥屋とか居酒屋ではないとは思うけど」
「ハハハ、そりゃあなかばい、イタリア料理とかスペイン料理なら少しは考えたかも知れんけど・・でもやっぱりフランス料理がこんげん服には一番似合っとると思ってさ、銀座一番のピカピカの高級そうな店に入り込んだのよ」
「寿司屋の時も心臓ドキドキやったけど、その店に入る時もどっきんどっきんよ」
「うちは入るの止めようかと思ったわよ」真田さんが言う。
「それをさ、うち等で両方からしっかり押さえて入って行ったと、ハハハ」
「でもさ、中に入ったら外も凄かったけどさ、そりゃあ中の方が数倍も凄かったもんねえ」
「ここは天国って思うたばい、天国はさうち達みたいなもんは入れんから、よー見とかんばいかんねえと言って、まずは見学たい。トイレも化粧室もうっとりするほど綺麗かったし、室内装飾と言うとやろか、絵も多分上等かとの飾ってあったけど、悲しか事にうち等にはさっぱり分からん絵やった」
「あれなら、多恵ちゃんの絵を飾ってもらえば良かったとに。多恵ちゃんの絵ならうち等にも良ーくわかるし、素敵だなあと思うとに」
「うちも多恵ちゃんの絵の方が数倍好きだし、綺麗かと思う」
「ありがとうございます。でも多分、それは現代の最先端を好く絵だと思われますので、それはそれで良いと思います」
「調度品も良かもんが一杯、人形もランプもあって、持ってこれるもんなら一つくらい持ってきてやりたかったよ」
「はあ、ありがたいですけどそりゃ泥棒さんがする事で、良い魂がする事ではありませんよ」
「ハハハ、冗談に決まっとるやろが。客が入って来たのでうち等もその横のテーブルを陣取ったと。その椅子も素敵でねまるで王様かお姫様になった気分よ」
「残念ながらうち等にはそのかけ心地は全く分からんのが悲しかねえ」
「うちも生てる時に一度で良いからあんな椅子に座ってみたかった」
「なんば言いよっとね、入るのさえ躊躇してた人が」
「あれはあれ、これはこれと言うやかね」
「まあそう云う事にしとこうかねえ。真田さんも大分この世の贅沢に慣れて来たのかも」
「隣の席のお二人さんが旨い事にフルコースをご注文してくれてありがとさんだったわよ」
「そうそう。男の方が無理をしたのかもね」
「女性に良か所見せようと」
「あら、夫婦かも知れないじゃないの?」
「うんにゃ、あれは夫婦じゃなか、話し方が夫婦の話し方じゃなかったもん」
「この世の中、料金を男が払うと決まってないわ、女の方が金持ちかも知れないし、割り勘かも知れないわ」多恵さん、抗議する。
「分かった分かった、多恵ちゃんの言いたい事は。でもまだまだ男女平等はそこまで来とらんとよ、このカップルも結局男がカードで払っていったわよ」
「でもあの男性、お金持ちだと思うよ、頼んだワインは相当の年代もんで本当に旨かったもん」
「お陰で、すこうし飲み過ぎたごたる」
「あらあ、イメージだけなのに酔う事はあるの?」
「そりゃあ少しはほろ酔い気分にはなりよるよ、すこうしやけどね」
「美味しいものは目いっぱい食べたしお酒、ワインも楽しんでそれで帰って来たの?」
「ハハハ、そうねえ、もう少し見て回りたかったばってんか、ここは引き際が大事かと思ってさあ、帰って来たとばい」
多恵さんにしてみたらこれだけ飲み食いして、何が引き際が大事かと言いたい所だがここは我慢我慢。
「わたし達生きてる人間はそろそろ寝る時間なんだけど、おばあちゃんたちはどうする?」
「へ、生きてるって不便かねえ、寝なくちゃいかんやった。それをコロッと忘れとったばい」
「おじいちゃんたちのとこに行く?」
「うんそうしようかねえ、あん人今なんばしよらすと?」
「うん、今は夜で日も照っていないからテニスの試合か稽古をしてるんじゃあないの?」
「ふうんそうね、あんまり楽しかごとなかごたね」
「うちもテニスの試合ば見てもあんまり楽しゅうなか」
「うちも同じ」
「じゃあ新宿辺りの盛り場にでも行って、カラオケか何か面白そうな物を探して時間つぶしたら」
「それが良か、それが一番たい。じゃあみんなまた一飛びしよう」
「うん、新宿はどっちの方?」
「こっちこっち。ではねえ多恵ちゃん又ねえ」賑やか霊さん達は多恵さんの前から消え去った。
多恵さん、大きな溜息。
「あーこっち迄長崎弁になりそうだったわ」
次の日杉山君を呼び出し、上機嫌な霊3人組を六色沼で引き渡した。
「一先ずおじいちゃんの所に行って挨拶ぐらいはしておきなさいよ、おばあちゃん。それからおばあちゃんの好きな熱海でもどこでも出かけると好いわ」
「そうだねえ、あん人に一言挨拶ば言わんばいかんやろね。じゃあ杉山さん、案内してもらおうか」また3人はアンマリ面白くもなさそうに杉山君を先頭に飛んで行った。
電話が鳴る。城下さんからだった。
「あのさあ、一日目は大原野神社を中心に勝持寺や正法寺を回るわ。どこもきっとあなたの満足が得られるはずよ」
「ふうん、わたし、京都詳しくないから、名前を言われてもねえ」
「そうか、京都市の西の方にあるのよ。そこで一泊して次の日は少し北側に移って嵯峨野の神社仏閣、あなたには竹林や景色を堪能してもらうわ」
「うん、大体わかった。好みの景色に会えると好いけど」
「会える会える、京都よ、秋よ。みんな、外国人さえ目の色変えて、あ、もともと目の色変わってるのか
その彼らがやって来るんだから、あなたが嫌いな訳がない。あなたのお天気女位保証するわ、ハハハ」
その日がやって来る。良い天気だった。東京駅に集合。女4名に男2名。新幹線はそれほど急ぐ旅でもないので光の自由席で行く事になった。日曜祭日を避けた日取りとなっているので、席もゆったりと掛けられる。それぞれ3がけに二人ずつ腰掛けた。
勿論皆朝ご飯抜き。お弁当を買う人もいれば自分で作る人、近くのスーパーやコンビニで買い求めたサンドイッチやパン、おにぎり,弁当などそれぞれの事情に応じて朝ご飯もバラエティー(?)に富んでいる。さて多恵さんは?おにぎりは近くのスーパーで買い求めた物を持参、水稲の中には暖かい実沢山の味噌汁を入れて来た。当たり前だが自分で作ったものだ。
「あ、好いなあ味噌汁美味しそう」城下さんが一言。
「みそ汁は昨日沢山作ったものを温めて持って来ただけよ。何しろ他の家族もいるもんで」
「この中で家族持ちは男二人と女はあなただけか」
「アラーわたし、家族いるわよ娘に息子」田尻さんがいきなりの子供がいるとの電撃発表。
「えー嘘ー」城下さんが叫び声に近い声を上げる。
「ほんとよ、可愛いわたしの子供たち!」
『一体何時からなの、全然知らなかったわ。教えてくれなきゃダメじゃないの」
「そうね…娘の方が先だからもう6年になるわ。男の子は3年前かな」
「三つ違いか‥勿論旦那さんいるのよねえ」
田尻さん、にやりと笑う。
「ふっふっふ、残念でした、シングルマザーよ」
「ええっ、田尻さん、シングルマザーだったの」
「そうよ、家族手当のつかないシングルマザーなの、可哀そうでしょう」
「うん、それが人間の子供だったら可哀そうを通り抜けてるわ」多恵さんが口を挟む。
「何々、人間の子供だったらですって・・・じゃあその可愛い子供と言うのは?」
「多分猫かそれでなければ犬ね」
「わたしは猫だと思う、犬を2匹も買う余裕はないから、田尻さんには」石橋さんが割り込む。
「そう当たり。保護猫なんだけど、今のわたしが命を懸けて守りたい存在なの」
「それで今日はその子達どうしたの?」
「隣のおばちゃんが猫好きだけど。もう年で飼うの諦めていたのが、わたしが猫を飼い出したので大喜びなの。半分は隣の猫みたいなものよ。だからわたしが留守しても大丈夫なの」
「そう、それじゃ安心ね、良かった」
そんな馬鹿話をしている間に京都に着く。
「ここから普通の電車に乗り換えて、西に向かう、と言っても直ぐだけどさあ、向日町駅で降りてバスに乗り換え南春日で降りる」
城下さんが滔々としゃべる。
「そんなに早口で喋っても頭に入らないわ」石橋さんが抗議する。
「それより城下さんの後ろにくっついて行けばいいのよ」多恵さんが言う。
「そう言う事、早く行きましょう」
「その前に画の道具以外邪魔にならないかしら?途中下車してホテルに預けようか、それともこのままいく?いつも利用してる所だから快く引き受けてくれるわよ」
「京都の人は表と裏の顔は違うと聞くわ、わたし達の出かけた後荷物を足で蹴飛ばしていたりして、ハハハ」
「うーん、それは言える。でもさお互い大した物は入っていないから、地面に叩き付けない限り大丈夫なんじゃない?」
「まあ身軽な方が良いに決まってるから、途中下車してホテルに預かってもらいましょうよ」
「それが良いそれが良い」とみんなの賛同を得てホテルの方に行く事が決まった。
だが、所詮絵描き、絵の道具やら飲み物、パン、お菓子、カメラが入った荷物を背負った姿はどう見ても身軽になったとは言い難い。
又戻って電車に乗り込む。
「先ずは正法寺から行くわ。それから大原野神社、そして最後に勝持寺。道順に行ってもこういう風になってるのよ」
南春日と言うバス停で降りる。そこからおよそ5分とか。川を渡れば正法寺だ。木々はもうどこも好い色に染まっている。
「ここはね、西山のお大師様と言われてるの。弘法太師と深い関係があるらしいけど、一度応仁の乱で焼失しちゃたのを再建したらしいわ。でもさ池を挟んで見える鳥獣の庭が有名よ。真ん中に桜があるけれど、今は晩秋だから紅葉桜になってるけど、ハハハ」
入って右手の方に真っ赤な塔が見える。
「あれはねえ日露戦争の戦没者の為に建てられたもので六角二重塔、東山の高台寺から移築されたんだって。綺麗でしょう、石橋さん好みだわね、あなたここ描く?」
「ええ、わたし、先ずここを描かせてもらうわ」と最初に石橋さんが離脱した。
「ここの署員の大広間には西井佐代子画伯の遺作になる41面の西山の四季草花の襖絵があるの。時間があったら見学させて頂きましょう」
「41面の襖絵ですって、描くの大変だったでしょうねえ」
「病に倒れながらも命を懸けて描いたんですって」
「見習わなくちゃあね」
「あ、俺達ここからの構図、気に入ったからここからまず書こうかな」
「うん良いわね、背景もお寺の角度もとても好いわ。良い絵になりそう」
城下さんが頷いた.男二人はそこでパーテーを離れる。
「わたし達はもう少し行こうか?池を手前にして石庭を描くのもいいし、その反対側から描くのも一興ね?河原崎さんにはここは少し物足りないかもしれないけど、次の大原野神社ではあなたを満足させる景色が待ってるから、辛抱してね」
「ううん、ここの枯山水の石庭、とても気に入ったわ。あの桜の紅葉も散りかけてこの石庭にマッチしてるるし」
「さすが河原崎画伯の目の付け所が違うわ。散りかけた桜の木かあ。そうね、見事な紅葉じゃない所が良いのねえ」
城下さんが偉く感心している。
「やあねえ、そんなことで感心しないでよ」
「いいえ、わたしね、あなたの絵を見る度に他の人とは違うものを感じて来たの、言葉では説明出来ない不思議な物。一体何が違うのだろうかと考えてみたけど、分からない。その一欠けらが見えたような気がしたのよ」
「まあ、随分な褒め方、褒めてくれてるんでしょう?それ」
「勿論よ、あなたの絵には何かしら神秘的な雰囲気があるのよ。それがどこから来てるのかさっぱり分からないけど、わたしを引き付けるのよ」
「城下さんだけじゃないわ、わたしも感じていたわ。そうねえ、大きな神殿に入った時に感じるような、そんな霊的な雰囲気」田尻さんも加わった。
霊と言えば例の幽霊3人組はどうしているか?勿論東京駅から一緒に乗り込み、新幹線の中ではホームで物色して手に入れた弁当や飲み物をせっせと口に運んでいたし、ホテルにもついて来てそっと囁いた。
「もしホテルの従業員があなた方のお荷物を手荒に扱う事があれば、そこは俺達3人組がピシりと痛い目に合わせて置きます、ヘヘヘ」
多恵さん、人数の多い旅なので声も上げられず、従業員さん達の安全の為、彼らが荷物を手荒に扱わないように祈るばかり。
そして今、彼らは目の前にいる。どうやら一緒に入らなくてももう結界を気にしなくても良いようだ。「ね、ここいらで離れてスケッチしませんか?」杉山君がつぶやく。
「そうね、この角度からが良いわ。わたしここで暫くスケッチするわ」
多恵さんも杉山君のアドバイスに従った。
「じゃあ、わたし達、もう少し離れた所の方がお寺の屋根が描けるから、向こうの方に行くわ」
そうなんだ、彼女らはお寺が入らなくてはいけないんだっけと多恵さん、納得。
お寺だけじゃなく建物一般に汚してはいけないのでペンシルを使う、
「あのう、おばあ様達ですね、この話を聞きつけてですねえ・・・」
「え、おばあちゃん達がどうしたの?」
「えー、あのう、実は秘密にですねえこっそり、ついて来ていらしゃるんです」
「何ですって、あなた達だけでなくおばあちゃん達も来てるんですって!」
多恵さん思わず大きな声が出て慌てて口を押える。
「ほら、そこに」
多恵さん、振り向くとあの賑やかな霊三人組が立っている。
「どうしたの?熱海で遊んでいるんじゃなかったの?」
「うん、熱海もよかばってん、京都の方がもっと面白かと思ってついて来たと。新幹線にも乗っとったばってん,分からんように別の車両に乗って来たと。駅弁は杉山さん達が買うて、いやいや、持って来てくれたとばい、ハハハ」
「へー、松花堂弁ば当朝から食べさせてもろうて感謝感謝」
「わたし達には本当は朝も夜も関係なかばってん、この世に居させてもらうからには一応けじめばつけんといかんと思ってね」
「でも京都は今紅葉の真っ盛りやかね、良か時に来たとねえおうち達?」
「そりゃ画家ですからね、来るからには時期を見はからっれ来たに決まってるでしょう」
「まあそれはそうやろうね。生前にあんたのおじさんに連れて来てもろうた時は4月の終わりの頃やったけん、桜の時期は終わっとったし、まあ八重が少しばっか残とったぐらいやった」
「おうちは生きとる時に来たことのあっと?」
「へえ、長男に連れて来てもろうたと」
「おうちの長男は良う出来とらすもんねえ、羨ましか」
「ほんとに良か息子さんやもんね、うちは娘ばっかりで」
「うちの息子は嫁さんの尻に惹かれて嫁さんの方ばっかり、うち達にはなーんもしくれんやった」
「ねえおばあちゃん達、ここよりこの目の前にある神社の方が紅葉凄いらしいわよ。後からわたしも行く事になってるから、先に行って見物してたら」
多恵さん、彼女らが居たらとても筆、否ペンシルが進まない。
「じゃあそうしようか?杉山さん達も一緒に来んね」
杉山君、少し未練の色を見せたが、女三人に押し切られ一緒に消えて行った。
やれやれと気を取り直し多恵さん再びスケッチブックに巻かう。石庭の白い石の上に赤い葉が散っているのも中々風情があるものだと改めて感じた。
「あ、あのう・・・」
多恵さん、ぎょっとして後ろを振り向く。女性だ、女性の・・霊か幽霊か?ふうん、強くはないがやはり冷気を感じるから幽霊だと多恵さん断じる。
「こ、今日は、どうしたんですか、ここはお寺ですよ、あ、お寺には結界がないのか?」
「ええ、ここにはないみたいです。お隣の大原野神社には強力な結界が張り廻らされて近づけないんですが、ここはご住職が優しくていらしゃるから大丈夫なんです」
「そうか、結界は場所によって違うのね。で、あなた、わたしにどんな御用?」
「はい、うちはここの界隈で生まれて育ちました。未だ家もあります」
「そう、それでどうして幽霊になったの?」多恵さん単刀直入に聞く。
「は、はい、うちは仕事に生き甲斐を持っていました。仕事は広告の仕事どす。その商品の良い所を取り上げてアピールする、その商品が売れると嬉しくてたまりまへんでした」
「あなたの気持ち良く解るわ。で、どうしたの」
「仕事は楽しい、遣り甲斐がある。始めはそんな思いで勤めていましたんえ。所がうちの会社は小さい会社で、殆どが大きな会社の下請けですねん」
「ま、小さい所ってそんな物よねえ」
「大きい所は無理を言うんです、とても間に合いそうもない時に,いえ間に合いそうもないから子会社に回すんです」
「成程、世の中大きいもん勝ちよねえ」
「こっちの都合は少しも構わしまへんのどす。折角うちの会社を見込んで頼んで来やはったお客さんの仕事をほっぽり出して、朝早ようから夜遅うまで大会社からの仕事をやらされるんどす。断ったが最後、それから以降、一切仕事は回って来ませんのどす。回って来ない所か潰されちゃいますのどす」
「良く聞く話だわ、困ったものねえ」
「それが続くと身も心もボロボロになってしまいます。ああどこか遠くにでも行ってしまいたいなあと思うようになってしまうんどす。でもそう言った仕事と言うのは不思議なもんで、次々来るんです。会社のおえらさん達は喜んではるから、うち等下っ端はへえへえ云うて従うしかあらへんのどす」
「でも休養も欲しいわよねえ」
「そうどすそうどす、ボロボロになった脳ミソでは何の良いアイデアも浮かばしまへん、なーんも」
彼女は大きな溜息をついた。
「そうこうする内に夜はよう眠れんし、食欲はのうなるし・・」
「それはそうなるわねえ」
話してる間もペンシルはどんどん進む。
「絵、お上手どすね」
「はあ、まあ画家ですから」
多恵さん苦笑い。
「それがどんどん酷くなって行って今度は背中まで痛とうて堪らんようなって来たんどす」
「逆流性食道炎ね」多恵さんも由美さんの娘だ。そのくらいは知っているし、それを直す漢方薬も知っている。母自身が苦しんでたどり着いた処方だからだ。
「それで病院に行ったんどす。色々検査をしてもろうて、疲労からくる逆流性食道炎と言う診断でした。薬も仰山出ましたんえ、ほんまに。それだけでお腹一杯に成程どす」
「ふうん、それで少しは良くなったの?」
「いいえ、いや、少しは良うなった気いしますが、やはり背中が痛うて痛うて。そう言ったら張り薬が又仰山出ましてなあ、張り薬屋さん出けるかもと思うたくらいどす、ハハハ」
彼女力なく笑う。
「その痛みはね、胃から逆流して来た胃液に食道がやられる為に起こる痛みなのよ。胃を元に戻さなくてはどうにもならないわ」
「ええ、痛み止めは頂いたんどすけど、全然効かしまへん。先生に『あれ、効かしまへん』てゆうたら、今度は睡眠薬仰山出しはったんどす」
「まあ、神経性の物だから、寝たら治ると考えたのね」
「へー、うちも胃が痛くて眠れなかったから。喜んで頂きました」
「それでお勤めの方はお休みしたの?」
「会社の方は相変わらず親会社の仕事入れてて、中々休まれしまへん」
「まあーそんな時は医師に診断書描いてもらって、正々堂々と休むべきだったわね」
「小さな会社どす、そんな事よー出けしまへん。他の人にも迷惑掛ける事にもなりますよって」
「で、あなたは胃の痛みに耐え、背中の痛みにも耐え、睡眠薬で眠りの毎日を送ったのね」
真ん中の桜の木から、半ば虫食いで赤くなった葉がひらひらと白い石庭の上に舞い落ちた。
「一年中、木の為に頑張って来てはって、後は散るしかおまへんのやねえ、うちみたいに」
「でもあなたは会社を休んで良くなったら働くと言う選択肢もあったんでしょう?いくら会社が小さいと言ってもそれは保証されているはずだわ」
「それは建前どす、実際に働いていたら、仲間の事も思うたら出けしまへんよ、うちに給料払ってる間は新しい従業員、会社は雇いはしまへんのどすから」
「中々難しいのね・・・」
「景気が悪いから余計なんどすえ」
葉っぱが又散り落ちる、今度は数枚、また数枚・・・
「秋ももう終わりなんやねえ」
「あなたは秋に亡くなったの?」
「うち?うちは‥春の終わり、いいや夏の初め。そのどっちつかずの季節でしたやろか、うちにふさわしい季節やなあ、ハハハ」
力ない笑い声が又。
「胃の重苦しさ、背中の痛み、睡眠薬から来る頭のぼんやり感。何のために生きてるのかさっぱり分からへんようになって、あーこのままずーっと眠っていたいと思いましたんや」
「そう、それであなたが幽霊程幽霊でない訳が良く解ったわ」
「幽霊程幽霊でないんどすか、うち?」
「ええそうよ、半幽霊とでも言うのかしら?」
「ハハ、それもうちにぴったりや。でもこれからどないしたら浮かばれるのどすか?ありがたいお経を何べん効いても分からしまへんし、あの世にも行けまへん。このお寺の周りをグルグル回っているだけ」
「そうね、ここはお寺だから和尚さんの講話などを良く聞いてお経の意味を知れば自ずと分かって来るでしょうけど・・・それともわたしの知ってる幽霊さん達と守護霊を目指すと言う方法もあるわ」
「守護霊どすか?それも良いと思いますね・・守護霊、へー、それが宜しうおます。そいで誰の守護霊を目指すんどすか?」
「それはあなたが一番応援したい人よ」
「一番応援したい人どすかあ、誰やろなあ」
「あ、そう急がなくて大丈夫よ、今はまだなれないんだから。うんと徳を積んで、良い事を沢山重ねてからの話」
「そう、そうですすよね、そんな早う守護霊はんに慣れたら誰も苦労しまへんもんなあ。でもうち一人で
どうしたらええのかさっぱり分かりまへん、どないしたらええのどす?」
「ちょと待って、先ずは杉山君達を呼んでそれから輝美ちゃん達を呼びだすわ」
「はあ、何方をお呼びになるんどすか?」
先ずは杉山君と良介君が現れる。次に輝美ちゃん、美咲ちゃん、これで終わりと思ったら、多恵さんのお父さんを始め、その一行がどどっとやって来た。
「ええっお父さんまで来たの?」
「京都への呼び出しと聞いて、何か紅葉が見られるから一緒に行こうと誘われてさ。それにもう北海道は冬枯れで見るとこも無くなったし、もう観光船も終わってしまった」
「ええっとわたし、少し長崎弁とそれ程ではないけど京都弁がごちゃごちゃになって頭の中がおかしくなっているのよ」
「お、俺は方言使ってないぞ、別に標準語と言うほどのもんじゃないけどさ、勾玉弁でもない、普通のそうだなあ関東言葉だな」
「まあいいや、ええっと、所であなたのお名前は何と言うのかしら、まだ伺っていなかったわよね?」
「はあ、鈴山珠美と言いますんえ。宜しうお頼み申します」
「まだ仲間がいるんだけど、蕎麦屋の・・・あら彼は一緒じゃなかったの?」
「あ、石森氏はですねえ、あの三人に魅せられてですねえ、今回はパスと言って、おばあ様方の方に残られています」
「ふうん、ま、気が合ったのね、あの三人と」
「俺なんかおばあ様達が話していると何を話してるか半分も分からないのに、石森さんなんかもう長崎弁を話せそうな感じですよ、なあ良介」
「はい、ばってん、ばってんと言ってますよ」
「ばってんだけが長崎弁ではないけどね」
多恵さん、思わず笑う。
「ええとね、この他にも幽霊じゃないけどわたしの祖父母と天使の誠君もいるの」
「まあ、天使はんもいらしゃるんどすか?」
「ええ、今はわたしの祖父の下でテニスの猛特訓中なの」
「え、テニスどすか、何のためどす?」
「それが霊界も国際社会化、いわゆるグローバル化して来て、テニスの国際試合をやるんですって」
「まあ。本まどすかあ、それは大変な事どすなあ。日本も段々テニスが強うなって来ましたもんなあ」
「でも。グローバル化と言っても、そこいらの幽霊さんの搔き集めなんじゃない、ねえ杉山君」
「さあ、幽霊のかき集めかあの世に行って連れて来るのか、俺にはさっぱり分かりません」
「さあてこちらは女性軍、彼女らは私の父と一緒に、父は幽霊じゃないのよ、初めは母の傍を離れたくなくてこの世に留まっていたんだけど、わたしのアドバイスで生前の夢の船乗りになると言うのを実現させている所なの、その父の運行する船で観光旅行中なの。彼女らも悲しい運命のもとに幽霊になったんだけどそれは後でゆっくり話し合って頂戴」
その時多恵さんの目に仲良くはしゃぐ二人の子供の姿が映った。
「あらあ、二人共同じ位になったのね」
「ええそうなんです、彩菜ちゃんと遊びたい一心でここまで大きくなったんですよ。それに彩菜ちゃんも良く面倒見て、あれこれ教えてくれるし、大助かりです」
花岡恵さんが幸せそうに笑う。
「わたしも真澄ちゃんがいてくれてどんなに助かっている事か分かりません」
町屋さんもこの間見た時よりも顔に明るさが見え、ちょぴり幸福感が覗く。
「さあ、ここは描き終えたわ。あ、みんなも来るみたい」
「どう、描き終えた。あ、すっごく好いわ。この桜の木、何か語り掛けて来るみたい」
「えー、どれどれ、本とだ。何かを訴えかけてる、何だろう、とても不思議な気分になるわ」
「そうね、いつも油絵に仕上がっているのしか見てなかったけど、こうやって鉛筆で直に見て描いてる方が余計あなたの絵の神秘性を感じるわ」
三人の女性に褒められ多恵さん、こそばゆい!
「そ、それは褒め過ぎよ、幾ら今日晴れたからって、気を使わなくても良いんだから。そうそう時間未だありそうだから、西井画伯の遺作見て行こうか?」
「うん勿論よ、男性諸君も当然来るわよね」
「はいはい、当然です」みんながわらった。
西井佐代子さんの絵は柔らかな色調で、競い立った処もなくふんわりとこの西山や草木が降りて来た感じに描かれている。そこには迫りくる死期を匂わせる物はみじんも感じさせないものだった。
「病気の苦しみに耐えながらこの大作を描き上げたのよねえ」
「ええ、病気の痛みや苦しさはこの絵のどれを見ても感じられないわ」
「もしかしたら、絵を描くことでその苦しみを和らげていたのかも知れないわ」
「あー、俺もそう思う」
「それにしても柔らかい筆の使い方だ」
「描き上げてから死ぬ,うーん中々出来ない事だよ」
「これを描き上げなければ死ねない、画家として生きて来たからにはそう思っていらしたんでしょうね」
多恵さんは今真理ちゃんが取り組んでいるオーヘンリーの最後の一葉を思い出していた。状況は違っても画家として命を懸ける、それを描くことが自分の使命、画家として生きて来たその証。それに気づいたからこそあの老画家も嵐の夜、一晩中雨に打たれながら絵を描き続けたのだ。
「さあ、次の大原野神社に向かいましょうか?」
リーダーの城下さんの声で一行は正法寺を後にする。
「でもさあ、何かはらすかない?」
「俺も腹減ったなあ」
「しょうがないわねえ、わたし達だけだったら持って来たパンやお握りなんかをどこかで座って食べれば事済むんだけど・・男性諸君はそんな訳には行かないのよね?蕎麦屋か何か食べるとこあるか聞いてみよう」
今は紅葉の真っ盛りで観光客も多いが、ここいらの人も平日にもかかわらず結構いるようだ。何人か空振りの後、近所の人らしい人が一行のみすぼらしい格好を憐れんでかどうだか知らないが、ここいらの人しか知らないような、裏通りの食堂の場所を教えてくれた。
「わたし、もう何回も京都に来てるけど、どうもあの京都弁苦手で・・」城下さんが汗をふきふきそう言った。
「あらー、わたしもよ。柔らかくて好きと言う人が多いけど、わたしは虫唾が走るほど嫌いなの。大阪弁の方が歯切れが良いし、笑えて好きよ、自分自身は絶対使いたくないけどね」
「まあまあ、言葉は国の道中手形と言うくらいだもん、好きとか嫌いとか言うもんじゃないわ」
長崎弁と京都弁、この二つの攻勢にアップアップしている多恵さんがとりなす。
食堂へ入る。
「おいでやす」と女将らしい女性が声をかける。水が来る。
「さあ、何食べようかな?」と女性軍はメニューを覗き込む。
「あ、俺、定食」
「俺も定食,ご飯、大盛り!」
「定食、Ǎ、B、二つおますけど、どないしやはります」
「うーん、俺、Ā」
「じゃ、俺B」
「うーん、わたしはうどん食べようかな、関西のうどんは美味しいから。ええっと南蛮うどん一つ、お願いします」
「それじゃあ私もうどんで・・山菜卵とじうどん、これが美味しそう」
「あ、それいい、わたしもそれにする」
「わたしもそれにするから山菜卵とじうどん三つお願いします」
これで全員決まった。うどんを啜るもの、ご飯を掻っ込むものとに分かれたがそれぞれ満足げに平らげた。
「ごちそうさまでした。さあそれでは紅葉の名所、霊験もあらたかな大原野神社にシュッパーツ!」
城下さんの号令の下、皆立ち上がり来た道を引き返し、大原野神社に向かう。
「ここは奈良の春日大社の第一分社なんだって。桓武天皇の長岡遷都の時藤原氏の氏神である大社の神々を、自分たちの娘達が中宮、皇后になれるように祀られたらしいよ。中宮彰子やその父である道長、それに紫式部などがお供をして参った時のその絢爛さは今も語り継がれるほどだって。それ以来、女性の守護神としての人気があるんだって」
鳥居をくぐる。赤や朱色の紅葉が目に飛び込んでくる。
「わアーここは特別紅葉が凄いわー」
「うん、これは描き甲斐があるなあ」
「二の鳥居をくぐったあたりからが最高らしいよ」
「ええ、ここ最高に美しいわ」
多恵さんはどうしてる?多恵さんはしっかりと鈴山珠美の手を握っている。氷のように冷たい手をしっかり握って行けば、珠美さんも結界を通り抜ける事が出来るのだ。
「もう大丈夫の様です。結界の所は通り抜けましたから」珠美さんが囁いた。
「そう、良かった、これ以上手を繋いでいたら霜焼けになる所だったわ」多恵さんも小さな声で応答する「え、河原崎さん何か言った?」城下さんがいぶかし気に尋ねる。
「ううん何も」
「この先に鯉沢の池と言う所があるの、そこに映る紅葉ならきっと河原崎さんにも満足して貰えるわ」
本当だ、広い池に林立する紅葉が映えて、それはそれは見事なコントラストであり、ハーモニーでもある。
「見事でっしゃろ、うちら京都育ちでも、こんな景色はめったにお目にかかれまへん」珠美さんが囁く。
「ほんと、京都人も吃驚と言う所なのねえ」多恵さんが返す。
「まさかー」と事情を知らない一行は大笑い。
『じゃあ、みんなもスケッチしたいだろうから、一時解散と言う事で良いわね」城下さんが仕切る。
みんな自分の描きたい所を探して散って行く。
「ここ、ここがうちの一番好きな場所。余り人もけえしまへんし、池と木いとのバランスも取れておりますやろ」
幽霊軍団を率先して珠美さんが引っぱって行く。勿論多恵さんも地元の案内人のアドバイスに従う。
「あら、ほんとにここは素晴らしいわ。ここまでの道が少し足場が悪いので観光客は絶対、あるいは変人じゃなきゃ来ないものね」
「良く生きてる時、ここ見つけたねえ」杉山君が感心する。
「へえ、心が苦しうなって人がいないとこ探していたんどす。ここなら人にも見つからへんし、ええ塩梅に、景色も最高どす。そう思われまへんか?」
「あんたもうつ病だったのか?」
「まあ似たようなもんどすなあ」
「違うのは彼女の場合原因が過剰な仕事をさせられたからで、元々のうつ病でないから死ねばうつ病ではなくなるのよ」
そう言いながら多恵さんはスケッチの用意をし、描き始める。
「あんたはんは、ほんまのうつ病どすか、そらえらい事どしたなあ」
「へー、えらい事どしたわ。借金仰山こさえてビルの屋上から飛び降りましたんどすえ」
「えー本まどすかあ、奥さん、えらい泣きはったやろね」
「奥さんは勿論泣いたと思うけど、それより残された借金の後始末が大変だったでしょうね」
輝美ちゃんが割り込む。
「泣いてる余裕もほんとはなかったかも」
一陣の風が吹き、池の上に無数のモミジの赤い葉が散って行く。青空を映した水面が細かく波打つて太陽の欠片が一面に輝いた。
「そんな大変な思いをさせた奥さんをほっぽり出して、生前の片思いの女性の後を追ってこうやって旅をする。これ、あんたはん、どう思いはる?」
「そ、そうやったんどすか・・うーん、うちにはよー分からしまへん。うちはそこまでよー恋した人はおまへんでしたから」
「お、俺は一応幸恵の下に行ったんだよ。でもさあ、娘がさあ、幽霊になって出たいのはこっちの方だーと言われて、仕方なく・・」
「仕方なくじゃないでしょう、それじゃあと喜んで多恵さんの下にやって来たんでしょう?」
「直ぐ来たかったけど、あんまり直ぐと言うのも拙いかなあと思って、あっちこっち油を売って過ごしていたんだ」
「その時石森さんや僕が出会って、杉山さんには良くしてもらったんだ」
良介君の出番だ。
「あの時出会っていなかったら僕、どうなってたんだろう?今もどこかで地獄の日々を送っていただろうな。良かった杉山さんと出会えて」
「杉山さんに出会えたから地獄の日々から抜け出られたんじゃないわ、多恵さんに会えたから救われたんじゃないの」
輝美さんが抗議する。
「それは勿論そうだけど、杉山さんが多恵さんに片思いしてなかったら、多恵さんに引き合わせてもらえなかったよ」
「そうだ、その通りだよ良介、良く言った、ハハハ」
「随分陽気な鬱の病人はんどすなあ」
「彼は鬱でない時は陽気な人なの。と言うか鬱の裏、躁病なのよ」
「うちにはそんなもん、ありまへんどしたえ。羨ましゅうおすなあ」
そんな幽霊さん達の馬鹿話をバックミュージックに多恵さんのペンシルは踊るように進む。
「わー凄い、綺麗、素晴らしいわ」
美咲さんと恵さんが歓声を上げる。
「ほんと絵描きさんと聞いていたけど、こんなにお上手だなんて」と町屋静香さんも絵に見とれている。「多恵は俺似じゃない、俺は全然絵と言うものが描けないし、ここ数十年描いた事もない、ハハハ」
父が笑う。
「誰もお父さんに似て絵が上手とは言ってないわよ」
多恵さんが抗議する。
「間違って誰か言ってくれないかなあと待っていたけど、誰も言ってくれなかったよ」
「あったりまえでしょう!」と言ってはみたが、多恵さん、父が少し可哀そうになった。
「でも、お父さんは字は上手よね、いいえ、上手だったわよね」
「そうそう、上手だったが正解。年を取ると字は忘れるは、書けばよれよれになるはでもう全然駄目だったなあ」
「お父さんはね年の所為じゃないの、お酒に弱いくせに毎晩飲んで酔っ払っていたのが原因よ。最後に階段踏み外したのも、お母さんが長崎行っててその留守中、止められていたお酒を飲みたかったけど、何にもなくて、そこにあった梅酒や梅を失敬して、酔っ払って階段落ちたんじゃないの?」
「ハハハ、その通り、良く判ったなあ」
「そのくらい誰でも判るわよ、しかもわたしはあなたの娘なんですからね」
多恵さん、再びスケッチブックに向きあって、2枚目に取り掛かる。
「でもここからの眺め、本当に素敵。モミジも綺麗だけど池も自然ぽいし水草や水連の葉が枯れかけているのも趣があるわ」
多恵さん、柏木さんに声をかけなかったことを後悔した。
「どうして枯れかけた水連の葉が趣あるんですか?」
輝美さんがいぶかし気に尋ねる。
「そうね、枯れた中にも美しさがある、食べ物だって幾ら甘いもの好きと言っても、やはりショッパイものが欲しくなるでしょう?」
「分かったような分からないような」
「俺さ美術展で、毎年自分のお袋を描いてるのを見ているんだけど、だんだんそのお袋が年老いて行くんだ。でもその絵、俺好きなんだ、若い女の子をモデルにしたものよりずっと味わい深くてさあ」
杉山君が話を繋ぐ。
「へーおばあさんの絵ね、そんなのが好きなの?」
美咲さんが割り込む。
「わたしはやっぱり若くって美人の絵の方が好いなあ、そんなおばあさんの絵より」
「へーそうどすなあ、うちもお年寄りの芸妓はんの絵より若い舞妓はんの絵の方が宜しゅうおます」
「うーん、単に自分かそのおばあさんの知り合いの家だったら、飾るだろうけど、他人がお金を出して買い、家に飾ろうとするだろうかなあ」
良介君迄割り込んだ。
「言わせてもらうけどわたしが問題にしてるのは、睡蓮の葉っぱよ。あんまり綺麗な花や葉っぱばかり描いているとそう言った枯れかかった花や葉、もしくは枯れてしまったものがアクセントにもなるし、花の短い生涯を感じさせてくれるのよ。それからお母さんの絵を毎年描いてるのって素敵じゃない?絵は本来自分の為に描いてるんだから、自分の素晴らしい、感動したと言うものを描いてるし、描くべきものなのよ、だからこの絵が売れるか売れないかは問題じゃないの、問題はそれを理解できる人がいるかいないかだわ。たとえいなくても画家は自分の心の為に描くの、もしかしたら、何時の世か理解する人が現れるかも知れないと言う、果敢ない望みを持ってね」
「画家さんって辛いお仕事なんですねえ」と恵さんが呟く。
「そうね、描くことは楽しいけど、絵は売れない、売れない絵がどんどん溜まる。小さいものなら格安で売ればいいし、そんなに場所も取らないでしょう?所が展示会用はどうしても大きいものになる、置き場所がなくなる。それでどうするか?Ā案、田舎に引っ越す。B案、保管場所を借りる。C案、大きいものを古いものから廃棄する。四次元ポケットがあれば問題ないんでしょうが、残念ながらこの世の中で持ってる人は存在しないから、大抵の人が泣く泣くC案処分するを選ぶしかないって訳」
「処分するにもお金かかるわねえ、貧乏画家って良く言われるものねえ」美咲さんも加わった。
そこで一同大きな大きな溜息をつく。
多恵さんはそれを笑いながら描き進める。
「ここはこの位にしないとみんなが待ってるわ」多恵さん何時もの通り荷物を手短にまとめると、肩に背負い歩き出す。幽霊軍団もその後先について動き出す。
ここは本当に紅葉の名所だ。さっきの池からの紅葉も言葉にならない程素晴らしいロケーションだったがこの参道の周りを埋め尽くすモミジなどは日に照らされて赤く輝くばかりだ。
階段の途中に人だかり、多分仲間の誰か紅葉狩り兼参拝人達が覗き込んでいるのだろう。
多恵さんもそこまで登って行く。
近付くに従ってそれが3か所である事が分かった。
「あ、池の方十分に描いた?」と城下さんが聞く。
「ええまあね、3枚位描いたわ」
「フフフ、わたし達は1枚しか描かないで、直ぐここに場所を移したの。所がこの有様よ、と言っても池の周りでも同じような状態だったけど。あなたの方は如何だった?あなたの画素敵だから人だかり、こんなもんじゃなかったでしょう」
「ううん、人の気配もなかったわ」
「え、人の気配もないなんて一体どんな所で書いてたの?」
「ちょっと奥まった木々の生えた間、地元の人に教えてもらったの」
「あ、狡い、いつの間にそんな人と話したのよ?わたし達がいない間でしょうけど」
「ええ、正法寺で知り合った人に内緒で教えてもらったのよ。所で川平さんと岩国さんは?」
「男性諸君は階段上って行ったから、神社の方を描いてるんじゃない?」
「そうよね、彼らはそれが目的なんだもん、神社が見えない場所でスケッチするのは時間の無駄と言うもの。わたしも神社の方へ行ってみるわ」
多恵さんそう言うと人だかりの出来た彼女らから離れて、石段を登って行った。
ここの神社は狛犬の代わりに狛鹿が看板だ、それを横目で見やり、参拝を済ます。
少々横にそれて振り返ると、紅葉をバックに神社が浮かび上がった。
「うーん、これは好い絵になりそうだわ」
多恵さん、さっそくスケッチ道具を取り出した。丁度そこは木の下で日陰にもなっている。
「至れり尽くせりの場所だわ」
幽霊さん達にも日陰はありがたい。
「さっきみたいに人だかりは嫌でしょう?」杉山君が尋ねる。
「まあそうね」多恵さんもさらりと答える。
「分かりました。おい、良介」
「はいここは二人でやりますか?」
「え?」と多恵さん気が付いた。二人で結界を張るらしい。
「うーん、久々の結界か」止めようかどうしようか暫し考えたが、人も多い事だからここは二人に任せよう。
やはり見物人がいない方が鉛筆は進む。さらさらと、と云う訳には行かない、あまり書きなれない神社、シックハックしてやっと一枚目を仕上げた。結界を張ってくれたのが思いもよらずありがたいと思った。
ほっとして顔を上げると結界を張った向こうで騒ぐオノコ二人。
「ま、拙い‼川平さんと岩国さんだわ」慌てて杉山君に結界を外してもらう。
キツネにつままれたような顔をして二人がやって来る。
「どうしたの、変な顔して?」と多恵さん平然として聞いた。心の中では冷や汗をかいてはいたが・・・
「い、いや、何だかこっちに来ようとしたんだけど、どうしても足が前に進まないんだ。なあ岩国」
「ほ、本とだよ、何だかやけに寒いしさ。まるでキツネにでも騙されている気分だった」
「まあ、キツネはお稲荷さんよ。うーん、ここは鹿、鹿に騙された気分なんじゃない?」
「えー、鹿?鹿って人を騙すのか?聞いた事もないぞ」
「俺も聞いた事もない」
「ここは奈良の春日大社の第一分社なのよ、鹿は余り見かけないけど、その魂、霊魂だけはうようよいるはずだわ」
「俺達がキツネじゃなくて、鹿に騙されたなんて、みんな笑って信用してくれないだろうな?」
「でも俺達だけは信じてるって言うか、その経験したんだもんなあ。ここは騙された者同士固い絆で乗り切ろう」
「うん、同志の固い絆で、鹿の罠を乗り切ったと言う事にしておこう」
「何を言ってるの、どうしどうしって、どうしがどうした」
城下さん達が多恵さん達を見つけてやって来たのだ。
「いえねえ、彼らの信仰心が足らなくって鹿に叱られたって話」
「そうか、俺達まだ神社参ってなかったよ。うんその通り、早くお参り済ませて来よう」
「あらわたし達さっさとさっき済ませたわよ、ここで待ってるから早く行ってらっしゃい」
二人の男性は女性軍に荷物を預け、駆け足で神社のほうへ駆けて行った。
「じゃあ今度は今日最後の西行ゆかりの天台宗勝持寺に行くわよ」
城下さんの掛け声がかかる。
「ショウジジって言い難いわよねえ」田尻さんの声。
「でも西行さんのゆかりの寺じゃ来ない訳には行かないわね」石橋さん。
「あ、俺も西行、好きだなあ」川平さん。
「わたしよりわたしの母が西行さん大好きなの」多恵さんも一言。
「へええ、お母さん短歌読むの」
「ええ、母は短歌、祖母は俳句なのよ」
「そしてあなたは?」
「えっ、わたし?わたしはどちらもそんなに得意じゃないわ。多分父に似たのよ」
父は吃驚「そ、それって俺の所為。確かに俺は俳句も単価もまるで駄目だけど・・でも花札は出来るぞ」
幽霊さん達が大笑いしている。
てくてくと歩いて行く。田んぼもある。竹林もある。こんもりした小さな山になってる所がある。そこへ続く石段が見える。足を止める。みんなも止まる。
「ほら、ここだわ」と城下さん。
「あらここなの?全然小さいんじゃないの?大原野神社は別格としても、正法寺もここよりは随分大きかったわよ」
「あら、ここは勝持寺じゃないわよ。昔応仁の乱があったでしょう?あの時ここいら辺はみんな火災にあって、全部焼けちゃったの。唯一残ったのがこの上の方にある仁王門なの。前は勝持寺に行く途中の仁王橋にあったらしいけど、この上に移されたのよ」
「まあ、良く焼け残って今まで失われず残ったわねえ」
「見て行く?」
「両脇竹林であまり紅葉とは関係なさそうだけど、そんな歴史的な物なら、見て行かなくちゃならないわねえ」
みんなも賛同した。
細長い石段を上った所に古くはあるが、それゆえに風格と歴史を感じさせる仁王門が立っていた。
「描く?」
「そうね、これを見逃したら、画家の名がなくわねえ」
「スケッチしよう、スケッチ」男性二人も頷いた。
皆ばらばらに散ってスケッチを始めた。
「皆お上手どすなあ」
珠美さんが感心する。
「何かここさむくないか?」
「あ、俺もそう感じてたよ」
「わたしもさっきから鳥肌立ってるの」
「じゃあ早くスケッチしてここから勝持寺に向かおう」
皆慌ててスケッチの手を速めた。
仁王さん、御免なさいと、多恵さんはみんなと仁王さん達にも心の中で謝った。
またみんなてくてく歩く。
「ここここ、ここが勝持寺へ続く階段よ」
確かに石垣と白壁の上から紅葉が覗いている。
「ここが西行で有名なと言うか、それで桜が沢山あって、花の寺と言われるんだけど、モミジも同じ位あって、桜とモミジの紅葉の競演でも知る人ぞ知る紅葉の名刹なのよ」
確かに、さっきの大原野神社とは一味違う美しさだ。モミジが人の上に覆いかぶさる感じで、今にも手に取れそうな所迄迫って来る感じだ。
「歩いている時は何て長い道のりだと思っていたけど、考えてみると正法寺から大原野神社、勝持寺、この3つくっついて建てられているのね」
「そうねこの3つ、くっつきあっているのよねえ、何か事情がある運でしょうけど、そこまでは知らないわ」
「物知り城下さん、今度までに調べといてね」
「そうそう城下さんが頼りなんだからさ」
がやがや言いながら受付で拝観料を払って中に入る。
「ここは、ここはいわゆる仏像が有名で結構良いものがあるの、それに・・小野道風が描いた勝持寺の額があったと聞いたわ」
「え、本当?わたし、字が今一だから拝んで行きたいわ」
「わたしも右に同じ」
田尻さんと石橋さんが目を輝かす。
「俺も字、もう少し上手くなりたいよ」
「字かあ、字は誰だって今より上手くなりたいよなあ」
「それはそうよ、下手になりたい人何て皆無だわ。特にうちの娘には是非拝ませてやりたいわ。何しろあの子が書いた字は、本人さえ読めないんだから!」
多恵さんも口を挟む。
「でもさあ・・さっき話した通り・・ここいらは応仁の乱で焼け野原になって、残ったのはさっき見た仁王門だけだったのよ」
「と言う事は‥小野道風も焼けちゃったのね」
「当たりー」
みんな、がっくり肩を落とす。
受付で拝観料を払い中へ入る。少し大原野神社より高度が高いせいか神社より紅葉が進んでいると感じるのは、気の所為なのだろうか?地面に落ちた紅葉の量もp違うし、木に残る葉の色もは深みのある紅色を呈している。
「先ずはここで一番の見どころは西行桜の横にある鍾楼堂の傍の紅葉なんだって」
城下さんの指揮の下、以降は本堂の前を素通りし、また石段を下りる。
右手に不動堂、左手に池を目の両脇に見ながら前へ進めば、あった、目の覚めるような紅葉が垂れ下がる鐘楼堂。
「うーんここか、見ごとに紅葉してる」
「この垂れ下がりようが何とも言えないわ」
「池に映る紅葉も素敵だったけど、この鐘楼堂を取り囲む紅葉も、こんなに素晴らしいものだとは思わなかったわ」
「でもぐずぐず言ってる暇はないわ。早くスケッチしてしまいましょう、時間がないのよ」
みんな急かされて、慌ててスケッチを始める。
又珠美さんがみんなの作品を覗き込んでいる。傍にいた杉山さんに目配せをして彼女を引き離すように頼んだ。
「あら、虫がいるの?」
多恵さんの行動をいぶかしく思って石橋さんが尋ねた。
「あ、まあ、そんなとこかな」多恵さんごまかす。
「虫は気にならないけど、ここも少し寒くないかなあ」川平さんが両腕をさする。
「あなたのとこ、日陰過ぎるのよ、わたしのとこは少し日が差してるから全然大丈夫」城下さん。
「じゃあ、一枚目描いたら少し日の当たる所で描こうかな」
「わたしもさっき迄肌寒かったけど、今はそんなにまで寒くなくなったわ」と田尻さん。
「じゃあみんな描いたようだから本堂の方に行く?それとも自分の好きな所に行って描く?」
城下さんがみんなの意見を聞いた。
が、意見はバラバラで結局1時間の自由時間となった。
多恵さんも本堂は後にして
も少し紅葉を描きたいと木々の折り重なっている、少し本堂をそれたところに足を向けた。
「へえーここも良いとこどすやろ、うちもここ大好きですねん、ほんまに」
珠美さんが多恵さんの傍に来て言った。
「ねえ珠美さん。あなたには分からないでしょうけど、幽霊さんにはね冷気と言うものがあってね、人間は幽霊さんが傍によると、とても寒く感じるの。だから、あなたが絵に関心があるのは分かるけど、も少し絵描きさんから離れて見てくれない?」
「あ、堪忍どっせ、うち、分かりまへんで、えらい事しましてんなあ」
「そんなえらい事ではないけれど、体の弱い人なら風邪を引く所よねえ」
一枚目はお寺に背を向けて描き、2枚目はお寺が紅葉の間からチラホラ覗く構成だ。
「でも、画伯はんは寒くあらしまへんの?」
「あー、わたしはねえ、結構寒さには強いのよ、それに年がら年中幽霊さんに取り囲まれているでしょう、うん、まあ大丈夫なんじゃない」
「へえ、慣れどすか、幽霊に慣れてらしゃるんどすか、それこそえらい事でおます」
「ええ、そうよ、えらい事よ、幽霊さんの愚痴を聞かされて、それで報酬なしなんですもの」
二枚目が欠ける頃には約束の1時間になっていた。
「じゃあまだ本堂を見てない人は30分上げるから見て来て頂だい、瑠璃光電の薬師如来や日光,月光菩薩は一見の価値ありなんだから」
そう言われてまだお参りしてない罰当たりの面々は、阿弥陀堂をお参りし、城下画伯のお勧め、瑠璃光電の宝物を見に行くこととなった。
「さあて、もうすぐ日が落ちるわ、早くバス停まで急ぎましょう」
11月の日暮れは速い、城下さんに言われることもなく皆急ぎ足でバス停への道を歩く。
疲れ果ててホテルへ戻り各2名ずつの部屋へ行くと、順次一風呂、あるいはシャワーを浴びて食堂へ。
「描いてる時は夢中だから感じないけど、あああ疲れたあ」
「それに良く歩いたあ。一日中歩き回っていたような気分」
「何言ってるのよ明日はもっと歩くかもよ」
「まあ、冷たーいビールを飲めばチャラになるけどさ」
「それは別払い、お茶以外はめいめい自分で支払って頂戴」
「うーん、わたしはジュースをもらおうと」
「あ、わたしもお願いするわ」
「明日は嵯峨野かあ何時に集合?」
「明日はいったん京都駅に戻って荷物をロッカーへ預けてから嵯峨野へ行くから、ここは早めに出発するわ。朝食を食べて・・7時半には出かけるわよ、いい?」
「はーい」
元気が今一ない一行の返事が返ってきた。
予定通り7時30分には皆集合して、ホテルを出た。向かう先は勿論京都駅。そこで邪魔な荷物だけをロッカーに放り込み、目的地嵯峨嵐山へ行くのだ。
「ここのロッカーは凄く長いから、良ーく場所を覚えて置く事。みんな同じ所が好いわね、カギは失わないようにね」
城下さんは今日も甲斐甲斐しい。
「じゃあ嵯峨野線に乗るわよ、いい?」
電車は動き出す。余り混んでいないのでほっとする。
「えーと 嵯峨野嵐山で降りるからね]
嵐山で降り立ち右手の道を又何時もの様にみんなでてくてく歩く。だがてくてく歩いているのは彼らだけでない。コロナの所為で外国の旅行者は減ったものの、国内の観光客は大分戻って来つつあるのか、他の人達もてくてく歩いて行く。よってここはぞろぞろ歩いて行くと書くべきか?
大きな神社があるがそこは失礼して、そこを少し右手の方に行くとかの有名な竹林の小径に差し掛かる。「わあ綺麗、外国人が見たら感動するわよね」
「日本人も同じく感動するわよ、本来は日本人の感性が作り上げたものだから、日本人の方がもっともっと感動してる訳だけど、日本人は感情を表に出さないから分からないだけよ」
「それはそうね、確かにあっちこっちに同じようなものを見受けるわ」
「俺、ここ少しだけスケッチしてもいいかな?」
「うーん、じゃあ30分だけスケッチタイム!」
城下さんが時計を見ながらオーケイのサイン。
みんな待ってましたとばかり一斉に自分好みの場所へ走って行きスケッチブックを広げる。
「はーい、時間ですよ皆さん。先は長いのよ、急いで次に向かいましょう」
一行、又歩き出す。
「はい、ここがトロッコ電車の嵐山駅、ここから左へ方向転換」
公園の入り口に辿り着いた。
「この公園も好いかもしれないけど、もっと絶景の景色が見れる、あの石段を上った先にある展望台に行きましょう。あ、ちょっと待った、みんな食べ物ある?それに飲み物大事。それを確保して登りましょうね」
みんな食べ物や飲み物を補給する。
「じゃあ行きましょう」
みんなで登る。公園内も紅葉しているのでまるで赤い山を登っている様だ。頂上に着く。
「わお、正しく展望台だ」
「桂川?それとも保津川?その流れが良く煮える」
「両技師の紅葉も素晴らしいわ」
「あ、あれお寺だ。あそこのイチョウもまっ黄色で赤の中で一番目立ってる」
「断然わたし保津川を中心に描くわ」
「思いは皆同じよ、わたしも断然川よ、川を入れて描くわ」
「でもどちらが正しいんだ、桂川と保津川?」
「ここのあたりから上流を保津川、下流を桂川と言うらしいけど本当はもっと複雑に入れ替わるらしいの
ただ行政上は皆桂川に統一されてんだって」
「ふーん、それって京都人の内面そのままだなあ」
「そうね、蛇行してる辺りも京都人の内面、心を表し・・・なななんだか、何だか、くく首の辺りが冷たいような。だ、誰かわたしの首に手を突っ込んでない?」田尻さんが悲鳴を上げる。
「誰もそんないたずらしてないわよ」城下さんが皆を見回して断言した。
多恵さんはじっと珠美さんを睨んでいる。
「おかしいわねえ、寒い時ワザと冷たい手を突っ込む、そんな感じがしたんだけど」
「あんまり京都人の悪口言うから聞いてた京都人の幽霊か何かがいたずらしたんじゃない」
多恵さん、本当は真実を述べたのだけど、みんなは勿論冗談と受け止めて、大笑いした。いたずらをされた田尻さん迄もがだ。
「さあ早くスケッチに取り掛かろう。それからお腹空いたら、昼食代わりにさっき用意して来たものを銘々食べて頂だい。うーんここは12時半から1時ぐらいに切り上げて、次に行きたいから」
「だけどさ、下に降りたらもう少し実のあるものを食べたいな」男性諸君の声あり。
「ま、善処しましょう!」城下さんの発言に皆が又大笑いした。
多恵さんは勿論保津川を入れた構図にする。本来なら保津川を舟で登って行きたいところだが、時間がないとの理由で却下されてしまった。
しかし上から見る保津川は誠に美しい。保津川自身も美しいし、それを取り巻く山々や岸辺の佇まいも紅葉も素晴らしい。
もしこれが舟からだったらどうだろう?保津川は見えるが船を浮かべている水しか見えないし、景色も片側しか見えないのだ。
うーんこれは城下さんの計画に沿う方がずうっと勝っているようだ。
「さすが京都に何回も来てる人は違うなあ」多恵さん心の中で脱帽した。
珠美さんが傍に来た。顔が笑っている。
『ねえ、いたずらしたら駄目じゃないの」と一応釘をさす。
「でも京都人を悪う言われたら腹立ちますう、悔しゅうて悔しゅうて、思いっきり手え突っ込ませてもらいましたんえ」
「気持ちは分かるけど、そんな事繰り返してたら悪霊になってしまうわ」
「いやや、それ本まどすか?それいややわ、悪霊なんかになりとうおまへん」
珠美さん半泣き状態だ。
「じゃあこれからはそんな小さな事に一々腹を立てていたずらしないで我慢する事ね」
「へえこれからは我慢しますう。あん人には悪い事しましたなあ、謝らんでもよろしゅうおすやろかなあ」
「気は心、ちょっとそばまで行ってえらい済まん事しました、堪忍どすえと言って来たら」
「へえ、じゃあ、そないさせてもらいます」
「あんまり彼女に近付き過ぎちゃ駄目よ、幽霊は氷の塊と思いなさい」
「うち、氷の塊どすか、そりゃ困りましたなあ」
「良い事を沢山したら水ぐらいになるわよ、そしたらも少し自由が利くわ」
「良い事沢山どすか、でもどない事すれば良いんでっしゃろなあ?」
「だから杉山さん達を紹介したのよ。これからはみんなと協力しあって、善行を積みなさい。そしたら守護霊にもなれるし、あの世にも行けるわ」
杉山君達が笑っている。女性たちも子供たちも笑っている。
「そうどしたなあ、それで皆さんここへ行らしたんどすもんなあ。つい今までのお寺の中の生活と違ごうて、楽しゅうおますから破目を外してしもうたんどす。へえ皆さん宜しゅうお願い申します」
「ま、早く田尻さんの近くに行って一応誤ってらしゃい」
「あ、そうどしたなあ、それ忘れてました」
幽霊さん達が又一斉に笑った。他の人達には突風が吹いたようにしか感じられなかったが。
方向と場所を少し変えてスケッチして行く。
その間に準備して来たお握りとパンをジュースと共に流し込む。多恵さんを取り囲む見物人が時間が経つに連れ増えて行く。
「結界を張りましょうか?」杉山君が声をかける。
「ありがとう、でも良いわ。反って人騒がせになって大変だから」多恵さん小声で止める。
12時半近くになると城下さんがみんなを点検して回る。皆大体描き終えたようだ。
「さあてお名残り惜しいけどここからおさらばしよう。さあ、降りるわよー」
皆荷物を背負い石段を下る。
「あー俺、ラーメン食いたい」
「お、俺もラーメン、擦れも油のぎとぎとした奴を」
男どもが騒ぐ。
「油がぎとぎとした奴かどうかは分からないけど、トロッコ電車の駅の近くに一軒あったわよ」
城下さんが即答える。どうやら前もって調査して来たみたいだ。
「さすが京都通だねえ、姉さん画伯」
「そこは城下画伯と言って欲しいわね」
「し、失礼しました城下画伯」
男子諸君謝る。
成程駅から少し外れた所にその店はあった。
「良くこんな所見つけたなあ」
「うんマップには載っていなかったぞ」
「ふん、蛇の道は蛇よ、色々手立てがあるの」
「兎も角入ろう」
ぞろぞろ六人お店に入る。繁盛してるみたいだ。もう1時に近い時間帯なのに余り空席がない。お店をぐるりと見渡す。
「皆一緒にと云う訳には行かないわねえ、まあ空いたとこに座らせてもらって食べましょう」
「そうそう、時間がない事だし、な、画伯」
笑いつつ皆それぞれに場所を見つけて座り注文を頼む。
皆が何を頼んだかは不明だが、多恵さんは茎わかめラーメンを注文した。
「じゃあ、常寂光寺に向かって出発。今度も歩くわよお」
城下さんの号令の下又みんなてくてく歩きだす。
城下さん、疲れないのかな?いや、今は神経が張り詰めているから感じないかも知れないけど、後からどっと疲れに襲われるに違いないと、多恵さんは密かに考えていた。
でもこの道はなんて素晴らしいのだろう!左手には川?いや大きな池だ。それが川のように見えているのか?右手は紅葉した樹木が覆いかぶさるように茂っている。何もお寺や寺院に行かなくとも紅葉だけなら、ここいらでスケッチしても十分納得の行く絵が描けるのにと多恵さんは思った。
「ここ何処だか知ってる?」歩きながら城下さんが皆に尋ねた。
「もち、嵯峨嵐山でしょ、駅名にもそうなってたわ」
田尻さんが答え皆も頷く。
「じゃあ、この左手の小さい山は?」
「え、山の名前?嵐山じゃないの?」
「それは後ろの大きな山よ。その手前のこじんまりした方」
「うーん、京都の人間なら直ぐ答えられるだろうけど」
「そうだなあ京都と言って直ぐ答えられるのは東山ぐらいかな」
「ここは京都の西だからそれは違うだろう」
「もしかして京都富士山、何て言っちゃって、ハハハ」
「誇り高い京都人が京都富士山なんて言うはずがない」
「そうそう、言わない言わない。他の所ではたとえ低くても形が何となく似てれば、何々富士山と言うとこ多いけど」
「富士山と銀座の付くとこ多いよな」
「山は富士山、商店街は銀座。日本人が憧れている所だからね」
「だから、ここは何と言う山なのよ」
「はい済みません、全然分かりません。何か有名な山なの?こんなちっこい山なんて、ふつうの地図にのってる?」
「もう、ここはモミジの名所であることは知ってるわよね」
みんな頷く。
「紅葉を見て何か歌でも読もうかなとか思わない?」
「俳句?短歌?うーんわたしは絵を描くわ。だからここに来てるんだもん」
石橋さんが言う。皆もこっくり。
「ええい、鈍い奴らだな。この左手の山はお、小倉山って言うのよ」
「え、あの百人一首の、小倉百人一首の小倉なの?」
「あ、それなら小倉羊羹の方が有名だわ」
「芸術家の端にも置けない、この食いしん坊目が!」
「おほん、これから行く常寂光寺は藤原定家の山荘の跡地に建てられたお寺なの。ほら、そこのお店、小倉茶屋って書いてあるわ」
「もしかして小倉羊羹の発祥の地を記念して建てられたお茶屋さんだったりして」
「昨日は西行、今日は定家。もしかしてわたし達帰ってみたら短歌の名手になってたりして」
「そんなもんで短歌が上手くなってれば誰も苦労はしないわよ」
常寂光寺に到着。門をくぐる。小倉山に向かって伸びている境内は見上げれば石段だらけだ。しかし紅葉の凄さは今までの何処よりも勝っているように思われる。
定家がここに山荘を立てた訳が分かるような気がした。
「右手に行くと定家の山荘跡の石碑が立ってるわ。左手の建物は若い芸術家の為の展示場になってるの」
「若い芸術家を応援してるのね、泣かせるわねえ」
一応モミジに覆われた定家の石碑も眺める。
「感慨深いわねえ、ここで百人一首の編纂や自分の和歌を詠んだと思うと」
「でも当時はここいら、人家も殆どなかったでしょうから、私だったらとても住めないな」
「良くわたしには分からないのだけど、ここの先にもう一つ定家の住まいがあるのよ、そこも凄く紅葉が素晴らしいんだって。普段は非公開らしいけど今の時期だけ見れるらしいけど多分予約待ちね。それに今回は時間も無いしパスと言う事に」
「もう一軒定家の住処?小倉に二つもある訳?」
「光源氏みたいに、女性を囲っていたりしてさ」
「女性は女性でもやんごとない身分の女性、内親王と住んでいたと言われているわ」
「じゃあ、俺様の憶測は当たらずと言えど遠からずと言う結論だ」
「でもこれ、にわか仕込みだから間違っているかも知れない。それに・・実はもう一ヶ所、定家の山荘跡と言ってる所もあるの。この3ヶ所がどこもここが本当と言ってるらしい」
「へええ、中々複雑なんだあ」
「まあそれぞれ言い分があるのよねえ」
石碑を見ながら、又みんな溜息をつく。
それから画家としての使命として展示場にも首を突っ込む。
展示場には今は芸術の秋と言う事もあって、高校生や大学生の作品がずらりと並んでいる。
「高校生の作品は皆真面目な正攻法で、大学生になると個性が強くなって、これでもかこれでもかと自分を誇示してる作品になって来るのが良く判るわ」これが絵を見たみんなの意見。
「ここからずうっと石段を登って行くの、覚悟は好い?」
「足腰鍛えられるわね」
仁王門をくぐると真っ赤な世界に迷い込んだよう。その赤や黄色の落ち葉の絨毯で覆われた階段を上って行くと、視界が開けた。
少し広くなった所には本堂や鐘楼が並び、右手には庫裡、その先はトイレ。
「左手には北極星の菩薩を祀った妙堂があるの。ここでスケッチタイムとしましょうか。裏に回れば大きな池があって、そこに映る紅葉も素晴らしいと思う。ちょっと登れば多宝塔もあるし、もっと登れば定家さんの住まいの上にお寺を立てるのは恐れ多いと言う事で住居を移した時雨亭があって」
「えー定家さんの住まいが残ってるの?」
「うん、あったんだけど・・」
「戦乱に会って焼けてしまったと言うんじゃないでしょうね」
「こんな山の上でしょう、そんな訳ない!」
「じゃあボロボロになって見る影もない姿になってしまったとか」
「そうよねえ、崩れた時に直ぐ修理すれば良かったのよねえ。でも色々あって台風か何かで、何しろ山でしょう風で壊れちゃったの.それで未だに再現されてないの」
「むべ山風を嵐と言うらん。歌そのものだなあ」
「でも百人一首の碑、歌の頭部が描かれたものがずらりと並んでいるの。興味があったら覗いてみたら。さらに上に行くと展望台があって、前の亀山公園と違って紅葉の向こうに京都の街並みが見渡せるわ」
「その京都も紅葉の真っ盛りか」紅葉の降水に少々持たれ気味のみんな、つくともなく溜息が漏れる。
「じゃあ、ここは3時と言いたいところだけど3時半少々としましょうか?うーんだとすると、もう一つ、祇王寺に行きたかったけど、無理かなあ。ここは階段が多くて長いし・・・」
「そう、少しお疲れさんどすえ」
石橋さんが言ったのだが多恵さん、ドキッとして彼女の顔を見つめた。
「分かった、一応ここで一生懸命に描く、それからあとの事は計画を変更することにしましょう』
みんな自分の書くべきところを探して移動する。一番人気は仁王門を見下ろす石段の上。
真っ赤なトンネルの中に黄色が混じり、それが石段の上に散り敷いている所は、自分がそこに存在しているのを忘れてしまうほどだ。
多恵さんも描きたいと思ったが、それを後回しにして第二の人気所、本堂の裏に回って大きな瓢箪のように見える池を中心に据えることにした。池を取り巻く赤と黄色の紅葉、その紅葉と青空を映す水面。ふと見上げれば多宝塔の上部も覗いている。
「あの多宝塔を入れるとなるとアングルを上げなくちゃいけないかなあ」
それを聞きつけた杉山君がここぞとばかりしゃしゃり出て来た。
「えーっとどうですか、その邪魔してる木を曲げましょうか?そうすると見えやすくなりますよ」
「じょ、冗談はやめてよねえ、あなたも芸術家の端くれでしょう?あの塔をどうしても描きたい訳ではないのよ。全体的に見てあの塔が見えていたから、描こうと思っただけなんだから」
つまならそうな杉山君。で、多恵さん思い出した、おばあちゃんたちは如何しているのかと。
「ねえ、わたしの祖母達は今何処にいるのかしら?気に成るんだけど」
「はい、さっき石森氏と連絡を取ってみました所、どうももうモミジには飽きたとか言われ昨日はあそこから街中の方を見て回られ、金閣寺や清水寺、平安神宮それからー・・」
「大体分かったわ。それで市内観光の後は」
「はいもうお察しの通り夜は舞妓さんが呼ばれているお座敷に」
「だと思ったわ」
「そりゃもうどんちゃん騒ぎでハハハ」
「と言う事は、あなたもわたしの目を盗んで出かけたのね」
「だってー、河原崎さんは他の画家さん達と喋って俺たちの事ほったらかしだから」
「冗談よ。どこへ行っても文句言う訳がないじゃないの」
「わたし達も全員行きましたよ、勿論」
「楽しかったわ、生きてるお客さんも酔いが回ってて、誰が生きてる人間か死んだ人間か訳が分からなくなって舞妓さん達あきれてましたよ」
「と言う事はお父さんも行ったのね」
「あ、うん、まあな」
「お。お父さんは座って何方か知らん人と差し向かいで飲んでいらしゃいましたよ」
「ま、俺も時々踊りに加わったけどな。死んだら酒にえらーく強くなってさ、これが全然酔わないんだ、ハハハ」
「じゃあ石森さんとは気が合ったでしょう?」
「もともと石森さんとは同志みたいなもんだからなあ・・でも昨日は」
「彼はおばあさま方にもフラフラだったけど舞妓.芸妓さんにもフラフラで終わった後もボーと魂が抜けたみたいでしたよ」
「それで今はどうしてる訳?」
「はー何でもおばあ様達が舞妓姿になりたいとおしゃって、その手伝いに駆り出されたみたいです」
「僕ももう少しで駆り出されるとこでした」良介君が口を入れる。
「人騒がせなおばあちゃん達」
「でもみんな底抜けに明るいですね、僕達幽霊とは全く違います」
「そうね、それは言えるわ」
「でも、三人とも長崎弁で話されるから半分くらいしか聞き取れなかったなあ」
「あ、そうなのよ。傍で三人ペチャクチャやられると頭がこんがらがって変になりそうよ」
「ハハハ、河原崎さんでもそうなんだ。石森氏良くもってるなあ」
「その内こっちに来ますよ、嵯峨野の方に行くと言ってますから」
「ええ、竹林の小径や大河内伝次郎のお屋敷や展望台も見て回ているらしいです」
「じゃあここに来るのも時間の問題ね」
そうこうしてる内にスケッチはできあがった。
「これはこれは見事な出来栄え、木を曲げないで良かったー」
「ほんと凄い、見事な配分ね。ホントに木を曲げたら台無しにしてしまうわ」
「へーうちもそう思います、ほんまに曲げないで宜しうおした」
杉山君、四方八方から言われて萎れかけている。
「さあて次何処描こうかな?」
さっきの階段の所は最高だった.でも絵にしたらどうなるか?
「確かに美しい、美し過ぎはしないか?肉眼で見、肉体で感じる、まるで赤と黄色の世界に迷い込んだ感じ。うーん、わたしは他を探そう」
多恵さんは立ち上がり道具を背負った。じっと上を見上げる。上るしかない。
多恵さんは石段を登って行く。そこも又赤と黄色の入り混じる世界だ。
「今度の画には赤と黄色の絵具が必要ね」多恵さん一人笑った。
「ここが時雨亭なのね」
時雨亭跡と書くかれた大きな石が置かれている。その上にもモミジが散りかかる。
「中々風情のある光景だわ」
それを素早くスケッチした。
「うんでもこれだけじゃダメねえ」
幽霊さん達にはこのもっと上の方に伸びる石段の上にある展望台に行く事を進め、多恵さんはもう一度あの仁王門の所に帰り、別の角度から描くことを思い立った。
時計を見るとあと40分もない、急がねばならない。
猛スピードで降りて行く。仁王門に続く真っ赤な世界も駆け抜けた。
仁王門から延びる道は二つに分かれる。一つは本堂に続く今来た道。もう一つ、庫裡へ延びる道がある。
両面の苔むした壁面からは赤と黄色の紅葉が同じように降りしきる。くるりと後ろを振り向くと、あった多恵さんの描きたい世界が。紅葉の間からチラホラ見える仁王門の白い壁、緩やかにカーブしながら伸びる石段、苔むす両脇に散り敷く落ち葉。何事も程々が良い。
大急ぎでスケッチに取り掛かる。
「あの仁王門の白さが絵を引き締めてくれるわ。それに構図的にも凹凸があって、うん我ながら好いとこに目を付けたわ」多恵さんの鉛筆画は滑るように進む。
「幽霊さん達もいないから落ち着いて描けるし」多恵さんほくそ笑む。
絵はどんどん進み最終段階に入った所でやな予感。
「あ、おったおった」
「ほんと、ここにおんならしたとね」
「あっちこっち探しよったばい、本と京都は紅葉ばっかしやもん、どこ探しようもなかけんで、苦労しよったよ、ハハハ」
「でもそれにしては福井山さんは落柿舎に行くと言うて道草をしよったやかね」
「それは‥うちは俳句ばしよるけん、芭蕉さんと去来さんのゆかりの場所ば、抜かす訳にはいかんやったもん」
鉛筆の動きを止めて声の方を見詰めればさすが舞妓姿は諦めたか芸妓姿の三人と付き添いの(?)石森氏の少しにやけた顔が見える。
「昨日はどんちゃん騒ぎしたんだって」
「あ、杉山君が告げ口ばしよったとね」
「でも、それがしたくて京都に来たんじゃないの?」
「ヘヘヘ、まあ半分は当たり、と言う所。勿論モミジもちゃんと見たしさあ、俳句も作ったとよ。後でみんなに披露せんばいかんね」
「所で杉山君達は如何したんです?」石森氏が尋ねた。
「石森さん、今回は本当にお疲れ様だったわね、お礼を言うわ。杉山君達はここの山の上にある展望台に行ってるの。あなた方も行ってみたら」
そうすると見えて四人はがやがやと消えて行った。
時計を見るともう定刻の時間を過ぎていた。
「でもどこに集まるのかしら」
多恵さんは何時もの通り荷物をまとめ立ち上がる。
まあ、本堂の前に行ってみようと、庫裡の方へ続く道を進む。
「おーい河原崎さーん」と右手の方角から声がする。
こんな所にみんな集まっているなんて思いもしなかったわ、と多恵さんブツブツ言いながら休憩所へ。
「良くこんな所が分かったわね、誰が決めたの?」
「誰も決めてないの、タダみんな同じ辺りで描いていたから」
「あなたにはそろそろ携帯かけようかと思っていた所」
「でも、わたし達がここにいる事が分かったわねえ」
「分かった訳ではないわ。この近くで描いてたから、この道を通って本堂のある所に戻ろうとしてただけよ」
「この近くで描いてたの?ふーん好いとこあった?」
「まあね。人の好みは千差万別だから」
そう言いながら多恵さんも休憩所の椅子に腰を掛ける。椅子らしい椅子に腰かけたのはあのラーメン屋以来だ
「でもここはどこを切り取っても絵になるわよねえ」
「訪れた所、全部そうじゃない、描くのに凄く迷ったわ」
皆満足気な顔だった。
「じゃあちょっと予定より早いけど、11月の日暮れは速いスケッチはこの位にして、京都駅の近くでこの旅を締めくくり打ち上げと行こうか』
「舞妓さんを呼んで?」
「冗談でしょう、この貧乏集団の何処を探してもそんなお金はあらしまへん。駅の辺りの一バーン安そうな店を探してそこに入るのよ」
「うん全国一律100円の回転ずしとかね」
みんなの口からため息が漏れる。
「まあしょうがないな、俺様の絵がもっと高値で取引されるようになったら、みんなに奢るよ」
「何時の事やら、その日を首を長ーくして待ってますよ」
皆、一様に頷きそれから笑ったが今一元気がなかった。
「まあ、この中で高名になって絵が高額で取引されるようになるのは、今の段階では河原崎さんが一番見込みがあるかな?」みんな一斉に頷く。
「もう既にいい値ついてるんじゃない?」
「冗談じゃないわ、知人に買ってもらってるだけよ、お情けでね。その人のとこももう満杯状態だから
他探さなくちゃいけないの」
「本当?なんかお医者さんが沢山いるとか聞いたわ」
「あ、輝美ちゃん関係か」
「ほら、もう別口探してんじゃない」
「こんな逸材良く画廊がほっとくなあ」
「旦那さんが哲学者だから煙たくて近寄れないんじゃないか?」
みんな納得。
多恵さんは大樹さんが教授と間違われなくて内心ほっとした。
「さあ、行こう、安い店目指して出発!」
城下さんの号令一下、全員立ち上がり常寂光寺を後にした。
京都駅に着くと、どうも城下さんには行きつけのお店があるらしく、先頭に立ち、さっさと裏通りのこじんまりした店に案内した。
「おこしやす。あ、城下はーん、長い事お見えにならんどしたなあ」
「へー、ま、色々うちにもする事仰山ありますよって、そう京都ばっかりにはこれまへん‥これ京都弁あってますかあ」
「そうでおますなあまあ70点と言うとこでっしゃろか?」
「おーきに70点結構な点数やわ、嬉しい」
城下さん、多恵さん達を振り返りウインクする。
「で、申し訳ないと今日は仲間を連れて来たわよ、女3人男3人、どこか空いてるとこあるかなあ?」
店内を見回すと、あった、城下さんの画。桜とお寺の絵で、水彩画みたいだ。
「ほな、ここへどうぞ、お掛けやす」
店の一番奥まった席に案内された。
「城下さんの画飾ってあるのね」
「ここもしかして城下さんのパトロンさん?」
「それなら嬉しいけど‥でもまあ安くしてくれるわ。だからあの絵をプレゼントしたの」
ささやかだけど楽しい打ち上げ会が始まる。
「河原崎さん、あなたこの間三宅さんと行ったスケッチ旅行、入ったお店でスケッチをプレゼントしたらしいわね」
「ええ、三宅さんとわたしの絵を二枚ね」
「店の人三拝九拝したとか聞いたわ」
「凄くご馳走になったからね」
「わたしの絵だけで良かったのにと三宅さん言ってたわ。あなたはあの時2枚しか描いてなかったし、上げた絵もとても素晴らしい出来で勿体なかったとも」
「わたしも未練はあったわ。でもそのお店の人、絵に何だか造詣が深くて・・きっと大事にしてくれると思うわ」
「ええ、亡くなった平井先生とも懇意にしてたとか」
「平井先生と言えば、奥さんの、えーと何て言ったけ・・」
「香奈さん」
「ああそうそう、その香奈さんもわたし達の美術会に入るんですって?」
「もともと美大の出身だから絵は上手なのよ、タダ平井先生の絵が凄すぎて、平井先生が生存中は只管裏方に徹していらしたの」
『でも亡くなってからも暫く描いてないんでしょう?何を急に思い立ったのかしら?」
「あ、それはねえ、この河原崎さんが進めたらしいわ」
「えっ、彼女とお知り合いなの?」
「ううん、あの三波渓谷で初めて会ったのよ」
「でも彼女、良く河原崎さんと会えたわねえ」
「そう、とても不思議だわ、普通の休みでもない日に、あまり人が行かない所で会ったって聞いたわよ」
「うーん、彼女、夢枕で平井先生があの場所に行くように言われたらしいわ」
「えええ、本当?怪談話みたい」
「怪談じゃないわ、彼は夢枕に立ったんだもの」
多恵さん、慌てて否定した。
「その夢枕が怪談そのものじゃない?」
多恵さん、少し悲しくなった。折角香奈さんを怖がらせないようにと、夢枕の手法を使ったのに、これを同じようにあっさり怪談話として片付けるなんて。
「でもさあ、平井さんの画凄かったよなあ、あれじゃ俺もビビって裏方に徹するよ」
「ホントだよなあ、うちの奥さんが平井さんのような物凄い才能が有ったら・・俺も絵描き辞めて裏方に回るよ。でもうちのは全然そんな心配ないからこんな京都まで来て絵が画ける、ハハハ」
時間が経つと段々お客が増えて来る。
「この絵、中々いい画だな。ここの親父さんいい趣味してる」
客の一人が城下さんの絵の前で唸っている、この店に始めて来た客らしい。
「へー、おおきに。実はこの絵をお描きになった画伯はんここにお出でになってますう」
『へー、それは奇遇だな、何方はんどす?」
客が覚えたての京都弁で問うた。
城下さん、慌てて首を横に振る。
「へえ、それは内緒どす」
『ああ、折角画伯はんと友達になれると思ったのに」
彼の連れが彼をなだめている。
「そろそろ帰路につきましょうかね、皆さん」
城下さんの提案に皆頷いて立ち上がる。
「お勘定、お願いします」と言って彼女と店の亭主が何やら話し合ってる。
「みんなあ、内緒だけど一律二千円で良いんだって」
「そりゃ申し訳ないよ、せめて俺達だけでも五千円ぐらい払わないと」
「良いんだって。でも今度来た時はここに来ることね、それが条件」
それで話は打ち切られた。
みんな店を出る。新幹線に乗れば恋しい我が家が待っている。
「京都か、少しモミジ中毒になりかけたけど好い所だ」
「うん、人は優しいし描きたい寺院が一杯ある」
「ええ、紅葉、綺麗だったし、展望台から見た景色も最高」
「河原崎さんのお陰で雨にも合わず本当に良かったなあ」
「そうそう、雨に降られたら折角の紅葉も台無し」
「それは偶然だと言ってるでしょう?それにこの頃は雨少ない院じゃない。でも濡れたお寺の屋根もわたしは好きだなあ」
「おいおい、そんな事言ったらなんかぽつぽつ来たみたいだ、早く駅に行って土産買って帰ろうか」
みんな慌てて駅に向かって走り出す。
例によって教授夫妻を始め,輝美ちゃんのご両親、藤井家わが家の土産を買い求めた。
教授や大樹さん、男性諸君には勿論日本酒に決まる。女性には生八つ橋などが定番だが秋と言う事もあってクリや柿など果物を取り入れたものがあって、それに決めた。もう、武志君も真理ちゃんも子供扱いはやめてクッキー等の詰め合わせに、輝美ちゃんの子供たちには金平糖の可愛い瓶詰にする。
「河原崎さん、パトロン多いとお土産代大変ねえ」
「そうそう、わたしなんかそんな存在ないから、全く心配しなくて済むから楽々よ。でも羨ましい」
「俺なんかいても、全然気にしてないよ。河原崎さん気い使い過ぎ!」
「そうだよ、そんなのに気い使ってたら、貧乏画家破産しちゃうよ」
「大丈夫よ、河原崎さんには立派なプロフェッサーが付いているんだから」
「まだ准教授よ!」多恵さん慌てて否定する。
何時もの事とは思うけど、違うものは違うのだ。
これらをコンビニで発送して、やっと新幹線に乗り込んだ。
「あーこれで帰れるわ」
「良いわよね、待ってる人いるんだもん」
「そうよね、素敵な旦那様と可愛いお嬢さんが」
「何を言ってるのよ、あなただって可愛い猫ちゃんが首を長くして待ってるんでしょ」
「でもさあ、あなたが旅行中誰がご飯作ってるの?まさか3日分作って保存するなんて事してないでしょうねえ」
「猫みたいにドライフードや缶詰で事足りれば楽なのにねえ」
「実はそうなの、って冗談よ、わたしのパトロン夫が幸いなことに料理が得意で、わたしがいない間、自分と娘の分、作って食べてるの」
「ひえー、教授の上に料理まで作るの?」
「凄い、本当。それじゃあお土産気張らなくちゃあね」
「へえ、河原崎さんの旦那、料理作るの?」
「俺だって作るよ、簡単な物なら、ちょこちょいのさっさだよ」
「それがー、中々込み入った物作るの。わたしより上手いかもね」
「これはこれは聞き捨てならないわねえ、そんな良い旦那、どこで見つけて来たの?」
「あ、そうか、わたし達の美術展の会場に身に来て知り合ったのよ。これ有名な話だわ、河原崎さんの絵に惚れて、ついでに河原崎さんを見て惚れたって」
「そうだったわ、そうかあ、でも料理まで上手とは初耳ねえ、羨ましい」
「わたしもそんな人現れないかなあ、あなたの画、惚れました、ついでにあなたにも惚れました。結婚して下さい、なんてね」
帰りの新幹線は速いのにしたので少し混んではいたが、その分早く着いた。
みんなと別れ我が家へ向かう。ふと気が付くと後ろに前に幽霊さんや祖母やその仲間、父等がぞろぞろ。
「多恵の内に行くのは何年ぶりかなあ」と父が言う。
「あらこの間来たじゃないの」
電車は結構込んでいるので多恵さん、小さい声で呟く。
「この間?」
「定一さんは死んでも物覚えが悪かねえ、この杉山さん達と一緒に多恵ちゃんの所に来たやかね」
「あそうか、そう言えばそうでしたお母さん。お母さんは物覚えがいいですね」
「何しろこん人は由美さんのお母さんだから、うち達よりずっと物覚えが良かもんねえ」
「そうそう」小川、真田両名が口を挟む。
「物覚えも何も本のこの間の事ばい、忘れる方がどうかしとると」
祖母の言葉は辛辣だ。
祖母達はもう芸妓の恰好ではなく前の銀座御用達の服に着替えている。
「和服はもう飽きたの?」またそっと尋ねる。
「ああ、あれはもう満足した。その代りここの若い女性たちは、なんか舞妓修行をやるとか言うて京都に残ったもんねえ、今度パーティをやる時に披露するっていうとったばい」
「やっぱ、舞妓姿はわっかもんがした方が良か、その方が花のあるもん」
「ホント、うち等がなっても年寄りの冷や水って言われるだけばい」
「いやいや、そんな事はありません、中々お似合いでしたよ、芸妓姿、まだ見ていたかったです。なあ杉山お前もそう思うだろ」
石森氏が割りこんで来て、杉山君に振る。
「ええ、まあ、そうですよねえお父さん?」
そう言われてそんな事には全く関心のなかった多恵さんのお父さん、定一さんは飲んでいた缶ビールを落っことした。だが心配無用、飲んでる人間も幻なら、飲んでるビールも幻なのだ。彼が落っことした所で缶ビールは果敢なくも消えてしまった。
「そ、そうですね、お母さん、とても綺麗でしたし、お似合いだったと思います。そ、そう思うよね、良介君?」
このやり取りをニコニコ顔で見ていた良介君、最後にお鉢が回って来た。
「うーん、似合ってはいましたが、そうですね、でも今の恰好の方が僕は好きです。こっちの方が活動的だし、話しやすい雰囲気があります」
「あたち達、ママやおばあちゃんにもあの綺麗な着物着て欲しかったなあ」
突如として二人の幼い伏兵が乗り込んで来た。
「え、わたし達がですって?それは・・・そうだわねえ、恵さんなら似合っていたわ、きっと」
「あらあ、わたし、考えた事もなかったわ、全然」
「お話のように化けて出られるんなら、元カレの所へ芸者姿で現れたいとは思わないの恵さん?」
「でも・・彼は真澄の父でもありますし・・」
「優しいのね、恵さんて」
「いえ。そんな事してたらわたしは何時までも幽霊から抜け出られないでしょう?わたし、早くこの子と一緒にあの世に行きたいんです」
それまではしゃいでいた幽霊さん達たちまちしゅんとなった。
「それはそうやろうと思うけど,こうして良か仲間に引き合わせてもろうて、幽霊家業もそんげん悪うなかて思うとっとやろ?」と多恵さんの祖母が聞いた。
「はあそれはそうです、勿論です。あの療養所での日々は地獄でした」
「わたしもです。あの六色沼で多恵さんと巡り会って、この彩菜ちゃんと合わせてもらうまで毎日毎日それはそれは苦しい・・・苦しいってもんじゃなかったです」
町屋静香さんも同調した。
「それはここにいる幽霊みんなが思っている事ですよ。辛い辛い思いから抜け出られなくって、みんなもがき苦しんでいたんですよ、ま、この杉山は別として」
石森氏が二人をなぐさめる。杉山君は少し不満そうだ。
「でも、その杉山さんがいたから救われたんですよ。杉山さんが僕たちにこのままじゃいけないって言って、河原崎さんに合わせてくれたんじゃないですか?」
杉山君大好きの良介君が抗議する。
「そ、そうだったなあ、杉山がいたから俺たち救われたんだ。でもどうしてお前、幽霊になんかなったんだ?お前みたいな陽気な幽霊ばかりだったら、怪談話なんて喜劇になって、怖くもなんともないや」
石森氏も杉山君の存在の重要性を認めざるを得ない。杉山君も嬉しそう。
「俺が幽霊になったのは、単に借金が山ほどになってどうしようもなくなったからさ。別に誰かに恨みがある訳じゃないよ、まあ躁鬱と言う病気の所為だよなあ、躁の時はさ、気が大きくなってこれは絶対に当たるとか、上手く行くとか思うのよね。それで借金しまくってかける訳・次に鬱が来るともうダメ、何もかも真っ暗気でさあ、布団から抜け出せない。最後はこんな人生何か終わらしてしまおうって事になるの」
「ふうん、じゃあ恨みはあんた自身にあるって訳だね」
「あ、そうか、そう言う事なんだ、だから娘が言ったんだ、化けて出たいのはわたし達の方って。彼奴、旨い事言いやがったなあ」
どうも杉山君は幻の缶ビールと電車の揺れ、この両方によって酔っ払っているみたいだ。
「奥さんやお嬢さん達は大変だったろうけど、本人は躁の時だけを考えれば楽しい人生だったのかな」
石森氏が呟く。
「そ、そうかな?そう言えるのかな?なんか不満が、心の底に不満や不安があるからそれを振り払おうとしてそんなことしたのかも知れない、分からないなあ。分かるのは一つだけ、あーそれを言っちゃいけないんだ」
杉山君悲しそうな目で多恵さんを見つめる。多恵さんは多恵さんで幸恵さんの笑顔を思い出していた。
電車は六色沼へ着いた。
「さあ、ここで行ったん杉山さん達はみんなを連れて、おじいちゃんのとこへ案内してくれない?」
『へー。福井山さんのとこへねえ?福井山さんにはこの間ちらっとおうたばってんアンマリ話すこともなかったけん、あわんも同じやった」
小川さんが言う。
「福井山さんは早う死によんなったけんあんまり話すこともなかったもんね」真田さん。
「あん人、結構老人会の旅行には良ー行きよったけど、おうちがちっとも行かんけん話すこともなかとやろが」
「うちはその旅行の時話したよ。なんば話したかは全然覚えとらんけど、兎も角話した事は間違いなか」
小川さんも祖母の言葉に同調する。
「まあまあ、そんな事より早く行きましょう、今度は京都の土産話が出来ますよ、芸妓姿にもなったとか。それにお父さんも嫌がらずに行きましょうよ」
杉山君が3人を急かす。かくて幻の一団は多恵さんの下から消えて行った
多恵さん大きく溜息をつく。
『あああ、これで安心して我が家に戻れるわ」荷物を背負いなおし多恵さんマンションへ足を向ける。
ドアを開ける。もう11時を過ぎていた。
「ただいまあ」周りをはばかり小さな声で言った。
「あお帰り、お風呂直ぐ入ったら?」大樹さんは何時も優しい。
「ありがとう、今日も沢山歩いたから疲れちゃった」
荷物を下ろし脇の方に押しやってから着替えとバスタオルをもって風呂場の人となる。
「あー、どうして我が家のお風呂が一番落ち着くのだろう?」
お風呂から上がるとお茶が入っている。真理ちゃんも一息入れに来たのかニコニコ顔で同席してる。
「疲れた、お母さん?」真理ちゃんが尋ねた。
「ええまあね。でも紅葉は素晴らしかったわ」
「六色沼より?」
「そうねえ、人によりけりだと思うけど、紅葉が沢山ある方が好きと言う人には京都はお勧めだわね。何しろ行った所行った所全部がモミジの世界だったわ。モミジの洪水で溺れそうだった」
「ふーん、じゃあ、大変だったんじゃないの」
「うーん、でもその洪水より言葉が・・」
「外人さんが多くて言葉に困ったの」
「あ、まだコロナの規制で外国人は多くはなかったの。只京都弁と長崎弁、この2つにやられたの」
「え、京都弁と長崎弁?京都弁は分かるけど、どうして長崎弁にやられるの?ひいおばあちゃんが生きていて一緒に旅行に行ってるんなら分かれけど・・・あ、分かった、長崎の人の団体旅行に巻き込まれたんだ」
多恵さん、頭の中に冷や汗をかいた。
「あ、まあ、そのう、コロナだから団体さんと言うほどではないけれど・・たった3人なんだけど可成りのお年でね、地方訛りが強くって、さすがのわたしもタジタジだったわ」
「そりゃ大変だったなあ」大樹さんも同情する。
「それがお年なんだけどえらく若々しくて元気なの。絵を描くよりもずっと振り回されたわ」
「うんうん、そんなお年寄りって結構いるわよねえ」
「じゃあ多恵さん、余計大変だったねえ」
みんなが笑った。
静かに六色生の夜は更けて行った。
続く
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