わたしと時々妄想ばっちゃんの日々 Ⅹ
春だ、輝く春だ。吹く風も今日は優しい(何時もは猛風だけどさ)桜も今年は遅れているらしいけどきっともう直ぐ満開だよ。と云う訳でみんなそれぞれ、それぞれの高校へ愛でたくも入学したよ。中には何かの不調で第2志望校にせざるを得なっかった子もいるけど、そんなの目的があれば、全然関係ないよ、些細な事さ。本のちょっぴり心が傷付くかも知れないけど、前を向いて歩いて行こうよ、若いんだもん。
え、わたしがこの冬をどう過ごしたかって?まあ慌てない慌てない、高校受験は公立一校、私立2校(受験日が重なって3校は無理だったのよ)計3校受験して無事に合格。勿論行くのは約束通り今中高校。
通学も近場の電車と地下鉄の2本で済む。だがこの電車は置換が多いと言う事で有名だ。腕に自信の母上が捕まえたり、撃退した悪漢は数知れず。でわたしは?腕には全く自信なし。でも大丈夫、敦君が一緒に通うんだ。
敦君、痴漢の噂を気にして筋トレ始めたらしい。うーん、筋肉増強クラブはとっくに辞めたはずなんだけどね、ご苦労様。ここで、ご苦労様について一言。ご苦労様を使うのは部下など目下の者に使うもので、目上や一般の人に使うべきではないと良く言われるけど、本当に苦労してる人には心から出る言葉はご苦労様しかないと思う。ありがとうもお疲れさまも的はずれでピッタリ来ないじゃないか。だから使わせてね、決して見下しているんじゃないよ、むしろ感謝と尊敬を込めて使っているんだからね。きっとほかの人もそうだと思う。
でその筋肉増強演劇クラブはわたしなき後どうなったのか、少し心配する、いや大いに気になる。うん、それがさあ、1月の終わりに近い頃、受験が近づいている真っ最中、例のあの二人がやって来た。
「あ、あのう、忙しいのは分かっていますが、そこを何とかこ、この台本の下書き、見、見ていただけないでしょうか?」
おずおずと二人は台本の描かれた原稿をわたしの目の前に差し出した。
「あのね、もうわたしはいないと思いなさい。解らない時は先生に聞きなさいよ。彼女は演劇部の顧問であり、マネージャーなんだから。それにれっきとした国語教師なんだから」
「は、はい、そうなんだけど‥わたし達をせっつくばかりで、あまり良いアドバイスがもらえないし、それにこの所、風邪気味だなあと思っていたらなんとインフルエンザに罹ってしまわれたみたいで」
「まあ本当、困ったわねえ、それじゃ劇の稽古も遅れちゃうわ」
「それで先生余計焦ってわたし達にさっさと台本仕上げて、わたし達だけで配役も決めておくようにと言う伝達があったのです」
「ええっ、そんな無茶な!」
「そう思うでしょ?頼りにしたい3年はいない、ただでさえ心細い演劇部なのにそんな無茶を押し付ける山岡先生ってどんな神経してるんですかねえ」
真理、思わず笑ってしまったよ。
「はい、仕方ないわねえ、台本預かるわ。でもこれで本当におしまいよ、受験が終わったら、みんなも手が空くと思うので、照明や音響等、少しは手伝えると思うけど」
と云う訳で、とうとう書きかけの台本を受け取ってしまった。
それを聞いて敦君の怒る事、怒る事。
「あいつ等何を考えているんだ!あと2,3日で私立の、それも最難関の高校の受験だというのに、ぼ、僕が押し返してやる!!」
敦君があいつ等なんて言葉を使うのを初めて聞いたような。
「良いの、あの二人をわたしの後釜に据えたのはわたしなんだから責任は取らなくちゃいけないわ」
篠原女史はケロリと言った。
「ほっときなさいよ、台本未完のままで良いんじゃない。大体山岡先生がいい加減んだからこう言うことになったんだから、未完のままで終わりにしたら。時間もない事だしその方が早く済むわ、ハッハア。きっと面白いわよ」
でもそんなに割り切れない真理はインフルエンザできっと今頃は高熱なんぞで苦しんでいるであろう山岡先生を思い、自宅に帰ると書きかけの原稿を開く。どうも話は飛んでアンがダイアナと友達になる所のエピソードが取り上げられているようだ、うん、話的にはここを取り上げるのが一番妥当だわねえ。でも相変わらず、情景も役者の立ち位置や出入りには無頓着だわ。
第一幕
真ん中に大きなテーブル、椅子は6客、マリラとアンが縫物をしている
ナレーター
みなさーんお久しぶりです、元気にしてました?あれからアンは、アン覚えてます、赤い髪の毛をした孤児のアンですよ、決して何時も食べてる饅頭の餡ではないんですからね、その餡ではないアンはあれから色々あったけれど、無事にこのカスバート家の一員になって暮らしています。おや、今日はどうやらマリラに縫物を教えてもらっているようですね
マリラ
アン、あなたこの間の教会に行く時に帽子にそこいらに咲いているバラやキンポウゲをごてごて付けて行ったんですって。恥ずかしくてミセスレイチェルは床の下に潜り込みたくなったって言っていたよ。あんたの傍に行って注意したいと思ったけども、随分離れていたんで、行けなかったって。みんな私が非常識だからあんな恰好させたんだろうって周りの人たちが囁いていたんだってさ
アン(泣きながら)
ああごめんなさい、わたし、バラやキンポウゲががあんまり綺麗だから帽子に付けたの、草花を帽子や洋服に付けた子は他にも沢山いたんだけど、マリラを苦しめる事になるなんて思いもしなかった、とても辛いわ。そうね、いっそ孤児院に返してもらった方が良いんじゃないかしら。わたし、こんなにやせっぽちだから、肺病になってしまうかも知れないけど、マリラを苦しめるよりはずっと良いわ
マリラ
な、何て馬鹿なことを言うの、孤児院なんかに返すなんて言っちゃいないわよ。さあ泣かないで、実は良い話があるんだからさ。ほら、あの川の向こうの家のダイアナ・バーリイが今日昼過ぎに家に帰って来る事になってるんだってさ。わたしはミセスバーリイにスカートの型紙を借りに行くつもりだから一緒に行くかい?ダイアナと友達になりたいんだろう?
アン(いきなり立ち上がり、膝の縫物が落ちる)
ああマリラ、わたし、恐ろしいわ、ついに恐るべき時が来たんだわ。もしもその子がわたしを好きになってくれなかったら、どうしようかしら!わたしの生涯の失望の中でも、最大の悲劇だわ
マリラ
何も心配することはないよ。でもねえ、そんな難しい言葉はよした方が良いね、小さい子が使うと滑稽だよ、ダイアナもお前を変な子だと思うだろうから。でも、きっとダイアナはあんたを好きになると思うけどさ、お母さんの方には気を付ける事だね、お母さんにいけない子だと思われたら、いくらダイアナが好きになってくれても駄目だからね。上品にお行儀良くして大げさな言葉は使わない事
うん待てよ、この調子で言ったら登場人物が物凄く少ない、特に男性諸君の登場人物はマシュー一人と言う事になってしまう。うーんあいつ等がわたしに原稿を渡したのはそれもあっての事だったんだ。ええい登場人物の水増しをしなくてはなるめえ。ここで雇っている少年を登場させるか、それも水増しして二人と言う事に。
ジュリーとピーターが部屋に右手より入って来る。その後からマシューもやって来る
ジュリー、ピーター
ああお腹空いた、そろそろお昼ですよ、ミスクスバート
マリラ
あらもうそんな時間なのね。少し待ってて直ぐ用意出来るわ。アン手伝って
アン
はーい、マリラ手伝うわ
マリラとアン。左手に去る
ジュリー
ジャガイモの植え付けは今日中に終わります、カスバートさん
ピーター
キャベツの収穫は終わりましたので荷馬車に積んで置きましたよ。昼から駅へ運び込むんですね、カスバートさん。一緒にわたしが行った方が良いですね
マシュー
ああそうだな・・・ジュリーはジャガイモの方は一人で大丈夫かな?
ジュリー
あと少しですから一人で大丈夫です
マリラとアンが左手より食事を運んでくる
一幕目幕
第2幕
バーリイ家の居間。大きくて立派なテーブル、椅子は12客。隣のスミス氏、バーリイ氏が談合中。ダイアナ、その小さな妹二人が居る(大分水増ししたけどまだまだ不足)右手よりミセスバーリイに案内されてマリラとアンが出てくる
ミセスバーリイ
どうも良くいらしゃいました、マリラ。こちらにお入りになって
マリラ
お邪魔しますよ。これはこれは今日は、バーリイさんにお隣のスミスさん
バーリイ
これはこれはミスカスバート、御機嫌よう。ええっと、その子が貰った女の子かい?
マリラ
ええ、アンシャーリイと言います
アン
つづりにはアンの後ろにイーが付くの
スミス
時々牧場越しに遊んでる姿を見かけるよ
ミセスバーリイ
よく来ましたねアン、お元気?
バーリイ夫人はアンと握手
アン
ドキドキしてますが体の方は元気です
ダイアナは本を読み、妹の二人は人形遊びをしている
妹二人
ね、ね、これどうやって着せるんだっけ、ダイアナ
ダイアナ
自分たちで考えなさいよ、今お話の途中で面白い所なんだから
妹二人
ダイアナは何時もそう言って教えてくれないんだから
ミセスバーリイ
ダイアナ、こちらが前に話してたカスバートさんちに来たアンシャリーですよ。それからアン、この子がダイアナですよ。さあ、これからアンをお庭に連れて行ってお花を見せて上げなさいよ、ダイアナ。その方が本を読んでばかりいるより、体にも目の為にも良いんですよ。本当にあなたは本の虫ですからね
ダイアナ
分かったわ、お母さん。アン、お庭に行きましょう、きれいなお花が沢山咲いているの
アン
ありがとう、ダイアナ。一緒に行って案内してくださいね
二人左手に消える
ミセスバーリイ
本をやめさせようにもお父さんが本を読むのは良い事だと言うもんで、直ぐ本に取り付いてしまうんですよ
バーリイ
本を読むのは良い事だよ、実際、ねえ、ウイリアム
スミス
ああそれは良い事だよ。でもさ、ダイアナは少し過ぎるんじゃないかな?
バーリイ
まあ、そうだな、ウィリアム
ミセスバーリイ
今まで遊ぶ友達が居なくて・・友達が出来るのはありがたい事ですわ、きっと少しは外で遊ぶことが多くなるでしょうね、マリラ
マリラ
ええ、きっと
幕
さてここまで書き進めたが明日は初めての高校受験の日、結構東京の奥まった所にあるので、朝も早めに家を出なくてはならないから、台本書きは暫し中止だ。勿論2幕目まではニックキあの二人に渡して、添削ずるなり加筆するなりして綺麗に清書するように言い渡した。
万歳、受験は何の問題もなくスムーズに終わった。ただ、いかにもお嬢様然とした女子が多く。これには辟易した事は否めない。うーん、例えここに合格しても、みんなは凄い、良かったねえと祝福してくれるだろうが、この雰囲気には、ちょっと考えさせてくれえと言いたくなるよ、本当に!
さて続きに取り掛かろう、あの二人は自業自得だからほっといても好いが、残りの部員を泣かせることはできないのだ。真理、頑張る!
第3幕
カスバート家の居間。テーブルにマシューとジュリー、ピーターが座っている。
ナレーター
アンはダイアナとの固い友情の約束を交わして、幸せ一杯、うきうき気分でマリラの夕食の準備を手伝っています。良かったねーアン!友情こそ人生の宝物、大切にしようね
アンが左手より夕食を運んでくる
マシュー
ダイアナとは上手く行ったかな?
アン
ああ、マシューとってもうまく行ったの。わたしもダイアナに会いたかったけれど、ダイアナもわたしに会いたかったんですって。それでね、小道を川に見立てて、永遠の友になる宣誓をしたの。花が一杯咲いてて,風も爽やかでお互いに胸が幸せで満ちていたわ
マリラも夕食を運んで来る
マリラ
はいはい、プリンスエドワート島で一番の幸せ者さん、明日ベルさんとこのカバの森にままごとの家を作るんでしょう?小屋にある壊れた瀬戸物は使って良いよ
アン
ああ何て素敵なんでしょう、ダイアナは本を貸してくれるって言うし、わたしの部屋にかける水色の女の人のとても綺麗な絵もくれるって言うの。わたしも何か上げる物があると好いんだけど
マリラ
アン、台所へ行って、残っている最後のお盆に載せてある物を持ってきておくれ
アンは「はい」と返事をして台所へ(左手に)消える
ジュリー
マシュー、じゃが芋は皆植え付け終わりましたよ
マシュー
ああ、ご苦労さんだったね
アンが左手から最後の盆を運んで来る
マシュー(ポケットから包み紙を取り出す)
ア、アンやお前さんがチョコレートキャンデーが好きだと前に言ったでな、少しばかり買って来てやったよ
ピーター
ああ、あの時店でごそごそしてたのはそれを買うためだったのか
アン
まあ嬉しい、ありがとうマシュー、夢みたい!とてもとても嬉しいわ
マリラ
フン、そんな物は子供の歯や胃を悪くするのに。でも良いよ、良いよアン、そんなに悲しそうな顔をしなくても上げますよ。折角マシューが買って来てくれたんだからね。せめてはっかだと良かったんだけどあれは体に良いんだからね。でもね、それを一度に食べたりしたら、気分が悪くなりますよ。解ったわね
アン
ええ、そんな事しないわ。今夜は一つだけにするわねマリラ。そして・・あとの半分はダイアナに上げても良いでしょう?そしたらあとの半分が2倍美味しくなると思うの。それに、わたしもダイアナに上げる物が出来てとても嬉しいわ
マリラ
お前がケチでなくて嬉しいよ、ねえカスバート
カスバート
ああそうだとも、アンは良い子だよマリラ
幕
でも次が問題だ。ピクニックを楽しみにしているアン。降ってわいたアメジスト紛失事件。ピクニックに行きたいばかりに嘘のストーリーをでっち上げるアン。アメジストが出てきて何とか途中からピクニックに出かけることが出来たアン。ここを延々と劇にする事は容易いがでも登場人物は限られているし、内容的に少し暗い。ようし、ひっくるめてナレーターの口上と小説には出てこないピクニックの場所を借りよう。
第四幕
背景遠くに大きな池とボート、周りには木々。真ん中にはアンとダイアナ等の女子のグループ、後ろには男子の姿もチラホラ見える
ナレーター
それから数日たちました。アンとダイアナの友情は深まるばかりです。今日はみんなが待ちに待った日曜学校でもようされるピクニックの日です。でも何故かアンは朝から一緒に行くことが出来ず、やっとお昼を過ぎて姿を現しました.一体何があったんでしょう
ダイアナ(今着いたばかりのアンへ)
まあお座りなさいよアン、どうしてこんなに遅くなったの、心配してたわ
ルビー
それよか、このクッキー召し上がれ、ママが焼いたの、美味しいわよ
ジェイン
あら、このアップルパイ、姉が作ったのよ。本とに本とに美味しいんだから
ソフィア
これはおばあちゃんが作ってくれたチョコレートケーキよ、すごいでしょ
メアリー
わー豪勢ね、ほらわたしも色んなものあるわ、でもチョコレートケーキには負けるわよねえ
テーリー
果物の砂糖漬けも持ってきたの、ほっぺたが落ちるわよ
ジュリア
まだ卵のサンドイッチも残っているわ
アン
みんなありがとう。わたしもマリラが焼いたお菓子がほらこんなにどっさり!みんな食べてね
ダイアナ
でも一体どうして遅くなったの?
アン
マリラのねアメジストのブローチが無くなったの
ルビー
アメジストですって、あの紫色の?
ジェイン
わたし、アメジスト大好き
メアリー
それでどうしたの、見つかったの?
アン
最後に見たのがわたしだったの。わたしはちゃんと元の所に返したんだけど、どうしても見つからないのよ
テーリー
困ったわねえ、それでどうしたの
アン
マリラがわたしがそれを持ち出して隠したんだと言って、それを白状するまで部屋から出ちゃいけないと言うの
ジェリー
それはあんまり酷過ぎるわ
アン
で、夜一晩中考えたのよ。このままだったらピクニックに行かしてもらえないと思って
ダイアナ
それで名案浮かんだの?
アン
それでね、
みんな一斉に「それで」と叫ぶ
アン
マリラにわたしの作り話をすることに決めたの
みんな「ふんふん」と頷く
アン
わたしが外へ持ち出しました。アイドルワイルドの泉の所へ行ってコーデリア姫のようにふるまったらどんなに素敵だろうと思って。帰ってから元の所へ返して置けば好いと考えました。でも橋を渡る時もう一度よく見ようと思ってブローチを取り出して見つめました。それは日に輝いて何と美しかった事でしょう。でもその時ひょっとした弾みに手から滑り落ちてしまいました。ブローチは下へ下へ紫色に輝きながらあの川、輝く湖水の底へ永遠に沈んでしまいましたの、とマリラに告白したの
みんな
それでー
アン
マリラは何故か凄く怒って、ピクニックには絶対に行かせないと言って、わたしの必死のお願いを却下したのよ
みんな
アン、可愛そう。でもどうしてここに
アン
それがあ・・マリラがショールがほつれたのを思い出してそれを繕おうとショールを出してみたら,何とブローチがひっかかっていたんだって
みんな
えー、そんなー
アン
マリラは誤ってくれてバスケット一杯焼いたものを詰め、馬車でジュリーニ送らせてくれたの
みんな
あー良かったあ
幕
ここで4幕は閉じて、ピクニックの続きは第5幕でと言う事にしよう。
第五幕
背景、カスバート家の居間。椅子にカスバート家のみんなが座っている
ナレーター
アン、随分酷い目にあったんですね。でもピクニックに行けて良かった良かった。ではその夜のカスバート家を少し覗いてみましょう
カスバート家の人々はそれぞれお茶を飲み、お菓子を食べている
マシュー
それでピクニックはどうだったんだい
アン
す、すごく豪勢だったわ。豪勢って言葉、メアリーが使ったのよ、初めて覚えた言葉なの
舞台にダイアナとメアリーが左手より現れる
メアリー
はいわたしが使いました。チョコレートケーキがあんまり豪勢だったもので
ダイアナ
お茶も美味しかったし、ハーモンドさんがボートに載せてくれたの
右手よりハーモンドとミスシャインが現れる
ミスシャイン
わたしがお茶を心を込めて入れましたのよ、ホホホ
ハーモンド
俺がみんなをボートに乗せてやっただよ。中には落っこちそうになった子もいたな
左手よりジェインが現れる
ジェイン
はいわたしがその落っこちそうになったジェインです。水連がきれいだったので取ろうと思って身を乗り出したの
ハーモンド
俺がジェインの服を引っ張らなければお陀仏ってとこだな
ジェイン
ええ、おじさんはわたしの命の恩人です
左手よりルビー、テーリー、ソフィア、ジュリアも踊りながら現れる
ルビー、テーリー、ソフィア、ジュリア
楽しい、楽しいボート乗り、その後は
メアリー、ジェイン
その後はアンも楽しみにしていた
女の子全員
それは、それは美味しいアイスクリームの時間です
左手から男の子3人現れる(もっと男子が欲しい所だけど、新入りいる?)
男子
俺達もアイスクリーム、大好きなんだ、男子も入れて欲しいな
女子
それはそうでしょうね、どうぞ、どうぞ遠慮なくお入り下さい
右手よりミセスリンドが現れる
マリラ
まあレイチェル、レイチェルがアイスクリームを作ったの?
レイチェルリンド
ハーイわたしがこのミスジャンソンと一緒に美味しい美味しいアイスクリームを作ったの
ミスジャンソン
ええ、わたしはミセスリンドと一緒にとろける程美味しいアイスクリームを作ったのです
レイチェル
これを食べたい為にアンは身に覚えのないアメジストのブローチを川に落としたと云う物語をして、マリラにピクニックへ行かしてもらえるよう願ったのです
ミスジャンソン
でもそれはマリラを増々怒らせてしまい、可哀そうなアンは泣くしかありませんでした
レイチェル
その時、ショールのほころびを繕おうとした時、ショールに煌めくアメジストのブローチ。
ミスジャンソン
全てはマリラが仕出かした事だったのですね
ジュリーとピーターが立ち上がり二人に加わる
ピーター
可愛そうなアン、あんなに楽しみにしてたのに、昨日の夜から嫌疑をかけられ自分の部屋に閉じ込められて、作った話も無駄になってしまったよ
ジュリー
やっと疑いが晴れたのが2時を回る頃。支度を整え馬車に乗り込み、おいらが馬を走らせたんだ。やっと念願のアイスクリームが食べられたって訳だよ。うーん、良かったなあ
ジュリー、ピーター
良かった、良かった
レイチェル
じゃー、それを祝してみんなで楽しく踊りましょう
アンとマリラも一緒になってみんな手をつなぎ踊る
ちょっと最後はミュージカルぽくしたけど、そこは山岡先生や大桐先生と相談して決めてよね、とわたしが出来るのはここまでにしよう。
部室に行って二人を呼び出した。
「あ、出来ました!」
パッと二人の顔色が輝く。
「まあね。大幅に出てくる人数を増やすために場面も構成もまるっきり変えなくてはならなかったわ」
「そうですよね、ほんとにみんなに草や木に成ってもらうしかないな、なんて冗談抜きに考えてました」
「ま、まさか先輩もそう考えて手直ししたんですか?」
二人がわたしの顔を覗き込む。
「そんな事するわけないでしょう!」
「すみません、ほんの冗談です」二人は誤った。
「うん、でもそれも面白い考えねえ。ただし木や花が人間のように喋るという前提でやったら又違った台本が出来たかもね。そしたら三峰さんは真っ先に花の役に立候補するでしょう?」
「え、わたしが花の役にですか?」
「そうよ、花だったらセリフをもっと自由にアレンジ出来るでしょう?
「ヘヘヘ、そう言う事ですか」
「三峰が今まで以上に勝手にアレンジされたら困ります」
「でも客席には大受けよ」
「もう先輩まで。わたしは真面目なお芝居をやりたいのです」
「はいはい、まあ、真面目を少し逸脱するかも知れないけど、大丈夫、人間しか出てこないわ」
「少し逸脱するって?」
「あ、逸脱って本来から外れるって意味よ」
三峰嬢のボーとした顔に気付いて、まずは彼女に説明する。
「特に最後の第5幕目、見ればわかると思うけど、初めはそんなつもりで書いてたんじゃないから、普通のセリフになってるけど、段々ミュージックみたいになって行ったのよ」
二人も5幕目の所をめくって目を通す。
「ええっ、あの最後の場面がこうなるんですか?」二人、目を白黒。
「そうよ、そうしなくては部員全部を捌き切れないでしょう?」
「はあ、成程、こういった手品みたいな事も台本書くのには必要なんだ。フンフン、それに面白いし、最後の場面らしく賑やかでとっても華やか」
「反対に静かでしみじみ、と言う幕切れもあるけどね」
「でもこれはこう言った華やかな幕切れが良いと思います」
「第4幕もアメジスト事件がピクニックでアンが語るという風になってるから」
「ああ、あすこ、すごく困りました。先輩の台本では、ピクニックやその前後の事が第4幕のナレーターの言葉であっさり片付けられていますね・・」
「ごちゃごちゃした所はナレーターで片付けられるものなら片付けましょう、だらだらやってる時間も無いんだから」
「はい勉強になります」
「肝に銘じます」
「きもにめいじますって?」
「あんた、なーんにも知らないのね、肝に銘じますって簡単に言うと良ーく覚えておいて、今度はちゃんとやるって意味よ」
「ふーん、成程、じゃあその言葉を肝に銘じて忘れないようにしよう」
「そうそう、そうして頂だい」
この二人のやり取りは軽快で楽しい、何時までも聞いていたい気分だがそうはいかないのが、受験生の悲しさだ。
「で、その5幕目なんだけど、山岡先生と、あ、山岡先生、流感治ったの?」
「はーい、良くお治りあそばせたようですよ。早速台本はどうなってるの、と声がかかりましたから」
「じゃあ、その山岡先生と大桐先生と相談して、セリフもちょっと変え、ミュージカル仕立てにして頂だい。最後の輪になって踊る所も歌を入れて踊った方が断然良いと思う」
「はー、歌を入れるんですか?」
「そう、歌。簡単な歌で良いのよ、そこはあなたたちで考えて頂だい、そこまでしたら完全にわたしのシナリオになってしまうわ」
「わ、解りました。でも、今でも殆ど先輩作ですけどね」
「不満?」
「い、いいえ、とんでもない、ありがたいと思ってます。受験があると言うのに不甲斐ないわたしたちの為に骨を折って下さって、何とお礼を言ったら良いのやら。感謝しかありません。三峰と最後の所は二人で乗り越えます」
「今一つ不甲斐ないが良く解んないけど、兎も角感謝して二人で歌を作って頑張ろうと言う事ですね、ハイこれで良いのかな?」
「ああ、頼りない相棒よ、でも頼るべき者はあんたしかおらんのじゃ、しっかり頼んますよ、相棒!」
大丈夫、その場になればあれだけの知恵を発揮できるんだから、彼女はきっと良いアイデアを発揮してくれるはずとわたしは思う。
2月に入り、先日受験した私立の合格発表があり、無事合格できた。中学校の先生達も喜んだが、塾の先生たちはもっと喜んだ。そうこうしている内に今中高校の試験日が迫って来た、と言う事はもう1つの私立の難関校も受験の日であり、村橋さんがそこを受ける事になっている。
「わたし、怖いわ」村橋さんの強張った顔。
「大丈夫よ、あれだけ頑張ったんだもの。深く息を吸い込み、今度はゆっくり吐くの。これを何回か繰り返すのよ、そしたらドキドキが収まって来るわ。そうすれば実力が発揮出来る、あとはあなたの実力が在れば合格間違いなしよ」
「あ、あなたは、何時も舞台に立ってるからそう気楽に言えるのよ。わ、わたしは舞台にもマイクの前にも立った事ないの、そんなに簡単にドキドキは収まらないわ」
「本当なんだから、やってみなさいよ。寝るときに布団の中でやれば、熟睡も出来るわ」
「じゃあ布団の中でやってみるわ、それからこの落ち着くとか言う薬」
「それは正確には薬じゃなくて、サプリメントの仲間に入るらしいわ。わたしのばっちゃんがそう言ってた。例の魔法の薬よ」
「ああ、物部君が今愛用してるやつね」
「そう、夜も良く寝られるらしわ。だから今教えた呼吸法と一緒にやれば鬼に金棒って訳」
「うん、試してみるわ。あなたは今中高校って聞いたこともない高校受けるのよねえ、しかもボデイガード付きで」
「ハハハ、あなたは聞いた事ないかも知れないけど、演劇界では一目置かれてるのよ。それに敦君はボデイガードじゃなくてどちらかと言うとライバルよ、へへ今の所は本当にライバルなの」
「でも彼はボデイガードのつもりでいるはずよ。この所少し成績落ちたから聞いてみたのよ。そしたら」
「そしたら?」
「僕達の通う電車には痴漢が一杯いると聞いたから、僕は真理ちゃんを守らなくてはならないんだ。だから、今力が出せるように筋トレに夢中なんだ、って言ってたわよ」
「えー、全然知らなかった。教えてくれてありがとう」
「フフフ、彼の片思い、叶うと好いわね」
「あら、片思いじゃないわ」
「じゃあ、じゃあ、両思いなの?こ、これはビッグニュースだわ」
「違う違う、そんなんじゃなくて、わたしと敦君とは幼馴染で、他にも2,3人いるからそれを代表して、わたしを守ろうとしてるだけなの」
「ふーん、なんか良く解んないけど、島田さん、もてるから。ああそう言えば、バスケットの沢口先輩も確かあなたに首ったけとか聞いた事あるわ、沢口先輩わたしが狙っていたのになあ。こりゃ、谷口君片思いで終わりそうだ」
これで気が紛れたか何とか彼女の動機は落ち着いたらしい。やれやれだね!
翌朝、敦君と待ち合わせて電車に乗り込む。先生に言われ、母の忠告もあって、早めに家を出た。早朝なのに、いや早朝だからこそ電車の中はぎっしり満員だ。東京に近付くほど人が増えてくる。
「大丈夫だよ 降りる駅が近づいて来たら僕が頑張って、入口の方に移動するから」
敦君がこの日の為に鍛えた筋肉を披露する時を伺う。
しかし池袋を過ぎる頃から込み具合が緩和し始めて、敦君の目論見は果敢なく消え去った。
学校に着くと、何とそこにはあの演劇部の顧問をしている先生たちが二人待ち受けていた。
彼らは目配せして近づいて来た。
「良く来てくれたねえ、もしかして他の高校を受験するんじゃないかと心配してたんだよ」
「彼女は塾の為に今日受験日になってる方を薦められたけど、こっちの方が大事と言って引かなかったんです」敦君が胸を張る。
「いやーありがたいねえ、本とは試験なんか受けなくっても良かったのに」
「そんな訳にはいきません。それに塾用の高校、もう一つはちゃんと受験して受かりましたから。後県立の高校に受かれば塾との約束は三分の二は達成した事になります」
「そうか、塾もあなたが頼みの綱なんだ」
「別の女子が今日の高校、頑張っています。初めのころは一緒に受けられないと言ってむくれていましたが、同じ塾の他の中学の女子が受けることになったので、やっと納得してくれました。それに落ち着いて受験できるようにサプリメント等も渡して来ましたので大丈夫だと思います」
「じゃあ真理ちゃん、僕達そろそろ行こうか?」
「ええ、じゃあ、失礼します」
わたし達は軽く頭を下げ、試験場に入って行った。
第2回目の受験はこんな風にして進み終わった。
公立の試験まで少し時間があるので、チラリとだけ劇はどうなったのか覗いてみた。やはり、気に成るのだ、自分が手を入れたシナリオだもの気にするな、後はあいつらに任せるべきだと言うもう一つの心の声もある事はあるが、ちょうど時間に余裕が生まれたからには、それを無視して今は覗くべし、うん。
「あ、島田先輩、いらしゃったんですか」
目ざとく三峰嬢が見つけて飛んで来た。
「邪魔だろうと思ったんだけど、少し覗いてみようかなと思って」
「わあ、島田先輩、嬉しい」
「島田先輩が来てくれて心強いなあ」
「島田先輩、わたし、アンをやるんです。前回は先輩がやってたから、見劣りしちゃうなあと心配で」
「まあ原さんがアンの役なのね、わたしの事は忘れなさい。今度の舞台は今度の舞台なのよ、まったく前の舞台とは無関係なの。あなたの思うアンを、あなたの想像するアンをやればいいわ」
「そ、それが・・先輩が演じたアンがわたしには強力過ぎて、想像しても想像してもイメージ出来るのは先輩のアンなんです」
「うーん、困ったわねえ・・・そうだ、アンの本や漫画の本を見るとアンの絵が乗ってるでしょう、その中であなたの一番好きなアンを見つけて、それをイメージして演じてみたら?」
「はい、自信ないけどそうしてみます」
「本当はあなた自身そのままで良いのよ、何にも心配することはないわ。あなたのまま、それが一番だとわたしは思うわ。見てる方だってあなたのアンを見たいはずなんだから」
「わたしのアンを、わたしのアンを見たいですって」
「そうよ、あなたのアン。あなたは2年生だから、また次の舞台でアンを演じる事になるの、堂々とやりなさい。人がどう思おうがわたしがアンよ、ってね」
「ふーん、もう少し考えたら、自信が出て来そうです、ありがとうございました」
「マリラは誰になったの?」
「マリラは上田さんでダイアナが小川さん、ミセスバーリイは梅木さんです」堀越譲が答えた。
「そう、それで女子の2年生は全部か」
「そうです、男子の方が難しくて中々決まりませんでした」
「マシューは誰がやる事になったの?」
「はい、大山さんは大柄過ぎてバーリイとボートを乗せる係のハーモンドの役の二役に割り当てて、町田さんがマシューの役で、ジュリイとピーターを田口さんと森山さんにお願いしました」
「じゃあ残りを一年生がやるのね」
「ここで女の子が他に6人要ります、それにナレーターとリンド夫人とミスシャイン、合計9人です。それに男の子も三人ばかり。リンド夫人は梅木さんに2役お願いしました。少しオーバー気味なんです。仕方がないのでナレーターは山岡先生に頼みました。忘れていましたがお隣のスミスさんは田口さんが2役です。それでもやや足りませんが、喜んでください新入りが男女一人ずつ入りましたので、これで何とかミスシャインをこの堀越がやらせてもらって、後の1年女子5人と男子一人がアンの女友達に、残りの1年男子4人が男の友達として登場すると言う事になってます。少し男友達のセリフが少ないので、4幕と5幕目にセリフを増やしました」
「まあ凄い。やれば出来るじゃない。その調子で次からも頑張ってね、新学期からは本当にわたしは居ないんだから」
「はい、この間の話で台本って本当に自分の都合に合わせて、自由に変えられるんだなあと思い知りました。ありがとうございました」
「あ、それから最終場面はどうなったの?」
「はいはい、早くそれを聞いてくださいよ。そりゃもう素晴らしいミュージカルになりましたよ。セリフも変えて、大桐先生がメロデイーを付けて下さって体操の橋爪先生が振付を付けて下すったの。そりゃあそりゃあ、すんばらしいものに仕上がりました」
三峰さんが水を得た魚のように嬉し気に説明した。
「まあそうなの、楽しみだわ。3月の舞台ワクワクして待ってるわ」
「ええ、でも・・彼女は喜んでいますが・・セリフは演劇部だからお手の物ですが、曲やダンス、少しばかり苦手と言う者もいるもので、そこが今の頭痛の種です」
真面目派の堀越譲は三峰嬢のように気楽に喜んではいない。
「音痴であることを引け目に感じている人もダンスは苦手と言う人もいる訳ね」
「ええ、そうです。何しろ初めての試みですから」
「でもそれは杞憂と言うものよ。あ杞憂って意味ね、早い話が心配し過ぎと言う事、昔、中国の紀と言う国の人が天がおっこって来るんじゃないかと心配した故事によるものなの」
わたしは三峰さんに説明した。
「で、杞憂がどうしたんですか?」三峰嬢が尋ねた。
「いや、杞憂じゃなくて、今歌やダンスが苦手な人の話をしてるのよ」
「はー?そんなの簡単ですよ、音痴は音痴のまま歌えばいいんですし、ダンスも忘れたら自分が動かしたいように動かせばいいんですよ」
「わたしもそう思っていたわ」わたしは三峰嬢に賛同する。
「でしょう、でしょう。先輩解ってるー」
「そんな訳にはいかないわ、大桐先生にも橋爪先生にも失礼だわ、折角時間を作って創作して下すったのよ」
「うーん、でもそれが重荷になったんじゃ何にもならないわ。練習はまずは先生達がの言われた通りにやるだけやってみる、調子外れは調子外れのままで良いのよ、それがおかしみや味わいにもなるんだから。本人は先生の作った曲、そのものと思っている、それで良いんじゃない?」
「それでいいのかなあ?」堀越譲はまだ納得のいかない顔。
「この世の中はさあ、歌がうまい人間もいるし、下手な人間もいる。下手な人間にもっと上手にと言う方が無理なんだからさあ、堀越よう、諦めなよ、下手のまんまの方が絶対面白くなるって」
「でも、ダンスの方は?」
「ダンスだってそうよ、決められた通り教えられた通りに間違いなくやろうとするからぎこちない動きになるのよ。先生の振付を踏まえた上で自分が動き易いようにやったり、こうした方が面白いと感じるように動けば、ぎこちなさも消えるわ」
ああ、ほんとにこの二人良いコンビだわとわたしは思わず微笑んだ。大丈夫、この二人に後を任せればこの演劇部はもっといい演劇部になるはずだ。もう何にも心配は要らないと満足して部を後にした。
村橋さんも無事憧れの高校の合格通知を手に入れた。
「おめでとう、何も心配いらないって言ったでしょう」
「あ、ありがとう、あなたのくれた薬も呼吸法もどっちも良く効いたわ、ほんとに落ち着いて試験に臨めたもの」
「だから、あれは厳格に言えば、日本では薬じゃないの、サプリメント扱いのものだって内のばっちゃんが口を酸っぱくして言ってたわ。それにあなたが今まで必死に頑張ったから試験が上手く行ったのよ、いくら落ち着いて試験に臨んだからと言っても、実力がなければ合格できないわ」
物部君も馬場君もそれぞれ、塾から勧められた高校に合格できた。
ああ、そうそう、わたしと敦君もついでに言わせてもらえれば、無事合格できました。はい。
後残すは公立のみ。この勾玉県の主だった公立高校は昔からの流れで男子校と女性校とにわかれている。よって、いくら仲が良くてもわたしと村越さんは女子高へ物部君と馬場君は男子校へと泣き別れ(へっ、泣き別れなんじゃない、別れてせいせいすらー、と思っているかな?)
「でも、一緒に受験する仲間がいるのは心強いわ、前の受験の時は一人だったでしょう?心細かったわよ、幾ら薬飲んでても呼吸法やってても」
「だから、あれは薬じゃないの、日本では」
「そんなの関係ないわ、あれは立派な薬です、だれが何と言おうと。又もらえるんでしょう?後からお礼はするわ」
「はいはいそう言う事にするわ、あなたとわたしの間だけのやり取りではね」
こうして公立高校の試験も無事終了。
すっかり気も緩んでほんとに久しぶりにお隣にお邪魔虫、武志君の顔も忘れそう。
いや本とに忘れたのかな、出てきた武志君の顔が違っているぞ?
「如何した、ぼんやり人の顔見て、受験受験で頭がいかれてしまったか?」
「そうかも、あなた本とに武志君?わたしには武志君と言うよりダケシ君と言う所かな」
「何だよ、ダケシって言うのは?俺はまごう事なき藤井武志だぞ。由緒正しい藤井武志とは俺の事だあ、まいったかあ」
「由緒正しいかどうかは知らないけれど、少し無精してたな、もう高校2年になるんだ、中学とは違うよ、おひげが伸びて少々むさ苦しいよ」
「ふうん、だからダケシか、旨いこと言うなあ」武志君、手で顎と口の周りをなでている。
「もう少しでダケシがダゲシになり最後にはダゲジになるぞ、小まめにお手入れお手入れ、美香ちゃんから嫌われるよ」
「はっ、今はそんなことはどうでも良いんだ、只管勉強、勉強!この俺がそんなことを言うようになるんて、ついこの間まで思いもしなかったよ、ハッハッハッ。と言うのは冗談、つい面倒でさ、大人に近づくと言うのは本当に厄介な事なんだなあ」
「ヘッ、女はもっと前から大変なんだぞ、髭を剃るぐらい大した事じゃないわ、それとも本当に本当に一心不乱に勉強してたの?」
「まあな、お前に触発されてな、前の俺とは別ものよ」
「じゃあ、悪かったわねえ、あなたの貴重な勉強の時間を減らしてしまって、わたし、帰るわ」
「ヘヘ、と言っても時には息抜きも必要さ、ま、上がれよ、試験全部終わったんだろう?」
真理、久々に藤井家のお邪魔虫になる。
ちょうど藤井夫人も買い物からお帰りだ。
「あら真理ちゃん、試験終わったの?そう、今紅茶入れるわね。それに桜餅も買ってきたのよ、それ出すわね。うーんでも桜餅と紅茶合わないわねえ」
「あら、全然大丈夫よおばさん。私、どちらも大好きよ、特におばさんが入れてくれる紅茶は最高よ!」
「ヘッ、お世辞を言うのは試験を受けてたにもかかわらず、忘れていなかったようだな」
「あら、お世辞じゃないわ、本当よ。うちのお母さんの紅茶、飲んでる身にとっては。おばさんの紅茶、甘露甘露だわ。でも比較するものが悪過ぎたかな」
「それはお前んちのおばさんに対して失礼だろう、おばさんはあれでもメイッパイ心を込めて入れてる積りなんだから」
「ハハハ、それさ、フォローしてないと思う」
「中々褒めるのは難しいものだな。あ、そうそう東村から手紙来てたぞ、あいつも少し心配してたけど、俺は受験に関しては真理はこれぽっちも心配いらないって返事書いておいたよ。まあ進学するのが演劇で有名な高校なのが少し心配と言えば心配だけど、真理はそれを承知で行くと決めてるんだから、彼女には彼女の覚悟があるはずだとね」
「所で彼は今の学校の高校に進学するのよね?」
「勿論だよ、あそこは指折りの難関大学へ進学するための高校だからなあ」
「でも彼はアメリカかイギリスの大学に進むんでしょう?」
「そうだろうな、でもその前に日本の大学も受けるかも知れない」
「ふうん複雑なんだねえ、色々と。単純にこれがしたい。だからここの大学に進むんだい、とは行かないのかな?」
「行かない行かない、外交官はそんな単純じゃないらしぜ」
「あっちの顔を立て、こっちの顔を立てしなくちゃいけないから、なのかしら?」
「まあ、俺達、一般人間には分からない世界だ。ああ、一般人と言えば沢口さあ、もうスカウトから目を付けられてるって話だぜ。凄いだろ」
「ええっ、凄い凄い、もう一般人じゃないじゃないのね、彼は。ふうん、みんなそれぞれ早くも道を切り開いて行くんだ。頼もしいような、寂しいような」
「そうだなあ、敦も演劇への道に一歩近づいたしな。この間偶々あったら、なんかあいつ、たくましくなってて驚いたよ」
「体力付けるために筋トレしてるんだって」
「うん、そうらしいな。色んな役、やらなきゃならないからと言ってたけど、本とかな?」
「それは本当だと思う。だって中学校とは全然違う傾向のお芝居やるんだもの」
「俺はそうは受け取っていないんだ。今中高にお前と行く、電車に乗る、当然悪い奴らも乗って来る。同じ年の奴らもいれば、もっと年上の奴もいる。そいつらがお前を狙う。そうなったら彼は真理を守らなくてはならない。その為には強固な筋肉が必要だと彼は思った。それで筋トレやり始めたけど、周りにそれを気付かれるのは、彼の性格からしてとても耐えられない。よって、これから行く演劇部の為と言う事にすれば、八方まあるく収まる。ヘヘ、どうだ俺の推理は?」
武志君がわたしの顔を見る。
「そうかもね、あの電車、痴漢多発で有名だから。感謝してるわ敦君に、心から」
「気づいていたのか、お前も」
「当然よ、でも彼の心を察して気付かない振りをしてたの」
「まあな」
「そろそろ失礼しようかな、武志君の勉強の邪魔をこれ以上したら、同志として申し訳が立たないわ。春になって桜が咲いたら、みんなでお花見しようね、これ約束!おばさん、桜餅も紅茶も美味しかったわ、ごちそう様」
そう言ってわたしは武志君のうちからわが家へと帰って行った。
3月になり県立の高校の合格も発表されて、皆それぞれのいく高校を決断しなくてはならない。
「ほんとに今中高で良いの?」
「本気であの高校を振って、今中高に行くのか、陽気のせいで頭おかしくなったんじゃないか?」
「あの高校のお嬢様然としたところが嫌いとか言ってたけど、だったら県立にしたら、今中高より数倍も良いと思うわ」
てな事を皆が寄ってたかってわたしの行く高校を散々こき下ろしてくれた。
「何を言ってるのよ、あそこに入りたいと言う人が山ほどいるのよ、特にアナウンサーや演劇界に行きたいと思ってる人にとって、あそこの高校はあこがれの的、聖地みたいな所なの。そんなにこき下ろさないで頂だい」
わたしは必死に抗議を試みる。相手に通じたか、通じなかったか、皆目判らない。可笑しそうにわたしの顔を見つめるだけだ。まあ思うやつには思わせとくしかないか。ホットケーキだね。
え?3月になってなんか冬に戻ったみたいね、2月が凄く温かだったもんで、3月になれば当然もっと温かくなる(夏の暑さが思いやられるが)当然冬の寒さからはおさらば出来ると思っていたのに、これじゃ冬の寒さに逆戻りだよ。
まあそれはさて置き,我が愛すべき古巣の演劇部はどうなってるのか?山岡先生の顔色も見てみたいし、一つここらあたりで顔を出してみるか。まずは部室の前で堀越譲と三峰嬢を捕まえた。
「どう、上手く行ってる?」なんて言う愚問をぶつけた。
「ええ、大丈夫です。心置きなく受験に専念してください」
堀越譲がいけしゃあしゃあとのたまわった。
「何を言ってるの?そんなのはずーと前、1月に言う言葉よ、あんたがたがわたしに台本をお願いした頃に言うべき言葉だったわよ」
「まあ、あの時はほんとに困っていたんです。藁にもすがりたい気持ちでした」
「ふうん、わたしは藁だったのね」
「いえ、たとえて言った見ただけです」堀越譲の顔色には何の悪びれた様子も見えない。
「そんな事より山岡先生と大桐先生が大変なんです」三峰嬢が割り込んできた。
「え、何かあったの」
わたしの心にふと一年前当たりの記憶がよみがえる。山岡先生と大桐先生が怪しいんじゃないか?と言う疑惑だ。でもあれから二人の間に進展は何もなかった、と男女の機微に疎いわたしにはそう思っていたし感じてもいた。
「ほら、今度の劇は半分ミュージカルでしょう?どうしても大桐先生の出番も多くならざるを得ないじゃない。ふー、わたしも難しい言葉使いをするようになったわねえ、うん」
「それがどうしたの?」とわたしはしらばっくれて尋ねる。
「ヘヘヘ、聞きたいですか?聞きたいですよね」
三峰嬢じらし作戦に出るらしい。
「まあ、想像は出来るけど、聞いてあげても良いわよ」
「えー、想像できるんですか?あの二人の事」
「大体わね、少し前からそんな噂があったようなないような」
「ほんとですか?この三峰嬢が全く知らないなんてバーカ見たい」
「で、どんな話?」
「ええっ、どんな話って?」
「例えば、婚約発表したとか、らしき指輪をしてたとか、詳しいい話よ」
「そ、そんな話があるんなら、もうとっくに学校中に広まっていますよ」
「ふむ、それはそうだね、こんなある事ない事お喋りする子がいるんだもんね、山岡先生、当然気を付けるわな。では一体何をあんたは話したかったのかなあ?」
「ええっと、何を話したかったのかと申し上げますと、山岡先生と大桐先生は仲良しこよしで、好い雰囲気で・・それからあ・・うーん・・分かんない」
「なあんだ、たったそれだけなの。うんでもそれだけでも進展してると言えるのかなあ。ここはみんなで温かく見守ろう、それしかない」
「温かく見守ろうとはどんなことですか?」
「そりゃ変な噂を立てず、静かに見守る、って事よ。もう二人とも酸いも甘いもよおく解ってる大人なんだから、便宜は計っても良いけど、要らぬ手出しは無用と言う事」
「便宜を図るって、何ですか?」
「例えば・・・二人で何か話し合ってる時とかは、聞き耳を立てるんでなく、そっと席を外すとか、あ席を外すって二人の傍から離れるって意味だから」
「ヘヘヘ、わたしの行動、見てました?」
「ああやっぱりね、そうだろうと思っていたわ」
「悪気はないんです、ただ二人の事が気に成って仕方がないんですもの」
「まあこれからは気を付けるのね。所でその肝心の劇の方はどうなってるの?」
「はい、それでですね、」と今度は堀越さんが後を受け持った。
「みんなで検討した結果、ダイアナは第二の主役みたいな役なのに、セリフも少ないし出番も他の役と変わらないじゃないかと言う事になって・・」
「そうね、わたしもそれには気づいていたわ。それでどうしたの?」
「そこで第三幕も五幕みたいにダイアナとアンを歌わせる様にしたんです」
「へへへ、マシューのダイアナとは上手く行ったかな?の後、アンがああ、マシュー、とても上手く行ったのと言った後ダイアナが右手から登場して、くるりと回転してアンもそれに合わせてくるりと回転しながら舞台の前に出て来るんです」三峰嬢が嬉しそうに続ける。
「ダイアナが歌って自分の内の庭を説明するんです。ええっと『あれはアラセイトウの赤い花、その手前に咲くのが真っ赤で大きなシャクヤクの花、それから、それから、足元に咲くのが清楚な白い水仙の花』アンが続けて歌うの『ああ、とってもいい香り』次にダイアナ『これはスコッチバラで色とりどりのオダマキも咲いてる』アン『あれは何かしら』『あああれはリボン草と言うのよ。それに薄荷もあるし、紫色の糸ランの花にラッパ水仙』アン『クローバーの白い花。他にも色々。ミツバチたちも嬉しそうに飛び回っているわね』」
「こ、これは花の名前を覚えるのに大変そうね」とわたしは少し心配になって尋ねた。
「ええ、そりゃ大変ですよ、何しろ実物がないんですもの」
「先輩が何故、この章を飛ばしたのか解ります」
『フフフ、解るわよねえセリフは少ないのに、花は物凄く多いんですもの。描いてもらうにしても、見本が欲しいと言われそう」
「で、ダイアナ役の小川さん。何時もお題目みたいにここのセリフを唱えています」
「まあ、そうでしょうねえ、花好きならすぐ覚えられるでしょうが、普通の人には中々覚えにくいものだもの」
「でも、ここでお題目も大体終わります」
「じゃあ、いよいよ友情を誓う所になるのね」
「ええ、そうです。ここもミュージカル仕立てになっています。ダイアナが『ほらこの花、この花が鬼百合、色鮮やかで匂いも素敵でしょう』アン『ねえダイアナ、あなたはわたしが好きになれそうかしら、わたしの心からの友達になってくれるかしら』ダイアナ『多分、多分ね。わたしはあなたがグリンゲーブルズに来てくれてとても嬉しいわ。遊ぶ相手がいる事は素敵なこと、遊ぶには妹たちでは小さすぎるし、今までは周りには誰も遊ぶ人がいなかったんですもの』アン『では、では、わたし達誓いましょう、永遠の心の友になる事を』ダイアナ『この細い小道が水の流れ、二人で手を組み合わせ」次にアン『私は太陽と月の輝く限り、親友ダイアナ・バーリイへ忠実であることを、厳かに誓います』次、ダイアナ『私は太陽と月の輝く限り親友アン・シャリーへ忠実であることを厳かに誓います』そして二人で一緒に『誓います。誓います』でここでミュージカルは終わります。でダイアナはやはりくるりと回って右手に引っ込みアンもくるりと回って元の場所へ戻ります。それでセリフもアンの『風も爽やかでお互いの胸も幸せで満ちていたわ』と言う所に続きます」
「素晴らしいわ、もうこれで完全にわたしの台本書きは終わりを告げたんだわ。良かった二人を選んで、これで安心して卒業出来ると言うもんだわ」
「はあ、でもこれは先輩の下書きがあったからこそ出来上がったシナリオです。この次の事を考えると、心配で心配で」
「相棒は頼りないし山岡先生も恋に夢中で、まったくもって二人共頼りにならないと来たもんだ」
「えーっ、一番頼りにならないのはあんたじゃないの。アドリブはどんどん出て来るのに、肝心のセリフが全く書けないんだから」
「ハハハ、ばれたか。でもさ、アドリブって料理で言えば塩コショウみたいなもんよ、芝居をピリッと引き締めたり泣かせることも笑わせる事も出来るわ」
「うんそれは言えるわね、だからあなた方は二人で一人。お互いが必要なのよ、そこを忘れないようにしてね』
二人は互いに顔を見合わせる。堀越譲の顔には笑みはなく、三峰嬢菜笑っている。ま、コンビなんてものはこんなものだ。
ところで久しく見ない、言葉も交わさない山岡先生はどうしてる?その山岡先生が部室に現れた。
「あ、島田さん、久しぶり、もう何年も会わなかった気分よ」
「ま、そうですね、なんだか肝心の時に流感に罹られたそうですね?」
少し皮肉っぽく言ってみた。
「ええ、でもあの子達が良くやってくれて助かったわ」
「そうですか、それはそれは素晴らしい。おかげで安心して高校受験を済ませることが出来ました」
ここで山岡女史の顔が曇る。
「御免なさい、受験の最中なのにあの子達、あなたに又台本書くのをお願いしたのね」
「ええ、でも、先ほど話したんですけど、わたしの足らない所に気付いて自分達で考えてやり遂げたみたいですよ。新学期からはきっと立派な台本が描けると思います」
「ほんとにそうならこんな嬉しい事はないわ。あなたも卒業するし、もしかしたら私も移動する事になるかもね」
「ええっそれは本当ですか?初耳です」
「あの子達、肝心の事を言わず、わたしと大桐先生の事を面白おかしく話したんでしょう?」
「いえ、先生の移動の話、知らなかったみたいでしたよ、わたしの後は山岡先生に頼って台本を書くと言ってましたから」
「おかしいなあ三学期の始まりの時チラリと言っておいたはずなのに、あいつ等お喋りしてて聞いていなかったな」
「それに大桐先生の事とは何ですか?何かあったんですか、教えて下さい」
うーんわたしもちょっとずる賢いな、ハハハ。
「べ、別になーんもないわよ」
「そんなことはないでしょう、昔あれ程苦手苦手とおっしゃっていたのに、今度の劇では大桐先生の力なくしては完成しませんからね」
「そ、そうなのよ、今度の劇は半分くらいミュージカル仕立てになってるんだから、大桐先生の力をお借りするしか方法がないわ、それをあの子達わたしと大桐先生の間がおかしいなんて噂して、大桐先生もわたしも大迷惑だわ」
「それはそれは、あいつ等には良ーく言っておきます。大桐先生が大迷惑してると」
「えー、大桐先生が大迷惑なの?」
「そうじゃないんですか、それとも山岡先生が迷惑なんですか?」
「迷惑と言うほどじゃないけど、うーんまだ結論を出すには時期尚早と言う事にして頂だい」
「成程好きか嫌いか、いや、仲良くお話してるだから嫌いとは言えぬ。どれほど好きか、その結論を出すには未だ早過ぎると言いたいんですね」
「へー、さすが哲学者の娘ね、簡単なことを回りくどく、それも小難しく言うんだねえ」
「じゃ、簡単に言ったらどうなります?」
「そ、それは・・・まだわたしの気持ちの整理が付かないのよ、何しろ一人暮らしが長かったものでね、男の人と付き合うと言うのがどんなものか全然分かんないのよ」
「はー、それ解ります、わたしにも」
「ヘッ、あなたに分かるんですって、ど、どいう意味よ?」
「だから、その通りの意味ですよ、みんな周りの人が色々言うでしょう?でもわたしには良く解らない」
「フムフム、そうか、あんたには元々藤井君と言う婚約者みたいな」
「じょ、冗談でしょう?武志君がわたしの婚約者だなんて。彼とは兄弟みたいに育って来たけれど、一度だって婚約者みたいに感じたこともないし、周りの人だってそんな話、した事もないわ」
わたしは頭にカーっと血が上って、懸命に抗議した。
「まそれは一つの例えで話しただけで・・気に障ったのならごめんなさい。それじゃあ、幼馴染がいる、そしてあなたを女神のように慕う谷口君もいる」
「彼も幼馴染です」
「そう、そうなの?」
「だから武志君に言われてわたしを救うべく筋肉増強クラブに、こわごわ入って来たんです、反対に彼をわたしが守らなくてはならないと思いましたがね」
「そう、そうだったのね。そして東村君もいるわ。彼は転校して行ってしまったけれど、多分彼はあなたを思い続けているはずよ」
「そうだと嬉しいですが・・」
「それに噂によると、あのバスケットの沢口君とも付き合っていると言う話じゃない?」
「それは違います、付き合ってはいません、ただグループで一緒にお祝いしたり、神社に参ったりしているだけです」
「そのあなたがわたしの気持ちが分かるなんて、それはないでしょうとわたしは言いたいの」
「でも、男の人と付き合うってどういう事か分からないと言うのは同じだと思います。幾ら周りに男の人がうじゃうじゃいても、反対に周りに男の人がいない状態でも、付き合うことが分からないと言うのに変わりはないのは同じです」
「はー、うじゃうじゃいても、全くいない状態でも。付き合った事がなければ、それがどういう事なのか分からないのは同じか。うーん悔しいけどそれはそうね」
「先生はもう、立派な大人なんですから、ここで考えていないで、一歩踏み込んでみたら如何ですか、その方がうじうじ考えているより、軽やかな気持ちでお話したり、付き合って行けば、大桐先生ももっと心を開いて付き合って下さると思いますよ」
「そうかしら?わたしこのまま進んで良いのかしら?わたしはもう若くはないの、だから心配なのよ、男性と付き合うと言う事は、未知の世界に踏み込む事、若い時にはそんな事日常茶飯事だわ。でも良い大人になってそんな事とは無関係に生活してたら、毎日、ぬるめのお風呂に入ってる感じの世界からつまみ出されて、いえ、自ら這い出して、熱いお湯かはたまた冷たいお湯か分からない世界へポチャリと飛び込んで行くのって、想像してごらんなさいよ、二の足も三の足も踏んじゃうわよ」
「へえええ、解りませええん、そんな気持ち」
その時、後ろで声が上がった。
「わたし達にも皆目、皆目ってあんた知ってるの?」
「皆目ってそれは、それは‥うーん分からない」
「皆目って全然とか、まるっきりとかいう意味よ」
「ああ、そういう意味なんだ、じゃあもう一回声をそろえて言おう」
「あれ、何て言うんだっけ
「だから、わたし達にも皆目分かりませんと言うんじゃないのよ」
「そうか、そうだったわねえうーん今一タイミングがズレちゃったけど、折角だから言ってみるか、三峰!」
「良し来た相棒!じゃあもう一度せえの」
「わたし達にも皆目分かりません!」
山岡女史もわたしも突如現れた凸凹コンビのやり取りに、暫し口を半開きのまま見とれるしかなかった。
「あなた達、何時からそこに?」
山岡女史が聞きただす。
「何時からって‥すこうし前から、ね三峰!」
「ええ、すこうし、すこうし前からですよ。始めっから居たなんて、全然ですよ」
「でも、聞き耳は立てていたんでしょう?」
「ヘッ、聞き耳って何ですか?」
「聞き耳って、良く効きとるために耳をそば立てる事よ!」
「そば立てるって何ですか」
「ええめんどくさい、要するに、こっそり聞いていたんでしょうと言いたいの」
「はい、正解です、ご苦労様です、いやご苦労様って何故か目上の人には使ちゃいけないって、堀越が言ってたから。えーっと何て言うんだっけ、堀越」
「お疲れさまって言うんだってさ、意味は同じだけどさ、大体」
「ハハハ、ええっと何を言いたいんだっけ?そうそう、山岡先生、正解です、お疲れ様でしたと言いたいんだ。で何が正解なの?分かんないよう、すっかり忘れちゃったよう。先生、解ります?」
「うん?ああ分かるわよ、あなたが盗み聞きしてたって事、そうよね三峰さん!」
「えっ、そうなんですか?偶々そばに居たら、勝手にあなた方お二人の話が聞こえて来ましてね、ねえ堀越い」
「そ、そうです、勝手に聞こえて来たんです。元々大桐先生の事気にはなっていたものですから、御免なさい」
「島田先輩もわたし達には二人の事はそっとしておいて上げてと言いながら、もう、人が悪い、山岡先生にモーションかけて、先生じゃなくてもビビりますよ。でも、旨いなあ、山岡先生から大桐先生の事を聞き出す手口、見習わなければいけないのは台本を描くだけじゃなかったんですね」
「わたしはあなたの言葉の意味が分からないと言うのが、話をごまかすためにもあると言う事が分かったわ」
「ヘヘヘ、本当に分からない事の方が多いですけど」
三峰嬢がいたずらっぽく笑う。
「で先生、大桐先生の事どうなります?」
「そうそう、二人の仲は如何に?これは脚本無きドラマです、しかも我々はその渦中にいる,あ、渦中にいるってわかる?渦巻、これ分かるよねえ、わたし達がその渦の中にいるって事よ、三峰え」
「分かる、分かる、渦巻きかき回して大きくするか、渦巻きを静めてないものとするか、うんどっちがお望み?」
「あなたにかかっちゃあどっちにしてもこれはもう風前の灯よ、やはり今まで通り秘密裏に事を運ぶしかないですね」
張り切る三峰嬢にわたしは黒雲沸く不安を覚えて、只でさえ不安を抱いてる山岡女史に言いきった。
「えええ、どうしてですか、恋のキューピッドの役、喜んで引き受けたのに」
「そうですね、三峰にはさるぐつわして牢屋の中に放り込んで置きましょう、その方が安全です」
堀越譲も三峰嬢に不安の色がチラホラ見えてるようだ。
「もう、相棒の堀越までがそんな酷い事言うんだから」
「あんたは単なる野次馬根性だけの人間なのよ、うん?野次馬根性って‥助けにもならないのになんだなんだと見物に加わって面白がってる人間、つまりあんたみたいな人間を言うのよ、分かった?」
「ええーっ、でもさあ、野次馬って少しはいないと当人達、寂しくないんじゃない、ねえ先生?」
「あらわたし?わたしはそっとこのままほったらかしにして欲しいな」
「うーんもう少しで山岡先生の決心を引き出せたのに、これじゃあ、元の木阿弥だわ」
わたしはうんざり顔で言い放った。
「あのう、元の木阿弥って何ですか?」
「ああ又なのね、元の木阿弥って・・意味だけだと折角良い所まで行ったのに元に戻ってしまう事だけど、どうしてこう言うのか分からないわ。先生ご存じ?」
「えっ、そうねえ、言われて見れば何故そう言うのかよねえ。うーん確か色んな説があるらしいけど、一番有力なのが・・」
「一番有力なのが・・」
「ある国の城主が無くなったのよ」
「へー、一体何処の?」
「そこまでは知らないわよ、どこかの城主なのよ」
「それがどう、どうしたんですか?」
「所がね、世継ぎの若様が余りにも小さかったので、殿様が亡くなった事を隠すことにしたの」
「へー、良く出来ましたねえ、一体如何したんですか?」
「兎も角みんなで相談して、顔も声もとてもよく似た木阿弥と言う人を布団に寝かせて、殿様の代わりにみんなで殿様、殿様と盛り立てたの」
「フムフム、上手く行ってめでたしめでたしですね」
「何にもめでたしじゃないじゃないの、それじゃあ元の木阿弥の意味にならないじゃない」
堀越譲が三峰嬢を咎めた。
「あ、成程、これじゃあ、意味が通りません、先生」
「まだ話は続くのよ、三峰さん」
「はい済みません、続けて下さい」
「それでね、若様も大きくなってもう十分殿様の仕事が出来るようになったの」
「はあ、まあ良かったですね。それでどうしたんですか?」
「そこで家来達は今までの事を若様に良ーく話して聞かせて」
「若様、吃驚仰天、今まで父上だと思い込んでいた人間が全くの赤の他人だったとは。それがショックで今度は若様が寝込んでしまった。これぞ元の木阿弥、これで意味が分かったわ」
「違うわよ、全然!」
「ヘッ、どこがどう違うんですか?」
「若様はそりゃ驚いたかもしれないけど、別に寝込んだりしなかったのよ」
「ほほう、中々割り切った考えの若様ですね。うんわたしも割り切ったなんて言葉がつかえるようになったなあ、感心関心」
「三峰え、何を感心してるのよ、話は終わっていないわよ」
堀越譲が三峰嬢に喚起を促す。
「だって誰も褒めてくれないんですもの、自分で褒めなきゃね。ま、セルフサービスみたいなもんです。で、どうなりました?」
山岡先生、半分ウンザリしながら半分愉快に思いながら、話を続ける。
「でも若様がどう思ったかは全く分からないわ、何の本にも載っていないんですもの。もしかしたら何かの本に載ってるかも知れないけど、調べたことないんですもの」
「はあ、そうですよね、そんな事一々調べていたら日が暮れますよ」
皆、頷きながら大笑いした。
「それでお終いですか?」
「いえいえ、これからが何故元の木阿弥と言うのかの重要な所なのよ」
「今までは前置きみたいなものですか?食事で言えば前菜に当たる訳ですね」
「前菜かどうかは分からないけど、その後、若様が城を継ぎ新殿様になったんだけど、今まで偽物ではあったけど殿様として処遇されていた、あ何、処遇?それは殿様として扱われていたと言う意味よ、殿様として扱われていた木阿弥さん、家来たちにとってはもう用はない人間になってしまったの。ただの普通の人間、元の職業に戻されたのよ、うーんこれも定かでないけど、確か按摩さんだったとか。これがわたしの知ってる元の木阿弥の由来、分かった!」
「フムフム、由来の意味も何となく解りました、褒めて下さい」
「あのねえ三峰さん、あなた、もう少し国語の勉強、しっかりした方が良いわよ、うーん今度あなたの国語の担任になる人に良ーく言っておかなくちゃ、安心して他の学校に赴任して行けないわ」
「あのう、ふにんってなんですか?」
「え、山岡先生他の学校に行ってしまわれるんですか?」
赴任の言葉の受け取り方も二人では大きな違いが現れる。
「そこの所は聞いていなかったのね、それに、3学期の始まりの時にもチラリと言っておいたんだけど。慌てなくても大丈夫よ、まだはっきり決まった訳ではないんだから。でも、雲行きがそう感じられるの」
「えー、先生、雲行き読めるんですか?天気予報士みたいなもんですね」
「わたしもこの学校に来て暫く立つから、余程のことがない限り、今年あたり転任だと思うわ」
「じゃあ、演劇部はどうなるんですか?」
堀越譲は真剣だ。
「うーん、だれが引き受けてくれるのかしら、全然分からないわ。もし私以上にチャランポランな人だったら」先生、ここで間を置く。
「チャランポランな人だったら、今の2年生と力を合わせて、やって行くより方法はないわ。でも私以上にチャランポランな人はそうはいないわ、ね、島田さん!」
わたしは吃驚して山岡女史、いや山岡先生の顔を見た。
「いえ、先生の押しの強さ、経済観念、顔の広さ、誰にも負けません、それに越せないと思います」
「まあ、褒めてくれるわねえ、一番迷惑を被っているあなたが、内容的にはやや棘があるけど一応褒めてくれるなんて思わなかったわ」
「先生の押しの強さがなかったら、多分、このコロナの時期、校長先生の話を早めに切り上げ,講堂で毎学期末に演劇をするなんて出来なかったでしょうし、顔の広さを生かして、格安で鬘や衣装、餅つきの臼も手に入れるのは難しかったと思います」
「フフフ、まあね。少しは分かってくれていたのね、わたしの苦労が」
「十分分かっていましたよ、わたしに台本丸投げで押し付けてはいても、先生は先生なりに苦労してるって、はい」
「ああ、今日の稽古はどのくらい進んでいるのかしら?小川さんはダイアナだったわね、セリフは覚えたのメロデーに乗せて歌えるようになったの?」
そう言いながら山岡先生は部室に入って行った。
結局二人の邪魔者のおかげで、山岡先生と大桐先生の恋の花道は完成を見ることが出来ずうやむやのまま終わらざるを得なかった。
「その内、何とかしなくては」とわたしは自分に言い聞かせた。
そうそう、わたし達が受験でオタオタシテいる間に千鶴ちゃんは何とパリのオリンピック選手の候補として名前が挙がっているではないか。こんなめでたい話はないぞ、と美香と二人で珍しく学校に来ていた千鶴ちゃんを捕まえた。
「おめでとう、凄いわねえ、オリンピックに出れるなんて夢みたいね」
「そ、それもパ、パリ、憧れのパリの五輪だなんて」
「そうよ、憧れのパリよ,わたしの母さんが憧れている、いや行かねばと密かに思っているパリの五輪だ」
「うーん、そんなに騒がないで、正式の選手としてじゃなくて、補欠なのよ、ほ・け・つ・分かった?」
「ええ、でも、パリには行くんでしょう?それにもしかして、万が一、選手として出場するかも知れないわ。た・の・し・み」
「ほとんど皆無ね、残念でした」
「そんな事ないわ。他の競技でも時々あるわ・・・わたしはフィギアしか知らないけど、ええっと誰かの代わりに補欠だった人が出て・・確か入賞したんじゃない?」
「何かお年寄りの話ね、あやふやで。でも時々ある事は確かよ、だからうんと稽古してその時を待つのよ。本当のお母さんもきっとテレビの前でその時を待ってると思う」
「わたしね、初めは本当の母に知ってもらいたくて、必死で頑張ったわ。新聞の地方版にわたしの名前が載ればきっと分かってもらえると思って」
「そうだったわねえ、まだお店の手伝いやきょうだいの世話をしてて、練習の時間も殆どないと言うのに
千鶴ちゃん、頑張って頑張って頭角を現したのよねえ」
「でも、村上の両親が理解してくれて、わたしの為に人まで雇って応援してくれている今は、その両親の為に頑張ろうと思ってるの」
「そりゃそうよね、村上のご両親も鼻高々だわ」
「でも・・本当のお母さんはあれはわたしの娘なんです!と言いたくても言えないで悶々として応援するしかないのよねえ、家族だって知らないんだから、えらく母さん卓球が好きだなあと不思議がられているかも知れないわ」
「そうよねえ、私みたいに球技興味ない、球技大嫌いと言ってた人間が人が変わったように、卓球に熱を上げだしたら、家族は吃驚してなんか変だと思うでしょうね。でも、彼女はそれでも応援し続ける、絶対に、だって母親なんだもの」
「うん、それは言えるわねえ、お母さんってありがたいな、たとえ離れていても、たとえお母さんと言えなくても、お母さんていつも心の傍に居て応援してくれている、大きな存在。解った、じゃあこれからは村上の両親の為にも実の母の為にも頑張るわ」
千鶴ちゃんの顔が明るく輝いた。いや、本来は輝いて良いはずの千鶴ちゃんの顔色だったのになぜか今一暗く、よどんでいるように感じられていたのだ。彼女は実母と村上家のどちらを取るべきか、今まで迷って迷って悩んで来た、その為に黒雲に覆われた顔、それは心にのしかかる雲の色だったのだ。今彼女は心の雲を追い払って歩き出したに違いないのだ。
「そうよ、両方のために頑張って頂だい、どちらの為に何て考える必要なんて全くないわ。ついでにわたし達もいるのよ。わたし達の為にも頑張って欲しいなあ」
「あ、それ、忘れてた!」
3人で大笑い。その時後ろから声がかかった。睦美ちゃんだった。
「何よお、わたしをのけ者にしてえ、酷いよおみんな」
「あ睦美ちゃん、御免御免、偶々廊下で会って話してただけよ」
「まあそんな所かなあとは思ったけどさ、あんまり楽しそうに笑ってたから、一つ拗ねてみたかったの。所で、千鶴さ、オリンピック行くとか行かないとか、騒がれているけど、真実は如何に?」
「それを話し込んでいたんじゃない、わたし達」
「大笑いをしてたって事は、うーん、行けるのね、良かったあ、コングレイトレイションズ!この月見西中学から遂にオリンピック選手が出たんだあ」
「違うわ、睦美ちゃん、そうじゃないの」慌てて千鶴ちゃんが否定する。
「え、違うの、落ちちゃった訳?」
「それも違うな」美香が言う。
「ええっ、どちらも違うって、どうなってるの?」
「だからさ、補欠なの。補欠でも一応パリには行くんだってよ」
わたしがまとめた。
「そうか、そんな手もあったか、成程ね。で、どうしてそれが大笑いなの?」
「わたし達、大笑いなんかしてないわよ」美香が否定する。
「嘘だあ、廊下の端から端まで響き渡っていたわよ」
「あら、わたし達、そんなに大声で笑っていたのね』千鶴が恥ずかし気に呟く。
「睦美の話が大袈裟過ぎるだけだわ、気にしない、気にしない」
「大袈裟じゃないわよ、確かに楽し気にあんた達高笑いしてたわよ」
「楽しげに笑っていた事は事実だけれど、高笑いではないわ」
「でもさあ、楽しい事は真実なのよね、うーん、分かった、パリでのお土産の話、してたんじゃないの」「あ、それを頼むの忘れてたわ」美香が茶目っ気たっぷりに言った。
「その前に、お餞別渡さなくちゃあいけない、みんなで話し合わなければいけないわよねえ」
「では、では、何が楽しかったのよう?」
「何が楽しかったって・・何が楽しかったんだっけ?」
「そうよねえ、特別こうと言った事は話してはいないわよ、只千鶴ちゃんがみんなの為に頑張ると宣誓しただけよ」
「わ、わたし、宣誓だなんて、そんな大それた事していません」千鶴ちゃんは小さくなった。
「でも、わたし達の為にも頑張ってくれるんでしょう?」
「そ、それは勿論です、も、もし出るチャンスが回ってきたら、もうそりゃあ、死に物狂いで頑張りますよ、それこそ必死です」
「ねえ、あんた達さあ、そこの何処が楽しいわけ?どちらかと言うと千鶴を追い込んで圧力かけてるとしか受け取れないんだけど」
「はあまあ、そうかも知れない。話の流れからそうなっただけなのよ、わたし達は付け足しなんだから」
「付け足しなの?」
「そう、千鶴ちゃんが本当のお母さんと村上家の応援、どちらの為に頑張るかと悩んでいたから、どちらの為にも頑張らなければと気づかせて、そのついでにわたし達の為にも頑張ると言ってくれたのよ」
「ついでとは言ってません、勿論、みんなの為にも必死で頑張りますと言いました」
「ああ面倒くさい、要するに万が一、正式に選手として登場することが出来たら、頑張ると言ったのね」
「早い話がそうなんだけど、事実はもっと感動的だったような・・・」
「睦美ちゃんが入ると感動的な話も全然感動的でなくなるわ」
「わたしは実利的に言っただけなの、何が感動的でなくなるのよ」
「わ、わたしの為に喧嘩しないで下さい、お願いします」
千鶴ちゃんが泣きだしそうだ。
「ご、御免千鶴ちゃん、喧嘩してる訳じゃないのよ、単なる言葉遊びよ」
「そう、これは単なる言葉遊びよ、単なるね」
「言葉遊び、言葉遊び。昔もほら小学校の帰り道でも良くやったわねえ」
「うん、そのたんび千鶴ちゃん、泣いてた。うんうん、思い出した」
「オリンピック選手になってもその何というか、やさしい性格全く変わっていないなあ」
「千鶴ちゃんだけでないわ、わたし達みんな性格変わっていないんじゃない」
またそこでわたし達は大笑いした。
教室に戻ると篠原女史が待っていた。
「今度の劇だけど殆どミュージカルって本当なの?」
「まあ、時間がなくてはしょった分第3幕目も歌と踊りを入れたみたいよ。中々面白い仕上がりになってるわ」
「ふーんと言う事は大桐先生の出番と言うか応援が必至と云う訳だわねえ」
「そう、だから山岡先生と大桐先生が仲良くなるのは当たり前の話、なんだけど・・」
「ヘヘヘ、でどうなの、二人の仲は?」
「仲良くやってるらしいわよ、劇に関してわ」
「そうじゃなくて、劇の話はこっちに置いといてよ、お二人の仲はどうなんですか?」
「二人の仲ねえ、如何なのかしら?山岡先生にもわたしにもさっぱり分からないと言うのが、ハイ今日の
結論です」
「ええっ、何それ分からないと言うのは・・つまり大桐先生の気持ちが分からないと言う事なの?」
「あ、それねえ、聞いてみなかったから大桐先生の事はお預け。彼がどう思っているか、あんたに任せるわ、分かったら教えて頂だい。そしたらこの問題が少し進展するかも知れないし、終止符が打たれるか、うんどちらにしても あんたの責任、重大だわ」
「な、なによ、わたしを巻き込むつもりなの?」
「だってあなた、興味あるんでしょう?」
「そ、そりゃないと言ったら噓になる。でもさ、わたし、大桐先生とはアンマリ親しくないんだ、と言うか苦手なんだ。大桐先生に関して言えばあんたの方がわたしより親しいと思うけど」
「いいえ、わたしは大桐先生とは全く親しくありません。親しくない程度が同じなら、押しの強さと二人の仲に興味津々の深さから言って、あんたが聞き出すべきだとわたしは思います」
「そんなあ、わたしには島田さんのような勇気がないんです」
「じゃあこの話はお仕舞にしましょうよ。それより今度の春には山岡先生が転任するかも知れないんだって知ってた?」
「ええっ、それこそ大ニュースじゃないの、演劇部、どうなるの?」
「さあ、どうなるのかしら?山岡先生の路線をそのまま受け継いでくれるのか、それとも全く違ったクラブになってしまうのか、わたしには皆目分からないわ。まあ先生が変わってしまうのだから、いやがおうにも少しは変わってしまうはねえ」
「いやがおうにもかあ」
「えっ、まさかあなたも三峰さんの路線を行くの?」
「何、その三峰路線って?」
「いえ、分からなければ良いのよ、大した事じゃないんだから」
「でも気になるわよ、大した事じゃないと言われても。教えてよ、その三峰路線て云うのを」
「仕方ないわねえ、あの子が一々分からない言葉の意味を聞くのよ」
「別にそれは良い事じゃないの?」
「わたしもまあ最初のころは、そのくらいは知ってて欲しいと思いながらも、知らないままでいるより知ってて欲しいと思って、教えていたのよ」
「フンフン、それでもこの頃は少し面倒臭くなったってとこなのね
「そうじゃないのよ、あの子さあ、それを一種の隠れ蓑と言うか煙玉にしてる所があるのよ。自分に不都合な話になって来ると、別に知ってる事もそれなんですか?と聞くの」
「へええ、それでどうなるの」
「こちらは知らないと思って説明するでしょう?そしたらその説明の中にも知らない言葉が出てきて、またそれを説明するのよ。そうこうしてる内、何が焦点だったか分からなくなってしまって、彼女のミスはお咎めなしって事になっているのよ」
「中々の知恵者なんだ、彼女」
「うん、そうだと思う」
「でさ、わたし達何話してたんだっけ?」
「ほら、わたし達、あの子に関係ない話してたのに煙に巻かれてしまったわ」
「ええっと、そうだ山岡先生がいなくなったら、演劇部はどうなるかって話よ」
「そう、どんなに山岡先生のやり方を踏襲して行く人が後を継いでも、変わっていくわよね」
「それはあなたがこの演劇部から身を引いた時から、大きく変わり始めていたのよ、山岡先生の存在よりもそっちの方が大きいんじゃない?」
「ええっそれはないわよ、それはシナリオの色合いが違ってくるだけで、演劇部の方向とは関係ないわ。あなたは山岡先生の力を見くびっているのよ。部費を工面したり、他の部との交渉、講堂の使用の為、校長先生の話を短くさせたり、何と言っても筋肉増強クラブと揶揄されても、頑としてそれを貫く鋼の精神等等。それにもう一つ演劇を見る目よ。うーんもしかしたら先生、教師になる前は演劇関係の仕事をなさっていたのかも」
「そ、それは言えるわ。思い当たる事があるわ。それに衣装や鬘なども、そう言った方面にも知り合いが多いみたいだし」
「夢破れて山河ありだけど夢破れて教師の道へ、かな?」
「ああ、それ杜甫ね。でも今の中国人は杜甫の事、良く知らないって聞いたけど、日本人が杜甫だ、李白だとあがめてるのに、中国人が知らないなんて。まるで日本人が紫式部や清少納言を良く知らないって言ってるようなもんじゃない、幾ら文化大革命があったからと言っても、中国の古典的大詩人を知らないなんてねえ」
「うん、寂しいねえ、日本もそうなったら」
「ま、山岡先生なき後も大体の方針が変わらない事を願うわ」
「わたしもそう願うわ」私と篠原女史も校庭に目をやった。
「もうここを走る事はないのね」
「あんたさ、運動苦手、走るの嫌いと言いながら、役を決める時、あの時あんたはわたしより速く走ったじゃないの、役が絡むと、この人こんなに早く走るんだと思ったものよ」
「えー、わたし、普通に走ったわよ。別に早く走ったって大した役が回ってくるわけじゃないし。あんたがチンタラ走っただけじゃない
「北山さんはわたしの行く今中高に行く事に決めたのよ。本人最初遠慮して公立に行く予定だったけど、やはり演劇がしたいと言って、向こうの先生とも話し合って決めたの。勿論わたしも気に成って今中の先生たちに掛け合ったんだけど、大丈夫、サポートしますって太鼓判押されたわ、これで安心だわ」
「そう良かった、彼女、声量あるし、声も綺麗だから本来声を使う職業が向いてるのよ、上手く行くように応援してるわ」
「本人に直接伝えてよ、彼女、どんなに喜ぶか」
「そうかな、少し恥ずかしいな」
「何を言ってるのよ、ごり押しの篠原が」
運動場の周りには桜が植えられていたが、去年と違って、まだ寒々とした枯れ木然とした姿で、蕾さえ定かに確認出来なかった。
帰り道、敦君と一緒になった。この所塾もない、クラブもないと言うのであまり一緒に帰る事もなかった。その日は冷たい風が吹きつけ、空はどんよりと言うそんな一日にふさわしい夕方だった。
「もう直ぐ卒業式だね」と敦君が言った。
「うん、中学なんてあっという間に過ぎ去るんだねえ」
「でも僕にとってはこの3年間はとても変貌した3年だったよ。その前がさ、あんまりなさ過ぎて、何があったか思い出したくても全然思い出せないよ、ハハハ」
「そうを。敦君はあの頃はさ、大人しくってさ、それに凄く可愛くって、優しい子だったと覚えているよ」
「そうだったかなあ、僕の記憶では、何時もびくびくしててさ、如何したらみんなの機嫌を損なわず行動出来るか、ずーと考えていたんだよ」
「そうね、周りが敦君より年上だったからね。それに・・けん、健太君もいたし、大変だったんだ」
「でも中学に入って、恐々演劇部に入って、運動嬢走ったり、腹筋や腕たせ伏せ、発声練習したりしてさ、あ、これは体丈夫になるし、大した事じゃないと分かってほっとし周りを見渡せば、真理ちゃんがいたんだ。真理ちゃんは僕たちがやってる事以外に台本書いている。だから、僕もしっかり、もっともっと劇の稽古に打ち込まなきゃと思わされたよ」
「そうか、わたしも演劇部に入る前は、運動大嫌いだったけど、やってみたら、体軽くなったし結構日に日に腹筋も回数多く出来るようになって、山岡先生に今じゃ感謝してる。先生は決してこれ何回しなさいって押し付けなかった、自分で出来る範囲でそれを毎日続けることを推奨したのよね」
「その山岡先生が転任してしまうなんて、何だか寂しいよね」
「知ってたの、そのこと?」
「うん、今中高の先生から聞いたよ」
「え?そんな所から情報が入っていたの」
「うん、雑談中に先生が口を滑らせたんだって」
「へー何の雑談してたのかしら」
「自分がいなくなっても、演劇部の生徒の事、宜しく、みたいな話じゃないかな、何しろ、それを条件に君が今中高に行く事になったんだから、自分が他の学校に行く事で、それがご破算になったら、君に顔向け出来ないじゃないか」
「へええ、彼女、結構義理堅いんだあ」
「そりゃそうだよ、もしかしたら、君の行く末がかかってるんだよ、他のもっと偏差値の高い高校に進めば、君が望む大学へすんなり入れるかも知れないのに、他の先輩、同僚、後輩の為にそれを諦めさせ、あの高校に入ったんだよ、先生、後の事気にするよ」
わたし達の前に白い花を沢山つけた木蓮が現れた。
「白木蓮の花が咲き始めているのに3月に入ってから寒くなってしまったから花。可哀そうだね」
「うん変な天気だよね、2月の方が暖かいなんてさ。これも温暖化の影響かな」
「戦争もウクライナの方がまだ片付いていないのに、今度はイスラエルがガザに酷い事してるしさあ、人間はその欲の深さからドンドン泥沼に沈んでいくんだなあ」
「本とだねえ、もっと優しくなれないのかな、他の国や、自然に対してさ」
「なれないのよ、目の前の利益にだけに関心が行って」
「まあさ、日本は今の所大丈夫だけど・・・」
「そうね、わたし達がしっかりこの平和を守って行かなくちゃならないわ、目先の利益だけを考えないでね」
また冷たい風が吹き抜けて行く。
「でも、世の中どんどん変わって行くわ、転がって行くのよ、ある者の利のある方へ、水が低い方へ流れるように。演劇部も変わって行くわ、新しい指導者が目先だけでなく、みんなの事を考えてくれることを、今は祈るのみね」
「そうだね、考えてみれば山岡先生は、筋肉増強部と陰口叩かれ、廃部寸前まで追い詰められても方針を変えなかったよね。それに台本を丸投げみたいに書かせたのも、君の能力を見抜いていたからだと思う」
「うん、ま、少し酷いなあと思わないでもなかったけど、自分の発想のまま伸び伸びと描くことが出来たもの、今は感謝してる」
「君が感謝しているなら、僕はその十倍は感謝しなくちゃいけないな、ハハハ」
「今年は桜、早く咲くと思っていたけれど、ここにきてこの寒さじゃ、遅くなりそうね」
「そうだねえ、卒業式終わったら、みんなでお花見出来ると思ってたけど、今年は全然駄目だね、蕾さえ分からない位だよ」
「でも何かやりたいね、桜は咲いていなくてもさ」
「そうだね、も少し温かくなったら六色沼に集まってさ」
も少し温かくなってか、何時になったら温かくなるんだろう?
卒業式では総代にはわつぃが選ばれ、物部君が答辞を述べる事となった。
「嘘だろう、演劇部で、しかも台本も書く島田が只一言もしゃべる事もなく卒業証書を受け取るだけで、この俺が答辞を読むなんて」と物部君表面的には一応拒否して見せたが、ある他の人間の情報によると、彼は本当に舞い上がらんばかりに喜んだとか。
睦美や美香は不平だらだらだ。
「なぜ、物部よりダントツ成績優秀で、クラブ活動もちゃんと、と言うよりその中心になってやってた島田が卒業証書を受け取るだけなの?」
「そうよ酷いわ、この男女平等の世の中、どうして物部君が答辞を読むの?」
「わたし、校長に直談判したいわ」
「そ、そうね、その訳を知りたいわ。何なら、千鶴ちゃんも一緒に行きましょうか」
そういわれて千鶴ちゃんも頷かざるを得ない。
わたしはそれを聞いて吃驚。
「ちょ、ちょっと待ってよ、本来は誰が総代になって、誰が答辞を読むか決まってないのよ。睦美が総代になって千鶴ちゃんが答辞を読んでも良いはずだわ。だから本当は公平を期するため、抽選で決めたらいいの。もし抗議するなら、そう直談判して頂だい」
わたしには分かっていた、何故物部君が答辞を読み、わたしが総代なのか。校長の本心を言えば、全く有名校ではない高校に進学する者を総代にだってしたくない、馬場君や村橋さんを選んだ方がずっと中学の評価は上がるに違いないのにと歯がゆい思いを抱いているのだ。
しかし何とか、睦美や美香の腹の虫は収まったようだ。やれやれこれで答辞を考えたり稽古をする事から解放された。
式の後睦美、美香、千鶴と三人で学校の前の喫茶店に入った。もう中学を卒業したんだから、正々堂々と入れるって訳、学校帰りとは言わせない。
「睦美は、け、健太・・さんとい、一緒の学校に行くのよねえ」
「あったりまえよ、わたし、健太さんを尊敬申し上げているのよ」
「そ、尊敬ねえ・・・」
「え、何か不満?」
「いいえ別に、ねえ美香?」
「ええ、全然問題ないわ。ねえ千鶴」
「勿論異論ありません。只すこうし・・」
「只すこうし、何よ」
「いえ、何もありません、御免なさい」
「千鶴は健太・・健太さんの言葉使いが少し乱暴だなと言いたいだけなの」わたしが千鶴に成り代わって言い足した。
「うん、それは・・・言えるかも知れないな。も少し言葉の乱暴さが消えたら、もっと人望が上がって名リーダーになれるかも知れない。今日にでも伝えておこう、真理が言ったと言えば絶対に効くわ」
今日も寒かったので、わたしのアドバイスに従って、皆ココアを頼んだ。
「ココアは温まるし、気分も落ち着くわよ」
「そうね、ココアは栄養もあるらしいわ」
「でも、美味し過ぎて太るかも」
「大丈夫、この後運動すれば」
「千鶴ちゃんは直ぐ合宿に行くんでしょう?」
「ええ、この後、直ぐ行かなきゃならないわ」
「頑張ってね、本当は休みの間を利用して華々しい壮行会をやりたかったけど、直ぐ出発するんじゃ何もできないわね」
「うーん、ココア一杯じゃ悪いけど、この際これを千鶴のお餞別代りにしよう」
「あ、それが良いわ、何だったらもう一杯どうを?」
「そうそう、もう一杯如何?」
「ええっ、美味しいけど、これカロリー高そうだから一杯だけにしとく」
「うーんそうか、カロリーの少ないのねえ?おじさん、カロリーが少ないのってなにがある?」
「カロリーの少ないの?色々あるよ、口に合うかは別問題だけどね」
「口に会うって、凄く不味いの?」
「人は好き好きがあるからね、そ云うのを好む人もいるし、ダイエットを目指している人もいる」
「へえまあね。たとえばどんなもの?」
「まずは代表的なのが・・・」
「代表的なものは?」
「そりゃコーヒーに決まってるよ、ブラックでね。お嬢ちゃん達、ミルクなし、砂糖なしのコーヒー好きかな?」
「そ、それは少-し無理かも。誰か好きな人いる?」
「しーん」
「わ、わたし、飲めることは飲めるけど、余程目が覚めない時だけ無理やり飲むわ」
千鶴ちゃんが小さい声で呟いた。
「千鶴がどうしても目を覚まさなければならない時って何時よ、まさか試験勉強の時って言うんじゃないわよねえ」
「そう言う事もあったけど・・これからは卓球の事だけを考えなさい、自分の事だけを考えて行動して良いのよ。家の事は全然気にしなくて良いんだからって言われているけれど、やはりお店の事やきょうだいの事が気になるじゃない?だからお店に大量の注文が入った時なんかは、寝てられないわ、わたしも手伝ったり、子供たちのお守りをしたりするの.そんな時は前の日に練習で疲れていたりするとこっそり、コーヒーをブラックで飲んでいたわ」
「まいったなあ、千鶴ちゃんには。ねえ他にないの、おじさん?」
「ほかに?コーヒーとくれば次は紅茶だな、これは佐藤抜きでも結構いけるよ」
「あ、それが良い、ねえおじさん、それを頂だい」
「ハハハ、じゃあとっておきの美味しい紅茶を作って、みんなに卒業祝いとしてプレゼントしよう」
「ええっ、良いの?ラッキー、おじさんありがとう」
紅茶が入れられ目の前に注がれていく。黄金の輪の中に深い夕焼けの紅色が現れる。香りも甘い花の様だ「何て素晴らしい紅茶なの」
「何にも入れてない紅茶がこんなに美しくて美味しいなんて、今まで全然知らなかったわ」
「本当!それに香りも良いわ、強くもなくほのかに香る白薔薇の様だわ」
「え?白薔薇ってこんな香りなの?」
「庭もないのに白薔薇がどんな香りがするか知ってる訳がないでしょう、イメージ、イメージ」
「なーんだ、でもそう言われればまさしく的を得た表現だわね。うん、ほのかに香る白薔薇の香りだわ」
「みんなありがとうよ、素敵な誉め言葉」
「何言ってるのよおじさん、ありがとうと言うのはわたし達の方よ、こんな美味しい紅茶を御馳走になって。今度母と一緒に来ますね」
「わたしも来るわ、高校に入ったら」
「わたしも絶対来るわ、こんな美味しい紅茶があるんだって知らせなくちゃ」
「え、誰に?」
「も、勿論、母によ」
「何言ってるのよ、健太、け、健太さんにでしょ?」
「そ、そう、お見通しか」
「でもあの健太には、あ、失礼、あのけ、健太さんには分からないんじゃないの、この味も香りも」
「大丈夫、あなたが言ったと言えば、彼奴、舞い上がって紅茶を押し頂くに決まってるんだから」
「わ、わたしも一度オリンピックが終わったら、村上の母を誘ってみようかな」
それまで沈黙を押し通して来た千鶴の発言に、健太と睦美の間の件で盛り上がっていた3人は吃驚して千鶴の顔を見つめた。
「それが良いよ、千鶴ちゃん。そしたらもっとお母さんとの距離が縮まるよ」
「遠くの親戚より近くの他人と言うわ、増して村上のお母さんはあなたをここまで育ててくれた人だもん
お母さん、紅茶の美味しいお店があるの、一緒に行かない?って言ったら、お母さん飛び上がるほど喜ぶわ」
「わたしもそう思うわ、千鶴ちゃんは本当はもっと村上のお母さんに甘えるべきなのよ。お母さんんも心の中ではそれを待ってると思うわ」
喫茶店のおじさんは只ニコニコ笑って、4人の女の子を見守っていた。
その夜、武志君が沢口君を連れてやって来た。
「オス、卒業おめでとう。これさ、俺と沢口からのプレゼントだ」
照れくさそうに(いや本当に照れくさいのだけれど)赤いチューリップの花束を二人で「お前が渡せ」「いやお前が渡すべきだ」と喧嘩しながら、結局武志君が渡した。
「あ、ありがとう、嬉しいな、わたし、チューリップの花大好きなんだ。これお母さんに言って花瓶に入れてもらうね。ま、その前に上がって上がって」
母を呼んでチューリップを生けてもらう。花瓶にさすと花は余計に可愛く美しく見える。
母が昼間の紅茶とは比べるべくもない程の紅茶とケーキを持って来た。
「あっチーズケーキですね、僕の好物です」
「あら良かった。今日知り合いの、と言うか上司の教授夫人が持ってきて下さったの、真理の卒業祝いと一緒に」
「凄いなあ、教授夫人だって、俺のとこも武志のとこも縁のない人種だな」
「凄くなんかないですよ、みんな同じ、肩書が違うだけだわ」と母は笑う。
「その肩書が凄いんです、教授夫人かあ・・そう言えばおばさんも何れはその、教授夫人になられるんですよね。そしたら真理さんは教授令嬢か・・」
母は増々笑う。
「わたしの画家仲間ではね、わたしはとっくに教授夫人になっているのよ。私がいくら准教授だと言っても、面倒くさいから教授夫人と呼ぶわってね。でもお給料は全然違うんだけど、ハハハ」
「お母さんは今のままだって画家なんだもん、これ以上の肩書は要らないわ。只画家が沢山集まっている所じゃ区別するのに使ってるだけよ、別に尊敬したくて言ってるんじゃないの」
「ええ、真理の言う通り。むしろ、冗談交じりに言ってるだけ。でもわたしは私の上司である教授の奥様である人をとても尊敬してるのよ、それにわたしの今の所、最大のパトロンであらせられるの、オーホッホッホ」
「ねえお母さん、もうあっちに行って絵の続きを描いたら?」
「あーらごめんなさい。でもその噂の准教授もお帰りあそばす頃、絵よりも夕食の支度をしなくちゃあ」
母が去って大分静かになった。
「真理さんはやはり今中高に行くの?」
「そうよ、わたしの決心は変わらないわ、校長先生や理科の益川先生に決心を変えさせようと一生懸命に説得されたけど、一度決めた事だもん、変える訳には行かないわ」
「馬鹿げているよ、これからも演劇を続けていくんなら分かるけど、その積りはないんだろう、只先輩や同輩、後輩の為、いや、山岡女史の口約束の為だけに今中高に行くなんてさあ」
武志君がむくれたような声で言った。
「あらでもわたし、高校行っても演劇部入って頑張る積りよ」
「ええっ、演劇続けるの?」
吃驚して沢口君が尋ねる。
「続けることは続けるらしいけど、目指すは化学者の道一筋だってさ」
武志君がフォローする。
「芝居もやって化学者になる為、一流の大学を目指す為の猛勉強もやるんだってさ」
「そ、そうなの?でも中学校とは違うよ、全然」
沢口君、心配そう。
「分かっているわ。でも、学校もバックアップしてくれるし、第一、もう演劇部の台本は書かないと言う約束してるんだ」
「そ、そうなんだ、台本書かなかったら、真理さんの事だ、こりゃきっと上手く行くよ」
「でも、こいつ、台本書かなきゃ詩や短歌、俳句を書くに違いないんだ」
「えー、真理さん、そんなのも書くの?」
「お前知らなかったの、ずっと前詩のコンクール、中学校でやった事があったろう?」
「御免、俺さ、そんなの全然興味ないから、記憶にもない」
「ま、そんなもんだろう?でも俺は隣に住む者の義務として、義務としてこいつの書いた詩を一通り読んだんだよ」
「あれはね、あれはわたしが選んで出したんじゃないの。あれは定型詩も面白いかもって、国語の時間に書いて提出したのを、山岡先生が面白がって、コンクールに出しちゃったのよ」
「それでお前が書いたもの中では今一の出来だなって、俺さ根が正直なもんだから感じたままの事を言ったんだ」
「それで真理さん怒った?」
「怒らなかったと思うよ、只ここに一人の男ありきだ。その男、いたくその詩にかどうかは本人に聞かなきゃ分からないが、兎も角その男は褒めちぎったんだ。そこで彼女に俺はけなしたけど彼はちゃんと褒めてくれたと散々言われたよ」
「そんな隠れファンもいたんだ。油断できないな、直ぐ足元救われる。その男、好い男?」
「ああ悪いけど俺達、太刀打ちできないね」
「太刀打ちできない程の好い男・・・あの東村ではどうだ?」
「まあどっこいどっこいと言った所だな、真理」
私はあの頃の東村君を思い出した。そして胸が一杯になり何だか涙が溢れてきた。
「泣いているんですか真理さん。おい、藤井、真理さん泣いてるぞ、お前の冗談きつかったんじゃないのか?」
「冗談は行ってないよ、ぜーんぶ本当の事だよ」
「本当の事?一体その好い男って誰なんだ」
「東村に匹敵する好い男は‥一人しかいないよ、しかも真理を未だに泣かせる男は只一人、東村しかいない、早く気づけよ」
「成程なあ、彼奴もやるときゃやるなあ。うん、誰も褒めてくれない時に褒める、これは心に染みるよなあ」
「彼はわたしの関心を買うために褒めたんじゃないわ、ちゃんと詩と言うものを理解した上で同感したのよ、ただ褒めるだけなら誰だって出来る、そんなのわたしだって分かるわ」
「うーんそうか、そうだよなあ、頭の良い奴にはそう言った事では全然敵わないんだな。藤井、お前が正解だよ、凡人は感じたまま言うしかないんだ、例えライバルがおべんちゃら使おうと、ぐっと我慢して、正直に言う、それしかない」
「あたりまえだよ、特に真理みたいな頭の切れる女には、嘘だとすぐばれるよ」
「ハハ、俺少し利巧になったみたい」
「ねえ、沢口君は、もうスカウトの声がかかってるんだって聞いたけど本当?」
「ああ、ぼちぼちね、でも珍しくはないんだ、他の高校にも2,3人いるよ、1年でスカウトから声かけられたって奴」
「そう、でも凄いわあ、まだ1年だもの、2年になったらもっと声かけられて大変な事になるかもしれないわね」
「今だよ、真理、沢口をせ占めるんだったら」
「そうね、篠原さんや村橋さんにも言っとこう」
「何だい、その村橋って名前、初めて聞くような?あ、分かったライバル、理科の夏の宿題で真理を押しのけて金賞を取った奴だ。それに成績も女の中では真理の次に良い奴だ」
「ご名答、あたりー」
「で、どうして沢口と関係あるんだ?」
「えー話せば長くなるけれど、、わたしが沢口君と話していた時、周りにやっかみ半分の女性が一杯。だから私は逃げ出したんだけど、そこに登場したのが村橋さん。村橋さん曰く『わたしは金づるになる男性を手に入れる為に勉強をしてる。もし勉強しなくてもそう言う男性が目の前に落ちてきたら、勉強ほったらかして、その男性を手に入れるわ』こう来たのよ、それでわたしがいくら男に負けるな、勉強してわたしと一緒に勝鬨を上げようと言っても、全然本腰を入れてくれなかったの」
「ふーん、彼女美人?」武志君が一言。
「その質問はあまり良い質問とは言えないけど、見た目が大事と誰かが言ったわ。女だって相手がハンサムかそうでないかで評価はほぼ決まるものね。言わせてもらえれば、村橋さんは私と同じ位、へへへ美人だわよ、頭の良さも同じ位だし、背の高さも同じ位なの、正しくわたしのライバルなんだ」
「でも思考回路がまるっきり違っている」武志君。
「向かう目的も全然違っているな」沢口君。
「人なんて違って当たり前よ、十人十色。それに心も変わる、心も変われば目的も変わる。どう、篠原さんはもう知ってるから良いとして、村橋さん紹介して欲しくない?」
「馬鹿だなあ、沢口が付き合って欲しいのは篠原でもなく村橋とか言う女でもない、島田真理と言う女なんだ」武志君がきっぱり断言。
「うーんわたしなの?私・・まだそんな事考えた事ないのよ、と言うか今はそんな事考える時ではないと思うの。高校に入って如何するか?そのことで一杯一杯なの。只沢口君がどんどん強くなってみんなの注目を浴びて、良いスカウトさんに巡り合って、沢口君がこれからもバスケの世界で活躍して欲しい、それは誰にも負けないぐらい願っているわ、心の底から」
玄関の鍵が開いて准教授様のお帰りだ。
「ただいまあ、おや、武志君と沢口君だったかな、遊びに来てくれてたんだあ、こんにちわ。いや、こんばんはの方が正しいのかな」
「お帰りなさーい。二人から卒業祝いにチューリップの花もらっちゃった、ほらこれ」
「あ、これは春らしくて好いなあ、可愛くて綺麗だよ。ありがとうね」
「今までおじさんんの話をしてたんだ」武志君が父の話を受けた。
「へーどんな話かなー?」
「どんな話って色々よ。例えば・・教授より給料安いとか」答えに窮した武志君の代わりにわたしが答えた。
「えー、そりゃ確かだけど、現実的だなあ。もう少し、夢のある話にして欲しいね」
「夢と言えば・・沢口君、今プロのバスケットのスカウトから声かけられているんだって」
「え、凄いなあ。未だ2年にもなっていないんだろう?」
「今度2年になります」
「そうか、昔の日本は体格的に劣っていたから、プロのバスケットなんて夢のまた夢だったけど、今は体力も技術も良くなって来たから、大いに活躍して欲しいな」
「おじさんも随分背が高いですね、昔バスケやられていたんですか?」
「ハハハ、全然だよ。まあ独活の大木と言うんだろうね、僕みたいのを』
「そうだ、おじさん、沢口と背比べしてみませんか?二人とも自分より背が高い人間にあまり出会った事ないんじゃないかな」武志君が提案する。
「うわー、おじさん本当に大きいですね、普通の人でおじさんみたいに背の高い人見た事なかったです」
「うんそうかもね、32,3歳の頃まで背が伸びていたんだ。これもしかして一種の病気かも知れないなあ、今度おばあちゃんに聞いてみなくちゃいけないな」
「俺は何時も言ってる通り羨ましいと思っているんだけどさ」
「もう少し背が高かったらお前もバスケット続けていただろう?お前、バスケのセンス、物凄くあったもんなあ」
「うーんどうだろう、分からない。でもこれで良いのさ、俺は俺の選んだ道を行くよ。もうバスケには未練はないんだ」
父と沢口君が背中合わせに立った。何と父の方が僅かながら背が高い。
「うーんおじさんの方がまだ高いようだ」と武志君が断言した。
「まだまだおじさんを追い越していないんだ。でも今年中にはおじさんを追い越したいなあ。あ、そうだ、おじさん、もう背は伸びていないんですよね」
「ハハハ、幾らなんでもね。大丈夫今年中には、ぐんぐん伸びておじさん所か他のライバルたちより大きくなれるさ。男は高校2,3年の頃が一番背が伸びるんだから」
台所から母が出てきた。
「ねえ、みんな、今日は真理の卒業を祝ってお寿司を取ったのよ、別に肉料理やサラダも作ったから食べて行って頂だい。うん、そうね多分沢口君でも大丈夫なくらいはあると思うけど・・」
「おばさん、もし足りなかったら、彼、家に帰ってまた食べるから心配ご無用です」
武志君が心配する母に告げる。
「俺んちで食べる時もそうしてるから、ハハハ」
その夜は何時もに増して賑やかな島田家の夜であった。
いよいよ中学校も春休みに入る。と言う事は3年なき後を受け持つ後輩達による演劇部の発表会の日でもある。
勿論わたし達卒業した者達に出番はないがスポットライトなどの照明や音楽やどよめき風などの音響効果の係は入用なので、その手伝いとして毎年駆り出されると言うか、自主的に手伝いとしてやる風習になっている。
久々の演劇部との対面だ
「いよいよ私たち抜きの劇が始まるのね」
「でも、台本は島田さんが書いたって言ってたわ」
「ええ、でも何だか今度のは大桐先生の大幅なバックアップで持ってミュージック仕立てになってるって噂だわよ」
「えっ、そうなの、島田さん、どういうことなの?」
いきさつを知らない林さんや村中さん、北山さんに攻められる。
「ええ、人数合わせで、苦し紛れにミュージカル仕立てにしたらって提案したら他の所もミュージカル調になっちゃったのよ」
「苦し紛れでミュージカルになる訳?」
「あのねえ、島田さんはあんた達みたいに推薦じゃなくて、塾の為、わが母校の名誉の為、有名校や公立校おまけに自分の将来の為に今中高も自力で受けて通ったのよ。その受験で忙しい真っ最中にあの1年の漫才コンビが『先輩、出来ませーん、助けて下さーい』と鼻を鳴らしてやって来たの。本来なら山岡先生に泣きつくはずが、山岡先生は嘘か誠かインフルエンザに罹ったとかでお休み中。しかも台本の仕上げだけは急ぐようにと言い残してね」
堪りかねた篠原女史が口を開いた
「まあ酷い」
「ほんと何時も酷いけど、今度はもっと酷すぎるわ」
「そうよねえ、もう島田さんはいないと言う事になってるのに」
「それで島田さんが書かざるを得なかったのね」
「わたしも私立の一番むずい奴が迫っていたし、その後も今中高や公立の受験もあるとかごちゃごちゃしてたでしょ。だから、細かい計算やってられなかったの。だから一応書き終わって渡すときに最後の場面はミュージカル風にしてみたらとアドバイスしたのよ」
「そしたら」篠原女史が咳払いを一つ。
「そしたら?どうしたのよ篠原さん」
「ミュージカルと言えば音楽よ、音楽と言えば・・」
「大桐先生よねえ、大桐先生の多大なるバックアップあって出来上がったとは聞いたわよ」
ふふんと篠原女史鼻で笑う。
「あんた達、なーんにも聞いていないんだ」
「何を聞くのよ、一体何があったの?」
「当然山岡先生と大桐先生、密に話し合わなければならない」
「フンフン、そうだ振付も必要だわ」
「そう言えばも一人登場人物がいたんだ。体操の橋爪先生って独身?」
「そうかも知れないなあ、先生の職業って結構独身が多いから」
「でも今は橋爪先生が独身かどうかは、こっちに置いといて、てんやわんやで劇中ミュージカルが出来上がったらしいわ」
「へええ、良かったね、めでたしめでたし。これでおしまいなの?」
「違う違う、わたしが言いたかったのは・・」
「篠原さんが言いたかったのは?」
「山岡先生と大桐先生の仲がググっと近づいたと言う事よ」
「ああ、それは私も前から気付いていたわ」
「ええっ、そう、そうなの、前から気付いていたんですって」
「前からよ、ずっと前から、こんな事音楽の先生に、つまり大桐先生に頼めばいいのにと思っていたのに頼むの躊躇してたから、山岡先生なんか怪しい、大桐先生胃の事気にし過ぎてるなって思っていたもの」
「あなたって鋭い感してる」
みんな感心してる。
わたしは感心している所ではない、あの1年ほど前武志君に馬鹿にされ、藤井のおばさんにも笑われ、母には詩や短歌を詠む者が男女の機微に疎いとはと言われ、あの時は二人に会話に聞き耳たてたり、美香や睦美に聞いてみたりしたが、さっぱりらちが明かなかった件だ。
それなのに今わたしの目の前に居る林さんは、誰に言われることもなく前から気付いていたと言うじゃないか。
「ねえ、林さん、あなた短歌得意なの、それとも詩が得意?」
「はあ?なあに藪から棒にそんな事聞いて」
林さん、目をぱちくり。
「そう言ったものが得意だったら、少しは島田さんのお手伝いが出来たんだけど、わたしそんなもの全然書けないわ」
「では文章はどう?」
「まるっきり」
「ふううん、男女の機微には敏感なのにねえ」
「なあに、それ、わたしを責めてるの、単なるスキャンダル好きなだけなんだけど」
「ううん、詩や短歌を詠む者は男女の機微に敏感でなければならないと言われたの」
「へええ、一体誰が島田さんにそんな事を言ったの?山岡先生、それとも島田教授」
「お父さんはまだ教授じゃないわ、准教授よ、それに父はそんな事言わないし、先生も言わないわ」
「じゃあ誰が言ったのよ、その名文句」
「へへへ、我が家の准教授婦人、またの名を河原崎多恵画伯がのたまわったのよ。だからわたしは必死になってその機微とやらを手に入れるべく東西南北走り回ったけど、今だ成果なしなの、林さんが羨ましいと思った訳」
みんな、大きなため息をつく。
「所で山岡先生と大桐先生、どうなったの?」
「婚約発表したの?」
「それとも婚約指輪見せつけられたとか」
「ううん、そんな情報は入っていないわ」
篠原女史が締めくくった。
「なあんだ、単なる噂に過ぎないね」
みんなの顔に残念そうな色が浮かぶ。
「この話、この前直接山岡先生に聞いてみたの」
今まで篠原女史に向いていたみんなの眼差しが一斉にわたしの方を向いた。
「島田さん、あなた直接聞いたの、何て?」
「ええっと何て聞いたかは忘れたけど、一応大桐先生と付き合ってるかお伺いを立てたのよ」
「それで先生、何て答えたの?」
「うーん、山岡先生自身が今の状態を把握できていないのよね。と言うか今までの生活に未練があるの。今までの生活を捨ててまで大桐先生と付き合う、その勇気がないんだって」
「へー、そうなんだ。つまり二人の間には恋の炎は、全然燃えていなかったって話なのね」
「早い話はそうだけど、でもそうと言いきれないものがそこにあると、話の中に感じられたんだ」
「そう言い切れないもの?」
「だから、ここは山岡先生の心がはっきりするまで待つしかないか、大桐先生がどう思いどう行動するかにも注目していかなくちゃあね。でもわたしとしては二人の間にほのかな思いがあって、それが恋になって行くためには周りの人間の温かな目が必要と思うのよ。まあ、あんまり、お互いに煮え切らない時は後ろから押し上げるのも必要だとも思うけど」
「温かい目か・・・」
山岡・大桐両名のコイバナはこれで終わった、うん、それで良いのか?分からない、春が来る、多分二人は離れ離れになる。煮え切らないままで終わる山岡先生の心。急速に消えて行く大桐先生への思い。それで良いのか、山岡先生よ?でもわたしには何もできないのだ、台本を書くようには行かないではないか。台本を書くようには・・・
「始まるよ、獏たち男子は照明を受け持つから島田さん達は音響の方お願いね」
今回はミュージカル風にやるので何時もよりずっと照明係は重要になるとかで、敦君は緊張気味だ。
「ええ、音響の方は女子が引き受けたわ。照明の方、大丈夫よ、旨く行くわ」
敦君の緊張を少しでも溶かしてあげたいとにっこり笑う。敦君もそれに答えてほほ笑んだ。
幕は開いた。幕引きも女子の受け持ちだ。スイッチだけどね。
アンとマリラ。大丈夫大丈夫。二人ともわたし達の事は忘れて、新しいあなた方自身のアンとマリラで良いのよと心から思う。一幕目は無事終わり2幕目に移る。みんな良くやってると安堵した時だった。下の妹に扮したのは三峰嬢だ。
この妹、とんでもない妹でダイアナに抱き着いて離さない、ダイアナがそれを引き離そうとすると手にぶら下がる、ダイアナ堪りかねて妹を蹴っ飛ばす。取っ組み合いの喧嘩、いや失礼女子レスリングの試合が始まった。呆れ顔のアンとマリラとバリイ夫人。収拾がつかなるかと思うほどだったが、何とか劇は進行し、第2幕が幕を下ろす。客席は大盛り上がりだ。
いよいよ問題の第3幕。普通の調子で前半は恙なく進む。山岡先生の合図でどらの根を一発、じゃーん。
ダイアナくるりと登場、アンもくるりと回って舞台の前に登場。
大丈夫、二人共華麗に舞い、歌った。特にダイアナは沢山ある花の名を間違う事なく、如何にもそこに咲いているかのように歌い踊る。その様子はかっての永沢さんの姿を彷彿させる。山岡先生もそう感じているに違いない。チラリと私を見やった目に光るものを見たと思ったのは幻だったかも知れないけど。
「良いですねえ、あの小川って子、素晴らしい声してる、演劇部に置いとくには勿体ない位だ」どこから現れたのか大桐先生が突如登場。
「えー駄目ですよ大桐先生。あの子は今度3年になるんです、この演劇部を引っ張って行ってもらわなくちゃいけないんですから」山岡先生が慌てて釘を刺した。
「ハハハ、冗談ですよ。でもほんとに良い声してるなあ。昔の永沢を思い出すなあ」
「わたしもそれ思ってましたよ、あの子には花がありましたねえ」
「うん、失礼だが、ここが地獄の筋肉増強演劇部と噂されても、島田さんみたいな名シナリオライターがいなくて実につまらない台本にもかかわらず、あの子は一生懸命に取り組んで、廃部の危機を救ってくれたんでしたねえ」
「ええ、おかげで島田さんにつなぐことが出来たんですわ」
3幕が終わると会場から割れんばかりの拍手が起きた。2幕目の笑いの混じった拍手とは明らかにそれは違っていた。
第4幕目だ。美術部の腕の見せ所とばかり、緑の山と木々に囲まれた大きな池、それにボートも描き込まれた背景にはそれまではどちらかと言うと薄暗い感じがパッと明るくなり解放感に溢れる場面となった。
私が書いた台本には男の子のセリフはないがそれはかわそうと女役に回った子を除いた男の子たちもうろうろしている。でも心配なのは舞台荒らしの三峰嬢の動向だ。会場のみんなも三峰嬢が今度は何をやらかすのか楽しみに待ってるようにも感じられるし、うーんこれは良き事か悪しき事か真理、困ちやう。
三峰嬢、最初はしおらしく普通にやっている。少し安心?いやいや、そうではないのだ、客席から見たらどうも目を白黒させたり口を曲げたりの百面相をやっていたようだ。客席から笑いが漏れる。
その三峰嬢にもセリフの順番が回る。役はメアリーだ。チョコレートケーキに反応し豪勢と言う言葉を使うこの役。でも次の子、テーリーが言う言葉「砂糖漬け、美味しいわよ、ほっぺた落ちるわよ」が出た後
彼女ほっぺたを抑え「ええっ、どこに行ったの、わたしのほっぺー」と騒ぎ出しそこいらをきょろきょろ探し出した。
「あーあったー!」とハンカチを広い「これわたしのほっぺじゃない、アン、これあんたのほっぺじゃないの?」と来た。
アンはさすがこの舞台の主役だ平然と答える「うーんそれねえ、似てるけど少し違うわ。わたしのはも少しピンク色だもの。あそこにいる男の子のじゃない?さっき砂糖漬けつまみ食いしてたから」
三峰大きく頷き「あっほっぺた元に戻っている」と締めくくる。やれやれだ。
第5幕目、ラストのシーン。
「いよいよこれで終わりよ、あなたの台本もわたしの演劇部の指導も」
「ええ、でも先生の演劇指導は次の学校でも発揮できますよ」
「そう出来れば言いんだけれど、もしかしたら先生職でなくなるかも知れないわ」
「教育委員の中に入るんですか?」
「分からないわ、もしかしたら演劇部のない学校かも知れないし」
「そんな時はもう一回始めから作ってみたら如何ですか?」
「初めから・・そんな元気もうないわ。若いからがむしゃらにやって来れたのよ、あなたや永沢さんみたいな逸材にも恵まれたから。うーんそうね、もし他の学校であなたのような才能あふれる子に出会ったらひっ捕まえて、もう一度筋肉増強演劇クラブ作る元気沸くかも知れないなあ」
「えっ、山岡先生、転勤になるんですか?」またまた大桐先生。
「あら、先生、ご存じなかったのですか?まあ移動には関係ない人には言わないでしょうね」
「そうですか・・・どうです、今日の演劇終わったら、慰労を兼ねてわたしにごちそうさせて下さい」
「まあ、わたしにご馳走して下さるんですか、嬉しいな、今までそう言われたことがないもんで」
ウムウム、中々いい調子だ、しかもこれを知ってるのは真理わたし一人だ。運命の神様よ、もしこの二人が心の奥で互いに憎からず思っているのなら、どうぞ宜しくお願いいたします。
幕は開いた。最初は何時もの落ち着いた雰囲気で始まった。
そしてライトが当たる中ダイアナ役の小川さんとメアリー役の三峰嬢の登場だ。小川さんの美声はさっき聞いたばかりだが三峰嬢は一体どんな歌声なんだろう。
まず三峰嬢の登場だ。会場から拍手が起こる。もう彼女はみんなの人気者なんだ。クルリクルリと回って出て来る。クルリ、クルリ、少し早い、そして何回も回る、そして当たり前だが目が回ってバタリ、ドタンと倒れてしまう。いや倒れるのが目的でやっているのだ。そして倒れたまま歌い始める。
「そうよー、そうよー、わたしがー使ったのよー豪勢,豪勢、だってチョコレートケーキがーあんまりすんばらしくてー豪勢と言ってみたかったのよー」
凄い声、酷い調子外れ。これは絶対に彼女がワザとやってるに違いない。おかげで会場は大爆笑だ。次に出て来るダイアナが立ち往生。その時アンが動いた。アンがゆっくりと回ってダイアナの所に行き、手を取って二人で踊りながらメアリーの傍を通り抜けて行く。
「ありがとうアンー、それに用意された紅茶の美味しいったらありゃしないー。それからそれから、ハモンドさんが、ハモンドさんがみんなをボートに、ボートに乗せて下すったのよー」
どうもここで三峰嬢が倒れるのは織り込み済みだったようで、歌が用意されている。それに最後の一節「ボートに乗せて下すったのよー」は二人の重唱になっていた。しかも上手い!
ううーん、これは三峰嬢の完敗ねとあっぱれなる2年生のコンビに拍手を心の中で贈った。この後でも三峰嬢のおどけは続いたが、ほとんど部員たちに無視されている。ただ、観客席には受けていることは確かで、小さな笑いが漏れていた。
こうして演劇部、美術部、被服部、音楽部、ダンス部合同発表会は無事に幕を下ろした。
今度の部長、副部長による挨拶が済み協力してもらったクラブや先生への感謝が述べられていく。私が目配せする。
「ここでどうしても一言言わなければならないことがあります」部長が言う。
「この廃部になりかけた演劇部をここまで立ち直らせ、盛況にして下さった山岡先生に深く感謝の言葉を言わせて下さい」副部長1が言う。
「そして感謝の花束をお受け下さい」副部長2が言う
残りの2年生が嫌がる山岡先生を引っ張り出す。
花束を受け取った山岡先生がマイクの前に立つ。
「ありがとうみんな、確かに3年前にはそんな噂もありました。でも卒業して行った旧3年生のお陰で、廃部どころか、高校からスカウト迄来るようになりました。わたしは世界一の果報者です。例えこの学校からわたしもいなくなったとしても・・・いなくなったとしてもきっとみんなで力を合わせ、このクラブを盛り立ててくれると、今日の舞台を見て確信しました。本当に本当にみんな、ありがとう。どうぞこれからもこの演劇部を守って行って下さい、お願いします」客席から大きな拍手が起こる。
舞台に鉾の部員も立ち並ぶ。そして協力して下さった先生達も出てきて拍手を送る。山岡先生の目に涙が溢れる。わたし達旧3年生はそっとその場から離れて外へ向かった。
向かう先はあの喫茶店だ。北山さんも一緒に来てくれた。付き添いのお母さんも一緒に喫茶店に入る。
「嬉しいわ、こうやって部室でない所でお喋りできるなんて夢みたい」
「あら、わたし達も本当は北山さんにドンドンお喋りに参加してもらいたかったのよ。これからは遠慮せずに『わたしも参加したいわー』と言ってね」
「北山さんは島田さんと一緒の高校なのね」
「わたしは・・迷ったけど篠原さんの行く栄南に決めたの」
「わたしもよ、何しろ篠原さんの誘い、強引だから」
「男性諸君は如何なのかな?」篠原さんが尋ねる。
「俺たちは谷口の後を付いて行くだけ。それに噂によると島田さんの為に学校で塾みたいなのやってくれるらしいし。それってありがたいよね」
「ええっ、そうなの?ずるいなあ、それ隠してるんだもの、篠原さん」
「ヘヘヘ、それを言っちゃうとみんな今中高校に居ちゃうでしょう。それじゃわたし一人よ、寂しいじゃん。わたしの為には栄南高校、塾開かないだろうしね」
「そりゃあ無理無理、ハハハ」
「桜はまだかしら?」
「今年は遅れているわよね、いつもは咲く頃なのに」
「うん、昔は入学式の頃に咲くのが当たり前だったんですって」
「そう言われれば小学校の入学式の時は・・・もう忘れちゃったわ」
「でも今日は大分温かくなって来たからもう少ししたらきっと一斉に咲くわよ」
話が終わって外に出る。本とだ、大分温かくなって来ていると感じられる。
「本当、桜咲くわよ。きっと直ぐ満開になるわ」皆口々に言う。
もう一人花を咲かせたい人がいる、大桐先生に今日食事に誘われた山岡先生に幸あれ!
お知らせ わたしと時々妄想ばっちゃんの日々はここで一区切りになります
再開する日が来ましたら、宜しくお願いいたします
尚、多恵さん旅に出るの方は続きますので、真理のその後が気になる方は
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