1.目標
牛頭人身の魔物が咆える。全身の切り傷から血が滲み、体長3メートルの巨体を支えている強靭な足腰がふらついた。
「ファム!」
「任せて!」
魔物の四角から小柄な少女が躍り出て、巨体の足元に滑り込む。
「やあ!」
少女の握る短剣が魔物の腱を切り裂き、大斧を手にした魔物がバランスを崩した。
「ラウル!」
「はあっ!」
まだ幼さの残る少年が疲労を滲ませながらも渾身の力で剣を振り下ろす。その刃は、崩れ落ちる魔物の太い首を狙っていた。しかし、牛頭を支える首がその役目を終えることはなく、赤い2つの瞳は光を失っていなかった。
「くそっ!」
ラウルが悪態を吐く。牛頭人身の魔物が地に倒れ伏し、その頭部の2本の角が地面を穿っていたが、それはとてもラウルの満足できる結果ではなかった。
「悔しがるのは後にして!」
巨体の背に飛び乗ったファムが短剣の柄を両手で逆手に握りしめ、首の裏に叩きつける。刃先が半ばほど埋まり、魔物が苦悶の叫びを上げた。
2人が戦っているのは迷宮王牛。冒険者の街メルニールのダンジョン10階層の最奥に座するボス部屋の主だ。
迷宮王牛は傷だらけの両手を地に突いて起き上がらんとするが、ファムは腰の後ろからもう1本の短剣を取り出し、先ほどと同様に、再度、首の裏に叩きつけた。
咆哮と共に魔物が体を起こし、ファムの小柄な体が転げ落ちる。
「ラウル、お願い!」
ファムが叫ぶのと同時に、ラウルが膝立ち状態の迷宮王牛の首元に剣を突き立てた。剣先が硬質の皮膚を貫き、ずぶりと肉に埋まった。
断末魔の叫びが地下空間に響き渡る。
「やったの!?」
受け身を取って即座に立ち上がったファムが背後から見つめていると、巨体が前方に倒れ込み、ラウルが剣から手を離して飛び退いた。うつ伏せに倒れ伏した迷宮王牛の首の裏から、血で赤く濡れた刃が覗く。
自重で首を貫通した剣が、まるで墓標かのように突き立っていた。
世界を救った2人の英雄がこの地を去ってから1年と少し。その英雄たちから僅かとはいえ手ほどきを受けた少年と少女は、まだ成人前でありながら2人でコンビを組んでダンジョンに潜り、魔道具の燃料となる魔石やその他の魔物の素材を獲得しては売却しての繰り返しで生計を立てていた。
ラウルとファムは普段、もう一つの冒険者の街とも言えるラインヴェルトを本拠地にしているが、この日はラウルの提案で以前暮らしていたメルニールのダンジョンを探索していた。
二人は11層には向かわず、ボス部屋を出て帰路に就く。その途中、ラウルは立ち止まり、帰り道とは別の小道に顔を向けていた。
「ラウル、急にメルニールのダンジョンに潜ろうって言うから変だとは思ってたけど、もしかして……」
ファムが横に並び、呆れたように肩を竦めた。
「まさか、挑戦したいなんて言わないよねー?」
「それは……」
「ミルミルのお兄さんだから1人で倒せるけど、多頭蛇竜も毒蛇王も、本当はもっと大人数で、幼生体でも大人たちが死に物狂いで戦う相手だからね?」
ラウルが見つめる小道の先は袋小路になっていて、そこに隠し部屋がある。その部屋は宝箱を開けると閉じ込められて、強力な魔物が現れるという罠部屋となっている。
ファムの挙げた魔物は実際に“ミルミルのお兄さん”とその想い人を中心とした英雄たちが遭遇した魔物だ。それらはダンジョンの10層に出てくるとは思えない強大な魔物であるため、不用意に立ち入らないよう冒険者ギルドから注意喚起がされていた。
「でもミルちゃんだって……」
「ミルミルは、ミルミルのお兄さんたちと一緒にラインヴェルトを救った英雄なんだからね。私たちとは比べられる子じゃないよ」
ミルミルこと、ミルというのは、ラウルやファムの友人の犬人族の少女で、2人より幼いながらも冒険者の街たるメルニールとラインヴェルトの双方で知らぬ者がいないほど、その名は轟いている。
二人は友人だからこそ、幼い彼女が1年以上も前に仲間の子竜と一緒に多頭蛇竜の幼生体を倒したことを知っていた。
ラウルの表情が悔し気に歪む。ファムはそれを横目で眺めて溜息を吐いた。
「ま、気持ちはわかるけどねー。昔から知ってる分、ミルミルにできるなら頑張れば私にもできるんじゃないかって」
この地を去った稀代の英雄二人の妹分として多くの困難を乗り越えて彼女は強くなったが、元々はラウルやファムよりも非力で、当時を知る人たちはミルが様々な二つ名で呼ばれるほど成長するとは思いもよらなかったに違いない。
「ミルミルのお兄さんたちのおかげで私たちも強くなったけど、迷宮王牛に手こずってるんじゃ、とてもじゃないけど隠し部屋の魔物の相手なんてできないよ」
二人も必死に努力してきた結果、今では一端の冒険者と名乗れるくらいの強さにはなったが、如何せん攻撃力が圧倒的に足りていなかった。
先ほどの迷宮王牛にしても、二人に大人の力か強力な武器や魔法があれば、それほど苦労せずに倒せたはずなのだ。
「今度、ミルミルに相談してみようかなー?」
「ダ、ダメだよ、ファム。迷惑かけちゃ」
ファムは優しく友人思いのミルが迷惑がるとは思えなかったが、焦ったように言うラウルの気持ちは理解できた。ラウルはミルに頼ることなく、ミルと肩を並べられるようになりたいのだ。もっと言うならば、ミルに相応しい相手だと認められたいのだ。ミルと対等な、一人の男として。
「とりあえず、もう泣いて逃げ出すのはやめた方がいいよー」
「な、何だよ、急に……!」
ファムが揶揄うように告げて歩き出し、ラウルは戸惑いながら追いかける。恥ずかしくて消し去りたい2度の過去も、長いこと一緒にいるファムには知られてしまっているのだ。
ラウルは最後にもう一度だけ小道を振り返り、後ろ髪を引かれながらもその場を後にした。
1日と半日をかけて地下ダンジョンを地上に向けて進み、1層の転移罠を利用したダンジョン間転移システムを使ってメルニールのダンジョンからラインヴェルトのダンジョンに一瞬でワープする。一本道を通って角を曲がれば、すぐに出口が見えた。
ミルの兄的存在である英雄が中心となって構築した転移システムは、大陸最大版図を誇るグレンシール帝国の領土内にありながらも自治を認められた2つの街を結び付け、冒険者は元より、商人や旅人たちにも広く利用されている。
ラウルとファムも利用料を払ったが、それも冒険者ギルドのラインヴェルト支部に併設された孤児院の運営費になるのだから、何の不満もなかった。
二人は冒険者ギルドに立ち寄ってダンジョンの戦利品を売却した後、いつもの日課通り、行きつけの宿屋内の食事処で夕食を済ませる。
「あ、あのさ……」
食後、ファムが少しだけ膨らんだ腹部をゆっくりと撫でていると、ラウルが思いつめた顔で切り出した。それからラウルはパクパクと何度も口を動かすものの、その喉の奥からは一向に続く言葉が出て来ない。
「なにー?」
ファムは何でもない風を装って催促するが、予感はあった。10層からの帰り道、ラウルはずっと、何やら考え込んでいたのだ。
そしてラウルは告げた。恐る恐るファムの反応を窺うように。しかし、はっきりと意志を込めて。
“多頭蛇竜を倒したい”
それは、今の二人には無謀に思えるほど、難易度の高い目標だった。