28,白い粉
「これはどういうこと」
にやにやと笑いながら、御者の隣に座る男が中に入ってきた。
「宰相家のお嬢様。
あなたには恨みはないが。
あなたの家には恨みがある。
そういう者がゴロゴロしているんですよ」
目の前にかがみこむ。
後ろにいる男たちより小柄。
なのに、後ろの男たちが恐れている。
アリアーナがはっとする。
「あなた、没落した中堅貴族ね」
「ご名答」
男がゆっくりと立ち上がり、俺を上から見下してくる。
「宰相家のご令嬢様。
あなたの父により、我が領地は没収。
一族は路頭に迷いました。
怨んでいないと言えば、嘘になるでしょうね」
「私があそこに来るとわかっていたの」
「ギルドにも声をかければ、どこぞから漏れるんですよ」
「あなたの、目的はなに……」
男はわざとらしく考えあぐねる顔する。
「宰相家をゆするか。
はたまた、売り飛ばすか」
アリアーナは黙っている。
噛みついても、良いことはないだろう。
おとなしくして、逃げるチャンスをうかがうか。
だが、女の足では決して逃げきれない。
その時、幌馬車が急停止する。
俺は反動でバランスを崩す。
前のめりに転んだ。
ひょうしに肩と額を打った。
「どうした」
「何があった」
背後の男たちが騒ぐ。
「おい、何をしている」
元貴族の男が、御者の肩をつかむ。
ぐらりと御者の体が後ろに傾く。
額にナイフが刺さっていた。
死んでいる。
貴族の男は舌打ちする。
忌々し気に御者を馬車の外へ蹴り落した。
前方に幌馬車を引く馬二頭。
その先に、黒いローブをまとう男が立っていた。
あの服。
黒いローブ。
あれは。
「出ろ」
前方の男が叫ぶと、後ろにいた男たちが外へ出て行った。
幌馬車の中は、俺とアリアーナが残される。
俺はゆっくりとアリアーナのそばによる。
小声で「痛くない」とたずねる。
「肩が少し痛いわ」
弱弱しい声が返ってきた。
幌に男たちの影がうつる。
じりじりと男たちは前方へとすり寄っていく。
「やつは一人だ。やれ」
元貴族の男の怒声。
アリアーナは目を硬くつむり、うずくまる。
本当は耳をふさぎたかったに違いない。
男たちが前方に向かって走り出す。
一人の男の腕が吹き飛んだ。
闇を切り裂く男の悲鳴。もげた片腕を抑え、うずくまる。
あっけにとられる間に、別の男の首が切りさかれぼろりと落ちた。そのまま体ごと崩れ去った。
幌に血しぶきが飛び散った。
また誰かが切られた。
男たちの悲鳴や嗚咽が響く。
血しぶきが幌に幾重にも痕を残す。
静かになった時、男たちの気配は消えていた。
足が震えた。
外に出ることはできない。
今出たら、惨劇の死体が転がっている。
幌の中で、声と影だけでこれだけ恐ろしいのに。
死体を見たら、きっともうへたり込んで動けなくなる。
ゆっくりと歩く影。
ぬかるんだ道を歩く音。
右側にうっすら見える影が幌の背後に向かって進む。
馬車の背面を覆っていた布が開かれた。
黒いローブの男。
俺とフィーを殺した奴と同じ。
ローブをまとっているだけで、違う人物かもしれない。
何かが投げ入れられた。
ゴロンと音を立ててそれは転がった。
「ギャア」
と奇怪な悲鳴をあげる。
生きている?
男が機械的に投げ入れる。
ゴン、ゴロン、ゴン。
無造作に、ゴミでも投げるように投げ入れられたそれらは、生きていた。
呻くように鳴く。
ねじ曲がった顔。
片腕だけ奇妙に膨れ上がったり、足がぐにゃりとまがっていたり。
芋虫のように転がったまま、自ら動くことも難しそうにゆらゆらしている。
動く肉の塊のようだった。
人間の形状はしていない。
「アッ、アッ、アッ……」
声もまともに出ない肉塊。
片目がつぶれ、残された目の瞼は盛り上がっている。
瞬きもできず、涙を流す。
顔がつぶれているもの
双眸むき出しで、涙を流すもの。
小さなうめき声は嗚咽か。悲鳴か。
奇妙な物体に気を取られていた。
俺はローブの男が近づいていたのに気づかなかった。
ローブの男はゆっくりと俺とアリアーナの横をすすむ。
冷たい一瞥をくれる。
アリアーナの前で、男が止まる。
懐から小さな袋を取り出した。
その袋に小さな風魔法をかける。
白い粉が風に舞う。
キラキラとまたたきながら、アリアーナに散らす。
俺の方にも飛んでくる。
きれいと思ったのもつかの間。
体に激痛が走った。
アリアーナの顔がゆがむ。
ローブの男は御者席に座り、手綱を取る。
馬の背をたたく音が響いた。
幌馬車がゆっくりと進み始める。
アリアーナが床を這うように身もだえる。
肩から腕が盛り上がっていく。
美しい黒髪が、ごそっと抜けた。
「アナ」
声を出すと同時に、体に痛みが走る。
熱い。
足が重い。
あの白い粉はなんだ。
アリアーナが変貌する。美しい容貌がただれていく。
あの肉塊も、人間か。
白い粉をかけられた。
足が盛り上がる。
ぎりぎりと痛む。
粉のかけられた量の違いか。
アリアーナの変貌が激しい。
重い足を引きずる。
アリアーナのそばへ。
アリアーナの体にふれる。
聖女の力を使えば、彼女の苦しみを緩和できるか。
その時、幌馬車が斜めに傾いた。
床が斜めになり、傾いた方へ転げる。
肉塊と、アリアーナともども、後方に投げ出された。
地面に強く叩きつけられる。
打った体が痛い。
そばには苦しむアリアーナと、いくつかの肉塊が転がり、呻く。
身を起こす。
幌馬車は片輪が飛んでいた。
失った片輪の付け根から黒い煙が昇る。
後ろ手のロープが切られた。
急に手首が軽くなる。
振り向くと立っていた。
「なんで……」
群青色の髪。
俺の顔。
今はフィーの魂を宿している。
まだ現れないはずなのに。
「レオンが……」
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