「体調悪い」ってどういうこと?
私は、学生時代殆ど「病気にならなかった」のです。正確に言えば、殆ど欠席しなかった。
風邪も引くし、だるかったり、気持ち悪かったりしんどいこともありました。女ですから、生理痛でしんどい時もありました。
でも、それは「大したことがないこと」なのです。なぜなら、歩いて、または自転車で学校に行くことができるから。
小学生の時は、六年生の冬にインフルエンザになって寝込まなければ、皆勤賞をもらえました。
母は「インフルエンザにかからなければ、皆勤賞がもらえたのに」と言って、インフルエンザに苦しむ私に寄り添ってはくれませんでした。
ゴミだめのような家の、狭い座れるスペースの中を、私は三分の一ほど占領して熱に浮かされていました(私の実家はゴミ屋敷です)。隣では父と弟が話していました。私は(うるさいな)と思いつつも、どこか肩身が狭いような、居心地悪い思いで寝ていました。
自分たちの部屋は、当時ありませんでした。全ての部屋が、ゴミに埋れていたからです。そのことについても、おそらくまたいつかお話しします。
とにかく、私はそんな感じの家と家族の中で育ちました。
欠席は「悪いこと」だし、無理して欠席したところで、家に居場所はありません。当時から既に心を閉ざして生きてきましたが、「手がかかる」と嫌味を言われながら、家にいるのはなんとなく嫌でした。
それならば、無理して出席して「体調悪かったのにがんばった、とってもえらい子」でいたいと思っていたのでした。
大学生になっても、私は見せる親もいないのに「えらい子」でいようとしていました。
頑張って取れる殆どの単位を取り、やる気のない授業を受けていました。けれど、謎のしんどさと生きづらさに気づき始めた私は、学校のカウンセリングを受けるようになりました。
小さかったときには「体調悪かったのに頑張った、とってもえらい子」だった私は、「体調やメンタルが悪いから、何をしてもダメでも仕方ない可哀想な女の子…」になっていました。悲劇のヒロインです。
とはいえ、私はその時にようやく、自分を気遣う第一歩を踏み出したのかもしれません。
そこからカウンセリングを経て今現在、私自身過去を振り返って、気がつくことが沢山あります。
例えば、
高校生・大学生の時、なぜ寝れなかったのか理由がわからない時がありました。
実際は、
①学校でうまくいかないことがあって、知らずに歯を食いしばる癖が出ていて、頭が痛くて寝れない
②寒くて手足が冷え切って寝れない
③次の日に嫌なことがあるから、緊張して寝れない
大体このどれかでした。「えっ?そんなことも気が付かないの?」と思う人も居るかもしれませんが、当時の私は「えっ…何で寝れないの…?!やばいやばいやばい」と思いながら夜を過ごしていました。
一番簡単に気がつきそうな②でも、自分の足が冷えていることと、眠れないということの繋がりが本気で分かりませんでした。
何で漫画とかアニメで「あったかくして寝ろ」って言っているか、当時は本気で分からなかったんです。寝るときのお決まりのセリフ、ぐらいにしか思っていませんでした。
言われるキャラへの、愛と気遣いが感じられるセリフだと、今は多少思うんですがねぇ。
逆に言えば、私が人生で出会った人や、これから出会う人の言葉も、殆どは「お決まりのセリフ」として処理されています。
自分を気遣う気持ちが欠けているから、本気で相手の想いがわからないのです。だから、相手が自分を本気で心配しているとしても、心から嬉しいと思えないし響かない。何も感じないんですよ(今は多少マシとはいえ)。
そんな私が小説を書いていること自体、結構やばいですよね。人の物真似をしている化物、って感じがします。
(自分でも、芝居臭いこと言わせてるなぁと思うことは沢山あります。けど、自分の好きなように書いてます。)
サイコパスという言葉が流行ったことがありましたね。
あれは、人格障害/パーソナリティ障害のなかの、反社会性パーソナリティ障害のことを指します。
それと同じ「パーソナリティ障害」のカテゴリにある、自己愛性パーソナリティ障害が私です。詳しいことはググってください。
話が逸れましたが、そんな私もカウンセリングを経てようやく、自分のことが分かるようになってきました。
寂しいときは、食べても食べても満足できないところとか。
香水や柔軟剤の匂いがきついと、気分が悪くなるところとか。
緊張すると、すぐお腹にくることとか。
まだまだ沢山、自分の知らないことがありました。それをアラサーになったこの数年で、ようやく気がついたんです。
ああ、私「体調悪かった」んだ。って。
そこでようやく、ほんの僅か1ミリ程度だけど、私もは自分を愛せるようになったんだなぁって思いました。
今思えば、学生時代時代に仲良くしてくれた「友達」には、随分性格の悪いことをしてきました。
「お腹痛い」と言う子には、「大丈夫?」と心配するトーンで聞きました。それがこの世界のルールだから(と、当時の私は思っていた)。おそらく、無表情で。
そして、脳内では
(それで、どうしろって言うんだ)
(そんなこと言われても)
(サボりかよ)
(いいなあ)
(むしろ私がチヤホヤされたい)
と思っていたのでした。勿論、心配など全くしていない。
そして、心配される=チヤホヤされると信じていました。心が貧しすぎる。
親が私にしたことを、見事に人に返していたわけです。
私は発達障害の親から生まれた、発達障害のサラブレッドで、さらに色々「ヤバい設定」が盛り沢山なわけですが、心さえーー心さえ豊かであれば、こんな地獄に落ちるような生き方はしなかったと思います。
発達障害の人でも、きちんと子供に愛を伝える努力を続けられるならば、子供を産んでも子供は強く生きれるのかもしれません。
しかし私の場合は、両親とも「愛って何?」な状態な上に、子供の私もそんなことは切り捨てて生きてしまいました。
救いようがない負の連鎖の中にいます。
私みたいな人間を作り出さないためには、「追い詰められた人は、子供を作らない」のがいいのかもしれないですね。
皆さんは、どう思うんでしょうね?