道具の使い方って大事よね……
今回は、英語できる(英検準二級)(その他の資格なし)(まともに英語を使えない)私と英語についてのお話です。
私は勉強が嫌いです。
私の場合は様々な幸運が重なって、勉強が嫌いでも、英語はそれなりのレベルの勉強を続けることができました。
小学校入学して暫くして、私は当時田舎には珍しかったと思われる、英会話教室に通うことができました。
今まで散々こき下ろした母ですが、こうして習い事や塾には、不満を零しながらもお金を出してくれたので、とても助かりました。
5歳までに外国語に耳を慣れさせておくと良い……といいますが、私の実体験だとそれは正しいように思います。
英語もそうですが、後に別の言語を勉強する羽目になった時に、発音の再現性やリスニングの選択問題は悪くなかったので。
(ただし、真面目にやってないこともあり、ある程度のレベルまでしか通用したことを証明できませんが)
とはいえ、私にとっては「英語でそこそこいい点が取れる」ことだけが全てで、「英語を使ってやりたいこと」など全くありませんでした。
英語といい他の語学といい、所詮は話すための道具。
何を話すか、話して何を為すかという目的が無ければ、勉強は続かないし、勉強したことは何にも使えません。
やる気が無い割にはマシな成績だった英語ですが、大学に出てみれば本当に使えないゴミクズと成り果ててしまいました。
英語のおかげで入学できた学校でしたから、他の人も英語ができて当たり前。
そして、英語で何を為したいかが分からないまま、無意識にゼミや授業に行くのが怖くなっていました。
私は大学退学する前に、ゼミと卒論の単位以外は、卒業に必要な分は全て取っていました。
しかし、自分のクズな性格(とそれに付随する家庭環境の悪さ)の自覚とゼミでの不安が募ったのに加え、卒業後の就職の不安に鬱になり、大学を休学してオーストラリアへ逃げた訳です。
事情を知らない周りの人には、よく言われます。
「なんでもう少し頑張れなかったの?」
「折角親が出してくれたお金が勿体ない」
と。
そりゃそうだ。
あと少し頑張って卒業するだけで、大卒。
社会での扱いや給料が、たった1年半学校に行くだけで手に入った筈なのですから。
そして、母がお金を出してくれたおかげで大学に行けたのも事実。
国公立だから私立よりはマシとはいえ、現在の私ですらそんなお金は稼げません。
そう思う理屈は分かる。
けれど、空っぽのまま大学に入ってしまって、幼い頃から胸の内に飼っていた未来への恐怖が、着々と育って形になっていくのを、皆は知らないのだから仕方がないのです。
知らない他人は勿論、今まで私を助けてきてくれたカウンセラーの先生も、弟も、両親も、皆が理解できないと思ってます。
だから、今は前ほど「理解してもらおう」と必死になりません。
私はカウンセラーの先生以外に、誰にも自分の奥底の気持ちを言ってないんですよ。
仕事関係のことなら、直属の上司に言うこともありますが。言わないと迷惑かかったり、何故自分が変な行動をしたか理由を話せないので。
自分の奥底の気持ちというのは、例えば……
幼い頃から人の顔色を窺って生きてきたが為に、幼い頃から自分自身で選択して生きることに恐怖してきたこと。
自分で選択する社会人になることに、夢が持てなかったこと。
幼い頃から、社会人となるまでをタイムリミットとする爆弾を、抱えて生きている心地だったこと。
私が大学で失敗するのは、今思えば当然であり必然でした。
社会人となる前段階になり、私は無意識下で自分の無能さに絶望して、自棄になっていました。
そしてそんな私を永遠に慰めてくれる、聖母のような人間を求めていました。
血縁者は全員当てにならない故の行動ですが、当時の私はなかなか無謀なことをしたものです。
話を戻しますが……
そんなメンタリティの人間が、英語を使って何かをしたいと思える訳がありません。
そんな訳で、英語を勉強することはいいと思うのですが、英語と何か別の「世界で共通の何か」を楽しめるようになるのが一番良いと私は思うのです。
言葉がいらなくても、楽しみを共有できる何かができるのは強い。
例えば……
ダンス、歌、楽器、絵画・イラスト、料理とか。
日本の文化的なスキルを身につけるのも良いと思います。
日本人として礼儀作法が身につくし、自国の文化をきちんと守っていることもまた、言葉のいらない相互リスペクトに繋がると思います。
同じ日本人から見ても、きちんと日本の礼儀を守る人は気持ちがいいですよね。
私はアラサーにしてアホなので、そんな人を見て「すげぇや……」と思いながら、自分は学ばず恥ずかしい思いをしております。
そう、私にとって一番まずいのは、学ぶ気力が無いことなのかもしれませんね……
やる気のないクズだから、英語も伸びない!!!