私と父とカルトと
私の両親には、それぞれ強く依存するものがありました。父はカルト宗教、母はネズミ講やら胡散臭いセールスです。
※自分もその二つに依存する素養が強いと感じてます。
その中でも、今回は父の方について語ってみようと思います。
父はキリスト教系の新興宗教を大学の頃から信仰しています。
母によると、それは結婚前から知っていたけれど、結婚後に家族を勧誘しないという約束で、お見合い結婚をしたそうです。
母の言い方だと、私の父方の祖母が「どうしてもお願いします」と頭を下げるものだから仕方なく...という様子でしたが、実際どうなんでしょうね?
当時にしては所謂「行き遅れ」の歳の2人ですから、お互い破れ鍋に綴じ蓋で結婚したんではないかと思います。
それにしたって、この結婚自体も色々と謎なんですけどね。
母方の叔母から聞いている話だと、元々叔母への見合い話だったものが、何故か母への話になっていたそうです。母は以前違う男性と結婚して子供もできていたそうなので、本当に何が起こってそうなったのやら...。
話を戻して。
私の知る限り「白痴の子供」と「傲慢な怪物」の二面性のある父ですが、その約束は今に至るまで守られています。
しかし逆に言えばそれだけしか無く、父親としての役目は果たした覚えがありませんでした。
私の幼少期には、ニュースや新聞、野球のナイター中継を見てのほほんと暮らしていました。
しかし、仕事のない日に、用事も言わずに1人で出かけていたのを覚えています。
稼ぎ頭としての働きも、家事も、母ばかりがやってくれました。ここは母が物凄く頑張ってくれました。
まあ、初めから「結婚」という地雷を自分で踏んでおいて、今文句言うなら考えて子供産めよ...とは思ってますけどね。笑
父はトドのように、狭いゴミだらけの部屋の真ん中で寝転がって、よくテレビを見ていました。
母はそれに腹が立って、よく父に甲高い声で文句を言ってました。父はそれから逃げるように、車の中でラジオを聞いたり、本を読むようになりました。
それが、某カルト宗教の本でした。
よく怒る母が嫌で、寂しさから父についてまわった幼少期の私は、その本について尋ねたこともありました。
父はニコニコとして、「これは、神様の本だ。父である神と.....どうのこうの.....。」と、今思えば恐らく、自分の言葉で説明できない父は、教科書(経典?)を読み上げて私に説明した気持ちになっていたのでしょう。
それを私は理解できていませんでしたが、昔から厨二気質で、神様から見出される幻想ばかり抱いていたので、悪い影響はあったかもしれませんね。笑
とはいえ父の場合、父方の家族にまともな方が多い(と思う)ので、父には単に人の為に何ができたらいいなぁと思う純粋な心もあったと思います。
母方の家族と違い、愛情がある育てかたをされたから、クズ人間になったとは言っても根はいい人だったんだと思います。
実際、コンビニに行った時でも募金することも多かったですし、気まぐれとはいえ、少ない小遣いから私たち子供に奢って喜ばせたいという気持ちのある人でした。
とはいえ、曾祖母によってスポイルされ、曾祖母と折り合いの悪かった祖母が父を矯正出来なかったことに加えて、精神疾患や発達障害なんかの要素が絡み合ってしまった。
結果、どうしようもなく手が付けられない、大きな「お坊ちゃん」が出来てしまったのだと思います。
彼自身も社会との溝ができていたことに気がついていたものの、親元を離れた大学時代に「カルト」という甘言に乗せられて、戻れないところまで行ってしまったのでしょう。
彼は、私のことを「お姉」と呼びます。
名前で呼ばれたことは殆どありませんでした。それは、彼が70を越える歳になっても尚、精神は大人ではない表れのひとつだと思います。
そんな幼稚な彼だからこそ、彼にとって絶対的な親で、自分(父)を肯定してくれる存在が無いと生きていけなかったのだと思います。
別に、父自身を受け入れてくれる所ならば、神が何だと説かれようと、父は信じたと思います。
実際祖父がアルツハイマーになった頃、父はさらにそのカルト宗教の中でもおかしな一派に入ったようでした。
車のダッシュボードの中には、キリスト教と仏教のあいのこのような、見覚えのない本が増えました。音楽を聞こうとして再生した時に、私のCDの代わりに妙なお経のカセットテープが入っていた時もありました。
その時にWikipediaで調べたので、ヤバそうな某カルト宗教の中でもなかなかヤバい一派ということも知りました。笑
気味が悪くてカセットテープをこっそり捨てたこともあったんですが、宗教関係でキレられたらヤバいと思い直して、結局1回しか捨てませんでした。
ここまででも充分困った父親ですが、母に某カルト宗教に払ったお金の肩代わりをかなりさせていたそうです。何百万単位で。
母も何故か、文句を言いながら払っていたそうです。本当なら払うなよ!!!
そうやって宗教には痛い目合わせられていた母なので、「私は絶対に宗教にはハマらない。ハマる意味が分からない。寧ろ(母の名前)教を作ってやる!」と痛いイキリ方を娘にして、なんとか精神を保っていたようでした。
とはいえ、似たようなものにハマってしまっていましたがね。それは機会があればまた、話すかもしれません。
カルト宗教と言っても、勧誘する人には宗教感を出さずに近づいてくる人も多いですから、母が言ったように「ハマる意味が分からない」と言ってのけるのは、怖いことだと思います。
とはいえ、勧誘する人は「ハマりそうな雰囲気の人」か若い人しか狙ってこないと思いますけどね。
私も見るからにハマりそうな雰囲気なのか、キリスト教系のものやら仏教系のものやら、色々勧誘されました。
宗教感を出される前にお別れしましたが、派遣先で仲良くなった人に、謎の怪しいスポーツ集会に誘われたこともあります。
あとは宗教ではないと思うのですが、大学のサークル勧誘で、何故か過去の天皇陛下の肖像画を飾った部室に通され、明らかに異質な映像を見せられたこともあります。怖いわ。
私の持つ因子は、そういう人と引き合ってしまうようです。
類友って言葉は侮れない。
そんな中で、致命的な沼に落ちずに居られた私は、本当に奇跡だと思います。
とはいえ、未だに宗教的なものに惹かれます。それは寂しいからなのか、元からの素養のせいなのか分かりません。けど、メンタルが怪しい時に、変な宗教に引っかかったら終わりだと思っています。
自分は「神」はいると思っています。
正確に言えば、人間が「神」と呼ぶ「超自然的な存在」はあって、それが文化や時代や民族によって、神やら幽霊やらなんやらと、解釈やら形を変えているのだと考えてます。
だから当然、現代に合わない考えもあると思います。
それと、その宗教が出来た時から時間が経って、「政治利用」「人心掌握」なんかの余計な目的のための道具に成り下がって追加された教えもあるのではないかと思います。
具体的に意見があるのではなく......あるのではないか、というあくまで予想です。笑
そんな人間なので、もし自分が納得できてしまって、自分の寂しい心に寄り添ってくれる都合のいい「神」が現れたら、きっと信仰してしまうでしょう。笑
私、本当に意志が弱いもので。笑
本当に人間として強い人というのは、日常生活やカルト宗教からですら「真理」やら「神」やらを感じることができると思うのです。
バカとハサミは使いよう、という言葉がありますが、人間として強い人はハサミの使い方が上手いのです。カルト宗教ですら使いこなしてしまう。
凡庸な私には不可能なことです。
しかし、もし父と同じ病気になってしまったり、精神的に強いショックを受けた時、果たしてそう思い続けられるのかどうか、自信がありません。
打ちのめされて全てを失ってしまった時、餓鬼のように虚ろな心を埋めるのは承認欲求だと思います。
「私には何も無い。けれど、○○に認められている」
その承認欲求は、何らかの選民思想によって埋めるのが一番手っ取り早いです。宗教的なものでも、民族的なものでも、成功者としてでも、女(異性)としてでも...。
最近某YouTuberが怪しげな案件動画を上げて炎上していますが...そういう系統の会社ってこういう心理を突いてきますよね。
だから私、よく炎上する人の動画見ながら、自分なりに突っ込んだり考えたり、コメント読んだりして、流されない訓練をしてます。笑
この歳になっても知らないことが多くて恥ずかしいんですけれど、1人でYouTube見てあーだこーだ考えているだけならまだ恥ずかしくない...かな?
いやあ~面白くない生活したアラサー女だこと。笑
追記
自分の宗教観についてごちゃごちゃ言ってますが、私自身の信仰心は薄いです。
学生さんが「校則は知ってるけど、自分は守るの嫌だから破るわ。先生ごめーん笑」って言う感覚に近いのかも。
もし知っていることがあっても、ちゃんと守る気はない。




