生まれ育ちし家の情景
今回は、私が高校生頃まで生まれ育った家のことを、話そうと思います。
その家は普通に立派な一軒家で、それなりに広い庭もありました。
聞くところによると、ちゃらんぽらんな父を心配した祖父母が、結婚前に父のために予め家を建てていたものが、私の生まれ育った家だそうです。
祖父母が住んでいる場所は、私たちの住む場所とは離れていました。
しかし、当時祖父の繊維工場が私たちの家の近くにもあり、利便性を考えてこの土地に家を建てたのだと言います。
そんな祖父母の想いがあった家ですが、私の記憶の中では、ゴミに塗れた景色しか思い出すことができません。
私たちがほぼ使っていたのは、十畳ほどの大きさの居間だけでした。それ以外は、貰い物や小さい時のいらない服や、ダンボール、母の書類の束、手紙、その他諸々で埋まっていました。
居間も綺麗なわけではありません。
窓際の洒落た棚?には、父のプライドで購読していた日経新聞の山ができていて、その横には確か父の服やゴミ、母の書類が乱雑に積まれていました。
父には居間に、クローゼット代わりの押しいれがありましたが、殆ど開けているのを見たことがありませんでした。
父の面倒くさがりで見た目に頓着しない性格のせいもあると思いますが、何より押し入れの前にもゴミが溢れかえっていて、開け閉めするのはかなり大変でした。
居間の真ん中には、冬は畳の上にカーペットを敷いていました。掃除機は母がかけてくれていたのですが、常にざらざらしていて汚かったのを覚えています。
父は掃除機をかけていても寝そべっていましたし、私たちも手伝わずに遊んでいました。そして、自分が中学生頃の時には、母がスーパーの惣菜の割引シールでゴミを取ろうとして、貼ったまま放置するようになりました。
「貼るな」と母に言ってもキレ返されるだけですし、剥がしても取れなくなるので、そのうちシールも貼ったまま放置するようになりました。
居間の奥の方には、まあまあ立派そうな木のローテーブルがありました。その右隣と左隣はゴミで埋まってましたが、冬には左隣のゴミをどかして、柵付きのファンヒーターを出していました(よく火事にならなかったな…)
そして小学生の時分には、そこでご飯を食べていました。
とはいえ、ローテーブルも半分以上が小学校からのお便りや、手紙、一度使ったラップなどで埋まってました。
そこで、汚れたテーブルを拭くことなく、その時洗ってあったある皿を適当に出してきて、ご飯を食べるのです。
茶碗がなければ、母が職場からもらってきたいらない食器を洗って使ったり、両親の結婚式の引き出物かお祝いでもらったという、金と緑の葡萄柄の縁の立派なソーサーを、焼き魚を盛るのに使ったりしてました。
記憶のはじめでは、溜めていたゴミは腐るものではありませんでした。
けれど今考えれば、両親はだんだんおかしくなっていっていたのでしょう。父は剥いたミカンの皮をその辺に捨てて放置しだし、母は書類や服といったゴミだけでなく、惣菜のパックや小皿に入れたままの醤油を放置したりしだしました。
父がゴミを放置するのは、おそらく面倒だとか、おぼっちゃま育ち(というかわがままジャイアンなだけ)の地が、歳を取って更に出てきたのが原因なんだと思います。
母の場合は、強い自分ルールがあって、それに従ってではないとゴミを捨てないで欲しいというこだわりがあったのが一番の原因でしょう。寂しさでゴミを溜め込んでいるのもあると思いますが。
その謎の母ルールを破って、こっそりゴミを捨てたのがバレると、しつこく怒鳴り散らされました。
とはいえ私も、ゴミ屋敷で育って、この状況が当たり前の人間です。
たまに文句を言ったり、こっそりゴミを捨てることはありましたが、母に楯突く方が面倒だったので、基本は放置していました。
小学生時代は、仕方なく居間で過ごし、ゴミに囲まれた狭い空間で、プライバシーもなく干渉され通しで育っていました。
でも、奇特な先輩が二階の納戸を開拓してくれて、そこに私の城を作れました。自分の部屋ができてからは、父や母の事は多少放置して、部屋に入ることができたのが救いでした。
勿論、納戸を開拓された時に母は怒りましたが、私に怒っても仕方がないと思ったのか、はじめだけ少し怒っただけでした。
(私はその先輩に感謝しなくてはいけないんですが、その先輩のことも後々裏切ります。)
弟も自分で他の部屋を開拓し、自分の居場所を作りました。
母は私に弟の愚痴を散々言いましたが、今思えば母が文句を言う筋合いはありません。ですが、その時の私は今より意地が悪かったもので、母の側について弟の文句を言っていました。
この家の権力者は、母です。
お金も物事の決定権も、基本は母にありました。
ただ、例外があって、基本無関心な父が怒ると怒鳴り散らしてきたり、暴力で脅してくるので、その時は父が王様でした。
だから私は、この家で生き残るために、母の機嫌を取ることだけを考えて生きてきました。
弟は敵です。
なぜかと言うと、弟が褒められたり愛されたりすれば、必ず私が貶められたり悪者になっているからです。
だから、この家で生き残るために私が果たすべき役は、「成績が良くてきちんとしている、親の虚栄心を満たすアクセサリー」になることであり、「私」はいりませんでした。
本当は、全然勉強できないし、きちんとしてないんですけどね。
なぜか頑張ったら、親に期待を持たせるほどにはできてしまったんです。それが私にとって、幸運だったのか不幸だったのか、分かりません。
そんな家族の住む、(居間しか紹介してないけど)ゴミだらけのモンスターハウス。
そことおさらばすることになったのは、父の継いだ工場の倒産がきっかけでした。
その頃にはこの家は、ダイニングにネズミが蔓延っていたり、母が子供部屋(子供は使っていない)に実家から漫画(しかも本当は叔母のものだったらしい)を大量に持って帰ってきたり、また一段階違う退化を遂げていました。
家族も一段とピリピリしていて、喧嘩の声がよく聞こえました。そして、私も家族に嫌味なことを言ったり、喧嘩を見ないフリして、MDに入れた曲を聴いて現実逃避していました。
引っ越す時、母は「この家は、また買い直すから」と言っていましたが、一年もしないうちに言わなくなりました。
この後、私が生まれ育った家には、すぐに別の家族が住んでいるのを確認しました。高校生の私は、寂しいし「本当は私たちの家なのに」と悔しい気持ちでしたが、綺麗に使われている様子を見て、自分たちが買い戻せなくて良かったとも思いました。
…次に住んだ家で、その時感じた思いを生かさなかったために、私たちは別の人を傷つけるんですけどね。




