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アラサークズ社会人♀のイマココ!  作者: よーじや
痛アラサーの妄言!令和2年度のイマココ▼
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年の瀬なのでまた2013年を振り返る(隙自語)

どうも、お久しぶりです。

やばいやつことKです。


連勤も終わり、ぐっすり眠りました。

今はYouTubeで、金曜6時20分辺りにEテレで流れる某アニメを再生しながら年末の大掃除をしたり、料理をしたりしながら、まったり過ごしてます。

エアコンが汚くなっててビビりました。笑


年末年始ということで、寂しい気持ちもありますが、今年は今までで一番満ち足りた年末を過ごせそうです。


どこにもいけませんが、自分のために持ってるお金で自分の食べたいものを買ってあげたり、自分の部屋しろを住み良くしてあげたりできているからでしょうか?

ホームレスから脱却したばかりの時(2013年冬)ほどでは無いけど、今現在大分貧乏なんですけどね(今は家具も揃ってるし、当時よりいい部屋に住めているから快適ですが)。




今2013年の手帳を広げているのですが、慣れない土地でどうホームレスをするか、考えながら書いたメモ書きがあって、懐かしい気持ちです。


当時はなんとか部屋を契約して、住所をゲットできたので、早速履歴書を書いて弁当屋でバイトしていたんですよね。即日でお給料がもらえる派遣の仕事と並行して。

※派遣の仕事は、履歴書の住所が違う都道府県を書いていても、登録できました


あの時は寒くて寒くて、少ないお金で袋麺を買って、何とか温かいものを摂取しようとしてたんですよ。冷蔵庫も電子レンジもなかったから、作り置きとか温めもできなかったんで。

炭水化物も、米が炊けないからパンとかしか食べられなかったんです。


でも、あの時は今以上にクズでやる気がなかったんで、派遣の仕事も弁当屋での仕事も、真面目にしてませんでした。

適当に話を聞いて、失敗して、泣いて誤魔化していたクズでした。


確か、2014年の正月?に入っていたホテルの清掃の仕事は、やる気がなくて「風邪引きました」と嘘をついて休んだ気がします。

働かなきゃ困るのは自分だし、人に迷惑をかけて気まずくなるのも自分なんですけどね。




あの時の自分の擁護をするならば、兎に角鬱で何をする気力もなかったから、「人に迷惑をかけずに頑張ろう」と思うのは不可能だったとは思います。

そして、母親にしていたように、「やりたくないことでもやりたいように見せなければ、見捨てられてしまう」と思い過ぎていました。


そもそも何故ホームレスを始めたかと言えば、今お世話になっているカウンセラーさんと出会い、自分のおかしさと向き合わざるを得なくなったと同時に、親に反発したからなんです。


私はそれまで、反抗期のない子供でした。


親は絶対で、親に気に入られなければやっていけないと心のどこかで思って生きてきた私は、不平不満は言いつつも、最終的には親に従って生きてきました。特に、母親には絶対的に従っていました。


しかし、カウンセラーさんと出会って、何度かカウンセリングを受けた後、カウンセラーさんに現実と向き合う施術をされるのが嫌になって、カウンセラーさんに凄く失礼なことをしてしまいました。頼りにしていたカウンセラーさんに砂をかけて逃亡してしまい、私は行き場を失いました。

ですが、「このまま家に帰りたくない」という思いもあり、私はそのまま地元に帰ることなく、見知らぬ土地でホームレスを始めたということです。


あ。でもこの時点ではまだ、完全に腹を括ってホームレスになろうと決めたわけではありませんでした。笑


はじめは、「家に帰りたくない」と思いはしましたが、待合室や電車内で寝ながら、少しずつ地元の方角の電車に乗って移動をしていたんです。

無意識に、親の気を引こうとしていたんですよね。


その中で、親と昔利用した駅があったんで、なんとなく安心できる気がして、そこの待合室に居座ることにしたんです(ここにも親離れできてない部分が…!)

けど、その駅が意外と便利な場所だと気がついて、その駅を拠点にホームレスを始めたというわけです。


この時点でも、まだ腹は括れていません。が、ここで携帯を使って派遣の仕事を決めました。大きな荷物は、派遣の仕事の間はコインロッカーに入れて。

電車賃が惜しかったし暇だったので、遠かったですが、派遣会社までは徒歩で行きました。これ以降、私は町歩きには抵抗無くなったのはいいことでしたね。笑


派遣の仕事を始めてからは、3日に1回はネカフェでシャワー浴びて、横になって寝るようにもなりました。

ドブネズミのような身体がさっぱりとして、あったまって、本当に気持ちよかった。1日の殆どの時間が立つか座るか歩くかだったから、足も本当に楽で。ネカフェ様々でした。

あったかい味噌汁やらスープが飲めるのも、ほんと助かりました…!!



話は戻して。


その後、叔母から心配する「ような」メールが来たんです。

叔母は、昔から女王様だった母に振り回されてきた人でした。いつも愚痴を言いながら、祖父母や母の尻拭いをしてきた人です。悪い人ではないのです。


しかし彼女もまた、私の家族の例に漏れず、人を想う気持ちも情緒も育っていない人間でした。

そんな彼女から「家族ごっこ」のような、上っ面のメールを受け取って、本気で苛ついたんです。


どこにいるの?心配してるんだけど!連絡しなさい!…そう言いつつも、なぜか絵文字がふんだんに使われた、緊張感のかけらもないメール。

そして何より、私は今まで彼女から「心配」されたことがなかった。



気持ちが悪かった。



あの時は、何だか正体が分からなかった違和感。怒り。

それは、きっと言葉にするならこんな感じだろうと思います。




「馬鹿にしてるのか」


「本当に心配してくれるなら、どうして全てを諦める前に助けてくれなかったの?」


「どうして、お母さんは何も連絡をくれないの……?」




この叔母からのメールのおかげで、あまったれの私は僅かに、家族を諦めることができたわけです。

当時、心も頭もモヤがかかったようになっていて、真っ暗でぐちゃぐちゃでした。でも、そのメールの怒りのおかげで、家を探したりする気力が湧いたのだったと思います。


そこからクズなりに、人に迷惑をかけながら、ボロボロのアパートで2014年を迎えることができたんです。




あの時は「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないんだ」と思いながら、段ボールの上に布団を敷いて、寒さに震えながらほぼ眠って過ごしてました。


それか、現実逃避のために、ソシャゲを回してましたね。

当時松崎しげるがCMをしてたソシャゲとか、海外ドラマが原作の着せ替えゲームとか、色々やってました。



あの時から比べると、今とは天と地ほどの生活水準の差があります。笑

今の私も、世間的には低賃金労働者ですし、将来性(昇級的な意味で)もあまりない仕事ではあります。それでも、何とか単純労働をこなせるレベルの人間である私にとっては、ありがたい職場です。



だから、近いうちに神社に感謝しに行きたいですね。今年は、元日にはお参りしに行きたくないですし、神様めっちゃ信仰してるわけでもないんで…別に初詣にこだわらなくてもいいかなって。


もし今まで通りのお正月を迎えていたとしても、どのみち年末年始は観光客の人がいっぱいだから、接客業の私は休まなかったでしょう笑

多分、三ヶ日過ぎたタイミングで大神神社に行って、お酒飲んで、煮麺食べて、正月気分は終了してたと思います!笑




まあ、一ヶ月前あたりには散々病んでいた私ですが、それなりに楽しんで過ごせそうです。

節約するしかなくて、いい気分転換もできなくて、鬱になるニュースばかり聞いている今日この頃ですが、何とかなるもんだなぁと思って笑えてます。寧ろ、結構食費を削れることが判明して、節約が楽しくなってきました。笑

というか、普段無駄遣いしすぎなんや〜!!



ともかく。

私の話を聞いてくれた皆さんも、ぜひ笑って年の瀬を迎えてくださいね。


笑えない人もいるかもしれないですけど、「今の自分でも、これなら笑えるかも?」ってことを探してみてください。

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