共依存/今の私と母の距離
今回の話は、カウンセラーの人と最近話しましたので、そのことについての覚書のようなものです。
なので、ほぼ伝聞形の書き方になってます。とはいえ、全く正確に書いてるわけではないのでご注意ください。
今までの私は、母のことに文句を言いながらも、母に従って生きていました。母は私の絶対神で、一人で生きていく勇気がなかったからです。
神と言っても、アマテラスやらキリスト教とかの「恵みをもたらす神」「救いの神」ではありませんでした。
いつ何が原因で爆発するかわからない、古来の神のような存在です。北欧神話の巨人・ユミルとか、ギリシャ神話のクロノス(ゼウスのパパの方)のような荒唐無稽なイメージが、私の中にあります。
そんな神に対して、最近私は何か一言でも言いたい気持ちが湧くことがありました。
何を言いたいわけでもないのですが、直接自分の気持ちを言いたいなあ…とぼんやり思う感じです。
実際に直接母と会うのは、怖いので絶対に嫌です。
カウンセラーの方にその気持ちのことを聞いてみたところ、それは過去に私が「他の家庭で子供がしてもらっているように、私にもしてほしい!親なんだから」という思いから来ているものなのだと言われました。
じゃあ、やはり親と直接関わるべきなのか?といえば、そうではないそうです。
言いたいことがあるからといって軽率に関わっても、(私たちの関係の場合は)親は子を支配しようという思いが生まれるし、子は親に満たしてもらえないどころか洗脳されてしまうのがオチなのだといいます。
もし本当に母親と関わるなら、「母親に一言言わないと、自分が前に進めない!」という状況の時のみにするべきとのことでした。
真剣によーーーーく考えて、本当に会う必要があるかどうか、自分で判断しなくてはならないということです。
私の今のこの心の状況は、過去に母親と向き合うことすら避けていた時からすれば、成長しているそうです。
では、なぜ成長できたのか?
自信を少し持つことができたからだそうです。
僅かでも自信を持つことができたのは、自分を愛しむことが少しできるようになったからみたいですね。
「本来なら、親が愛しんでやり、愛しむということを教える。だから、子供は親のことを無条件に信頼できる。貴女には分からないと思うけど」
カウンセラーの人はそんなことを言ってました。
とにかく、今私ができることは、
更に自立して、現実逃避しないで生きるということのようです。
(流石に今は、下手な小説書く気分が無くなりました。多分また、寂しくなったら書き溜めると思いますが)
結局、やることは一つな訳ですね。