家族の見た歴史を見たい聞きたい(大学の話)
自分の両親は晩婚で、今はなかなかの歳になってます(それを放置する私の親不孝さ!)。
私の記憶が正しければ、父は関西の大学に在学中、学生運動を経験した時代に生きる人でした。それぐらい昔の人です。
勉強嫌いな私ですので、別に学生運動自体に興味があるわけではありません。本を読んだり政治をきちんと理解する気はさらさらないので。
でも、今の日本では起こりえない状況を経験したことは、もっと色々聞いてみたかったなぁ…と思うわけですよ。
もっとも父は、私と同じく周りに無関心だったんじゃないかと思います。なので、話して欲しいと頼んでも、説明できるほど周りを見ていなかった可能性が高いのかも…?
幼い時に父が「俺は、高校生ん時は優秀だったけど、大学じゃサッカーばっかりして、勉強は全くしなかった」と言ってましたからね…
政治のことも分かったような言い方をするけれども、今よく考えたら、分かってなくて適当なことを言っていたのでは…?とも思うんですよね。プライドが高い人でしたもん!さすが我が父。
毎朝これ見よがしに(と私が思ってただけかもですが笑)日経新聞を広げてた割には、私が「何それ?」「どういう意味?」と質問するのを嫌がっていましたからね。それでも聞くと、答えられないのを隠したいのか、父は私を怒鳴りました。
そのことを考えると、大学のことを聞かれても、何も答えられない可能性は高かったでしょうね〜
私が父の大学時代について知っているのは、
・父親(私から見て祖父)に経済学部に進むよう強制させられたこと
・学生運動で大学が荒れていたこと
・バイト先の焼肉屋の夫婦が良くしてくれたこと
・勉強せず、サッカー三昧だったこと
・女の子にモテたこと(嘘だろ?!)。でも、この時期に入った某宗教のせいで、女の子とは付き合えなかったこと(当人の言うニュアンスでは、それでも宗教を信じ抜いた俺!って得意げな感じ)
これぐらいです。
あとは、大学卒業後に渡米し、向こうで布教した結果、信者を獲得したこと(これも私は信じてない)。
ぜーーーーーーーったい、学生時代うまくいってなくて、宗教に逃げてたパターンやんっ!!!!!!
とはいえ、私も父を笑えません。
私は高校受験から、自分の意思できちんと真面目に勉強してませんでしたし、大学も行きたいところがありませんでした。そして受験の結果、大学も父親と比べたら「大分格下のところ」しか受かりませんでした。
しかも、近隣の大学ではなかったんです。
母は私に文句を言いました。
私を旧帝大か、地元の大学に入れたかったみたいなのです。「お金がかかる」だの、「東大や京大目指すなら、お金の出し甲斐があるのに」だの…
今なら、母に面と向かわなければ「じゃあ、私が大学出なくてもいいの?私が行かなくて困るのは、お母さんでしょ」「それ相応の教育をしてから言ってよね」「世間体のことしか考えられないの?」「弟にはお金使うの嫌じゃないんだね」と冷静に考えられますが、当時はチクチク言われる状況から現実逃避してました。
そして、だらだら課題をやったり、できない問題は投げっぱなしにしてました。
特にやばかったのは、理数系の科目。
理科総合・数学は定期テストで0〜30点が当たり前でした(生物を選択してからは、理科は多少安心できるようになりました!)
※やる気のなさに加えて、発達障害の人はできる科目とできない科目の差が著しく激しいと言われています。
母は、大学に行けないとまずいと思ったのか、塾への金払いが良かったのが幸い?でした。
歴代担任の先生が数学教師だったこともあり、皆の力でなんとか、ひとつだけ大学に合格できたのです。私は親から逃げる第一歩を、無意識に踏み出すことに成功しました。
しかし、何の目的もなく入った大学です。
私は次第に大学で浮き、家との常識の違いや人間関係の難しさに打ちのめされて、結局大学を休学したのでした!
普通の授業はなんとか乗り切れたのに、ゼミと卒論がどーーーしても無理だった。
大学を自分なりにエンジョイして、きちんと大学卒業した父親は、世間的に私よりずっと真っ当です。
(大学や成績の話は、いつかまたすると思います…)
因みに、母もきちんと短大を卒業しています。
彼女の学生時代の話は、父以上に聞いたことがありません。
・山の上にある短大に住んでいたらしく、そこの寮に週に何回か、日用品なんかを売る人が来ていたらしいこと
・第二外国語のドイツ語が分からなかったこと。ドイツ語の教科書の説明が、英語と比較して書かれているから意味不明だったこと
※母は言語系が壊滅的にダメだったそうな
この二つくらいでした。まあ、色々と謎な人です…。
正直母よりも、叔母と話していた時の方が、昭和当時の話が聞けて面白かったものです。笑
・八百屋や炭売りのような、日用品を扱う店では、月払いで一括でお金を払っていたこと
・親(私から見て祖父母)が、許嫁同士だったこと。また、父(私から見て祖父)が養子だったこと
・父(私から見て祖父)は色々いいかげんな人(今考えるとADHDぽい?)だが、獣医をしていたので軍医として従軍できたこと
などなど…
まあ、今では考えられない話ですよね。
なんでこんな話を書こうかと思ったかと言いますと、私の祖父母は大正生まれだからなんですよね。
今『もしも浪漫竒譚〜あやかしと生きる民らの黄昏』っていう、明治大正舞台の話を好き勝手に書いているので、「あの時の雰囲気を聞けたらよかったのにな」と思うことが増えまして。
(どうでもいいですが、この話はちょうど受験生時代に考えていたものなんですよ。笑)
…まあ、片や聞いたところで答えてくれるかは微妙な性格だったし、片やボケてしまっていたので、後悔し損かもしれませんがね。
でも、チャレンジすらしてなかったことに後悔です。
今生きてる人たちからだけでも、昭和の話はもっと聞いてみたいです。でも、私がコンタクトを取れない(取りたくない)ので…勿体ないことをしています。
正直冷たいですが、家族との中で一番後悔しているのが、昔話や昔の写真をもっと見たり聞いたりしなかったことです。
幼い時に見た、白黒の写真達をもう一度見たい。
洪水で川が氾濫して、盤の船に乗って浮かぶ幼い子供(祖父?)の写真とか、昭和初期?に工場前で撮った集合写真とか、しょーーーじき、じっくり見せてほしい。
だって、自分のルーツだよ?そして貴重な昔の資料だよ?
こんなクソ親不孝女に許されるなら、そのアルバムを形見分けにほしかったくらいだ〜!
(跡取りの娘ですらないし、流石に言わないけど)




