95.降り立つ剣客少女
イリスは間合いを確かめながら、傷の状態を改めて確認する。そちらに視線を送ることはなく、踏みしめるようにして一歩。
わずかな鋭い痛みはあるが、踏み込みには何も問題はない。出血も、伝う感覚がほんの少しある程度だ。
そこまでして確認するのは、相手が《剣客衆》を名乗ったからである。
初撃の傷の深ささえ、致命の一撃になりかねない。そういう相手だと、イリスはよく知っていた。
女性――ラスティーユはゆらりと身体を揺らすようにして、一歩前に出る。同時に、膝から生えるような刃がずるりと、身体の中へと戻っていく。
剣客衆の中には、真っ当に剣術で戦う者ばかりがいるわけではない。ラスティーユが『そういうタイプ』であることは、容易に理解できた。
「良い集中力ね。とても子供とは思えないわ。だからかしらね……『死相』が見えるわ」
「……それは脅しのつもり?」
「ウフフ……」
その程度のことでは、イリスは動揺しない。《紫電》の柄を握り締めて、イリスはまた一歩、擦るように踏み出す。
ラスティーユがわずかに腰を落とし――先に動いたのは彼女の方であった。
「――」
一呼吸の間に、身を屈めたラスティーユがイリスとの距離を詰める。彼女が振りかざしたのは右手。掌から飛び出してきたのは、『一本の刃』だ。
キィン、と金属音が鳴り響く。同時に、イリスの握る紫電が纏う雷が、ラスティーユへと流れていく。
ビクリと一瞬、身体を震わせるが、
「ウフフ」
「っ!」
何事もなかったかのようにラスティーユが笑い、左手を振るう。また同じように刃が掌から生え、イリスは弾くようにして距離を取った。
ヒュンッと風を切るような音と共に、イリスは剣を振るい、
「《飛雷》」
紫電の纏った雷が《魔力の刃》となって、飛翔する。ラスティーユはやや驚いた表情をしながらも、身体を翻してそれを回避する。
(さすがに、あの距離でも当たらないのね)
「遠距離での攻撃……少し驚いたわ。『純粋な剣士』だと思っていたから」
「そうね、少し前まではそうだったわ。けれど、私も学習するのよ」
戦闘において、剣士ならば距離を詰める必要がある。だが、イリスの師であるアルタは剣士でありながらも、中距離以上での戦闘を『風の刃』で実現している。
イリスは牽制程度にしか使っていなかったが、今回こうして『技』として完成させたのだ。
剣客衆を相手に繰り出して、それを手応えとして感じている。以前のような恐怖はない――イリスは、《剣聖姫》としてここに立っている。
「あなたのその身体は、普通のものではないわね」
「ウフフ、『見れば分かる』わよね。そう……この身体の一部は改造しているの。人体に馴染みやすい『自然の刃』……『魔物の刃』と言えば分かるかしら?」
「魔物の……」
イリスはわずかに眉をひそめる。
ラスティーユが文字通り『身体から生やしている』のは、自然界に生きる魔物の刃。
おそらくは、虫の類の魔物の一部を使っているのだろう――明らかに異常な治癒力と、身体の作りは《合成獣》と呼ばれるもの。
すなわち、ラスティーユは人間でありながら、『魔法実験』を自らの身体に施している。
あるいは施されているのか……剣客衆の中には、事情のある過去を持つ者がいることは、イリス自身、アルタから聞いている。
だが、そうだとして――異常な殺戮が許される動機にはならない。
イリスは騎士ではないが、騎士を目指す者として、彼女を止める義務があった。
「……まだまだ刃はたくさんあるわ。ほら、こんなところからも」
ラスティーユが自らの腹部を撫でると、鋭い音と共に三本の刃が飛び出してくる。
明らかに異様な光景だが、イリスにはその行為事態、動揺を誘うためのものだと理解できている。
「すぅ……」
小さく――それでいて深く、イリスは息を吸った。身体に酸素を巡らせて、自らの動きのイメージをする。
「――参ります」
宣言と共に、今度はイリスが動いた。
迷いなく、全身凶器であるラスティーユとの距離を詰める。
彼女の間合いは最初の行動からも分かる――武器こそ搦め手のようなものだが、シンプルに近接での戦いを得意としているのだ。
あえて、その土俵にイリスを踏み込んでいく――近接での戦いならば、イリスも得意とするものだ。
刃を地面に滑らせるようにしてから、剣を振り上げる。ラスティーユが右手の剣でそれを防ぎ、左手を振り上げる。――イリスはさらに踏み出して、ラスティーユの左手首を掴んだ。
「!」
さらに右の剣を弾くと、イリスは紫電を逆手に持ち帰る。瞬間、ラスティーユが足をあげた。
再びイリスが距離を開けると、ラスティーユの足先からも剣が伸びる。
にやりと、ラスティーユが笑みを浮かべた。
「……ウフフ、まるで分かっているかのような動き――殺気だけで、私の身体のどこから刃が出るか、分かるようね?」
「ええ、おおよそは」
以前のアルタとの修行が役に立っている。研ぎ澄まされた感覚は、ラスティーユのような暗器を使うタイプとの戦いにも十分渡り合えた。
「それと、まずは一本」
「――」
イリスの言葉と共に、ラスティーユの右手の刃がピキリと折れる。
初めて、ラスティーユは驚きの表情を浮かべた。
「防がれると分かっていて、振っているわけじゃないの。確実に壊させてもらったわよ」
イリスの一振り……そこには、静かだが確実な一撃を加えるための魔力が込められていた。雷を受けても怯まないラスティーユであったが、彼女の扱う剣自体は魔物の一部――イリスに折れないものではない。
「ウフフ……フフッ、面白いわ。貴女、強いのね。なら、私も――!」
「……?」
ここから本当の戦いが始まる――イリスにそう予感させたのだが、ラスティーユが不意に空を見上げた。
イリスは視線を逸らさない。そこにあるのは、照りつける太陽だけのはずだ。
だが、ラスティーユが妖艶な笑みを浮かべると、
「なるほど……死相の理由はこれね」
悟ったように、呟いた。
「何を――」
「にひっ」
イリスの言葉を遮って、耳に届いたのは少女の声。次の瞬間、流星のごとく姿を現した少女は、一切の迷いのない一撃で――ラスティーユの首を撥ね飛ばしたのだ。
舞い散る鮮血の中、少女は刀を振るい血を払う。
「な……!?」
「横槍はあんまり好きじゃないんだけど……ま、仕方ないよね! これが『契約』だから」
着物姿の少女は鮮血を浴びながら、笑顔でそんなことを言い放ったのだった。