94.因縁の
イリスはノウェに連れられて、人通りの少ない路地裏のところまでやってきていた。
周囲の視線を気にする必要はなくなったが、ここはここで少し落ち着かない。
だが、ノウェが正確な占いを行うためには道具が必要だという。
この辺りで、ノウェはよく占いをしているということだった。
(……でも、先生とのことを占ってもらおうだなんで、私もどうかしてるわ)
ここまでやってきて、その事実に嘆息する。
イリスが今、占ってもらおうとしていることは、アルタとのことだ。
アルタはイリスに何か隠し事をしている――それは分かっている。
占いで、その『隠し事』について知るつもりはないし、知れるとも思っていない。
(ただ、たまにはこういうのもいいかなーって思っただけ。そうよ……軽く話して早く戻らないと)
アリアの飲み物を買いに行く約束もしている――あまり時間をかけるわけにはいかなかった。
「あの、どこまで行くんですか?」
「ウフフ、もう少しですよ」
イリスの問いかけに、ノウェが振り返ることなく答える。
それから少し歩いていくと、ようやく小さな占い店が目に入った。
「さ、そちらに」
ノウェに促されて、イリスは対面に座る。
占い店らしく、水晶やカードといったものが、視界に入ってくる。
イリス自身、占いに詳しいわけではないが、どういうことをするのか知っている。
たとえば手相を見る、というのがシンプルでありがちなものだ。
「では、早速占いを始めたいと思うのですが……貴女のお名前を聞かせてもらっても?」
「……イリス・ラインフェルです」
「イリスさん、ですね。では、想い人の話を聞かせてください」
「で、ですから……想い人ではないです」
「ウフフ、そのお方との関係は?」
「関係……?」
ノウェに尋ねられて、イリスは少し考え込む。今のイリスとアルタの関係は……『生徒と教師』で、『護衛対象と護衛の騎士』という関係にある。
だが、それ以上にイリスが大事にしていることは、
「『剣の師と弟子』、です」
その関係であった。
イリスに剣を教えてくれて、より高みへと導いてくれる存在。きっと彼がいなければ、今のイリスはここにいない。
それは護られたということもあるが……剣士としても経験を積ませてもらっているという実感がある。
アリアを助け出すときもそうだ――負けたと思ったけれど、アルタが背中を押してくれたから、まだ戦えた。
「師匠と弟子……なるほど。では、そのお方との相性を占いましょうか?」
「相性、ですか」
「ウフフ、そうです。本来ならば二人の手相を見る必要はありますが、身体的特徴からでも占うことはできます。貴女の師匠は、どんな人物ですか?」
「えっと、私より背が低くて、黒髪で、少し女の子らしい顔立ちをしてて……そういう情報でいいですか?」
色々と羅列しようとしたが、不意に不安になってイリスは問いかける。
アルタの外見について話していたのだが、何だか妙に恥ずかしくやってきた。そう思っているのだと口にするのが、イリスにとっては何だか気恥ずかしい。
ノウェがにこりとした表情を浮かべて、頷く。
「エエ、それで構いません。今ので大体確認できました」
「もう占――っ!」
イリスはすぐに、その異変に気が付いた。
ノウェの表情は変わっていない。にこやかで、優しげな笑みを浮かべたまま……けれども、言い知れぬ不安を覚える。
かつて何度か味わった感覚――これは、殺気だ。
「ウフフ、少し遅かったわね?」
ピタリ、とイリスの喉元に刃が突き立てられる。
イリスは動きを止めた。刃が伸びているのは、テーブルの下からだ。
「……何者なの、あなた」
「ウフフ……『占い師』なのは本当。けれど、私はノウェ・レーシンではないの。貴女がそれを知らなかったから、自ずと外部から来た人間であることは分かるわ。あれだけの騎士がいる中で、中々接触するのは大変だったけれど……さっきの答えで確信したわ。貴女が、アルタ・シュヴァイツが護衛している《剣聖姫》ね?」
「――」
イリスは驚きに目を見開く。
目の前にいる女性はノウェ・レーシンではない誰か。そして、ノウェを名乗る女性は、アルタとイリスのことを探っているような話し方をしている。
「……私に何か用があるの?」
「……貴女に用があるわけじゃないの。けれど、貴女を使ってアルタ・シュヴァイツを誘き寄せたいの」
「シュヴァイツ先生を……?」
「エエ、誰にも邪魔されることなく、私が彼を殺すために。だから、貴女の『身体の一部』でも送れば……アルタ・シュヴァイツも従ってくれるかしらね?」
ツウッとイリスの肌を撫でるようにしながら、刃先が下へと流れていく。
イリスの胸元の水着を軽く切断し、はらりと胸元を露にさせる。
――女性の目的は、ノウェという占い師に成り済まし、アルタを呼び出すことだ。
イリスにではなく、アルタに用がある……それが分かったのなら、イリスもただ捕まるつもりもない。
「残念だけれど、そんなことで先生は来ないわ」
「ウフフ……子供ながらに学校の先生もしているのよね。子供先生で《剣聖姫》の護衛……私が持っている情報はとても少なくて……けれど、貴女がイリスという名前で、『黒髪の少年』の話をするのなら、間違いなくアルタ・シュヴァイツのことだと分かるわ。貴女のことを守る騎士が、果たして貴女のピンチに駆け付けないのかしら?」
女性はアルタの特徴をよく知っているようだ。何者か分からないが、イリスは女性を睨むようにしながら答える。
「ええ、私も……自分の身くらい守れるもの!」
「――!」
言葉と同時に、イリスがテーブルを蹴りあげて、後方へと跳ぶ。サンッと小気味良い音と共に、女性はテーブルを切り裂いた。わずかな痛みが、イリスの足元に走る。
(……っ、斬られた。けれど、深い傷じゃない)
イリスは怪我を確認するよりもすぐに、臨戦態勢に入る。右手に魔力を集約させ、イリスは《紫電》を呼び出した。
すらりと、紫色に輝く刀身が姿を現し、イリスの周囲に雷を呼び起こす。
パリパリと音を鳴らしながら、イリスは女性に向かって刃先を向けた。
「何者か知らないけれど、少なくともあなたが先生を狙っていることは分かったわ。だから、拘束させてもらうわよ」
「騎士みたいなことを言うのね? 勝気な女の子は好きよ……屈服させたくなっちゃうもの」
先ほどのような言葉遣いとは打って変わり、妖艶な笑みを浮かべて、下なめずりをしながら女性が全容を見せる。――先ほど、イリスの喉元に当てられていたのは、女性の膝から伸びる刃であった。
「……っ!」
「ウフフ……そんなに驚いた表情をしないで。まだまだこれからよ? 剣客衆が一人――ラスティーユ・トメルネーマが、躾てあげる」
「剣客衆、ですって……?」
イリスの紫電を握る力が強くなる。突然の襲撃は――かつての因縁の組織であったのだ。