86.不法侵入の騎士団長
イリスとアリアの剣の修行に付き合った後、僕は講師寮の方へと戻った。
修行の途中でも、イリスがずっと『泳げないわけじゃないんです』とか、『身体が水に浮かないだけ』とか色々と言い訳をしていた。
別に泳げないことを悪いとは僕も言っていないのだが……。
「……ん?」
部屋の前に立つと、中に何やら気配を感じる。僕の部屋に勝手に入るような人物は決まっている。丁度、夕方以降に会う約束をしている人物だ。
「勝手に入らないでくださいよ、レミィル・エイン騎士団長」
「部下がどういう暮らしをしているか確認するのも上司の務めだよ」
そんなことを言いながら、部屋を見渡していたのは《黒狼騎士団》の騎士団長――レミィルだ。赤く長い髪を揺らしながら、チェックするように僕の部屋を見渡している。
僕の部屋は正直、いつでも出ていけるくらいには簡素だ。替えの服をいくつかクローゼットにしまっているくらいで、そこにあるのは机と椅子、寝るためのベッドくらいか。
特に面白い物もないだろう……それよりも、だ。
「それはもはやプライベートに踏み込みすぎでは?」
「一歩踏み込む勇気が恋愛にも必要だと私は思うんだ」
「あははー、たとえそれが好きな気持ちであったとして、他人の家に勝手に入ったらもう気持ちも冷めてしまうと思いますよ?」
「情熱的だと言ってもらいたいね」
「普通に『病んでる』と思いますが」
「君にすぐにでも会いたいと思う私の気持ちが分からないか」
ため息をつきながら、レミィルが椅子に腰かける。確かに、彼女の言うことは間違っていないのかもしれない。
「もしかして、緊急事案でも発生しましたか?」
「……ふっ、君は相変わらず察しがいいな」
笑みを浮かべながら、レミィルがそんなことを言う。
彼女が直接僕のところにやってくるときは、大体緊急の事案が発生しているときだ。
レミィルが腕を組みながら、話を始める。
「一先ずは、君の近況から聞いておこう」
「ほとんど変わっていないですよ。相変わらずの楽しい講師生活です」
「あまり楽しそうには聞こえないな」
「あはは、何だかんだ資料整理とか結構忙しいので」
「君が騎士だった頃はもっと忙しかったはずだが」
「今は騎士じゃないみたいな言い方ですね」
「ふっ、冗談だとも。それで、アリアちゃんの方はどうかな?」
「アリアさんも普段通りに戻りました。彼女なら、もう心配ないですよ」
少なくとも、アリアが勝手にイリスの下を離れることはもうないだろう。最近の修行でも、僕の言うことにはよく従ってくれている。
元々、掴めないタイプの子ではあったが、一度気を許してくれたらかなり距離が近くなるようだ。
相変わらず、イリスを煽るような言動も多いのは気になるが。
「そうか。まあ、君に任せている限り不安には思わないよ。イリス嬢の方は?」
「そちらも相変わらず、剣の修行がお好きなようで」
「剣の道一筋……か。私個人としては《王》になることに関しても、少しは関心を持ってもらいたいけれどね」
「そのことを最終的に決めるのはイリスさん自身ですよ」
「君はそういうが、ことはそう単純じゃない。……まあ、今日はそんな話をしに来たわけではないけれどね。――本題に入ろう。《剣客衆》のことは覚えているな?」
「それはもちろん、僕が倒したわけですからね」
剣客衆――一人一人が圧倒的な強さを持つ剣客集団。死を恐れることはなく、求める敵は常に強者という、かつての僕を思い出させてくれるような組織だった。またその名を聞くことになるとは。
「その名前が出てくるということは――王都に?」
「いや、まだ王都までは来ていない。だが、王国が国防のために配置している《要塞》がいくつか襲撃を受けた。完全に機能を失ったわけではないが、被害を受けたのは六ケ所だ。かなり大きいな」
「なるほど……それは深刻かもしれませんね」
国防に関わる問題――それ以上に、やはり剣客衆の強さというのが浮き彫りになる。
今の王国に、剣客衆とまともに渡り合える者が少ないというところが大きいだろう。
並大抵の騎士では足元にも及ばない……それが、各地に散らばっているという状態だ。
「六ケ所襲撃を受けて、現在五人の剣客衆は居所を掴んでいる」
「五人? 六ケ所と言うことはもう一人いるんですよね。一人は分かっていないんですか?」
「それなのだけれどね……」
僕の言葉に、眉をひそめて歯切れの悪くなるレミィル。
五人のうちの一人がすでに王都に来ている――そういうわけでもなさそうだ。
レミィルが小さく息を吐くと、
「《ベルバスタ要塞》を襲撃した剣客衆――名は、ロウエル・クルエスター。彼は要塞内にて遺体で発見された。すでに、対象の一人ではない」
そう、はっきりと言い放った。
「遺体で発見された? 騎士の誰かが倒したのではなく?」
「……騎士にはすでに甚大な被害が出た後だったよ。あそこは実力のある騎士も揃っていたのだが。高台から確認していた騎士によると、一人の少女がいたらしい」
「……少女?」
「ああ、その子についての情報も得られている。確認したところ、近くの町で宿を取っていたらしい。名前はルイノ・トムラだ」
「――トムラ?」
「! 何か知っているのか?」
「いえ、そういうわけでは」
レミィルの問いかけに、僕は言葉を濁す。
……トムラというのは珍しい姓だ。だからと言って、僕の知っている人物と関わりがあると決めつけるべきではない。それでも、気になるところではあるが。
「そのルイノという少女が剣客衆を殺した、と」
「ああ、にわかには信じがたいことだが、単独で打ち破っている。正直、味方であるのならありがたい話ではあるが……彼女については現在動向を調査しているところだ」
「なるほど……それで、僕に剣客衆の対応をしろ、と? その感じだと、彼らの目的は僕ですよね?」
「可能性としては、そうだな……。だが、今回被害を受けているのは王国全体に関わることだ。すでに五つの騎士団で合同会議を開き、対応を決めることになっている。――君に対応してもらうのは、南方にある《リレイ》の町。丁度、海辺にあるところだな」
「! 海辺、ですか。随分とタイムリーな話ですね」
「何だ、授業で海にでも行くのか?」
「はい、まだ可能性が高い、くらいですが」
そうは言いつつもほぼ、決まりだろう。
南方の要塞となると、国外からの脅威というよりは《魔物》に対する脅威に対抗する意味合いの方が強いところだ。
「剣客衆の特徴は分かっている。近くの町にまだ潜伏している可能性が高い――いずれは王都に向かってくる可能性もあるが、今回は王都の守りはここにいる者達が総動員されることになるだろう。それでも剣客衆が五人もいればどうなるか分からないが……どのみち君は一人しかいない。黒狼騎士団として対応するのは、そのリレイの町にいる剣客衆だ」
「分かりました。ですが、僕はあくまでそこに講師として向かう予定だったので、生徒達には少し離れたところに宿を取らせるようにしましょうか。それと、偵察の騎士についても準備を」
「もちろん、分かっている。最大限配慮はしよう」
学園とも相談することになるだろうが、これで僕が海に向かうことは間違いない。
次々と仕事が舞い込んでくる――海でも気休めになることはないようだ。……海と言えば、一つ思い出したことがある。
「話は変わるんですが、騎士になるための条件に、『泳げること』ってありますよね?」
「もちろんだ。人命救助も騎士の務め――流れの強い場所でも泳げるように鍛えねばならないだろう。君の場合は、それができなくても必要な人材だけれどね」
一応、僕も泳ぐことはできる。人一人くらいなら、抱えて泳ぐ訓練もしている。……やはり、水泳というのは必須項目になってくるようだ。
「それを今聞くということは……なんだ。騎士志望者で泳げない者がいるというのか? それなら海に行ったときに泳げるように練習に付き合ってやったらどうだ?」
「あはは、そうですね。そうした方がいいかな、と僕は思っています」
「ふっ、講師らしくていいじゃないか。まさか、イリス嬢のことではあるまい?」
レミィルの問いかけに、僕は笑顔を張り付けたまま沈黙する。
レミィルも笑顔を浮かべていたが、やがて僕の反応を見て眉をひそめた。
「……そうなのか?」
レミィルの言葉に、僕は小さくため息をついて頷いた。