79.亡霊
「《剣聖》……君が、剣聖か」
僕を見て、にやりと笑みを浮かべるクフィリオ。
僕は《銀霊剣》を構えたまま、後ろにいるアリアに声をかける。
「アリアさん、イリスさんを連れて脱出してください。僕が来た道なら安全なはずです。ここは、僕が引き受けます」
「……分かった。先生のこと、信じてるから」
きっと、アリアにとっても疑問に思うことはあっただろう。
けれど、怪我をしたイリスをそのままにしておくことはできない。アリアとイリスに二人を逃がして、僕は目の前にいるクフィリオを打ち倒す。
クフィリオは笑みを浮かべたまま、ちらりと視線を横に向ける。
「クフィリオ、君はどうする?」
「ふぅむ……随分と難しい展開になったものだね。だが、ここは逃げさせてもらおうかな。あとでまた合流としよう」
「分かった。先に行きなよ」
少年のクフィリオと白衣の男のクフィリオ――同姓同名ではなく、同じ存在の男が二人、この世に存在している。実際に見ていても、おかしな雰囲気しか感じられない。
白衣のクフィリオは悠々と、部屋を後にしていく。
僕はそちらには視線を向けず、目の前にいるクフィリオと対峙する。今必要なことは、この少年を倒すことだからだ。
「さっきの男もクフィリオ、か。随分とおかしな存在だ」
「そうかな。ボクからしてみれば、君も中々どうして――おかしな存在だと思うよ。その剣術はまさに剣聖と言えるレベルであり、君が剣聖を名乗ることに何の違和感もない。姿形には違和感しかないけれどね。まさか、ボクと同じ技術を体得したわけでもないだろう?」
「一緒にしないでもらいたいね。だけど、僕は《剣聖》ラウル・イザルフだ。この剣と僕の剣術が、それを証明する」
「なるほど……それを名乗ったのは、ボクを殺せる自信があるからかな」
「ああ、その通りだ――」
先に動いたのは僕の方だ。
《銀霊剣》の柄を握り締めて、輝く刀身を振るう。応じるはクフィリオの短刀。
剣と短刀の刃がぶつかり合い、火花が散る。響き渡る金属音は、連続した音と変わっていく。
刃を返すようにしながら二撃、三撃と剣を振るう。このわずかな戦闘の間にクフィリオは何かを感じ取ったのか、余裕の笑みが崩れて顔をしかめる。
刃と刃がぶつかり合って均衡する――ツゥと、クフィリオの脇腹と太腿から出血があった。僕の放った剣撃のいくつかを、彼が防ぎきれなかったからだ。
「……魔力を吸っているね。随分と面倒な剣だよ、本当に」
「あなたのその口ぶりから察するに、僕の剣を知っているようだ。確かに、この剣で対峙してきた相手は全て切り伏せてきた――そのつもりだけれど、やっぱり伝聞はするものなのかな?」
「いや、《銀霊剣》の名は伝わっているけれど、その剣の効果を知る者はいないだろうね。ましてや、魔力を吸う剣なんて……仮に剣士であったとしても好んで使う人間はいないよ。だって、皆が皆魔力を使って戦ってる。その魔力が完全になくなったら、残るのは技術のみだ。己を信じるにしたって、そんなことをできる人間はそういない」
「僕はそれができる人間だ」
僕はそう断言して、剣に力を籠める。ギィンと、お互いに刃を弾いた。
即座にお互いに距離を詰めて一撃――クフィリオの刃は僕には届かず、僕の一撃は彼の肩を捉える。先ほどの戦いで与えた場所と、ほぼ同じところだ。
クフィリオが跳躍し、一度僕から距離を取る。その呼吸はまだ乱れてはいない……だが、出血量はどんどん増えていた。
「なるほど、このままのボクではやはり勝てないか」
「このままの? まるで、他にも手があるような言い方だ」
「ああ、あるとも。何故僕が、《剣聖》であった頃の君を知っていると思う?」
クフィリオがそんな風に問いかけてくる。確かに、疑問ではあった。
クフィリオ・ノートリアのことを僕は知らない。けれど、彼は僕のことを知っているような口ぶりで話す。どこかの誰かから聞いたというのであれば、それはそれで不思議なことではない。
だが、クフィリオは明らかに《銀霊剣》のことを知っている――その疑問に答えるかのように、クフィリオが構えた。
《簡易召喚術》――僕と同じように、違う場所から何かを呼び出すために使うものだ。
現れたのは、《真紅の刀身を持つ剣》。僕はその剣を見て、すぐに誰の物であるか理解できた。
「……《戦王》、リクト・ヴィルターの《紅鳴剣》か」
「ああ、やっぱり覚えているんだね。そうだよ、これは君が戦ったことのある一人。王でありながら、剣の道に生きた男の遺した剣だ。真っ赤な刀身は、血を吸ったことで染まったとも言われる……君がかつて斬り殺した男だよ」
僕も覚えている――リクトという男は、ラウル・イザルフに一対一での決闘を挑んだ。
国を背負う身でありながら、戦争が起これば前線で戦うことを厭わないような男だ。求めていたのは、死地。王として生きることではなく、一人の剣客として戦い、死ぬことを選ぶ。
そんな生き方しかできなかった男の使っていた剣だ。
「それが、あなたと何の関係がある?」
「そうだね……はっきり言おう。何も関係はない」
「……なんだって?」
「関係ないんだよ。この剣はボクが手に入れた物ではあるけれどね。丁度、帝国に入る前に……リクト・ヴィルターが王であった国に仕えていた頃に、だ。その程度の関わりならあるけれど、その程度なのさ。……ところで、君はこの剣に刻まれた《魔法》について知っているかな?」
「いや、僕と彼は剣での斬り合いで決着をつけた。元より《魔力》を使う戦いではなく、剣での斬り合いを求めていた男だ――それ以上のことは、お互いに知らないよ」
興味がなかった、というのが正しい方かもしれない。かつての僕は、そういう男だったからだ。
「……はっ、そうだろうね。この剣はね、あらゆる事象を記憶する剣なんだ。魔法として、この剣で戦った者達のことを記憶する――ある意味では、リクトという男にとっては宝の持ち腐れでしかなかった。ボクはこの剣を使って、君との戦いの記憶を手に入れただけさ」
「なるほど。それで、その記憶が役に立つのかな?」
「ああ、ボクにはもっとも役に立つものだよ。この剣を一番長く使って、愛用していた男の記憶を……この剣は保持しているんだ。それこそ、ボクがこの男の記憶を取り出すことができるくらいにはね」
「記憶だって……?」
クフィリオの言いたいことが、僕にもようやく理解できた。
《紅鳴剣》を構えて、クフィリオが刀身をなぞる。金色の輝く紋様と共に、クフィリオの足元に魔法陣が出現する。
銀霊剣が魔力を吸いきる前に――最後の魔法が発動した。
「《記憶読込》――完了、だ」
クフィリオが、紅鳴剣を構える。少年の姿ではあるが、その構えはかつて僕が相対した男と同じもの。リクト・ヴィルター――そのものだった。
「久しいな……ラウル・イザルフ。オレを覚えていてくれて嬉しいぞ」
クフィリオの口調が変化する。何年も身体を変えて生きてきた男だからこそ、他人の記憶を自らに植え付けることができるのだろう。ここに立つのは、僕と戦ったリクトという男と同じなのだ。
「過去の亡霊に縋る……それがあなたの最後の手か、クフィリオ」
「過去の亡霊、か。確かに間違ってはいないな。オレはお前に殺された身だ――そして、今はクフィリオという男でもある。記憶を利用されただけの存在だということも理解している……だが、オレは今、この瞬間に喜びしか感じない。もう一度……お前と斬り合えるのだからなッ!」
クフィリオが剣を構える。
僕もそれに呼応するように剣先を向けて、すぐに動き出した。
真紅の刀身と銀色の刀身が交わり、僕とクフィリオの視線が交差する。
「――ハッハッ! 最高だ! 今度は、オレがお前を殺すぞ、ラウル・イザルフッ!」
「いや、そうはならない。あなたのことは、クフィリオと共に今度こそ葬り去ろう。それが、僕にできる唯一のことだ」
過去に生きた者達が、現代に再び剣を交える。
互いに一度距離を取ると、再び猛烈な斬り合いが始まるのだった。