78.《剣聖》の名を以て
僕は戦いに赴くイリスを見送ると、アリアの方へと向かった。
拘束されたまま動けない状態のアリアは、信じられないものでも見るかのように、僕に視線を向ける。
「なん、で……?」
「『なんで』とは?」
「だって、イリスを助けてくれるんじゃ、ないの……?」
アリアが口にしたのはそんな疑問。
僕が来たから、クフィリオと戦うのは僕だと思っていた――そういうことだろう。
だが、再び剣を交えるのはイリスだ。彼女がすでに限界を超えていることは、僕にもよく分かっている。
その上で、僕は彼女に戦いを任せたのだから。
「僕が助けに来たのは君です、アリアさん。そして、イリスさんが助けようとしているのも君なんですよ。僕は、イリスさんを助けに来たわけじゃない」
「そんなの、おかしい! 今はわたしのことなんて、どうだっていいっ! だから、イリスを――」
「どうだっていい話ではないですよ。君がもっと早く助けを求めていれば、こんなことにはならなかった。違いますか?」
「そ、それは、だって……わたしには、イリスを巻き込んだり、なんか……」
「イリスさんが命を狙われている時、君は命を投げ出してでも助けようとした。それなのに、その逆は認められないんですか? それこそ、イリスさんが怒ってもおかしくはないと思いますけどね」
「……っ」
僕の言葉に、アリアの表情が曇る。
イリスは最初から、アリアの力になるつもりだった。そんなことは、アリアも分かっていたはずだ。それを拒絶しようとしたのも、アリアなのだから。
イリス以上に、彼女は全てを一人で背負い込もうとする。
「僕も少しは怒っていますからね。僕の力では、君を助けられないと思いましたか?」
「先生のことは、信じてる。信じてるから、イリスのことだけを、守ってほしかった」
「なるほど、そういうことですか。それなら一つだけ、教えてあげましょう」
「っ!」
アリアを縛る鎖を剣で切断し、何も着ていない彼女にコートを羽織らせる。
そして、僕はそっと彼女に手を置いた。
「僕が守れるのは一人ではないですよ。君を含めてだって守ることができる――それくらいの力はあります。まあ、騎士という立場ではありますが、今の僕は君の担任でもあるんですから。それくらい頼ってくれていいんですよ」
「……先生が、わたしを守ってくれるって、こと?」
「先生が生徒を守るのは当然のことです。それがたとえ他人だったとしても、先生なんですからね。だから、決めるのは君です」
僕はイリスの戦いに視線を向ける。
なおもクフィリオと戦い続ける彼女は、すでにふらふらだった。
剣を握る力も、もう満足には残されていないのかもしれない。
それでも、イリスは戦いを続けている。僕に助けを求めることだってできるのに、彼女はそうしない。
それが彼女らしさでもあり、きっとアリアを助け出すのは自分の手で――そう決めているのだろう。
いつ、イリスが倒れてもおかしくはない。
そんな状況でも、アリアがすぐに動き出せないことは分かっていた。
「クフィリオは君の父親で、イリスさんは君の家族です。君がはっきりと決別の意思を示さなければ、始まらない」
「わたし――っ!」
イリスの持つ《紫電》が弾かれた。懐に、クフィリオが飛び込む。
その一撃は、イリスの心臓に向かって放たれる――だが、届くことはなかった。
ギリギリで、アリアが短刀を投げ込み、クフィリオの動きを阻止したからだ。
クフィリオが驚いた表情で、アリアの方を見る。
「アリア……」
アリアがクフィリオを睨みつける。
怒りの表情をここまで露わにしたアリアを、僕は見たことがない。……初めから、彼女の中では選択肢は決まっていたのだろう。
その一歩がどうしても踏み出せなかった――だが今、アリアは《影の使徒》と決別する。
「イリスにこれ以上、手出しはさせない。……わたしの家族は、わたしを助けてくれた『兄さん』と『姉さん』だけだった。あなたは、わたしの家族じゃないっ!」
「……アリ、ア」
限界を超えて、ようやくイリスが背中からその場に倒れ伏す――そんな彼女の身体を支えて、僕はクフィリオと向き合った。
出血量も激しく、イリスの怪我も考えれば、あれだけ動けていたのが不思議なくらいだ。
「アリアさん、イリスさんをお願いします」
「うん、分かった」
こくりと頷いて、アリアがイリスの身体を支える。
すでにイリスの意識はない――ここまでよく戦ったと褒めてやりたいところだ。
「なんだ、結局君が出てくるのか……単なる傍観者かと思ったよ」
「そういうわけにもいかないさ。何せ、彼女が『最強の騎士』になるまで見守ると約束してしまったからね。けれど、あなたのおかげで彼女は成長できたみたいだ。だから今度は、僕が師匠としてのやるべきことをしないとね」
ちらりと、アリアの方に視線を送る。
僕は口元に指を当てて、合図をした。これから見る出来事は、イリスには教えないようにと念押しするために、だ。
《簡易召喚術》によって、呼び出すのは輝く銀色の刀身を持つ刃。相対した者を全て打ち倒してきた、《剣聖》ラウル・イザルフの一振り――《銀霊剣》。
「! 先生、それは……」
「アリアさん、君は僕のことを『信じてる』と言いましたね。それなら、僕もその信頼に応えよう。君がもう二度と迷うことがないように、この《剣聖》が――君を呪縛から解き放つ」
それは、自らがラウル・イザルフであるということを証明する言葉。他人には決して知らせるつもりのない事実であった。
だが、きっとアリアにとってはこの事実が必要なことになるだろう。――お互いに信頼しあっているはずの二人が、もう離れることなどないように。