74.ノートリアという存在
イリスは駆ける――逃げるアリア達を追いかけた。
すでに、距離は大分離されてしまっている。町の中、建物の上と次々と飛び越えるようにしながら、どんどん加速していく。
(追いつけない……っ)
イリスの身体能力は高く、魔力で強化すれば並大抵の人間ではまず逃げ切れない。
それでも、アリア達がイリスとの距離を開けることができるのは、それだけ彼らの能力が高いということだろう。
(私は、また……)
イリスは全力だった。
周囲の目など気にしない。本気で、イリスはアリアに追いつこうとした。
けれど、追いつけない。いくら走っても、その距離が詰まることはない。
やがて、イリスはアリアの姿を見失い、足を止める。
「はっ、はあ……」
息を切らしながら、イリスはその場で膝をつく。
逃げられた――また、イリスはアリアを見失ってしまった。
最初は追いかけることもできずに見送ることしかできず、今度は追いかけても追いつけなかった。
身体は重く、すぐに動き出そうにも言うことを聞いてくれない。
仮に動けたとしても、イリスにはもうアリアの見つけることはできない――そんなことばかり、考えてしまう。
「……はっ、ふざけないで」
だが、イリスはそれを否定する。
もう諦めるようなことはしないと誓った――アルタの前で、必ずイリスを取り戻すと誓ったのだ。その言葉に嘘偽りはなく、どんなことがあってもイリスはもう諦めたりなんてしない。
パリパリと、イリスの周囲に雷撃が満ちる。
――《紫電》を握り締めて、イリスは再び立ち上がった。
「絶対に、見つけてやるんだから……っ」
決意に満ちた表情と共に、イリスはそう自らに言い聞かせるように宣言する。
周囲に放電するかのように、イリスの雷撃は地面を奔っていく。それはどこまでも遠く、遠くに伸びるように続く。
――イリスは再び、町の中を駆け出した。
***
暗い地下室の中で、アリアはただ力なく蹲っていた。
結局、決意をしてイリスの前から姿を消して、敵としてイリスの前に現れたのに――何もすることはできなかった。
イリスを止めることも、クフィリオを止めることも、だ。
そんなイリスの前に立つのは、クフィリオと白衣の男。
「君には失望したよ、ノートリア」
「先生……」
「二度もイリスを説得するチャンスを与えた。けれど、君は失敗した。君ならばその場で殺すこともできたはずなのに、それもしなかっただろう。結果的には利用することもできずに、我々はただ逃げる他ない。何とも、無様な結果だ」
「わたし……」
「まあ、そんなに怒ることはないさ。ノートリアがここにいてくれるのはとてもありがたいことだよ」
白衣の男からアリアを庇ったのは、クフィリオだった。
アリアの前に立つと、その髪を優しく撫で上げて言う。
「君という存在を利用することにしよう、ノートリア――いや、アリア。君ならば、今からでもイリスやアルタに警戒されることなく近づくことができるはずだ」
「それは……」
確かに、アリアならばそれができるかもしれない。
イリスは、アリアが戻って来ることを望んでいると言っていた。……アルタも同じだと。
アリアの兄と姉はアルタと戦うことになってしまっているが。
(……先生なら、きっと大丈夫)
アリアも、少なからずアルタのことは信頼している。
彼がいたからこそ、《剣客衆》という敵を前にしても、イリスが生き残ることができたのだから。……その力は、イリスのために振るわれるべきである。
だからこそ、アリアは頼るという選択をしなかった。
アリアが頼ってしまえば、それだけイリスにも危険が及ぶ可能性がある。
……兄と姉を救うために、アリアはこうして《影の使徒》へと戻ってきたのだから。
結果的に、二人はアルタとの戦いで残ることになった。
生きていれば、アリアの目的の一つは半ば達成されたことになる。
問題は、イリスも含めた者達の安全――それを確約してもらうために、アリアはクフィリオに協力しているのだ。
それだけ、この組織は強大であると、アリアは分かっていた。
「アリア、君は何も心配しなくていい」
「父、さん……?」
「今から、ボクが君になることにした」
「……え? どういう、こと?」
「準備をしようか、クフィリオ」
クフィリオがそう、白衣の男に言う。
白衣の男――クフィリオもまた、こくりと頷いて答える。
「了解したよ、クフィリオ。やはりアリアが、君の新しい身体というわけだね」
少年も白衣の男も、どちらもクフィリオ・ノートリア。
それが帝国の闇を生きる者達であり、アリアの『家族』の真相である。
ノートリアと名の付く者達は、全てクフィリオ・ノートリアによって作り出された《人工生命体》。ゆえに、アリアもまた――クフィリオになる適性を、持っているのだった。