73.《剣聖》を知る者
僕は剣を構えて、イリスの前に立った。
後方に二人、前方に一人、離れたところにもう一人――アリアの様子を見るに、彼女は戦闘に参加していない。
(説得が上手くいったのか、あるいは……)
ちらりと背後のイリスに視線を送る。
イリスがすぐに立ち上がって後方の二人と向き合った。
「先生、クフィリオ・ノートリアはあの子供です」
「! あちらの白衣の男性ではなかったのですね」
「やあ、初めましてだね。アルタ・シュヴァイツ」
軽く挨拶をするような素振りを見せる少年、クフィリオ。
その様子にはまだ余裕が見て取れる――戦闘の形跡を見るのに、イリスとまともにやり合っても彼の方が優勢だったのだろう。
「僕のことを知っているんだね」
「色々と調べさせてもらったよ。まさか、君のような手練れがこの国にいようとはね……正直、想定外ではあった。王国はボク達の敵ではないと思っていたから」
「その割には余裕そうだ。いや、だからこそ余裕なのかな?」
「まあね。だけど、君がいたからこそエーナ・ボードルの暗殺は難しいものとなったのは事実だ。エーナ自身もボク達を誘い出すつもりだったようだし?」
クフィリオが少し離れたところへと視線を向ける。
そこで待機しているのはエーナとメルシェ――エーナもこちら側にやって来ようとしていたが、僕が止めた。狙われている彼女をわざわざ敵戦力の中心に置く必要はない。
「こちらの誘いに乗ってくれて、正直助かってるよ」
「あっはっは、言うね。君とは仲良くなれそうだ」
「どうかな。僕はあなたとは仲良くなれそうにないと思うけど――イリスさん、伏せてください」
「……っ!」
先に動き出したのは、アルタの方だった。
後方の二人に向かって風の刃――《インビジブル》を放つ。
目に見えない風の剣撃だが、まるで見えているかのように二人の暗殺者は後方へと跳んだ。
ギリギリのところで回避する動きは、アリアによく似ている。
目の前にいるクフィリオもまた、アリアにそっくりな顔をしている。
(メルシェさんの言ったことは本当のようだね)
――僕が聞いた話では、《影の使徒》に所属している人間達は全て血が繋がっている。
それは誇張でもなんでもなく、彼らは家族ということになるのだ。
……それがたとえ、作られたものだったとしても。
「速いね。まるで《剣聖》みたいだ」
クフィリオがそう言って、僕の方へと駆けてくる。
僕の剣術を見ても、なお真っすぐ進んでくるのは彼が戦闘面でも絶対の自信を持っていることを窺わせる。構えているのは短刀。得物は短い分、振りが速い。
僕の剣とクフィリオの短刀が交わった――魔法的な効果を付与しているのであれば、僕の持つ《碧甲剣》はその効果を殺す《毒》を発揮することになる。
まずはお互いに連撃。ぶつかり合った剣と短刀の擦れる音が鳴り響き、僕はイリスの身体を支えるようにしながら後方に下がる。
「え、せ、先生……!? 私は大丈夫ですから! 怪我をしているわけではないので!」
「あ、そうでしたか。イリスさんの状態を見ているほどの暇はなかったので」
「!」
イリスが少し驚いた表情を見せる。
クフィリオは決して、搦め手を使っているわけではない。――ただ純粋な斬り合いで、僕と対等に打ち合ったのだ。
「ふっ、やっぱり仲良くやれそうだよ。君の剣は本当に、剣聖みたいだ」
「知っているような言い草だね」
「ああ、知っているとも。ボクは少なくとも、ラウル・イザルフという男を知っている」
――それはただの伝聞のような言い方ではない。
以前に会ったことがあるような、そんな言葉遣いだ。
もちろん、僕の記憶にはクフィリオの姿はない……戦ってきた相手のことを全て覚えているわけではないが、少なくともこれだけの実力があれば覚えているはずだ。
たとえ、姿が違ったとしても。
(この短刀の使い方はアリアさんと同じもの。少なくとも、僕は《影の使徒》なんて組織は知らないし、戦ったこともない。あり得るとすれば、戦場で見かけたということかな。まあ、このクフィリオはおそらく……)
僕はイリスを下ろすと、地面を蹴ってクフィリオとの距離を詰める。再び、剣と短刀での斬り合いが始まった。
まずは三撃。僕はクフィリオに向かって繰り出す。
初撃は回避。二撃目を切り払い、三撃目は僕の剣に合わせてカウンター。
僕は身体を逸らしてかわす。そのまま、左手を振って《インビジブル》を放つ。目に見えぬ高速の刃を、クフィリオもまた短刀で防ぎ切る。
再びの連撃。斬り合いの中で、クフィリオが笑みを浮かべているのが見えた。
(なるほど、確かに強いね。強いけれど――僕が負けることはないな)
打ち合いの中で理解する。クフィリオも気付いているだろう。
彼の高い身体能力と反応には目を見張るものはあるが、僕の剣技を防いでかわすことができているだけだ。
他方、クフィリオの短刀の振りは確かに速いが僕の命を奪うものではない。
お互いにすれ違い様に一撃――わずかに僕の頬を短刀がかすめ、クフィリオの肩には僕の剣による一撃が入る。
鮮血が、宙を舞った。
「父さん!」
動揺したように叫んだのは、待機していた二人のうちの青年の方。動き出そうとしたところで、
「動くな、ボクとアルタの戦いだ」
そう、クフィリオが言い放って制止する。
やはり、二人が動き出そうとしないのはクフィリオの指示があったようだ。
「全員で来なくていいのかな?」
「二人にはイリスを牽制してもらわないとね」
クフィリオの言う通り、イリスがすでに態勢を立て直して二人の暗殺者と向き合っている。
僕はクフィリオと戦い――そこで気になるのはもう一人の存在。……白衣の、男だ。
ちらりと視線を向けるが、男は冷静に状況を見せていた。
(……一見する限りでは、他の三人と比べて戦闘能力が高いわけじゃなさそうだ。それに、彼だけはアリアさんに似ているわけでもない)
《影の使徒》と共に行動しているが、男だけはこの状況で異質に見えた。
メルシェからもらった情報によれば、クフィリオ・ノートリアが組織を束ねるボスであり、目の前にいる子供が組織の頂点ということになる。
……だが、そもそも子供であることがおかしいのだ。
僕と同じく《転生》という事象が彼にも起こっているというのなら分かるが、それでは彼は『ノートリア』と同じ見た目になることはないはずだった。
「ああ、あの男が気になるかい? それなら、全てを理解しているわけではなさそうだね」
「全て?」
「ああ、ボクの原点さ。どうやら、ボクらの情報は別の『ノートリア』から漏れたみたいだね。……本当に欠陥品だらけだよ」
「別のノートリア……なるほど。君の言葉で僕も色々と理解ができた」
「面白いだろう?」
「全く笑えないね」
こうなってくると、問題となるのはアリアの方だ。
彼女にとっては、彼らは本当の家族ということになる。自ずと、アリアが敵側に回った思惑も理解できてきたが、そうなるとアリアが動かない限りは全ての解決にはならない。
その時、傍観していた男が口を開く。
「ふむぅ、苦戦しているようだな、クフィリオ」
「加勢なら不要だよ」
「当然だとも。私は君と違って弱いんだ。だが、君とて状況は理解できているだろう。このままでは我々は敗北する。故に、作戦を変えよう。二人のノートリアを残して、我々は逃げる――これでどうだ?」
「……そうするしかないかもね」
僕の前で悠長にそんな作戦を話し始める二人。
二人を残して――その言葉と同時に動き出したのは、イリスと向かい合っていた暗殺者の二人だ。
イリスもそれに合わせて動き、二人を止めようとする。
だが、それを阻害したのは、少し離れたところで止まっていたアリアの投げたナイフだった。
「……アリア!?」
突然のアリアの行動に、イリスが気を取られてしまう。
二人の暗殺者は僕を挟むように構えると、それぞれがナイフを左右に投げて、
「《四方結界》」
その言葉と同時に、僕を覆うように結界が張られる。
クフィリオと男――そしてアリアの三人は、僕が結界に囚われたのを見るとその場から駆け出した。
「アリア!」
「……ごめん、イリス。先生、二人は……殺さないで」
そんな懇願するような声を漏らして、アリアがその場から逃げ出す。
イリスがちらりと僕の方を見て、
「――ごめんなさい、先生」
一言だけ呟くように言うと、イリスがその場から駆け出した。
僕の援護ではなく、そのままアリアを追う選択をしたことへの謝罪だろう。
「別に、謝る必要はないけどね」
「……随分と余裕だな。まあ、俺達の目的はあくまでお前の足止めだ。そこでしばらく大人しくしていろ」
「その間に、エーナさん達と戦うと?」
「向こうが来るのならそうするわ。けれど、私達の役目はあなたを止めること。それさえできれば後はどうでもいいの」
青年と少女の声で、それぞれ答える。
どちらも仮面を外すと、そこにあったのはアリアと似た顔であった。
「――足止めか。確かに、数秒くらいならできるかもね」
「なん――なっ!?」
青年が驚きの表情を浮かべる。
一撃、二撃では結界は破壊できなかった。
強固に構成されたものだ。けれど、繰り返せば破壊できないものは存在しない。
まったく同じ場所を、まったく同じように数撃繰り出しただけで、僕を捉えていた結界は瞬時に砕け散った。
生まれた一瞬の隙をついて、《インビジブル》を放つ。
二人の暗殺者は、その場に倒れ伏した。
「……殺すな、ね。やっぱり、アリアさんの目的は彼らか」
倒れた二人を見据えて、僕はようやく確信を持つ。
残る敵は二人――イリスが追いかけた、クフィリオともう一人の男だ。